毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

大型機による艦艇攻撃は割に合わない

2014-12-30 13:36:06 | 軍事技術

 B-17は、緒戦でさかんに日本海軍の艦艇を爆撃したが、ほとんど戦果を挙げていない。当然であろう。5千メートル以上から爆撃するから滅多に命中しない。だがB-17の使用目的のひとつも、このような艦艇攻撃にあったから、結果を出せなかったのである。

 日本の陸攻は、マレー沖海戦では、わずか3機の喪失で2隻の戦艦を撃沈する、という大戦果を挙げた。これは、都合で空母の護衛ができなかったために、戦闘機の援護がなかったことと、英戦艦の対空火器が貧弱だったことによる。

 しかし、この戦果に味をしめた日本海軍は、陸攻を重用したが、その後は3年間の戦果の合計は、マレー沖海戦の一度分にも及ばなかったと思われる。海軍航空が元気であったラバウル航空戦で、陸攻は常に米軍に撃退されている。

 艦船攻撃を効果的にやった爆撃機は、大戦後期のB-25などによるスキップボミングすなわち反跳爆撃による船舶攻撃で、巡洋艦以上の艦艇には、ほとんど実施されていない。対空火器が極めて少ない輸送船を狙ったものがほとんどである。

 それも、対空火器を制圧する為に、機首に装備した多数の機銃を打ちっぱなしにして、攻撃したのである。このように、大型機による艦船攻撃は、高高度水平爆撃では、比較的安全だが命中しない。雷撃や反跳爆撃は効果が大きいが、魚雷や爆弾を投下する前に、直進しなければならないため、特に図体の大きい爆撃機は対空火器の目標になりやすい

結局日米共に、大型機による艦艇攻撃ということを戦前から企画しながら、結局は失敗に終わっている。米軍は陸軍ないし、空軍が爆撃機の任務のひとつとして、艦船攻撃を企画したのに比べ、特に日本海軍は、艦船攻撃を主任務とした陸攻という、従来の海軍航空にない機種を発明したから、失敗によるロスは大きい。

日本海軍が陸攻を発明したのは、主力艦の戦力不足を補うために、大型機による大航続距離を利用して、陸上基地から米艦艇を迎撃しようというのであった。その期待は大きかった。もちろん結果論であるが、陸攻よりオーソドックスに艦攻や艦爆を多数整備した方が、物的資源、人的資源の有効活用になったのである。

もっともこれは、相手が米軍でなかったら、話は違う。以前に論じたとおり、英海軍の艦上機開発は惨憺たる有様で、米海軍の支援が無かったら、まともな艦上機運用はできなかった。英海軍は戦前既に1.5流に成り下がっていたのである。


侵略された尖閣は安保の対象ではない

2014-12-23 11:40:08 | 軍事

 中国は尖閣周辺に船ばかりではなく、戦闘機を飛ばしてきたことさえあった。これはゆゆしき事態である。ある新聞に、もしこの戦闘機に対して自衛隊機がスクランブルをかけて相対した時に、向こうが領空侵犯だとして警告射撃してくる可能性がある、と書いていた。あり得る話である。国際法上は、領空侵犯で無線等による退去命令に応じない場合は、まず警告のために威嚇射撃する。それでも応じない場合には撃墜してもよいのである。「よい」というよりは撃墜すべきなのである。これらの行為は国内法で決めていなくても、本来実行してもよいのである。軍隊はネガティブリスト式で、禁止条項だけが規定されている。だから、国内法で規定が無ければ、国際慣例から、上述のような領空侵犯機を撃墜してよい。

愚かなことに自衛隊には、無線等での退去命令だけしか許されておらず、わざわざ国際法上正統な射撃を国内法で禁じている。射撃できるのは相手に撃たれて味方に損害が出た時の、正当防衛に相当する場合の行為だけである。中国機から警告射撃を受けると自衛隊機は、その後撃墜されることを恐れて尖閣の領空外に逃げなければならない。

すると中国機は警告射撃により相手を領空から追い出したのだから、日本も尖閣諸島を中国領だと認めたことになる。これが国際法の論理である。新聞に自衛隊も曳光弾による警告射撃を許可するようにする、と報じられた。もしそうだとしても、曳光弾を撃っても相手が領空から退去しない場合、本当に撃墜するつもりがないとわかれば、かえって向こうに反撃の理由を与えてしまうのである。

