毎日のできごとの反省

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書評・勝つ司令部 負ける司令部

2021-06-22 16:15:00 | 軍事

勝つ司令部 負ける司令部・東郷平八郎と山本五十六 生出寿

 

 「凡将山本五十六」の著者だから内容は想像できる。対米戦に反対で三国同盟に反対していたからと、信奉者が多い山本だが、軍人としての山本は欠陥だらけだと言わざるを得ない。山本の気概とは、日米戦争が始まったら「さすが五十六さんだけのことはある」と言われたいという意味の手紙を郷里の友人に送っている(P43)という人なのだ。一方で対米戦が長期は持たない、と言っておきながら、これは見栄っ張りというべきであろう。いい格好したい、という気持ちで指揮をとられたら前線で闘う兵士はたまったものではない。筆者同様、小生も山本も開戦後の派手で隙だらけの行動から推定して、さきの手紙が身命を賭して闘うと言う決意を表わしたものとは到底思われない。

 ラバウルでの飛行隊の出撃を、皆が着ている緑の第三種軍装ではなく白い第二種軍装を着て山本とその参謀がパイロットを見送ったことについて「大西が開戦後の山本、白い服を着て若いパイロットたちに神の如く崇められていた山本をどんなに忌み嫌っていたか、私の脳裏のテープレコーダーは、父の声で何百遍もくり返しております」という手紙(P313)を紹介している。大西瀧治郎は「山本の白服は芝居だとみていたのだろうか」と書くがそのとおりであろう。大西は生粋の軍人だったのである。大西は毀誉褒貶の多い人物だが、山本の見栄を極度に嫌ったのは納得できる。

 山本はマレー沖海戦に出撃した中攻隊が出撃すると英戦艦を撃沈できるかどうかと参謀とビールを賭け、ミッドウェーで南雲艦隊の攻撃隊が発進しようとするときに、部下と将棋を指し始めた(P69)。「部下が生死を賭けて戦っている最中に、それにビールを賭けたり、将棋を指すなどとは、長官、参謀とも、ふまじめな振舞いとしかいいようがない。それをだれも止めようともしない山本司令部というのも、マトモなものとはいえないであろう。」というのは本当である。山本は戦闘中に最高指揮官は何をすべきかを知らなかったのではないのか、とすら思える。だから賭けをしたり将棋を指したりして暇をつぶしていたのだ。

 実は攻撃隊が発進しようとしたのではなく、防空の戦闘機が発進しようとしていたのであるが、いずれにしても、戦闘中の総指揮官のやるべきことではなかろう。既に艦隊は雷撃機に襲われていたのである。陽気で冗談ばかり言うと言われる米軍でもこんな指揮はしない。職務放棄である。東郷は日本海海戦で参謀が防弾堅固な司令塔に入ってくれと言われた東郷が「自分はとしをとっているからここにいる。みなは、はいれ」と言って(P291)陣頭指揮をとりT字ターンのタイミングと発砲のタイミングを自ら命じたのは有名な話である。日本海開戦前には、東郷は毎日朝から晩まで弁当持ちで訓練の状況などを視察して回って歩いた。米海軍のニミッツは若い頃から東郷を尊敬して学び合理的で堅実な作戦で日本海軍と戦ったと「あとがき」に書くが、山本を尊敬し学ぶ米海軍軍人はいまい。

 山本の指揮の不徹底は多い。真珠湾攻撃で参謀が一致して「もういちど真珠湾施設を攻撃してこれを徹底的に爆砕するよう、また敵空母部隊をもとめハワイ列島を南に突破する作を敢行すべき」と山本に上申すると、山本は自分もそれを希望するが被害状況がわからないから指揮官に任せる、と言った上に「南雲はやらないだろう」と付け加えた(P93)と言うが指揮任務放棄である。南雲中将に皆任せると約束したから、というのだが、そもそも遥かかなたの瀬戸内海にいたのだし、遠方にいてもいいが指揮に必要な情報を集めて分析、判断し指示する努力すらしていないのだ。山本の真珠湾攻撃の意図は、開戦劈頭に米海軍に徹底した損害を与えて、米国の士気を喪失させ短期講和に持ち込む、はずだったのだから、この判断は全く矛盾している。

