毎日のできごとの反省

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書評・リンドバーグ第二次大戦日記

2019-03-04 17:00:12 | 大東亜戦争

書評・リンドバーグ第二次大戦日記

 

 リンドバーグの日記は相当の昔から、米軍による日本人に対する残虐行為の証言として有名であった。だから図書館の古本のその箇所だけをコピーして持っている。仕事帰りに駅前商店街の、ごく小さな本屋に寄った。駅前で1番大きな本屋が潰れたからである。意外なことに目立つように「リンドバーグ第二次大戦日記」の上下巻が置いてある。平成28年7月のピカピカの新刊の文庫である。

 この際全部を読み通してみようと買った。日記は昭和12年から20年だけである。つまり第二次大戦直前から終戦であるが、途中日記がつけられていない部分があるのが残念である。それでも開戦前の米国の世論の様子が書かれている、というのが貴重で大きな収穫だった。小生は「米国の世論は徹底した厭戦で、ルーズベルト大統領は英国を救うために、対独参戦を画策し、日本に最初の一発を撃たせた」という定説に近年大きな疑問を持っている。しかし、現代の日本人にとって、当時の米国の世論の動向と言うのはなかなか掴めないものであったが、本書は大いに参考になった。

 リンドバーグは有名な反戦活動家であり、そのため当時の米国ではナチ好きと誤解されている。たしかにドイツ人自体に好意は持っている。「両国(独英のこと)が協力すれば、ヨーロッパでは来たるべき長い歳月にわたり、大規模な戦争を行う必要がなくなるのだ。両国が再び戦えば、収拾のつかぬ大混乱が生ずるだろう。」「ドイツ人の船員は極めてよく気がつくし・・・これではドイツ人が好きにならざるを得ぬ」(p22)

 この後も独英戦によるヨーロッパの混乱と西欧文明の衰退を憂える記述がよく見られる。結局戦後の冷戦と、冷戦後のヨーロッパの混乱を暗示しているようだ。現に「東方に対するドイツ支配の拡大を阻止する好機は早くも数年前に過ぎ去っている。現時点であえてそれを行うのは、ヨーロッパを大混乱に陥らせることだろう・・・ヨーロッパの共産化を招来するに相違ない。(P62)」とずばり言い当てている。

 ヒトラーが当時から狂気じみた人物として知られていたのは「彼が当面の状況によってヨーロッパを大戦争に巻き込むとは到底信じられぬ。狂人でなければ、そのような真似が出来るはずはない。ヒトラーは神秘的な狂信者である。が、過去の行動とその結果に徴してみれば、彼が狂人だとは信じられぬ。(P67)」というので知れる。

 ヒトラーが融和策で調子に乗ってラインラントからポーランドまで行ってしまったのは、欧州大戦を起こすつもりではなかったろうというのは、当時でも判断できたのであって、ヒトラーの領土拡大を平和的に「阻止する好機は早くも数年前に過ぎ去って」いたのである。それでもリンドバーグは反戦を訴えた。

 リンドバーグはソ連と日本とを問題視した。「ソヴィエトの内情は悪すぎて永久に持ち堪えられぬし・・・先の大戦からこの方、ロシアで数百万の人間が処刑され、また革命の結果、三千万から四千万の人間は命を落とした(P94)」とロシア人シコルスキーから聞いた。また彼は「ソヴィエトで最高のもてなしを受け、大勢の好感の持てるロシア人にあった。・・・ソヴィエトのホテルは西欧のそれに比べて施設が良くない。・・・民衆も腹いっぱい食べ、幸せな毎日を送っているとは考えられなかったと。P102)」

リンドバーグはわずかなソヴィエト訪問でも騙されなかったのだ。このような共産主義国家に肩入れした米政権と日本の共産主義者はなんと愚かだったのだろう。政治に素人のリンドバーグすら、東欧の共産化を危惧したのだ。

またカレル博士と談話し「カレルの見るところではドイツが勝てば、西欧文明が崩壊するという。私見ではドイツもフランスやイギリスと同じく西欧文明の一部を成す。カレルはソヴィエトがドイツより比較にならぬほど悪いと認めながらも、私がソヴィエトを見るのと同じ目でドイツを見ているのである。(P261)」

フランス人のエマニュエル・トッド氏は平成27年の著書で現在のロシアはドイツよりましだ、と書いた。正反対である。やはりソ連は現在のロシアより悪かったのだと思う。世界にとってもソ連国民にとっても。

同じパイロットで片や冒険飛行の英雄、片や著名な作家の有名人だからだろうか。著書「星の王子様」で有名なサン・テグジュペリとは知り合いだった。テグシュペリは星の王子様というやさしいタイトルに反していかつい男だった。ふと二葉亭四迷を思い出した。

二葉亭に一度だけ会った漱石は「「其の當時『その面影』は読んでゐなかったけれども、あんな艶っぽい小説を書く人として自然が製作した人間とは、とても受け取れなかった。魁偉といふと少し大袈裟で悪いが、いづれかといふと、それに近い方で、到底細い筆などを握って、机の前で呻吟してゐそうもないから實は驚ろいたのである。」(長谷川君と余)と書いた。

