毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

大和撃沈を空母に任せたのは軍事的合理性

2016-08-27 15:46:06 | 大東亜戦争

 平成28年8月の雑誌「ミリタリー・クラシックス」54号には、大和撃沈の顛末が書かれている。大和の沖縄出撃を知った、ミッチャー提督がアイオワ級4隻とサウスダコタ級2隻による攻撃を具申した。このことは、戦艦は戦艦で仕留めたいという伝統的願望によるものと評するむきが多い。しかし、太平洋艦隊司令部は、沖縄上陸戦闘が開始されたばかりで、16インチ砲の艦砲射撃が必要となる可能性大として却下し、機動部隊による攻撃を命じたというのだ。

 全くその要素はない、とは言わないが、本当の原因ではあるまい。なぜなら大和攻撃に向かった艦上機も戦艦群と同様に上陸支援に必要だったのである。そもそも大和攻撃の機動部隊の護衛として新型ばかりではないにしても、6隻の戦艦をさいているのである。根本的原因は作戦の合理性にある。大和撃沈に必要な米軍の損害の多寡を計算したのである。

過去の海戦の経験から、日本の対空戦闘能力の著しい低さを米軍は知っている。駆逐艦は対空戦闘能力は無きに等しい。防空駆逐艦と呼ばれた秋月型にしても、対空火器管制システムが大抵の米駆逐艦よりずっと劣る。戦艦や巡洋艦の高角砲も同様である。

 例えばシブヤン海海戦で武蔵は多数の雷爆撃に耐えて、ようやく沈んだ。しかし、攻撃機の被害は大したことはなかったである。武蔵撃沈での米軍機の搭乗員の戦死者は数十名にも及ぶまい。一方第三次ソロモン海戦で、老齢の戦艦霧島は撃沈されたものの、16インチ砲の最新戦艦2隻と打ち合い、致命傷こそ与えなかったがサウスダコタに多数の命中弾を与えて戦場を離脱させた。上構を大破させたのである。

 その被害は、人命とともに多大なものがあった。戦死者は数十名どころではなかったであろう。だから、たとえ大和1隻を最新鋭戦艦6隻で襲ったとしても、大和は沈没と引き換えに、1隻の撃沈あるいは、多大な損害を与えることはできだであろう。そう考えれば空母機動部隊の攻撃の方がはるかに損害が少ないことは想像できる。まず米艦艇の損失はあり得ないのである。

 事実は結果が証明している。日本軍は大和以下6隻と約3700人を失い、米軍は艦上機10機と、搭乗員12名を失うという微々たる被害であった。


伝統継承のふたつの意味

2016-08-14 15:19:38 | 文化

 日本画の大御所の伊東深水は、鏑木清方らに続く、浮世絵の歌川派の系統の美人画の正統な後継だと言われる。一方で歌舞伎は日本の伝統芸能の正統な伝承である。果たしてこの二つの正統な後継や伝承の意味は全く異なる

 まず、歌舞伎である。絵画や映画と違い歌舞伎は、音楽と同様に今再現しなければ、かつて演じられていた歌舞伎の演目を見ることはできない。これは絵画が完成してニ百年前の作品であろうと、眼前に常に同じものが存在することが出来るのと全く状況が異なる。

 歌舞伎の伝統の正統な伝承とは、江戸時代に演じられていた歌舞伎の忠実な再現である。極論を言えば、生きた人間を使って江戸時代に演じられていた演目を極力忠実に再現する人間テープレコーダである。実際には役者の個性や伝承の間に微妙な変化が生まれて、当時のものとは実際には異なるのも当然である。

 歌舞伎の新作が作られて同じ役者が演じていた時代ですら、役者の技量や解釈の微妙な変化で、全く同じように演じること自体があり得ない。これは現代の舞台劇でも同様であろう。しかし、歌舞伎が昔演じられていた当時のものの、極力忠実な再現が基本的目的である、ということに変わりはない。

