こう言ったらびっくり仰天するだろうか。だがカッパビジネスの「北朝鮮崩壊と日本」と言う、北朝鮮問題の専門家の佐藤勝巳氏が13年前つまり平成8年に共著として書いた本は、そう結論しているのである。この本では色々な証拠をあげて、金日成死後の北朝鮮は、後継者金正日には実権がないから崩壊すると論考している。
しかし佐藤氏が検証できたのは、金正日に実権がない、と言うその時の事実であって、北朝鮮が崩壊するというのは、予測でしかない。つまり当たるも八卦である。しかし、金正日に実権がない、と言うのは現在までの情報からも見当違いではないかも知れないのである。
金正日の肉声がほとんど公表されていないのは有名である。しかし過去にこのような独裁者はただの一人もいなかった。私の推測はこうである。確かに父の金日成は典型的な独裁者であった。自ら決定し、指示を出して言った。真偽は定かではないが、朝鮮戦争で米軍に追い詰められてパニックに陥った部下を自ら射殺したこともあったと伝えられる。
典型的な独断である。しかし金正日は肉声の演説が報道されたのはただ1度だけである。それも短いフレーズを叫んだだけである。しかし金正日の近くにいた人によると、映画など好きなことを話すときは饒舌であるという。にもかかわらず演説はできないのである。
これは金正日は思いつきで好きなことは話せるが、公式の場で、脈絡の通ったきちんとした話をすることができないことを意味している。これは演説ではなくても、多数の部下を前にして公式な指示を出す能力がないことを意味している。これは独裁者として部下に命令することができないことにほかならない。
にもかかわらず国家元首として君臨しているのはなぜか。それは、金日成亡き後、息子のうちには有能な指導者たる人物はいなかった。それならば、後継者の大義名分は、長男たる金正日にある。一番無難なのである。映画や料理が好きな金正日には日常は政治ではなく、そちらの方面に没頭していただいて、政治は側近たちが相談して行う。
かつての江戸時代の殿様と家老の関係を考えればいいだろう。政治は家老たちが相談して行うのである。独裁者としての能力がなく、芸術に興味が深い金正日にとっても都合が良かったのである。こうして金正日は公式行事には列席するだけ。必要な演説は部下が行う。時々は指導と称して地方に行き、にこにこして歩きまわる。それだけの公務をこなせば、あとは好きな芸術と料理に没頭することを家老たちは許してくれるのである。
ここで特徴的なのは、金正日に代わって演説する者は常に特定の人ではない、ということである。特定の人が行えば結局その人物に権力が集中するし、周辺からはその人が実質的権力者と判断されて、金日成の正当な後継者ではないのに、と非難されて、虚構の金正日支配が崩壊して政治は混乱する。
つまりこのような影の集団指導体制は、体制の維持に必要な知恵から生まれたベストなものなのである。だからこそ、病んだ金正日の映像をそのまま国民に見せ、後継者の誕生が必要だと知らせる。そして集団指導体制は、大義名分の立つ後任の指導者を選定して決定するのである。
指導者は能力ではなく、血統の正当性から決定される。だから権力闘争が行われるとしたら、後継指導者の候補から行われることはないだろう。権力闘争は集団指導体制の仲間内で、誰を後継者にすべきかという論争の形で行われる可能性しかない。だが金正日が後継指導者として選定される過程で、激しい権力闘争が行われた形跡がないことから、今回も激しい権力闘争が行われることはないだろう。
その原因は、後継者を決定して権力闘争に勝った者が実質的に大きな権力や利益を手中にする、といった権力闘争に伴う利益が、北朝鮮の集団指導体制にはなさそうだからである。権力闘争に負けると失脚するということもなさそうだからである。
だがこの推測も、情報統制によって権力闘争が完全に隠蔽されているとしたら外れることになる。いずれにしても現在の北朝鮮は、あくまでも金正日の名前のもとに統治されているのであって、特定の個人が背後で実質的権力者であることはなさそうである。今回の核実験やミサイル発射など、国際社会を嘲笑するようなできごとも、金正日個人の発案ではなく、集団で相談して行ったことのように思われる。
