毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

航空記事の怪

2014-05-25 15:02:56 | 軍事技術

1.1990年モデルアート社刊の第2次大戦ドイツジェット機

航空機に関する雑誌や刊行物は多い。その中で、飛行機の性能等について書いた記事がある。鳥養鶴雄氏のように、設計の経験のある人物の記事は別として、多くの記事において、子細な機体のディティールには驚くほど詳しいにもかかわらず、一方で初歩の物理さえ知らないと思われる記事が少なからずある。

 航空機そのものではないが、以前、艦艇には左右に非対称性がないにもかかわらず、航空母艦の艦橋は、わずかな例外を除いて、右舷に設置されているかを説明して、世界の艦船誌の投書欄に掲載されたことがある。読んでいただければあまりに単純な話だが、その程度のことを日本の関係刊行物で説明したものが無かったのである。ここでは、その例を掲げる。 

He280の記事である。曰く「・・・尾輪式では、ジェット排気が水平に流れず地表にあたってしまい、離着陸時のパワーを殺してしまうので、前車輪式は理にかなっていた。」という。物理の初歩さえ知っていれば、こんなことは考えない。推力はガスを高速で噴出する反動で得られるから、噴出したガスが、その後どこに当たっても推力は変化しないのは自明である。

初歩的な例えをすれば、ボールを投げるとボールが進む反対方向に、人間は押される。しかし、人間の手を離れたボールが、その先地面に当たったからと言って押される力に変化はないのである。航空技術に関する記事を書く者が、この程度の物理を理解していないのは不可解である。

 もっともジェットエンジン機の前車輪式は、高温のガスが、滑走路に直接当たらないと言うメリットはある。

 2.ミリタリー エアクラフト・1998年3月号

 零戦五四型の記事である。プロペラによる推力は直径が大きいほどよいことと、日本機は軽量化のためにプロペラ直径を小さめにとる傾向があることを述べたうえで、次のように書く。

  話を五四型丙に戻すと、直径が10cm増えたことにより、推力はざっと5%も増える計算になる。「たった5%」というなかれ、これは大変な値である。これで最大速度と上昇力は2~3%増えることになる。五四型丙による性能向上は実はエンジン換装ではなく“プロペラ換装”による可能性がある。となると、果たしてエンジン換装は必要だったか、という深刻な疑問も生じる。結論から先に言うと「エンジンを換装せず「栄」を改良してプロペラ直径を伸ばすという手もあったのではないか?」ということである。

・・・「栄」系列は日本で最大の量産エンジンで、基本性能も優れている。このエンジンの減速比をもう少し大きくして、プロペラ直径を3.15mとすれば同じ結果が得られたのではないか。

 というものである。これは金星エンジンに換装したにもかかわらず、最大速度の向上が2~3%程度でしかないことから考えた結論であろう。この文章を総合すると、エンジンの出力が増えようが、増えまいが、プロペラの直系の増加によって推力は増加するから、最大速度も増加する、という実に奇妙な結論となる。

 プロペラ直径を増やして推力が増える、というのは風呂ベラの断面の寸法も形状も変えず、回転数もピッチも変更しない、という場合である。それはエンジン出力を増加しなければ不可能であるのは、明白である。だから筆者が自ら書くように、プロペラ直径を増やして回転数を落とさないと栄エンジンでは10cm増えたプロペラを回せないのである。当然回転数を落とせば、金星エンジンと同じ推力は維持できない。この文章はこういう矛盾を平然と犯している。

 百式司令部偵察機の例を見よう。Ⅱ型は離昇出力1,080馬力のエンジンで604km/hの最大速度を得ている。三型は離昇出力1,500馬力のエンジンで630km/hの最大速度に向上している。しかしプロペラ直径は同じ2.95mである。先の文章の理論ではこのことを説明できない。


