毎日のできごとの反省

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書評・中国大暴走・宮崎正弘・文芸社2011

2013-05-26 13:10:29 | 支那大陸論

 新幹線事故問題を中心に、中国社会がいかにでたらめに満ちているかを綴るが書評ではあえて書かないから本書を読んでいただきたい。

 ビジネスホテルに泊まろうとしてパスポートを出すと、外国人は泊めないと断られた。他にもこんな場面があるが、要するに盗聴設備がないからだそうである(P51)。毛沢東の竹のカーテンの時代は外国人の入国を徹底して制限したから、外国人に案内役と称する監視役をつけたが、現在では科学技術の利器が利用できるのだ。

 親や祖父などが付き添う小学校の集団下校があるのだが、交通安全のためではない。誘拐帽子である。金持ちからの身代金目的ばかりではない。幼子田舎の工場に、闇炭坑や農村の嫁に売るのだそうである(P51)。これは特殊な例ではなく、一般的な闇ビジネスで、外国に里子に出す商売もある(P136)。上海や北京の繁華街などの目立つ所には、身体障害者が物乞いをしている。歩行困難、四肢がない子供たちである。産経新聞の報道として、誘拐は組織的に行われ、身体障害者は子供を誘拐して虐待して手足を不自由にしたり、硫酸を顔に賭けたりして作られる(P151)と記している。健常者は物乞いには同情を得られないからだそうだ。以前、中国では子供を誘拐して四肢の骨を折るなどして障害者を作り物乞いをさせる仕事があった、と読んだことがあるが昔話ではなく、現在でも行われているのだ。ちなみに、障害者にされた子供は不健康なので早死にするケースが多いそうである。古代社会でも中世社会でも、このような犯罪が常態化している社会はあるまい。支那人と言うのは古今東西稀に見る異常な人たちである。

 新疆ウイグル自治区が原爆の実験場であったことはよく知られている。日本のある学者の試算によれば、核実験による死亡者は最悪18万人に達するという(P78)。実験のための管理など行われていなかっただろうから、当然であろう。ウイグルは漢族ではない。つまり支配者とは異民族の土地であったから平然と核実験を行ったのである。ウイグルはチベットに続き、1951年に毛沢東が侵略し、以後軍隊が100万人駐屯している(P80)。いくらウイグルが広大だとは言え、人口は僅かである。暴力による異民族統治は膨大な人員を必要とする。

 中国崩壊説を唱える人は多い。しかし小生はそれに与しない。試算金融バブル崩壊も何年も前から言われているが起こらない。本書によれば、特権階級が当局と組んで通貨を強制的に維持し、ビルのテナントが埋まらなくても、価格を維持させるというインチキをしている(P128)からだそうだ。中国は軍や警察などの暴力装置が維持される限り、崩壊はしない。

 一点疑問がある。渡辺利夫拓殖大学学長の指摘を引用して、北朝鮮が中国を振りまわしている状態であると言うのだ。その証拠に金正日が北京での会合をドタキャンした後、また訪中した金正日に胡錦濤が会いに来たし、江沢民も習近平も最初の外遊先に平壌を選んだ(P159)というのだ。だが、北朝鮮は中国の援助で細々と生きているのに過ぎない。中国ウォッチャーというのは朝貢外交と言う言葉に振り回されている気がする。

 中国人が自国を信頼しないのは古今変わらない。北米では一定以上の投資をすると移民、永住のビザが発給されるので、富裕層の過半が脱出したがっている。50万ドル以上の資産家の内、10%が投資移民として海外移住を決意しており、さらに10%が近く移民申請する(P132)という。これらの多くは共産党幹部なのだ。庶民も同じである。福建省の沿岸の南の閩南から人が渡り閩南語が台湾語になった(P146)。また、中国から陸伝いにタイへ逃げた華僑がタイの経済実権を握り、今完全にタイの政治を乗っ取ろうとしているタクシン一家もこの華僑の末裔である(P197)。ベトナム戦争後100万人以上のベトナム人が海外逃亡してポートピープルとなったが、彼らは実は華僑の末裔である(P237)。

 意外なのは尖閣領海で中国漁船が体当たりした事件で、レアアース輸出を凍結したのは、実はそれを口実に輸出制限をしただけであると言うのだ。この影響を受ける米国はWTOに提訴したと言うのだが日本は提訴に加わらなかった(P89)。なんだか戦前の支那で外国人襲撃事件に対して、欧米は一致して反撃したが、幣原外交は融和的に出て、かえって抗日侮日を招いたのと似ている。資源利権には中国は敏いのだ。アフガニスタンではタリバン政権当時から銅鉱山利権を持ち銅を採取している。欧米が軍事介入してカルザイ政権を樹立するが、中国は派兵しない。鉱山を護るのはアフガニスタン警察、それを訓練したのが米国、その人件費の半分を日本が負担している。筆者はポンチ絵である(P86)と笑うに笑えない状況を揶揄している。


