毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

撃たれ強い一式陸攻

2021-06-11 21:27:26 | 軍事技術

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一式陸攻すなわち一式陸上攻撃機と言えば、一式ライターと味方からも揶揄され、脆弱で攻撃に弱い日本機の典型とされている。しかし「我敵艦ニ突入ス」というある特攻機のパイロットを特定しようとする本に、米駆逐艦長の意外な戦闘報告書の記述がある。

 一式陸攻はいい飛行機で、かなりの攻撃に耐えられるように頑丈にできている。命中しても、九七艦攻のように簡単に爆発したり火災を起こさない。空母攻撃終了後ベティーが一機帰還中、友軍機から何度も機銃掃射を受けたが、まったく被害を受けた様子はなかった。友軍機は最後には諦めてしまった。(P63)

 何と被弾に弱いとされた一式陸攻が、いくら攻撃を受けても落ちなかったというのだ。かの本の著者も、一式陸攻が日本海軍では燃えやすいという評価をしていると書いている。著者はその理由を乗艦のファイヤコントロールシステムに不具合があったことを大きな原因にしている。しかし艦長の目撃したのは自艦による対空射撃ばかりではなく、いくら戦闘機に打たれても撃墜されず、戦闘機が諦めてしまうほどタフな様子もあったのだから、必ずしもファイアコントロールシステムばかりが原因とは言えないのは明らかである。

 実は「歴史群像」太平洋戦争シリーズの「帝国海軍一式陸攻」という本には、一式陸攻が同じ条件でのドイツ空軍の爆撃機などと比較して、必ずしも損耗率が高いとは言えないこと、九六陸攻の戦訓から、燃料タンクの防弾が要求されており、不完全ながら初期型から防弾ゴムが使用されており、最後まで改善の努力が続けられていったことを資料によって明らかにしている。傑作なのは、パソコンゲームのデザインのアドバイザーとなった海兵隊の元パイロットが、一式陸攻について、優秀な防御力を持つようにゲームをデザインさせているのだが、その理由を「一式陸攻は決して脆い機体ではないからだよ」、と述べている。彼はガダルカナルで日本機と戦ったエースだから真実味がある。

 一式陸攻が防御力の弱い機体である、とされたのは何故だろう。この本にも示唆されているのだが、被害率が高いのは対艦攻撃の時である。一式陸攻は対艦攻撃に雷撃を主としたから被害が大きいのである。雷撃は1,000m以内に肉薄し、雷撃コースでは直進したから被弾しやすい。その上に大型機だから命中率は高い。さらに別項で述べたように、米海軍の火器管制システムは日本軍のものに比べて格段に優秀である。特に日本海軍は陸攻を雷撃に重用したから、被弾に弱いとパイロットが嘆いたのも当然であろう。

B-17には雷撃装備がなかったから、高高度から艦船爆撃を行ったが、輸送船はともかく軍艦にはあまり通用しなかった。日本海軍が大型機にまで雷撃装備をしたのは、正しい選択ではなかった。日本海軍が大型機に雷装をしたのは、敵艦上機の行動半径外から敵主力艦に雷撃をするためであった。航続距離をかせぐために大型機にならざるを得なかった。しかしそのために、被弾率を高めて有効な攻撃をし得なくなったのだから、日本海軍の方針は元々矛盾を抱えていたのである。

 この本には高高度性能が優秀で、P-40などでは高高度から飛来する一式陸攻は迎撃困難であると書かれている。他の本でも九九双発軽爆や一式陸攻は高高度性能が優れており、特に爆弾投下後高高度で飛び去ると米軍機は迎撃できない、という記述がある。これも考えてみれば当然で、ターボ過給機がついていない機体で比較すれば、日本機は翼面荷重が低いから高高度性能が優れている。

 ちなみに一式陸攻の実用上昇限度は各型で8,950~9,220mである。アブロ・ランカスターMkⅠは7,467m、B-26Bは7,163m、A-20Cは7,718mであり、いずれも一式陸攻より1,000m以上実用上昇限度が低い。甚だしいのはブレニムで、MkⅠが一式陸攻なみに9,144mであるのに、MkⅣでは6,706mにも低下している。ターボ過給機が付いたB-24はD型がさすがに9,754mであるのに、J型では8,534mに低下している。

 B-17Gは、11,015mで優れている。欧米機のデータの出所は、全てsquadron/signal publicationsのin actionシリーズである。ただB-17だけが上昇限度を、Ceilingと書いているのに対して他は正確にService ceilingと書いてあるのが気になる。実用上昇限度はService ceilingと訳されるのに対して、Ceilingだけでは絶対上昇限度かもしれないのである。またEFGの全ての型の全備重量が全く同じなのは明らかな間違いであるのでデータの信頼性に疑問がもたれる。いずれにしてもB-17の実用上昇限度は11000m程度あるのであろう。少々脱線したが一式陸攻はターボ過給機なしでは、欧米の爆撃機より高高度性能が優れているのは間違いない。

 一式陸攻がタフである、という点には私にはもうひとつの要素があると思われる。一式陸攻は大型機の割には舵の効きがいいと言われている。これは同じメンバーにより設計された陸軍の四式重爆も同様で、垣根超え飛行ができると言われる位、軽快な舵を持っていた。超低空での運動性能がいい場合には、機体強度が高くなければならない。つまり機体が頑丈である。従って被弾したり炎上しても、構造部材が破壊して墜落することは少なかったのであろう。この点もタフだと言う評価につながる。

 この点で想起されるのはB-24とB-17の相違である。B-24は被弾炎上して主翼がボッキリ折れる悲惨な記録映像があるが、B-17はそんなことはなかったそうである。これは構造の強度上の差異である。これがB-17が防弾だけではなく機体がタフである、という評価につながり、搭乗員に信頼されたと言われている。一式陸攻のタフさもこれに類似しているものと思われる。大戦末期になると、援護戦闘機も少なく、米側の防空陣も圧倒的であったから、一式陸攻の攻撃に被害が大きいのは当然である。ちなみにB-25などによる、機首の機銃を乱射しながらの反跳爆撃などは防空能力が極めて低い日本の艦船には通用しても、米艦隊には返り討ちにあうだけで通用しなかったであろう。


日米の射撃指揮装置(GFCS)の決定的な能力の差

2020-04-30 15:53:42 | 軍事技術

  元自衛官の是本信義氏が。「海軍」の失敗という著書で、日米の射撃指揮装置の能力の差について説明している。日米最高の戦艦の大和とアイオワが戦ったらどちらが勝つか、という設問である。多くの軍事関係の刊行物では、両艦の武装や装甲の優劣、速力などのカタログデータを比較して、大和やや有利、と言うのが相場である。ところが氏は明快にアイオワの完勝である。と断ずる。アイオワの場合、距離の誤差の小修正と方向の小修正を最初の弾着でおこなうので、夾叉弾を得るのに試射1回、3分45秒かかる。大和は、試射3回、8分15秒を要すると言うのだ。この時間が短ければ先に命中するばかりでなく、艦の進路の変更などの影響が少ないから更に有利である。この差は、弾着観測結果を次弾発射のデータに反映するシステムの優劣に起因している。

