毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

株取引の不思議

2019-09-30 20:11:44 | 政治経済

 これは素人の株井戸端論である。専門家と言わずとも、経済に知識のある方に、教えを請うているのである。

 株価が高下しても、株式を発行した会社に直接の利害はない。株が上がると会社の信用は上がるが、直接の利益はない。会社の信用が上がれば、銀行の融資が増えるかも知れないが、単に余分に借金できるだけ、ということであろうが、借金が減るわけではない。儲かるのは株を保有していて、上がった時に売りぬけた人だけである。単に保有していて株価が上がっても、売らない限り儲からない。せいぜい配当が増えるだけであろう。

 小生は、そのことが不思議でならない。株には額面の価格があるのに、それより安くなったり、高くなったり取引ができることである。本来株を持っている人の利益は配当を得られることであろうが、現実に配当を得たいため、株を保有している人は少なかろう。株を持つ利益のほとんどは、安く買って、高く売った差額で得られる。

 確かに世の中の商品は、定価いくらと生産者等が決めたとしても、競争のために安売りしたり、人気があるために高値になったりする。家電製品のメーカーによるカタログ等の広告には、昔はメーカー希望小売価格、というものが書かれていて、店頭ではそれを値引きして販売していた。もっと昔は、メーカーが決めた「定価」というものがあった。

 しかし、現在はオープン価格、と書かれているか、何も書かれていない。販売店の店頭に、販売価格が貼られている。実際の販売価格は販売者が決めるのであって、製造業者が決められるものではない。株の取引価格もそれと同じだと思えばよいのだろう。現実問題としては、電気製品の価格は量販店では、ある店が値下げすれば、他の店もそれに合わせる、というように結果的に統一されていている。

 同様にネット販売ならさらに安く買えるが、せいぜい8がけとかの程度であって半額と三分の一になるわけではない。ところが株は時間がたつと勝手に高下して、倍半分になるというのは珍しくはない。変動幅が極端に大きいのが出てくるのである。しかもそれが経済評論家の言う、景気の良し悪しの指標になっている。株は株券を発行している社への投資ではなく、株の売買差額から利益を得る、投機の材料になっているのに過ぎないのにである。

 それはそれでいいではないか、と言われるだろう。大抵の証券会社の担当に聞けば、今○○会社の株が買い時ですとか、売り時ですとかしか言わないのだから。株式会社は、株を発行して得られた資金を元に運営する、という「株式」発明の当初の考え方からすれば、やはり単細胞な小生には不可解である。

 第二の不可解事は、株の保有者の売り買いの判断である。知り合いの投資家が、株を売りたいと言い出すのは、株が下がった時である。高いときに買ったのが、下がったから売れば損するではないか、と言うと、もっと損を出さないように、「損切り」をするのだという。

 投資家が株を買いたい、と言い出すのは上がり続けている最中である。高くなっている時に買えば、下がったか損するではないか、と言えば、「まだ上がる」と答える。それで買った途端に下がるのは日常茶飯事である。小生のような株取引をしていない素人から見れば、売りたいときは買い時で、買いたいと思う時は、売り時だとしか思われないのである。

 


ドルニエ Do335B-6 ドラゴン1/72

2019-09-29 17:28:19 | プラモコーナー

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 世紀の珍機Do335の夜間戦闘機型である。あえて夜戦型にしたのは、A型は、キャノピーの形が気に入らないのと、明るい塗装が似合うと思ったからである。ただし、可動風防に水滴型の膨らみがあるので、透明パーツの分割が多いから、接着には注意を要する。御覧のようにエンジンが内蔵されているので、後部左面のパネルを外しておいた。

 特段資料チェックの必要もなく、すらすら組み上がった。現在店頭にはないのがもったいない。心配したエッチングパーツのレーダーアンテナも塗装すると、ペラペラの板のような感じがなく、もっともらしく仕上がった。 レーダーアンテナは、典型的な八木アンテナで、英米で最初に価値を発見採用され、それに驚いた日本が、慌てて採用して大きな後れをとったという有名な逸話の産物である。 

インクスポット迷彩は、塗装図を1/72に拡大して平面と側面図のインクスポット部分をカッターナイフで切り抜いて、エアブラシで塗装する。面倒だが、図面がカバーしない部分はひとつづつ、画用紙に穴を開けたのでマスキングして吹いた。

