フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ・田中秀雄訳・芙蓉書房出版
この本の価値は、日米戦争以前に米国人ジャーナリストにより書かれて、支那事変の様相と、支那の巧妙なプロパガンダを記述していることにある。逆に言えばいかに日本の対外宣伝が拙劣であったことの証明でもある。
従って当時の支那の真実を余すところなく、抉り出している。対中外交をする政治家や日本の近現代史の研究者には、基礎知識として是非読んで欲しい本である。何故日本が大陸で戦争をしなければならなかったか、何故今に至るまで欧米人が中国を哀れな被害者、日本を加害者と誤解し続けたかを見事に説明している。原著は古いが、翻訳は現在でも図書館や書店でも入手できる。
本書によれば、ソ連共産党の謀略と西洋列強がともに反日を中国に仕掛けているのだ。これは現代西尾幹二氏が主張していることとほぼ等しい。日本は「侮辱と周期的な自国民殺害に至っても平和的であろうとした」(P22)。しかし蒋介石が反共政策を続けたために反日の実行は上がらない。そこで、西安事件を起こした。この本は数ページにわたって西安事件を記述している。西尾幹二氏は反日の日本人が故意に西安事件を取り上げない、と批判したが確かにそれほど致命的な事件である。そのことを著者は充分知っているから詳述したのだ。
阿羅健一氏はドイツ軍事顧問団が支那事変の後ろ盾になっている事を著書で論述した。西安事件の後盧溝橋事件は起きた。しかしすぐに起きたわけではない。蒋介石は西安事件で脅迫されて反共を止めて日本と戦うことにしたと軍事顧問団に伝えると、激怒して日本と戦うだけの軍隊にするには二年かかると告げた。そしてそのことをロシアに告げて猶予してもらったことを喜んだ。ところが当時ロシアは赤軍の大規模な粛清をしていて、蒋介石を支援するどころではなかった。そのことを蒋介石は後に知るが後の祭りだった(P29)。スターリンは自分に都合の悪いことを隠して蒋介石に恩を売ったのだ。ちなみに盧溝橋事件は、二年後ではなく1年弱で起きている。中国共産党は滅亡しかかっていたから待てなかったのだし、蒋介石を督戦する意味もあったのだ。
阿羅氏が論述したようにドイツ軍事顧問団は純粋に軍事的支援をしていただけではなかった。顧問団は「あなたは一人では勝てない。ロシアは今はここにいない。協力者が必要でしょう。イギリスに頼みなさい。しかしながら力のある干渉者となると好ましいのはアメリカです。」と言ったのだ。「シンパシーという点では、最初から中国の方にあった。日本人は侵入してきたのだ。彼らは侵略者なのだ。中国の領土を奪い、帝国を広めようとしたのだ。一旦中国を征服したならば、中国人を組織し、世界を征服するのだ。これはモスクワとロンドンのエージェントが世界に送り出した最大のプロパガンダだ(P40)。これは、偽文書の田中上奏文をはじめとして、現代日本が教育された偽の近現代史そのものである。
日本軍が戦闘に於いていかに一般民衆や外国人を巻き添えにしないようにしているのに対して、中国軍は計画的に逆のことをしている。「・・・中国軍が密集市街地の中心に塹壕を掘り、外国人の資産を遮蔽物にして銃器を据え付けていること、銃眼の付いた胸壁に第三国の旗を立てていることなども報じないのだ。何度も何度も日本軍指揮官は中国軍側に市民に近いところから戦闘地域を移動するように、・・・しかし中国軍とその兵隊はこの人道的な日本側指揮官の請願を拒否するだけでなく、警告もなくこのあわれな中国市民の身体と掘っ立て小屋を、敵への遮蔽物や生餌にしたのだ。」(P49)
「蒋介石配下の共産主義者が陸伯鴻を暗殺したのは上海の街中であった。・・・自分のことより中国のことを思っている数少ない中国人だった。・・・彼は私に中国のこと、蒋介石のような者たちのためにどんなに苦しめられているかを語っていたのだ。・・・日本人が混乱の中から秩序を回復させ、上海を暗い絶望の淵から引き上げようとしたとき、また中国軍が逃走した後に、群れをなして町に帰ってくる数えきれない人々のために食料を与えようとして、食糧の手配ができないか乞うてきたとき、陸伯鴻は日本人と協力して、飢えた者たちや病人のための食料や薬の分配システムを作り上げたのだ。・・・彼が日本赤十字と共に数千人の人々を死から救おうと働き始めた矢先、彼は殺された。・・・蒋介石は表の戦争では負けていても、裏側のテロの世界には君臨し続けているのだ。・・・マークした中国人を群衆内に見つけたら、女や子供、外国人がいようが関係ない。爆弾を投げつけるのである。」(P64)これらはわれわれが今教えられていることの正反対であるのは明瞭である。日本人は支那民衆を助けようとし、支配者はそれを妨害する。汪兆銘が支那民衆を助けようとした例外であるように、陸伯鴻のような人もいたのだ。