さらに測距をレーダー観測とすれば、光学式測距儀のような距離による誤差がなくなる。それどころではない、そもそも射撃盤(計算機)の能力には格段の差があるし、日本海軍では射撃盤による砲の自動操縦システムを持たなかったから即応力には大きな差が出る。このような指摘は護衛艦で砲術長をしていた氏ならではの視点である。

同じく、是本氏の「日本海軍は滅び、海上自衛隊はなぜ蘇ったのか」にも明瞭な指摘がある。第二次大戦中の主力の射撃指揮装置のMk37より性能が劣る米軍から供給されたGFCS(射撃指揮装置)を搭載した護衛艦の砲術長として、5インチ速射砲で標的の吹き流しを射撃したと言う。VT信管ではなく、時限信管を用いていたにもかかわらず、初弾から命中したと言うのだ(P54)。他の個所でも護衛艦が次々と標的に命中させて、技量の高さに米海軍の教官たちが驚いたと言う逸話を書いている。VT信管を使っていない事はもちろんであるが、技量を問題にしたのはレーダーではなく、光学照準だったからであろう。要するに当時の日本海軍の九四式高射装置とMk37の性能差の隔絶は言うまでもない。

氏は同時に、日本海軍の12.5cm高角砲と米海軍5インチ両用砲の命中率の左は、0.3%対30~50%であったと言う驚くべき統計を示す。命中率の比率は最大約167倍という驚異的な差になる。米海軍に比べれば、日本海軍の高角砲は全く当らないのに等しい。これは日本の高角砲員の実感と一致する。一方で米海軍砲員が、打てば当たる、と豪語している証言もある。是本氏はVT信管とて、目標に接近しなければ有効ではないから、日本海軍がVT信管を使用しても何の役にも立たなかったろうと断言しているがその通りである。

VT信管は弾道を敵機の方に向けてくれるわけではないのである。米軍のレーダー照準にしても第二次大戦当時のレーダーを今の時点のレベルで比較すべくもないから、過大評価は禁物である。VT信管はマリアナ沖海戦から使用されているが使用されたのは5インチ砲だけで、それも弾数の僅か20%程度である。それ以前の日本が勝利したとされる珊瑚海海戦でも、南太平洋海戦でも、艦艇の喪失トン数こそ米海軍が大きいが、艦上機の被害は日本海軍の方が大きい。

Wikipediaによれば、南太平洋海戦での喪失艦上機は日本92機、米74機で、搭乗員となると、148人と39人と更に差が開く。これは、互いに防空戦闘機と敵艦隊の防御砲火をくぐって戦った結果である。日米の射撃指揮装置(GFCS)の決定的な能力の差は、戦記を数多く読むとよく分かる。同じく戦艦に対する攻撃にしても、日本機は対空砲火により接近する事すら困難であった、と証言されているのに、米海軍は戦闘機による機銃掃射さえ平然と行って、対空火器要員をなぎ倒している。戦艦に対してですら、米海軍は対空砲火の威力の無さを知っていたのである。シブヤン海海戦で大和は戦闘機による機銃掃射で主砲身内に飛び込んだ機銃弾が砲弾の信管を破壊し、砲塔内で小爆発を起こした(*)という情けないエピソードすらある。

米海軍では大東亜戦争に参加したほとんどの駆逐艦が、主砲に対水上と対空の兼用の両用砲を備えている。しかも、対水上能力に不満が残る、と言われた位対空能力を重視している。実は、米海軍は軍縮条約で第一次大戦時に大量建造した、駆逐艦をスクラップにすると同時に建造した駆逐艦には、ほとんど全て両用砲を備えていた。付け焼刃で対空兵装を重視したのではない。

戦前の早い時期から、計画的に、対空兵装を充実させていたのだった。日本初の防空駆逐艦である秋月型でも、高角砲のカタログデータが優れているだけで、GFCSは相変わらずの劣った九四式高射装置である。秋月型ですら戦前からの米駆逐艦よりはるかに対空戦闘能力が劣っているのだ。ましてや、その他の駆逐艦には高角砲はもちろん九四式高射装置すらないから、対空射撃能力はない。艦隊防空どころか、自艦さえ守れないのである。

 日本海軍の防空体制への批判の最大のものは、米国が早期に輪形陣を取り入れて空母の周囲に濃密な護衛艦艇を配置したことであろう。これに対して日本海軍は、戦艦などを空母から離して配置していたため、脆弱な空母護衛のための有効な対空砲火陣を張れなかった、というのである。だが輪形陣を組んだところで桁違いの対空火器の命中率ではやはりどうしようもなかった。日本機は単独航行の米駆逐艦への攻撃にも苦慮していたのに、F4F戦闘機に撃沈された日本駆逐艦すらあったのである。

巷間の出版物に米軍の対空砲火の効果を射撃指揮装置の能力差に求めずに、レーダーやVT信管に求める傾向が強いのは、GFCSという地味なものの開発を軽視して、主砲の口径や戦艦の装甲厚さといったカタログデータに表れやすい物を重視した日本海軍の技術開発方針と類似したメンタリティーを感じる。 

*Gakken Mook GARAシリーズ、戦艦「大和」の真実

 

 


新型コロナウイルス生物兵器説考

2020-03-07 15:50:47 | 軍事技術

 新型コロナウイルスについては、当初から生物兵器の漏えい説がささやかれている。そもそもNBC兵器防御の研究は、大抵の国の軍隊で行われている。NBC兵器とは、核、生物、化学兵器である。日本の自衛隊は核、生物、化学兵器のいずれも持たないが、防御についての研究は行われている。地下鉄サリン事件での自衛隊の対応は覚えている方もおられよう。

 米英露中共北朝鮮イスラエル等は核、生物、化学兵器のいずれも保有しており、防御の研究も行っている。以前紹介したロシアの歩兵戦闘車BMP-1は戦術核兵器で敵を制圧した後に歩兵を突入させるためのものだから、放射能汚染領域内で活動できる。構造は簡単で車内の圧力を外気より僅かに高くして、放射能の侵入を防ぐとともに外気を洗浄浄化したり酸素ボンベ等で空気を確保する、というものであろう。そして放射能汚染が一定レベルに下がったら外に出て占領する。BC兵器の戦闘車両の直接防御手段も似たようなものであろう。

