毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

書評・談合文化論」・宮崎学著・祥伝社刊

2019-08-30 22:57:42 | Weblog

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 タイトルに興味があって書店で偶然買ったが、タイトル通り単なる談合肯定論ではなく、むしろ文化論としても優れている。著者はもちろんプロの談合屋だったが、それを日本社会のありようまで研究している点が興味深い。私自身が子供の頃田舎の緊密な共同体に悩まされたから実感は強い。私の実家は調べると戦国時代に主君が敗れて帰農して土着したのだった。

 そのため近隣は同姓の親戚ばかりで、その本家だったから気の弱い小生は強いプレッシャーを感じていた。冠婚葬祭のあらゆる付き合いは血縁の内輪だけで行われていたものだった。落人に近かっのであろう。同じ大字でも、他の地区の人たちの付き合いはなかった。地方議会の選挙があると、夜は我が家に血縁の近所の家長さんが集まり、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。そこに、議員候補さんが来て、一升瓶と何やらを置いて帰っていく。そんな村社会も、今はすっかり消えた。昔からの村の自治の残滓を強く知っていたから、私には著者の言う「ムラの自治」の意味を体感できる。現代日本人で、ムラの自治を体感したことのあるものは、どれほどいようか。

 閑話休題、著者はムラの自治を基層として、建設業界の自治としての談合が発生したのだと言う。それが戦時中の統制経済による上からの談合、政官財癒着としての談合に変化するに従って歪みを生じているのだと言う。現在の建設業は独占禁止法の強化により、談合が排除された結果、自由競争により地方の建設業は大手ゼネコンに負けて悲惨な状況になっている。

 その癖、大手ゼネコンは政治家の集金組織として談合が続けられているのだと言う。そう言えば以前は摘発される談合と言えば、地方の中小業者によるものだったが、平成5年頃に摘発されたゼネコン汚職以来、最近のリニア新幹線談合等は、大手ゼネコンばかり摘発されている。昔知人の父が実は談合屋だった、と言う話を聞いた。もちろん故人である。

 ゼネコンに入っていつの間にか見込まれて、談合屋にされたのだが、付き合うのは社内の人間ではなく、社外の談合屋同士だった。談合社会に慣れたとき、会社で言われたのは、警察に引っ張られて本当の事を言いたくなったら窓から飛び降りろ、残った家族は一生面倒を見るから、というものだったそうである。血の結束があるからかつては談合がばれなかったのである。

 なぜ談合が内部告発等によってばれるようになったのか。著者の説を敷衍して言えば、ムラの自治の延長としての談合ならば、生きる世界はそこにしかないから、命を賭ける価値はあったのだが、政官財の癒着に利用されているだけのものならば、命を賭ける価値は無いからなのだろう、と私には思える。ムラの結束とはそれほど強いのだ。

 著者は良い談合と悪い談合に分けて、良い談合は復活せよ、と言う。ムラの自治の延長としての談合が良い談合で、悪い談合とは政官財の癒着に利用されているだけのものである。ある建設業界紙に、かの山本夏彦氏のインタビュー記事が載った事がある。山本氏は平然と、建設業に談合はあるんでしょ、いいじゃありませんか、と発言すると、インタビューアーは、そういう話はどうも、と逃げてしまった。

 山本氏は談合肯定論者ではあったろうが、著者ほどに談合のあり方に深く突っ込んではいないそこがこの本の価値である。談合は日本の風土である。もちろん建設業ばかりではなくあらゆる民間取引にもある。新聞業界だって談合している。新聞の価格、休刊日である。全国紙で唯一安い産経は夕刊がないのと、ページ数が少ないので安くてもよいと言う、談合仲間のお墨付きをもらっている。休刊日は他の社が休んでいる間に、抜けがけで売って儲けられると困るから談合して決めているのである。果たしてこの本、ムラ社会の経験のない者に理解できるものか、と私は思うものである。


芸術と猥褻

2019-08-29 22:41:08 | 女性イラスト

 芸術と猥褻と言う言葉で多くの日本人に思い出されるのは、伊藤整のいわゆるチャタレー裁判である。伊藤が翻訳出版した「チャタレー夫人の恋人」が芸術か猥褻かを法廷で争ったものである。内容の如何にかかわらず芸術なら猥褻ではないから、合法であり発刊禁止にはならないが、猥褻なら公序良俗を乱すので違法であるというのである。このような愚劣な論理を真面目に法廷で争ったのである。 

 芸術だから猥褻ではないと主張した伊藤もどうにかしている。素直に考えるとこの判断基準は馬鹿げていることがわかる。芸術か否かというのを、丸か四角かという形状に喩えれば、猥褻か否かというのは赤か青かという色の相違に喩えられる。

