毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

MRJはやはり危うい②

2022-03-13 17:36:07 | 科学技術
何年も前に「MRJはやはり危うい」という記事を書いたが、論旨とは別な意味で「結果的に」当たってしまった。それにしても思うのは、三菱の航空機部門の運のなさである。いかにその①の記事を再掲する。【】がその①の記事である。

【 私がMRJについて危惧する根拠は、前のブログで書いた、雑誌「諸君」のMRJの記事にも少し登場する。私は、ここでそれをもっと敷衍するのである。YS-11については失敗であるとは意外に公言されていない。だが諸君の記事が言うように、民需である以上、赤字で撤退した以上YS-11は失敗である。

 YS-11の唯一の価値は日本の航空技術の維持である。多くの飛行機ファンはYS-11の失敗を認めない。これは贔屓の引き倒しである。つまり日本の航空産業が自立しないのに目をつぶって、YS-11は技術的には優秀だった、などと言うのである。

 YS-11の失敗は自動車の成功と比べれば分かる。自動車は、例えばトヨタでは、カローラ、マークⅡ、クラウンなどシリーズのラインナップ化と絶えざるモデルチェンジによる改良を続けている。YS-11は旅客機としては、実質的には、たったひとつのモデルだけで、売っていたのである。

 今米国と張り合っている、エアバスはこのシリーズ化と絶えざる改良を続けて、現在の地位を築いている。それも、諸君の記事によれば、関係各国の支援で30年経って、やっと黒字になったというのである。この根気が日本にあろうか。YS-11が短期で、しかも単一機種だけで売り込んで放棄されたのとは、粘りが違う。

 諸君の記事が、こういう民間旅客機の計画は、トヨタやホンダの方がいいというのは、車の販売で、シリーズ化と改良の経験と必要性を知っている、これらの会社が適しているという意味で正しい。しかし百万単位の車と、うん10億単位の航空機では、これらの会社だけでは無理である。

 ここで国が根気良く支援する意味がある。三菱一社のプロジェクトでは無理で、他社の支援でも足りない、なにせ自動車とは三桁もコストが違うのだ。車一台のコストが違えば開発費も違う。エアバスはヨーロッパ各国の支援がある。エアバスとは規模が違うとは言え、最低限日本政府の全面的バックアップと、各航空機メーカーの技術的支援が必要なのは、諸君の記事が言うとおりである。

 それでも、シリーズ化の必要性は分かっていて、MRJは90人乗りと70人乗りの二機種は用意している。しかし現在これ以上の支援の見通しがない以上、この貧弱なシリーズ化に止まるしかないだろう。であれば、MRJは単独機種として黒字になったとしても、それで終わりという結果が最善であろう。これは航空機産業の育成と言う観点からは、失敗である。継続的に次の開発がなければならない。

 やっぱりMRJは現時点では危ういというより他はない。諸君の記事を批判したホームページは、これらの根本的な点に触れずに、こんな飛行機もある、あんな飛行機もあるのに、諸君の記事の筆者は知らない、と批判している。もし正しくても根本的な批判にはならない、枝葉末節だけにこだわった、実にノーテンキなものである。】

三菱はMu2の後継機としてMu300というビジネスジェット機を開発した、Mu2はビジネスジェトとして開発されたが、、自衛隊にも採用され、それなりに売れた機体だったのである。ところがMU300は機体としてそれなりに成功したが、三菱の販売網の貧弱さから販売に苦慮した挙句、製造権をビーチクラフト社に身売りし、ビーチ400となった。その後ビーチ400は米軍に採用されたばかりではなく、何んと自衛隊が採用してT400となったのである。  これは航空機開発が国策に左右されることの典型である。ところが周知のようにMRJの息の根を止めたのは、他でもないコロナ禍であった。国策で民間会社に採用されても武漢ウイルスには、MRJも勝てなかったのである。

中国人に対する「労働鎖国」のすすめ・西尾幹二・飛鳥新社

2014-01-04 11:33:30 | 科学技術

 シンガポールなどのように、厳格かつ冷酷に扱わない限り、労働力不足だからといって単純労働者を安易に外国から入れることは、ヨーロッパ、特にドイツで起きているような悲惨な事態を招くというのが本書の主旨であろう。その通りで、経済人は目先の利益で後進国の人も助かるなどという嘘まで並べている怪しさは小生も感じていた。多くの事例を挙げて労働移民の危険性を立証している、必読の書である。

 前記の主旨とは直接には関係ないがP202には、面白い指摘がある。「・・・インドや中国やアラブ諸国が工業文明を急速に見につけ近代化への離陸を果たす時期は来ないのではないか、と私は考えている。イギリスの産業革命から百年程度までが近代化へ向けて離陸するぎりぎりの潮時ではなかっただろうか。NIES諸国の内シンガポールと香港はイギリスの、韓国と台湾は日本の統治時代に、離陸への予備段階を完了していたのである。」というのである。

 これは小生の考えとほぼ同じである。小生は昔の機械製作法の授業で、ロシアの大型プレス機にかなうものは日本にはないということを聞いた。ロケット戦闘機Me-163をコピーするのに、日本の技術者は無尾翼と言う、ロケット技術の本質と関係のないリスクのあるものまで物まねしなければ気が済まなかった。ロシア人は本質が分かっているから、主翼は直線翼で通常の尾翼付きの形態とし無用のリスクを避けた。現在の状況を見ると意外に思われるかも知れないが、工業技術に関しては日本はロシアに半歩遅れているのだと、未だに考えている。ロシアは西欧に地理的にも近く近代工業技術の導入も早かったからである。