 まれに新作の歌舞伎として、現代の世相を歌舞伎の手法で演ずるものもある。それは例外であって、おそらく永遠に主流とはならない。歌舞伎は江戸時代のある時期までの世相を反映することが出来たが、その後の変化に歌舞伎と言う演劇形式が追従するのに限界が生じた。歌舞伎は古典芸能として固定化したものの再現が常態となったのである。

 絵画の世界はそうではない。保存状態の良し悪しで、完璧とは言えないにしても、広重でも写楽でも彼らの作品を当時の彼らの作品そのものを見ることができる。では、伊東深水が歌川の美人画の正統な後継と言われるのは何か。歌川国芳などの浮世絵の技法の基本を使って、新作を作り出したことである。歌舞伎のように基本が古典のコピーなのではなく、あくまでも現代に新作を描いていることに本質がある。

 だがここには大いなる落とし穴がある。歌川国芳らの当時の浮世絵師は、自らの生きている時代を活写したのである。伊東は明治の中期以降に生まれ、大東亜戦争から30年近く生きている。なるほど初期には伊藤の描く和服美人と風景もあったろう。しかし実際には、それを活写したのではなく、美人にしても風景にしても浮世絵の全盛期を想起させるものを描いている。

 これは浮世絵師が同時代を描いていたのとは異なる、一種の懐古趣味である。伊東の時代はまだ、市井には、和服美人が多くいた。だから単なる懐古趣味には見えなかったが、伊東の作品が好まれたのは、あくまでも現代の描写ではなく懐古趣味の部分であった。だから伊東が歌川派から伝承したのは肉筆浮世絵の画材と技法の部分であって、同時代を活写する、という根本の精神ではない。

 それは伊東の責任ではない。伝統的日本画という技法が、既に伊東の生きた時代を活写するのには限界に達してしまったのである。まして技法を忠実に継承しようとすればするほど限界がある。日本画に近いと言う意味では、現代日本で可能性を秘めているのは、恐ろしく未熟と言われようとアニメとコミックであろう。だがこれらは、歌川派が存在した絵画と言う分野からは外れている、新しい分野である。そもそも現代日本どころか、世界中にも古典的な意味での絵画と言う分野の存在価値は極めて少なくなっている。

 伊東は辛うじて存在意義が認められる最後の時代に生きていただけ、幸せだったといえよう。伝統芸能としての歌舞伎は、現代と言う時代に適合することはできなくなっているものの、芸術の再現、つまり保存の必要性からの存在価値は充分にある。しかし、伝統的日本画は、同時代を表現することができない以上存在価値はない。ただし、日本画の応用で時代を表現することが可能となり、社会のニーズを見つければ再び存在価値が出る。最大の難関は後者である。社会的ニーズとは展覧会に出品することでは絶対にない。


体当り専用機ではなかったキ-115

2016-08-13 15:21:03 | 軍事技術

 48のプラモのキ-115(剣)を作った時、意外なことを知った。モデルアートのエデュアルドの製作記事である。執筆者は加藤寛之氏であった。記事には「主任設計者の青木邦弘氏によれば、剣はロケット噴射で加速して離陸し、脚は投下してしまう。身軽となった機体で沿岸に押し寄せる敵艦艇へ投弾、引き返して胴体着陸する。操縦者は生還し、エンジンは再利用する構想だったという。その証拠に、調布に残された機体には爆弾投下安全弁が付いていたことが確認されている。製作から審査の時点になると、剣は体当り攻撃機となっていた。」とある。

 日本航空機総集など既存の資料には、知る限り全て体当り専用機と書かれている。機体自体が脚投下式などを含めて全体的に簡素なものだから、素直に信じていた。しかしこの記事によれば、少なくとも計画設計時点では、体当り専用機ではなかったというのである。そこで記事の青木邦弘氏の本を探すと「中島戦闘機設計者の回想」と言う本が図書館の蔵書にあった。