 いずれにしてもBC兵器を持つ国はもちろん、持たない国も防御手段は研究している。ちなみに悪評の高い旧日本軍の731部隊とは、生物兵器ではないが、赤痢やコレラなどの疫病の蔓延する支那大陸での防疫を主任務としていた。生物兵器防御の先駆といえるものである。当然のことながら石井部隊長が細菌による人体実験データを米国に提供して免罪された、などということは、根拠のないプロパガンダに過ぎない。

それでは生物兵器の利点は何であろう。それは軽量で投射に色々な運搬手段を用いることが出来るとともに、物理的な破壊をせずに、一定の領域の人間だけを殲滅することができる、ということである。もちろん生物兵器とは細菌やウイルスを攻撃の手段とするものである。

 生物兵器は搭載能力の小さなミサイルにも搭載でき、人間がカバンに入れて運搬し、敵地に置いてくることさえ可能である。小生は北朝鮮がICBM(大陸間弾道弾)で米国を射程に入れていても、搭載する小型核弾頭はまだ保有していないものと考えている者である。しかし、軽量な生物兵器なら搭載可能であろう。

 生物兵器には必須な条件がある。投射した場所の一定の範囲だけで、ウイルス等の感染能力が高く、感染させた人間は確実に殺す。ただし、ウイルス等はだらだらいつまでも生き残ってくれても困る。感染が際限なく広がってしまったら、攻撃側が敵地を占領できないし、味方領域まで犯すからである。

 湖北省の武漢の近くには生物兵器の研究施設があると言われている。新型コロナウイルス漏えい説の出る所以である。しかし、新型コロナウイルスはだらだらと感染が広がるだけで致死率は低い。生物兵器の要件は全く満たさないのである。しかし、はっきり言って中共の科学技術のレベルは低い。生物兵器の要件に適合しないできそこないを作ってしまい、漏えいしてしまったという可能性は完全には否定できないであろう。生物兵器漏洩説の真偽はともかく、日本人はこの機会に生物兵器の脅威と言うものを考えることが求められる。

 

 


ワシントン、ロンドンの両軍縮条約が海軍をだめにした

2019-12-13 21:38:27 | 軍事技術

  大東亜戦争の海軍の最大の愚行は、世界に類を見ない陸攻なる機種を発明して対艦攻撃に多用したことである。陸上から発進した双発の雷撃機が長躯敵艦を雷撃撃沈する。大雑把にいえば陸攻とはそのような目的で開発された機種である。もちろん陸攻も爆撃は可能であるが、水平爆撃では航行する艦艇に命中させることは困難である。命中したところで致命傷を与えて撃沈することは困難である。命中率がいい艦爆による急降下爆撃でも致命傷は与え難い。

 実績における例外は真珠湾で九七艦攻が使った800kg徹甲弾とティルピッツを破壊したランカスターの超大型爆弾である。兵頭二十八氏が言うように、米海軍が雷撃機より艦爆を多用したのは空母により敵艦に致命傷を与えることを期待しなかったからである。これには、爆撃で相手の反撃能力を奪っておいて、とどめは雷撃機による攻撃か戦艦の主砲弾によればいいという合理性がある。

 これに対して日本海軍は、主力艦の撃沈を目的として雷撃を重視した。日米とも手法は目的にかなったものである。日本海軍はさらに艦上機ばかりではなく、陸上機にも雷撃させることを考えた。それが陸上攻撃機である。それはマレー沖海戦のプリンス・オブ・ウェールズとレパルス撃沈として見事に結実した。

 日本海軍が陸上攻撃機、という海軍としては当時世界にも類例をみない機種を発明したのは何故か。それはワシントン及びロンドンの両軍縮条約の結果である。最初のワシントン条約では、戦艦のみならず空母の保有量まで制限の対象となった。日本は米海軍に勝てる最低限度とした7割の保有量を確保できず、6割に抑えられた。しかし、巡洋艦以下については制限がない。そこで海軍は巡洋艦の建造に邁進することになった。

 その結果、大型巡洋艦(重巡洋艦)は昭和五年のロンドン条約交渉時点では、日本六万六四〇〇トンに対して、米国二万トンであり、日本はさらに四万トンが完成直前にあった。主力艦の不利を巡洋艦で補完しようとしたのである。ところがロンドン条約では、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦とほぼ全ての戦闘艦艇に制限が課せられ、潜水艦が対米同量である他は全て対米六から七割に抑えられた*。

 昭和七年当時海軍航空本部長であった山本五十六少々自らの発案で爆弾2トン、航続距離2,000浬以上という、大型陸上攻撃機の試作指示が出された。山本と海軍の想定はあくまでも陸攻は陸上から発進して敵主力艦を攻撃し、艦隊決戦のための暫減作戦に使用するものであるから、艦隊に随伴して動く空母の艦上機に比べて航続距離が長くなければならない。山本五十六は海軍の陸攻の発案者であったのである。その前に九三式陸攻というのがあるが、双発の艦攻の試作に失敗した少数機を陸攻として採用したのに過ぎない。

 実は山本が発想した九五式陸攻には雷装はない。九七式大艇は雷装がありながら、大型鈍重で被弾の危険が大きいとして魚雷の使用は試験段階で断念されている。九五式陸攻は全幅三〇mという一式陸攻より大きく四発の連山に近い大型機であったから同様に考えられたとも推定できるが真相は不明である。九五式陸攻が大型となったのは航続距離を大きくするためであったから、大航続距離の必要性と、雷装による被弾の危険性の矛盾に陥ったのかもしれない。九五式陸攻には400kg爆弾という日本海軍としては変則な爆弾の搭載が予定されていた。

 250kg爆弾の上は500kg爆弾であり、400kg爆弾というのは標準的ではない。九七艦攻の800kg爆弾は戦艦撃沈用に、長門級の40cm徹甲弾を改造した。もしかすると、400kg爆弾は旧式戦艦に多く用いられていた30cm徹甲弾の改造かもしれない。真珠湾攻撃用800kg爆弾と同じ発想で戦艦の徹甲弾改造の400kg徹甲弾を山本が九五式陸攻用に考えていても不思議ではないが、皆さんの中で御存知の方は教えて下さい。ちなみに後の深山、連山と言った四発の大型の陸攻には雷装は考えられていない。いずれにしても、九五式陸攻の後の九六式、一式陸攻と言った双発の陸攻は雷撃爆撃両用であり、艦船攻撃にも両方が使われている。比較的大型である一式陸攻は双発機としてはかなり軽快な操縦性を持っている。