中国にはカソリックの宣教師がアメリカから派遣されていた。彼らは遠慮なく支那人に殺害されても本国には知らせないのだ。「過去23年間で二百五十人もの宣教師が中国兵や非俗に誘拐されて身代金を要求されたり、殺されたりしている。これに対して戦争が始まってから日本人に殺されたのは十人か十二人である。これらの事件が起きたとき、中国人に責任がある場合は知れ渡らないように目立たないように伏せられた。しかし宣教師が日本兵に殺された場合は、絶対数ではるかに少ないのに凶悪事件として世界に告知されたのだった。宣教師は中国の「目立つ場所」にいると・・・そこは中国兵と匪賊、共産主義者に取り囲まれているところであり、日本側に立って言えば、いかなる事情があっても彼らの死を意味するところと言われなければならない(P132)」。
宣教師の殺害は日本人によるものであると宣伝されていたのである。そればかりではない。「支那事変国際法論」の書評で述べたように、戦闘中の地域に入り込んだ民間人が誤射されたとしても国際法の戦争犯罪とはならない。著者はそのことを言っているのであって、まことに公正な論表と言わなければならない。これに対して支那人は金品強奪のために誘拐殺害するので、戦争とは関係のない犯罪そのものである。
いかに宣教師たちの嘘の報告がアメリカ本国に間違って伝えられているか。「中国のプロパガンダに利用されたこれらの幾つかの宣教師たちの恐怖の手紙と、著しい対照は泰安から来た二つの手紙である。書いたのは戦争を最も恐ろしい段階で経験していた司祭たちである。彼らは日本ではなく、中国の兵隊によるアトロシティーを非難していた。いわゆる非正規兵であるが、匪賊とほとんど変わらない程度の連中で自国民を獲物にしていたのだ。彼らは書く。『こちらの状況に関するアメリカの新聞報道は一方的であり、大袈裟すぎます。-しばしば本当のような嘘が反日のためのプロパガンダとしてはびこっているのです。我々は中国人に捕まり、殺された囚人の首が棒の先に突き刺されているのを見ております。中国の農民は中国の非正規兵による掠奪で一番苦しんでいるのです。もう匪賊と変わらない程度の軍隊なのです』・・・『日本兵は統率が取れています。そして我々をどんな形でも決していじめたりしません。・・・しかしながら日本人についての真実は語られておりません。彼らは私たちに親切です。泰安の爆撃の間、私たちの伝道施設はひどく破損しました。町の陥落の後、日本軍将校たちがやってきて、遺憾の意を表明しました。そして教会の再建用にと三千円を提供してくれました。また役に立つからと車を提供してくれ、宣教師の建物を保護するよう一筆書いて掲示してくれました。』(P135)」
これが真実である。中国の軍隊が匪賊と同様で、彼らが略奪などの金稼ぎの目的で軍隊に入るのに過ぎないことはパール・バックの「大地」にも書かれている。大地は中国を美化しすぎていると論評されることもあるが、きちんと読めばそうでもない。唯一の欠点は、最後に登場する毛沢東の紅軍を、過去の中国になかった統制のとれた立派な軍隊であるかのような期待で書かれていることである。パール・バックは共産軍の本質を知る前に書いてしまったのである。
アメリカ人が中国寄りのプロパガンダに乗せられるもうひとつの理由も書かれている。「我が国民に対する憎悪の感情を知って中国から帰ってくると、この国においては中国人へのほとんど感傷というしかない同情心を見出すのは皮肉なことである。もちろんこれはプロパガンダによって育てられているもので、一般的には多くの情報源がある。そしてこの国には母国を支援している中国人がかなり住んでいる。しかしアメリカで生まれた彼らの多くは中国に行ったことがなく、その生活のことも親の世代も知らない。
それでいて母国に住む中国人より本当に愛国心が強い。アメリカ生まれの中国人が完璧に嘘偽りがなく、我国のアメリカ人のほとんどと同じように、冷酷で野望に満ちた征服者に侵略されていると本当に信じていることは疑えない。・・・彼らが救援と軍需品購入のために軍閥が送った巨額の金がどうなり、どう使われたかを追跡してみればいい。ただの一例二例でいい。このお金が軍閥どものポケットに直行し、預けられたにしても、一銭も救援や軍需品に使われていないことを発見するのはなんと恐ろしいショックだろうか。・・・チャイナタウンから航空機一機購入のために南京に送られた二万五千ドルのうち、たった五千ドルのみが最終的受領者の下に届いたという話は、上海のカフェで傑作な笑い話となっている。数百万ドル以上を注ぎこんでも日本と戦う飛行機が一機もなかったこと・・・」(P74)
ここに書かれているのは現代にも通じる話である。いや、この本に書かれた全ての嘘とペテンが現代の中国にも通じる事実である。アメリカ政府にしても蒋介石政権につぎ込んだ何百兆円にも相当する金が軍閥の懐に入るだけで、何の役にも立たなかった。それにもかかわらず米国は経済的利益を求めて中国と「仲良く」しようとしていたのである。日本も戦前膨大な西原借款を与えながら、得られたのは反日である。借款がびた一文も返済されなかったのは当然である。