青木氏は明治43年生まれで、本書は1999年に刊行されているから、かなりのご高齢になられてからの執筆である。それによれば、剣の開発の着想は、キ-87のようなまともで高級なものは、あの時点では戦争に間に合わないので、簡易に作れる小型爆撃機を作ろう、ということにあった。(P181)

 戦闘機ではなく、「・・・上陸用舟艇のどまん中に瞬発信管付きの大型爆弾を放り込むだけでいい。・・・命中させる必要はない。・・・転覆させたり衝突させる効果をあげて、大混乱を引き起こすことができればよい。・・・操縦者の生還率も高いだろうし、機体の回収もできて反復して使用可能となる」飛行機である。

 引込脚は設計製作に時間がかかるので、投下式にして、胴体着陸すれば、最低限製造に手間のかかるエンジンだけ再使用できればよいというのである。そこで小生に疑問が起きた。オイルクーラの位置である。剣のオイルクーラは、疾風のように胴体の真下になく、右舷側それもかなり高い位置に偏って取り付けられている。胴体着陸する構想だと読んだとき、これは胴体着陸の際の地面との抵抗を減らすためではないかと思ったのである。

 完成した剣の模型を見たら間違いだと分かった。疾風のように真下に付けると、爆弾の位置と干渉するのである。それでも胴体着陸の抵抗を減らす効果は幾分かあり、うまくするとオイルクーラを破損せずに回収できるのかもしれないが、青木氏の著書にはそのような記述はない。

 剣はかなりの意味で中島の自主開発に近いらしく、隼のエンジン400台あまりが、倉庫に埃をかぶっていると聞き、青木氏はゴーサインをだした。(P187)試作機が完成すると軍民関係者で安全祈願式をしたが、祝詞に「・・・往きて還ざる天翔ける奇しき器」という一句があったので、軍民関係者が数百人居並ぶ中で青木氏は「・・・本機は特攻機として造ったものではありません」と訂正したが、反論もなく儀式は進んだという。

 神主さんは徴用で中島の工場で働いたことがあり、戦闘機に比べ粗末なつくりのため、皆が特攻機ではないかと噂したのを聞いて、祝詞に入れたのだと判明したと言う。奇妙なことに設計主任の青木氏が試作仕様書を見た記憶がないと言う。ところが軍に提出した計画説明書を米軍のために簡略にまとめたものが、戦後かなりたってからみつかって、読み返したところ、計画書の「型式機種」は「単発単座爆撃機」で、「任務」は「船舶の爆撃に任ず」とあり、軍艦相手とは書いていない。

また「主脚は工作困難な引込式を排し、かつ性能の低下をきたさないように投下式とし、着陸は胴体着陸とし人命の全きを期す」(P195)と書いてあった。また説明書原文には「・・・速度の遅い旧式機では操縦者の生還は期し難い・・・せめてそれに代わる飛行機として本機を作る・・・」と書いた記憶があるそうである。

 剣の審査官だった陸軍将校に戦後会うと、審査報告書に「本機は爆撃機としては不適当と認む」として提出したので使われたことはあり得ない、と語った。それにしても甲型だけでも105機も作られたから、使うつもりがあったと誤解されても仕方あるまい。青木氏によるとこのころは軍も中島も相当混乱していたということだから、生産だけが進んでしまった、ということはあり得る。剣の乙型のことを肝心の青木氏は全く知らず、戦後の文献で知ったという混乱ぶりである。また相当数が生産され実戦参加した、キ-100やキ-102乙が採用手続きもなされず、制式名称もなかった時期だから。

 また「戦後の文献によると、キ-一一五は昭和二十年一月二十日に『特殊攻撃機』という名称で試作命令が出されていたことになって」いたから、特攻機と言われたひとつの理由であろう、としている。なるほどと納得する次第である。だがモデルアート誌の記事のように「製作から審査の時点になると、剣は体当り攻撃機となっていた。」ということは、青木氏の著書には書かれていない。