 つまりこの裁判は、丸いものなら必ず青色であり、四角なものなら必ず赤いというに等しいことを前提にした没論理である。猥褻とは広辞苑によれば、男女の性に関する事柄を健全な社会風俗に反する態度方法で取り扱うこと、だそうである。換言すれば、それを鑑賞した場合に著しく性的興奮を喚起するものであり、社会に公然とさらすことの不適当なものの形容であろう。 

浮世絵の春画はどうみても猥褻である。猥褻でなければ春画とは呼ばない。だが同時に秘めやかにではあるが社会的要請があって制作されたものであるという点において芸術である。ミロのビーナスは確かに美術館で展示することが認められているが、少年少女ならば内心公然と見ることを恥ずかしく思う人たちもいるだろうし、地域や時代によっては猥褻と感じる場合もあるはずである。 

だがミロのビーナスは一般には優れた芸術とみなされているのは間違いない。浮世絵の春画でさえ多くの作品は優れた芸術と評価されている。ここで芸術と猥褻という表現を取上げたのは、芸術、特に優れた芸術は高貴なものであり、鑑賞者に不純な感情を与えるものではないという誤解が一般には存在するからである。

  特に日本人にはその傾向が強いように思われる。だがあえて言う。芸術は高貴なものもあればそうでないものもある。優れた芸術であっても同様である。高貴か否かということは扱うテーマや作家の作風によって至る結果でしかない。テーマが猥褻であれば、芸術も猥褻となる。それだけのことである。

 

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なぜ中国は北朝鮮の核武装を放置しているか・パート2

2019-08-29 20:35:56 | Weblog

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 さて本題は、なぜ中国が北朝鮮の核武装を放置しているかである。北朝鮮はミサイルの射程を逐次延伸している。従っていつかはアメリカに届くミサイル、つまり大陸間弾道ミサイルを開発する。これは米国の脅威にはなり得るが、中国の脅威にはならない。ただし、米国の本当の脅威となるのは、核弾頭を搭載した場合である。

 中国は北朝鮮から核ミサイル攻撃を受けて、少々の被害を受けても動じない。国民の被害を無視できる政治体制である。しかし米国はそうではない。北朝鮮から核の恫喝を受ければ民心は動揺する。つまり核ミサイルは一方的に米国への脅威となる。何よりも北朝鮮が中国を核攻撃すれば、地上軍でも核兵器によってでも北朝鮮は、瞬時にして全滅させられる。

 必要ならば、地上軍を派遣して、北朝鮮中枢を壊滅させられる。北朝鮮は、国民がいくら殺されても、何の痛痒も感じないが、中枢の人間は殺されるのには耐えられない。北の核は中国とって何の脅威でもない。

 しかも中国は北朝鮮が米国の核攻撃を受けたところで何の痛痒も感じない。ところがさすがに中国といえども、米国が大量の核兵器で全力で核攻撃をすれば、壊滅の危機を感じる。つまり中国は北朝鮮の核兵器で米国に脅威を与えることで、自らは安全圏にいて、米国を恫喝できるのだ。北は体のいいバッファである。

 もちろん隣国である北朝鮮は、地上から中国から蹂躙されるから、中国のいうことを最後には聞く。つまり北朝鮮は中国の核の手駒なのである。いざ台湾問題などで米中が緊張すれば、中国は、北朝鮮の核兵器を使って、米国の介入を阻止できる。それには、必ずしも、米本土に核弾頭が到達する必要はない。グァムや南シナ海に派遣される空母打撃群に脅威が与えられれば良い。
 
 かく説明した理由から、中国は世界の常識に反して、北の核ミサイルの開発を望んでいる。だから中国は、本気になれば北朝鮮の核武装を阻止できるのに、あえてそれをしないのである。中国人はメンツを重んじるなどというのは幻想である。

 ちなみに、そう簡単には問屋が卸しそうもない。北の核爆弾は、地上実験段階では完成しつつあるが、ミサイルに搭載する弾頭は、そう簡単には開発はできない。その状況証拠はある。中国は核弾頭を完成したら何をしたか。時は第一回の東京オリンピックの成功直後である。中国はミサイルに核弾頭をミサイルに搭載し、地上数百メートルで爆発させた。

 これで中国は米ソのみならず世界に、核ミサイル保有国であることを認めさせたのである。北が核ミサイル保有国であることを全世界に認めさせるためには、北朝鮮国内でいいから、数十キロトンの核弾頭をミサイルで空中爆発させなければならない。北朝鮮は、トンネル坑内の核実験しかできていないのである。

 もちろんトランプ大統領には、第一正面は中国、第二正面はイランだから、北朝鮮にかまけているゆとりはないのであろう。二正面作戦すらタブーなのだから、三正面などは軍が認めようはずがない。だから弾道ミサイルを打たれても、金正恩さんはいい人だと言っている。それでも、北の核弾頭が真に米国に脅威をもたらすなら、米本土への脅威のみならず、台湾情勢にも脅威となるから、北対策の優先度は必然的に上がるだろう。


