サイパン玉砕戦の狂気と真実 田中徳祐復刊ドットコム
この本の書評を書くのは気が重い。米軍の残虐行為を書くのが主だからだ。同胞がかつて非道なことをされたことは辛い事実だからだ。
米軍はサイパンでも日本人の若い女性をスパイに使った(P67)。同じことを沖縄でも行った記録がある。米軍は捕獲した現地にいる民間の若い女性を洗脳してスパイとして使うと言うから非道いことをするものである。サイパンではこのスパイたちが隙を見て、指揮官を射殺すると言う。日本人同士が疑心暗鬼になって殺し合いをしてもやむを得ない恐ろしい計略である。また島の水源地に毒薬を入れ住民や兵士が多数犠牲になった(P67)。
戦車を先頭にした歩兵がジャングルを機銃掃射すると「子供、兵士、動けない重傷者が見る見る射殺されて行く」。また野戦病院が戦車に蹂躙された(P70)。米軍が日本軍野戦病院に入り込み、負傷者を殺していくということは他の戦線でも知られている。
多数の日本兵や民間人の屍が転がっていると「敵兵が、その屍を銃剣で串ざしにしてあざけり笑っている。そして所持品まであさりだした。」(P113)全部確実に死に絶えているとは限らない。とどめをさしているのだ。米軍特に海兵隊は徹底的に負傷者を殺していったのは自ら認めている。だから玉砕とは米軍により負傷者を殺して生存者がいなくなった結果である。機銃掃射を受けても死者の3倍程度は負傷者が残るものであって全員が死亡するはずがない。米軍が死体から所持品をあさって土産物にするというのもどこでも見られた光景である。生死にかかわらず日本兵から金歯を抜きとっていったというもよくあることである。
ここからは筆にし難い残虐行為が書かれている。数百人の民間人を捉えた米軍は婦女子全員を全裸にしてトラックに積み込んで「殺して」と泣き叫ぶ女性を無理やり運んで行った(P138)。以前にもこのようなエピソードを読んだとき違和感を感じた。なぜわざわざ裸にするのだろうと。謎は解けた。島を逃走して復は汚れきってボロボロだし、着衣では性別が分かりにくい。特に西洋人には小柄な日本人の性別は分かりにくい。米兵は女性であることを確認したのだ。もちろん彼女らは生きて帰らない。証拠を隠滅するから人道的な米軍という与太話が残るのだ。
米兵は性欲が強い。しかしこのような離島では歓楽街もない。だから米兵は日本女性を集めたのである。トラックを公然と使った所を見ると上官は兵士の行為を黙認したのである。ロシア兵と米兵の違いは集団強姦行為を推奨するか黙認するかの違いである。民間人がいた多くの島嶼戦では必ずこのような行為が行われたはずである。もちろん沖縄でも。そして「米軍は虐待しません。命が大切です。早く出てきて下さい」と呼びかけながら、追い立てられて集められた数百人の子供と老人を滑走路に集めて、ガソリンをまいて焼き殺した。火から逃げる人たちを蹴ったり銃で突き返して火の海に投げ込む。隠れて見ていた日本兵がたまらず一発撃ってもおかまいなし。二人の兵士が泣いている赤ん坊を股裂きにして火の中に投げ込んだ(P139)。多数の人間を集めて、ガソリンをかけて焼き殺すなどという事は通常では困難である。だがサイパンの民間人は逃亡で飢えて疲れきって、ほとんどが地べたに寝転がっているしかない状態だったのに違いない。
さらに米軍には日本の民間人を殺す理由がある。兵士たちは欲望のために日本女性を集めた。だからそれを目撃した民間人に生き残っていてくれては困るのだ。これらの行為が上官の命令で行われたていたのかは明瞭ではない。しかし、兵士たちに不満をためさせないために、強姦を黙認せざるを得なかったとすれば、目撃者の殺害も黙認したとしか考えられない。日本軍に比べ情報管理は徹底していたのである。