 西尾氏と違い、シンガポール、香港、韓国、台湾に関しては離陸は困難なのではなかろうかと考えている。統治時代に予備段階があったといっても、宗主国から与えられた受動的なものだからである。これらの国は、車のエンジンと言う現代では最新技術ではないものすら、与えられた生産設備でしか製造できない。自主開発などは思いもよらないのである。ついに中国は無人探査機を月に着陸させた。こんな技術を中国が自力で開発できるはずがない。その秘密は中国の宇宙開発が、ソ連崩壊の二年後に開始されたことにある。

 それにしても専門から正反対の工業技術論にまで高度な見識を持てる西尾氏は、現代稀に見る天才である。思想家としては本居宣長を超えているのであろう。


成田航空宇宙博物館パート2

2008-09-19 19:49:22 | 科学技術

 さてそれではお約束の、航空宇宙博物館に行く際の注意事項です。僕があったひどい目について紹介します。最後に成田空港に行ったのは、七年前、韓国の研修生の帰国を見送るためでした。それ以前も外国出張等で3回ほど行っていたから、成田は慣れているはず。となめたのが間違いだった。世界は変わるのです。

 駅の改札を出ると、すぐに検問があり、パスポートか身分証明書を見せろと言う。おいおい、成田空港駅に着たけど、成田空港に来たわけじゃない。飛行機に乗るわけじゃない。パスポートはもちろん、免許さえ今日も持っていない。そこで係りの女性に、博物館に来たので、空港に来たのじゃない、と説明してもだめ。

 カードでいいから、同じ名前が書いてあるのを二枚以上見せろと言う。なるほど、他人のカードならそうはいくまい、というわけだ。カードならいくらでもある。ヨドバシカメラのポイントカードと、ビデオレンタルのカードを見せる。なにせ僕はVISAカードとか言う、立派そうなものは持たない。

 オーケーにはなったが、今度来るときは身分証明書を持参して下さい、と念を押された。二度と来るものか、と言いたいが、そうはいくまい。空港第二ターミナルからだと、13番のバス乗り場からと、インターネットにあった。行ってみると、1時間に1本しかなく、しかも30分後だ。
 
 問題は帰りだ。同じ路線バスに乗って帰るが、空港駅直前に高速のインターチェンジの料金所のようなゲートがあり、車は全部そこを通る。運転手が、皆さん身分証明書の準備をと言う。またカードかと思うがだめ。ゲート前で係員が乗り込んで、全員をチェックする。隣のゲートを見ると乗用車も同じだ。カードならあります、と言うと、運転手に一人身分証明書のない乗客がいますから、担当を呼んでくる、と言う。

 大変なことになったようだ。僕一人のために10人ほどが足止めだ。制服の担当が乗り込んで書類に記入しろという。住所、氏名、年齢、電話番号と、駅に来た目的を書けと言う。目的?当然家に帰るためだ。でも記入したら、すんなり通してくれた。皆さん航空宇宙博物館に行くには、パスポートを持っていくべし。

 どうしてもいやな人は、芝山鉄道線の終点、芝山千代田で降りるルートもある。ローカル駅だが、けっこう立派に見えた。ただし、京成電車などより、はるかに便が少ないだろう事は予想できる。そこからどうするって、例の路線バスもあるが、博物館まで約二キロ。健康のために歩くこと。

 添付の写真はかの戦後の国産発の旅客機YS-11と富士重工のFA-300のどちらも試作第一号機である。YSなら有名で解説はいらないが、FA-300はFA-200の後に製造されたものである。単発のFA-200に対して、エンジン2台を備えた、本格的なビジネスジェットとして作られた。

 しかし100機も売れなかった。日本の航空業界は村社会なので、お互いに批判はしない。しかしYSもFA-300も、商品としては明らかな失敗である。YSに至っては、戦後初、ともかく旅客機開発を自前でやった、という以外は何もとりえもなく、技術的には平凡以外の何ものでもない。


成田航空宇宙博物館

2008-06-22 14:11:40 | 科学技術

 さてこれは何でしょう?成田航空宇宙博物館の展示物です。空冷星型エンジンだと分かったあなたは偉い。昭和19年に試作された貴重なエンジンの実物です。第二次大戦機マニアにはこれを見るだけで価値がある。ここには、シミュレータなど面白そうなものは多いが、博物館の博物館たるゆえんは、こうしたレアものの展示物である。

 何せ、世界にひとつしかないものであり、当時の日本の航空エンジン技術の粋を示すものだから。他にもアメリカのR-2800とかR-3350とかいう優れものがある。屋外展示にはかの、YS-11の試作一号機と同じく富士重工のFA-300の試作一号機がある。これもレアものである。

 これらの貴重な機体は、屋外で雨ざらしにするのではなく、屋内に永久保存すべきものである。YS-11などは機内に入れるのはありがたいが、破損しやすく長期保存には向かない。とにかく日本では、こうした航空関係の遺産の保護展示に無頓着である。これも敗戦後遺症と言うべきか。

 ところで、水をさすわけではないが、皮肉なことにハ-50の展示は日本の技術水準の限界を示している。展示にはハ-50の要目として、出力2600馬力、重量1.5トン、排気量66リットルとある。そして昭和19年に試作された。一方のR-3350は、各々、2800馬力、1.2トン、55リットルである。R-3350は小型、軽量、大馬力なのだから、両者の優劣は歴然としている。
 
 しかも、R-3350は昭和19年には試作段階を終えて、実用化されている。当時の航空関係の技術者の全てが、日本の航空技術者の必至の努力により、日本は最高水準に達していたと証言する。そして至らぬ点は、日本の基礎工業の遅れのせいにする。だが現実は上記のようなものである。ともあれ、一度成田にいくべし。一見の価値有りです。次回は航空宇宙博物館に行く際の注意事項をお知らせします。