なぜ中国は北朝鮮の核武装を放置しているか

2019-08-29 17:27:19 | Weblog

 中国が制止しているはずなのに、北朝鮮は核実験したり、ミサイルの実験をしたりしている。米朝の首脳会談により、一時中断したが、協議が進展しないと見るや、ミサイル発射を再開している。これをもって、北朝鮮は中国のメンツをつぶしたと主張するむきがある。これは中国がメンツを重んじる国だという誤った思い込みによる誤解である。中国人はメンツなど重んじはしない

 それは過去の行動から明白である。小平は、黒い猫でも白い猫でも、餌を取る猫はいい猫である、とか何とか言った。そしてあっさりと毛沢東の自力更生路線を放棄した。これはメンツを重んじる者の行動ではない。儲かれば何をしてもよいと言うのだから。メンツを重んじるなどと思うのは支那の古典の世界であって、現実の中国人の話ではない

 中国人は大人(たいじんと読んで下さい)などと言うのも同様である。かつて賠償を放棄すると日本に約束したのに、平然と中国は被害を受けたから、中国にODAなどの支援をするのは当然であると言って、日本の援助について、国民にも知らせず日本にも感謝しない。

 パンダを友好と称して貸し出すのに、賃貸料を取るがめつさである。これでは大人でもメンツを重んじるのでも、プライドが高い民族でもないことは明白である。

 だいいち北朝鮮にメンツをつぶされたと考えているのなら、かつては日本が提案した北朝鮮非難決議を議長声明に後退させるようなことをするはずがない。メンツをつぶされて怒ったのなら、北朝鮮に侵攻しても不思議ではない。多くの識者の意見に反して、中国は北朝鮮のほどほどの核武装を密かに望んでいるふしがあるからである。

 

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ハインケルHe113(またの名をHe100D)

2019-08-28 01:20:45 | プラモコーナー

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 このプラモの機体は、大戦機マニアならよくご存知の、He100Dです。 キット自体は俗に言うマルチマテリアル、つまりプラスチック以外の材料も組み合わせたものです。つまり普通には作りにくいものですが、この機体が好きな人にとっては、レジンキットよりは遥かに作りやすく、ありがたいものです。

 小生にとって、He100は単発単座の液冷エンジンの機体としては、日本陸軍の疾風と同じくらい最も美しいと思っているものだから、尚更です。以前にも72のキットは作りましたが、何せ小型なので、物足りませんでしたから48のキットは最高です。

 さてこのコーナーの解説は、これでは終わりません。当時のナチスドイツが世界中に実用機のHe113として宣伝されましたが、実際には採用されませんでした。問題はその理由です。例えばかつて健闘したが廃刊となった航空雑誌のエアワールドの「ドイツ軍用機写真集」には、性能はライバルの「Bf109Eを完全にしのいでいた。しかし政治的理由により採用は見送られ・・・」とある。

 政治的理由とは、社長のハインケルがライバルのメッサーシュミットと異なり、反ナチスだったので、ヒトラーにうとまれていた、と言うものである。日本の多くの解説書はこのよう書かれている。しかし単純に考えてもこれはおかしいのである。ハインケル社のHe111はドイツの主力爆撃機として生産されていた。爆撃機のほうが単価は高いから儲かるのである。エンジンの重大な欠陥を抱えていた、He177も強引に採用されて実用されているのである。事実上の欠陥機を作ったハインケルが本当にヒトラーに嫌われていたら、どうなっていたのか想像するがよい。ソ連などならスターリンの命令で死刑ものであろう。
 
 実はHe100にはいくつか重大な欠陥がある。小型で取り扱いが困難な面があるとされる、Bf109よりさらに小型であったから、さらに取り扱いが困難だったのに違いない。その上にカタログデータ上だけの高性能を狙ったために、蒸気翼面冷却という特殊な方法を採用している。上のプラモを見ればわかるように、液冷エンジンに特有の大型のラジエターがない。わずかに胴体下に小型の引き込み式の補助ラジエターがあるだけである。これで空気抵抗を減らして高速を得たのである。

 しかしこの方式は、故障が多いばかりではなく、主翼面の多くをラジエターに使っているために、弾が命中しやすくて壊れやすい。あっという間にエンジンが焼きついてしまう。通常のラジエターですら、被弾による被害は多いのにである。だからこの方式は競争飛行機だけに使われていた。結局この方式は軍用機としては各国でテストはされているが、採用されたことはなかった。つまり、そもそもHe100には根本的に無理があったのである。このようにHe100は技術的に採用されない合理的理由があったのである。