書評・高橋是清伝・津本陽・幻冬舎

2014-05-24 14:21:00 | 歴史

 今の僕らの常識から考えたらすさまじい人生である。宮澤元総理が総理大臣になりながら、大蔵大臣にカムバックしたことをもって、平成の高橋是清と自称したが、優等生で平穏に過ごした宮澤にはふさわしくない。ぜんぜん似ていないのである。

 アメリカに語学留学したつもりが、いつの間にか奴隷に売られていた。憤然と相手の不正を正し、何とか切り抜けて日本に帰ってくると、英語優秀ということで、わずか十六歳で大学南校の教授手伝いとなる。正規の語学留学者よりも英語優秀であったというが、ものすごい努力をしたのであろうが、この点が一切書かれていないのが残念。この時代の人は豪放磊落の一面もあるが、努力は尋常ではない。命をかけているというに等しい。

 ところが遊びたい生徒にだまされて大学からカネを持ち出して、一緒に遊ぶうちに芸者遊びに熱中する。これがばれると敢然辞職するが、同情した芸者に囲われて吐血するまで飲み続ける。一晩3升飲むというからすごい。「日露戦争物語」というコミックに、是清が芸者の襦袢を羽織って、昼間から飲んだくれている描写があったが、本当の話だったのだ。

 ところでビッグコミックスピリッツに連載された、このコミック、いつの間にか連載が消えてしまった。中国人、朝鮮人の敗北を描くので、その筋からの抗議で小学館が連載を打ち切ったのだろう。今の出版社は根性なしである。この漫画、明治の偉人をけっこうリアルに描きバンカラな風潮を良く表現していて秀逸だったのに残念。日本の国もだめになったものである。予言する。日本は滅びる。

 閑話休題。そこで友人に同情されて、株屋、牧場経営など点々とする。みな頼まれると断れないので、せっかく財産や地位を築いても簡単に職を変えてしまうのである。ペルーの鉱山経営に行ったときは、ろくに調査もせずにインチキ鉱山をつかまされてしまう。すると連れてきた鉱夫たちを救うために、相手をだまし返して損害を最小にして逃げ帰るのだが膨大な借金をする。これも自宅を全て売り払って返済に充て、借家住まいになってしまう。

 高橋のすごいのは、転職したり遊んだりするのに多額の借金を繰り返すが、きちんと自分の責任で返済していくことにある。その後日銀副総裁から総理大臣に登りつめるのは有名な話だが、その間信念に合わなければ簡単に辞表を書いてしまう。しかし、ただ逃げるのではなく、後に問題なきよう処置していくからたいしたものである。最後に大蔵大臣となったとき、経済政策のために軍人に嫌われてテロに倒れるのは周知のことだが、これは時代のなせる業でしかない。かつて緒方竹虎が喝破したように、政府部内の軍人はサラリーマンに過ぎない。政府の軍人が予算獲得で頑張れば、それに対して予算削減で対抗するのは、当時の風潮では当然のことである。


日本の戦艦改装と航空機の性能向上の不合理

2014-05-18 16:22:02 | 軍事技術

 日本の戦艦は、竣工から何回も改装されていることが知られている。主機の換装ということさえ行われている。特に外観上明瞭なのは、艦橋構造物が頻繁に改装されていることである。ただし欧米の戦艦の艦橋の大改装の場合、コンテ・カブール級のように、三脚檣から近代的な塔型艦橋に改装しているのに対して、基本の三脚檣、あるいは長門型のように7本柱の基本はそのままに、次々と艦橋施設を追加し続けていることである。

 このため、最終形は極めて複雑な構造となり、パゴダマストと呼ばれている。この方法は、基本構造が変わらず、少しづつ改装していくことができるため、一気に塔型に変えてしまうよりは、その時々に於いては簡単である。その代わり、最適な艦橋内配置が出来ないこと、構造的に無駄が多くなる欠点がある。すなわち同じ機能を保持するためには重量の無駄が多くなる。例えば艦橋トップに追加された測距儀を支えるために甲板から巨大なガーダーを追加したと説明されている。だが、このガーダーは、実際には、測距儀だけのためではなく、小改造の繰り返しで重くなった艦橋を支える三脚支柱の強度が不足になったためであろうことは想像がつく。小改装の繰り返しであのパゴダマストを作るのは、一回づつの作業は容易ではあるが、最終的には効率が悪い。あれだけ高い艦橋でトップヘビーにならないのは、各フロアには前面と側面の一部にしか壁がない、鋼板を断片防御すらない薄っぺらのものにしている、などの無理を重ねているからであろう。またフロア面積や配置も効率が悪いものになって、指揮には不便だろう。

