昨晩、怒りを持って「伊藤長崎市長が撃たれる」に関する追伸を書きましたが、結局はお亡くなりになったとのこと、おもい半ばでのご逝去はさぞ悔しかったでありましょう。ご冥福をお祈りいたします。
二日連続で社会派を気取ったところで「バブらしくない」と言われそうですので、これに関しては昨晩から今日にかけてTBいただいた皆さんに、とりあえずはお任せすることとして、今日は珍しくジャズについて、しかも最も私が苦手とする日本のジャズのお話でもしようかと思います。
私が日本人ジャズメンの演奏をほとんど聴かずに至った原因は、第一に身近にライブ・スポットが無かったこと、第二にアルバイト先であったジャズ喫茶にそのレコードがほとんど無かったことにあると思います。
もちろん上京後、あるいはその前でも、『ピット・イン』『タロー』等々で演奏を聴く機会はありましたし、何人かはお話さえさせていただける幸運にも恵まれました。
ところが、当時はそれ以外のレコードに興味を奪われ、珈琲一杯で何枚でもアルバムを楽しめるジャズ喫茶に通いながら、ただただ海外のミュージシャンに夢中であったのです。
「港ヨコハマは、日本のモダン・ジャズ発祥の地である」とことあるごとにおっしゃっていたのは本多俊夫氏であったと思います。
戦後、横浜に産声を上げたジャズ・バンド、スイング・オルフェアス(小島正雄、馬渡誠一、長尾正士、平沢信一、内藤美加人、小原重徳)は、桜木町にあったアメリカ兵向けクラブ『サクラ・ポート』や、黒人兵専用クラブ『ゼブラ』『クロス・ロード』に出演していました。スイング・オルフェアスは離合集散を繰り返し、やがてC.B.ナインが結成されます。そして、将校用クラブやホテルでは演奏すらできなかったビ・バップを、黒人兵専用のクラブでは強く要求されるようになります。(白人社会では、まだビ・バップに対する偏見が実在する時代でありました。)
クラリネット中心のバンド編成もいつしか変わり、北里典彦(tp)海老原啓一郎、馬渡誠一(as)松本英彦(ts)寺岡真三(p)清水潤(ds)、そしてリーダー小島正雄(b)といったメンバーが体当たりでビ・バップという新しいジャズに挑戦していったのでありました。
・・・・・・・・ははははは、このまま戦後のジャズ遍歴を語っていったら一冊の本ができそうでありますから、後ほど『ジャズ四方山話』ででも取り上げるとして、ともかく、何が言いたいかといえば、日本のジャズはアメリカのそれを追うことにしばらくは時間と世代を費やさなければいけなかったということです。
ならば、日本のジャズの最大ムーブメントは何処にあったのか?
ちなみにここからは、苦手と公言した私の考えですから、参考にもあたらないかもしれません。そのへんはご勘弁いただくとして、
私は、日本人も個性的な表現をし始めた時期、つまりは、ジャズ・メッセンジャーズの来日に刺激を受け、さらには70年代学生安保闘争時期に自由な音楽表現を試み始めた、いわゆる団塊世代に類似する世代、戦争の傷みを知らない世代のミュージシャン達が起こしたものではなかったのか、と思うのです。
つまりは、富樫雅彦、菊池雅章、山下洋輔、日野皓正といったミュージシャン(おいおい、四人とも戦後生まれではないよって、終戦時3歳かそこらだったんですから勘弁してください。)の挑戦が、本当の意味での日本ジャズを形成していったのではないかと。
世界的に見ても、このあたりから「ジャズはアメリカの音楽」という風潮は薄れ、それぞれ独自の色合いをもったジャズが生まれ出た時期でもあります。
さぁ、こうして考えると、私が日本のジャズにうとい理由がわかってきます。何故なら、私が好んで聴くジャズのほとんどが、それ以前のものであるからです。
これって、勝手な解釈????? 完全に自己防衛に走ってますね。(笑)
さて、ということで今日の一枚は、その四人の意欲に燃えていた無名の新人時代をとらえたライブ盤です。
1960年代前半は、ジャズ喫茶黄金時代ではありましたが、生演奏を定期的に行う場所は皆無に近いものでした。
そんな中、東京銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』のマネージャーが、ジャズ・アカデミー(新世紀音楽研究所)の中心的存在だった、金井英人、高柳昌行の友人であったこともあり、その好意で1963年から1965年まで、毎週金曜日の午後にセッションが行われたのでした。
客の入りは最低で、出演者へのギャラは一人200円程度(当時、カツ丼一杯が150円くらいだったそうです。)であったそうですが、現代音楽やフリー・ジャズといった新しい試みもやりたいようにできたため、ジャズ・ミュージシャンたちの創造的な場として定着していました。
今日のアルバムは、そんな『銀巴里』での貴重なセッションを、1963年6月26日、岡崎のDr.ジャズこと内田修先生がソニーのテープレコーダーで録音された音源を、1970年に発足し、日本人ミュージシャンにこだわり続けたレーベル『スリー・ブランド・マイス』がレコード化したものです。
後に大きなムーブメントを切り開く(私の解釈ですが)面々の意欲溢れる演奏を、ぜひこのアルバムで確認してみてください。
銀巴里セッション
1963年6月26日録音
日野晧正(tp)[3] 高柳昌行[1],中牟礼貞則[3],宇山恭平[4](g) 菊地雅章[2],山下洋輔[4](p) 金井英人[1,2,4],稲葉国光[1,3](b) 富樫雅彦[1,2,4],山崎弘[3](ds)
1.グリーンスリーブス
2.ナルディス
3.イフ・アイ・ワー・ア・ベル
4.オブストラクション