本論に入ろう。このようなこともひとつの方法であるが、中国はあらゆる方法で実効支配をすることを試みるだろう。例えば民間人を装った人間を、夜間水中からこっそり送り込み滞在させる。すると自衛隊がしなければならないことは、彼らの排除である。すると中国は、自国の領土にいる国民を保護するとして、島に近づく自衛隊の艦艇と航空機を攻撃する。こうした事態に米軍は日本と一緒に中国軍と闘ってくれるのだろうか。答えはノーである。

中国人が尖閣に上陸した時点で、中国は実効支配したことになる。侵略は成功したのである。日本が中国人の上陸を阻止しなかった時点で、侵略は成功したのである。米国は安保条約による米軍の助けは、日本の施政権の及ぶ範囲である、と明言している。逆に言えば中国人が上陸してしまい、施政権が及ばなくなったと判断されれば米軍は日本と共同作戦を行う筈はない。すなわち、侵略された尖閣は安保の対象ではないのである。

もし中国が戦争をする気があるのなら、その何年か前に動員をかけなければならないが、現在その兆候はないと言われている。すなわち戦争をしてまで尖閣を侵略するつもりは、今のところない。だから、今あり得るのは武力行使をしない「平和的」侵略である。


空母の脆弱性について

2014-12-20 12:16:34 | 軍事技術

 ミッドウェーの3空母は攻撃隊の準備中にわずか2~3発の1000ポンドないし500ポンド爆弾の命中で炎上沈没した。これは日本空母の脆弱性に起因するとみられることが多いが、根本的には一般的な空母の脆弱性によるものであろう。

 米海軍にも同様の例があるからである。正規空母エセックス級のフランクリンは、沖縄戦で銀河または彗星の通常攻撃により、2発の爆弾が命中した。この爆弾は500kgの可能性もあるが、250kgだったと推定されている。爆弾は燃料と兵装を満載した艦上機のいる格納庫で炸裂して、火災を起こして沈没寸前にまで至った。

まさにミッドウエーの南雲艦隊の再現である。兵員の決死のダメコン作業で辛うじて沈没をまぬかれたが、7百人余の戦死者を出している。ミッドウェーの四空母のうち何隻かでさえ、曳航して沈没させないことも、周辺の状況によっては可能であった。しかも世界の艦船(`12年6月号)によればフランクリンは火災による船体の歪がひどく、修理には新造と同程度の経費がかかるため、修理は放棄された。沈没していないだけで全損したのである。米軍のことだから船体の損失よりも多くの人員の喪失に恐怖したことだろう。

元々ダメージコントロールに優れている米空母が戦訓によって更にタフになっていたはずなのに、わずか2発の250kg爆弾によってこれだけの被害が出るのである。空母バンカーヒルにも零戦二機が2発の250kg爆弾を命中させて、大火災となり、死者と行方不明400名近くの損害を出している。プリンストンは軽空母だが、彗星が投下した、わずか1発の500kgないし250kg爆弾が格納庫で爆発して、大火災を起こして、米駆逐艦の雷撃処分された。

つまり、米空母ですら、爆弾が少数でも命中すれば、かなりの損害が出ている。しかも、日本軍の散発的な攻撃によってである。多くの米空母が損害を免れていたのは、徹底した早期発見による護衛戦闘機の活躍と優秀な対空火器システムとによる、防空体制のおかげである。それでも爆弾が命中すれば前述のような大きな被害を出していたのだから、当時の空母は一般的に、被害に対して戦艦に比べはるかに脆弱であったと言える。

 


何故香港のストは終えたのか

2014-12-14 13:50:22 | 支那大陸論

 平成26年12月12日の時点で、香港の民主化闘争は、当局の巧妙な排除によって収束する見通しである。何故天安門事件のような暴動状態にならなかったのだろうか、という疑問の答えを誰も説明してくれないことが、小生には不可解である。当局が天安門事件の教訓から、国際社会の反発を招かないよう、巧妙かつ温和な手段をとったと勝手に考えているのであろう。それは事実であろう。

 だが根本的原因はそうではない。香港の闘争は結果を出したのである。平成26年の台湾の総選挙で国民党が敗退した。その原因のひとつが、大陸との協調を訴える国民党の馬英九総統の主張が、香港の闘争によって、一国二制度などが大嘘で、台湾が大陸に併合されたら、結局、非人間的な大陸の独裁政権によって蹂躙されてしまう、という現実を見せ付けられたのである。