昭和14年の10月にテグジュペリがフランス空軍に入ったと記されている。(P220)そして「サン・テグジュペリのような人物が無残に殺される。」とも記している。テグジュペリがP-38の偵察型で出撃し、帰らなかったのは5年も経った昭和19年の7月のことである。

 ユダヤ問題での真実は分かりにくい。ドイツの高官ミルヒはリンドバーグに「最近の反ユダヤ人運動は『ゲーリングが指示したものでもなければヒトラーが指示したのでもない』」(P122)と言ったそうで、これはゲシュタポ長官のヒムラーや宣伝相のゲッペルスに原因があると言う意味だとリンドバーグは推定している。

 リンドバーグはドイツ訪問をしたため、アメリカの新聞にスパイ説を書かれた。(P128)「責任のない、完全に自制心のない新聞は民主主義にとり最大の危険の一つと考えざるを得ぬ。完全に統制された新聞が、これまた危険であるのと同じことだ。(P131)」これはまた現在の日本のマスコミにも通じる至言である。

 ポーランドは独ソの秘密協定により分割された。ドイツがソ連に先行してポーランドに侵攻すると英仏はドイツに宣戦布告した。しかし、リンドバーグは新聞の、ソ連軍がポーランド国境に集結しつつある、という情報を先に記している。(P199)にもかかわらず英仏はソ連に宣戦布告しないどころか、その後の独ソ戦には米国を巻き込んでソ連に膨大な支援をしたことは不可解ですらある。

 リンドバーグはルーズベルトが信用できない人物だと繰り返し書いている。「ルーズベルトには何か信頼しきれぬものがある。(P162)」「・・・ルーズベルトはたとえ戦争が自分の個人的な利益に適っても、この国を戦争の犠牲にはしないという発言に確信がまったく持てぬのだ。ルーズベルトはやがて戦争が国家にとって最高の利益になると自分に言聞かせるになるだろう(P209)」「ルーズベルトは何としても国家を戦争に引きずり込みたがっているとフーヴァーは見る。(P217)」

 宣戦布告がされたといっても、英独仏はまだ戦火を交えていないのに、ルーズベルトに対独参戦の意志があると、政治家でもないリンドバーグさえ知っているのだ。マスコミ人や政治家、国民が知らぬとは考えにくい。しかも何回かラジオなどで反戦演説をしたリンドバーグに「脅迫状が舞い込み始める。(P232)」というのだ。戦争したがっている米国民は多かったのだ。

 1941年となり戦争が本格的になると、最初のうちは反戦が有力であったが、今では逆転しつつあり「・・・アメリカの戦争介入に反対するわれわれの勢力は、・・・じりじりと敗退しつつあるように思われる。・・・最大の希望は、合衆国の八十五パーセントが戦争介入に反対しているという事実だ(最新の世論調査に拠る)。一方、約六十五パーセントが『戦争の危険を冒してまでも大英帝国を助ける』ことを望んでいる。(P322)」

 これをリンドバーグは「戦争の代価を払わないでイギリスに勝ってほしいと望んでいる」と総括しているが、文言を素直に読めば「戦争の危険を冒してまでも」と言っているのだからニュアンスは違う。六十五%の国民が参戦に賛成しているのだ。

 さらに4月のギャラップ調査の「八十パーセントが戦争に反対しているかの如く思われるのに、七十一パーセントはイギリスが敗北するならばという条件で輸送船団の派遣に賛成。(P345)」という一見矛盾した発表にリンドバーグは困惑している。しかし、結局米国民は英国の敗北を軍事的に助けたいと言う気持ちに変わりはない。直接米兵の血を流すのに躊躇しているだけなのだ。

 「何時ものことのように、ルーズベルトは戦争について何か隠しているように思われる。成算ある介入のチャンスに立ち遅れたと恐れているのだろうか。・・・何としても世界の檜舞台をヒットラーから取り上げたがっているのだと確信する。この目的が必ずや達せられると思った瞬間に、この国を戦争に導き入れるだろうと思う。・・・この国を戦争に導き入れて勝利をつかめば、彼は人類史上最も偉大な人物のひとりに数えられるようになるだろう。(P323)」これは昭和16年1月の日記である。

 リンドバーグによればルーズベルトは、ヒットラーより偉大な人物と呼ばれるために参戦を望んでいるのであって、英国を助けるためばかりではないのだ。

 対英援助が3月に始まる。「・・・報道によれば武器貸与法案が六十対三十一票で上院を通過した由。(P333)」武器貸与法は明白に国際法の中立に反する。換言すれば国際法上米国は参戦したのである。

 「・・・アメリカの世論が徐々にルーズベルトの公約は当てにならぬこと、またしばしば二枚舌を用いていることを悟り始めたということが最大の希望の一つだ。(P359)」ところが1940年の大統領選挙では、ルーズベルトは三選を果たした。