 ただ、青木氏も隼なども特攻機として使われたのは「『特攻機』という言葉は用兵上の用語で、航空技術用語には」なく隼や疾風なども特攻機として使われたのは用兵上の結果であり、製造した時点で特攻を予定していたのではない、と述べている。だから設計側も軍も作るときは予定していなかったとしても、本土決戦が行われていれば、剣が特攻機として使われていた可能性は否定できない、ということになる。

 なお海軍の最初のジェット機の橘花も「特殊攻撃機」として爆装も予定されていたから、特攻機に使用予定であったとする記事も散見するが、青木氏の論理から言うと、設計製造に手間がかかる高級なジェットエンジンを一回限りの特攻の計画で作ることはあるまい。これとて実際にどう使われるか、ということとは別問題ではある。また剣が体当り専用機として設計製造されていなかったと主張するのは、剣の計画の道義的是非を言うのではなく、事実関係をいうのである。


稲田議員の試練

2016-08-07 15:15:39 | 政治

 平成28年8月5日の日本経済新聞に、稲田新防衛大臣のインタビューの「『侵略一概に言えず』■靖国参拝『心の問題』」と題した記事が載った。稲田氏は「百人斬り事件」の弁護をするなど、以前から保守の論客として知られていたから、日本のマスコミは中韓に気に入られない稲田氏の思想をターゲットにする気なのである。

 「日中戦争から第二次大戦に至るまでの戦争は侵略戦争か、自衛のための戦争か、アジア解放のための戦争か」などと記者が質問したのを、稲田氏がうまくかわして明言しなかったのが、マスコミはいたく不満だったのである。侵略戦争を否定すれば、失言だと書くし、肯定すれば節を曲げたので、ざまあみろ、と言いたいのである。

 ドイツのような敗戦国も含めて、世界の国々でこんな国はない。自国が過去に侵略戦争をしたといいたがるマスコミは、ドイツも含めてどこにもない。国際法の解釈は別として、欧米諸国で道義的意味では侵略をしなかった国はない。

欧米の侵略と植民地支配は恐ろしく悪辣で苛酷であった。アヘン戦争は当時英国内でも道義的に問題にする政治家はいた。しかしそれはその時点での政策論争だった。それを戦後70年たって自国を侵略国家と言わなければ文句をいう、という日本のマスコミは世界的に見て尋常ではない。自国の過去を卑下すべきだと言うのは狂気の沙汰である。

 靖国神社の参拝にしても、中曽根内閣が中共政府内部の権力闘争に配慮して、参拝を止めてから問題にされるようになったのであって、それまでは中韓両国とも文句を言ったことはなかった。日本のマスコミが問題にして政治化すると、特に中共は外交カードに使えると、味をしめたのである。

 これらの事実をマスコミは百も承知である。それでもこの体たらくである。かの記事の最後は「稲田氏は今回、歴史問題について体系的に述べているわけではないが、今後議論を呼ぶ可能性がある。」と結んでいる。稲田氏が閣僚である限り問題にしてやる、という脅しである。

 小生は男女の区別なく、稲田氏の思想信条からして、今は総理大臣になってほしい逸材だと考えている。他の自民党議員は日本的リベラルとみられる人材ばかりである。自民党の思想信条のまともな人物は、かつての江藤大臣のように、自爆覚悟で信念を吐露してしまったケースが多い。

このような売国奴的マスコミにいかに対応できるかが、稲田氏の首相への道の試金石となろうと思うのである。いや、安倍総理は試練を与えているのであろう。信念を正直に公然と語り自爆するのは学者であって政治家ではない。妥協のため信念を曲げるようでは、支持する価値はない。

小生は丸川珠代議員の将来にも期待している。しかし、小池都知事と知事選挙前に遣り合った結果、選挙後の記者会見で小池氏と似た服装で登場して話題になったのはいただけない。服装で張り合うのは女性であることを利用している気配があるからである。総理大臣に男女の区別はいらない。丸川氏はまだまだ伸びしろがあるのだろう。