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書評・「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか・ジェームズ・B・ウッド著・茂木弘道・WAC

2018-09-19 14:25:39 | 大東亜戦争

 こうすれば大東亜戦争は勝てた、という類の本がけっこうあるが、それとは一線を画していように思われる。その手の本は大抵、テクノロジーに重きをおくか、シベリア侵攻の実施や、インド方面に進出して、インドを攻めドイツ軍と提携するようなものである。本書はあくまでも実際に起こった戦闘をベースに、いかによりよく闘うべきかの戦略を分析している。もちろんワシントンで日本軍が米国と城下の盟を結ぶことができるとは考えてはいない。その中で、従来より批判が強かった、日本潜水艦の運用の失敗に、明快な解答を与えている主として五章を紹介する。

 

第5章 運用に失敗した潜水艦隊

 筆者は、日本のイ号潜水艦などは、装備上の欠陥などがあるものの、総合的には優れた水上速度、長大な航続距離や安定した高性能魚雷などを持っているのに、惨憺たる結果しか得られなかった、という。この手の批判は常識になっているのだが、著者が言うのは過去の批判がレーダー装備などの技術的側面中心なのに、戦略的運用面にしぼっていることである。運用は技術的欠点を、特に初期には埋め合わせる可能性が大であった。それだけ有力な潜水艦隊を持っていたのである。

まずハワイ作戦後、修理のためにハワイから西海岸に帰投する航路に配置して襲う、ということと、そもそも西海岸からハワイへの航路は一本しかないのだから、一九四一年から一九四三年の期間に、この航路で商船を撃沈していれば、西太平洋の戦場の軍艦は補給を受けられず、戦力にならなかったと言う当たり前のことである。

 考えてみれば西太平洋への補給距離は米軍の方がはるかに長く、米軍は日本軍が何もしなかったのを訝しくすら思った、というのである。

 特に戦争後半では主力艦の攻撃や、輸送任務で潜水艦は損耗してしまっていたが、この時期なら自らを犠牲にして、日本側の防衛体制を構築できた、と言うのである。日本の潜水艦が戦闘艦の攻撃に固執して、輸送の妨害を何もしなかった、というのは罪悪的ですらある。一方で日本側は米軍による輸送妨害に苦しんだのである。日本の潜水艦指揮者すら初期の段階で、戦闘艦攻撃から、商船攻撃に切り替えるべきだと主張していたが却下された。

本書は戦争初期に適切な行動を採っていれば、米軍の反攻は遅滞し、遅滞すればするほど日本側の防御体制が堅固になり、加速度的に日本が有利になる、ということが基調である。

 

結論

 日本は米国に勝てたのか、ということに対する本書の結論は、リチャード・オーバリーの言葉を次のように引用している。

 

 うわべを見ただけでは、一九四二年初め、論理的な人なら誰でも、戦争の最終的な結末を予想できなかったであろう。連合国にとって状況は-この連合体制も一九四一年十二月になって実現したばかりであったが-絶望的で、士気を失わせるものであった。(中略)しかし、一九四二年から一九四四年にかけて、主導権は連合国に移り、枢軸国軍は、深刻な形勢逆転を経験することとなった。(中略)一九四四年までには、連合国の士気喪失は払拭された。当時の人々は、公算は今や圧倒的に連合国の勝利にあるとみることができた。(P172)

 

 そして筆者はこのことは、ヨーロッパ戦線のみならず、太平洋戦線にも適用できると言う。日本軍には一九四一年から一九四三年に起きた結果から逆転された。しかし、日本軍はこの期間、さまざまな形の最終的勝利のために必要な状況を創出する多くの機会があった。最低限でも「以前の」状態に戻る、ということを双方が受け入れるような勝利を得ることができたはずだ、というのが著者の結論である。本書はこの結論に至るための日本軍の戦略の間違いを述べるために書かれたようなものである。