 米海軍が公式な参戦以前に、独潜を攻撃したことは知られている。それは大統領の命令だったのである。ルーズベルトは昭和16年9月のラジオ演説で「・・・アメリカの利益に必要とあればどこでも敵の軍艦を一掃すべしと合衆国海軍に命令を下したと結んだ。(P382)」大統領は自ら命令した、と言ったのである。

 しかし、これに対して厭戦気分にひたっていたはずの米国民が猛反発したとは、日記には書かれていない。それどころかリンドバーグが大統領演説の直後に開いた反戦集会で大統領の「演説が終わって一分もたたないうちに幕が開き、われわれは壇上に並んだ。一斉に拍手と野次を浴びる-これまでにない非友好的な聴衆であった。しかも、反対派は組織されており、野次がマイクに入りやすい桟敷席には一群の演説妨害者が巧みに配置してあった。閉会後、これらの一群には雇われ“野次屋”がいることを教えられた。・・・私が戦争扇動者として三つのグループ-イギリス人、ユダヤ人、そしてルーズベルト政権-を挙げた時、全聴衆が総立ちになり、歓呼するかに見えた。その瞬間、どのような反対派であれ、熱烈な支持により打ち消されたのであった。」

 ルーズベルト政権が反戦どころか戦争を扇動していたのは米国民の常識なのだった。しかも組織的にそれを支援するグループすらいて、反戦の言動は圧迫されていたのだった。何度でもいうが、現在の日本の常識である、「ルーズベルト政権はチャーチルに頼まれて密かに参戦を計画していたのだが、公的には隠し、国民も参戦反対一色であった、」というのが間違いであることをリンドバーグの証言が証明している。日記には米国の世論の状況がよく描かれている。

ちなみに1941年の日記の副題は「ファシスト呼ばわりされて」である。米国ではこの頃、対独反戦はファシストと罵られていたのである。換言すれば、民主主義者ならドイツとの戦争に賛成すべきだ、ということである。(以上、上巻)

以下下巻に簡単に触れる。リンドバーグは一流パイロットとして、何種類もの米軍機に搭乗した。日本では米軍機は信頼性があり、稼働率が高いと考えられているが、案外な欠陥もある。ある部隊のF-4Uは六機に一機が過度の振動に悩まされていたので、リンドバーグが試乗するととんでもないものだった。(P190)

またコルセアが突如原因不明の急降下に入って海に墜落し、遺体すらみつからなかったケース、300時間持つと言われたエンジンが60時間しか持たないものが何台もみつかったというのもある。軍用機は民間機より信頼性より性能を重視し、最新技術を導入するため、信頼性を熟成するゆとりがない。航空技術が優れた米国も苦労しているのだ、という思いがする。

戦争が始まった時の反戦活動家のリンドバーグの言葉である。「祖国が戦いに入った以上、自分としては祖国の戦争努力に最大限の貢献をしたい。戦争になれば、祖国の全般的な繁栄と統一のために、自分の個人的な見解を押し殺す覚悟はできていた。しかし、問題は今になってもルーズベルト大統領が信じきれないという点だ。(P33)」小生は祖国の戦争に対する彼の態度は正しいと考える。ただ、繰り返し述べられる、ルーズベルト大統領に対する不信感は極めて強いことが印象的である。

 それから太平洋戦線に行き、その後ドイツの敗北した光景を見る。ひとつ日本軍の名誉を守るエピソードがある。日本軍がフィリピンを攻撃する際に「日本軍は米袋の中に通信文を入れて投下した。明日、病院に隣接する放送局(発電所?)を爆撃するので、病院を引き払うようにと勧告してあった。(P109)」患者は病院から連れ出されて爆撃の巻き添えを受けずに助かったのである。

 日本軍の人道的な方針を示すエピソードであった。ところが、リンドバーグの知る限り、米国の新聞には病院が爆撃されたことだけ書かれていて、本当の標的は放送局であり退避勧告をされたという話が抜けていたのである。この結果日本軍は病院を目標に爆撃した、という非人道的な話になってしまったのである。

そういえば真珠湾攻撃を米国人が描いた映画で、日本機が行いもしなかった、病院銃爆撃の国際法違反のシーンがあった。同じ米国人だからプロパガンダの発想が同じなのである。本書にも書かれているが、連合軍が日本の野戦病院を襲い、傷病兵を皆殺しにしたことは例外ではない。やはり自らしそうなことをプロパガンダとして使うのである。

 信じられないのは、オーストラリア軍が、ビアク島で戦友の人肉を料理中の日本兵数名を捕らえたと言う告知をだした、ということである。(P263)また性器を切り取ったりオーストラリア兵をステーキにして食べた、というのもある。

もちろんこれらは全て伝聞である。性器を切り取ると言う趣味は欧米人にあっても日本人にはない。人肉食も極めて例外である。日本兵がひどいことをするから、オーストラリア兵も残虐行為したという、言い訳として書かれているので、妄想かでっちあげの可能性が高いであろう

 また、戦争初期には投降しても殺されるので、それを知った日本兵は投降せず極限まで戦うようになったと言う記述は何か所にも書かれている。捕虜は取らない、とリンドバーグに放言する指揮官すらいたというのである。これは他の米国人の著書にも書かれている。