 しかしなぜ不採用が政治的理由であったなどと言われるのだろうか。それは戦後ハインケル自身がヒトラーに嫌われていたと語ったからである。要するに、ハインケルは主力爆撃機を大量生産するなど、戦争協力していたために、ナチスのシンパだと非難されるのをおそれて嘘をついたのである。しかも自社の技術的判断の誤りを隠ぺいすることにもなったからたちが悪い。世の中にはこのような話に満ちている。例えば朝日新聞は最も戦争協力していたために、戦後さかんに軍により弾圧されたなどという嘘を書籍その他でばらまいているのも、その類である。

 ちなみに小生それでもハインケルの飛行機には好きなものが多いのです。旧ソ連嫌いですが、旧ソ連やロシアの軍用機には好きなものが多いのです。どうも坊主憎けりゃ袈裟まで憎しという心境になれないのは変なのでしょうか。


米国は中国支配のために日本と戦争をしたかった

2019-08-26 22:00:34 | 大東亜戦争

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 一般に米国政府が日本を挑発し、対日戦を開始した動機は裏側からの対独参戦である、とされている。つまりドイツによって崩壊しそうになった英国を救うためである。ルーズベルト大統領は、欧州戦争への参戦を嫌う米国民に対して絶対に参戦しないことを公約して3選を果たした。そこでドイツと軍事同盟を結んでいる、日本に最初の一発を打たせることによって国民を引っ張ろうとした、というのだ。

 この見解に小生は以前から疑問を持っている。歴史年表を見てみよう。第二次大戦が始まった直後の昭和十四年の十一月、米国は中立法を修正し武器禁輸を撤廃した。昭和十五年の九月には英領に海軍基地を租借し、英国に駆逐艦50隻を供与した。昭和十六年の年頭の一般教書演説でルーズベルトは、独裁者の戦争を非難し、米国が安全を脅かされていると訴えている。これは間接的に対独参戦を訴えるものである。それまでも武器輸出をしていたが、昭和十六年の三月は武器貸与法を成立させ、大々的に英ソに武器援助を開始した。武器貸与とはレンドリースのことで売る代わりにリース、という名目にして援助される側の負担を軽減したのである。

 以上の例は米政府が第二次大戦への関与を確実に強めている事の証明である。これらの一連の行動を見れば、米国民が真珠湾攻撃まで対独参戦に反対していたなどと言えるのだろうか。米国は民主主義とジャーナリズムの国である。国民は参戦国に対する武器援助が厳密には国際法の中立違反の事実上の参戦であること位知っている。野党はそれを口実に大統領の公約違反を非難することができるのだ。第一次大戦で米国参戦のきっかけとなったドイツの無制限潜水艦戦は英仏などへの米国の援助もひとつのきっかけである。英ソなどへの武器援助がこの点からも戦争への道であることは国民もジャーナリズムも承知していたはずである。しかしマスコミがこの点を突いて一連の政府の対応を非難したり、反戦運動が大規模に起こった形跡もない。せいぜい、リンドバーグらの小規模な反戦運動であって、それも参戦派に押されていた。既に米国は参戦する心構えが出来ていたとしか言いようがない。

 今の小生の疑問は既にここにはない。米国政府の本当の意図は対日戦自体だったのではないか、と言う事である。対日戦は対独参戦のおまけどころか、たとえ欧州で戦争が始まっていなかったとしても、機会を見て日本との戦争を望んでいたのではないか、と言う事である。鍵は支那大陸にある。日本は日露戦争以後深く満洲に根をおろしていた。欧州諸国も支那本土にそれぞれ根拠地を持っていた。一人米国だけが大陸への確実な手がかりがなかった。門戸開放などと言うのはアメリカ得意の綺麗な言辞であり、俺にも支那に入れろ、と言う事に他ならない。そもそも西海岸に到達してアメリカ大陸にフロンティアを失くした後、日本を開国させハワイを併合した目的は支那大陸であった。日露戦争後鉄道王ハリマンが南満州鉄道の共同経営を提案したのもその一環である。

 そして日本は支那事変をきっかけに泥沼のような戦争から抜けられないでいた。主戦論を唱える日本陸軍軍人ですら、本音は一撃で支那政府を降伏させようというものであって、このような長期の消耗戦は望んでいなかったのである。支那事変の長期化は蒋介石や毛沢東の裏でソ連とドイツも深くかかわっていた事は既に色々な研究で明白にされている。更に米政府の中枢にいたコミンテルンのスパイもかかわっていたのであろう。大陸に利権を持つ日本を追放するには消耗戦で日本を衰弱させ、「門戸開放」の実現が可能だったからでもあろう。支那政府の暴虐に決然と反撃する英米に対して、妥協的対応を続ける幣原外交はかえって支那政府と接近して英米の利権を犯そうとする試みに見えたであろう。既に満洲に権益を確立した日本が、今度は平和的に支那本土に進出しようとしているのだと見えたのかも知れない。

