JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

初夏(?)の一日

2007年04月30日 | g-i

昨日今日と夏のような天候で、今日などはみんなが使った布団を干したり、部屋の掃除まで手伝わされて、汗だく状態。
「うん、5キロくらいやせたかな?」
「ないない」

「さて、一段落付いたところで、珈琲でも飲みましょうか?????????」
なんと、一昨日まで一袋残っていた珈琲が、みごとに無くなっています。
「あいつらめ、珈琲まで飲み尽くしていったのね」
無いとなると、どうしても飲みたくなるのが人の常、だけど休日だから、『ヤナイ珈琲』さんはお休みかもしれません。それでも雑用を逃れるチャンス到来であります。
「ちょっと珈琲屋さん行ってくるねぇ」

『ヤナイ珈琲』さんまでは歩いて10分、にもかかわらず車で出かけるということは・・・・はははははは、意図は見え見えですね。まずは海岸でゆっくりと潮風を楽しんできました。





途中、田んぼにも水が張られ、何カ所かでは田植えも始まっておりました。専業農家の少ないこのあたりでは、大型連休が農作業の人手を確保できるチャンス週間でもあるわけで、せっかくのお休みを農作業で忙しく過ごす方も少なくありません。
法事の後始末でヒーヒー言っている我が身が、恥ずかしいかぎりです。

「ほら、ここのご夫婦も連休じゃない」
『ヤナイ珈琲』さんもしっかり営業しておりました。連休中も通常通りだそうで、頑張ってます。

「バブさん、川魚は食べない?」
ヤナイさんのお友達が大量にイワナを捕ってこられたのだそうで、
「よかったら、少し手伝ってよ」
話では小振りのモノばかりだから、ということだったので、揚げてでも食べようかと思ったのですが、じゅうぶん立派な型じゃありませんか、塩焼きでいただきました。


化粧塩もせずに焼きましたが、味は上々
ヤナイさんごちそうさまでした。

こうして、連休前半の最終日は過ぎていったのでありました。う~~ビールうめぇ!!

さて、今日の一枚は、先日『ジャズ批評』を読んでいて、「そう言えばしばらく聴いていなかった」と思い出した一枚です。

私がジャズ喫茶でアルバイトをしていた頃、ジャズはまさに多様化しつつある時代。そんな中、ソロ・ピアノも一種のブームのようになり、キース・ジャレット、チック・コリア等々のソロ・ピアノ名盤と称されるアルバムが続々と出てきた時期でもありました。
基本的に私はこの時期のピアノ・ソロを良しとしない、ある意味、へそ曲がりなところがあって、それらをことごとく敬遠したタイプなのです。(笑)
その反動で、アバンギャルドやフリーといった方向に嗜好が向かったのかもしれません。

そんな中、ローランド・ハナというピアニストは私にとって別格で(理由は以前もお話ししていますので、ここでは省略しますけど)、このソロ・アルバムもお気に入りの一枚でした。

ところが、何度所有LPを確認しても、このアルバムが見あたらないのです。引っ越しのどさくさで無くなってしまったのか?それともだれかに貸したままなのか?いずれにしても、ジャズ好きとしてはあるまじきことであります。
ですから、現在、LPは所有しておりません。CDで買い直しはしましたが、じつに残念なことをしたと後悔しきりであります。

前置きが長くなってしまいました。
このアルバムは、1974年モントルー・ジャズ・フェスティバルのもようを、Freedomレーベルが何枚かのレコードとしてリリースしたうちの一枚です。
ソロでありながら変化に富み、いかにもサー・ローランドらしいピアノを楽しめるアルバムになっていると思います。
特に4曲目「PERUGIA」の美しいことったら、あーた(笑)、ぜひともお聴きになってみて下さい。
                                                                 
PERUGIA / ROLAND HANNA
1974年7月2日録音
1.TAKE THE A TRAIN
2.I GOT IT BAD AND THAT AIN'T GOD
3.TIME DUST GATHERED
4.PERUGIA
5.A CHILD IS BORN
6.WISTFUL MOMENT


子供達が揃って

2007年04月29日 | m-o

いやぁ、終わりました父の13回忌。
内々で済ませたとはいえ、我が兄弟、それぞれの子供全てが集まれば普段考えられないほどの騒がしさ、三々五々帰っては行きましたが何だか気が抜けたようで何もする気になれません。特に母は疲れた様子ですので早く寝かせつけました。(笑)

我が愚息と娘も二人揃うのは久しぶりで、それなりに手伝いもしてくれました。こうしてみてみると、そこそこ大人になったのかなぁなんて思えてもきます。

「お兄ちゃん、ネクタイへんなになってるよ。」
小さいときにはあれだけしょっちゅう兄弟喧嘩をしていたくせに、何だかとても仲良くて、娘などちょっとした世話女房のよう。
変身を続けるある意味、女を見るようで、父としては複雑な気分でありました。こうしてどんどん私のところからは、離れていってしまうのでしょうねぇ・・・シクシク

