毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

皇室の藩屏

2019-04-28 17:02:54 | Weblog

 平成三十一年四月二十六日の産経新聞の正論欄に、小堀桂一郎氏が「安倍内閣が残した3つの課題」とする中で、「皇室の藩屏の再建を図れ」という一項目がある。「占領軍により皇籍を離脱せしめられた旧宮家の方の一部の皇籍復帰といふ〈法的な工夫〉を通じて皇室の藩屏の再建を図れ」というのが、その主旨である。皇籍復帰と言う主旨には大賛成である。

 だが、小堀氏ともあろうものが、皇族のことを「皇室の藩屏」というのは、大いなる誤用ではなかろうかと思うのである。皇族に天皇陛下ご自身を含めたものを皇室と言うからである。つまり小堀氏は皇室の藩屏を皇族と看做していることになる。論中に「皇族と言う氏族集団の復活」と言っていることから、そのことは明瞭である。

 藩屏として天皇を守るのが皇族である、ということになってしまう。皇室の藩屏とは、皇室をガードする防壁、という意味であろう。皇室の藩屏とは旧華族のことをいうのであって、旧華族とは、公家たる堂上華族、江戸時代の大名家に由来するもの、国家への勲功による新華族、臣籍降下した旧皇族の3種から構成されているとされる。皇室の藩屏には、本来的に皇族は含まれないのである。

そのことは、明治期に出版されて、国会図書館に保管されている「皇室之藩屏」にも明らかである(インターネットでダウンロードできる)。ちなみに、日本国憲法で、華族制度は廃止されているから、華族の「臣籍降下した旧皇族」の中には「占領軍により皇籍を離脱せしめられた旧宮家の方」は含まれていないことに注意する必要がある。

 中川八洋氏は「徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇」という著書で、以上の事を踏まえた上で、皇室の藩屏は「あくまでも堂上公家の役割。皇族は“皇室の藩屏”ではない」と断じている。中川氏が藩屏を旧華族のうち、堂上公家に限定するのは、他の華族は歴史的に新し過ぎ、堂上公家は多くが藤原鎌足を始祖とする、格式ある古い家系だから、というのである。

 ついでに言うが、中川氏は皇族の役割は皇室の藩屏などではなく、皇室の血統を守る「血の冷凍保存庫(言葉遣いは感心しないが)であり、このためには、戦後に臣籍降下された旧皇族の皇籍復帰ばかりではなく、「大正時代から昭和初期にかけて臣籍降下され華族に列せられた十二名の元皇族の血を継ぐ子孫の皇族復帰」も実現すべきと主張している。

 中川氏はかなりエキセントリックな主張の展開をする奇矯な人物と見られかねない。しかし、かつて「諸君」誌上で、パネー号撃沈事件の真相について、旧海軍の奥宮正武氏と論争し、完膚なきまでに論破した(あくまでも小生の判定)ように、論理は極めて明晰である。中川氏の皇族復帰の主張は傾聴に値する、と考える次第である。

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書評・誰が第二次大戦を起こしたのか

2019-04-25 20:31:11 | 大東亜戦争

誰が第二次大戦を起こしたのか

 フーバー大統領「裏切られた自由」を読み解く・渡辺惣樹

 

 本書は副題にあるように、フーバー大統領の著書を基に、いかにルーズベルト大統領が、スターリンに操られて、必要もない第二次大戦を引き起こして、日本や東欧諸国を犠牲にして戦後のソ連帝国を作るのに利用されたか、という論証をしている。単にフーバーの著書に拠るばかりではなく、渡辺氏が調べた各種の資料により、FDRの犯罪とそれに加担したチャーチルの愚かさをも述べている。

 チャーチルは英国と戦争をしたくなかったヒトラーを、チェンバレンとともに、ポーランドを守ると言うできもしない約束をし、参戦して結局は大英帝国を崩壊させた。米国がFDRの愚かさと病弱による判断喪失ばかりではなく、周辺に送り込まれたコミュニストたちに操られて、スターリンに利用されたのは分かる。しかし、愚かにもチャーチルが結果的に加担していたということの動機が分からない。それは問うまい。しかし、最近になって、ヒトラーの侵攻に抵抗して英国を守ったという、チャーチルの伝記映画が作られたことをみると、チャーチルの愚かさを隠そうとしたい人たちはいるのだ。それはFDRの愚かさも擁護するという結果となっている。

