毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

春画考

2008-01-30 20:26:44 | 芸術

 浮世絵の春画はえっちの光景をもろに描写したものとして広く知られている。十数年以上前は、公刊される春画は肝心の部分に修正がかけられていた。しかし現在では全く修正なしに公開されている。このことをどう考えるべきか。現在でも写真によるえっちの場面は肝心の部分が修正されている。無修正のものは裏本と呼ばれて、違法出版物である。

 一方では露骨にえっちシーンを表現した春画は堂々と公表されている。線描であるだけに丁寧に分かりやすく描かれている。しかも春画について妙齢の女性評論家までが批評する。このようなことは裏本にはあるまい。春画が芸術として批評されても、裏本は芸術として批評されることはない。暗闇の存在である。だが同時代の人たちにとっては、裏本も春画も他人のえっちシーンを見ることが出来るという点において、その価値には変わりはないのである。

 江戸時代の人たちには、単に写真という表現手段がなかったために、春画でえっちシーンを表現するしかなかったのである。つまり当時の春画はえっちシーンをリアルに再現し、多くの人たちが見ることのできる唯一の手段だったのである。現代人がそのことを忘れているのは、浮世絵が芸術として高貴な価値を認められたからである。だからえっちな心で春画を見ているのではない、芸術を見ているというわけである。

 だが江戸時代の春画作者も大衆もそのような気持はなかった。現代人がえっちな心で裏本を見るごとく春画を見ていたのである。歌麿などの浮世絵師は現実に男女がえっちするところを見てスケッチして春画を制作しているのである。そうでなければ、デフォルメはあるものの、あれほどリアルなえっちの光景は描けない。

 浮世絵は単に裏本と同等なのではない。もし春画を描いた歌麿が現代に生きていたなら、裏本が単なる写真であることに満足しない。実際のえっちのように男女が動き、声が出るものを求める。すなわちアダルトビデオである。さらに無修正の裏ビデオである。歌麿の前でえっちシーンを演じていた江戸時代の男女は現代ではアダルトビデオの男優女優である。そういうえっちな目で春画をとくとご覧あれ。私の言うことが本当だとわかるはずである。

 


景気回復とは何か

2008-01-14 19:23:34 | 政治経済

 最近のニュースを聞くと不思議な言葉がある。経済学者や証券や金融のプロが、最近のサブプライムローン問題などに関連して、これからの景気の予測に使う言葉である。いわく、「今後の景気回復は減速するでしょう」、あるいは、「戦後最長の景気回復は続かないでしょう」、などである。

 「景気回復」とは何か。過去の常識から言えば不景気に対する「好景気」のことである。戦後最長の景気回復とは何か。戦後最も長く続いた好景気は「いざなぎ景気」である。これよりも長く続いた好景気のことを、戦後最長の景気回復と言っているのである。

 なぜ素直に好景気と言わないのか。今から考えてみれば、戦後最長の好景気に突入した時期にも何年かの間、経済の専門家は、長引く不況といい続けた。判断を誤ったのである。好況なのに不況といい続けたのである。その結果、経済の専門家は好景気という言葉はタブーとなった。

 そこで好景気を景気回復と置き換えたのである。これは日本陸軍が米軍に負けて退却するのを、転進とごまかしたのに似ている。日本軍のことを馬鹿にしたくせに、やっていることは同じである。景気回復という言葉は明らかにおかしいではないか。現状が悪いから回復というのである。

 現在良い状態にある時に使う言葉ではない。健康回復と言えば、悪い状態を脱して普通の状態になることである。健康回復しても、それは普通の状態になるに過ぎない。かくまで経済人はおろかである。バブルがはじけたときも、好景気の維持の対策が必要といい続けた。

 彼らは、今現在を振り返って、将来平成20年は不況であったと、将来いいかねないのである。戦後最長の好景気なら、いつ好景気がだめになってもおかしくはない。しかしそんな単純なことすら言わない。経済の専門家の景気予測があたったためしはない。あたることのない予測を平気で続けるのは、耐震偽装と同じで、故意にするインチキである。


地球温暖化による海面上昇はない

2008-01-12 21:26:32 | 社会

 コップに水を入れて氷を浮かべて水の高さを計る。氷が全部溶けるまで待ってもう一度水位を計る。氷が溶けると水位は上がっているのだろうか?答えはアルキメデスの原理にある。いわく「液中の物体は自己と同体積の液の重さと同じ浮力を受ける。」

 コップの水に浮かべた氷の水中部分の体積は、水中水上の氷の全部の重さに等しい水の体積である。つまり氷が溶けて水になってしまえば、氷の体積は減って最初の水中部分の氷の体積になってしまう。氷が溶けても水位は上がらないのである。これは中学の理科の知識があれば分かる。

 さて世界最大の氷の塊は北極大陸である。大陸とはいうものの岩や土で出来ているのではなく、巨大な氷の塊が海に浮いているのに過ぎない。アルキメデスの原理によれば、地球が温暖化して北極の氷が全部溶けても海面は1mmたりとも上がらない。南極も海水が陸地の周囲で凍ったのだから、ことは北極と同じで、南極の氷が全部溶けても海面は上昇しない。

 世界で代表的な氷が全部溶けても海面は上昇しないのである。何故か地球温暖化の危機を説く学者たちはこの事実は言わない。彼らが中学の理科が理解できないはずがない。中学の理科を理解していない者が、地球温暖化というはるかにむずかしい現象を解明できるはずがないのである。私はここに地球温暖化論者の大きな不誠実を見る。

 さて残りはシベリアの凍土や氷河期にできた氷が溶けることである。これとて地図を見れば分かるように、地球全体の広大な海に比べればわずかなものである。これらが全部溶けたところで海面上昇は微々たるものであろう。私は寡聞にして地球温暖化論者が海面上昇の計算根拠を明示したものを見たことがない。ここにも疑問を感じる。

 先日のテレビで南方の島が温暖化による海面上昇で、海岸線が陸地に後退して面積が減り水害による被害を受けているという放送をしていた。これを見て不思議に思わないのだろうか。この島で海面が上昇するなら日本はもちろん、世界中で海面が上昇して大被害が出ているはずである。ところが海岸線の長い日本の砂浜で、海面上昇による海岸線の後退という被害はない。

 海岸に巨大なテトラポットが置かれているのを見たことがあるだろう。これは波によって砂浜の砂が浸食されて海岸の砂が削れて、海に持っていかれて海岸線が後退するのを防止するためである。つまりテレビで映された島の海岸線が後退したのは、海面上昇によるのではなく波による侵食である。テレビは地球温暖化被害を証明するために、いい加減な話に飛びついたのである。

 地球温暖化で海面上昇しているのなら、日本の海岸は後退して日本の国土の面積は目に見えて減っているはずである。日本は遠浅の海岸に恵まれているから、海面上昇の影響を受けやすい。また東京周辺には高さのごく低い埋立地が多い。だから海面が上昇すると、これらの埋立地はすぐ水中に没するはずである。

 ところが教科書によれば日本の国土の面積は、50年前も今も37万平方キロメートルである。マクロにみれば国土面積の変化はないのである。あえて言おう。地球温暖化による最大の被害である、海面の上昇は嘘なのである。

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