憲法問題など、得られることが非常に多く、是非一読を勧める。ただ、倉山氏には自分の都合のいい論理を展開する悪癖がたまにあるように思われるのが残念である。三章で財政の重要性を説き、「ゼニカネの話は卑しいのか」と言って保守派言論人には、経済を「ゼニカネの問題」と蔑む人たちがいる(P95)と批判している。ところが、最後に来て「もともと私も経済など「ゼニカネの問題」だと考えていました。今でも心の底では、そう思っています。」(P205)と書き、たかが「ゼニカネの問題」を片付けられないものが、さらに大きな問題を片付けられないと続ける。
一方でゼニカネの問題と言う人たちをこき下ろしておきながら、自分もそうであるというのは、自分勝手に過ぎまいか。確かに後段では自分自身についての理由を説明しているから、論理の破綻はない。だが自分にだけに弁解する身勝手に感じられる論理展開は不快である。倉山氏の論理にはこのような面が散見されるのである。
また「保守系論客であることを売りに講演ビジネスに勤しむタレントさんがいます。」(P90)として櫻井よしこ氏を商売のために保守の論陣を張っていると言う。これは侮蔑的言辞でしかない。小生も櫻井氏の言説は特段に得られるものが少ないから、めったに著書を読んだことがない。櫻井氏の意見の変節や矛盾も指摘の通り事実であろう。だからといって、櫻井氏を偽物だとか、営業保守だとか、人格までも誹謗するのはよろしくない。
「嘘だらけの日米近現代史」でも、リンカーンは極悪人、と断定して解説する、といいながら極悪人とまで断定する根拠は示していない。保守と自称するには、まず紳士であるべきであると小生は思う。それは人を酷評するなと言うことでも、人格をあげつらうなということでもない。それらのことをする場合には明瞭に根拠を示すべきである、と思うのである。
櫻井氏が保守であるなら、私は保守でなくても結構、と言うのだがこれは狭量に過ぎまいか。あらゆる用語はある意味で「定義」の問題である。倉山氏は当然のことながら保守の定義をしている。その定義から櫻井氏は外れている、という意味なのである。だが保守と言う言葉は、倉山氏の定義するものをも含んだもう少し、幅広い概念も世間では通用している。その概念を使えば櫻井氏も保守に入る。
保守でなくても結構、というのは、櫻井氏が保守という通念の対極にある、という意味になりかねない。つまり左翼であろう。そんな奇妙なことにはなるまい。倉山氏の論述に論理の破綻はないが自分勝手である、というのはそういう意味である。倉山氏の狭量さが、対極にある陣営に分裂をきたし、結果として自虐的日本人を利しかねないから、私はそんな屁理屈を持ちだすのである。
自虐的日本人たちも、実際には同じ考えで統一されているわけではない。それでいて、彼らは反日的言動をするとき、仲間内でお前の考えは違う、と内輪もめは決してせず、相互批判をしない。あたかも一枚岩の如くである。だから強いのである。それらに反対すべき人たちは、一枚岩である必要はないが、あまりに内輪もめが過ぎると言わざるを得ない。それで倉山氏を論評したのである。例えば中川八洋氏などは、奥宮正武氏の嘘を正論で論破するなど、明晰な頭脳と見識を持ちながら、小堀桂一郎氏を偽保守だと言わんばかりだから、困ったものである。
20~30年以上前は、保守と言えば思想界では悪の代名詞のごとくであった。我こそは保守であると堂々と言う人たちが増えた、という風潮はマクロに見れば良い傾向になったのである。そして保守と言いにくかった時代こそ、日本には、日本の侵略行為を海外に向かって反省するような愚かな政治家はいなかった。ところがそんな時代には、バターン死の行進などの嘘を証明する論評もなければ、インパール作戦が、インド独立の契機となったとする論評もなかった。
ところが近年、日本軍の残虐行為の宣伝が皆嘘ばかりである、と次々と証明されつつあるようになったのに、逆に外交では自虐的傾向が強まっているという不可思議な現象が起きつつある。
