毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

書評・「真相箱」の呪縛を解く

2020-03-26 15:57:05 | GHQ

櫻井よしこ・小学館文庫 

 「真相箱」と言う戦後GHQが作って日本に広めた本が、日本の歴史観を歪めた、ということでその嘘を突く、と言う主旨は重要である。しかし皮肉にも櫻井氏自身がGHQによる史観から完全には逃れられていないことを、この本は示しているように思われる。以下にその例を示す。特に後半は戦史に属する部分が多くなるので、戦史に疎いと自ら認められているように、嘘を見抜けないものが多いのは仕方ない。好著であるが解説が少ない事に不満が残る。

 P35では南京攻略において虐殺は確かにあったと述べている。だが0万人より遥かに少ない人数であっても一定の条件を満たす虐殺があったのなら、戦史における事件と言わざるを得ない。櫻井氏も数の大小に置き換えて逃げようとしているように思われる。通州事件は日本の民間人がむごたらしく殺された。戦時国際法に違反しているのはもちろん、そこにいた日本の一般市民全員が殺されたのである。それこそ、歴史上の虐殺事件というべきである。数は二百余人だが、民間人全員が偶発的にではなく、民間人をターゲットとして、故意に残酷無比な方法で殺害されたという点において、事件として特筆すべきことなのだ。だから問題は数ではない。

 通常の市街地攻略戦においては、民間人も含めた不法殺害は絶対と言っていいほど0には出来ない。問題は当時の市街地攻略戦において通常やむを得ず起きる程度にとどまっているか、そして交戦者を攻撃する巻き添えに民間人が殺されたかどうかである。真珠湾攻撃においても、民間人約百人が軍事施設攻撃の巻き添えで死亡したが、故意ではないし、許容される範囲である。沖縄戦でも米軍は国際法違反の民間人殺害を行っているのは、米国人の書いた「天王山」にも描かれている。米軍の強姦や殺人は、戦闘が終結した地域でさえ行われていたのである。しかし沖縄大虐殺とか沖縄事件とは言われない。それが何故かを考えればよいのである。その意味において、私は南京大虐殺や南京事件と呼ばれるべき、歴史上のできごとはなかったと確信している。

 櫻井氏はバターン死の行進、についても全面的に認め、その原因は日本軍の生命軽視や捕虜をとらない方針であったとしている。しかし近年「死の行進」は、多くの原因は指揮官たるマッカーサーが兵士を置き去りにして逃亡したことにある。捕虜として扱われる原則は指揮官による降伏の申し出であるが、マッカーサー自身がその責務を放棄して逃亡した。食料もなく、重病が蔓延していた米兵の捕虜の生命を救うために捕虜を移動しなければならなかったことが、最近では日本の雑誌や書籍で明らかにされている。日本軍は捕虜の米兵を戦時国際法にのっとり人道的に処遇したのだ。捕虜を取らないことを公言していたのは、むしろ米海兵隊の幹部であった。だから日本人投降者や野戦病院の傷病兵を次々に殺したのだ。野戦病院の傷病兵殺害は、戦時国際法の明確な違反であることは言うまでもない。

 日本兵が投降しなくなった原因のひとつは、米軍による投降者の虐殺にあったと、チャールズ・リンドバーグなど複数の米国人自身が認めている。狡猾な米軍は殺さなかった少数の兵士や民間人を徹底的に厚遇し宣伝に利用した。強姦された日本女性の多くは殺害された。死人に口なしである。このことをどう考えるのだろうか。櫻井氏も人道的な米軍、残酷な日本兵と言うGHQどころか米国を上げて行った宣伝にみごとに引っかかっているのだ。

 対支二十一箇条の要求の項(p85)について日本のとった道はたしかに正道とはいえない。中国からみればとんでもないことである、と語る。その後の世界情勢の枠内に置いてのみ、公正で真っ当な視点として成立するということだ。そうした場合、日本ひとりが不当な要求をしていたとの構図と批判は当たらないのである、と西欧との比較によって日本の行動を擁護しているものの、全体の調子は日本は中国に対して悪いことをしていた、という立場であると読める。