 かく言うように、日本海軍の陸攻という機種は軍縮条約の生んだいびつな落とし子である。それはマレー沖海戦の大戦果として結実した。しかし、誰が論じたか失念したが、マレー沖海戦の大戦果は英海軍が戦闘機の護衛を付けないと言う大チョンボをした幸運の結果だった。当時の英海軍は立派な空母を持ちながら、まともな艦上機を開発できないほどの、航空機運用に関しては大間抜けだったのである。九五式陸攻の発案以後の成果が実って、敵戦艦を洋上で、それも次々とニ隻も撃沈したのである。それを実力と誤解した山本五十六は、それ以後、い号作戦などで艦船攻撃に陸攻を多用して戦果少なく機材、ベテラン搭乗員ともに多大な犠牲を出し続けているのは悲劇としかいいようがない。山本は、ハワイ・マレー沖海戦の大戦果に舞い上がって、これで大東亜戦争は艦隊決戦で勝てるとそれまでの持論に確信を得たのであろう。

やはり海軍が大型陸上機を艦船攻撃に大量に運用する、というのは軍縮条約による制限からの焦りが生んだ邪道であるように思われる。ガダルカナル争奪戦の元となった飛行場も、陸攻の基地として海軍が設営したものである。日本海軍は機動的に動ける空母があるのに、陸上に飛行場を建設する、という無駄を行った。艦隊と共同して敵前上陸をして陸戦を専門とする米海兵隊が陸上機を持っていたのとは事情が異なる。海兵隊と日本海軍の陸戦隊とは、戦闘の練度において隔絶の差があるのは常識である。

陸攻は三座の艦上攻撃機に比べ二倍以上の搭乗員を必要とする。九七艦攻と一式陸攻を比較すれば、ジュラルミンの使用量に至っては四倍である。同機種で比較すれば飛行距離当たりの燃料消費量は2倍以上違う。にも拘わらず積める航空魚雷は同じく1本である。あらゆる資源の使用量が大きく違うのに実質的攻撃力は同じであるという効率の悪さである。

余談だが、ビスマルクはよたよたの複葉機に容易に雷撃を許し、英戦艦二隻は鈍重な陸攻の攻撃を対空砲火で撃退できなかった。日英独海軍とは同時期の米海軍の対空火器の威力と大きな違いがあるように思われる。さて陸攻なる機種は現代にないかと言えばそうではない。ロシア海軍が引き継いだのである。バックファイア爆撃機は現代の一式陸攻である。多数の対艦ミサイルを艦隊防空陣の防衛圏外から発射して行う飽和攻撃は日本海軍の理想を実現した

 貧弱な艦艇しか保有しないロシア海軍には、手軽に米空母機動部隊を制圧する手段は他になかったのである。キエフ級航空巡洋艦のように、船体に所狭しとばかりに各種兵器を満載しているのも日本海軍の艦艇と似ているようにも思われる。いずれにしてもいびつな海軍は日ソともに陸攻という愚かな機種を生んだ。飽和攻撃に対処するためにイージス艦という対抗手段が生まれた。 矛と盾の関係である。

*東郷平八郎・岡田幹彦・展転社


何故中国は新幹線技術を習得できたのか

2019-10-06 21:18:52 | 軍事技術

 雑誌正論平成31年2月号で、西尾幹二氏は石平氏に鋭い質問をしている。それは 

「・・・中国の発展を見ていて意外で仕方がないのは、たとえ日本の新幹線の技術に学んだにせよ、あっという間にその技術を身に付けて新幹線を外国に輸出し、日本と競うまで力をつけたことです。たとえブリキ板1枚を作るにも高い技術が必要とされます。中国には古来高い技術があつたとはいえ、近代科学技術と結びついたものではありませんでした。過去の停滞していた時代に中国では、理数科の学校教育がきちんと行われていたんだろうか。中小企業による下支えはできていたのか。そういうものがあれば今急に新幹線技術をコピーできたのも納得できます。他のアジアの国はまともに新幹線を造ったりはできません。中国だけができたのは、なぜなんでしょうか。」 

 この質問は欧米技術に基づく製造業の技術基盤の必要性、というものの本質をついた質問である。西尾氏は欧米技術に基づく製造業の技術基盤について、そう簡単なものではなく、①理科系の教育体系と②大企業から中小企業までの産業構造の必要性を、ズバリ指摘しているのである。工業の専門家ではない西尾氏の見識は流石である。

 

 これに対して、石平氏の回答は、次のようなものである。 

「50年代になると旧ソ連が、中国の産業化を全面的に支援し、数万人のソ連の専門家が派遣されてきました。・・・農民の富を吸い上げて資本を蓄積し、重工業の発展につぎ込んだのです。こうして60年代までに中国では工業の基盤ができていました。80年代にはそうした産業体系がそろっていたところに改革開放で、外国資本が入ってきて新たな技術も導入され、中国の高度産業化が実現したのです。」 

  石平氏の回答は、整合性が良くとれているので、西尾氏は納得するのだが、小生には、はなはだ信じがたいものである。日本は幕末以来、昭和20年まで約100年間、初期の欧米の技術の時代から、西欧に寄り添って、教育界から産業界までが、地道に努力を続けても、追いつくことはなかった。コピーすらできなかった技術すら幾多ある。欧米技術の製造業の技術基盤とはそれほど奥深いものがある。

 日本の新幹線技術などは、戦前の地道な努力がようやく戦後花開いたものと言うべきである。それが、1950年代から、わずか30年、それも文化大革命の大混乱を含めてである。それだけで、欧米技術の技術基盤を身に付けたとは到底信じられないのである。我々は宇宙開発や新幹線技術のコピーと言った派手なものに目を晦まされてはいまいか。そうでなければ「中国製造2025」などという標語が飛び出すはずはないのである。

言い尽していないのだが、取り敢えず疑問点としてアップする。


回天の記

2019-09-08 19:27:34 | 軍事技術

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 靖国神社の遊就館にある、人間魚雷・回天の実物の展示は有名です。小生はやはり特攻は統帥の外道だと思うわけです。ただし、実施する以上は最善の兵器で最善の用法だったらと考えます。この妙な写真は、回天の溶接部分のアップです。溶接について少しでも知識があれば、絶対にあってはならないアンダーカットがあるわ、ビードは不揃いだわで、エックス線検査以前に不合格です。使用されたものも概ねこんな水準だと思うと胸がつまる思いです。


ゼロ戦設計者の嘘

2019-09-06 00:06:15 | 軍事技術

大幅に追記したので、新たにアップロードします。

 有名な零戦はご存知だろう。その設計者、堀越二郎技師の名は世界に有名である。しかし彼の考え方を点検して見ると、設計テクニックには素晴らしいものがある反面、技術iについての考え方や軍用機に対する設計思想については疑問を抱かざるを得ない。
 戦闘機設計のプロでありながら、戦闘機のあり方に対する見識がなく、与えられた条件に甘んじている設計技能者に過ぎないとしか考えられない。堀越氏自身の著書(*)を中心にこれを検証してみる。