 アラン・アームストロングという米国人が書いた「幻の日本爆撃計画」という本がある。これによれば1940年頃から、蒋介石の提案した日本爆撃計画を米政府は本格的に検討し始めた、と言うのだ。これをJB-355計画と言う。もちろん公然と米空軍が実施するのではなく、戦闘機と爆撃機を国民党政府に貸与してパイロットは空軍を「自主的に」退役した米軍人が義勇兵として参加する、というものだ。参加の規模は時期によって変化するが最大の計画は戦闘機350機と爆撃機150機と言う真珠湾攻撃をはるかに超える規模のものすらある。攻撃対象は日本の主要都市と、工業地帯である。このような大規模な空襲が実施されていれば世界中に米政府に関係が無い、義勇軍だという発表を信じる愚か者はいない

この本には米国のある会社がこの計画のために八二名のパイロットと三五六名の技術者を雇用した事があると書かれている。つまり一機の飛行機には整備等の要員が四人強必要となるのである。さらに軽爆撃機としてもパイロットは一機当たり五名程度必要となる。こうして計算すると先の計画に必要な人員は一六〇〇人となる。更に後方支援要員や指揮官党が必要となる。これはそんな膨大な規模の計画なのである。米政府が実行できなかったのは、英国に爆撃機を廻す必要があったため計画が遅延し、実行する直前に真珠湾攻撃が起こってしまったためであるのに過ぎない。

 この計画の一部として一〇〇機ほどの戦闘機とパイロットおよび支援部隊が一九四一年一一月に派遣され、フライングタイガースとして支那大陸での対日戦に参加した。これはその次に送られてくるはずの爆撃機が真珠湾攻撃によって送られてこなくなって宙に浮いて戦闘機だけが活動した結果である。計画は梯子を外されたが実行の最中だった証拠である。これは米政府が本気であったことの証明である。対ソ戦のために動員された「関特演」が中止されたのとはわけが違うのである。そもそも「関特演」に動員されたのは老兵ばかりであつた。ポーズに過ぎなかったのである。

 それどころではない。「一九四一年の秋には、日本爆撃計画はアメリカの活字メディアで広く報じられていたからだ。」とさえ書かれている。その例として、ユナイテッド・ステーツ・ニューズ誌、ニーヨーク・タイムズ紙、タイム紙の報道の概要が紹介されている。これに対して米国内はどう反応したか。国民や野党は戦争をしないと公約して当選したルーズベルトを怒涛のように非難したであろうか。今日の目で見てもそのような反応はほとんど起こらなかった事は明白である。何故誰もそのことに疑問を持たないのであろう。その答えは、米国民は欧州との戦争に「若者を送り直接戦闘に参加する事を望まなかった」のであり、日本との戦争は許容していた、と言う事でしかあり得ない

 なぜ欧州での戦争は嫌い、日本との戦争は許容されるのであろうか。アメリカは国際法に関しては、英国のように律儀な国ではなく、正義感と言うものが国際法の原則を超える事がある国である。日独に対して「無条件降伏」を要求するというチャーチルですら反対した国際法無視の行動をとった国である。だからレンドリースをして事実上の参戦をしても、兵士さえ送らなければ中立は守られる、という「中立法」の修正さえしたのである。その背景にはドイツの英国征服と言う恐怖に怯えると同時に第一次大戦でヨーロッパの諸国が膨大な戦死者を出したことを知っている、と言う事であろう。つまりヨーロッパに派兵すれば大量の若者が犠牲になる、と言う事を考えたのである。その苦肉の策が中立法の修正であったから世論は容認したのである。

 この本と同様に「オレンジ計画」と言う本の著者も日本に対する強度の偏見の持ち主である。この本には米国が恐れていたのは、意外なことに日本の海軍ではなく、陸軍であったと書かれている。日露戦争で精強なロシア陸軍を破った記憶があったのであろう。事実、機械化が遅れている日本陸軍でも戦略が良ければ米軍は苦しめられる、と言う事は太平洋の戦いでも証明されている。海軍はマシン同志の戦いだからワシントン条約で兵力差があった日本海軍は敵ではない、と考えたのであろう。元々の工業力の差に加え、支那事変で疲弊した日本は米国より建艦能力が遥かに劣ると推定したのも正しい。すなわち米国は地上戦を戦わなければ良く、海軍力と空軍力で日本を屈伏させればよい、と考えたのである。それにはいきなり本土空襲と言う手段は最短である。

 アームストロングによれば、・・・日本が“大量殺戮兵器”を保有していたことは言及に値する。日本は中国人絶滅を目論んだ戦争で炭疽菌と腺ペストを使用した。また、核兵器の製造に実際に取り組んでいたのである。

 この言辞だけでいかにアームストロングが偏見に満ちた人物か分かる。日本は支那事変に引きずり込まれたのであり、核兵器を実際に製造したのはアメリカである。自ら大量破壊兵器を開発使用したのには眼を瞑るのだ。だが問題はその次である。