 それならば、古い艦橋を撤去して新しいものを設置し直すのは、鋼材の無駄になるのだろうか。当時の日本の鋼材はアメリカから輸入したスクラップが使われている。つまり、撤去した艦橋は別な用途に使えるから、トータルとしての鋼材のロスはない。それならば、英米仏伊海軍が行ったように、小改装での対応はある時点で見切りをつけて、艦橋の改装は最適な構造となるように、全面的に改設計すべきなのである。

 それなら飛行機改造の考え方はどうか。これも米英独ソ仏伊の行きかたと日本の場合は大きく異なる。日本の場合は、極力改造の幅を少なくして、エンジンの大幅パワーアップの場合などは全く新設計にしている。戦艦とは逆なのである。確かにエンジンにあった最適な設計をし直すことは、全てにとって望ましいことである。しかし、これにもデメリットはある。完全な再設計であるために、風洞実験など基礎的な設計過程を一からやり直さなければならない。生産に使う冶具の多くは全く新規に作らなければならない。つまり新設計は実に労力と時間と資源のロスが多いし、時間もかかるのである。一品作りの戦艦と、大量生産の相違がここに現れている。

 つまり戦時中に新規設計を行うと、大幅に性能向上はするが、戦争に間に合わない可能性があり、次善の策として既存の機体の改造で行えば、戦争に間に合うのである。現に日本軍で大東亜戦争で開戦後に開発を開始したものは多数あるが、実戦に間にあったものは彩雲だけである。この点は他の国で大同小異である。Me109もスピットファイアも戦前のかなり早い時期に開発され、改造を続け最後まで第一線で活躍し続けた。両機より後に開発されながら、細々と改造を続けて旧式化していった零戦とは大違いである。陸軍も一式、二式、三式、四式、五式戦闘機と毎年新作の戦闘機を採用し続けた。紫電シリーズと五式戦が、数少ない例外である。

 欧米での例外は、米海軍の戦闘機である。F4F、F6F、F7F、F8Fと次々と新規設計を行っている。しかも、F6F、F8Fは基本的に同じエンジンを搭載している。これは、零戦やFw190の設計思想に強い影響を受けたことで説明されている。しかし、どちらも中途半端な機体であったことは、両機とも戦後の発展性もなく放棄されて、F4Uだけが改良を繰り返して延命されていることで証明されている。

 日本の戦車や軍用機は、戦前戦後共通して、改造により性能向上を行うことを嫌う傾向があるのは別項で述べたので、ここでは述べない。

 


日本人に「宗教」は要らない・ネルケ無方・ベスト新書

2014-05-17 13:05:11 | 文化

 日本人には「宗教心」がないのではなくて、キリスト教のような教義がなくても、自然に宗教心を体現しているのだと自然に語っている。キリスト教をよく知っている元プロテスタントの言うことだから、真実味がある。そしてキリスト教やイスラム教は他の宗教や神を否定し、争うが日本人は寛容であるという。

 平易に説明しており一読の価値はあり、具体的な説明は必要はない。日本人よりも日本の宗教心を理解している、とは言えるが、ドイツ人らしい残滓はある。ヒトラーを徹底して否定して、ドイツ民族を擁護する。ドイツの移民問題も、極めて軽く扱っているのは故意が感じられる。