 

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漢字を使うから漢民族と言う嘘

2019-09-28 17:38:06 | 支那大陸論

 漢民族とは何か。多くの文献書物では、漢字を使うという共通の文化を持った民族であるとされる。ところが世界史的に見れば、それほど馬鹿げた定義はないことが分かる。ヨーロッパの多くの民族は、アルファベットを使う。だからこれをアルファベット民族とひとくくりにするだろうか。

 ヨーロッパのアルファベットを使う民族には、ラテン系あり、ゲルマン系あり、多様な民族がいる。いかに同一の文字を使うという事で、民族の定義をするのが不適切か分かるはずだ。現に、英国人、ドイツ人、フランス人には共通した面すらある。イギリス人のジョージは、ドイツでは、ゲオルグ、フランスではジョルジュと呼ばれる。元のアルファベットのスペルはほぼ同じなのである。ここまで類似性があっても同一民族とは言わない。現在ではベトナム語までもアルファベット表記されている。ベトナム人はヨーロッパの人たちと同一民族かなどという嫌味な質問はすまい。

 それどころか英国の先住民であるケルト族は、文字を持たなかった。それでも独自の文化を持つ民族であったという事は有名である。民族を区分するには、風俗など、色々なものがあるが、最大なものは言語である。沖縄の人たちが日本人の一部であるという事は、沖縄の方言が日本語に属するという事によって証明される。

 もちろんヨーロッパでも同じドイツ語を話すドイツとオーストリアが別な国家を成しているように、同一民族が同一の国家に属する訳ではないという事は、世界中で珍しくはない。翻って、中共を見よう。

 中共では、漢語とひとくくりにされる言語でも、北京語、広東語、福建語、上海語などの多様な言語の地域に分かれている。北京政府の公式見解では、これらは一般には方言と言われているが、実は方言ではなく、英語、フランス語、ドイツ語といったほどの相違があるというのもよく知られている。

 
だから北京語を話す人が、広東語を習うには、英国人がフランス語を習うほどの努力を要するという。明治時代に、日本に来た留学生や、革命家の支那人が、言葉が通じないために、日本語か英語かで会話していたというのも、馬鹿げたようで、現実の話である。そもそも現代で使われている、中国という言葉は、その当時建国した中華民国の略称であって、それ以前、そのような意味で使われたことはなかった。日本人では、東北弁と熊本弁が通じなくても、慣れれば分かりあえるのだから、いかに漢語といわれる言語の間の相違が分かるはずである。

 英語の単語の60%はフランス語語源であると言われるが、異言語には違いない。英語とフランス語には、ゲルマン系とラテン語系という、根本的相違がある。同一語源の言葉の用法に相違があるから、かえって混乱するとも言われる。つまり漢語と言う単一の言語がない以上、漢民族と言うのは定義はいかに不適切か分かる。

 漢民族などと言う言葉は、独裁の圧政をしている共産党政権に利用されているだけである。それどころか、ウィグル人やチベット人を、少数民族扱いするために、ウイグル族やチベット族などという言葉や、漢族という言葉さえ発明した。それらを統一する民族概念として、今ではなんと「中華民族!」などという、新語を発明した。民俗学の愚弄でさえある。それは、ウィグルやチベットと言う、漢字さえ使わない民族への侵略を正当化する手段である。今や北京語ルーツの普通話なるものを、広東人や福建人などの」漢民族」ルーツの人たちばかりではなく、チベット人やウィグル人などにも、強制しつつある。これはかつて支那大陸を支配した王朝がなさなかった暴挙である。焚書坑儒を行った秦の始皇帝の暴挙以上である。始皇帝は、漢字漢文の統一をなしただけであって、言語の強制統一をしようとしたわけではない。漢文は、話し言葉としての言語の漢字表記ではないのだから。悲しいことに、多くの日本の学者や政治家がこれに加担している。

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戦陣訓への誤解あるいは嘘

2019-09-24 21:55:20 | 軍事

  戦陣訓に「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」と書かれていたから日本兵は捕虜にならずに自決や玉砕を選んだ、と言うのが今では定説の如くである。同時に捕虜にならないよう教えられていたから、当然のように投降する連合軍兵士を虐殺するのだと言う。
 結論から言えば後者は明らかな間違いである。戦陣訓をきちんと読むがよい。誰も引用しないが、戦陣訓には

