毎日のできごとの反省

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津本陽よ、お前もか

2010-09-23 12:49:20 | 軍事

書評・八月の砲声・津本陽

 ノモンハン事変とかの辻政信の事を書いたノンフィクションの「八月の砲声」を読んだ。正確には三分の二ほど読んで、馬鹿馬鹿しくて投げ出した。剣道の達人で、信長を書いた津本氏なら、従来流布されている、独善的狂信的な辻と言う類型的な見方をしていないかも知れない、と言う期待があったからである。

 最初にがっくりしたのは、三〇ページで辻が偵察を軽視すると言って持ちだした話である。陸軍が保有していた九七式司令部偵察機は優秀な能力を持っていたから、ソ連領を偵察すれば当時のソ連軍の状況を容易に把握できたのに、辻はしなかったと批判する。ところがこの時点では、日ソはソ満国境を挟んで対峙していたとはいえ戦争は始まっていないのである。だから偵察機をソ連領に飛ばせば、戦争を誘発するのは確実なのである。日本軍の戦争を批判する津本氏は一方で、ソ連領を偵察して戦争を挑発しないと辻を批判しているのである。なぜ冷徹なはずの津本氏が軽率な批判をするのかいぶかしむ。この本は図書館で借りた本で3ある。この本には以前借りた人が書いた書き込みが一箇所だけある。それは辻が起案した、関東軍の「満ソ国境紛争処理要綱」について述べた次の箇所である。

 処理要綱の全文に、ソ連軍に対する戦意がみなぎっている。また何の裏付けもない、感情的としかいいようのない、ソ連軍戦力の過小評価が見えている。

というところに「?」が付けられている。よく読めば、「処理要綱」には、ソ連を刺激しないように慎重に行動するとともに、不法に対しては断固闘う、というのが全体に貫かれているから、かつての読者が?を付けたのは当然であろう。「いったん戦えば兵力の多少、理非のいかんにかかわらず・・・」とあるように過少どころか、ソ連の戦力の評価自体がないのである。ソ連とはしばらく前に張鼓峯事件で戦っているから警戒心があって当然である。現在の北朝鮮や中国では緊張状態になくても、対外的に戦闘的なメッセージを発する事は珍しくない。それに比べ当時の日ソ関係を考えれば、この要綱は中立的とも言いうる位なのである。資料の考証もせず、思い込みで書いているのに過ぎない。

 多くの識者と同様に、津本氏も昭和の日本軍の兵站、つまり弾薬や食糧などの物資の補給を軽視した事を批判している。この点はどういう立場であれ一致しているから津本氏だけの問題ではない。曰く、日清日露戦争の日本軍は兵站を重視していたのに、昭和になって忘れられた、と。私はこの点にも疑問を持つ。明治と昭和では、兵器の質も量も格段に違う。日本軍のために弁じれば、昭和の日本では兵器の発達に対して兵站を確保するだけの経済力が追いつかなかったのである。かの石原莞爾が総力戦のためにまず国力を養う必要があるから、対外戦争を実施できる状況にない、と言ったのは正にこの点である。

 この石原の卓見を評価する者たちも、日本軍は兵站を軽視したと批判するのは矛盾しているのである。日本は第一線の戦闘用の兵器を作るのにせいいっぱいどころか、それさえ他国に比べれば充分とは言えなかった。第一線の兵器が充足できないものが、兵站を充足できるはずはない。この点を無視した批判は意味をなさない。なぜなら批判した者自身が当時の日本軍の製造計画を立案する立場にあったとしても、兵站を重視できなかっただろうからである。日本の兵器が充足されていなかった例に戦艦の建造を見て見よう。なぜなら日本は日露戦争の戦訓から、艦隊決戦の主力として、何より戦艦の建造に国家の総力を傾けてきたのだから。各国海軍は軍縮条約開けの前後から、競って戦艦の建造を開始した。それが相次いで昭和15年以後に相次いで竣工している。

 戦艦は第二次大戦で役割を終えたからこれらの戦艦は、最後の戦艦と言えるものであった。完成したのは、日本は大和級2隻。これに対して米国はノースカロライナ級、サウスダコタ級、アイオワ級合わせて10隻、英国はキングジョージⅤ級、ヴァンガード級6隻。ドイツはシャルンホルスト級、ビスマルク級4隻。フランスはリシュリュー級2隻だがあと2隻が第二次大戦により建造中に中止。別にその前の計画艦2隻が昭和12,13年に2隻竣工している。イタリアはヴィットリオ・ベネット級3隻竣工。ただしあと1隻は進水後第二次大戦により中止。

 日本は信濃や改大和型計画があったと言うなかれ。米国は更に2隻が建造中であったし、モンタナ級の計画もあったし、ドイツにもZ計画その他と言う遠大な計画があったのである。こうしてみると、英米には圧倒され、海軍国でないはずの独伊仏より建造数は少ない。もちろん総排水量でも劣っている。当時の戦艦は国力の象徴であったから、日本がせいいっぱい背伸びしてこの程度だったのである。陸上兵器の代表たる戦車や大砲の製造などは、これよりはるかに劣悪な状況であった。まして兵站は劣っていても当然であったろう。私がこの事を強調するのは、日本軍の弁護のためばかりではない。多くの識者は日本軍の批判はしても新国軍たる自衛隊の事は考えないのである。自衛隊にしても、制限された予算から、第一線の兵器を整備するのに汲々としているのである。自衛隊では、トイレットペーパーも隊員自前のケースすらあるという悲惨な状況である。弾がないどころではない。

そればかりではない、航空自衛隊にしても海上自衛隊にしても、旧国軍に比べても第一線兵器のラインアップのバランスが悪い。専守防衛と言う建前によるばかりではなく、米軍を補完する機能しか与えられていないためにバランスが悪いのである。例えば海上自衛隊は対潜能力に特化したため、一時は100機もの対潜哨戒機P3Cを保有していたと言う極端な状況にある。津本氏ですら、旧軍批判の常識に囚われている。