●零戦のエンジン換装
 当時の戦闘機設計は、馬力向上の競争でもあった。零戦は性能向上の切り札として、昭和十九年末に千馬力級の栄エンジンから千五百馬力の金星エンジンに換装することになった。堀越氏が認めているように、金星への換装は二年も前に可能だったのであり、もし金星に変えていたら「・・・その後もさらに改良されて、零戦は依然としてその高性能を誇っていたのかも知れない。」(*)というのである。つまり堀越技師は、自らの著書で、昭和18年頃の金星エンジン付きの零戦の誕生の可能性と、その戦局に与える金星装備零戦の重要性を認識していたのである。


 ところが大学同期の川崎航空機の土井武夫技師は「昭和17年4月、海軍の空技廠が堀越君(零戦設計者)に、非公式ではあるが発動機を金星とした零戦の性能向上機の打診があったとき、堀越君は設計陣容不足のため断ったと聞いている。私は、あの時期にこそ、金星をつけた零戦の性能向上機を考えるべきではなかったかと思う。」(**)と批判している。つまり、土井技師と堀越技師の見解は一致しており、土井氏は単なる堀越批判をしたのではない。


 土井氏の批判は全てを物語っている。土井技師はこの時点での零戦の性能向上が戦局に与える重要性を理解しているのである。これについて堀越技師は「昭和十七年、私は永野治航空部員の私的打診に応ずることができず、・・・」(*P261)と実にあっさり書く。その理由の説明と見られるくだりは次のようなものである。


・・・その幾多の改造が顕著な実効を挙げ得なかったのは、使用者側指導層の技術上の問題や戦局に関する初期の見通しが甘かったせいだと思われる点が多い。なぜなら、開戦当初から日本海軍の戦闘機特に零戦の重大な役割と零戦に要求される改善を予見できたにもかかわらず、機種に応じた重点的人員配置などが適当でなく、担当者としては人手のいることには消極的とならざるを得なかったからである。もしこの点に対する判断処置さえよかったなら、最後型となった五四型丙は二年も早く生まれ、恐らくはその後もさらに改良されて、零戦は依然としてその高め性能を誇っていたかも知れない。

 さらに金星換装などはアメリカ人などの外国人には余りにも遅かったように見えただろう(P262)として、次のように弁明する。


 これには大きな理由があったのである。これを一口にいえば、日本の産業の規模が全般的には世界第一流の水準から遠い状態にあったということである。こういう規模の小さい産業に支えられる航空機工業では、経験ある技術者の過少とも重なって、着想から実験、設計、試作、実用に至るまでに非常に時間がかかった。


 さらに半ページ程にわたって日本の産業構造やそれに対する適切な指導を行わない海軍の技術行政に対する批判が続く。自分が海軍の打診を断ったことに対する悔悟の表明がないばかりか、全ての責任は日本の産業構造の後進性と、海軍の技術行政の不適切によるものだと談じているのである。余りに身勝手ではないか。


 二年前、すなわち昭和十八年に誕生していたはずの金星付零戦の誕生を阻止したのは、土井氏の指摘するように堀越技師自身であった。換装作業は早ければ容易だったのである。自身の非を一言も認めず海軍に、日本の工業基盤を責める堀越技師の態度は卑劣でさえある。同じ条件の日本の設計者がもっと難しいエンジン交換を行っている。そして堀越自身も後述のように、烈風という戦闘機のエンジン交換を自発的に行っているから、この弁明はインチキである。これに対して土井氏は飛燕の金星換装が遅れたことに、反省の告白をしているから信じられるのである。


 最後まで零戦は海軍の主力であったこと、昭和二十年に登場するのと、五二型の代わりに金星零戦が登場したのでは意味が全く異なることを考えれば、二年の遅れは絶大である。零戦と米国のF4Fの馬力差と性能差を考えれば、金星零戦はヘルキャットと対等に戦えたであろう。これは小生が勝手に言っているのではなく、前述のように、堀越技師自身が言っていることなのである。


 その意味で昭和十七年の堀越技師の断りの意味は極めて大きい。それを知るからこそ、断ったことをこともなげに書き、海軍などの責任をとうとうと追及するのである。だが堀越技師は海軍の命に唯々諾々と従う従順な人ではなく、自己の信念は毅然と主張する人物であることは後述する。


 中止を命ぜられた誉装備の烈風への自社発動機への換装を海軍と会社を説得して実行した。にもかかわらず、零戦と烈風の仕様決定の際には、翼面加重の決定や仕様の優先事項決定を迫っている。このことは堀越技師が戦闘機のあり方に自分の意見がないことを示している。堀越技師は優秀な設計「技能者」であって、見識のある技術者ではない。与えられたスペックをいかに実現するかには優秀であったが、ユーザーにスペックのありようを示す見識はない。小生の知る技術者には、顧客の与えるスペックに、顧客の不興をかうことを承知で、自己の技術者としての信念を披歴する人物は多数いる。


 そのような人物がどうして海軍の航空行政を批判できるのか不可思議である。航空行政に定見のない者が航空行政を批判できようはずがないのである。土井技師は同一期間に堀越技師より、よほど多くの軍用機の設計と改造を手がけた。


  三菱の体制が非能率だとする説もあるが、明らかに土井技師はしかるべく工夫をして能率的に仕事をしている。自分ならできたという自信がさきの堀越批判になったのであろう。堀越技師に伝説の設計者の冠をかぶせるには罪も多すぎる。功罪は正当に評価すべきである。堀越氏の大きな欠点は、前間孝則氏が書くように(***)性格の狭量さにある。前間氏は、多数の証言によって堀越氏の性格の長短をすべて浮き彫りにしているから、興味ある方は、一読されたい。近現代日本では極めて少ない極端な性格である。結論から言えば、凡人には到底付き合いきれない嫌な人物である。アニメ、風立ちぬ、の優しい主人公とは正反対と言っていい。



●戦闘機設計に対する見識
 堀越技師が海軍などを批判して自らの失敗を反省することがないことはあまりに身勝手である。零戦の後継の戦闘機である烈風は、海軍の指示した誉エンジンでは性能が出なかった。海軍は烈風に失敗作の烙印を押した。憤った堀越技師は海軍と会社を説得して、会社の経費で三菱のMK9Aエンジンに換装することになり、昭和19年7月から作業を開始して、10月に完成している。一方の零戦五四型は同年11月に指示を受け、翌4月に完成している。零戦は武装の変更があったとはいえ、同じ中島製発動機から三菱製発動機に換装する工事の難易は同程度であったのにこの差がある。


 この原因は戦争が後期になるに従って、空襲などにより作業が困難になったことによることは、多くの資料の証明するところでうなずける。ところが堀越技師の主張は異なる。烈風のことはさておいて、零戦が金星に換装するのに手間がかかったのは、日本の近代産業が未熟なため産業構造が脆弱であったことによるということを著書「零戦」で延々と主張している。