第二次大戦終了時の国際連合結成の前の時点では、国際法は、一国が切迫し、かつ即時に起こり得る敵国からの攻撃の危険に対して取る先制軍事攻撃を認めている。・・・ブッシュ大統領はアメリカ国民に対しても国際世論の陪審に対しても、イラク政府が大量殺戮兵器を保有していたと納得させるに足る証拠を提示した、と万人が認めているわけではない。・・・しかし、イラク政府は二〇〇一年九月一一日の合衆国本土における同時多発テロに関わっていたと主張する者もいるのである。この分析の下では、イラクは”悪の枢軸“の一部であり、アメリカの報復攻撃-先制攻撃ではないとしても-を受けて当然だった

更に別の箇所では、

JB-355が予定通りに実行されていれば、それは日本に対して中国でさらなる資源を消費することを強いる手段を、アメリカその他の連合国に与えることになり、その結果、日本の真珠湾奇襲は阻止されていたかもしれない。
アメリカと中国による対日先制爆撃が一九四一年一一月初旬に始まっていたとすれば、アメリカ陸海軍は非常に高度の警戒態勢を敷いていたはずだ。・・・真珠湾攻撃から、あの奇襲と言う要素が取り除かれていた可能性は大だっただろう。

 つまり計画が実行されていれば、実行の時期によっては真珠湾攻撃は中止せざるを得ないか、反撃にあって失敗するかしただろうということだ。米国の防空能力は高い。完全な奇襲ですら、約300機の攻撃に対して、およそ10パーセントに当たる、29機を撃墜しており、特殊潜航艇は全艇が撃沈されている。わずかの損害と一般には書かれているが、実際は10%もの損害を受けたのである。日本本土爆撃では奇襲ではなく本気で迎撃したにもかかわらず、撃墜率は3%にも満たなかった。アームストロングが言うように真珠湾攻撃が失敗した可能性は大である。イラク戦争を引き合いに出したのは象徴的である。著者は日本本土先制爆撃によって、日本軍はイラク軍のように緒戦でまたたくまに敗退したはずだと言いたいのである。しかも米国は国際法上も先制攻撃の権利があったとも言いたいのである。つまり長期の支那事変によって、日本は米国の一撃でもろくも敗退すると思われたから米国の朝野は、欧州戦争と異なり戦争を忌避していなかったのである。

イラク戦争を見よ。機械化部隊の快進撃でほとんど損害もなく短時間でイラク軍は降伏した。大量破壊兵器が無かったのではないか、などと非難されるようになるのは、正規戦が終わって親米政権ができたのにもかかわらず、ゲリラ戦で正規戦の何十倍もの被害を出すようになったからである。一撃で倒せる日本との戦争は、支那大陸と言う新しいフロンティアを求める米国の朝野にとって望ましいものであった。もちろんこれは仮説である。しかし米軍による日本爆撃計画が公然と大手マスコミによって報道されていたにも関わらず全く反対運動が起こらなかったことを説明するにはそれしか考えられない。計画は厳重に秘匿されていたのは確かである。それにもかかわらず公然と報道されたのは故意にリークされたとしか考えようがない。そしてリークしたのは世論の反応を見たかったのである。さすがに世論によって国策が動く米国である、と言ったら皮肉になるのだろうか。

ひとつ思う。日本人が中国人の絶滅を企画していたなどと言うでたらめを、まともな米国人が普通に思うのは、米国人がフロンティアとして支那大陸を支配したいのに、それが日本人の妨害でかなわないのがくやしいという思いの表れなのだろう。つまりアームストロング氏は米国人の思いを、中国人絶滅計画と言う妄想に投影したのである。


純粋芸術という夢想

2019-08-26 07:21:18 | 女性イラスト

 純粋芸術つまり「Purer Art」という観念は如何にして生まれたのであろうか。純粋芸術は哲学の産物ではない。画家も音楽家も中世西欧社会においてはパトロンの存在なしには語れない。画家も音楽家も、市民社会のない中世社会においてはパトロンなしには裕福な生活はできなかった。これは芸能や芸術というものの本来的宿命の一形態であろう。日本では芸人は河原乞食と呼ばれたの対し、狩野派の絵師たちは室町幕府以来、歴代の幕府お抱えの絵師集団で、生活は保障されていた。

 

 これはまさにパトロンに依存して権威主義的で、優雅な生活を送る者と、貧しかった市民社会に享楽を与えて、実力で報酬を得ていた者との隔絶した人生の象徴である。浮世絵師たちがそれなりの地位を得ていたのは、江戸時代に市民社会が育ち、大量に印刷される浮世絵を購入する層が育っていたからである。一枚当たり単価の高い狩野派はパトロンに雇われなければ存在できず、薄利多売の浮世絵は、市民層の購入力に依存することができたのである。