 ミッドウェー海戦でも大和が米空母らしい無線を傍受すると山本は「赤城『機動部隊旗艦』に知らせてはどうか」と提案すると参謀たちは無線封止中だし、赤城も受信しているはずだ、と反対されて止めてしまった(P174)。連合艦隊司令部が無線封止を理由に反対したのは、山本自身の艦隊の位置がばれて米潜水艦などに狙われるのを恐れたと書くが、その通りである。むしろ南雲艦隊から500キロも離れた山本司令部の船が無線を発信すれば、米軍に南雲艦隊の位置を大きく誤認させる陽動作戦にすらなる。その後例の利根四号機が敵空母発見の第一報を発信すると山本は「どうだ、すぐやれといわんでもいいか」と聞くが事前に指導してあるから無用だと反対されるとまたもや引っ込めてしまう。山本は、戦闘中の重大な判断も部下に反対されると撤回を繰り返してばかりいる。山本は何を指揮していたのだろうか。

 ミッドウエー敗戦が明らかになると、山本は南雲らをかばい、敗戦責任を究明し責任者を首にしなかったのは、部下の責任を追及すると自らの責任も取らなければならないからだ(P189)と書く。米国は真珠湾の陸海軍の責任者を査問しなかったが、辞職させた。査問しなかったのは機密の保持という理由があった。機密は未だに明らかにされていない。草鹿少将などは「将来ともできることなら現職のままとして貰い・・・」(P186)と言ったとして筆者は軽蔑的言辞を書いている。当然である。黄海開戦で駆逐対が残敵掃討で攻撃が消極的なため全く雷撃の戦果をあげなかったとして、参謀の助言で、東郷は全駆逐隊の司令と艦長を全員更迭した(P218)。山本の処置は日本的人情人事とばかりは言えないのである。本書には書かれていないが、ミッドウェーの敗戦を隠すために下級兵士を隔離したり過酷な戦地に送ったりしたのは有名な話である。自分たちが責任を逃れながら、兵士に過酷な処置をしたことは山本司令部も関与しているはずなのである。

 戦訓の学び方にも東郷司令部と山本司令部には差が大きい。黄海海戦は勝利したとは言え不徹底であった。しかし海軍はその教訓を学び訓練し戦法を改善した。珊瑚海海戦では日本海軍は勝利したと判断した。しかしレキシントンの沈没は気化ガソリンへの引火というラッキーパンチによるもので攻撃隊の損害は日本海軍の方が大きかった。空母祥鳳は雷爆撃で滅多打ちにされて沈没した。日本空母の搭乗員は米海軍の防空能力に恐れをなしたと言ってもいい位米軍の防空陣は厳しいものであったと言うのは戦記を読むと分かる。この戦訓を航空戦隊指揮官が山本や参謀たち司令部に報告したが無視されて戦訓としようとはしなかった。(P126)その戦訓はミッドウェー海戦に役立つものであった。山本司令部は珊瑚海海戦の実情を知らず、米空母など鎧袖一触、と公言する者が多かった。連合艦隊の解散に当たって東郷が「勝って兜の緒を締めよ」と言い、参謀の秋山が、日本海海戦は奇蹟の連続であった、と言っているのとは大違いではないか。

なお、珊瑚海海戦は、じっさいには、大平洋戦争中の数ある海戦のなかで、指折りの勝ち戦であった(P132)というのは承服できない。作戦目的のポートモレスビー攻略は阻止されたからである。ポートモレスビーは補給が続かないからしなかったからかえって良かったと言うこととは別である。海戦とは補給や上陸作戦、補給阻止や上陸阻止などの作戦目的の遂行の結果生起するもので、海戦そのものが作戦目的ではあり得ない。戦闘で大きな損害を与えたか否かより作戦目的を達成したか否かである。日露戦争の陸戦などはほとんど日本軍死傷者が多い。第一戦闘に勝ったと言われる珊瑚海海戦ですら航空機と搭乗員の損失は日本軍の方が多い。大東亜戦争の主要な海戦で日本海軍は作戦目的を達成したことは一度もない。ガダルカナルの上陸以降一度も米軍の上陸を阻止したことはない。硫黄島で水際阻止をせずに上陸させてから攻撃して大きな戦果を上げたと言うが、これは戦略の常道ではない。上陸側の体制が整わないうちに行う水際阻止が正攻法で正しいのである。日本軍が水際阻止に常に失敗したのは、上陸する艦隊に対して早めに、阻止する艦隊を適時に派遣することが一度もできなかったのである。もちろんベストなのは、ミッドウェーや珊瑚海海戦のように上陸前に撃退することである。硫黄島の戦いのように上陸を許した上に、艦隊の援護がなければ、いくら敵に大きな損害を与えてもいずれ占領されるのは間違いない。