 下巻には連合国が行った非人道的な行為が書かれているのが有名であるが、一読をお薦めして紹介は省略する。ただ、戦争の非道についてのリンドバーグの有名な言葉が最後に書かれているので、紹介して終わる。

 「ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋で日本人に行ってきたのである。・・・地球の片側で行われた蛮行は反対側で行われても、蛮行であることには変わりがない。・・・この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない、あらゆる諸国民に恥辱と荒廃をもたらしたのだ。(P370)」

書評・リンドバーグ第二次大戦日記

 

 リンドバーグの日記は相当の昔から、米軍による日本人に対する残虐行為の証言として有名であった。だから図書館の古本のその箇所だけをコピーして持っている。仕事帰りに駅前商店街の、ごく小さな本屋に寄った。駅前で1番大きな本屋が潰れたからである。意外なことに目立つように「リンドバーグ第二次大戦日記」の上下巻が置いてある。平成28年7月のピカピカの新刊の文庫である。

 この際全部を読み通してみようと買った。日記は昭和12年から20年だけである。つまり第二次大戦直前から終戦であるが、途中日記がつけられていない部分があるのが残念である。それでも開戦前の米国の世論の様子が書かれている、というのが貴重で大きな収穫だった。小生は「米国の世論は徹底した厭戦で、ルーズベルト大統領は英国を救うために、対独参戦を画策し、日本に最初の一発を撃たせた」という定説に近年大きな疑問を持っている。しかし、現代の日本人にとって、当時の米国の世論の動向と言うのはなかなか掴めないものであったが、本書は大いに参考になった。

 リンドバーグは有名な反戦活動家であり、そのため当時の米国ではナチ好きと誤解されている。たしかにドイツ人自体に好意は持っている。「両国(独英のこと)が協力すれば、ヨーロッパでは来たるべき長い歳月にわたり、大規模な戦争を行う必要がなくなるのだ。両国が再び戦えば、収拾のつかぬ大混乱が生ずるだろう。」「ドイツ人の船員は極めてよく気がつくし・・・これではドイツ人が好きにならざるを得ぬ」(p22)

 この後も独英戦によるヨーロッパの混乱と西欧文明の衰退を憂える記述がよく見られる。結局戦後の冷戦と、冷戦後のヨーロッパの混乱を暗示しているようだ。現に「東方に対するドイツ支配の拡大を阻止する好機は早くも数年前に過ぎ去っている。現時点であえてそれを行うのは、ヨーロッパを大混乱に陥らせることだろう・・・ヨーロッパの共産化を招来するに相違ない。(P62)」とずばり言い当てている。

 ヒトラーが当時から狂気じみた人物として知られていたのは「彼が当面の状況によってヨーロッパを大戦争に巻き込むとは到底信じられぬ。狂人でなければ、そのような真似が出来るはずはない。ヒトラーは神秘的な狂信者である。が、過去の行動とその結果に徴してみれば、彼が狂人だとは信じられぬ。(P67)」というので知れる。

 ヒトラーが融和策で調子に乗ってラインラントからポーランドまで行ってしまったのは、欧州大戦を起こすつもりではなかったろうというのは、当時でも判断できたのであって、ヒトラーの領土拡大を平和的に「阻止する好機は早くも数年前に過ぎ去って」いたのである。それでもリンドバーグは反戦を訴えた。

 リンドバーグはソ連と日本とを問題視した。「ソヴィエトの内情は悪すぎて永久に持ち堪えられぬし・・・先の大戦からこの方、ロシアで数百万の人間が処刑され、また革命の結果、三千万から四千万の人間は命を落とした(P94)」とロシア人シコルスキーから聞いた。また彼は「ソヴィエトで最高のもてなしを受け、大勢の好感の持てるロシア人にあった。・・・ソヴィエトのホテルは西欧のそれに比べて施設が良くない。・・・民衆も腹いっぱい食べ、幸せな毎日を送っているとは考えられなかったと。P102)」

リンドバーグはわずかなソヴィエト訪問でも騙されなかったのだ。このような共産主義国家に肩入れした米政権と日本の共産主義者はなんと愚かだったのだろう。政治に素人のリンドバーグすら、東欧の共産化を危惧したのだ。

またカレル博士と談話し「カレルの見るところではドイツが勝てば、西欧文明が崩壊するという。私見ではドイツもフランスやイギリスと同じく西欧文明の一部を成す。カレルはソヴィエトがドイツより比較にならぬほど悪いと認めながらも、私がソヴィエトを見るのと同じ目でドイツを見ているのである。(P261)」

フランス人のエマニュエル・トッド氏は平成27年の著書で現在のロシアはドイツよりましだ、と書いた。正反対である。やはりソ連は現在のロシアより悪かったのだと思う。世界にとってもソ連国民にとっても。

同じパイロットで片や冒険飛行の英雄、片や著名な作家の有名人だからだろうか。著書「星の王子様」で有名なサン・テグジュペリとは知り合いだった。テグシュペリは星の王子様というやさしいタイトルに反していかつい男だった。ふと二葉亭四迷を思い出した。