 だが、当時の支那は「中華民国」を自称していたもの、統一されたひとつのまともな国とはいえなかったのだ。櫻井氏にはそうした視点が欠けているように思われる。支那との租借期限延長交渉との過程で、日本がこうした要求をしたので支那政府がこれに屈せざるを得なかったことにすれば、国内世論の反発を抑えて日本の希望を入れることができる、と、日本政府は袁世凱に騙されて、こうした形で公表されることになったのだ、という信ぴょう性のある説さえある。今日でもあるように国内事情を口実に支那政府に利用されたのである。

 戦史に関する真相箱の嘘にも触れていない箇所があるが仕方ないだろう。昭和二十年に日本機の爆撃で大破した正規空母フランクリンは修理された上再就役した(p356)と書かれている。事実は、八百人近くの戦死者を出し、大火災で船体構造全体に大きな歪が生じ、復旧するには新造と同じコストがかかる大工事になるため、復役しなかった(世界の艦船2012.6に被害の詳細な記述がある)と言うのが真相である。程度は少し軽いが同様に日本機の爆撃で大損害を出したバンカーヒルも五十歩百歩だった。フランクリンがずっと予備役扱いながら正式に除籍されたのが昭和三十九年と遅かったのは、米海軍による誤魔化しである。フランクリンは沈没したのも同然であったのである。

 日本の急降下爆撃機は、二十五日の朝小型空母セイントロウを撃沈しました(p251)、とある。護衛空母セント・ローを撃沈したのは、最初の正式な神風特別攻撃隊とされる敷島隊の零戦である。他の個所でも真相箱は特攻隊の戦果を故意に書かない。米軍は体当たり攻撃までして日本軍が抵抗している事実を国民に知られるのを恐れ、戦時中は徹底した報道管制によって報道させなかったのである。米国はいいことも悪いことも公平に発表していたなどというのは大嘘であるのは当然である。

 真珠湾攻撃の戦果を戦艦二隻撃沈としているのも、日本戦艦10隻を撃沈したと書いている事と比較すると巧妙な嘘である。真珠湾では、戦艦で大破着底すなわち事実上の沈没をしたのは5隻で、そのうち3隻が浮揚修理されて実戦に参加している。日本戦艦12隻のうち、洋上で沈没したのは7隻、事故で陸奥が沈没、瀬戸内海で大破着底したのが3隻、長門だけが航行可能な状態で残った。真珠湾で大破着底した3隻が修理再就役したから撃沈ではないとするなら日本戦艦3隻も修理再就役可能な状態だったから、撃沈ではないことになってしまう。米軍にしても自軍の被害は少なく、敵の被害は大きく評価するのだ。飛行機の被害でも、米軍は戦場域内で被害を受けて墜落したものだけを被撃墜とカウントし、被害を受けて戦場を離脱して、基地に帰投途中に力尽きて墜落全損したものは、被撃墜とはカウントしない、というのだから。


書評「戦後」を克服すべし・長谷川三千子。國民會叢書八十九

2015-10-18 12:56:23 | GHQ

 何とも意外だったのは、厚さ五ミリになるかならないかの薄い冊子だったことである。昭和二十一年の「年頭詔書」、いわゆる人間宣言、についての講演録である。長谷川氏にしては珍しく現代仮名遣いである。なるほど日本国憲法は、GHQが草案を作り、日本側が翻訳しても、気に入らなければ直させる、という到底一国の憲法とは言えないものである(P3)。

 ところが、詔書の方は微妙で、GHQは天皇への絶対的な信頼を崩すために、天皇ご自身から神格を否定する詔書を出させたい、という意向を政府に伝える。(P9)すると、命令の書類もないにも拘わらず、教育勅語の廃止と同様に日本側は抵抗するどころか、GHQの意向を忖度して、内閣が作業をしてしまう、という情けない顛末なのである。