 

 私はパトロンに抱えられた狩野派やかつてのヨーロッパの芸術家を非難しているのではない。パトロンに抱えられることで、芸術の健全な目的意識が生じ、まともな芸術家の人生を歩んだことは、大衆のために芸能活動したために、河原乞食と呼ばれた人たちにひけを取るものではない。芸術の価値は生活の貧富にも人格の善悪にも関係がない。ただ作品だけが証明する。ヨーロッパでは中世の王侯貴族の社会が崩壊した。すると多くの画家と音楽家は世間の寒風に放擲された。音楽は元々世俗のものである。歌謡を、民謡を歌わない民族大衆は世界にいない。パトロンがいなくなっても、音楽家は大衆に埋もれることができたのである。

 

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地球温暖化のまやかし

2019-08-25 00:45:16 | 社会

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 平成22年の10月の初め、あるところで広報雑誌とおぼしきものを手に入れた。その中に「地球温暖化について考える」という連載があったのでありがたくいただいてきた。京大名誉教授の芦田和男氏の論文である。この中に地球温暖化について考える貴重なヒントがあった。気候感度である。CO2が二倍になった時の気温上昇を気候感度と言うのだそうである。芦田論文によれば気候感度は2から3度で、最近の衛星を使っての観測では1.6度である、との事である。

 日本のCO2削減の話を聞いている、普通の知能の人はこれを読んで驚くだろう。つまり鳩山前首相が20%削減、と世界に発表して大騒ぎになったのに、CO2が倍になったところで、気温は1.6度から最大3度しか上がらないのである。数学を忘れていない人は気付くだろうが、横軸をCO2濃度として、縦軸を気温上昇としたグラフを書けば、これは対数関数である。

 つまり気温をT(℃)としCO2濃度(ppm)をGとすれば

T=C1logG+C2

と表わされる。ここでC1とC2は定数である。数学のコーナーではないので説明は省略するが、この定数C1が気候感度である。気候感度をC1を2とすれば、現在のCO2濃度を300ppmと仮定して、それが倍の600ppmになると気温は現在より2度が上がる。それが、さらに現在より4度気温が上がるためにはCO2濃度は、900ppmではなく、さらに倍の1200ppmにならなければならないのである。僅か2度の気温上昇がCO2の排出増加だけによっておこったとすれば、空気中のCO2濃度は劇的に変化していなければならないことになる。そんなことはないのである。


  逆にわずか2度程度の温度上昇を止めるには、排出量の削減どころか、人為的なCO2の排出を止めるしかないという事である。そのためには人間の工業活動を一切止めなければならないのである。わずか、2度の温暖化防止のために!!現在の世界情勢ではわずか20%の削減すら絶望的である。全世界の人為的なCO2排出量を20%削減したところで、現在よりCO2濃度は確実に増加しているのであって、増加率がわずかに減少すると言う事に過ぎない。

 以上の事は全てCO2濃度の上昇が工業化などの近代の人間の活動によっている、と言う事を前提としているが、芦田論文が引用しているグラフによれば、CO2濃度は確かに1970年度以降急に上昇しているが、それ以前の1740年から1970年の間にも直線的以上の上昇を示している。つまり人間の工業活動がなくてもCO2濃度は確実に上昇しているのである。こう考えてみると日本が工業や経済活動まで犠牲にしてしようとしている排出量削減とは何か、と言う気がしてきませんか。

芦田氏は他の著名な学者のように、CO2削減活動の支持者かと思っていたが、最後の方でこう述べていることから、バランスのとれた考えの持ち主だと分かった。
 
 さまざまな研究者や過去のデータにあたった結果、人為的な要素と自然現象が重なって起きている問題ではあるが、CO2によるものではなく、自然現象の変動がこの温暖化の大部分を占めているのではないかと考えるにいたったからである。過去に置いても現在の温暖化と同じような変動がみられ、それは太陽活動の変化によって説明されているからである。

そしてこう警鐘を鳴らしているのには考えさせられる。

・・・温暖化であろうと寒冷化であろうと、気候が変動すれば雨の降り方が変わり、洪水や渇水として生態系に大きな影響を与える。

これは至極妥当な指摘であって、人間の工業活動によるCO2排出増加による温暖化だけに集中して大騒ぎしている世界、特に日本の無知な現状には肌寒いものを憶える。最後に、地球の気温はマクロな変動とミクロな変動があり、ミクロな変動では気温上昇をしているが、マクロな変動では気温低下していることである、と言う事だけを言っておく。つまり地球は確実に氷河期に向かっているのである。

 氷河期よりも、気候が温暖な方が、食料生産に有利であることは言うまでもない。現代人の生きている間は、愚かな温暖化騒ぎは続くのだろう。現に半世紀前には今よりよほど雪が降ることが多かったから確かに寒かった。温暖化は事実である。しかし、今現在を生きている人々が死に絶えたころ、食糧危機を引き起こす、地球寒冷化騒動が起きるだろう。その時人類はCO2排出を増加させて地球の寒冷化防止をしよう、などという愚挙は行わないだろう。
 