「お兄ちゃんのめんどうをみてるんだからいいでしょ。そのうち他人のめんどうをみるようになるんだよ~~~~~~~」
などと姉に脅され、
「何言ってんの、まだ高校生だよ。」
と真剣に答えてしまう自分が、とてもかわいそうに思えてしまいました。

ともかく、これで父の法事も一段落、
「ほら、とうちゃんもビックリしてるは、みんな大きくなっちゃって、誰が誰だかわかんないんじゃないの」
墓の前で手を合わせる母は、疲れながらもとても嬉しそうでありました。

それにしても、時代は変わりましたねぇ。
みんなが揃うのもそうはないと、全員のスナップやら、食事会のバカ騒ぎまで写真に納めたのですが、それぞれがCD-Rで持ち帰ることに、
甥っ子などは「CD-Rもったいないから、 iPodに入れてくれてもいいよ」
まさにデジタル時代ですね、墓の中の父にはどう説明しても理解してもらえないでしょう。
おもえば、戒名付けも塔婆の印刷もパソコンで行うお坊さんがおられるそうですから、将来、私の13回忌の頃にはどんな時代になっているのか?私には全く想像がつくません。
願わくば、あまり面倒な時代にだけはなって欲しくないものです。
「時代云々よりも、だれもあんたの供養なんかしてくれなかったらどうすんの?」
「・・・・・・・・・・!?」

さて、今日の一枚は、法事でもありますので『高僧』にご出馬願いましょう。
今から47年前の今日録音され、リヴァーサイドでオリン・キープニューズがモンクをプロデュースした最後のアルバムです。

当初、リヴァーサイドはモンクとシェリー・マンの共演を狙っていました。しかし、スタジオ録音はついに実現しなかったのです。そこで、モンクがサンフランシスコのブラック・ホークにゲスト出演している間に、マンとゲスト・ホーン奏者二人を迎えたレコーディングを行うことが決まります。
ところがところが、当時モンク・グループのレギュラー・ドラマー、ビリー・ヒギンズをさしおいてマンがしゃしゃり出ることは、マン自身が許せなかったようで、結果、マンの出演はとりやめ、二人のホーン奏者のみを迎えてのライブ録音となったのです。

ただ、ジョー・ゴードンもハロルド・ランドも、とってつけたように私には感じられます。やはり、チャーリー・ラウズであればこそ、モンクの心がわかるといった気がするのです。
突然のゲストとしてモンクと共演することはゴードンであれ、ランドであれ、あるいは誰であれ、難しいことだったのかもしれません。

このアルバムは、私的には、他のリヴァーサイドに残るモンクのアルバムと比べると、少々低めのランキングになってしまいます。
おっと、けして嫌いだとか悪いという話ではないので、お間違えの無いように。

THELONOUS MONK QUARTET PLUS TWO AT THE BLACKHAWK
1960年4月29日
THELONOUS MONK(p) JOE GORDON(tp) CHARLIE ROUSE, HAROLD LAND(ts) JOHN ORE(b) BILLY HIGGINS(ds)
1.LET'S CALL THIS
2.FOUR IN ONE
3.I'M GETTING SENTIMENTAL OVER YOU
4.WORRY LATER
5.'ROUND MIDNIGHT
6.EPISTROPHY


「テッペンカケタカ」

2007年04月27日 | s-u

さぁ、明日からはいよいよゴールデン・ウイークですね。なかには9日間連続のお休みを取られる方もいるそうですが、いったいどうやって暇を潰されるのでしょう?
国内外への旅行、帰省、子供とのふれあい、恋人と二人きりの時間、家族サービス・・・
それなりに皆さん楽しまれるのでしょう。

えっ?私?
もちろん、9日間も休みを取ることなど許されませんし、旅行をする資金も無し、かといって家族サービスといってもねぇ。子供達が小さかった頃、疲れると言いながらも出かけたあの頃が懐かしい気分です。
幸いにも、前半は父の法事で忙しく過ごせそうですが、後半は予定など全くありません。まぁ、へんに予定などない方が静かに過ごせて良いかもしれませんけど。(ちと寂しいかな・・笑)

ゴールデン・ウイーク後半は、あたりまえですが5月に突入しているわけで、はや初夏の季節となるわけです。4月がへんに寒かったりしたので、ちょっと実感がありませんけど、山の緑は間違いなくその色を変えつつありますし、初鰹もいただきました。あとは・・・・・ホトトギス、ホトトギスの初音ですよね。

目には青葉山ほととぎす初鰹

この時期、鰹を食べるたびにだれかがほざく、山口素堂の句ですが、「鶯の声はわかっても、ホトトギスのそれはよくわからない」という方が多くいるようにも思えます。
たしかに、最近はホトトギスの初音を楽しむてな風流人が居なくなってきているからかもしれませんし、鶯よりさらに身近にいない鳥になってしまったせいかもしれません。

鶯は「ホーホケキョ」ホトトギスは「テッペンカケタカ
ゴールデン・ウイークの後半にここいらで聞くのは難しいかもしれませんが、夕べにベランダにでも出て、一杯やりながら聞き耳でも立ててみましょうか。
旅行や、ドライブだと金を取られますけど、青葉を眺めて、ホトトギスの初音を聞いてもお金は取られませんしね。
つまみは、初鰹かな?・・・・・・それはお金を取られます。

