毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
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書評「仮面の大国」中国の真実 王文亮 PHP研究所

2021-10-27 23:20:17 | 政治

 期待の1冊であった。何せ図書館に予約しても在庫は多いのに先着の予約が多く、借りることが出来たのは、1か月後だったから。著者は研究者である。1つのテーマに関して、かなりなスペースとデータを使って延々と実証的に追及する。反面素人の読み物としては冗長に感じる。この本の最大の指摘は、GDPは中国経済の実態を表しておらず、外資系企業により巨大なGDPのほとんどが支えられているのに過ぎない、と言う事だろう。 

 GDPでは属地主義の経済指標であるため、中国の土地において生みだされた付加価値額を表しているだけで、中国人が生み出した価値ではない、ということである。だからGDPがいくら大きくなろうと中国人自身が得る所得は大きくなってはいない。実際、国民にはそんな経済大国になっているという実感はないというのだ。本当はGDPから外国企業が稼いだものを引き、中国企業が外国で稼いだものを足した、GNI(国民総所得)が国民の収入の実態を表している、というがその通りである。中国は外資を導入して見かけの経済規模だけ大きくなっているのである。自ら汗を流して働くのではなく、人の稼ぎをあたかも自国のものであるかのように見せているのである。 

 この他に指摘されているのは、一人っ子政策に代表される、人口政策と汚職の問題である。汚職については、公務員の汚職かと思ったら、民間であっても職権を利用した職権乱用による腐敗がある、というのには驚いた。例えば自動車学校で順調に試験をパスしたければ、試験官に物をあげたりする必要がある、というのだからさすが中国である。ただ気になるのは、一方で公務員の汚職が共産中国だけではなく、歴代王朝の伝統である、といいながら、最後に汚職の監視システムなどによって事態を改善することは、共産党の独裁が続く限り無理だと言って、結局民族性に原因を求めていないことである。 

 また著者には中国人らしい恐ろしい人権感覚があるように思われる。巨額の汚職に対して死刑に執行猶予が付いたのに対して、金額の大きさから死刑を言い渡してもおかしくない、という見解に対して疑問を呈していないことである。近代国家で汚職によって死刑になる、というのは考えられることではあるまいと思う。


Bf109G-6 その3

2021-10-18 15:27:42 | プラモコーナー
 
G型からつけられた機首バルジに、目玉の塗装がされているバージョンを選んだので、まずは黄色と黒のデカールを貼った上に、目玉のデカールを貼るので、下地の黄色と黒のデカールを貼った上を、艶有のクリヤーで押さえる。


目玉も無事はいりました。ステンシルを含めてデカールは全部貼り終わりました。スピンナーの白黒はデカールがありますが、エアブラシで済ませるつもりです。


 塗装図を見ていたら、おっとっとの忘れ物です。胴体の鉄十字マークの直後にブルーグレーの帯があるでありませんか。しかも、横と下しかなく、上面は迷彩で覆われているという、ややこしいものです。しかも色合いが下面色よりやや暗いだけ、という判然としないものです。諦めようかと思いましたが、思い切ってグンゼの308を筆塗りしました。


 あとは可動風防とプロペラを取り付けるだけ。


 話はさかのぼりますが、問題は主脚にありました。普通は機体を組み立てて、塗装が完成してから最後に主脚を取り付けるのですが、このキット、そうではありません。組み立ての際、主翼付け根の胴体下面部品A11を取り付ける前に、写真の主脚のA11部品の赤の張り出しを胴体下面に埋設してから、A11を接着するのです。こうすれば強度はあるし、主脚の角度も正確に取り付けられます。

 これはメーカーの親切なのですが、小生は説明書を見ずに、主脚取り付け前にA11部品を接着してしまいました。部品の摺合せも塗装も済ませてしまったのです。主脚を取り付けようとしてこのことに気付いたのですが、後の祭り、入るはずもありません。しかたなく、赤マークの脚の張り出しを2mm位残してちょん切ってしまい、胴体に押し込んだら無事取り付いたという次第です。


という訳で無理やり押し込んだ主脚も無事取り付きました。




書評・インパール作戦の真実

2021-10-07 16:34:03 | 大東亜戦争

 私としては、やっと納得できる本に出会った、という気持ちである。著者は医師を本業とする、市井の研究者である。私はその事に必然を感じる。日本の大学の専門の研究者の近代史観は歪んでいる。米軍の占領による公職追放で、左翼の学者以外は大学などから放逐された。米国などの連合軍に都合がいい歴史観を日本に押し付けるためである。その結果日本の歴史学界には、日本の近代史を否定的に見る学者しか育たなくなった。徒弟制度のような日本の大学では、師の意見に反する意見を発表する事は、職業を失う事を意味する。仕方なくそのような研究をする学者の弟子は、本気で日本の近代史を否定する考え方を持つようになる。こうして日本の歴史家は日本の近代史を邪悪なものとしてしか捉える意見しか残らない、という傾向が助長された。従って歴史でまともな意見は私にとって門外漢あるいは、市井の人しか期待できない事が多いのである。

 本書のテーマである、インパール作戦、と言うのは戦闘での死者より多数の餓死者を出して敗退した、何の軍事的合理性もない、意味無き戦いであった、と言うのが定説である。私には長い間、いくらなんでもわざわざそんな作戦を好んで行うはずはない、と言う疑問があった。ところが多くの歴史書はこんな素朴な疑問も持たずに、平気で日本の軍人は愚かだったから、という理由でインパール作戦の動機を解説している。あるとき、この作戦の発端には、チャンドラ・ボース、というインド独立運動家の熱意があった、という事を読んだ。そこで私は、なぜインパール作戦がインド方面に向かったか、と言う理由を納得したのである。

