毎日のできごとの反省

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ウクライナよフィンランドを見習え

2019-08-01 20:22:39 | 歴史

 フィンランド化という言葉がある。議会制民主主義と資本主義を維持しながら、ソ連の強い影響下に置かされるようになった悲惨な結果を言う。一般的には、ソ連に屈従させられたことを揶揄する、褒められる言葉ではない。だが私にはそうは思えない

 ソ連はレニングラード防衛に必要だ、という屁理屈をこねて、フィンランド領の一部割譲を要求した。ところが、小国フィンランドは敢然として大国ソ連と戦ったのである。このとき英米は何の支援もせず、ソ連の侵略を黙過し、フィンランドは孤軍戦わざるを得なかった。その結果、結局は領土の10分の1を奪われた。第二次大戦が始まると、失地回復を目指してドイツ側につき、ソ連と戦った。兵器は、軍用機だけを見ても、ドイツ製、イタリア製、フランス製、英国製など、世界中のものをなりふり構わず買って使っている。

 あげくは、ソ連製軍用機も捕獲してフィンランド空軍の国籍標識を付けて使っている。ちなみに当時のフィンランド空軍の標識はかのハーケンクロイツである。 結局は、枢軸国の敗戦により、国土の一部は奪われたままで、国は協定でソ連の影響下に置かれたが、東欧諸国のように共産化することはなかった。フィンランドとバルト3国の違いをみれば、いかによく闘うことが最低限国の独立を維持するために必要だと言うことが分かる。

 バルト三国は、ソ連の圧迫やソ連軍の侵攻を受け、反ソ議員の立候補を禁止した、やらせ選挙により、人民議会が成立し、昭和15年7月21日議会は、ソ連邦への編入を願うことを議決した。何とこのように同日に三国で同じ経過で同じことが行われたのである。インターネットのウィキペディアでも各種の本でも、ソ連の侵略により脅しの下に議決されたことは現在では書かれている。

 ところがソ連華やかなりし頃の日本の有名な百科事典には、議会が各々の国で自主的な議決によりソ連邦編入を申請したと平然と書いてある。昔、ある図書館でこれを調べて、3国が同日にソ連への編入を申請したと書かれてあるのに衝撃を受けた。知性も教養もある百科事典の編集者は、この恐ろしい「偶然」に何の疑問も持たなかったのである。一方で日本の満洲侵略の傀儡政権のと書くのに、である。自虐史観の人たちは、バルト三国が一斉に侵略をされたことに憤りを感じることのないメンタリティーを、いまだに持ち続けている。

 こんな話を続けているのは、ウクライナ情勢を言いたかったのである。ウクライナの紛争で親ロシア系住民というのは誤解を招く言葉である。実態はほとんどがロシア系ウクライナ人であるから、ロシア政府に呼応してロシア編入を求めるのは当然である。クリミアはきまぐれによってウクライナに譲渡されるまでは、ソ連邦ロシア共和国に支配されていたから、元々ロシア系住民が多かったのであろう。だが、東部は、ソ連が併合してからロシア系住民を送り込んで増えたのであろう。このことはウィグルやチベットでも同じことが言える。ウクライナに対する野心は、ウクライナが農業でも工業でも旧ソ連の最高の地域だからである。

 ウクライナ東部には、ソ連の特殊部隊が送り込まれてロシア系住民を扇動して政府と戦っている。この見え見えの情勢に、米国は早くも軍事オプションの放棄を宣言して、経済制裁にとどめているが効果はあるまい。しかし、情勢はソ連侵略時のフィンランドよりましであろう。孤軍奮闘したフィンランドに比べ、まだウクライナは、西側の支持を受けている。

ウクライナがクリミアを失うだけですむか、東部を、あるいは独立そのものを維持することができるか否かは、ウクライナ自身の決意にある。決意とは外でもない。西側の直接的軍事支援なしで自国だけで戦うことである。ベトナム戦争が示すようにせめて軍事物資の援助さえあり、国民が戦う気持ちがあれば、ロシアを撃退できる。アフガニスタンさえソ連を駆逐した。日本の評論家は天然ガスや経済問題を重視する。だが経済問題を考えていたら、アフガニスタンやベトナムはソ連や米国に勝てなかった。貧しいベトナムは戦後ソ連への武器援助の多額の借金のために、多数の国民をソ連で奴隷労働に等しいことをさせて返済した。平和にどっぷり使った日本人は、侵略の撃退と経済問題とを天秤にかけている。世界の監視下にあるだけ、ウクライナはフィンランドより有利な地位にある。要は国民が武器を取る決意があるかである。

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