JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

反省促進剤

2007年04月25日 | a-c

みなさん、ご心配いただき誠にありがとうございます。
二日間アルコールを抜いたおかげでしょうか、今朝にはほぼ症状も治まり、元気を取り戻しつつあります。

それでも、今回ばかりはいくぶん心配でもあったので、仕事の合間に天敵の元へと参じてまいりました。
「あらま、珍しい人がいらっしゃいましたこと」
父の代からの天敵、いやもとい、お付き合いのあるお医者さまですので、冗談を返す余裕すらありません。
症状を手短に説明すると、
「まぁ、心配はいらないだろうけど、簡単な検査だけはしてみようか」
とのこと、
(「う~~~~ヤダよ~~~~~!!!!」)

何が嫌いかって、この麗しき柔肌に、容赦なく差し込まれる悪魔の尻尾のごとき注射針であります。
「看護婦さん(今はこう言っちゃいけないんでしょうが)、俺、注射針見ただけで失神しそうなほど、ナイーブで、貧血もひどいのよ。採る血は、少なめにしてね。」
「バカの言うことなんて、真に受けんなよ。おもてでバカができないように、少し太めの針で多めに採ってやれ。」
(「くそオヤジ、医者だって立派なサービス業なんだから、ウットリする間にチャチャっと採血が終わっちゃうくらいの、若くて素敵な看護婦でもおいとけ!!!」)
いやいや、これは、完全な蔑視発言でした、声に出さなかったとはいえ、担当していただいた看護師さんに心よりお詫びいたします。

ともかく、内臓検査は日を改めてということで、今日のところは「疲れからきた、症状」・・・
ごめんなさい、言い方が違いました「飲み過ぎ、遊びすぎからきた過労」だろうからということで、帰ろうとすると、
「会社の健康診断だけじゃもうダメな歳になってきてるんだから、年に一回くらいはドックにでも入るといいんだぞ。どうみてもメタボは確実だから。」
(「クソおやじ、一言多いんだよ~~だ!」)
「はい、そうします。」

しかし、いかに天敵とはいえ、医者に行ったというだけで、少し安心してしまうのは私だけでしょうか?
夕食時に飲んだビールの旨いこと旨いこと・・・・・
やはり、私に最も必要な注射は『反省促進剤』であるのでしょうかね。

さて、今日の一枚は・・・あれ?以前に紹介しましたっけ????
今日の話題的に、これしか頭に浮かばなくなってしまいまして・・・・・・・ほら、我が天敵もこんな女医さんならねぇ、ちょっとやそっと痛い注射でも、あまんじて受けるというか、なんというか・・・・でしょう?
(ゴホゴホ、勘違いしないでください、私にはそういったプレイ趣味はございませんので)


C7539

私が持っているのは、コンテンポラリー『C3539』モノラル盤です。ステレオ盤『C7539』とジャケ・デザインも収録曲も同じかと思いますが、違っていたらごめんなさい。(笑)

ジャケットが妙に『○○プレイ』をも連想させるものだけに、内容もさぞかしと期待される人がいるとすれば、「ピンクの看板にそれらしい店名が書かれた店に入ったのに、じつは渋い酒をそろえたバーだった。なんだ期待はずれだなぁと思いながらも、出された酒を口にしたら、違う意味で魅力的な店だった」的なアルバムだと思います。

カーティス・カウンスといえば1950年代のウエスト・コーストを代表する黒人ベーシストですが、私は、コンテンポラリーに残る彼のレギュラー・クインテットを聴く範囲で、(このアルバムも含め)、むしろ力強いハード・バップをイメージします。

YOU GET MORE BOUNCE WITH CURTIS COUNCE
1956年10月8[7],15[5]日, 1957年4月22日[3,6], 5月13日[1,2], 9月3日[4]録音
CURTIS COUNCE(b) JACK SHELDON(tp) HAROLD LAND(ts) CARL PERKINS(p) FRANK BUTLER(ds)
1.COMPLETE
2.HOW DEEP IS THE OCEAN
3.TOO CLOSE FOR COMFORT
4.MEAN TO ME
5.STRANGER IN PARADISE
6.COUNCELTATION
7.BIG FOOT

おまけ、
2日ほど前に、親戚が『文旦(ぶんたん)』をおくってきてくれました。
『文旦』というと、土佐が本場かと思っていたのですが、おくられてきたのは愛媛産、
「これも、『土佐文旦』っていうのかなぁ?」
「愛媛産の『土佐文旦』もなかろうに」
まぁ、味が良ければ何処の何文旦でもよいわけで、

ところが、ここ何日かの体調不良で、私は口にもしておりませんでしたので、
「俺も文旦食べてみようかなぁ、何処にあんの?」
「納戸にあるでしょ」
と見れば、一箱たっぷりあったはずのそれが、数えるほどになっておりました。
訊けば、母が近所もろもろに配ったり、もちろん、私が食べられないことも気にも止めず、本人達も食べたりとで、激減したのだそうで
「よかったねぇ、あるうちに食べられるようになって」

しょせん、我が家での私の立場は、そんなものなのであります。(はははハハハハハ)