毎日のできごとの反省

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なぜ米海軍は18in砲を採用しなかったのか

2014-07-21 12:45:07 | 軍事技術

なぜ米海軍は18in砲を採用しなかったのか

 

 米海軍は、アイオワ級の後継のモンタナ級で、大和級に迫る基準排水量6万トンを超える大型戦艦を計画したにも拘わらず、主砲口径は16inにとどめた。なるほど三連装砲が3基から4基に増えて、装甲も強化しているから排水量の増加は当然である。だが、排水量を大幅に増やしたのに、なぜ大和のように18in砲にしなかったのかという疑問が、長年残った。もしかすると、その答えは意外なところにあったのかも知れないと、最近ある本を読んで考えたのである。

 それは「続・海軍製鋼技術物語」(アグネ技術センター刊・堀川一男著)(以下続編という)である。続とあるように、本編があるのだが、続編ですら100ページで1,600円と高い、本編はその倍以上する。問題は高いことばかりではない。内容は金属材料学にかなり精通していなければ、猫に小判、豚に真珠である。

 小生も通り一遍の金属材料学を勉強したが、VHだとか、NVNC鋼板などという軍艦に使用する装甲鈑については、ちんぷんかんぷんである。現在でもほとんど公開されていない、兵器に関する工学的知識がなければ完全には理解できない。

逆に言えば、内容が理解できれば値段は安い位だと言える密度の濃く貴重な本である。まだ続編ならば、多くが米軍が試験した日本の砲弾と装甲鈑のデータ集である。これならば、小生にも少しは読めるところがあると買った。もっとも1か月後には本編も買ってしまったのだが。

 閑話休題。続編P61には「開発の当初は九一式徹甲弾の領収試験は表7.1のように非浸炭表面硬化甲鈑のVHと均質甲鈑のNVNCの両方で試験していた。ところが大口径弾はNVNCに激突すると弾体が破壊するので実施されなくなってしまい、・・・」とあり、8inだけがNVNCで試験し、戦艦に使われる14~18in砲弾では、VHで試験していた表が次に示されている。

 つまり、口径が大きくなるほど、徹甲弾は均質甲鈑であるNVNCに衝突すると貫通する前に弾体が壊れてしまいやすくなるということである。適切な例ではないが、大きさの効果について説明しよう。昔年の航空機用の大型液冷エンジンは、ほとんど全てV型12気筒だった。更に大出力にするには、1気筒当たりの容積を大きくすればよさそうなものだが、そうは単純にいかない。気筒の容積は寸法の3乗で大きくなるが、表面積は2乗でしか大きくならない。容積は発熱量に比例し、冷却効果は表面積に比例するから、気筒容積を大きくすると、冷却可能な限界が生じる。そこで、W型24気筒などのように12気筒エンジンを並べるなどして気筒数を増やして、出力を増加するという無理をした。

 このように同一技術水準の場合、大きさに限界が生じる場合がある。力学的な事例をあげられなかったが、海軍の試験結果から、主砲弾の口径にも限界があったのではないか。弾体が大型化すると、衝突時に弾体が貫通する以前に破壊してしまう傾向が強くなるのではないか。そこで発射速度や爆風が周囲に与える影響の大きさなどの、他の要因も考慮して、米海軍は16in砲弾が実用上の限界とみたのではないか、と考えてみたのである。もちろん何の証拠のない仮説ではある。

 しかし、小生にはよく分からない記述もある。本編P159には、「大口径砲弾にはCr炭化物の硬質層は無力なばかりか熱処理時に亀裂を発生しやすくするので、金と手間のかかる浸炭を省くことにした。・・・また焼き入れで表面層を硬化する方法を考えた。これが「VH甲鈑」で「大和」の建造に貢献した。」とある。ここで本編P160によれば、NVNCとVHは成分が全く同じで、鍛造その他の工程が同じだとすれば、違いは上述のように、焼き入れして表面を硬化させているか否かであると考えられる。

 NVNCが均質甲鈑であるという意味が、浸炭やVHのように焼き入れによる表面硬化もしていないものとすれば、成分が同じだから安価となるはずである。安価であり、14in以上の大口径砲弾を破壊してしまう、NVNCの方がVHよりも戦艦の装甲鈑としては適しているのではないか、とも考えられる。小生は到底両書を読み切れる知識も経験もなく、字面だけで、それも一部読んだだけで考えたのである。この仮説に自信が持てない所以である。どなたかにご教示いただけたらと思う次第である。

 


書評・皇室の本義(日本文明の核心とは何か)・中西輝政・福田和也・PHP

2014-07-19 14:55:16 | 皇室

 著者の二人とも、多くの保守の論客と同じく、日本文明の中心を皇室だとしている。それを敷衍した書である。いつものように論述を素直になぞっていくのではなく、興味のある指摘を散漫ではあるが取り上げることにする。

 皇室の祭事は、現代日本では宗教に絡むと考えられるものは、皇室の私的行事とされている。一方で、現在は歴史的に見て皇室の祭事をきちんと行っている方であろう。江戸時代には長くにわたって、多くの祭事が廃絶されていた。それを孝明天皇の二代前の光格天皇が積極的に復興され、古い形式に復活された(P72)。時期から言うと幕末に近づきつつある時代であったから、何かしら危機感のようなものがあったのであろう。

 同様に今上天皇陛下は橿原神宮その他に御親拝するなど、祭祀に極めて熱心に取り組まれており、これは陛下が日本の現状に強い危機感を持たれているのではないか(P73)、というのである。これは中国などの東アジア情勢に対する危機感と言うものもあろうが、最大のものは、皇室の安泰に対する危機感ではなかろうか。皇室が安泰であれば、対外的危機は日本は乗り越えてきたのである。

 日本国憲法は国民主権をうたっている。しかし、ヨーロッパでイギリスやデンマークなど、王室をいただく国の憲法は、「国民主権」ではないというのである(P109)。イギリスは議会と王室が国家主権を分かち合っており、両者の合意により主権行使がなされる。デンマークでは、「行政権は国王に属する」とされている。国民主権と言うのは、そもそも皇室の存在とは矛盾するのである。国民主権の概念を強引に持ち込んだのは、GHQではなく、ソ連がGHQを通して入れさせたものである(P110)。

我々の世代と異なり、このことの重要性に気づいていた当時の国会議員は「国民の至高の意志」などと言葉を変えるよう抵抗したが、結局GHQに押し切られてしまった、というのである。このことはノー天気に国民主権と喜んでいる多くの日本人がいかに不見識かの象徴である。日本人はお仕着せの思想を自らのものと信じてやまないほど洗脳されたのである。

日本人は洗脳されたばかりではない。当時の指導層自身は愚かと知りつつ、占領軍に迎合した。その典型が憲法学者で最高裁の長官になった横田喜三郎である(P118)。彼は昭和二十四年に「天皇制」という本を書き「天皇制は封建的な遺制で、民主化が始まった日本とは相容れない。いずれ廃止されるべきである」という意味の事を書いた。ところが、その後勲一等を受けている。昭和天皇に頭を下げたのである。なんと横田は東京の古本屋を回って「天皇制」の本を全部買い集め、世間の目に触れないようにする、という恥ずべきことを行ったと言うのだ。戦前の教育を受けた人間にしてこの体たらくである。まして現代のエリート層にはこの手の人間が増えている。