 本書に書かれている多くの事実は納得のいくものであり、現代日本人の必読書と思う。しかし、どうしても本書で理解不能なのは、真珠湾攻撃が始まるまで、世論調査のように、80%を超える米国人が、本当に戦争絶対反対であったのか、ということである。小生が思うのは、その疑問は本書自身から発せられる結果となっているということである。ハル・ノートは公表されなかったし、数々の秘密協定も隠され続けていた。それにしても、本書が指摘する、FDRが実行した多くの公表された事実から、国民や多くの政治家、政治経済軍事の専門家筋が、FDRが戦争を欲していることは明白であり、隠しようもないとしか考えられない。

 まさか共産圏のような絶対秘密主義国家ならともかく、マスメディアも政治批判も発達していた米国において、大多数の米国民を完璧に騙しおおせる、というのは単純に考えて不可解過ぎる、というのが小生の根本的発想である。米軍の戦時下における、報道管制はシステマチックで厳格である、と言う点においては日本のように杜撰で恣意的でないことは知られている。

それにしても、米国が参戦前の時点でドイツがデンマークを占領したときに、米軍がグリーンランドを保障占領したと言うことが公的に知られないはずはあるまいし、米駆逐艦が独潜水艦を攻撃したということが報道されていない、ということはあり得ない。中立法の改定による交戦国への武器輸出や日本に対する経済制裁は国民の知るところである。

当時の米国は、経済制裁は戦争に準ずる、という国際法解釈であったから、日本に対して戦争を強いていると国際法の専門家が指摘してもおかしくない。本書に書かれている当時公表されている事実の全てを総合すれば、FDRか三選に際して約束したとされる、参戦しないと言う公約は破られつつある、と考えなければ国民はよほど愚かか、情報から絶対的に隔離されている、としか考える他はあるまいが、そんなことはあり得ない。

だから小生は国民のほとんどが、世論調査のように本音で参戦絶対反対だ、ということを信じ得ない。そのようなことを主張する日本人の著書を、小生は寡聞にして知らない。そこで、そのことを傍証したい。

チャールズ・リンドバーグの「リンドバーグ第二次大戦日記(角川文庫上巻)である。リンドバーグは「翼よあれがパリの灯だ」で有名な大西洋無着陸横断の英雄であるが、欧州大戦に参戦絶対反対のキャンペーンを展開したことでも有名な人物である。彼はパイロットとして有名だったから軍関係者とも知己があるが、一民間人であり、彼の知り得た情報は一般的に国民も共有していたはずである、ということを前提にする必要がある。

リンドバーグはルーズベルトが欧州参戦に向けて画策しているということを、日記では随所に述べていることが注目される。その上、ルーズベルトは参戦しない、と公約していたにも拘わらずリンドバーグは全く信用しておらず、ルーズベルトの「三選は参戦」とすら断言している。「大多数の国民と同じく」一貫して世論に参戦反対を主張していたリンドバーグがこの調子である。リンドバーグが中立法改定その他の立法は全て参戦に向けたものだと判断しているのは、当たり前と言えば当たり前で、参戦前の米国の雰囲気が理解できるではないか。

 小生が重要だと考えるのは、ルースベルトが三選された後の1941年1月6日の次の記述である。

 

 こんにちはとりわけ、戦争前の暗い帳が頭上に重く感ぜられる。何の抵抗もなく戦争に赴こうとする人々が増えつつある。万端の用意が出来ていると主張する人たちが多い。国民の態度は前後に揺れている。最初のうち、反戦勢力が勢いを得ていたかと思うと、今ではそれと正反対の方向に振子が動いている。-国民の現実と態度と新聞の大見出しとは常に区別して見分けるように努めねばならぬ。が、全般的にいえば、アメリカの戦争介入に反対する我々の勢力は、少なくとも相対的に見た場合はじりじりと後退しつつあるように思われる。われわれにとり最大の希望は、合衆国の八十五パーセントが戦争介入に反対していると言う事実だ(最新の世論調査に拠る)。一方、約六十五パーセントが「戦争の危険を冒してまで大英帝国を助ける」ことを望んでいる。換言すれば、自ら戦争の代価を払わないでイギリスに勝ってほしいと望んでいるかのように思われるのだ。われわれはいわば希望的観測の類にのめりこんでおり、それは遅かれ早かれ、われわれを二進も三進も行かぬ状況に追い込むに違いない。