「・・・明治の教育を受けた人たちは、昭和の大愚策を行っています。」(P137)と維新直後の政治家は立派で、大正昭和の政治家はだめになったと単純に言うのも皮相的ではあるまいか。第一に、よく言われるように、だめな人間を作った明治の教育システムを作ったのは維新の政治家である。
マクロに見れば、日清日露戦争の時代と、大東亜戦争での外交環境の違いを無視し過ぎている。前者は二カ国間だけの限定戦争で、講和の調停者がいたのである。後者は世界がほぼふたつに割れていたので、講和の調停者はいようはずがないのである。まして原理主義と言うべきアメリカが主敵であったから、ウェストファリア流の戦時国際法が通用せず、無条件降伏しか選択肢がなかったのは明瞭である。日露戦争の指導者は講和の調停まで手を打ったと賞賛されるが、大東亜戦争の開戦時点では、維新の元勲でもそんな手を打つ余地はなかった。
それを特攻隊や硫黄島、沖縄の敢闘で、辛うじて、ポツダム宣言と言う条件付き講和に持ち込んだのは日本人全体の底力というべきである。それならば、第一次大戦以降、日本が世界から孤立するように外交的選択をしたのが、最後に講和のできない戦争に自ら追い込んだ、というのであろう。確かに幣原外交は愚かであった。しかし、そこでうまく切り抜けたところで、国際社会とは日本を除けば、白人国家社会である。いずれ日本は白人社会にとって不都合な存在となったのである。
日本が真に国際社会から孤立しないようになるためには、国際社会が有色人種国家を含めた、真の意味での国際社会にするしかなかった。そして日本はそれを成し遂げたのである。小生は、それを偶然の選択だとは思わない。記憶違いでなければ倉山氏は愚行だったと評したと思うが、戦前のフィリピン独立を助けようとした馬鹿な民間人がいたこと、それに類する色々な日本人の潜在的心理や動向の積み重ねが結局大東亜戦争と言う、植民地解放戦争に結実したのである。
なるほど右翼の大アジア主義などは、現実の外交としてまともに考えたら愚行である。しかし、その愚行も植民地解放戦争への道の一つであった。開戦後インドネシアを占領すると、陸軍中野学校出身者を中心として、PETA(強度防衛義勇軍)を設立したのは、インドネシア解放の情熱を日本陸軍軍人をはじめとする日本人は、持っていたのである。アジア各地の西欧植民地でも同様なことが行われたのは他に説明しようがない。瑣末な巧拙は無視すべきである。これら全ては、アジア解放と言う幻想から生まれたものであり日本だけの立場を考えた狭い意味での政治外交的合理性からは、拙劣と言うべきなのは承知している。
日本は結局、白人による国際社会でうまく立ち回ることは不可能であった。眼先でうまく立ち回れば立ち回るほど、白人の嫉妬と人種差別観は増大し、結局は日本の政策は破綻したのであろう。倉山氏の外交感覚は素晴らしいと思う。だがそれは過去を分析評価した上で、今後の日本外交で生かすべきことであろうと思う。なぜなら国際社会が白人だけのもので無くなった現在こそ、日本はその中の1プレーヤーとして知恵を発揮できる条件が整った。現代日本の最大の障害は外国にあるのではない。日本軍の残虐行為をこれでもかと宣伝する、狂った日本人の存在である。
付言すれば、石原莞爾を含む多くの日本人は支那を見誤っていた。支那大陸史を俯瞰すれば、王朝が成立しても平和な時代は、せいぜい百年しか平和は続かず、最後の百年などは、王朝などは名ばかりとなり、王朝が崩壊してもすぐに新政権は成立せずに、混乱が続く。日本が明治維新以来相手にしてきた支那は、王朝末期と王朝崩壊後の混乱期であった。王朝の範囲はどうなるにせよ、混乱の後にはいずれ、統一する、という繰り返しであるのが歴史が示している明白な事実である。
当時の日本人は支那の混乱をもって、支那人には国を治める能力がない、などと見誤ったのである。支那大陸は永遠に他の有色人種国家とは異なる地域である。この見誤りこそ、戦前日本の最大の間違いである。いずれ支那大陸は混乱に陥る。それへの対応がいずれ必要になる。当面はイスラム圏への対応が重要課題である。対イスラム政策は、アメリカと同調するふりをして、独自に立ち回るべきであるとだけ言う以上の知識が小生にはない。イスラム研究の泰斗である大川周明博士の再評価をすべきであろう。