毎日のできごとの反省

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栗田艦隊の逃亡

2019-06-11 23:08:34 | 大東亜戦争

 日米海戦で、最大の謎とされるのが、レイテ沖海戦での謎の反転である。知らない人に簡単に紹介する。

 栗田艦隊は昭和十九年十月二十五日スプレイグ少将の率いる77任務部隊の護衛空母六隻以下と遭遇した。空母ガンビア・ベイ他駆逐艦を撃沈したものの、北方に機動部隊がいるとして、反転撤退してしまった。これを戦史では「なぞの反転」と称している。

 しかしこれは謎でも何でもない。栗田艦隊はいつまで攻撃しても執拗に駆逐艦や航空機で反撃する護衛空母群にあきれて追撃をやめて集結した。日本側は重巡洋館三隻4万トン以上が沈没。米側は護衛空母一隻と駆逐艦三隻、2万トン程度が沈没。戦力は圧倒的に日本側が大きい。戦闘終了は九時十六分。攻撃命令が出たのが六時五十四分だから二時間以上攻撃した結果である。

 朝日ソノラマの文庫版航空戦史シリーズのレイテ沖海戦(下)によれば、三〇ノットで逃げる正規空母を追撃して深追いしても空襲で撃破されるというのが、攻撃中止の理由である。九時四十五分には正規空母が北方にいるという電報を受け取っていたという。このときレイテ湾からも約二時間である。

 正確には不明であるが集結を終えて北進の決断をしたのは、十二時十五分ごろ。このときにも空襲を受けている。正規空母の攻撃に耐えられず逃げたものが、正規空母攻撃に向かうというのである。栗田艦隊は米軍機の執拗な攻撃に疲れて逃げたのである。この矛盾を指摘するものがいないのも不思議な話である。栗田は単に逃亡したのに過ぎない。

 確かに栗田艦隊がレイテ湾に突入しても、米輸送艦は揚陸作業を終了していたのは事実である。だがレイテ湾にいた米戦艦軍がそれまでの戦いで弾薬を打ち尽くしていたから容易に攻撃して勝てたという説は間違いで、米戦艦に弾薬は充分あったと立証した者もいる。しかし上陸した米軍を撃つこともできた。敵の弾薬が空でなければ日本艦隊は戦わないのか。

 レイテ沖海戦以後日本艦隊は本土に閉塞していた。レイテ沖海戦から生還した9隻の戦艦のうち空襲で大破破壊着底せずに戦後まで浮揚してかろうじて戦力として残ったのは長門一隻だけである。大和は日本海軍が戦力を残して敗北したという「不名誉」を避けるだけの目的で、戦果を挙げずに撃沈されるために沖縄に出撃した。そのとき大和は対空砲火としてすら主砲を打つことはできなかった。たとえ敗れたとしても大和はレイテ湾でならば、米戦艦と対決することが出来たのである。同じ全滅なら、多少なりとも米軍を撃破したほうがましではないか。

 それどころではない。半藤一利氏によれば(*)通説では栗田中将のもとには小澤艦隊によるおとり作戦に成功したという電文が栗田に届かなかったというのだが、実はGHQに対する証言で小澤艦隊の戦況を知っていたが、もう時期遅れだと思ったと言ったという。これに対して半藤氏は何と「謎」と言っている。小澤の犠牲の成功を知っていても、栗田は卑怯にも逃げたのである。

 それならば小澤艦隊がハルゼーの機動部隊のおとりになって沈むという作戦計画は何なのか。そして電報が栗田のもとには届かなかったと言う定説は多数の旧海軍幹部によってなされたものである。崩壊した海軍の名誉の何が大切か。嘘で守る名誉とはなにか。半藤はレイテ湾から反転する重巡羽黒の士官の気持ちとして「ああ、これで終わるのだと思った将兵は多かった。」と書いている。これは指揮官栗田の気持ちでもある。一兵卒としてはそれでもよかろう。しかし指揮官がそれでは戦争はできない。繰り返して言う。栗田は逃げたのだ。

 もう一つの栗田艦隊の過誤は、サマール沖の護衛空母追撃で戦艦と巡洋艦に先頭をきらせて、駆逐艦を後衛にしたことである。相手を正規空母と誤認していたのだから、相手は高速であり補足するのに高速の駆逐艦にしくはない。しかも駆逐艦は艦隊の前衛として、魚雷戦で敵艦隊を撹乱暫減するために長らく計画訓練されたもので、これでは本来の任務の放擲である。