 筆者は日本海軍が戦艦による艦隊決戦主義に囚われて航空中心に転換しきれなかったというのは間違いであると言うがその通りである。そもそも日本海軍は空母が健在のうちは戦艦で戦おうとしなかった。しかも海軍航空部隊の戦果は少なく、損害ばかり甚大だった(P235)。山本はこのことに気付かずにい号作戦で艦上機を陸上に挙げて漫然と艦隊攻撃して損耗した。筆者の提案は空母に戦闘機だけ載せる位徹底して艦隊を護り、大砲と魚雷による攻撃をする、というものだが、珊瑚海海戦や南太平洋海戦などの勝利といわれる海戦を見てもその通りである。以前から小生が言うようにレーダが無くても米海軍の防空能力は日本海軍とは隔絶している。

 日本艦隊の主砲の命中率が悪かったのは、アウトレンジ戦法によって遠くから打っていたからであって、東郷艦隊のように肉薄攻撃すれば、日本戦艦や重巡の実弾射撃訓練の実績からも米軍の三倍の命中率を上げるのは可能であった(P243)、というが私にはそうは思われない。以前「海軍の失敗」で紹介したように、大和級とアイオワ級戦艦が初弾の命中を得るのに要する時間は、射撃砲と火器管制システムの差から数値計算して、二倍以上の差があるから、大和はアイオワに負けると断言している。小生はこれが正しいと思うのである。

 山本が愛人に手紙でミッドウェー海戦の予定を間接的に漏らしていた事は省略する。だが連合艦隊の贅沢三昧にはあきれる。大西中将が昭和一七年二月に南方作戦から帰って山本を訪問すると長時間待たされるので勝手に入ると、莫大な慰問品や内地の名産などに囲まれた山本は、返礼の手紙を書くのに忙しかったのだと大西が知人に証言している(P164)。山本と参謀たちでの大和での食事は、軍楽隊のクラシックや軽音楽の演奏つきで、フルコースのフランス料理である。夕食は好きなものを注文しステーキでも何でも出、ビール日本酒ウイスキースコッチなど何でもある(P163)。ガダルカナルに派遣されていた陸軍参謀のかの辻中佐がトラック島の大和に行って「・・・将兵は、ガンジーよりもやせ細っている」と補給を訴えた。夕食でいつもの豪華な料理が出ているのを見て辻が怒ろうとすると、副官が、辻のように前線から帰ってくる人をねぎらうのだと誤魔化した(P254)。自分たちが贅沢三昧をしている間にも、兵士の飢えていることを知ったはずの山本司令部の感覚は尋常ではない。評判の悪い辻だが自らガダルカナルの戦場に赴き、兵士の惨状を見てガダルカナル撤退の上申をして実行させたのは他ならぬ辻である。辻の参謀としての指揮は人間性を非難されるが、この場面では辻の方が山本司令部よりよほどましである。

 国際法にも一言しよう。宣戦布告に先だって日本海軍が旅順港を攻撃したことを「日本は卑怯な不意打ち攻撃をした」とロシアが批難すると、米国の国際法の権威が、開戦前に外交断絶していることや公式の宣戦布告が必要だと言う確定した原則はない、として日本を弁護した(P76)。以前支那事変の国際法の研究書で紹介したように、大東亜戦争当時も宣戦布告なき「国際法外」の事実上の戦争が認められていたのだから真珠湾攻撃を弁護する余地は充分ある。単に日露戦争は米国にとって都合良かったので擁護論が通り、大東亜戦争は参戦のきっかけに米国には都合良かったので擁護論は出る余地がなかったのに過ぎない。