 

 この記述は見事に当時のアメリカの世論の状況を叙述していると思われるのだ。渡辺氏も含め、日本の歴史家等は、この記述のように、世論調査の85パーセント参戦反対となっていることと、国民の大多数が参戦反対でルーズベルト自身も三選の際の公約に参戦しない、と約束したことをもって、ルーズベルトの裏口からの参戦の陰謀を主張している。ところが参戦反対の闘士であったリンドバーグの記述は、米国の状況がそのように単純なものではないことを示している。

多くの専門家は、「約六十五パーセントが『戦争の危険を冒してまで大英帝国を助ける』ことを望んでいる」という世論調査の結果には全く触れない。リンドバーグは国民が「自ら戦争の代価を払わないでイギリスに勝ってほしいと望んでいる」といっても、大英帝国を助ける以上、参戦せずに済むはずはない、という理性的判断をしている。米国民はそれが分からないほど愚かではない、と小生は思うのだ。

しかもリンドバーグの感触では参戦反対派は賛成派に押されていると、と感じているのだ。65%という数字は中立法の改正等のルーズベルトの参戦に向けた布石の法案への議会の賛成投票の比率と案外似ているのだ。ここに国民の建前が参戦反対でありながら、参戦への布石が着々打たれても、大統領の弾劾が行われず、公約違反の声が多数派にならない、ということのカラクリがあるのではないか。

リンドバーグは、国民の動向と新聞の大見出しは必ずしも一致しない、と言っているが、近年のトランプ大統領の当選の際にも選挙結果(国民の動向)と大手マスメディアの大きなかい離を眼前にしているのでないか。渡辺氏が論評しているフーバー元大統領は、政治の経験者だから、ルーズベルトの嘘を見抜く情報源を持っていたと考えられる。しかし、一民間人に過ぎないリンドバーグには、一般国民と同レベルの情報源しかなかっただろう。

それでも、参戦反対と言う立場に立てば、ルーズベルトの参戦意図は見え見えだったことを「日記」は示している。「日記」はフーバーの著書のように後日書かれたものではなく、その時点での記録だから、後世からみれば、リンドバーグの叙述には間違いが多い。だからこそ、後知恵ではない、当時の米国民の心理が分かるのである。

ちなみにリンドバーグは参戦反対であっても、参戦となると自ら戦うことを望む愛国者であり、兵士とはならなかったが、自ら軍用機を操縦して太平洋戦線で日本機と空中戦を演じているエピソードは有名である。もっともこれは戦時国際法違反であり、日本軍に捕縛されたら処刑ものであるのだが。ともかくもリンドバーグの「第二次大戦日記」は米国の一般市民から見た、米国参戦前後の米国の大衆の状況がよく書かれている。この日記は日本では、米軍の日本に対する残虐行為の記述が引用されることが多いが、その価値はそれにとどまらない、と言っておこう。

次はルーズベルト大統領の日本爆撃計画である。これは「幻」の日本爆撃計画、に詳しい。ルーズベルトは「ラニカイ」というボロ舟を使って最初の一発を日本に打たせようとしたことは案外有名であり、米西戦争のメイン号爆沈事件と似た陰謀である。しかし「幻」の日本爆撃計画、に書かれているのは、日本本土爆撃計画であり、最初の大きな一発を米国が打とうとする、積極的な計画である。

小生には検証能力はないが、著者のアラン・アームストロング氏はきちんと資料出所を提示しており、いい加減なものではないと考えられる。ルーズベルト大統領は戦闘機350機と爆撃機150機という大編隊により、日本の首都圏爆撃をする計画にサインしていた、というのである。もちろん中国空軍に偽装しての空襲だった、というのであるが、当時の日米国民の常識から考えても、中国がこのような戦力を持っていると考えるはずはない。