さて、今日の一枚は、ソニー・スティットにしてみました。
別にホトトギス→鳥→バードというわけではないんですよ。だって、だとしたらチャリー・パーカーにするでしょ・・・・

そんな話はともかく、このアルバムには、暗~い思い出がありまして、
20年ほど前だったでしょうか、とある友人がどうしてもこのレコードを聴きたい、しかも自宅で、
不覚にも、相手の性格も考えずに貸してしまったのです。(どう考えてもレコードをぞんざいに扱いそうだったんです。)
案の定、ふか~~い傷が~~~~~~!!!!!
結局、CDで買い直しをしました。(もちろんLPも大事に取ってありますよ)

スティットのアルトは、バードにも負けない、いや聴きようによってはそれ以上のアドリブを聴かせてくれます。ただ、LPでいうと収録曲が多いため、かなり詰め込み気味で、一曲一曲に少々物足りなさを私は感じます。

ともかく、明日、明後日は法事で忙しくなりそう、ゆっくりレコードを聴いている時間もないかもしれません。今晩は少しだけ遅寝をしてレコードを聴きながら一杯飲むことにします。

ちなみに、ジャケットはLP、収録曲はCDで紹介させていただきます。

STITT PLAYS BIRD / SONNY STITT
1963年1月29日録音
SONNY STITT(as) JOHN LEWIS(p) JIM HALL(g) RICHARD DAVIS(b) CONNIE KAY(ds)
1.NOW'S THE TIME
2.MY LITTLE SUEDE SHOES
3.PARKER'S MOOD
4.CONSTELLATION
5.PRIVAVE
6.HOOTIE BLUES
7.CONFIRMATION
8.KOKO
9.YARDBIRD SUITE
10.SCRAPPLE FROM THE APPLE
11.ORNITHOLORY


良くできた後輩だ!

2007年04月26日 | a-c

体調も今日の青空のごとく晴れ渡り(昼頃ににわか雨はありましたけど)、いつにもまして爽やかな朝を迎えることができました。よかったよかった(笑)

「バブさん、昨日買ってきましたよ。」
「・・・・・・・??????」
見れば『ジャズ批評』の5月号であります。
そうでした、『ジャケ買い』の原稿を出してみて下さいという、同誌からの連絡に、調子こいて投稿をした上、さらに、掲載の有無もわからないうちから、
「俺の記事、載るかもしんないから買ってね。」
てなことを、飲んだ勢いでみんなに話していたのでありました。
それを律儀に、しかも発売日に買ってきてくれるとは・・・良くできた後輩です。

私の記事はともかく、ブログ仲間の皆様はじめ各位も「ジャケットへの思い入れはそれぞれであるのだなぁ」と、面白く読ませていただきました。

そんな中、横浜の老舗ジャズ喫茶『ミントンハウス』の川上裕朗氏が、私と同じ「FORCE SWEET MAO - SUID AFRIKA 76」を取り上げられていたのにビックリ。(まぁ、誰が見ても印象に残るジャケット・デザインではあるわけですが)

『ミントンハウス』といえば、横浜の中華街の入口?出口?、ともかく元町との境目にあるジャズ喫茶であります。
とか言いながら、申し訳ないと思うのは、私が横浜在住中もそれほどおじゃましていなかったお店なのです。どうしても、野毛の『ちぐさ』『ダウンビート』あたりで足を止めてしまい同店まではなかなか・・・というのは言い訳臭いですよね。(笑)
実際に伺ったのは5,6回だったでしょうか。ですからマスターのお名前も知らぬままにおりました。

手動式アナログ・プレーヤーにテクニカのシェル、カートリッジはデンオンだろうか?マスターはカウンターのなかに一人ポツンと座り、崎陽軒のシュウマイ弁当を食べ始め、雨の街を窓越しに眺める。
「店も街も古いのっていいなぁ」

ふふふふふふ、こんな『崎陽軒』のCMを御存じでしょうか?
あの場所こそが『ミントンハウス』であり、あの坊主頭の方こそが『オイドン』こと同店のマスターであるはず。
今回の『ジャズ批評』の記事で、横浜市ミントンハウス店主と記された川上裕朗というお名前が『オイドン』さんのお名前ということになるのですよね。
今更知るというのが、いささか勉強不足とも思いますが、なんだか、とても嬉しい気分なのです。

話のついでに、「FORCE SWEET MAO - SUID AFRIKA 76」とはじめて出会ったジャズ喫茶のお話もう一つ。

東京自由ヶ丘にあった『アルフィー』というお店でした。まぁ、このアルバムを聴いていただければわかるかと思いますが、アバンギャルドというか、前衛的ジャズも、なんの躊躇もなしにかけてくれる、当時の私にはもってこいのお店でした。学生時代は、ほんとによく利用させていただたものです。
朝(といっても、10時過ぎですが)自由ヶ丘の駅前で文庫本を買い込んで、開店に合わせるように入店、トーストと珈琲2杯で(たしか再オーダーがあったように思うのです。)暗くなるまで居座るのですから・・・・・儲かるわけありませんよね(笑)