 苟も皇軍に抗する敵あらば、烈々たる武威を振ひ断乎之を撃砕すべし。仮令峻厳の威克く敵を屈伏せしむとも、服するは撃たず従ふは慈しむの徳に欠くあらば、未だ以て全しとは言ひ難し。武は驕らず仁は飾らず、自ら溢るるを以て尊しとなす。

ともあるのである。意味は説明しなくても分かろう。激しい戦闘があっても、戦闘が終え降伏した敵は、慈悲の心で大切に扱え、と言っているのである。戦陣訓を忠実に守って死ぬような人間が、この条文だけ無視するなどと言う事は考えられない。日本軍の残虐行為、などと言う作られた物語を信じる人間は、たとえこの条文を知っていても無視するのである。


  そもそも私には、支那事変開戦以来幾年も経て、大東亜戦争開戦の1年前にもならない昭和16年の1月に作られた戦陣訓が、その後の兵士の行動を決定するほど徹底していたとは信じられないのである。日本兵であった山本七平は、戦陣訓などは聞いたこともなかった、と言っているが、これが真相であろう。極端に現実的な日本人が、一片の紙に書かれた言葉のために、恐怖を乗越えて敢えて死を選択するのが一般的であったとは考えられないのである。兵士であった父から、金持ちの子弟が軍に寄付をして将校になるのをカネ少尉と言うのだが、実力がないからカネ少尉は部下に馬鹿にされて、かえってつらい思いをしたと聞いた。

 親が軍隊で楽をさせようと思ったのが災いしたのである。また、指揮が下手で威張り散らす上官は、戦闘中に後ろから来た弾で戦死する、という噂があったそうである。真相の真否は確かめようもないが、うわさがあったことだけは事実らしいのだ。忠君愛国教育が徹底していたと言われる戦前の日本人も、このように現実的なのである。それだから一片の文章のために投降しない、などというのは到底信じられないのである。

 そもそも戦陣訓が作られたのは、長引く支那事変で兵士に厭戦気分が蔓延して、軍紀が弛緩していたのを引き締めるためである。その中に捕虜になるな、と言う条文が入れられたのは、支那事変の最中に支那兵に捕縛された日本人が残忍な方法で殺害されていたからだ、ということである。支那兵が敵を殺害する方法は長く苦しみを与える残忍な色々な方法によっている。それならばいっそ自決した方が苦しくはない、と言うのは本当の話だろう。支那兵による惨殺体は数多く目撃されており、日本兵は支那兵が残虐行為をするのが当たり前であることを知っていたのである。そのことは日清戦争の折にも、既に帰還兵士の体験談として、多くの日本人に知られていた。

  それならば大東亜戦争の場合はどうか。私たちは、捕虜を人道的に扱う連合軍、捕虜を虐待する日本軍、と言う嘘を信じ込まされている。ここでは米軍の残虐行為を記述した事で有名な「リンドバーグの戦時日記」の関連部分を引用する。1944年の項である。ちなみにチャールズ・リンドバーグは、大西洋単独無着陸横断飛行に初成功し、著書「翼よあれがパリの灯だ」や映画で一躍英雄になった人物である。彼は民間人として米軍とともに行動したのである。以下に米軍の日本兵扱いの記述を示す。

 話が、たまたま日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることが出来る」と、一人の将校が答えた。「ところが、わが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」
「*****では二千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった百か二百だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」 「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と、別の将校が調子を合わせる。・・・中略
 わが軍の一部兵士が日本捕虜を拷問し、日本軍に劣らぬ蛮行をやってのけていることも容認された。わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが、太平洋におけるこの戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う。・・・中略
 ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとしない、なぜなら両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るより明らかだから。・・・中略」

 「海兵隊は日本軍の投降をめったに受け付けなかったそうである。激戦であった。わが方も将兵の損害が甚大であった。敵を悉く殺し、捕虜にはしないというのが一般的な空気だった。捕虜をとった場合でも、一列に並べ、英語を話せる物はいないかと質問する。英語を話せる物は尋問を受けるために連行され、あとの連中は「一人も捕虜にされなかった」という。