 人生の苦しみを受け入れよ、とか独善を否定しているが、この手の立派んな人格の宗教人に共通する疑問がある。道徳心や正義感に基づく怒りをどうしたらいいのか、ということである。例えば「『大心』とは、海のような深い心、山のような大きな心のこと。海が、『綺麗な川だけ流れてきてほしい。汚い川はこないで!』と選り好みしたら、大きな海にはならない。海は、すべての川を自分の中に受け入れている。」(P208)と書くが、これを実践できるのだろうか。

 ここには汚れの原因は書いていない。従ってネルケ氏は違法な廃液を工場が垂れ流しても受け入れろ、といっているに等しい。そんなことは寛容な日本ですらしてこなかったし、対策をしたのは正しい。もし、違法でないにしても健康上の限度というものがあるから、法律で規制するように運動するであろう。それには、正義感による怒りも後押ししているであろう。そうでなければ、昭和40年代の公害はなくならずに健康被害はなくならない。人間にはこうした最低限の正義感というものは必要なのである。

しかし、確かに正義というものは相対的なものである。ある人には正しく、あるものには正しくない、ということはある。相対的なものだから諦めよ、というわけにはいかない。現実には怒りもある。それを貫徹したことが日本の公害を減らし、暮らしやすい日本を作ったのも事実である。

例に挙げたメルケ氏の言葉では、これにどう対処したら分からないのである。実は多くの仏教関係の本を読んでも、この点に言及しないので役に立たない。むしろ過激かも知れないが、キリスト教の方が神の名のもとにおける正義を認めるから、行動規範となれると言えないこともないのである。


Me262の後退翼の不思議

2014-05-10 15:18:48 | 軍事技術

 Me262は世界初の実用ジェット機でありながら、既に後退翼である。その理由は、当初の設計が直線翼であったのに、装備するエンジンの重量が予定をはるかに超えたために、重心を調節するために後退翼とした、というのが定説である。そうではない、という記事を読んだ記憶はあるが、誰の記事か思い出せない。

 それにしてもこの定説は実に奇妙である。日本でも九七重爆が後ろに行き過ぎた重心による縦安定改善のために僅かながら後退角を増加した、という例はある。Me262の場合も主翼の取り付け位置を変更するより後退角を増加する方が設計変更が軽微で済む、という説明である。確かに主翼の取付け位置を変更するのは大幅な設計変更になるが、エンジンの主翼への取り付け位置を変更するのは簡単である。

通常、飛行機の重心は25%翼弦長の位置に置く。本機の場合、エンジンは主翼下にある。従って、エンジンの重量が大幅に増えたところで、重心位置は大きく変化するようには思われない。つまりエンジン重量の増加のために、18度もの後退角をつけて重心より後方の翼面積を増大させる必要があるように思われない。更に奇妙なのは最初はエンジン外翼の部分だけ後退角をつけていたのだが、すぐに内翼の前方に翼面積を増やしている。

これだとせっかく後退翼で主翼を後方に移動したのに、その効果が幾分かでもキャンセルされてしまうはずである。もし後退角が大きすぎたために調整するのなら、後退角を減らせばいいだけである。この矛盾についての説明をした記事を見たことがない。確かに設計者自身が後退翼としたことは僥倖であった、と語っている(世界の傑作機・No.2・文林堂、P20)のだそうだから、定説は間違いだとも断言できない。

しかし前述のような理由で釈然とはしない。18度程度の後退角では効果は少ない、とも言われる。しかし最近の亜音速機では、この程度の後退角の設計も稀ではないのである。また、僥倖だ、と言ったのは結果的に後退角の効果があったと判断したから言ったのである。当時ドイツ航空界では、後退翼の効果はよく知られていた。しかし、後退翼が大きいと、当時では、予測不明な色々なリスクの可能性を伴う。

初のジェット機を実用化するためには、リスクの少ない、比較的浅い後退翼で試してみたのではなかろうか、と思うのである。勝手な想像だが、エンジンの重心調整云々は、後退翼を採用してみたいために、別な言い訳を発注者に言ってみたのかもしれない。

 