私はこの店で、高校時代にはあまり耳にしなかった(バイト先では、あまり前衛的なものは好まれなかったもので)多くのアルバムを覚えさせていただき、確実にリスニングの幅を広げることができたのだと思います。

いかんいかん、どんどん話が思い出話になってしまいます。今日はこのへんで止めておきましょう。ともかく、良くできた後輩のおかげで、思い出話にまで話題が膨らんでしまったバブ君でありました。

さて、今日の一枚は、話の流れというかこんなアルバムを選んでみました。

BYGレーベルは、フランスのマイナー・レーベルです。もともとはフランスの大学都市へのレコードショップのチェーンを始める一方、 Savoy 音源などのフランス盤をリリースするレーベルとして、活動を始めました。アメリカからジャズメンを招いて録音を始めたのは、今日のアルバムが録音された年、1969年からだったと思います。

オーネット・コールマンの「SOMETHIN' ELSE」でデビューしたドン・チェリーは、1960年代にブルーノートに3枚のリーダー作を残しました。その時いっしょだった、エド・ブラックエルとのディオ作品がこれです。
感覚的にはダラー・ブランドの民族音楽的アプローチにも、類似するように思えますし、じっさい私は、トランペッター、ドン・チェリーというより、ここではピアニスト、ドン・チェリーに感銘を受ける一枚であると思っています。

MU. First Part / DON CHERRY
1969年8月22日録音
DON CHERRY(tp,p,fl,他) ED BLACKEWLL(ds)
1.BRILLIANT ACTION
2.OMEJELO
3.TOTAL VIBRATION Pt.1
4.TOTAL VIBRATION Pt.2
5.SUN OF THE EAST
6.TERRESTRIAL BEINGS


反省促進剤

2007年04月25日 | a-c

みなさん、ご心配いただき誠にありがとうございます。
二日間アルコールを抜いたおかげでしょうか、今朝にはほぼ症状も治まり、元気を取り戻しつつあります。

それでも、今回ばかりはいくぶん心配でもあったので、仕事の合間に天敵の元へと参じてまいりました。
「あらま、珍しい人がいらっしゃいましたこと」
父の代からの天敵、いやもとい、お付き合いのあるお医者さまですので、冗談を返す余裕すらありません。
症状を手短に説明すると、
「まぁ、心配はいらないだろうけど、簡単な検査だけはしてみようか」
とのこと、
(「う~~~~ヤダよ~~~~~!!!!」)

何が嫌いかって、この麗しき柔肌に、容赦なく差し込まれる悪魔の尻尾のごとき注射針であります。
「看護婦さん(今はこう言っちゃいけないんでしょうが)、俺、注射針見ただけで失神しそうなほど、ナイーブで、貧血もひどいのよ。採る血は、少なめにしてね。」
「バカの言うことなんて、真に受けんなよ。おもてでバカができないように、少し太めの針で多めに採ってやれ。」
(「くそオヤジ、医者だって立派なサービス業なんだから、ウットリする間にチャチャっと採血が終わっちゃうくらいの、若くて素敵な看護婦でもおいとけ!!!」)
いやいや、これは、完全な蔑視発言でした、声に出さなかったとはいえ、担当していただいた看護師さんに心よりお詫びいたします。

ともかく、内臓検査は日を改めてということで、今日のところは「疲れからきた、症状」・・・
ごめんなさい、言い方が違いました「飲み過ぎ、遊びすぎからきた過労」だろうからということで、帰ろうとすると、
「会社の健康診断だけじゃもうダメな歳になってきてるんだから、年に一回くらいはドックにでも入るといいんだぞ。どうみてもメタボは確実だから。」
(「クソおやじ、一言多いんだよ~~だ!」)
「はい、そうします。」

しかし、いかに天敵とはいえ、医者に行ったというだけで、少し安心してしまうのは私だけでしょうか?
夕食時に飲んだビールの旨いこと旨いこと・・・・・
やはり、私に最も必要な注射は『反省促進剤』であるのでしょうかね。

さて、今日の一枚は・・・あれ?以前に紹介しましたっけ????
今日の話題的に、これしか頭に浮かばなくなってしまいまして・・・・・・・ほら、我が天敵もこんな女医さんならねぇ、ちょっとやそっと痛い注射でも、あまんじて受けるというか、なんというか・・・・でしょう?
(ゴホゴホ、勘違いしないでください、私にはそういったプレイ趣味はございませんので)


C7539

私が持っているのは、コンテンポラリー『C3539』モノラル盤です。ステレオ盤『C7539』とジャケ・デザインも収録曲も同じかと思いますが、違っていたらごめんなさい。(笑)

ジャケットが妙に『○○プレイ』をも連想させるものだけに、内容もさぞかしと期待される人がいるとすれば、「ピンクの看板にそれらしい店名が書かれた店に入ったのに、じつは渋い酒をそろえたバーだった。なんだ期待はずれだなぁと思いながらも、出された酒を口にしたら、違う意味で魅力的な店だった」的なアルバムだと思います。