 以上のリンドバーグの証言でお分かりだろう。戦争の初期には日本兵にもかなり投降者はいたのだ。そして投降をしなくなったのは拷問され、あるいは殺されることを日本兵が知ったからである。米軍に拷問されたという日本兵の証言は知る限りほとんどない。ところがリンドバーグの証言のように、日本兵への拷問は行われたのである。これは何を意味するか。拷問の挙句に殺されたのである。そして生き残った捕虜は優遇された。こうして人道的な米軍と言う伝説が戦後流布されることになる。米軍は「文明ための戦い」の宣伝をしたのである。


  太平洋の島々では日本軍は万歳突撃をして玉砕した、と言われる。しかし兵頭二十八氏は、ほとんど全員死んだのは、米軍が戦傷者を殺したからであるという。リンドバーグの証言からも、これは納得できる。万歳突撃して射撃を受けても負傷して戦闘不能となり生存する兵士は残る。通常の戦闘では戦死者の2~3倍程度の負傷者は出る。万歳突撃が死亡の比率が高くても同数の負傷者が死体の間に意識を失って倒れているという可能性は充分ある。米軍は負傷して呻いている日本兵にとどめを刺したのである。これについてもリンドバーグが次のように書いている。

 わずかな生存者は茫然自失の状態で坐るか横になっているかして、アメリカ兵を目にしても身じろぎさえしなかった。第一報では一名だけ捕虜にしたとあったが、後刻、歩兵部隊の将校が私に語ったところによれば、「一名も捕虜にとらなかった」という。「うちの兵隊きたら全然、捕虜をとりたがらないのだ」
 
 説明の必要はあるまい。米軍は戦闘終了後の生存者を、原則全員殺したのである。そして洞窟に無傷で残った日本兵は、米軍の残虐行為を恐れて自決した。これで玉砕、という訳である。戦陣訓に書いてあったから日本兵が捕虜にならなかった、という伝説が間違いであることがご理解いただけたろうか。

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漢字の崩壊

2019-09-23 17:48:25 | 支那大陸論

 中国語で戦車の事を何と言うか。坦克だそうである。読みはタンクーである。分かるだろう。英語の戦車のタンクの音をなぞったのである。漢字は表意文字である。坦の意味は漢和辞典で調べると、ひろやか、たいらの意味である。克の方は、たえる、できる、よくする、うちかつ、うまく、などの意味である。どう考えても二字とも戦車の意味はない。強いて言えば克の元は人がかぶとをつけたさま、とあるのが近いだけであろう。つまり坦克は表音文字として使われているのであって、本来の表意文字としては使われていないのである。これは一例ではあるが、造語の必要性が増えている現代中国では珍しくはないであろう。

 漢字は一字一音節が原則である上に、一字が一つの単語である。音はそれほどあるものではなく、漢字は何万もあるから、例えば、aと発音したときに相当する漢字はいくらでもある。それを発音の仕方でできるだけ区別しているが限界はある。しかも呉音とか唐音とか言って時代によって漢字の読み方は全く異なる。今でも地域によって発音が異なる。例えば北京語と広東語とは発音が違う。つまり漢字の発音自体元々は何の意味もなかったのである。ひらがなやカタカナも一字一音節である。ひらがなカタカナは表音文字の漢字を捨象して、表意文字から表音文字になったのである。現代中国において漢字も表音文字として使われるようになっている傾向がある。例えば日本語ではひらがな2文字であれば、ほとんどが2音節である。

ところが漢字一文字ならば、ひらがなで書けば2音節や3音節で表わされるものも、漢語では1音節である、と言うのは普通である。だから漢字を表音文字として使っても、ひらがなの場合ほど長くなるわけではないが、やはり冗長である。簡体字が使われるようになったのは単に難しいからばかりではなく、書く速さもあるのだろう。そればかりではない、字づらを見れば分かるように、簡体字は既に表意文字から離れつつある。このまま簡体字化と表音的使用傾向が進めばどうなるか。それは漢字の崩壊である。漢字は本来漢文として使用するものである。漢文は古代中国語の文字表記でもない。発音して聞かせるものではなく、一文字一文字の意味を共通して知っている者同士が書いて情報を伝達する手段に過ぎない。言わば筆談は漢字の本来の使用法である。