 烈風のMK9A換装は自ら強行に主張していることと比較すれば、これは堀越技師のエゴというほかなかろう。烈風が当初からMK9Aを搭載して量産されたとしても、昭和17年に零戦が金星に換装した場合のほうが戦局に与えた効果ははるかに大きい。こうなると堀越氏は烈風の失敗でプライドを傷つけられる方を、戦局に与える効果より重視していたというよりほかない。


 一方で昭和17年に発動機換装の打診を受けて断ったことを事もなげに書いているからである。烈風が最初から自社製エンジンを積んで量産されていたら、と書いたがこの仮定はあり得ない。実はこれは堀越技師の主張である。試作指示の時点で誉は完成の域に達していたのに対して、MK9Aは完成の見通しすらついていなかった。堀越技師が換装を提案した時点にやっと間に合ったのに過ぎなかったのである。兵藤二十八氏が指摘するように、堀越技師は戦後になって詭弁を使ったのである。


 烈風の例を引くまでもなく、エンジンを別系統に換装することは珍しいことではない。寸法も異なる他メーカーへの換装どころか、空冷から液冷エンジンへ、その逆などの例は日本はもとより外国でも多数の例がある。


 日本では五式戦闘機を空冷エンジンに換装したこと自体を、特筆されることのように評論する向きが多いが、外国ではFw190シリーズやラボアチキン戦闘機のように換装の困難さではなく、換装による性能向上や戦闘能力向上といった面に評価の重点がおかれるが、その方が評価としては健全である。五式戦闘機など日本の場合はエンジンの生産不足という実際面で追い込まれたからであり、性能はむしろ低下しているからである。土井技師は、飛燕の空冷化の遅れを、液冷エンジン改良に奮闘する同僚の努力を無視して、空冷化を主張するにしのびなかったと、正直に自己反省をしている。土井氏の誠意を認める次第である。


  堀越技師は零戦の試作指示の際も烈風の際も速度、運動性能、航続距離など、要求仕様に矛盾があるとして優先事項を明確にするように発言している。これは一見担当技術者としては正当に聞こえる。しかしこのことは堀越技師には、あるべき戦闘機の近未来像や相手たる米機の動向から、ベストとするものは何かという主体性が欠けている。確かに堀越技師には与えられたスペックを実現するための、綿密な設計能力があることは零戦の例で証明されている。しかしエンジニヤとしての見識はなきに等しいことを証明している。


 海軍側が零戦以上の高速と零戦並みの運動性能を要求したときに答えるべきは、そんなことは実現できないから要求のどれかを緩和してくれ、などということではない。零戦の運動性能は敵F4Fに対してはるかに優れ、後継機はさらに高速化して、さらに運動性能は低下する見通しだから、烈風の運動性能をF4Fより劣る程度に低下させても、その分速度性能を向上させれば、F4Fとその後継機に総合力で勝つことはできると説くべきだったのである。


 現にそのような考え方を持つ海軍の用兵者はいたのである。堀越技師は自己の専門とする戦闘機の性能について近未来ですら定見を持たなかったのである。堀越技師はもし定見があれば、主張を控えるようなおとなしい人物ではない。前述のように烈風のエンジン換装の際には、試作中止の決定がなされたのにもかかわらず、海軍と会社を説き伏せて会社のリスクで換装作業を行うことに成功している。むしろ信念のある事項については実行力のある人物であったことがわかる。


 
●発動機性能の疑惑
 烈風は海軍から供給された中島航空機製の誉発動機を装備したが、性能が不足したので発動機の性能不足と推定して、三菱の名古屋工場でベンチテストしたところ、果たして額面値を25%も下回っていたと堀越は書いた。素人ならいざ知らず私にはこの話はにわかには信じられない。


 どんなエンジンでも製造者が一台づつ試験して納入する。すると堀越が事前にこのデータを見ていたのなら、性能が額面値を割っていることを知っていたはずである。もし中島の試験値が額面通りであったとするなら、中島は嘘の報告書を提出したのである。私にはこのようなことは技術者の常識として信じられない。中島側は海軍から試作機に搭載されるエンジンだと知らされていたはずである。
 それならば中島はベストのエンジンを供給したのである。また技術者の常識として大事な試作機のエンジンの性能試験には設計主任の堀越か彼の部下が立ち会っているはずである。その時には誉発動機の性能は充分出ていたはずなのである。堀越は三菱側が性能試験に立ち会ったことを隠している。そして性能が出ていたことを隠している。私も排水機場のポンプのディーゼルエンジンの性能試験にユーザーとして立会いしたことが何度かある。


 特に主エンジンは必ず製造後に一台づつ、工場試験に立ち会って性能試験を行うのは常識である。たかがポンプのエンジンですらこれである。重要な航空機の、しかも試作機のエンジンの納入に関係技術者が立ち会うのはそれ以上に当然と理解すべきである。なお、圧力計などの補助機器であっても、製造会社の試験成績表の提出を求める。


 それではこの事態をいかに解釈すべきであるのか。答えは堀越の著書にあった。烈風の性能不足について「零戦」で堀越は他の日本製航空機の性能が試作当時に比べて低下していることを発見したと書いている。その原因は巷間で流布されているような工作技術の低下ばかりではなかった。


 「この性能低下の原因は燃料の質の低下、水メタノール噴射量の調整不良その他発動機側に大部分の責任があること、またその現象が誉発動機に特に顕著であることに確信を抱くこととなった。」と書いた。そして戦闘機雷電で87オクタン燃料使用の場合の性能低下について記述している。雑誌「丸」平成18年12月号P75に陸軍一式戦闘機の性能についての記事がある。「この頃の陸軍航空隊ではオクタン価八七の航空八七揮発油を使用しており、海軍の零戦が使用していたオクタン価九二の九二揮発油が使用されていなかった。


 そのために零戦二一型とほぼ同等のハ二五発動機を装備していても、隼はその性能を十分発揮できなかったが、昭和十六年夏には陸軍機も航空九二の使用を開始したのである。」とある。これらの記述を総合すると答えは自ずとわかる。


 その前に、別項でも述べたが、オクタン価に知識のない人のために簡単に説明する。オクタン価は燃料のアンチノック性能、つまりノッキングを起こしにくさを示し、オクタン価が高ければノッキングを起こしにくい。オクタン価はイソオクタンとノルマルヘプタンの混合燃料と被試験燃料のノッキング性能が同等になるときの、イソオクタンのパーセンテージを言う。