 山本の巡視による戦死には「覚悟の自殺」、という説を筆者は否定するがその通りであろう(P320)。山本は考えが甘く、スキを衝かれた(P324)のであろう。米軍を舐めていたのであろう。そのことは真珠湾やミッドウェーの手抜かりと同じ(P324)なのだろう。とにかくハワイやマレー沖海戦の戦果による航空戦への過信や情報管理の大甘さが山本の欠陥である。山本が頭部と体への被弾により機上戦死という俗説を記しているのも、海兵出身の元軍人としては不可解である。何度も他のコラムに書いたと思うが、P-38の12.7mmや20mm機銃弾を頭部に受ければ、頭はまともな状態で残らないが、あらゆる記録は例外なく、山本の頭部に大きな損傷はなかったとしている。筆者は分かっていて疑問を呈さずにいたとしか思われない。

筆者の言うように大東亜戦争を日露戦争のように勝利するのは困難であるにしても、もっとましな戦い方はあったのだろう。かの井上茂美の「日本は多数の潜水艦をハワイ、米本土に配し、米国の海上交通破壊戦をおこなう・・・」という提言を戦前出していた(P158)が傾聴すべきものである。米本土はともかく、ハワイは占領しなくても潜水艦により封鎖すれば、米本土から西太平洋の戦地への補給や軍艦の移動はできないから米軍は日本軍と戦えないのである。井上は戦闘下手と言われたが山本より戦略眼はある。ともかく日本軍兵士は大東亜戦争をよく闘ったと考えるものである。


ルーマニア IAR-80 その2

2021-06-17 14:20:27 | プラモコーナー
比較的素直に士の字になりました。継ぎ目はサーフェーサーの原液を塗って、600番の水ペーパーで擦ればOKでした。機銃は6基あるはずなのですが、主翼には4基しかありません。カウリング内に隠れていることにしましょう。



例によってサーフェーサーを吹いてから全体を水ペーパーで仕上げます。その上に下面の指定色C20ライトブルーで仕上げます。胴体に武骨な補強材が浮き上がっているところを見ると、単純なセミモノコックなどではないのかもしれません。



機体の全体塗装を塗り上げてから、エンジンを組付けました。これでカウリングを着けて塗装すれば、OKと安心したのですが、そうは問屋が卸しません。何とカウリングを固定するには、下面エアインテークを着けなければなりません。その上にカウリング後端の一部は胴体の迷彩塗装の続きなのです。これではたと悩みました。


撃たれ強い一式陸攻

2021-06-11 21:27:26 | 軍事技術

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一式陸攻すなわち一式陸上攻撃機と言えば、一式ライターと味方からも揶揄され、脆弱で攻撃に弱い日本機の典型とされている。しかし「我敵艦ニ突入ス」というある特攻機のパイロットを特定しようとする本に、米駆逐艦長の意外な戦闘報告書の記述がある。

 一式陸攻はいい飛行機で、かなりの攻撃に耐えられるように頑丈にできている。命中しても、九七艦攻のように簡単に爆発したり火災を起こさない。空母攻撃終了後ベティーが一機帰還中、友軍機から何度も機銃掃射を受けたが、まったく被害を受けた様子はなかった。友軍機は最後には諦めてしまった。(P63)

 何と被弾に弱いとされた一式陸攻が、いくら攻撃を受けても落ちなかったというのだ。かの本の著者も、一式陸攻が日本海軍では燃えやすいという評価をしていると書いている。著者はその理由を乗艦のファイヤコントロールシステムに不具合があったことを大きな原因にしている。しかし艦長の目撃したのは自艦による対空射撃ばかりではなく、いくら戦闘機に打たれても撃墜されず、戦闘機が諦めてしまうほどタフな様子もあったのだから、必ずしもファイアコントロールシステムばかりが原因とは言えないのは明らかである。

 実は「歴史群像」太平洋戦争シリーズの「帝国海軍一式陸攻」という本には、一式陸攻が同じ条件でのドイツ空軍の爆撃機などと比較して、必ずしも損耗率が高いとは言えないこと、九六陸攻の戦訓から、燃料タンクの防弾が要求されており、不完全ながら初期型から防弾ゴムが使用されており、最後まで改善の努力が続けられていったことを資料によって明らかにしている。傑作なのは、パソコンゲームのデザインのアドバイザーとなった海兵隊の元パイロットが、一式陸攻について、優秀な防御力を持つようにゲームをデザインさせているのだが、その理由を「一式陸攻は決して脆い機体ではないからだよ」、と述べている。彼はガダルカナルで日本機と戦ったエースだから真実味がある。