 台湾の総選挙と中共当局が行政長官の民主派候補を排除した時期が接近したのは偶然である。しかし、民主化闘争の指導者はこの偶然を利用したのである。はなから中共当局が闘争の要求を受け入れる筈はない、と考えていた。すなわち、中共が台湾併合の際に一国二制度を認めるなどというのは嘘だ、という事実を明白にしたかったのである。

 それによって国民党が総選挙で敗退することを計画したのである。その計画は成功した。だから闘争は総選挙の結果が出ると、急速に弱体化した。そして指導者も馬が曳かれるごとくにおとなしく当局に逮捕されて行った。通常この手の運動は、最後に残った連中は、失敗の絶望から過激になるものである。それもなかったのも、この闘争が計画を達成したために終結していった、という状況証拠である。

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書評・陸軍中野学校 秘密戦士の実態・加藤正夫・光人社

2014-12-07 16:08:15 | 大東亜戦争

 中野学校卒業者が自ら書いた貴重な本である。本書による中野学校の大東亜戦争への貢献の範囲の広さから、著者が昭和13年ではなく、昭和3年以前に設立されていたらと嘆くのも(P220)納得できる。

 本書には一応中野学校の沿革や教育についても書かれているが、それよりも大東亜戦争における謀略活動以上に、戦闘にも多方面に参加していたのが、意外であった。F機関などの東南アジアでの独立運動は当然として、インドのINAのサポートを通じてのインパール作戦、義烈空挺隊、シベリア抑留、終戦工作等、活動が広範なのには驚かされる。

また、現代の我々が再認識しなければならないのは、P59やP93に書かれているように、インドやインドネシアの日本軍への協力が、自発的なというより、彼らの独立への熱望から為されていた、という今の日本史から故意に削除されている事実であろう。前述のように、多分中野学校出身者自身の著書としては唯一であるから必読である。

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ミッドウェー海戦再考

2014-12-06 12:36:38 | 大東亜戦争

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ミッドウェー海戦に対する現在までの評論には、考えてみれば妙なものがある。南雲艦隊は、空母発艦のヘルダイバー艦爆の攻撃の何時間も前に、B-26爆撃機の他に、陸上から発進したTBF艦上雷撃機の攻撃を受けている。情報がないなら、これは空母からの攻撃の可能性が大であると解すべきである。いくらミッドウェー島付近には空母はいないと寝ぼけていた南雲艦隊も慌てなければ変である。この時点で、空母索敵に力を入れもせず、艦船攻撃兵装に切り替えていないのだから、空母に備えよと言う連合艦隊の命令などあったのだろうかと疑われる。

 ミッドウェーの敗因は、兵装転換によるものではないと明瞭に立証した、左近允氏でさえ、艦上機の半数は連合艦隊司令部の指示に違反していた(ミッドウェー海戦P146)と指摘しているが本当だろうか。氏は兵装転換自体を命令違反とするのだが、元々半数を空母に備えよ、という命令があったのなら、各空母の艦上機の半数を艦船攻撃兵装にしておくということは後述のようにあり得ず、常に半数の空母を艦船攻撃の兵装にしておく、ということでしかありえないからである。

つまり南雲艦隊は、出撃時点から全空母の艦上機を陸上攻撃の兵装にしてあり、空母出現の際に全空母に艦船攻撃の兵装転換を命令したのである。もし連合艦隊司令部が、常に半数の艦上機を空母出撃に備えよと命令したのであれば、出撃前にその編成の確認をしていないと言うことは考えられないのである。確認していなければ、無能か作戦をなめきっていた、ということで軍事的には信じられない行為である。

具体的にはこうである。一隻の空母の半数の戦闘機、爆撃機、攻撃機の半数を艦船攻撃兵装で待機させたとする。戦闘機は艦船攻撃でも陸上攻撃でも同じであるが、残りはそうではない。だから半数の艦船攻撃部隊を、飛行甲板におき陸上攻撃部隊を格納庫に置けば、陸上攻撃はできない。逆にすれば、艦船攻撃はできない。後者の場合は、艦船攻撃に邪魔になる陸上攻撃部隊を発艦させてしまって、格納庫から艦船攻撃隊を上げていて発艦させていたら、五分や十分では攻撃態勢はできない。どう考えても、各空母毎に、半数を艦船攻撃兵装で待機させたら、即座に艦船攻撃に切り換える、ということは不可能である。