カーティス・カウンスといえば1950年代のウエスト・コーストを代表する黒人ベーシストですが、私は、コンテンポラリーに残る彼のレギュラー・クインテットを聴く範囲で、(このアルバムも含め)、むしろ力強いハード・バップをイメージします。

YOU GET MORE BOUNCE WITH CURTIS COUNCE
1956年10月8[7],15[5]日, 1957年4月22日[3,6], 5月13日[1,2], 9月3日[4]録音
CURTIS COUNCE(b) JACK SHELDON(tp) HAROLD LAND(ts) CARL PERKINS(p) FRANK BUTLER(ds)
1.COMPLETE
2.HOW DEEP IS THE OCEAN
3.TOO CLOSE FOR COMFORT
4.MEAN TO ME
5.STRANGER IN PARADISE
6.COUNCELTATION
7.BIG FOOT

おまけ、
2日ほど前に、親戚が『文旦(ぶんたん)』をおくってきてくれました。
『文旦』というと、土佐が本場かと思っていたのですが、おくられてきたのは愛媛産、
「これも、『土佐文旦』っていうのかなぁ?」
「愛媛産の『土佐文旦』もなかろうに」
まぁ、味が良ければ何処の何文旦でもよいわけで、

ところが、ここ何日かの体調不良で、私は口にもしておりませんでしたので、
「俺も文旦食べてみようかなぁ、何処にあんの?」
「納戸にあるでしょ」
と見れば、一箱たっぷりあったはずのそれが、数えるほどになっておりました。
訊けば、母が近所もろもろに配ったり、もちろん、私が食べられないことも気にも止めず、本人達も食べたりとで、激減したのだそうで
「よかったねぇ、あるうちに食べられるようになって」

しょせん、我が家での私の立場は、そんなものなのであります。(はははハハハハハ)


いい男の妄想

2007年04月24日 | a-c

昨日の朝方から大変なことになってしまいました。
まずは、下痢です。詳しく書いてもあまり気分の良い話ではありませんので省略しますが、ともかく半端じゃありません。
「なんだぁ?夕べの鯵にでもあたったか??????」
ところが、食あたりにしては吐き気も腹痛もなし。
ともかくは、仕事へ向かいましたが、仕事時間よりトイレ・タイムのほうが長くなる始末で、
「こりゃいかん、仕事になんないから、悪いけど帰るね」
早退後、こんどは何だかすごい寒気に襲われました。
・・・・・・・・・・なっななんと、39度近くの熱があるではありませんか。

そもそも、私は、いかに熱っぽくても体温を測るということをしない人種でして、何故かといえば、体温を見てまた熱を出すタイプだからであります。
えっ?意味がわかんないって?
つまりですね、あまりにも高い体温だと、その体温にビックリして、調子を崩すタイプなのですよ。だから、私としては熱がありそうだという判断だけで充分なわけで、体温計は不要なのであります。
ところが、計っちゃったんですねぇ、昨日は・・・・・・
案の定、体温を見てすぐに具合が悪くなってしまいました。(笑)

「それにしてもおかしい。喉が痛いわけでも無し、鼻水が出るわけでも無し・・・・腹痛を伴わない下痢と、体温を見てしまったがための頭痛だけなのに・・・・、だめだ!トイレ!」

食事も摂れずに、脱水症状を補うがごとく、白湯と麦茶を飲み続け、夜になってなんとか下痢は治まりましたが、こんどは腰から背中あたりがなんだかとても重くて痛い感じ、「え~~~ん、腰が痛いよう~~~~~!!」
「明日、医者に行ってくれば・・・・・ ともかくさっさと寝な!」
だれもいたわっちゃくれません。ならば、やけ酒・・・・さすがにその勇気はありませんでした。

一晩明けてみれば、下痢は完全に治まり、頭痛とかったるさはあるものの、熱もさほどではない感じ(もちろん計りません。)、普通に仕事に出かけてしまいました。

「ひょっとして、このまま大病に蝕まれた私は、泣かせ続けたあまたの女性達が流す、本当の涙の重さも知らぬまま、一人ひっそりと旅立つのかもしれない・・・・」
妄想のなかの私は、それはもうキムタクも、玉木宏もかなわぬほどのいい男、病魔に襲われた男は必ず、いい男が故の孤独のなかで、寂しい死を迎える、三文小説の主人公のような姿なのであります。

「う~~ん、その妄想はまだ熱がある証拠だね・・・・・・・、バカなこと言ってないで、明日こそ、病院に行ってきなさいよ。」
「は~~~い」

今週末は父の13回忌がひかえております。早めに体調を戻しておかないとね。ん?!まてよ、ひょっとしてこれは、父が私の飲み過ぎに注意をおくっているのかもしれませんね。

さて、今日の一枚は、アルコールを口にできない私が力を得るには、コルトレーンしかないだろうと引っ張り出した一枚です。
このアルバムは、録音は1958年であったものの、アメリカで実際に発売になったのは6年後、「A LOVE SUPREME」録音の年でした。
この時の録音は、「LUSH LIFE」「THE LAST TRAIN」(1月10日録音)「BAHIA」「STARDUST」(12月26日録音)に分散収録されています。



