毎日のできごとの反省

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帝国憲法の真実・倉山満・扶桑社新書

2015-03-28 13:12:17 | 憲法

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 もちろん倉山氏の著書を読むのは、教えられることが多いからである。だが時々論理をきちんと説明しないことと、言葉使いに違和感を覚える。後者は例えば本書で、アメリカを評して「これは、『余裕ブッこいている』以外の何ものでもありません」(P60)あたりです。もちろん「」なので例えではあろうが、余りに言葉が粗野である。ですます調で通しているから、ますます奇異に感じる。

このことは、歴史上の人物に一方的に悪罵を加えるのと軌を一にしている。だからといって小生にとって氏の著書の価値を下げるものではない。ただ理解を妨げることがあろうことを恐れる。品のいい物いいをすればいいというものでもない。しかし、文章を公にする以上、最低限度の格調と言うものがあろうと思うのである。

閑話休題。最大の興味ある命題は、自衛隊は軍隊ではない、ということである。護憲派の人たちに言わせると憲法九条では、戦力の保持が禁止されているから、自衛隊は違憲の軍隊だから廃止すべき、というのが本音である。だが倉山氏は、九条を改正したところで軍隊にはなり得ない、というのである。

国際法上の軍隊の定義は①責任ある指揮官のもとに、②識別しうる標識を有し、③公然と武器を携行し④戦争法規を守る集団であること(P54)であるから、自衛隊は確かに国際法上は軍隊である。自衛隊は警察官僚が大勢参加した結果、法体系が警察型になった。警察は許可されたことだけしかできない、ポジティブリスト型で、国際的には軍隊とは、禁止されたこと以外は何をしてもよい、というネガティブリスト方式である(P58)。

例えば、領空侵犯されると自衛隊機は2機でスクランブルし、1機が攻撃されるとようやく、正当防衛で反撃できる、というものである。国際法上、軍隊は警告射撃し、それでも領空から退去しないと、撃墜するのだが、自衛隊法で禁止されている。つまり自衛隊は軍隊もどきであって、戦車や戦闘機といった、普通の警察が持ち得ない威力が大きい兵器を持つモンスター警察なのである。つまり倉山氏が言う通り、国内法の立場で考えるなら、日本に軍隊はないのである。

憲法とは何か。(P123)憲法とは国家体制そのものであるから「国体」である。英語のconstitutionは憲法と国家体制の二つの意味に訳される。正確には二つは同じ意味なのである。国体とは、その国の歴史、文化や伝統に則っている。すると日本国憲法のような成文憲法とは厳密には「憲法典」と呼ぶべきである。自民党の赤池参議院議員は「現行憲法は憲法違反の憲法だ」と言っても誰も意味がわからなかったそうであるが、憲法を国体と解し、成文憲法である日本国憲法と区別すれば、この見解は正しい。すなわち占領軍は日本の歴史、伝統、文化を破壊する目的で現憲法を作ったからである。(P126)

本書の主意のひとつは、日本国憲法の前文には「暗号」が隠されている、ということであろう。日本国憲法の前文は英語の原文の直訳だから、極端に醜い日本語である。自然な日本語にこなれたものにすればできないことはなかったのに、敢て当時の日本人は、下手な直訳にしたか。それは「この憲法は日本人の手によるものではなく、アメリカ人が押し付けてきたので、日本政府は嫌々受け入れているのだ」(P26)というのである。

だが人間の心理とは不可思議なものである。戦後の日本人は、子供の頃から長い間、日本国憲法とは、平和と民主主義、国民主権の有り難いものだ、と教育された結果、この暗号を読み取れなくなってしまっているのが現実である。アイドルが読んだ日本国憲法なるヨイショ本まで出ている位だから、病膏肓に入ったというべきであろう。あたかも翻訳調であるかのような見苦しい日本語の大江健三郎の作品が売れ、欧米言語に訳しやすい結果、ノーベル文学賞をもらったのも、大江が日本国憲法に膝まづく人であることとも関係はあろう。