しかし佐藤氏が検証できたのは、金正日に実権がない、と言うその時の事実であって、北朝鮮が崩壊するというのは、予測でしかない。つまり当たるも八卦である。しかし、金正日に実権がない、と言うのは現在までの情報からも見当違いではないかも知れないのである。
金正日の肉声がほとんど公表されていないのは有名である。しかし過去にこのような独裁者はただの一人もいなかった。私の推測はこうである。確かに父の金日成は典型的な独裁者であった。自ら決定し、指示を出して言った。真偽は定かではないが、朝鮮戦争で米軍に追い詰められてパニックに陥った部下を自ら射殺したこともあったと伝えられる。
典型的な独断である。しかし金正日は肉声の演説が報道されたのはただ1度だけである。それも短いフレーズを叫んだだけである。しかし金正日の近くにいた人によると、映画など好きなことを話すときは饒舌であるという。にもかかわらず演説はできないのである。
これは金正日は思いつきで好きなことは話せるが、公式の場で、脈絡の通ったきちんとした話をすることができないことを意味している。これは演説ではなくても、多数の部下を前にして公式な指示を出す能力がないことを意味している。これは独裁者として部下に命令することができないことにほかならない。
にもかかわらず国家元首として君臨しているのはなぜか。それは、金日成亡き後、息子のうちには有能な指導者たる人物はいなかった。それならば、後継者の大義名分は、長男たる金正日にある。一番無難なのである。映画や料理が好きな金正日には日常は政治ではなく、そちらの方面に没頭していただいて、政治は側近たちが相談して行う。
かつての江戸時代の殿様と家老の関係を考えればいいだろう。政治は家老たちが相談して行うのである。独裁者としての能力がなく、芸術に興味が深い金正日にとっても都合が良かったのである。こうして金正日は公式行事には列席するだけ。必要な演説は部下が行う。時々は指導と称して地方に行き、にこにこして歩きまわる。それだけの公務をこなせば、あとは好きな芸術と料理に没頭することを家老たちは許してくれるのである。
ここで特徴的なのは、金正日に代わって演説する者は常に特定の人ではない、ということである。特定の人が行えば結局その人物に権力が集中するし、周辺からはその人が実質的権力者と判断されて、金日成の正当な後継者ではないのに、と非難されて、虚構の金正日支配が崩壊して政治は混乱する。
つまりこのような影の集団指導体制は、体制の維持に必要な知恵から生まれたベストなものなのである。だからこそ、病んだ金正日の映像をそのまま国民に見せ、後継者の誕生が必要だと知らせる。そして集団指導体制は、大義名分の立つ後任の指導者を選定して決定するのである。
指導者は能力ではなく、血統の正当性から決定される。だから権力闘争が行われるとしたら、後継指導者の候補から行われることはないだろう。権力闘争は集団指導体制の仲間内で、誰を後継者にすべきかという論争の形で行われる可能性しかない。だが金正日が後継指導者として選定される過程で、激しい権力闘争が行われた形跡がないことから、今回も激しい権力闘争が行われることはないだろう。
その原因は、後継者を決定して権力闘争に勝った者が実質的に大きな権力や利益を手中にする、といった権力闘争に伴う利益が、北朝鮮の集団指導体制にはなさそうだからである。権力闘争に負けると失脚するということもなさそうだからである。
だがこの推測も、情報統制によって権力闘争が完全に隠蔽されているとしたら外れることになる。いずれにしても現在の北朝鮮は、あくまでも金正日の名前のもとに統治されているのであって、特定の個人が背後で実質的権力者であることはなさそうである。今回の核実験やミサイル発射など、国際社会を嘲笑するようなできごとも、金正日個人の発案ではなく、集団で相談して行ったことのように思われる。