 天皇陛下ご自身のご見解を「民間人の言い方で言い直すなら『神格の問題についてはあの詔書は全くダメでした。だから私なりの修正として五箇条の御誓文の追加を指示しました』ということになる。(P19)」。つまり、間違っていると否定することは、天皇のお立場としては、してはならぬので、文の追加の指示によって実質的に間違いを直そうとしたのである。

 西洋流の民主主義は上と下が争うものだが、日本型民主主義では上と下とが心を一つにして政治と経済の活動に励む、というのだが、その国体を表現したものが、五箇条の御誓文であるということである。(P25)

 ところが、「天皇ヲ以テ現人神トシ・・・」と続く神格の否定の部分がまずい、というのである。現人神とは一神教の絶対神ではない。かといって単なる人ではない。かの吉本隆明が想い出話を語って「私はとにかく家族のため、祖国のために死ぬというのは、これは中途半端だと思った。しかし生き神様のためなら命を捧げられると思って戦争中を過ごしていた」と語った(P27)のだが、生き神様こそが伝統的な言葉で「現人神」というのである。

 天皇が現人神である、というのが詔書のように「架空の観念」だとしてしまえば、吉本少年の生き方は架空の観念によるものに過ぎない、ということになってしまう。結局、神という言葉を、日本にないGodと言う言葉と混同したことによるものである。著者は、この間違いは、幣原喜重郎の英文草稿のdevineと言う言葉に発していると言う。

devineとは「神的な・神の」とは訳すが、西洋人の感覚では人間と一神教の神とは別なものである。だから明確にGodと書いて「天皇を以て絶対神とし・・・」と訳せばよかったのである。たしかにそうすれば、国民が天皇を生き神様でないと言われてしまった、と誤解することもなく、GHQにしても唯一絶対神以外に神はいないのだから、納得したであろう。

長谷川氏は、結論を導くのに旧約聖書の話を持ち出しているのだが、長いので引用せず、結論だけ要約する。西洋の神様は人間に命を差し出すよう要求する。しかし日本の神々はそんなことはしない。しかし、「大君の辺にこそ死なめ」と自分で犠牲になる。戦争で多くの人が死に、終戦の時、国民が死の決意を固めていた。それを受け取るのを天皇陛下は拒否したのではなく、気持ちは確かに受け取った。

だから「いくさとめにけり身はいかにならむとも」とご自身の命を投げ出すこともいとわなかった。「それが『終戦』の意味なのです」(P39)と言う。三島由紀夫の書いたように、人間宣言を聞いて英霊が「などてすめらぎは人間となりたまいし」と質問したら、答えは「人間であるからこそ、朕は命を投げ出すということが可能になった」とお答えになるのだろうというのである。

絶対神は自分の命を投げ出すことができない。ところが日本の神はできる。確かに記紀でも神々は死んでいる。だから前述のように、この詔書はとんでもない間違いがある、と同時に敗戦後の日本の大逆転の可能性をも秘めている、というのが著者の結論である。ということでこの本のタイトルにつながるのである。相変わらず長谷川氏は、深読みの得意な人である。だからこの書評も充分に著者の意を現してはいない。

ひとつ付言する。東大法学部の出身で、論理的に見るトレーニングをしてきたはずの、三島由紀夫ともあろうものが何故「などてすめらぎは人間となりたまいし」と誤解して怒ったのだろう、というのである。長谷川氏は三島が究極的には、人間宣言に怒っているのではなく、本当の意味は分かっているのだ、という。

だが、東大法学部の出身で、論理的に見るトレーニングをしてきた人間が、物事を正確に把握できるはず、ということ自体がおかしいのである。東大法学部の出身であるから、ということはどうでもよい。論理的に見るトレーニングを十二分にしてきたはずの、多くの左翼人士は、見事にGHQの洗脳にひっかかって、憲法九条を絶対視するなど、多くのとんでもない間違いをしている人たちは珍しくはない。