 92オクタンとはイソオクタン92%のものと同等のアンチノック性能を持つということである。だからオクタン価は100以上はないとも言えるのだが、100以上の場合、別な試験方法で代替してこれをパーフォーマンスナンバと言うが、通常「オクタン価」と称してしまうこともある。オクタン価は一般的に火花点火機関、すなわちガソリンエンジン燃料に適用するものであって、ディーゼルエンジン燃料には適用しない。


 ところでオクタン価への誤解は、オクタン価が高いものを使えばエンジンの性能が良くなるということである。ガソリンの単位重量あたり発熱量はオクタン価に関わらず一定であるから、エネルギーの観点からはオクタン価が高いから、高性能を発揮するとは言えないのである。ノッキングとは、エンジンの燃焼室内の圧力や温度が高すぎるなどして、異常燃焼を起こしてシリンダやピストンを損壊してしまう現象である。


 だからエンジンはノッキングを起こさない範囲で運転する制限をする。オクタン価の高い燃料を使えばノッキングを起こしにくいから高い吸入圧力や圧縮比を採用できる。つまり運転制限は緩和される。高い吸入空気圧や圧縮比を採用できるから単位排気量当たりの出力の高い高性能エンジンが設計できるというわけである。


 逆にそのようなエンジンは設計の前提としたオクタン価のガソリンを使わなければ、ブースト圧や回転数などの運転条件を使用制限して行わなければならないから、性能は確実に低下する。これで理解いただけたと思う。納品の際に92オクタンで試験されたエンジンに、飛行試験の際には87オクタンの燃料を使用していた形跡が、堀越の記述からうかがわれるから、エンジン性能が低下するのは当然である。だが92オクタンで設計したエンジンに100オクタンの燃料を使っても性能はよくはならない。ハイオクガソリンはエネルギー量が多いわけではないからである。


 水メタノール噴射も同様で吸入空気の冷却効果があるから、過給によって上昇した吸入温度を下げる効果などによってノッキング対策となる。だからオクタン価が下がり、水メタノール噴射がうまくいかなければ性能が低下するのは当然である。堀越はこのことを指摘したのに過ぎない。


 堀越の指摘が正しいとすれば、陸海軍ともに昭和19年当時では燃料の不足から87オクタンの低品質燃料を使わざるを得なかったのである。そして中島の納品検査の際には92オクタンの燃料を使い、烈風試作機の飛行試験では87オクタンの燃料を使っていたとしたら辻褄があう。中島としてはエンジン側としては本来の設計に使用された92オクタン燃料で試験するのは、エンジン技術者としては当然であったろう。誉は100オクタンの設計であったと言われるから、100オクタンでエンジン性能試験をしていた可能性もあるが、それを示す資料は見当たらない。もちろん100オクタンで設計したエンジンを87オクタンガソリンを使っていたら、使用制限(ブースト圧や回転数等)が甚だしくなるから、性能低下はひどい。

 

そして飛行試験で海軍側が実際に使用される予定の87オクタン燃料を使用したのもおかしな話ではない。誉の性能不足が主としてオクタン価の低下であると指摘した以上、堀越がこの経緯に気付かないはずはない。もしも100オクタンで設計し性能試験して、飛行試験で87オクタン燃料を使っていたとすれば、性能低下は甚だしいのである。


  エンジンの性能低下は、燃料の性能低下が主原因と言っているのに、92オクタン燃料を使用せよと主張しなかった堀越に私は疑念を抱く。それならばなぜ三菱製のMK9Aに換えれば性能は回復すると見通したのであろうか。案外忘れられているのが誉とMK9Aとの性能差である。10%も出力差があったのである。エンジン換装だけによって性能差が出る可能性は高い。


 細かくなるが、エンジン性能を比較しよう。誉は高度6850mの1570PSに対して実際には高度6000mで1300PSしかでないと測定された。高度差があるが比率は0.83。MK9Aは高度5000mで1800PSが公称性能である。1800PSに先の低下率を乗じればMK9Aの性能低下後の5000mの出力は1494馬力であり、高度6850mにおける誉の出力に近い。空気抵抗が同一とすれば誉装備の推算値と同程度の性能は、燃料が悪くても出る。


 そして「零戦」に奇妙な記述がある。最大速度343ktの計算値は要求性能に釣られて空気抵抗等を過少に見積もった過大な性能であると言うのだ(P304)。MK9Aに換えれば332ktは保証されると堀越は踏んだのだ。そして性能低下は特に誉にひどかったと言うから、先の推算での公称高度差がMK9Aに有利であったのはキャンセルできる。実際には試作機は吸入系統の抵抗の改善などの完成後の改良が可能であったから、332ktより向上していてもおかしくない。


  MK9Aに換装した場合の試験値は337~339ktであり、数ノットの向上でしかない。それでも343ktの「嘘の」計算値には達していない。以上のように推定すれば、エンジン換装後の性能回復は説明できる。MK9Aによる性能回復は、もともとMK9Aが誉より大馬力であったことと、性能低下が少ないことを見越した堀越技師のマジックではなかったか。

しかも、この性能の過大計算は本文に書かれているものではなく、性能一覧表の中の「短評」欄にさりげなく書いてあるだけなのである。その記述は「・・・要求性能に釣られた傾向あり」というふざけたものである。到底性能を要求値に合わせて胡麻化したことの反省は微塵も見られない。このように、堀越はインチキな性能計算書を海軍に提出したのである。つまり性能を偽装したのである。このことをこっそりと表の末尾に嘘の告白を忍び込ませる堀越の技術者としての良心を疑う。


 設計時点では、立場上嘘をつかなければならなかったとしても、戦後の著書にはその反省の弁があってしかるべきである。エンジン交換の時期を誤ったことはひとのせいにし、嘘の性能計算には何の反省もしない。これで済んだら耐震偽装などは罪に問われなくてもよいのである。ただし、堀越の著書に書かれているように、最大速度はエンジン最大出力に比例するものではなく、三乗根に比例し、影響が一番出やすいのは、上昇性能である。また三乗根に比例するというのは、プロペラ効率など他の条件が一定で出力だけが変化する、という架空の条件下であることを付言する。

 

●最近の戦闘機の性能解析比較表(出典*による)について

 比較表に入る前に興味あるデータがある。烈風に搭載されていた誉エンジンのベンチテストの結果は興味深い。「第二速公称馬力はブースト+250mm、回転数2900/分において、6000m付近で、一三〇〇馬力内外(地上出力から修正)(出典*による)」とある。ところが、昭和18年の四式戦・疾風のテストで(世界の傑作機No.19のP15)、「高度6120m、ブースト+350mm、回転数3000rpm」で631km/hを出したと記録しているのだ。

