毎日のできごとの反省

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「新潮45」休刊と日本ファシズムの影

2018-11-22 20:13:08 | ジャーナリズム

 ファシズムとは、倉山満氏によれば、一党独裁で党が国家の上に君臨する事である。まことに明快な定義である。それによれば、ナチスドイツやイタリアのファシスト党はもちろん、ソ連や中共は明快にファシズム国家であると言える。ソ連などには軍隊にも政治将校と言うのが配備されていて、指揮官に党の命令を伝えていた。

 日本はかつてもファシズムであったことはない。政党が解散させられて、大政翼賛会ができたが、これは政党ではないし、国家の上に立ったこともないからである。党利党略だけを優先し、外交政策に無責任な政党群を緊急措置として、一時的に解散しただけのことである。

 ところが小生は日本ではファシズムを信奉する勢力が、今頃になって威力を増しているように思われる。その典型的な現れたのが新潮45休刊騒動を代表とする、国内の動きてある。これらは、ソ連崩壊以後顕著にあらわれてきた傾向のように思われる。元々共産主義に理想を求めた人たちが、ソ連が冷戦に敗れた結果、共産主義が資本主義より優れている、という信奉が実際には間違いである、という事実を突き付けられたにもかかわらず、それでも共産主義は正しい、という心情は多くの人の中に残り続けたと思われる。

 その人たちがよりどころとして求めたのが、東京裁判史観、あるいは自虐史観、と保守の側から批判される思想である。本稿で述べる東京裁判史観について定義しておこう。もちろん東京裁判の判決で示されたように、支那事変、大東亜戦争は日本の愚かな指導者が起こした、東アジア諸国に対する侵略戦争であり、南京大虐殺などを行った日本軍は、人道的であった連合国軍に対して、非人道の極みの軍隊であった、という基調が根底にある。

 東京裁判史観の基調はこのようなものであるが、さらに日本の侵略史観が原因となって、北朝鮮、韓国、中国に対する贖罪意識が強い。いわゆる「従軍慰安婦の強制連行」についてみれば分かる。「吉田清治」証言の嘘がばれたにもかかわらず、東アジアの人たちの軍による「性奴隷化」はあった、と言う立場は崩してはいない。もちろん東京裁判史観の持ち主と言っても、単に東京裁判の判決を多少受けているのに過ぎない程度など、程度の差はあるが、ここで問題にしたいのは、徹底的に明治維新から敗戦までの日本を暗黒の国として、日本が悪い、という材料があれば何でも飛びつき、日本を貶めようとしている反日日本人である。以上のような考え方を、ここでは東京裁判史観という。その人たちは、根底が共産主義の信奉者やそのシンパである、と考えられる。

ソ連が理想の国だとは今更言えないから、かつて日本は東アジアを侵略したから謝罪すべきだ、などということを声高に言う人達である。その結果、チベットやウィグルへの弾圧は無視し、北朝鮮による拉致問題には冷たく、「従軍慰安婦」問題で日本政府を追及する、という具体的な行動をとっている。

 その真逆の立場も近年、実証的な立場から強化されている。朝日新聞による「吉田清治」証言の誤報の謝罪や、「南京大虐殺」の捏造、日米戦争はルースベルト政権やコミンテルンの陰謀であったこと、日本の植民地解放などが次々と検証され始め、日本擁護論が論壇の一方の雄になりつつある。昭和20~30年代には、戦争を知る世代が中心だから、多くの国民の内心としては、日本の戦争は間違ってはいなかった、というものであったろうが、表に出るジャーナリズムや論壇は東京裁判史観が席巻していた。GHQの検閲の影響が強かったからでもある。しかし多くの国民は、真実はいつか分かる、と耐えていたのである。

 実際、政界では憲法改正などというものなら、袋叩きにされたものである。ところが当時の多くの国民の内心は必ずしもそうではなかった。現に昭和30年代の漫画やラジオなどでは、ジャーナリズムに叩かれるのを恐れながらも、消極的ながらも戦争を日本人擁護の立場から描くものもあったのを覚えている。「怪傑ハリマオ」という、日本人の反欧植民地の英雄のテレビドラマもあったのである。

しかし、明快に日本の戦争にも理があった、と論証するマスコミやジャーナリズムは例外であった。読売新聞の「昭和史の天皇」という連載は、東京裁判史観に配慮した、おずおずとしたものだった。この連載ですら、今常識になりつつある、「バターン死の行進」の嘘などは書かれていない。この連載に、大東亜戦争の日本の正義を証明することを期待こしていた小生は幻滅した。林房雄の「大東亜戦争肯定論」程度のものが画期的である時代が敗戦後からずっと続いた。

 「保守」という言葉を肯定的に変えたのは、かの西部邁氏の言論の影響が強かったように記憶する。その結果か、保守を自称する思想家が輩出してきた。その少し前から、明治維新以降の日本の立場を一貫して肯定する史観が、ジャーナリズムに続々と現れた。

一方でソ連が崩壊して、共産主義の間違いが明白になったにもかかわらず、東京裁判史観をベースとした思想は、ことにテレビを中心とするメジャーマスコミに既に確実に定着していた。テレビは東京裁判史観の公然とした支持者に成り代わってしまったのである。朝日新聞に対峙している産経新聞の系列であるはずのフジテレビですら、ワイドショウから報道までが、東京裁判史観にどっぷり浸かっている