そもそも論理と言うものは、絶対的真理を必要としない。例えば公理系というのは、仮説の一種であるいくつかの命題を提示するが、これを公理という。それを論理的に展開して作られた世界が公理系である。論理が整合していれば、公理系が成立して定理が導かれる。前提となる「公理」が絶対的に正しいか否かは問題とはならない。だから二乗したら負の数になる、とう虚数の数学の世界も成立するのである。ところが、実世界にはあり得ない虚数の世界を使えば、流体力学その他各種の現象の解析に有効で、航空機の設計をはじめとする色々な、実世界方面に利用できるのである。

人が誤判断するのは、必ずしも論理的に考える能力が劣るからではない。論理構成する前提となる事実に誤りがあることに気づかなければ、誤判断する結果となる。ある書物に書いてある間違ったことを正しい、と信じてしまえば、いくらその後の論理展開が正しくても、間違った結論が導かれるのである。


戦犯とは何事か!

2014-10-19 14:31:00 | GHQ

 例えば文藝春秋の、平成二十六年の四月号の特集に「第二の敗戦 団塊こそ戦犯だ」とある。A級戦犯だとか、戦犯だ、という言葉がこのような使われ方をすることは、戦後の日本では珍しくない。戦犯とは、悪いことがあった時に本質的に責任がある者、という意味で使われている。

 だが、戦犯、つまり戦争犯罪人とは本来戦時国際法の用語で、捕虜の虐待や、非戦闘員の殺害などの戦時国際法違反の犯罪者、という意味である。その上に戦後の日本で戦犯とは、東京裁判などの連合国により戦犯として刑を執行された者に限定されている。その中でB,C級戦犯と言えば前述の戦時国際法違反者である。A級といえば、平和に対する罪というそれまでの国際法になかった、事後法による近代法違反のインチキでっちあげ犯罪のことである。

 しかも、東京裁判その他による連合国の戦争裁判で戦犯とされた人たちは、昭和二十八年の国会決議で、刑死については、法務死であり、犯罪による処刑ではないとされた。刑務所に入れられた人たちも、犯罪者ではないとされたのである。従って犯罪を犯した者には支給されるはずがない、遺族年金や障害者年金等も全て支給されている。

 日本は戦後、このようにして連合国の一方的な裁判で戦犯とされた人たちの名誉を回復したのである。例示した文藝春秋の「戦犯」とは連合国の不当な裁判に根拠を発しているのだが、日本は国是としてこれを否定しているのである。それを保守系のマスコミや論者さえもが、例えばなしとしてでも、軽々に「戦犯」という言葉を使うのは見識を疑う

 


非日本人として教育された日本人

2014-10-13 16:05:51 | GHQ

 アメリカ人は、特殊な例外ではない限り、ジョージ・ワシントンらが行った対英戦争を独立戦争、と呼ぶ。しかし、英国では今でもこの戦争を謀反と呼んでいる。真実がひとつならば、これは矛盾である。だが両国民のほとんどがそう考えているであろうことは事実である。なぜこの矛盾を生じるのであろう。それは教育である。各々、アメリカ国民、英国民として教育を受けているから、各々の国の立場に立って考えているのである。

 全員とは言わないが、アメリカ人の多くは、日本への原爆投下したことについて、戦争を早く終わらせることができた、と評価している。これも、アメリカ人として教育されたから、アメリカの立場で考えているのである。

 それでは日本ではどうなのだろうか。広島の原爆死没者の慰霊碑には「過ちは繰り返しませぬから」と書いてある。これは主語が誰か、という論争があって、公式見解としては、人類が今後、こんな悲惨な行為を繰り返さないように、という意味だそうである。だが実際には政治家や、教科書の一部ですら、日本が戦争を仕掛けてさんざん残虐な行為をしたから原爆を投下されたのはその報いである、とする意見が例外的にではなく公表されている。全くアメリカ人と同じ意見すらある。これは一体どうしたことだろう。