だから清朝の皇帝は四書五経などの漢文の古典を、自分が理解できる満洲文字による満洲語に写した。そこで現代では西洋人が支那の古典を学ぶ場合、満洲語を学ぶそうである。満洲語で書かれた四書五経には文法があるから、西洋人にも理解可能だからである。漢字が表音文字化してしまった果てには何があるか。毛沢東は簡体字化の前に支那言語のアルフアベツト表記を試みさせた。その結果分かったのは、北京語、広東語、福建語などのいくつかの言語が全く異なるものと言う事である。更にはそれらの言語を話すのが各々異なる民族である、と言うのが分かってしまうという事である。中央集権による「国民国家もどき」を作ろうとしていた毛には許せる事ではなく、試みは中止された。支那言語のアルフアベツト化はいくつもの民族国家の分裂へのスタートだったからである。

それでもジャッキー・チェンの映画は北京語のネイティブには理解不能だから、簡体字字幕(普通話字幕ないし、中国語字幕と呼ばれる)が必要である。もう中国の分裂は始まっている。私が言う中国の分裂とは、チベット、ウイグルなどの独立ばかりではない。漢民族と呼ばれる人たちの分裂である。彼らは長い間漢字と言う紐帯だけで結ばれていた。それが上海語、広東語などの異言語の民族に分列するのである。

その始まりは中共の成立によるものではない。漢字は漢文を書くためにあるものである、という大原則を忘れ、口語を漢字で表記すると言う白話運動を、魯迅などが中華民国初期に始めた事によるものである。漢字で口語を表記する、この不可能事が本当の意味で完成した時に漢字は崩壊して漢民族は分列する。もう既に一部の学者以外、古典の漢文を読める「漢民族」はいない。それが中国の国民国家化の始まりであり、中国の近代国家の成立である。現代中国は西欧の近代国家に相当するものではないのはもちろん、中世国家にも相当しない。二千年前と同じ古代国家が続いているのである。

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フィギュアのリアリティー

2019-09-22 15:02:54 | 女性イラスト

  フィギュアとはプラスチックなどを素材とした人形である。原則として製作キットではなく完成形で売られているから楽しみは、収集である。一部は現実のアイドルを立体化したものもあるが、ほとんどが漫画なりアニメのキャラクターを立体化したものである。要するに漫画から分化したものがアニメとフィギュアである。

 現実にいるアイドル等を実体化したフィギュアが主流とならないのは、出来上がった作品に精彩がないという明白な理由からである。これに対してアニメや漫画のキャラクターのフィギュアは、架空のものであるにもかかわらず、漫画やアニメのキャラクターをよく再現した「リアル」で良質なものがある。これが人気のある理由である。これは一見不思議なことである。実際に存在するもののフィギュアにリアリティーがなく、架空のアニメのキャラクターにリアリティーがあるのだから。

しかしこれは事実である。少なくとも当分日本ではこのような状況が続くと考えられる。漫画やアニメのキャラクターのフィギュアにリアリティーがあるのは、元々の漫画やアニメのキャラクターに実在の人間と異なるデフォルメがあるためであろう。あらゆる視覚芸術は何らかのデフォルメがある。おかしいと思われるだろうが、写真にもデフォルメはある。デフォルメは作品に精彩を与える。だが、現実のアイドルのフィギュアは、そのデフォルメに成功したものを見たことがない。むしろデフォルメの逆に、控えめな表現となっている。フィギュアの作家がそうでなければリアルに再現していないと感じているからであろう。

 さて女性イラストだが「蝶のいる風景」にした。もちろん架空の蝶である。


 


 


社員の生活を守るための朝日新聞

2019-09-20 20:42:49 | ジャーナリズム

 「死を賭しても堅持すべきは言論の自由である。」


 何と素晴らしい言葉であろうか。これは朝日新聞系の、売れなくて、とうの昔に廃刊となった「論座」なる雑誌で「表現者の戦争責任」と題して、ジャーナリストの戦争責任についての特集にのった言葉である。

 それならば、朝日新聞は言論の自由は死をかけても守ろうという気概があると言いたいのだろう。本当かいな、という者は小生ばかりではあるまい。それでは過去の朝日新聞の幹部の言論をチェックする。朝日新聞の一読者から寄せられた「戦時中は朝日新聞は戦争協力したではないか!」という詰問に対して、当時の大幹部、大阪朝日新聞編集局長、秦正流氏は新聞紙上でこう答えたのである。