 このように大東亜戦争の日本海軍の戦術は、過去の作戦計画の趣旨から離れた不適な使い方をしたものが多い。駆逐艦を後衛に回した理由のひとつが、全力航走による燃料の浪費を恐れたというから、退嬰の極みである。栗田艦隊の反転といい、サマール沖の追撃中止といい、見敵必殺の闘志のないものに勝利はない。数的に劣った日本海軍の指揮官の闘志のなさは、劣勢で日本戦艦群に突撃して護衛空母を守った米駆逐艦の闘志にはかなわないのは当然である。

 また米海軍は煙幕を時々有効に使っている。スラバヤ沖海戦でも駆逐艦の煙幕により戦闘が一時中断しているし、サマール沖海戦でも米駆逐艦が煙幕を有効に使って護衛空母群を守っている。何よりも戦艦と重巡の大群に突撃して護衛空母を守ろうとする駆逐艦の闘志は天晴れという他はない。既に圧倒的に優勢であった米海軍にしてこの敢闘精神である。

 スリガオ海峡海戦の図面を見るがよい。スリガオ海峡からレイテ湾に突入した、西村艦隊は不利な体制でも何の工夫もなく、打ってくださいと言わんばかりの整然とした単縦陣でと直進し、何の戦果もなく全滅した。レイテ湾内には、米輸送船とそれを守る戦艦、巡洋艦軍がわんさといたのは事前情報で分かっていた。西村艦隊は、せめて巡洋艦と駆逐艦群を先行突入させ、魚雷を一斉に発射するべきであった。援護の戦艦群は、日本艦隊に横腹を見せて往復していたのである。

 射程の長い酸素魚雷は本領を存分に発揮し、レイテ湾の奥まで突入して大戦果を挙げたであろう。西村艦隊はいずれ全滅しただろうが、それに相応する戦果を挙げることはできただろう。西村艦隊の敢闘を是とする論者ですら、この程度の戦法を挙げないのは、不可解というしかない。第三次ソロモン海戦では挺身攻撃隊の比叡が、探照灯を照射して、重巡群に返り討ちに会うという拙劣な戦法をとった。片や煙幕で身を隠すのに対して、日本海軍は明かりで敵に目標を見せて示してあげたのである。後の夜戦でワシントンが霧島を撃沈したのも、レーダー管制射撃によるものではなく、レーダーで霧島に見当をつけ、霧島の探照灯に光学測距儀照準して射撃したのである。米軍艦は探照灯ではなく、艦砲で星弾(照明弾)を打って、照明として射撃照準の補助としている。探照灯より危険が少ないのである。

 私はこの探照灯照射は成功であったという発言を平成8年頃旧海軍の幹部から防衛図書館のセミナーで聞いた。どこまで身びいきであろうか。陸軍に比べ開明的とされる海軍は、実は頑迷で戦後まで嘘をつき続けている。そのことは硫黄島戦史をみればわかる。失敗し続けた水際防衛をして戦果なく全滅したのは海軍で、巧妙な指揮をして米軍を苦しめた栗林中将は陸軍である。海軍の善玉説は作られたもので、事実ではない。



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
栗田の敵前逃亡 (John Kim)
2013-09-05 02:03:49
栗田反転は単なる敵前逃亡だ。
栗田自身も接敵を避ける為の行動だったと言っている。
むざむざ敵の輸送船団と揚陸した人員資材を爆破する好機を逃した。
海軍指揮部は彼の敵前逃亡を戦術過誤か抗命罪に問わなかったのも不思議だ。
 (John Kim)
2013-09-05 02:10:24
眠っている猫が可愛らしい。
栗田の敵前逃亡 (John Kim)
2013-12-17 08:18:08
敵の空母からの攻撃を免れる為としても、レイテ湾に上陸している米軍を目の前にしながら、大和の巨砲を一発も打ち込まずに、退避したのは、許せない敵前逃避だ。 軍法会議に掛けるべきだ。
戦後になっても、彼は弁明が出来ずにいた。
栗田の敵前逃亡 (John Kim)
2013-12-17 08:20:50
敵の空母からの攻撃を免れる為としても、レイテ湾に上陸している米軍を目の前にしながら、大和の巨砲を一発も打ち込まずに、退避したのは、許せない敵前逃避だ。 軍法会議に掛けるべきだ。
戦後になっても、彼は弁明が出来ずにいた。

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