実際には、米国から爆撃機や戦闘機とそれらに付帯する整備機材を送り、パイロットと整備クルー等は義勇軍として米国から派遣する、というものであるから、人員だけでも数千人に及ぶ。注意すべきは、この計画は計画倒れになったのではない、ということである。戦闘機部隊の一部は、実際にP-40戦闘機と所要人員が派遣されている。

現在では、義勇軍として派遣されたとして有名になった「シェンノートのフライングタイガース部隊」である。計画の実行は長距離爆撃機が援英のため、調達が難しくなって実行が遅れているうちに、真珠湾攻撃が始まって、中止となった。しかし、フライングタイガース部隊は、実際に派遣されて、その後日本機と交戦している。つまり計画は実行されない机上プランではなく、実行途上にそれどころではなくなってしまったのである。

85%もの米国民が本気で参戦に絶対反対であったなら、この計画が実行されたら、囂々たる非難をあびたであろう。ルーズベルトは国民の多数派の本音が参戦賛成であったことを知っていたから、どんな手段でも戦争を始めてしまえば、国民はついてくる、と踏んだとしか考えられないのである。渡辺氏の著書ではラニカイ派遣にも「幻」の日本爆撃計画にも触れていない。

ルーズベルトの爆撃計画は、支那事変で疲弊した日本は、一撃で国力に壊滅的打撃を与えられ、日本が何年も戦うことができた、などとは考えられなかったと想定した節がある。日本を早いところ片付けて、対独戦に専念しようと考えていたのかも知れない。日本をなめていたのである。

その意味では、最初の一撃が真珠湾であろうとなかろうと、どうでもよかったのであろう。一部には、米政府は真珠湾攻撃の可能性を知っていたから、真珠湾には、旧式戦艦だけを並べていた、と称するむきもあるが、そうではない。大和級などの日米の新戦艦はまだ就役していなかった。かつて長門級を含めてビッグセブンと呼ばれた現役最新の、コロラド級三隻のうち二隻は真珠湾にいて被害を受けた。しかし、爆撃で戦艦を沈めることはできない、というのは軍事常識であり、底の浅い真珠湾では航空雷撃は不可能であったというのも軍事常識である。

1940年のノルウェー侵攻で、オスカーボルグ要塞を攻撃した、ポケット戦艦リュッオーと重巡ブルッヒャーを中心とする艦隊は、圧倒的火力を持っていたにもかかわらず、ブリュッヒャーは沈没し、リュッオーは大被害を受けて敗退した。真珠湾には陸上砲台のみならず、戦艦群や航空機もいて、抗堪性はオスカーボルグ要塞の比ではない。

つまり真珠湾を航空攻撃しても艦砲攻撃しても大きな被害を与えることはできない、と考えるのは妥当なのである。意図的に空母を真珠湾から離しておいた、とすれば空襲を予知していたとしたら妥当である。空母は急降下爆撃で撃沈はできなくても、脆弱である、というのも常識だったからである。

米軍が日本海軍による真珠湾攻撃を想定するとすれば、航空攻撃で制空権を確保し、艦砲で主力艦群を殲滅する、というものであろう。これならば、米海軍はさほどの被害を受けずに日本艦隊を撃退することは可能だった、と踏んでもおかしくはないのである。結果はメイン号事件に比べれば、桁違いの被害となってしまった。

また「幻」の日本爆撃計画の引用にあったTHE UNITED STATES NEWSも調べてみた。一九四一年十月三十一日号には、BOMBER LINES TO JAPANという記事があった。図入りで、重慶、香港、シンガポール、フィリピン、グァム、ダッジハーバの6か所から本州を爆撃できる、と書いているのである。アームストロング氏は、この記事を日本本土空襲の予告に等しいと書くが、その通りである。類似の記事は、他の有名雑誌にも掲載されていたそうである。

付記するが、実行されなかった「日本本土爆撃」と比較されそうなのは、関東軍特種演習(関特演)である。確かに陸軍はソ連攻撃を想定して関特演で、兵力を動員した。しかし、攻撃計画は、最終的に陸軍の判断で実行されなかった。一方で日本本土爆撃計画は大統領の裁可を受けた上で、実行が開始された。これは単なる計画に過ぎないものと、実行中のものという大きな差異があることを示している。いずれにしても、FDR政権は日本に先制攻撃をかけても、国民の賛同は得られると判断したことの、重大な傍証である。