 この違いは大きいのは、自動車マニアの方なら分かっていただけるだろう。つまり烈風の誉は不具合以前に、疾風のテスト時に比較すると、ブースト圧と回転数に使用制限がかけられていたのだ。このことは後述の「最近の戦闘機の性能解析比較表」にも、エンジンの「使用制限現況推定」と書かれていることに符合する。使用制限の現況とはベンチテストでのブースト+250mm、回転数2900/分のことを示している。

 使用制限とは、主として使用燃料のオクタン価低下によるもので、最初から海軍は分かっていたし、堀越技師も遅くともベンチテストに立ち会った時点では分かっていたのだ。 疾風のように、ブースト圧+350mm、回転数3000rpmでは運転できなかったのである。

 既に述べた「最近の戦闘機の性能解析比較表」(以下比較表という)は副題に、昭和19年7月15日航空本部および航空技術廠に提出と書かれてある。要するに烈風の性能不足に対する堀越技師の発注者に対する説明である。これについてさらに検討してみる。

 実は、烈風(A7M1)の性能不足、特に最大速度の不足は誉の性能不足だけでは説明できなかった。この性能比較表では、A7M1現況(飛行試験結果)とA7M1性能計算書以外に烈風だけで三種もの性能計算書が書かれている複雑なものである。そこで、A7M1現況とA7M1性能計算書の主要点だけ比較してみる

 

機名           A7M1現況     A7M1性能計算書

発動機出力        使用制限現況推定    正規額面推定

プロペラ効率       現況推定       記載なし

機体表面         現況最悪に推定     記載なし

風洞試験Cxmin      0.0048         0.003

に対する付加抵抗 

Cxmin          0.0147         0.0147

最高速度(ノット)     300/6150m       343/6000m

(排気ロケット効果含む)

 

 付加抵抗とは、冷却空気抵抗とか、機銃の抵抗だとか、風洞試験では試験できない、いくつもの項目の抵抗の増加要素を係数にしたもので、精密な計算に代わる手法として有効なものだったのである。見ていただくと分かるが、発動機出力をベンチテストで試験した結果を反映したばかりでなく、プロペラ効率や機体表面の平滑度を悪く推定し、付加抵抗を風洞試験に対する比率で30%も高く見積もらないと、実機の性能低下を説明できない、というのは明瞭である。

 工学にとって係数とは実に便利なものである。現に係数等をいじれば性能低下は充分に説明できたのである。それはこの表の「A7M1性能計算書」の短評欄(備考欄に相当)に「計画要求書の要求性能に釣られた傾向あり」と書かれているからである。海軍の担当者はこれを本当に見たのなら頭にきただろう。性能計算で「鉛筆をなめました」と言っているのに等しいのだから。いくら海軍が無理な要求をしたとしてもである。

 つまり堀越技師は最初からプロペラ効率や付加抵抗の数値が楽観的過ぎることを承知していたのである。堀越技師は七試艦戦から烈風まで、5機種もの戦闘機を設計している。経験は充分なのである。現に烈風の機体本体重量は予定内に収まった(*P301)と書いているのである。付加抵抗などを経験的にそれほど見誤ることは考えにくい。にもかかわらず、本文には、これらについての説明は一切なく、全ては発動機に原因を帰しているのである。この比較表は、誉エンジンの性能がいかに額面値を割っていたかを説明した資料である。ところがはしなくも、自分が鉛筆をなめたことをばらしてしまった結果となる。名著「零戦」を批評した公刊物で、このことに言及した筆者を小生は寡聞にして知らない。

 そして元々誉エンジンよりエンジン出力が高いエンジンに換装して、ようやく誉の時の計算値に近い(それでも若干下回る)性能を出したのである。それは烈風のカウリング寸法が、誉エンジンに対しても、換装したエンジンに対してもゆとりが、あり過ぎる程あったから、対応が容易であった。

 ちなみに堀越技師の同級生の木村秀政氏は、設計の実務経験が少ないにもかかわらず、航研機A-26設計にあたっては、正規額面のエンジン馬力は、理想的条件での結果だから当てにならないというのが設計者の定説であると、わざわざ割り引いて性能計算をしていたのである(科学朝日・昭和20年11月号)。それを受け入れた陸軍側技術者も立派である。A-26も戦時中の完成で、しかも世界新記録樹立(非公認ながら)という難条件であったことを付言する。

 最後に堀越技師の名誉のために一言する。海軍は翼面荷重130kg/㎡に固執した。ところが機体は予定通りの重量に収まったが、エンジンなどの官給品や装備の増加で、試作機は143kg/㎡になってしまった。最終的に堀越技師の主張する、MK9Aに換装したところ、性能が向上して海軍は喜んだのだが、そのときの翼面荷重は153kg/㎡と、当初議論していた数値まで上がっていたのである。海軍の無定見も甚だしい。ただ翼面荷重の指定はBf-109の試作の際にも行なわれている。ただしウィリー・メッサーシュミットは、はなからこれを守る気はなかった節がある。

 

★このブログには、アクセスが多いようなので一言します。当初多数のブログへの「反論が」がありましたが、それに対する回答はしていません。よく読んでいただければ分かることと思うからです。従って掲載当初からの修正点や追記はありますが「反論」による修正はしていません。また、堀越技師の人となりを知るには、前間孝則氏の「技術者たちの敗戦」(草思社文庫)が最適です。

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*零戦、堀越二郎・奥宮正武共著・朝日ソノラマ(初版)、国会図書館位にしかない昭和50年版であることはご容赦願いたい

**世界の傑作機NO.23、文林堂

***技術者たちの敗戦・草思社文庫


これが20mm機関砲弾です

2019-09-05 17:53:32 | 軍事技術

弾の口径は錆びて減ってはいますが正20mmです。弾体後端つまり薬莢の上にあるのが、ライフル用のリングです。直径は21mmばかりでした。発射されると、砲身内側の施条(ライフル)にリングが食い込み、弾が旋転して安定した弾道を描くという仕組みです。刑事ものに出てくる施条痕というのは、こうしてできます。リングは、食い込みやすいように真鍮です。

 ちなみにこれを昔沖縄から持ち帰る時、飛行機で大変でした。何せ手榴弾も一緒に飛行機内に持ち込もうとしたのですから。今ならたっぷり油をしぼられて一便位遅れたかもしれません。良き時代もあったものです。そもそも今じゃ沖縄でも売ってないと思います。

 

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大和の砲弾Nの謎3

2019-09-04 17:54:57 | 軍事技術

いっぺんに複数の画像が乗らなかったので分けました。左端にNの刻印、右端に分数9/16の刻印があります。一番左に何やら桁の大きい数字が見えますが、原写真でもほとんど読み取れません。愛知県護国神社に行かなければ分かりません。続・海軍製鋼技術物語によれば、溶鉱炉の溶解番号ということになりますが、判然としません。名古屋の方どうか調査を。それから先、何が分かるか見当もつきませんが。日本製鋼所に聞くしかありません。