二葉亭に一度だけ会った漱石は「「其の當時『その面影』は読んでゐなかったけれども、あんな艶っぽい小説を書く人として自然が製作した人間とは、とても受け取れなかった。魁偉といふと少し大袈裟で悪いが、いづれかといふと、それに近い方で、到底細い筆などを握って、机の前で呻吟してゐそうもないから實は驚ろいたのである。」(長谷川君と余)と書いた。

昭和14年の10月にテグジュペリがフランス空軍に入ったと記されている。(P220)そして「サン・テグジュペリのような人物が無残に殺される。」とも記している。テグジュペリがP-38の偵察型で出撃し、帰らなかったのは5年も経った昭和19年の7月のことである。

 ユダヤ問題での真実は分かりにくい。ドイツの高官ミルヒはリンドバーグに「最近の反ユダヤ人運動は『ゲーリングが指示したものでもなければヒトラーが指示したのでもない』」(P122)と言ったそうで、これはゲシュタポ長官のヒムラーや宣伝相のゲッペルスに原因があると言う意味だとリンドバーグは推定している。

 リンドバーグはドイツ訪問をしたため、アメリカの新聞にスパイ説を書かれた。(P128)「責任のない、完全に自制心のない新聞は民主主義にとり最大の危険の一つと考えざるを得ぬ。完全に統制された新聞が、これまた危険であるのと同じことだ。(P131)」これはまた現在の日本のマスコミにも通じる至言である。

 ポーランドは独ソの秘密協定により分割された。ドイツがソ連に先行してポーランドに侵攻すると英仏はドイツに宣戦布告した。しかし、リンドバーグは新聞の、ソ連軍がポーランド国境に集結しつつある、という情報を先に記している。(P199)にもかかわらず英仏はソ連に宣戦布告しないどころか、その後の独ソ戦には米国を巻き込んでソ連に膨大な支援をしたことは不可解ですらある。

 リンドバーグはルーズベルトが信用できない人物だと繰り返し書いている。「ルーズベルトには何か信頼しきれぬものがある。(P162)」「・・・ルーズベルトはたとえ戦争が自分の個人的な利益に適っても、この国を戦争の犠牲にはしないという発言に確信がまったく持てぬのだ。ルーズベルトはやがて戦争が国家にとって最高の利益になると自分に言聞かせるになるだろう(P209)」「ルーズベルトは何としても国家を戦争に引きずり込みたがっているとフーヴァーは見る。(P217)」

 宣戦布告がされたといっても、英独仏はまだ戦火を交えていないのに、ルーズベルトに対独参戦の意志があると、政治家でもないリンドバーグさえ知っているのだ。マスコミ人や政治家、国民が知らぬとは考えにくい。しかも何回かラジオなどで反戦演説をしたリンドバーグに「脅迫状が舞い込み始める。(P232)」というのだ。戦争したがっている米国民は多かったのだ。

 1941年となり戦争が本格的になると、最初のうちは反戦が有力であったが、今では逆転しつつあり「・・・アメリカの戦争介入に反対するわれわれの勢力は、・・・じりじりと敗退しつつあるように思われる。・・・最大の希望は、合衆国の八十五パーセントが戦争介入に反対しているという事実だ(最新の世論調査に拠る)。一方、約六十五パーセントが『戦争の危険を冒してまでも大英帝国を助ける』ことを望んでいる。(P322)」

 これをリンドバーグは「戦争の代価を払わないでイギリスに勝ってほしいと望んでいる」と総括しているが、文言を素直に読めば「戦争の危険を冒してまでも」と言っているのだからニュアンスは違う。六十五%の国民が参戦に賛成しているのだ。

 さらに4月のギャラップ調査の「八十パーセントが戦争に反対しているかの如く思われるのに、七十一パーセントはイギリスが敗北するならばという条件で輸送船団の派遣に賛成。(P345)」という一見矛盾した発表にリンドバーグは困惑している。しかし、結局米国民は英国の敗北を軍事的に助けたいと言う気持ちに変わりはない。直接米兵の血を流すのに躊躇しているだけなのだ。

 「何時ものことのように、ルーズベルトは戦争について何か隠しているように思われる。成算ある介入のチャンスに立ち遅れたと恐れているのだろうか。・・・何としても世界の檜舞台をヒットラーから取り上げたがっているのだと確信する。この目的が必ずや達せられると思った瞬間に、この国を戦争に導き入れるだろうと思う。・・・この国を戦争に導き入れて勝利をつかめば、彼は人類史上最も偉大な人物のひとりに数えられるようになるだろう。(P323)」これは昭和16年1月の日記である。

 リンドバーグによればルーズベルトは、ヒットラーより偉大な人物と呼ばれるために参戦を望んでいるのであって、英国を助けるためばかりではないのだ。

 対英援助が3月に始まる。「・・・報道によれば武器貸与法案が六十対三十一票で上院を通過した由。(P333)」武器貸与法は明白に国際法の中立に反する。換言すれば国際法上米国は参戦したのである。