 日本はインドの独立を助けるためにインド国民軍と共にインドに攻め込もうとしたのだと理解したのである。この本でこの解釈は見当違いではなかったという事がようやく分かった。この本の構想は大きい。日本がインドに侵攻してインド独立を支援する事によって、英国が戦力を割かれる。さらにエジプトに侵攻しているドイツと連絡する事によって、連合国を分断する事が出来る、というものである。同様な事は「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」と言う翻訳書で訳者が「私は、インド洋作戦こそが、第二段作戦の中心であり、それによって英本国への豪・印からの原料・食料などの補給遮断、スエズ英軍への米からの武器補給遮断、カルカッタ-アッサムからの重慶への米補給路の遮断などの莫大な効果をあげることができる、と結論付けていた。」と語っている。

このインドへの侵攻の基本構想は開戦直前の「対米英蘭蒋戦争終末に関する腹案」に明記されている、と言う。すなわち海軍のハワイ作戦、ミッドウェー攻略などはこの基本構想に全く反するものであり、インパール作戦こそが基本構想にかなうものであった。この本ではインパール作戦発動が遅れた事、補給がない事を理由に三十一師団長の佐藤中将が侵攻を躊躇し最後は撤退してしまった事による、と言う。英国公刊戦史では佐藤中将の行動を非難し、あとひと押しで日本の勝利はあったのであって、英国は窮地に陥っていたとさえ言っているのだ。

ちなみにインパール作戦の中止に最後まで反対したのは、インド独立派のインド国民軍(INA)であった。インド国民軍を支援したのは独立への善意ではなく、日本の勝手な都合だと批判するむきもあろう。それは当然である。日本の作戦のため、と言う事と、インド独立と言うインド人の目的が一致したから提携したのである。軍事同盟の本質がとはそうしたものなのだと理解しない方がまちがいなのである。一方的な善意で他国のために自国の兵士を犠牲にする事は国際関係ではあり得ない。その事が理解できないから、日米安保の意味も理解できないのである。

 指揮した参謀の牟田口中将の評価も意外なものがある。戦史の常識では無謀な作戦から逃亡した佐藤中将の行動を、多くの部下を飢餓から救った人道的指揮官とし、牟田口を無謀な作戦を強引に発動した軍人として非難している。ところが佐藤師団の撤退によって佐藤師団は救われたものの、置き去りにされた他の師団は多数の被害を出している。あまつさえ、勝利さえ失ったのである。インパール作戦はむしろ大本営の望んだものであり、牟田口は上官に逆らう事を最も忌み嫌った軍人であったと言う事を記録で証明している。第十五軍の河邊方面軍司令官が、当初は作戦に積極的であったので牟田口を督励し、不利になって変心してもそれを明言せず、牟田口の指揮に一任したのである。

 従って牟田口自身には、勝手に作戦を強行したのではなく、上官の意図をくんで作戦を行っている、としか考えられなかったのである。しかも英軍は牟田口の指揮を高く評価しているのである。結局陸軍悪玉説のために、故意に英国の評価は隠され、佐藤師団長は人道的指揮官に持ち上げられてしまった。

佐藤中将の行動を知った他の師団の将兵は、佐藤師団によって置き去りにされたために、多くの仲間を失ったと恨んでいるのだが、この怨嗟の声は故意に隠されている。これらの事実を閲するに、つくづく日本海軍による艦隊決戦思想による博打的作戦行動と、戦略眼のある陸軍との相違が分かる。故に米軍の占領による情報統制は、陸軍を貶め海軍を持ち上げると言う評価を逆転する行動をとったのである。米軍が日本海軍善玉説を応援したのは都合が良かったからであり、陸軍の作戦は米軍の勝利にとって都合が悪かったから悪玉に仕立て上げたのである。

私は陸軍大学の教育の一部を解説した本を読んだ事がある。もちろん門外漢なので充分理解するには至らないが、地形を利用した作戦や部隊の配置などの教育は、マクロに見れば必然的に地政学的な考えを養い、ひいては戦略眼を養ったのであろう。これに引き換え武器の強弱だけに頼った海軍の艦隊決戦思想教育は、戦闘の仕方だけ教え、戦略眼は養わなかったのは当然である。特に日本海軍は、艦隊決戦だけに特化し、第一次大戦で得られた、補給の遮断や船団護衛という戦訓を全く無視したのだった。艦隊決戦に特化すれば、燃料や食料の補給ということは、艦隊内に搭載されたもので賄うという考え方になってしまうのである。

陸軍が戦略思想家と言われる、石原莞爾を生んだのは当然である。海軍で有名なのは山本五十六などであるが、優秀な戦略家であったという事ではなく、反戦であったとして持ち上げられる始末である。本来そんな事は軍人にとって褒め言葉ではあるまい。大東亜戦争の作戦や軍人の評価は全面的に見直すべきである。


Bf109-G6 その2

2021-10-01 14:39:31 | プラモコーナー
右舷側の塗装。モットリングはエアブラシの細吹きで塗ろうと思ったがかなわず、、はみ出した部分をコンパウンドで削るという、荒っぽい手法になってしまいました。それでもモットリングが上から下へ、後方に流れる塗装図の再現がある程度できたと、思っています。


可動風防です。塗装のために、木工ボンドで筆の軸に固定しました。塗装は筆塗りです。


固定風防の塗装です。手塗りですが、コクピットをマスキングしました。マスキングはコクピット周辺へのデカール抑えのクリヤーがコクピット内に吹き込み防止の意味もあります。