 一式陸攻が防御力の弱い機体である、とされたのは何故だろう。この本にも示唆されているのだが、被害率が高いのは対艦攻撃の時である。一式陸攻は対艦攻撃に雷撃を主としたから被害が大きいのである。雷撃は1,000m以内に肉薄し、雷撃コースでは直進したから被弾しやすい。その上に大型機だから命中率は高い。さらに別項で述べたように、米海軍の火器管制システムは日本軍のものに比べて格段に優秀である。特に日本海軍は陸攻を雷撃に重用したから、被弾に弱いとパイロットが嘆いたのも当然であろう。

B-17には雷撃装備がなかったから、高高度から艦船爆撃を行ったが、輸送船はともかく軍艦にはあまり通用しなかった。日本海軍が大型機にまで雷撃装備をしたのは、正しい選択ではなかった。日本海軍が大型機に雷装をしたのは、敵艦上機の行動半径外から敵主力艦に雷撃をするためであった。航続距離をかせぐために大型機にならざるを得なかった。しかしそのために、被弾率を高めて有効な攻撃をし得なくなったのだから、日本海軍の方針は元々矛盾を抱えていたのである。

 この本には高高度性能が優秀で、P-40などでは高高度から飛来する一式陸攻は迎撃困難であると書かれている。他の本でも九九双発軽爆や一式陸攻は高高度性能が優れており、特に爆弾投下後高高度で飛び去ると米軍機は迎撃できない、という記述がある。これも考えてみれば当然で、ターボ過給機がついていない機体で比較すれば、日本機は翼面荷重が低いから高高度性能が優れている。

 ちなみに一式陸攻の実用上昇限度は各型で8,950~9,220mである。アブロ・ランカスターMkⅠは7,467m、B-26Bは7,163m、A-20Cは7,718mであり、いずれも一式陸攻より1,000m以上実用上昇限度が低い。甚だしいのはブレニムで、MkⅠが一式陸攻なみに9,144mであるのに、MkⅣでは6,706mにも低下している。ターボ過給機が付いたB-24はD型がさすがに9,754mであるのに、J型では8,534mに低下している。

 B-17Gは、11,015mで優れている。欧米機のデータの出所は、全てsquadron/signal publicationsのin actionシリーズである。ただB-17だけが上昇限度を、Ceilingと書いているのに対して他は正確にService ceilingと書いてあるのが気になる。実用上昇限度はService ceilingと訳されるのに対して、Ceilingだけでは絶対上昇限度かもしれないのである。またEFGの全ての型の全備重量が全く同じなのは明らかな間違いであるのでデータの信頼性に疑問がもたれる。いずれにしてもB-17の実用上昇限度は11000m程度あるのであろう。少々脱線したが一式陸攻はターボ過給機なしでは、欧米の爆撃機より高高度性能が優れているのは間違いない。

 一式陸攻がタフである、という点には私にはもうひとつの要素があると思われる。一式陸攻は大型機の割には舵の効きがいいと言われている。これは同じメンバーにより設計された陸軍の四式重爆も同様で、垣根超え飛行ができると言われる位、軽快な舵を持っていた。超低空での運動性能がいい場合には、機体強度が高くなければならない。つまり機体が頑丈である。従って被弾したり炎上しても、構造部材が破壊して墜落することは少なかったのであろう。この点もタフだと言う評価につながる。

 この点で想起されるのはB-24とB-17の相違である。B-24は被弾炎上して主翼がボッキリ折れる悲惨な記録映像があるが、B-17はそんなことはなかったそうである。これは構造の強度上の差異である。これがB-17が防弾だけではなく機体がタフである、という評価につながり、搭乗員に信頼されたと言われている。一式陸攻のタフさもこれに類似しているものと思われる。大戦末期になると、援護戦闘機も少なく、米側の防空陣も圧倒的であったから、一式陸攻の攻撃に被害が大きいのは当然である。ちなみにB-25などによる、機首の機銃を乱射しながらの反跳爆撃などは防空能力が極めて低い日本の艦船には通用しても、米艦隊には返り討ちにあうだけで通用しなかったであろう。