 「・・・アメリカの世論が徐々にルーズベルトの公約は当てにならぬこと、またしばしば二枚舌を用いていることを悟り始めたということが最大の希望の一つだ。(P359)」ところが1940年の大統領選挙では、ルーズベルトは三選を果たした。

 米海軍が公式な参戦以前に、独潜を攻撃したことは知られている。それは大統領の命令だったのである。ルーズベルトは昭和16年9月のラジオ演説で「・・・アメリカの利益に必要とあればどこでも敵の軍艦を一掃すべしと合衆国海軍に命令を下したと結んだ。(P382)」大統領は自ら命令した、と言ったのである。

 しかし、これに対して厭戦気分にひたっていたはずの米国民が猛反発したとは、日記には書かれていない。それどころかリンドバーグが大統領演説の直後に開いた反戦集会で大統領の「演説が終わって一分もたたないうちに幕が開き、われわれは壇上に並んだ。一斉に拍手と野次を浴びる-これまでにない非友好的な聴衆であった。しかも、反対派は組織されており、野次がマイクに入りやすい桟敷席には一群の演説妨害者が巧みに配置してあった。閉会後、これらの一群には雇われ“野次屋”がいることを教えられた。・・・私が戦争扇動者として三つのグループ-イギリス人、ユダヤ人、そしてルーズベルト政権-を挙げた時、全聴衆が総立ちになり、歓呼するかに見えた。その瞬間、どのような反対派であれ、熱烈な支持により打ち消されたのであった。」

 ルーズベルト政権が反戦どころか戦争を扇動していたのは米国民の常識なのだった。しかも組織的にそれを支援するグループすらいて、反戦の言動は圧迫されていたのだった。何度でもいうが、現在の日本の常識である、「ルーズベルト政権はチャーチルに頼まれて密かに参戦を計画していたのだが、公的には隠し、国民も参戦反対一色であった、」というのが間違いであることをリンドバーグの証言が証明している。日記には米国の世論の状況がよく描かれている。

ちなみに1941年の日記の副題は「ファシスト呼ばわりされて」である。米国ではこの頃、対独反戦はファシストと罵られていたのである。換言すれば、民主主義者ならドイツとの戦争に賛成すべきだ、ということである。(以上、上巻)

以下下巻に簡単に触れる。リンドバーグは一流パイロットとして、何種類もの米軍機に搭乗した。日本では米軍機は信頼性があり、稼働率が高いと考えられているが、案外な欠陥もある。ある部隊のF-4Uは六機に一機が過度の振動に悩まされていたので、リンドバーグが試乗するととんでもないものだった。(P190)

またコルセアが突如原因不明の急降下に入って海に墜落し、遺体すらみつからなかったケース、300時間持つと言われたエンジンが60時間しか持たないものが何台もみつかったというのもある。軍用機は民間機より信頼性より性能を重視し、最新技術を導入するため、信頼性を熟成するゆとりがない。航空技術が優れた米国も苦労しているのだ、という思いがする。

戦争が始まった時の反戦活動家のリンドバーグの言葉である。「祖国が戦いに入った以上、自分としては祖国の戦争努力に最大限の貢献をしたい。戦争になれば、祖国の全般的な繁栄と統一のために、自分の個人的な見解を押し殺す覚悟はできていた。しかし、問題は今になってもルーズベルト大統領が信じきれないという点だ。(P33)」小生は祖国の戦争に対する彼の態度は正しいと考える。ただ、繰り返し述べられる、ルーズベルト大統領に対する不信感は極めて強いことが印象的である。

 それから太平洋戦線に行き、その後ドイツの敗北した光景を見る。ひとつ日本軍の名誉を守るエピソードがある。日本軍がフィリピンを攻撃する際に「日本軍は米袋の中に通信文を入れて投下した。明日、病院に隣接する放送局(発電所?)を爆撃するので、病院を引き払うようにと勧告してあった。(P109)」患者は病院から連れ出されて爆撃の巻き添えを受けずに助かったのである。

 日本軍の人道的な方針を示すエピソードであった。ところが、リンドバーグの知る限り、米国の新聞には病院が爆撃されたことだけ書かれていて、本当の標的は放送局であり退避勧告をされたという話が抜けていたのである。この結果日本軍は病院を目標に爆撃した、という非人道的な話になってしまったのである。

そういえば真珠湾攻撃を米国人が描いた映画で、日本機が行いもしなかった、病院銃爆撃の国際法違反のシーンがあった。同じ米国人だからプロパガンダの発想が同じなのである。本書にも書かれているが、連合軍が日本の野戦病院を襲い、傷病兵を皆殺しにしたことは例外ではない。やはり自らしそうなことをプロパガンダとして使うのである。

 信じられないのは、オーストラリア軍が、ビアク島で戦友の人肉を料理中の日本兵数名を捕らえたと言う告知をだした、ということである。(P263)また性器を切り取ったりオーストラリア兵をステーキにして食べた、というのもある。