 「多数の従業員をもち、多年の伝統をもち、社会的信頼を寄せられている新聞社としては『余程』のことがなければ玉砕は許されない。」

 言うも言ったり。戦争に協力せずに弾圧されて新聞社が倒産すれば多数の社員が路頭に迷うので、そんなことはできないというのだ。どこが死を賭して言論の自由を守るというのか。これは悪意ある解釈ではない。

 秦は更に「新聞がどうして戦争協力に走ってしまったか」と自問して「それは新聞自体が生きのびるためであった。そのような新聞を国民が望んだことも・・・」と弁明する。

 これが本音である。馬鹿正直とはこのことを言うのであろう。言論の自由などどうでもよい。しかも朝日新聞が軍に屈しても存続することを望んだのは国民なのだと、開き直って責任を国民に転嫁するのだ。

 次は戦前の大幹部、副社長にまで上り詰め、さらにリベラルなジャーナリストとして高名な、緒方竹虎は何と言ったか。緒方は朝日新聞副社長までつとめた大幹部である。いわく(出典:五十人の新聞人)。

 「新聞が痛快な文章を出して軍に対抗しようという気持は全然なかった・・・丸腰の新聞では結局抵抗はできない・・・なんとか一つ朝日新聞が生きて行かなければならない」

 これがリベラルでならした朝日新聞大幹部のの言説である。あきれ果てるではないか。左翼的言論人の掛川トミ子氏すらあきれて「正直と言おうか、無感覚と言うか、適切な言葉を探すのに苦しむようなこの無責任極まりない自己表白、集団的エゴイズム」と酷評した。朝日新聞を弁護したい人たちすら呆れたのである。

 しかも緒方は同じ本の中で、「実際朝日と毎日が本当に手を握って、こういう軍の干渉を抑えるということを満洲事変の少し以前から考えもし、手を着けておれば出来たのじゃないかということを考える。軍というものは、日本が崩壊した後に考えて見て、大して偉いものでも何でもない。一種の月給取りにしか過ぎない。」

 月給取りにしかないものを恐れて膝を屈したあなたは言論人として恥ずかしくはないのですか、とでも言いたくなるではないか。ちなみに秦の文章は朝日新聞大阪版の縮刷版に残されている。緒方の文章は電通が出版した「五十人の新聞人」として公刊されている。古本のたぐいだが国会図書館で見られます。

 言論の自由に命をかけると豪語する、朝日新聞の気概とはかくほどのものでしかない。朝日新聞は社員の生活のためにあるのだ。言論の自由などくそくらえ。戦前と戦後の朝日新聞の大幹部は、揃いも揃ってそう公言している。


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九九式襲撃機・ニチモ1/48

2019-09-19 23:25:46 | プラモコーナー

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 キ-51は襲撃機型と軍偵察機型がある。その違いに悩んだのだが、両型とも機体は全く同一で、軍偵察機型には偵察用カメラが搭載されていて、開閉式撮影用窓を開けていて、その上に小さな撮影作業用明り取り窓がある、ということであろうと推定した。ところが襲撃機を作ることにしたので、カメラを取り付けず、50kg爆弾4個装備とした。

 問題は窓である。写真を見る限り、襲撃機型は撮影用窓は閉じているが明り取り窓は開いているが、キットにはモールドだけで穴が開いていないのでくりぬいて透明プラバンを張り込んだ。

 悪い時には悪いことがあるもので、数年かかっていざ完成という直前に、外国メーカーが、キ-51の48を売り出した。価格はネットで6800円、店頭割引で6000円を切るくらい。同じクラスの48のキットに比べると、2倍以上高い。ニチモのキットは箱の値札に、何と1200円と書いてあった。これでやる気が出て、ようやく完成でした。出来上がりを見ると、外形やモールドは満点だが、排気管がやたらに細いことだけで、安いのに越したことはないとひと安心。透明部品等の問題もあるので、作りやすさだけを考えるのなら新製品も良しである。ただし高いが。

 陸軍機を作る最大の楽しみは、尾翼の部隊マーク。この部隊マークは、キットでは軍偵察機だが、資料を探すと襲撃機も使っているので、OKでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本はアメリカの実力を知らずにアメリカと戦争したという嘘