残っていた録音を「今まさに旬な時期に発売しようか」的な意図も感じられなくもありませんが、(だって、A面は一曲14分位、B面だって二曲16分位と短いんですよ。)それでも、コルトレーン好きには「この時期のコルトレーンは全て聞き漏らしたくない。」というのが正直なところで、遅れても発売になったことを感謝しなければいけませんね。
まだまだ、未発表の録音はこれからも出てくるかもしれませんし・・・・・
「出すんだったら、早く出せよ!!!!」

THE BELLEVER / JOHN COLTRANE
1958年1月10日[1,2], 12月26日[3]録音
JOHN COLTRANE(ts) DONALD BYRD[1,2], FREDDIE HUBBARD[3](tp) RED GARLAND(p) PAUL CHAMBERS(b) LOUIS HAYES[1,2], ARTHUR TAYLOR[3](ds)
1.THE BELIVER
2.NAKATINI SERENADE
3.DO I LOVE YOU BECAUSE YOU'RE BEAUTIFUL


『黒い情念』が逝く

2007年04月22日 | g-i

統一地方選後半戦、皆さんは投票に行かれましたか?
私は雨が降り出す前にと、午後一番で近くの小学校へ行ってきました。たかが一票、されど一票であります。

今日、KOJIさんより「Andrew Hill がつい20日、75歳で亡くなりました。」とのコメントをいただき、アンドリュー・ヒルの訃報を知りました。死因は肺ガンであったそうですが、ご冥福を祈りましょう。

1937年6月30日、ハイチのポルトープリンスでヒルは生まれました(じつはシカゴ生まれたという説が正しいともいわれます。)。1941年、家族と共にシカゴに移り住み、1943年頃には、シカゴ周辺でアコーディオン、タップ・ダンス、歌を器用にこなし、披露していたそうです。

1950年にバリトン奏者ピット・パリックからジャズの手ほどきを受け、1953年からポール・ウイリアムスのR&Bバンドでプロ活動をスタートしました。この頃、バリー・ハリスと出会い、パド・パウエルついて教えられ、その後、ジーン・アモンズ、サージ・チャロフ、ロイ・エルドリッジらと付き合い、御存じダイナ・ワシントンの伴奏コンボのメンバーとしてニューヨークへ、ジョニー・ハートマンの伴奏を務めた後、ロサンゼルスに移り、クラブ『ライトハウス』で活躍しました。

オルガン奏者、ラバーン・ジレットと結婚後、1963年ふたたびニューヨークへ、ブルーノートのアルフレッド・ライオンの目に止まったヒルは、新世代ジャズ・メンとの興味深い録音を数多く残しました。1970年からはコルゲート大学の嘱託教師となり、1971年に自己バンドを結成、活動を続けるものの仕事は少なかったようです。
1974年に5年ぶりのレコーディングを行い、一線にカンバックしました。昨年もブルーノートより新作を出しておりましたが、ここに帰らぬ人となったわけです。

思えば、ライオンが最後に力を入れたミュージシャンが、アンドリュー・ヒルであったと言ってよいのではないでしょうか。
『黒い情念』、『特異で難解』とも言われたヒルのピアノ、何処をライオンは気に入っていたのでしょうか?
それは、まったく売れもしないのに、モンクに入れ上げたときのように、その才能に惚れ込んでいたということなのか、もしくは、当時のブルーノートには、こういった新しい風が、あえて必要だと思ったのかもしれません。
ヒルは玄人受けするピアニストで、当時のジャズ雑誌の評は常に満点、ただ、人気上々とは行かず、売れ行きは燦々たるものだったようです。(モンクは評論家にも不評でしたけどね)
それでも、ライオンは60年代を通して彼の録音を続けたのです。

さて、今日の一枚は、もちろんブルーノートのアンドリュー・ヒルです。
サン・ラ・オーケストラの異色テナー、ジョン・ギルモアを招き、クールなボビー・ハッチャーソン、そしてもちろん、ヒルのユニークなリズム、それら三者三様の個性が主張しながらも協調し合う、不思議な感覚があるアルバムだと思います。

ANDREW !!! / ANDREW HILL
1964年6月25日録音
ANDREW HILL(p) JOHN GILMORE(ts) BOBBY HUTCHERSON(vib) RICHARD DAVIS(b) JOE CHAMBERS(ds)
1.THE GROITS
2.BLACK MONDAY
3.DUPLICITY
4.LE SERPENT QUI DANSE
5.NO DOUBT
6.SYMMETRY

おまけ、
『料理当番、今日の一品』

今日はやっとこのあたりでも港に顔を出してきた『初鰹』です。
それがねぇ、味は良かったんですが、盛りつけに失敗しまして・・・・・
いちおう、鯵のたたきも添えて、ツマも自分で刻んだんですけどね・・・・・

 

あとは手を抜いて、『ポテサラ』と『大根煎り』でした。


ブラック・パンサー??