もちろんこれらは全て伝聞である。性器を切り取ると言う趣味は欧米人にあっても日本人にはない。人肉食も極めて例外である。日本兵がひどいことをするから、オーストラリア兵も残虐行為したという、言い訳として書かれているので、妄想かでっちあげの可能性が高いであろう

 また、戦争初期には投降しても殺されるので、それを知った日本兵は投降せず極限まで戦うようになったと言う記述は何か所にも書かれている。捕虜は取らない、とリンドバーグに放言する指揮官すらいたというのである。これは他の米国人の著書にも書かれている。

 下巻には連合国が行った非人道的な行為が書かれているのが有名であるが、一読をお薦めして紹介は省略する。ただ、戦争の非道についてのリンドバーグの有名な言葉が最後に書かれているので、紹介して終わる。

 「ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋で日本人に行ってきたのである。・・・地球の片側で行われた蛮行は反対側で行われても、蛮行であることには変わりがない。・・・この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない、あらゆる諸国民に恥辱と荒廃をもたらしたのだ。(P370)」


書評・バカな経済論・高橋洋一・あさ出版

2019-03-02 17:09:34 | 政治経済

 数理を得意とし、経済学も学び旧大蔵省に勤めた氏ならではの痛快な談義である。その中で小生が感じた不満を述べたい。その中には氏が百も承知、ということもあるだろうとは分かっているつもりだが。

 

・組合問題

 「歳入庁」のない日本は変な国(P124)という項では、かつての財務省の消えた年金問題を例にとっているのだが、問題提起と直接関係がない、と言われればそれまでだが、この騒動の原因の重大のひとつに、社会保険庁の労働組合ぐるみのサボタージュがある、ということが書かれてない。本来は社会保険庁でも何でもよいが、とにかく国がやるべき仕事を、国民年金機構と言う特殊法人をわざわざ作らなければならなかった、という異常事態は組合問題の解消と言うことがなければあり得なかったことである。

 それを無視して歳入庁がない、とだけ主張するのは奇妙である。日産自動車が、カルロス・ゴーンなる外国人を雇ってまで社内改革を進めなければならなかった原因の根本のひとつは、日産の労働組合の強過ぎによって、社内がいびつになったためである。日産の労働組合のトップは「労働貴族」と呼ばれるほどの権力と豪奢な生活をしていたらしいのである。当然人事権はかなり組合が握っているだろうし、客サービスも低下する。それに対して会社幹部がどうにもできず、しがらみのない外国人をトップに据えた、という次第である。

 労働組合は労働者の権利保護等のために必要なものであるが、結局組合が権利を過度に持つと、組織自体を壊す、という話である。氏の他著書でも同様であるが、高橋氏が労働組合問題に着目することがないのは、体験のなさであろうか、関係のないことだと考えたのだろうか。

 

・バブルについて

 じつは「まことに結構な経済状況だった」バブル時代(P120)という項を設けているように、氏はバブル自体を肯定的にとらえている。株価は四万円近くGDPは4~5%程度、失業率は2%台であるにもかかわらず、物価はさほど上がっていなかった、と客観的に評価している。悪かったのは日銀が「バブル潰し」とばかり不必要な急激な金融緊縮を行ったことであるという。

 氏の分析は正しいと思う。ところが欠けている視点がある、と思う。ひとつは何故バブル、と呼ばれたか、である。戦後の好景気の出発点は全て製造業のように、汗水流して働くことによる産業であった。石炭産業、繊維産業、造船などである。ところがこのときに起きたのは、株取引や不動産売買のように、「汗水流さない」で株や土地を転売するだけで好況が生まれた。

 それを後日バブル経済と蔑んだのである。この見方は正しくもあり正しくもないように思われる。バブルとは製造生産による新しい価値を生み出すことによって生まれたものではないものである、という実態の表現は正しい。小生は一般的には、株価はGDPに比例すべきものと考えている。当時の株価のグラフを見ると、米国ではその通りになっていたからである。ところが日本の株価はそうではなかった。

 4~5%程度の上昇どころではなく、株価がGDPと乖離していくグラフを見て、株取引に熱中する人たちに、おかしいではないかと言ってみたが聞く耳を持たなかった。私に堅実な製造業を説教・自慢する社長がいた会社が、株取引室を設置して本業をおろそかにし始めたと聞いてあきれたものである。

 氏の言うのは正しいのだが、バブル景気と言うのは、戦後好景気が訪れたことのない金融や土地取引といった分野が好景気のけん引役になった、ということに過ぎない。大きく見れば好況のひとつの形態に過ぎない、と言う点ではそれまでと変わりはない。バブル崩壊には経済の専門家はよほど懲りたものと見える。バブル崩壊以後、「好景気」「好況」という言葉はマスコミから消えた。

 好景気が続くと「いざなぎ景気を超える長期の『景気回復』」などという言葉に置き換えたのである。「回復」とはまだ完全には良くはなっていないが、改善しつつある、というニュアンスが垣間見え、すばり「好景気」ではないかのようだ。その癖IT産業が景気のけん引役になると「ITバブル」などと揶揄した。IT産業はハード、ソフトの製品づくりの産業だから、株取引のような「バブル」ではないのである。

