前回の本書に関して書き残したことがあるので追加したい。ガダルカナルの飛行場は昭和17年8月4日に完成したとして、設営部隊から「滑走路完成 諸般の事情から考えすみやかに戦闘機の進出を必要と認む」と発信され、ラバウル司令部は翌日零戦12機をガ島に進出させた(p97)。
ところが6日に進出した零戦隊の隊長は、居住施設があまりにお粗末なので、任務に差し支えるから施設が完備するまで、ラバウルに待機するとして帰ってしまったというのだ。常時米軍機の監視下にあるあるガ島飛行場は、いつ空襲されてもおかしくないのに「寝場所がよくない」というだけで900キロも後方に帰ってしまうのは、重大な命令違反である、と慨嘆する。
深井氏は、このエピソードは他の戦記には記録された例がない、としている。米軍のガ島上陸作戦開始は8月7日、すなわち零戦隊がついた翌日と言う、きわどいタイミングであった。ミッドウェーの敗北の後なのに、日本軍の士気がいかに弛緩していたかを証明するエピソードである。零戦隊はあっという間に上陸米軍に蹂躙壊滅させられていただろうから、結果に変わりはない、という問題ではない。
次の問題は前回示した雑誌「丸」の記事である。レイテ沖海戦特集として、栗田艦隊の反転は、止むを得ずとする記事(Aと呼ぶ)と栗田艦隊は単に逃げたとする、深井氏や小生と同じ考えの記事(Bと呼ぶ)のふたつが掲載されている。
特に記事Aを批評してみる。「・・・栗田艦隊は小沢艦隊が米機動部隊の誘因に成功したことを十分に認識していなかった。このためもあり、彼らはサマール沖で遭遇した護衛空母を正規空母と最後まで認識していた。」深井氏によれば、大和では旗艦が大淀に変更したことにより、囮作戦誘導成功と判断できた。しかも、大和には我空襲を受けつつあり、という小澤艦隊からの情報もあった。
まさか小澤艦隊は「囮作戦成功」などというずばりの無電を発するはずはないから、これらの無電から囮作戦成功を判断するしかない。しかも大和司令部と栗田司令部は別組織で、栗田司令部にだけ情報が行っていないかのように言われる。これはおかしい。深井氏によれば、栗田司令部はこの時大和艦橋にいたから、大和の受信無電も共有していたはずである。
大和の通信科の受電情報を栗田司令部が共有していないことはあり得ない。あり得るとしたら、栗田司令部は、旗艦変更の大和通信科の情報が都合悪いので黙殺したのである。また大和艦橋にいた栗田司令部は、沈没しつつあった護衛空母を間近に見ていた。艦形図などで米艦艇の識別訓練をしていた軍人たちが、わずか300mの眼前の空母を正規空母と誤認していたとしたら、無能力の極みである。
Aでは第一次大戦でフランス野戦軍を撃破できれば、パリは容易に陥落したことを例に挙げて、敵艦隊主力を撃破すれば、米軍のレイテ侵攻を頓挫させる可能性もあるだろう、としている。筆者は三川艦隊が米艦隊を撃滅しながら、ガ島上陸の米船団を攻撃しなかったために、その後の米軍の跳梁を阻止できなかったことを知っているであろう。
敵主力艦隊を撃破するのも重要かも知れないが、上陸船団と米上陸部隊を栗田艦隊が、攻撃しなければ、誰が攻撃するというのであろうか。確かに栗田艦隊は全滅したかもしれない。それと引き換えに、少しでも米上陸部隊に被害を与えるのが任務だったはずである。
Aでは、どうしてもレイテ湾に突入すべきだったという主張は「有力な艦隊を全滅させても作戦目的を実現すべきだと言う、合理性と狂気の共存する発想のように思える」と指弾する。それならば、小澤艦隊全滅を前提で囮にして、栗田艦隊に米上陸部隊を攻撃させる、という捷一号作戦自体を、最初から否定しなければならないのである。
A論文は、ろくに搭載機のない空母群を犠牲に、栗田艦隊の成功を期する、という小澤部隊の行動は始めから徒労だったと言っているのである。B論文では、ジブヤン海の対空戦闘でレイテ湾突入の予定時刻が遅れることとなったにも拘わらず、なぜ西村及び志摩艦隊に予定時刻の変更を指示しなかったかと、疑問を呈している。
Bでは「うがった見方をするならば、同時突入による戦果拡大を狙うのではなく・・・偵察機によりレイテ湾に所在が判明した敵水上部隊を西村・志摩両艦隊に向けさせておき、我にその脅威を及ぼさないよう離しておくつもりだったのではともとり得るであろう。」とまでいう。
だが、栗田司令部が偽電をねつ造までして逃亡した、という事実が判明した以上、この見方も真実味を帯びてくる。西村艦隊は任務を確信して絶望的な進撃をし、わずかな生存者しか残さず全滅したのに、である。マリアナ沖海戦で、空母航空戦力を喪失し、残りは航空支援の期待できない有力な水上部隊でフィリピン戦を支援するしかない、連合艦隊最後の組織的作戦だと軍令部は判断していたのに違いない。
現にその後は、帰還した艦艇は瀬戸内海で次々と米艦上機の攻撃で無力化されて、組織的作戦行動をとることができていない。何のために大和は生還したのだろう。大和と乗組員は、戦果を期待されず水上特攻として死にに行かされた。レイテ湾で沈没した方が、まだ米軍に被害を与える可能性はあったのである。