最低の英艦上機

2013-05-18 14:56:16 | 軍事技術

最低の英艦上機

 英海軍は空母の先駆者であるにも拘わらず、第二次大戦当時の艦上機に関しては日米海軍に比べると、お寒い状況であった。中でも時代遅れで有名なのは、複葉の雷撃機のソードフィッシュとアルバコアである。第二次大戦中にも最前線で使われていたソードフィッシュは開発年次が古いから仕方ないとしても、後継機のアルバコアなどは、なんと低翼単葉引込脚の九七艦攻が採用されたのと同じ、昭和十二年の仕様で開発が始まったのに、複葉固定脚のアナクロなのである。逆に、でかくて複葉で、最大速度が220km/hという超のろまのソードフィッシュを撃退できなかった、ビスマルクなどのドイツ艦隊の防空能力はどうなっていたのであろう。

 たが英海軍の錯誤はそれに止まらない。それは艦上戦闘機である。艦戦のブラックバーン・ロックはなんと艦爆のスキュアから開発したものである。複座でしかも後部には巨大な銃筒までが設けられている。これでは、米海軍のドーントレス艦爆にさえ空中戦では負ける。フェアリー・フルマー艦戦は陸軍の軽爆撃機から開発したもので、全幅は14m以上と馬鹿でかい。艦戦と艦爆の両用に使うはずのものであったが、戦闘機としてまともに使えるはずはない。その後継機のフェアリー・ファイアフライは艦戦専用ということになったが、複座である。英海軍が艦戦の複座にこだわったのは、洋上航法のための航法士を乗せるためであったが対戦闘機戦闘には不利であるし、日米の艦戦は単座で任務を果たしている。しかし対戦闘機戦闘には不利で、搭載量が大きいと言うことが取り柄で、結局艦爆や雷撃機代わりに使われることが多かった。

 ブラックバーン・ファイアブランドに至っては、自重が5tを超え、2,500馬力の巨大なエンジンを積んでも最大速度は560km/hしか出ないありさまで、唯一の取り得の搭載量の大きさから、雷撃機兼用になってしまった。しかも雷撃機なのにこちらは単座である。米海軍も、雷撃と爆撃が可能な巨大な単座の長距離艦上戦闘機XF8Bを試作した。ファイアブランドより重量もエンジンも大きいが速度性能ははるかに優れ、航続距離は4倍近く、搭載量も3倍と、大きくしただけのカタログデータ上の効果はあった。まあ、まともな対戦闘機戦は望めなかったろうが。そもそもファイアブランドがこれだけ大きな機体になったのは、性能から考えると不可解としか言いようがない。要するに発注者の仕様に問題があったのである。

 このように、第二次大戦に向けて英海軍が開発した艦上機にはまともなものが皆無に等しいのである。その多くの原因は戦闘機に雷撃や爆撃などの能力を持たせようとしたことや、複座の艦戦にこだわったことにある。英空母は重装甲としたために極端に搭載機数が少ないことが一因であろうが、それだけでは説明できない。しかもその結果虻蜂取らずの見本で、全ての用途に使い道が無くなっている。唯一陸上戦闘機と対等に戦えたのが、シーファイアなのだが、戦闘での損害よりも、着艦事故の方がはるかに大きいと言う無様な結果となっている。それを補って余りがあったのが、援英機などとして導入された、ヘルキャットやアベンジャーなどの米海軍の制式艦上機であった。

 確かに日米海軍共に複座や双発の戦闘機といった一種の無駄な戦闘機開発も行ってはいる。しかしそれは、まともな艦上戦闘機があっての無駄だから、本来の用途について不足をきたすことはなかった。だが、英海軍はまともな艦上戦闘機も作らずに、遊びとしか思われないような複座の艦上戦闘爆撃機のような使い物にならないものばかり開発したのが問題なのである。あげくが、艦上機としての適性が最悪のスピットファイアを使うはめになった。

 一般的には飛行機のエンジンは後方から見ると時計回りに回る。最近気付いたのだが、なぜか英国製のエンジンには、この反対のエンジンもかなり存在する。艦上機が発艦しようとすると、エンジントルクのため、左舷方向に行きやすい傾向があるから、ほとんどの空母の艦橋はそれを避けて右舷に置かれている。ロールスロイス・マーリンエンジンでは問題ないのだが、後継のグリフォンは回転方向が逆な上に大馬力なものだから、これを装備した後期のシーファイアは発艦作業が大変であったろう。そこで途中から二重反転プロペラをつけるようになった。シーファングも量産機は同様にする予定であったから、影響は大きかったのである。何とかまともに戦えるシーファイアでさえこんな重大な欠陥も抱えていたのである。

 英海軍の艦上機開発の失態が露呈しなかったのは、独伊の海軍力が潜水艦を除いてあまりにも貧弱だったためである。結局英海軍は航空母艦の先駆者でありながら、運用や艦上機の開発には失敗した。第二次大戦の海軍で、航空母艦の運用と艦上機の開発運用に、バランスが取れた成果をあげたのは、日米海軍しかなかったのである。ファントムやトムキャットなどの米海軍の艦上戦闘機に誇らしげに旭日旗が描かれているのは、強い日本海軍航空隊に勝ったと言う誇りを示しているのである。