 高橋氏は過去を顧みるように勧めている。しからば、なぜ「バブル」景気が起きたかを言わないのも片手落ちである。バブルのきっかけになったのはNTTの株の発売である。それまでは個人では一部の人しか手を出さなかった株を、主婦までが競って買うようになったからである。NTTの株は抽選で売り出され、みるみる内に2倍3倍となった。それに味を占めた個人の金が株式市場に流れた。製造業の資金も株取引に流れた。

 株の数量が一定で、金が株式市場に流れれば、株の単価は上がる。それだけのことである。地価も同様である。バブル期には税金すら余っていて、官庁はムードで「はこもの」を作った。現在使われている公共施設でバブル期に造られたか計画されたものは、無駄なスペースが多い「バブリー」なものが多いからすぐわかる、と言う次第である。

 高橋氏は1メートル先だけ見ていては、全体像は分からないというが、バブル期には柄にもない個人が株式に熱中していたのを見ていたから、小生にバブルの原因は分かったのである。株取引が景気のけん引役にならない限り、株はGDPに比例すべきものだとすれば、今のような低成長時代には、株価が三万円に届くのは当分先の話である。

 

・高度経済成長

 本書では、経済成長が2%以下ということが前提になっている。氏は海を渡れ、川を上れ、と叩きこまれたと書いている。それならば中国では低成長になっても、6%だし(実態は極めて怪しいが、かつては本当に二ケタ成長の時期はあったと思う)、日本でも高度経済成長期には二ケタ成長していた。

 現在の日本の経済成長が2%であれば上出来なのは実態として分かる。しかし海の外と比較し、川の上を見れば納得できない。かつては一ドル360円の固定相場だった。それだけ日本の経済力、ひいては物価や賃金も安かった。かの零戦の設計者は著書で、ずっと性能が高い米国機と比べ、生産工数は三倍だが対ドル換算するとずっと安い、ということを淡々と書いていたのを不思議に思った。

 要するに賃金が欧米に比べ格安だったのである。輸出する産業の場合、このことは有利になる。戦後は、この利点を生かして欧米に輸出して高度成長をした。ところが日本人の賃金が上がり、発展途上国も日本の輸出競争相手となると、そうはいかなくなる。そこで発展途上国では生産できないような製品にシフトしたり、製造拠点を海外に移すのだが、それでも高度成長期なみにはいかない。

 そこで行きついた結果が、現在の2%も成長すれば上出来、という時代になった。2%という数値を数値計算することは、要因が複雑すぎてできまい。できるのは2%ということを前提として、これにいかに近づく政策があるか、ということではあるまいか。相対的変化は計算できても絶対値は算定できないのである。

 

・やっぱり「英語」が重要だ

 英語の重要性も無前提に述べられているのだが、現実を追認したものに過ぎない。現代での英語の国際的価値の高まりは、単に米国の覇権の高まりばかりではなく、米国が同じ英語圏の「大英帝国」の覇権を継承し、かつての英語公用語圏の植民地だった国家が発展したことにてよることも大きい。インターネット自体が米軍により開発されたことも要因としては大きいのだろう。

 だからといって「天下り」が日本の特殊慣習で、英訳できないと嘆く必要もなかろうと思う。小室直樹氏は、戦後の日本は農業社会から工業社会への急速な変貌により、村落共同体が崩壊し、その受け皿となったのが「会社共同体」とでもいうべきものであると言った。天下りは官庁ばかりではなく、企業社会にもある。同時に、終身雇用制が発生し、それだけでは世代交代が出来なくなるため「天下り」なるシステムができたものと小生は考える。

結局は戦後の特殊性によるものである。戦前の小説を読めば、サラリーマンとても、いつ辞めても故郷に帰れた、という風景が見える。当然だが、英語にも英語特有の言葉はいくらでもある。小生は英語は苦手だが、外国語に習熟する、ということは、単に文法的論理的に翻訳できない、その言語特有の表現に習熟しなければならない、ということでもあると理解した次第である。

 

・経済とは数字、数学の世界であり、各国の文化・歴史の独自性にあまり左右されるものではない(P229)

 これは真理であるとは納得する。しかし、それは表面に装われた文化や慣習、民族性等の属性をはぎ取って、純粋に数理や経済の世界だけに置き換える作業が必要なのだろうと思う。単純にGDP、人口や産業構成、外貨準備高等の公表された諸数値だけをピックアップして、数式や法則にあてはめれば良い、というものではなかろうと思うのである。むしろ、氏の言うように普遍的な数字の世界から眺めよう、とするのは案外に困難な作業ではなかろうか。高度成長との比較でも述べたが、氏自身の適用する経済論理も、このような文化の特殊性をはぎとった上で見ることが可能な現代日本だからではなかろうか、と思うのである。小室直樹氏は、数理にも詳しいが、中国の共同体論などの文化史的な観点からの批評にも長けていた。高橋氏にも数理や経済への洞察に加えて、このような文化史的観点にもっと視点を広げれば、論説に更に厚みが加わると思う。