ジョン・ダワーの人種偏見という本だったと記憶している。日本兵が投降しなくなったのは初めに米兵が捕虜をひどい殺し方を虐殺していったのでそれを知ったからだというのだ。特に海兵隊の多くの司令官が「捕虜は取らない」と公言している。つまり殺すのだ。このような残虐行為を聞くとさもありなんと思う。日本では島嶼戦の住民の集団自決が問題にされる。好んで島民が自決するはずがない。米軍の残虐行為は死よりまさるのだ。強姦された挙句に殺されたり焼き殺されるよりは、ひと思いに死にたいと思うだろう。
意外であったのは、米軍が洞窟攻撃に毒ガス弾を使った(P146)ということである。それもくしゃみ性などというものではなく、致死性の高い物で老人や子供、重傷兵などの体力のないものから次々と苦悶して死んでいったという。あまりの苦しさに手りゅう弾で自決する兵士が出ると言うものすごいものだ。中国兵も対日戦に毒ガスを使ったと言う記録がある。インターネットでは、日本で生産保存された毒ガス弾の話題が書かれているが、これらは実戦では使われなかったものと思われる。毒ガスによる報復攻撃を恐れたからである。まして戦況が不利になったら尚更使えない。米軍は報復の心配がないから使ったのであろうが、大規模なものではなかったとは思われる。
洞窟から逃げた著者が意識を失って気付くと、青竹で婦人を串刺しにした死体があったと言う。また同じ洞窟にいた兵士や住民が五体バラバラに刻まれていた、というのだが筆者自身がやられなかったことを不思議に思っている。(P147)恐らく米兵は生きて苦しんでいる日本人にとどめをさしたのであって、筆者はピクリともせず死体に見えたのだろうと考えると合点がいく。
米兵が穴を掘ってブルドーザで落としこんで日本人の死体を埋めているのを見て筆者は死体の残酷な扱いを憤っているが(P158)、これが普通の日本人の死生観であると思う。谷間には追い詰められて火炎放射機で焼き殺された、民間人や兵士の大量の焼死体を目撃している(P158)記録映画でも米軍が火炎放射機で日本人を掃討する光景があるが、見かけは近代的な兵器だが、考えてみれば、人を焼き殺すと言う残忍な兵器である。許し難いのは戦闘が落ち着くと米軍の残虐な遊びが増えることである。最初のうちは殺した日本人は放置していたが、後には死体を切り刻んでいた(P173)というのだ。ジャングルの掃討は最後になると困難になって米兵は憎しみからか、耳を切り取り手を切断し、戦果の証拠とするために首を切って持ち去った(P191)というから日本人にはできない行為である。耳を切り取るというのはベトナム戦争の米軍が行っているし、イギリス人は植民地のインド人の手首を切り取っているからあり得る話である。
母子の虐殺遺体は、母は腹を銃剣でそこらじゅう刺され、陰部は切り取られ、子供は原型をとどめないほど顔面を殴打されて殺されていた(P178)。筆者たちは砲弾跡に埋葬して線香代わりに煙草を備えたが、これも遺体に対する平均的日本人の行為である。米兵が頭蓋骨で遊ぶ光景何箇所かに見られる。頭蓋骨頭皮を剥いで射撃の的にしたり(P173)骸骨を集めてジープの前に飾ったり、小刀で加工して土産にしたり(P181)である。米兵が日本兵の頭蓋骨を土産にして、それで遊んでいる婦人の写真が米国の新聞にすら平然と載ったのは事実である。だから著者の記述には信憑性がある。米兵のこのような行為は前線の日本兵が知るよしもなく、戦後はそんな話は日本人には隠されたから、筆者は噂で嘘を書いたのではなく事実を目撃したのに違いないのである。支那人の言う嘘の日本兵の残虐行為は、日本人ではなく支那人ならではの行為なのでばれる。筆者の証言は米国人ならあり得る話だから信憑性がある。
ともかくも、米軍の残虐行為を本書から抽出したのは、人道的な米軍というのが戦後日本人に植えつけられた虚偽であることを言いたかったのである。ふたつだけ付言する。かつて米軍がこのようなことをしたということと、日米同盟の是非論とは別に切り離して考えなければならない。また支那軍は米軍より遥かに残虐非道な人たちである。物事は相対的なものである。だから日本軍は世界で最も規律正しい軍隊であったのである。