 


書評・ラストエンペラーの私生活・加藤康男・幻冬舎新書

2019-04-05 16:49:58 | 支那大陸論

 予想以上におぞましい内容であった。始めのうちは初めて知る、清朝宮廷の性的生活を興味本位で読んだ。しかし、宦官などの記述の連続で、吐き気を催しかけ、読了するに絶えるのかと思った。そのあたりで、満洲事変の勃発の記述に移り、何とか読み通した次第である。元関係者の「現中国人」にもインタビューしたとのことであるが、よくも調べたものと感心する。

書評は内容の歴史的評価よりも、武弁だったはずの満州族の宮廷が、ここまで性的腐敗を極めたことに、やはり「漢化」したのではないか、という声に対する反論だけ述べたい。日本でも戦国時代の軍事的武力的合理性に富み、質素を旨としたはずの徳川幕府が、結局は大奥に代表される女性群による腐敗をとげていったことを想起すれば、長期世襲政権は性的に腐敗するものだ、と理解できる。以下述べるように、長期世襲権力は婚姻関係が権力構造の一部であるために、性的腐敗は漢民族化ではなく、人類の権力機構一般に起こりやすい現象なのである。

戦国時代の日本でも主君と側近などの男色は珍しくないこととされていた。原則男子による世襲としたために、側室が戦国時代でも必要とされた。これが平和の時代が永く続くことによって、大奥なる組織が肥大化したのである。それが清朝程にならなかったのは宦官の存在がなかったからによることもあったであろう。

宦官は元来狩猟民族の去勢より始まったとされるが、日本の基本は農耕であって狩猟ではなかった。「漢民族」は農耕が主とされるが、秦朝を始めとする多くの王朝は西方や北方から侵入した、狩猟民族であって中原の「漢民族」も狩猟民族の影響を受けていた。つまり、狩猟民族が「漢化」したのではなく、中原の民族が狩猟民族の影響を強く受けて、宦官の制度を受け入れる素地があつたのである。

つまり本書に書かれた、清朝宮廷の性的腐敗は漢化したためではない。長期世襲政権によって、宦官と側室の肥大化した宮廷が成立したと言う、自然のなりゆきだったのである。本書には愛新覚羅溥儀が「ふおっ、ふおっ、ふおっ」という薄気味悪い女性的笑いをしたという。日本でも明治天皇は幼少期は所作言辞も女性的であったとされる。しかし、清朝のように腐敗しなかったのは、政治的権力を武士に奪われていたために、単に面倒を見る女性の影響を受けて、女性化したというにとどまっていたのである。皇室は権力を持たない権威だけの存在だったから、性的腐敗は極小化していたのである。

徳川幕府が大奥程度の腐敗で済んだのは、単に日本が尚武の気風を維持する努力をしたにとどまらない。宦官がなかったことと、政治権力しかなく、神的権威を持たなかったことによる。たとえ宦官がなかったにしても、権威と権力の両方を持つ、世襲権力を300年も維持すれば王朝は腐敗を遂げた事であろう。わずか60年の歴史しかなくても、北の金王朝は「喜び組」などの性的腐敗の兆候がある。日本は、権威と権力を分離することによって、宮廷と政治権力の双方とも清朝のような極端な腐敗を避け得たのである。ただ権力を持つ側は、婚姻関係が権力と結びつくために、相対的には幕府は、皇室よりも、大奥などにみられる性的腐敗は大きかったといえる。

清朝の腐敗は決して漢化などではなく、長期世襲王朝の腐敗の必然的結末に過ぎない。その証拠に、京劇や支那服、中華料理などは、清朝以前の伝統を継ぐものではなく、満州族のものである。ただ、漢字そのものが連続しているだけであるが、清朝滅亡ととともに漢字は残ったが漢文は古典としてしか残っておらず、書き言葉としては残ってはいない。北京語や広東語の漢字表記は、漢文と何の関係もないのである。繰り返すが清朝は300年の歴史で漢化したのではない