毎日のできごとの反省

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栗田艦隊の謎ではない反転事件

2020-06-19 14:10:28 | 大東亜戦争

  大東亜戦争の海戦史で必ず語られるのが、フィリピン沖海戦の「栗田艦隊謎の反転」である。空母を基幹とする小沢艦隊が囮となって米機動部隊を北方に集めている隙に、栗田艦隊がレイテ湾に突入して、米戦艦部隊と上陸部隊を撃滅する、というものである。そしてハルゼー艦隊を北方に誘う囮作戦自体は成功した。ところが米艦上機の執拗な攻撃で武蔵などを失った栗田艦隊は、レイテ湾の目前で突入を行わず、北方の敵機動部隊を攻撃する、と称して帰投してしまったのである。

 これに対して、レイテ湾の米戦艦群は西村艦隊との夜戦で主砲弾を消耗していたから、突入したら大和以下の栗田艦隊が撃沈して、上陸部隊も艦砲射撃で撃滅できたから、栗田中将は臆病風に吹かれたのだと言う説が戦後定説であったように思う。その後、レイテ湾の米艦隊の残弾数を算定して、実際にはかなり砲弾が残っていたから返り討ちになってしまうのが落ちだし、上陸は既に成されていたから、栗田艦隊は空の輸送船を砲撃出来たのに過ぎない、と言う説が出てかなり信憑性があるようである。また囮作戦の成功を栗田艦隊が受電しなかったので仕方ない、と言う説もある。肝心の栗田は戦後も生き残ったが真相を語らず、僅かに「疲れていたからだ」とだけ語ったとされている。

 最近はネットなどでも、囮が成功しようとしまいと、小沢艦隊の全滅を犠牲にした、乾坤一擲の作戦なのだから、突入した後の成否に関係なく、予定通り突入を決行するのが当然である、と書かれているがその通りであろう。これ以後連合艦隊の戦艦群は呉で浮き砲台となって組織的行動は取れず日本海軍はフィリピン沖海戦で壊滅したのに等しい。それ以後の海戦と言えば僅かに、何の戦果もない大和の沖縄特攻作戦を行っただけだから、栗田が戦艦を保全して帰ったのには意味が無いのである。

 私にとって不思議なのは、北方にいる機動部隊を攻撃する、といって実質逃避したことに対する批判が少ないことである。栗田艦隊がレイテ湾突入を断念したのは、サマール沖海戦で艦隊の隊列が混乱したために米空母群の追跡を諦めて艦隊の陣形を再度整えて、再度レイテ湾に突入しようとしたところ、北方に米機動部隊がいるという無電があったから突入を止めて機動部隊に向かった、というのである。これがどんないい加減な話かと戦史家は思わないのであろうか。サマール沖で戦った相手は、護衛空母艦隊に過ぎなかったが栗田艦隊は正規空母群すなわち機動部隊と見做していたのである。目の前にいる機動部隊から逃げ出して、いるかいないか分からない不確かな北方の機動部隊を追跡する、と言うのはどう考えても理解できる話ではない。

 栗田が陣形を立て直して、レイテ湾への突入を止めるのなら、まず現に確実にいる機動部隊の攻撃に再度向かうべきであろう。北方に機動部隊ありとの無電を発した日本軍部隊は未だに知られていない。護衛空母を救うための、あるいはレイテ湾突入を防ぐための米軍の偽電であるという説もある。果ては入電は栗田艦隊の司令部のでっちあげである、という説さえある。だが無電の真偽などはどうでもよい。北方の機動部隊を攻撃するため、ということを口実に戦場から逃げ出した、と言うことだけが確かなことである。

  ただ一言だけ日本海軍のために弁じたい。かの伊藤正徳氏は「連合艦隊の最後」においてフィリピン沖海戦について「無理の集大成であり、そして無理は通らないという道理の証明に終わった」と書いている。実に正しい評価である。しかしレイテ湾米軍上陸のあの時点で、連合艦隊は他にいかなる効果的な作戦を実施すべきであったろうか。寡聞にして代替の作戦計画の提案した戦史家を小生は知らない。この作戦の場合、代替案のない批判は無意味ではなかろうかと思うのである。



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