2007年04月21日 | p-r

「バブちゃん、暇してない?」
との電話はMさんからです。
隣の県の同業者さんに届け物があるんだけど、一人だとつまらないから、暇だったら付き合ってくれないかとのこと、まぁやることといえば散歩ぐらいですから、
「いいですよ」
昼食をごちそうしていただけるということもあり、尻尾を振ってついていきました。

日差しは強くはありませんでしたが、暑いくらいの陽気のなか、荒れ気味の太平洋を望みながらのドライブはなかなかのものであります。
「隣がカワイコチャンなら、なおいいんですけどねぇ」
なんて、お互い言いながらも、目的地へ到着・・・・・・

「Mさん、なんですかこの大きな料亭のようなお宅は????」
以前、こちらのIさんとも、酒宴を共にさせていただいたことがありましたので、その渋いお姿は存じておりましたが、こんな豪邸の主でいらっしゃるとは。
だってね、車4台は入ろうかという電動開閉式のガレージでしょ、玄関を入れば土間をかいして、内庭付きの茶室まであるんですよ。
「ひぇ~~~~、風貌にも勝るリッチマンだったんだぁ~~~~~」

「Iさん、せっかくだから、コブラだっけ・・・あの車見せてくださいよ。」
とMさん。
「あっ?コブラじゃなくて、パンサーだろ・・・いいよ、ドライブでもしてこようか?」

ガレージのシャッターが静かに上がると・・・・・・




お尻もプリティ~~~

イギリスの名車『パンサー』です。
カッコイイですよねぇ~~~~

「乗ってみていいよ」 Iさんの暖かいお言葉。
Mさん、私とコックピットへ座らせていただきました。
思ったより、ずいぶん狭い感じで、スマートな(?)私にはハンドル操作もままならないかもしれません。


インパネもいい感じ

 

「Iさん、正直言って、運転はしにくそうですよねぇ」
「そうだね、ハンドルの下の方は握るの大変だからねぇ、窓を開けて肘をかけると、まぁまぁ大丈夫だと思うよ。そのへん運転してきてみたら」
「・・・・・・・・・・!? いやいや、ぶつけたりしたらシャレになりませんから」


こちらはMさん・・・あっ!私も写真撮ってもらえばよかった!

結論ですが、こういった車に乗るには、それに似合った渋さと、充分なリッチさ、人間の大きさが無いとイカンということでしょう。私などにはIさんと同い年になっても、いや一生そなわらないものであります。(トホホ)
あとは三人で、ジャズの話やパイプの話などしながら昼食を食べて帰ってまいりました。
おかげさまで、楽しい時間を過ごすことができました。Iさん、Mさん、ありがとうございました。

さて、今日の一枚は、小児麻痺という身体的不利を克服し、逆にその不自由な右手だからこその特徴まで引き出したピアニスト、ホレス・パーランです。
パウエル派と目された彼ですが、本人曰く「影響を受けたのはパウエルはもちろんであるが、アーマッド・ジャマルにも大きな影響を受けた。」といいます。
ジャマルに影響を受けたといえばマイルスが頭に浮かびますが、空間を意識したその演奏を、右手のハンデから空間を生かさざる得なかったパーランが参考にしたことは、容易に想像がつきます。
そんなことが、単なるハード・バッパーではなく、もっとアーシーな一面を見せる彼の特徴へとつながったのでしょう。

このアルバムは、打楽器を加えることで、彼ならではのユニークなリズムがさらに強調されているというか、じつに個性的な一枚に仕上がっていると思います。

HEADIN' SOUTH / HORACE PARLAN
1960年12月6日録音
HORACE PARLAN(p) GEORGE TUCKER(b) AL HAREWOOD(ds) RAY BARRETTO(perc)
1.HEADIN' SOUTH
2.THE SONG IS ENDED
3.SUMMERTIME
4.LOW DOWN
5.CONGALEGRE
6.PRELUDE TO A KISS
7.JIM LOVES SUE
8.MY MOTHER'S EYES


座頭市殺法

2007年04月20日 | s-u

久しぶりの青空で、風は強かったものの気温もまぁまぁ上がってくれました。
今日の昼食はお初の喫茶店でランチをいただきましたが、懐かしい漫画が置いてあったもので、30分ほど昼休みをオーバーしてしまいました。
まぁ、たまにはいいでしょう。(えっ?しょっちゅうだろうって?)

その漫画は、石森(石ノ森)章太郎の『佐武と市捕物控』です。昔、好きでよく読んでたんですよねぇ・・・・
下っ引きの佐武より、私は市の方が好きでした。ツルッパゲ白目野郎の『座頭市』をも彷彿とさせる居合い、カッコイイんだよなぁ、これが。
たしか、『佐武と市捕物控』は後に小説にもなったと思います。私は読んでませんけど。

石ノ森章太郎氏は、もともと出身地、石森町(いしのもりちょう)から、『石森』で『いしのもり』と読ませたかったらしいですが、『いしもり』が定着して、結局は30周年を期に『石ノ森』に改名されたのだそうでありますけど、『石森』時代の『サイボーグ009』や『ボンボン』なんてところはよく読んでました。

