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小生には、従前より兵頭二十八氏の持論に理解しがたいものがひとつある。それは、対米開戦は日本の米国に対する侵略戦争である、ということである。ここでは兵頭氏の「北京は太平洋の覇権を握れるか」を例にして、この点を論じる。
「・・・一九二八年の『パリ不戦条約』が公許した戦争は、『セルフディフェンス』(自衛)のみであった。この価値観は、こんにちなお近代国家のあいだでは維持され、支持され、承認され続けている。」(P241)というのである。
氏は、パリ条約を文言通り解釈して日本の対米侵略を言うのである。そこで国際法の専門家の見解を閲してみよう。「パル判決書」が本の山の中に埋もれて見つからないので、孫引きになるが、中村粲氏の「大東亜戦争への道」では「パル判決書」による、自衛権の問題に関してのケロッグ国務長官の言明を紹介している。(同書P286)
「自衛権は、関係国の主権の下にある領土の防衛だけに限られてはゐない。そして本条約の下に於いては、自衛権がどんな行為を含むか又いつ自衛権を発動するかについて各国みづから判断する特権を有する。その場合、自国の判断が世界の国々によって是認されないと云ふ危険はあるのだが。合衆国は自ら判断しなければならない。・・・そしてそれが正当なる防衛でない場合は、米国は世界の世論に対して責任を負うのである。単にそれだけのことである。」
これに対して日本政府では、田中外相が同意を表明している。これは自衛の範囲は自国領土に限られないと主張したものである、と中村氏は説明する。そして中村氏は張学良の満洲政権に対してソ連が侵攻したことに対して、米英仏伊は不戦条約の義務の注意喚起をしたが、ソ連は自衛行動と反論して、第三国の干渉を拒絶したことを記している。また、米国は条約に公式留保をしたわけではないが、上院外交委員会は、自衛権とモンロー主義のために戦う権利及び違反国に対して条約を強制しない権利を留保する「解釈」を提出したことも記している。
要するに不戦条約は締結早々事実上の無効なものになっていたのであって、兵頭氏の言うような「この価値観は、こんにちなお近代国家のあいだでは維持され、支持され、承認され続けている」というような事実は大東亜戦争時点では、豪も認められないのである。ところが「東京裁判」では突如として日本の不戦条約違反が持ちだされた、という次第である。
パル判事と同様に日本の国際法の専門家であった立作太郎氏の「支那事變國際法論」にもパリ条約への言及がある。以下引用は、旧漢字と仮名使いは適宜、新漢字新仮名使いに改めた。
「亜米利加合衆国の不戦条約に関して為せる言明に依れば、亜米利加案に於いて留保されたる自衛権なるものは、各主権国の当然有する所にして、一切の条約に含蓄さるる所であるとし、自衛上戦争に訴うべき事態を存するや否やを認定するを得る者は当該国の他に存せぬと為したのである。・・・是の如くなれば不戦条約は、少し語を強めて言えば、実際上初めより有れど無きに等しきこととなるのである。」(P10)と断ずる。更に注釈に米国の態度について次のように記す。
「不戦条約に関する千九百二十八年六月の亜米利加合衆国の通牒中に於て、次の言明を存する。
不戦条約の亜米利加案中に於て、自衛権を制限し又は之れを侵害すべき何物をも存せず。自衛権は各主権国の当然有する所にして、一切の条約に含蓄さるるものなり。各国民は如何なる時に於ても、又条約の規定如何に関係する所なく、他の攻撃又は侵入に対して其領土を防衛するを得べきものにして、自衛上戦争に訴うべき事態を存するや否やを認定するを得る者は当該国の他に存せず。若し適正の場合なれば世人之を賞賛し、其行為を非難すること無かるべし。
不戦条約に関する亜米利加合衆国元老院の外交委員会の報告書中に於ても、各国民は常に、又条約の規定に関係なく、自ら衛るの権利を有し、何が自衛権を有し、何が自衛権を組織するや並に自衛権の必要及び範囲の点の唯一の判定者であると為した。亜米利加合衆国は屢々モンロー主義を以て自衛権に基くとするの主張を為したことに注意すべきである。モンロー主義の主張が国際法上の厳正の意義における自衛権の範囲に極限されぬことは言を俟たない。」(P11)
当然英国も又自己都合の留保を声明しているのは言うまでもない。
立氏は当時の日本の国際法の権威であり、前掲書は支那事変の最中の昭和十三年に出されたものであり、当時のほとんどの戦争が支那事変と同様に、宣戦布告を伴わない、不正規の「事実上の戦争」であったことを前提とし、国際法が支那事変にいかに適用されるべきかを論じたものである。ちなみに、現在までを振り返っても、宣戦布告をして開始された戦争は例外である。
現今の日本の史家が、国際法を自分の思想に合わせて勝手に解釈しているのに比べると、立氏は立論は流石であり、このような著作が書かれたこと自体、当時の日本人が如何に真剣であったか感心する次第である。そして日本は日清日露戦争時代と違い、支那事変や大東亜戦争においては国際法を顧慮することがなかったとする言説が、いい加減なものであることを、この本は立証している。
いずれにしても、不戦条約が如何に理想的言辞を並べようと、空証文に過ぎないと国際的に扱われていたという見解は、中村氏にも立氏にも共通するが、立氏は中村氏よりさらに踏み込んで、自衛であるか否かは、当該国が解釈するものである、という留保と通念があったことを明確に示している。
また兵頭氏は「・・・『経済制裁』の実施は、戦時国際法上の、『先に手を出した』ことには該当しない-という国際慣行についてだ。(P241)」、としてこんな常識も知らぬ人間が日本には多い、というのだが、これは誤解を招く表現である。「嘘だらけの日米近現代史」で倉山氏が「侵略戦争の定義は『徴発されないのに、先に手を出した』です。」として、「米国内日本人の資産凍結や石油禁輸などの経済制裁、『日本は中国から撤退せよ、満洲事変以降に日本がしたことは認めない』との内容を意味するハル・ノートなどは完全に挑発に当たります。中立国のくせに中国の肩を持ち『制裁』などと介入しているのだから完全に挑発です。ハル・ノートの内容にしても、アメリカが逆のことを言われたらどうでしょう。『ハワイをカメハメハ王朝に返せ』『アメリカ大陸を先住民に返せ』などと言われて、アメリカが黙っているでしょうか。」(P89)と言うのたが、正に至言である。頭氏の言説は倉山氏の見解が間違っている、と誤解させるのである。
立氏は自衛か侵略かは当該国が判断すべき、と紹介しているが同時に「若し適正の場合なれば世人之を賞賛し、其行為を非難すること無かるべし。」という言辞も紹介している。すなわち日本は米国に挑発されたのだから、侵略ではなく自衛であると主張するのは正に正当である、ということであり、倉山氏の言うことと符合するのである。つまり日本は米国などの言う「自衛か否かの解釈権は当該国にある」と言う解釈を使って、大東亜戦争は「自衛戦争である」と言っているだけではなく、国際的にも正当と認められるべきものである、ということである。不戦条約が現実と乖離した単なる理想的言辞ではなく、国際法上の有効性を持たせるには、日本の対米戦争を不戦条約違反ではないと認めなければならないのである。