 現在は、小生の見るところ書店の棚においては、東京裁判史観の立場に比べ、これに対峙する保守の立場の書籍の方が優位である印象が強い。かつて左翼雑誌の旗手だった「世界」など見る影もない。しかし、新潮45廃刊事件に見られるように、公然たる社会的影響力においては、東京裁判史観派が圧倒的影響力を持っているように思われる。そう考える根拠は、杉田水脈論考をのせた新潮45と、その擁護論を特集した翌月の新潮45本はヘイト本扱いされたあげく、社長が謝罪して廃刊せざるをえないほどの攻撃を受けたからである。廃刊と社長の謝罪に際しては、社内での突き上げが決定的だったようであるが。

 これは、個人なら到底耐え難いほどの誹謗中傷もあったのだと想像する。ところが、保守側がそのようなことを仕掛けるのは、ほとんどないのである。例えば反東京裁判史観の雄である、櫻井よしこ氏や百田直樹氏らをイベントの講演に招聘しようとすると、主催者が脅迫や恫喝に等しい攻撃を受けて、招聘を中止せざるを得なくなった事件があった。このことをテレビは、実質的には何の問題にもしないのである。

 新潮45の廃刊について、平成30年12月号の雑誌WiLLに曽野綾子氏が取り上げている。それも極めて控えめで、せいぜい「別に放火や殺人や詐欺をすすめたりしたのでもない雑誌をつぶした人たちは、この時代にはっきりとした汚点を残した。」と述べるだけなのだ。もっと過激に反論せよ、といっているのではない。これがまともなもの言いなのである。

 ところが東京裁判史観の側の人たちは、遥かに過激なものいいをするにもかかわらず、社会的制裁は何等受けない。安保法制反対デモの際に、法政大学の山口二郎教授は時の首相を「安倍に言いたい。お前は人間じゃない!たたき斬ってやる!」と発言した。新潮45論文の杉田氏に対しては、殺害予告がされた。曽野氏の言う、殺人をすすめた、どころか、殺人を宣言したのである。水田氏の新潮45における文章どころではない、とんでもない暴言である。ところが一部新聞等で報じられただけで、山口氏は法政大学を馘首されたどころか、謝罪もしていない。事実上黙認されたのである。むしろ東京裁判史観側からは、よくぞ言ったというのが本音であろう。

 また、ネットで保守的言動を書き込むとネトウヨ、と悪罵を浴びせる。このように社会的影響力においては、東京裁判史観に立つ側の方が異常に強い。彼等は異常に強い自己正義の絶対的塊である。言論の自由を標榜しながら、異論を絶対に許さない。言論の自由は自己主張絶対化の口実に過ぎない。

 保守の言論が出版界で多勢を占めているようなのに、社会的影響力では東京裁判史観の側が圧倒的に強いのは何故か。確たる自信はないが、テレビマスコミで大勢を占めている他、保守の側は団結力が少なく、東京裁判史観の側は、団結力が極めて強くかつ攻撃的であることによるものだと小生は推測する。保守の側は僅かな意見の相違で仲間割れするのに対して、東京裁判史観の側は、例えばターゲットを水田氏に絞れば少々の意見の相違は無視して、団結して攻撃的姿勢で一致するようである。

 逆に保守の側では、例えば櫻井よしこ氏を営業保守、すなわち金儲けのために保守的言論をしているといちゃもんをつける、保守論客の文章を読んだことがある。この人は櫻井氏とさほど意見の相違はないのに、考え方の相違ではない、話にならない事で強く批判をするのである。またかつての「新しい教科書を作る会」での内紛騒動も仲間内の争いである。

共産主義者の根源的恐ろしさを思うたびに想起するのは、共産主義の絶対的信奉者の故向坂九州大学名誉教授である。生前の向坂氏の、テレビでの発言を見たことがある。インタビューアーが「日本に共産主義国家が成立して、それに反対する意見が出たらどうしますか」という主旨の質問をすると向坂氏は、明瞭に「弾圧する」と断言した衝撃は忘れられない。言論の自由などとい考え方は、そもそもなかったのであろう。彼は戦前、大学を馘首される、という弾圧を受けた。その経験は言論の自由を主張するのではなく、思想の異なる者を弾圧するのは当然、という思想を補強したように推察する。

東京裁判史観の持ち主(つまり隠れ共産主義者)は、自分の意見に賛同する人間の「言論の自由」しか認めないのである。現在の中共が言論弾圧しているから言うのではない。「マルクス・レーニン主義」の本質がそうなのである。カール・マルクスは英国における苛酷な工場労働の実態をあばき、労働者による革命政権の成立を予言しただけで、共産主義となった政治の運用方法について言及してはいなかった。

暴力革命の実現(実態としては、帝政ロシアを倒した白色革命に対して、これを倒したクーデターであるが)と共産主義国家の運営方法を実践したのは、レーニンであった。だからマルクス・レーニン主義というのである。だが、レーニンとその後継のスターリンが世界に拡散させた共産主義国家群、というのは理想国家どころか、帝政ロシアや資本主義英国より遥かに悲惨なファシズム国家群であった。

こと今に至っても、ソ連は本当の共産主義国家ではない、と「真の共産主義」を擁護する人々はいる。しかし、レーニンが実践した方法でしか、共産主義国家は実在し得ないことは歴史が証明している。レーニンが実現した共産主義国家の悲劇は、実にマルクス自身の言った、私的財産所有権の否定に胚胎しているのである。私的財産所有権の否定は、現実政治の実践においては、国家による個人資産の略奪に他ならない。「共産主義黒書」に記述されている、世界戦争の惨禍より悲劇的な共産主義国家群の成立は、マルクスの思想そのものに淵源がある。

 共産主義国家はファシズム政府となる。共産党による国家支配である。日本には共産党以外、ファシズム志向の政党はなかった。一般国民の考え方とは反する、東京裁判史観支持者の、社会的影響力の増大は、ファシズムの臭いを感じる。