2019-09-18 23:16:22 | 大東亜戦争

 多くの識者が、大東亜戦争を日本がアメリカの実力も知らずに仕掛けたと批判する。要するに当時の日本の指導者は身の程知らずの愚か者そろいだったというのである。これは真っ赤な嘘である。有名なのは海軍の山本五十六元帥が、「初めの一年はどうにか持ちこたえられるが、二年目からは勝算がない」と語った言葉である。

 これは当時の近衛前首相の質問に対して答えたものである。これは多くのおろかな指導者と違い米国を良く知る山本元帥の見識を示したものとされる。要するに例外例外だと言うのである。しかしあくまでも非公式の回答に過ぎない。

 しかし次のようなことは、有名な事実であるが故に無視されている。真珠湾攻撃の三ヶ月前の御前会議である。御前会議とはご存知の通り、天皇陛下の御臨席のもとに、総理大臣をはじめとする、日本の指導者の会議である。当時の日本の最高意志決定会議で、当然戦争を始めることも終わることもこの会議で決せられる。

 この日の会議でも開戦の是非が論じられた。このとき昭和天皇は「よもの海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」という明治天皇の和歌を引用して、戦争反対の意向をにじませられたのも有名な話である。

 天皇が和歌を詠まれたのは、会議では天皇に御意見を述べる権利がないからである。問題はその次に、永野軍令部総長が特に発言を求めて言った次の言葉である。曰く。

 「アメリカの主張に屈服すれば亡国必至とのことであったが、戦うもまた亡国であるかもしれない。すなわち戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れ得ぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば仮令戦いに勝たずとも祖国護持の精神が残り、我等の子等は必ず再起、三起するであろう。」

 説明の必要はないが要約する。戦わなければ日本はアメリカに滅ぼされるが、戦っても敗れて滅びる。同じ滅びるにしても、戦わなければ日本は永遠に滅びるが、戦えば子孫は日本を復興するに違いない、というのである。

 これは最高意志決定機関での公式発言である。軍令部総長とは海軍軍部のトップである。永野の発言に対する反論はなかった。日本の指導者は明白に敗戦を覚悟していたのである。繰り返すが、山本五十六の発言は近衛に個人的に聞かれた、非公式の発言である。どちらの発言に重みがあるかは言うまでもなかろう。

 だが日本の識者の多くは山本の非公式発言を持ち上げ、永野の公式発言を無視する。国民も愚かではない。対米戦争が無限に困難なことはわかりきっていたというのが事実である。

 神風特別攻撃隊は国民に隠されたのではない、新聞にさかんに報道された。特別攻撃隊というのは、言うまでもなく体当たり攻撃である。尋常一様な攻撃手段ではない。アメリカとは普通に戦っても勝てないと覚悟していたから特別攻撃隊を国民は受け入れたのである。一介の庶民たる、私の父祖の識見を信じる所以である。

 当時の国民も指導者も無知で愚かだと思っている人たちへ。ものごとは事実で考えるものです。

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浮世絵について

2019-09-17 15:55:46 | 女性イラスト

 浮世絵について考えてみよう。浮世絵は今でこそ美術館や展覧会でしか見ることができない。だが彼等は美術館や展覧会に飾られるために描いたのではない。日展の出品者が最初から展覧会を目的にしていたのとは、大いに異なるのである。浮世絵は大衆社会の中に存在した。

 浮世絵は、江戸時代には大衆には普及してはいたが、今で言う芸術扱いではなかった。大衆は、歌舞伎ファンは役者絵をブロマイドやアイドル写真のように楽しみ、まだ見ぬ東海道五十三次の観光地の風景を想像し、いつか行ってみるぞと楽しんだのである。

 浮世絵の芸術としての評価が高まったのは、ヨーロッパ人に浮世絵が見出されたからである。しかも、西洋人の目についたのは、日本から輸出された陶磁器などの包装紙として使われているものさえあった、というから驚きである。日本人の発明や発見の多くが日本人には無視され、西欧人に評価されると、これに追随して日本人の評価が高まるのと同じパターンである。

 さて紹介するのは、水着姿の女性イラストである。昔描いたので、髪を仕上げる前の、ベタ塗で放置されたものを、そのまま掲載したのであしからず。