 ちなみにこの広報誌とは「近畿建設協会」の「水が語るもの」である。色々な観点からの地球の気象データが紹介されていて無償ではもったいない位である。興味ある方は入手されてはいかがでしょう。同協会に問い合わせたら、この広報誌は同協会のホームページにすべてPDFで公開されて無料入手できるそうです。


また満洲事変を繰り返すのか

2019-08-24 00:35:09 | 政治

 以前のある新聞の記事で、米軍が北朝鮮軍から攻撃を受けてそばに自衛隊がいても、守る事は出来ない、というのがあった。しかし実際にこのような事があったら、現場の自衛隊指揮官は躊躇なく米軍を支援して反撃するだろう。眼前に同盟軍が攻撃されているのを座視する軍人はいないからである。

 もちろんこれは重大な違法行為である。これは満洲事変を想起させる。むしろ満州事変で越境した、林銑十郎朝鮮軍司令官に相当するのかも知れない。いずれにしても当時日本には条約上の権利があって軍隊が南満州に駐留していても、満洲で働く日本国民に中国から殺人を含む様々な迫害が加えられていたにも拘わらず、政治家は政争に明け暮れるだけで、何らの有効な対策をしなかった。


  満洲の日本人と権益を守る任務の関東軍が、眼前の不法行為を座視する事ができようはずがない。満洲事変は現地の実情を知らない政治家の無責任によって必然的に起きた事件である。また、林司令官の越境支援は軍事上当然であった。米軍への攻撃の際に自衛隊が援護するための、集団自衛権の行使を具体的な事態を想定しもしないで、党利党略しか考えていない政治家の無責任は、戦前の政党政治を彷彿とさせる。

 確かに限定的に自衛隊の集団自衛権行使は認められた。しかし、これは事態が日本防衛に必要な場合という、重大な足枷がある。北朝鮮軍が米軍を攻めただけでは、自衛隊が援護はできない。必ずしも直接的に日本が危機にさらされた、とは言えないからである。この想定は荒唐無稽ではない。米海軍と自衛隊護衛艦共同訓練中に、北朝鮮爆撃機か潜水艦が突如攻撃する、というのはありうる。
 

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米海兵隊は捕虜を取らない

2019-08-22 13:01:47 | 連合軍の残虐

 米海兵隊は、少数の情報入手用の日本兵を除き、捕虜を取らない方針だったから、その旨命令を出していた。このことは当時の海兵隊将校の証言や戦後の証言によって確実である。ただし欧州戦線では確認できてはいない。米陸軍も大差ないと思われる。捕虜をとらない(=殺しちまえ)というのに死んだジャップは良いジャップ、と表現することもあったのである。

 それに気付いたのは、スーパーの特売で売っていた昭和25年頃のアメリカの戦争映画のDVDを買って見て、原語と字幕を比較したから分かったので、随分と迂闊な話である。これは「死んだインディアン良いインディアン」という言葉を想起させるから、対独戦とは違う、人種差別観を思い起こさせる。このDVDでは、最後の戦いが始まる時、司令官が、「情報が必要だから、英語ができるジャップは生かしておけ」と命令したのである。

 ある黒人水兵は、日本人パイロットの死体に、白人水兵たちが、死体を突き刺し金歯を抜き取った残忍な攻撃を目撃している(人種戦争・ジェラルド・ホーン著)。すると黒人水兵は、南部でリンチされた数々の黒人の写真を想いだした、というのだ。ドイツ人に対するのとは違う人種差別観があるのです。チャールズ・リンドバーグら米国人自身が、戦争初期には多くの日本兵が投降しても、残虐に扱われるのを知った日本兵は、段々投降しなくなったと認めている。バンザイクリフで投身した日本人も、鬼畜米英の所業を知っていたのである。

 万歳突撃して機銃掃射を受けても、即死者の二倍位は負傷して人事不省などで生きている日本兵はいたはずである。米兵は呻いて転がっている日本兵にとどめをさしたのである。こうして太平洋の島々では、皆「玉砕」となってしまった。戦闘中の行為ですから国際法上は合法ではあるが、常識からは非人道的である。

 他には、赤十字マークの野戦病院を襲って、動けない傷病兵を皆殺しにした例も少なくなかった。これは完全に違法行為であった。また赤十字マークをつけた病院船が負傷者や女子供など民間人を本土に移送するのを、潜水艦が潜望鏡で赤十字を確認したのに撃沈してしまいました。米海軍は武器を搭載していたから正当だ、と主張していますが、沈没してしまった船なのに、どうして武器があるのかわかったのでしょうか。