我が息子には
「マンガばっか読んでないで、たまには活字だけの本でも読んでみたらどうだ」
てなこと言ってたくせに、自分だって昔はじゅうぶん漫画少年だったわけです。(最近は目の衰えもあって、ほとんど読まなくなってしまいましたけど・・・笑)

話を『佐武と市捕物控』に戻しましょ。
今日あらためて読んでみると、
「この漫画は時代考証がずいぶんしっかりしてるなぁ、だから面白いんだな」
なんて、思ってしまうんです。
昔、杉浦日向子女史が一部係わっていたなんて話を聞いたことがありましたが、どうしても年齢が合わないようにも思うのですよ。だってあの漫画が連載されていた頃、彼女は小学生から中学生あたりですもんねぇ。このへんのお話を御存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひともお教え下さい。

それにしても、時代背景を十分に理解し、それに合わせたキャラクターを作り上げていった石森章太郎氏は、そうとう勉強されたのだろうし、苦労もされたのでしょう。そう考えると漫画家という商売も楽な商売ではありませんねぇ。
つくづくならなくて良かった・・・・・・・・・・・・・!?
バーカ、馬鹿じゃ漫画家にはなれねんだよ~~~~!!!

  増悪に盲(めし)いた者には、座頭市殺法は実践的模範である。
  なぜなら、喧嘩は目がくらんだほうが勝つのであり、
  冷静な者は負けるからである。
                       (市民座頭市)

さて、今日の一枚は、ミンガス・グループ出身のトランペッター、ジーン・ショーです。
「あれ?ジャケットが違うんじゃない?」って、思われた方はいるでしょうか?
私も、「これが『DEBUT IN BLUES』?」と思ったのですが、収録曲はたしかにそうなのでありまして・・・・私はこれしか持っていません。

このアルバム、タイトルどおり、全曲、ブルージーでありながら洒落た演奏なのですが、それだけでは言い表せないというか・・・・・
ショーっていうトランペッターは、ちょっと他と違う気がするんですよね。何がどうとは上手く言えないんですが・・・・・
ともかく、機会があったら聴いてみて下さい。不思議と魅力的な一枚だと思います。

DEBUT IN BLUES / GENE SHAW
1963年録音
GENE SHAW(tp) JAY PETERS(ts) HERB WISE(tb) JIM TAYLOR(p) SID ROBINSON(b) JEROLD DONAVON(ds)
1.DEBUT IN BLUES
2.KARACHI
3.YHE GENTLE PRINCESS
4.WHEN SUNNY GETS BLUE
5.THIEVES CARNIVAL
6.NOT TOO COOL
7.WHO KNOWS ?
8.TRAVELOG


お仕置きは続く

2007年04月19日 | d-f

やられました。またしてもお仕置きです。

「ただいまぁ」
「あれ、今日は飲んでこなかったの? なんだ、今晩は焼きそばだったんだけど、もう食べちゃったから、自分で作ってくれる」
「・・・・・・・・・・・」

たしかに昨晩もいい気分でのご帰還でありましたから、悪いのは私なのですが・・・・それでも作って食べろとはあんまりじゃござんせんか?????
ちょっとだけ頭にきたもので
「焼きそばじゃなくてもいいんだろ!」
今日は休肝日も考えていたのに、このまま素直に焼きそばを作って食べたのでは、なんとも負けを素直に認めるようにも思へ、こんなものを作ってしまいました。

『手羽のカレー風味揚げ』であります。

ところが
「こんなに作っちゃって、誰がこんなに食べんの?」
調子に乗って揚げすぎてしまいました。そうじゃなくともつまみをあまり必要としない私なのに・・・・
「うるさいなぁ、俺が食べんだよ!!!(ほとっけ!)」

一生懸命ビールで流し込んだのですが、完食は無理でした。明日は朝から残りを食べさせられます。(朝から油っぽくねぇ?????)
今回のお仕置きは、明日の朝まで続きそうです。
・・・・・・トホホのホ

さて、ブツブツ言われる前に風呂にでも入って、趣味部屋に引っ込みましょう。
「何を聴こうかなぁ~~~~」
ということで、今日の一枚は、ドン・フリードマンにしてみました。
リヴァーサイドのフリードマンといえば「CIRCLE WALTZ」が、あまりにも強烈で他の3枚の影が薄れている感があります。
ですが、夜明けから夜までのニューヨークの一日を、六つのパートから成る組曲で綴ったこの初リーダー盤は、「CIRCLE WALTZ」よりも、ある意味フリードマンらしい、冷たくお堅い(笑)ピアノが聴けるアルバムだと思います。
エバンス派と称された期待されたフリードマン、何故に尻つぼみとなっていってしまったのか?それはリヴァーサイドでの3,4作目の紹介を待て! なぁ~んてね(笑)

A DAY IN THE CITY / DON FRIEDMAN
1961年6月12日録音
DON FRIEDMAN(p) CHUCK ISRAELS(b) JOE HUNT(ds)
1.DAWN
2.MIDDAY
3.RUSH HOUR
4.SUNSET
5.EARLY EVENING
6.NIGHT