米国が尖閣を日本領と明言しない訳

2014-05-03 15:51:31 | 政治

 保守の人たちでも、米国が尖閣を日米安保の対象となると明言したことに安堵し、日本の領土であるとは言を左右にして言わないことに疑問を呈しない。日本に一方的に肩入れせず、中国が尖閣を自国領と主張していることに対してのバランスを取るのは、米国の政治家としては当然であると認めている様である。だがこれは、実におかしなことである。例えば九州が中国領である、と主張した時にアメリカは同様に日本領と明言しないとしたらどうか、と考えればそのおかしさが明瞭になる。

 一国が独立国と国際法上認められるかどうかは、どれだけ多数の国が独立国として承認する、すなわち外交関係を樹立しているかどうかにかかっている。同様に独立国として日本を認めている米国は、日本の一部の領域が領土が日本に帰属していることを明確に承認しているのであれば、第三国がそこを自国領と主張した場合、米国は日本領と明言するのは当然であり日本へのサービス過剰などではない。

 明言しないとすれば、米国は領土問題が係争中であるから、中立の立場をとり、当事国同士の解決に委ねるということを表明したことになる。つまり、オバマ大統領らの米政府首脳が、尖閣は日米安保条約の対象となる、と明言したことと、矛盾していると考えるのが国際法上普通である。

 ところが、ことはそう簡単ではない。安保条約では「日本国の施政の下にある領域」において武力攻撃にあった場合に日米は共同防衛にあたる、と言っているのであって「日本の領土」とは言っていないのである。施政権とは何か。司法、立法、行政を行う権利であって、領有権とは全く同一ではない。領有権のある領域には施政権はあるが、その逆は必ずしも成り立たない。尖閣は沖縄の一部である。しかも、沖縄返還協定で日本に返還されたのは「施政権」であって「領土」ではない

 従って、日米安保が尖閣に適用される、ということと、日本の領有権を認めてはいないと言うことは矛盾しないのである。しからば、返還前の沖縄はどういう立場にあったのか。沖縄にはアメリカの国内法が適用されていた。だから車は右側通行であった。しかし、沖縄の住民には、アメリカの参政権はなかった。大統領を選ぶこともできなかったのである。

これに似た立場にあるのが現在のプエルトリコである。プエルトリコは米西戦争でスペインからアメリカ領になった。沖縄同様、自治権はあるが米国での参政権はないが米国の領土である。これを植民地という。しからば沖縄は、アメリカ領であったのか。「正義の国」アメリカは、第二次大戦で領土の獲得はしないと宣言した。従って、沖縄はアメリカ領になってはおらず、領有権の内施政権だけ奪ったのである。そうなら領土主権すなわち、領有権の内施政権だけがアメリカに奪われたから、その残りの領土主権の一部は依然として日本にあったということになるが、これもそう単純ではない。

アメリカは日本から台湾を奪ったが、日本が日清戦争で割譲を受けたことを理由に、領有権を中華民国に与えた。アメリカは日本から沖縄の領有権全部を取り上げて、アメリカ自身は施政権だけ受けとり、領有権全体は宙ぶらりんにした、と言いうるのである。そうでなければ、日米安保が「日本国の領土」にではなく、わざわざ「日本国の施政の下にある領域」と限定したことの説明ができない。

通常、施政権と領有権は違わないものとして混同されている。現に沖縄返還も「領土返還」と騒がれた。日米安保は、日本には領有権全体を持たず、施政権しか持たない領域もあることを明示したのである。このように沖縄の領有権をアメリカが不明瞭にした理由を、故意に日本と中国の外交関係を不安定にしておこうという意図がある、という説がある。しかし、その明確な証拠はない。だが、現実に日本が中国に付け込まれる余地を作っているのも事実である。

 はっきり言おう。アメリカが尖閣は日米安保の対象であると言ったのは、むしろ婉曲な言い方なのである。アメリカが明確に、尖閣諸島は日本の領土である、と明言さえすれば中共は尖閣に領土的野心を持つことを断念するのである。