 それは、同じ戦争をアメリカ人が独立戦争と考え、イギリス人が謀叛と考えているのと同じ原因による。すなわち教育である。しからば何人として教育された結果、そのようになったのであろうか。「非日本人」として教育されたのである。以前、朝日新聞の記者が朝日新聞のホームページで

「例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。」

 と書いて問題になった。これはこの記者の立場が日本人の側ではなく、韓国の側にあることを明瞭に示す。つまりこの記者は日本国籍がありながら、思想は「非日本人」なのだと考えれば、理解できる。


書評・日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと・高橋史郎・致知出版社

2014-08-17 11:28:53 | GHQ

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 本の内容はタイトルがよく示している。ただし、内容のかなりの部分が子育て問題にさかれているのには、いささか辟易した。日本の教育問題の多くが直接間接に、GHQの占領政策に淵源を発しているのは事実である。だが、私の父母や知り合いの、相応の年代の人をみると、それに関係のない元々の問題もあると思うからである。

また、せっかく江藤淳の「閉ざされた言語空間」に匹敵するテーマでありながら、頁数を教育問題にさかれたせいか、肝心の期待した主題への言及が少なくなっていると思わざるを得ないのである。

むしろ独自で面白いのは、占領政策が日本人に対する極度の、というより異常な偏見によって立案されている、という指摘で詳しく例示された人物の日本人への見方である。それで思い出すのが、平成12年頃に作られた「パールハーバー」という映画の日本軍の描き方である。この映画の日本軍の指揮所の様子などは、どう考えてもアメリカ人ですらこんなことは考えてはいまい、というほどの滑稽でグロテスクな表現である。そんなことはあり得ないと知って、こんな表現を行うのは、日本軍がこうであったという想像によるものではなく、アメリカ人が内心に持っている日本人へのグロテスクな偏見を映像にしてみせた、ということであろうと思う。

当たり前だが「占領軍が東京入りしたとき、日本人のあいだに戦争贖罪意識はまったくといっていいほど存在しなかった。彼らは日本を戦争に導いた歩み、敗北の原因、兵士の犯した残虐行為を知らず・・・日本の敗北は単に産業と科学の劣勢と原爆のゆえであるという信念がいきわたっていた」と昭和二〇年のGHQ月報にあるそうだ「(P91)

それが現在の日本の体たらくになってしまったのは、まさに日本に贖罪意識を植え付ける「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の大成功が原因である。そのことを著者は義眼を埋め込まれた、と適切に表現している。「挺身隊問題アジア連帯会議」で、インドに住むタイ人女性が「日本軍さえたたけばいいのか。インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに」と泣きながら訴えると、「売春問題ととりくむ会」事務局長の高橋という女性が、「黙りなさい、余計なことをいうな」と怒鳴ったという記事を読んだ。(産経新聞平成26年5月25日)ちなみに平成26年になって慰安婦を挺身隊と呼んでいたのは間違いであった、と報道した御本家の朝日新聞が認めたから、この会議の名称は詐称であるという皮肉なことになった。

この日本女性は日本軍より英軍がアジアで行った残虐行為がひどいということが信じられず、そんな発言も許せず逆上したのである。しかも善意のやさしい人であるはずのこの日本人女性は、人間としての最低のマナーすらわきまえられなくなっていたのである。理性的に考えれば、タイ人女性の発言が事実かどうかも検証すべきなのだが、できないのである。このように日本軍の残虐行為に異議をとなえると逆上するパターンは、自虐史観の人に多い。それは、心の表層ではなく深層にまで「日本軍の残虐行為」への憎しみがしみ込んで理性を跳ね返すのである。つまり完全に洗脳されたのである。日本にはこうした人物が教育界や政界やマスコミに跋扈していて、日本の思想をリードしている。そういう恐ろしい状態にある。

昭和天皇を裁判にかけないことにした裏の理由のひとつとして、国民からのGHQ宛の膨大な嘆願書の存在があった。(P116)ところが「不思議なことに、いわゆる右翼の人たちはこういう嘆願書を出していません。(P120)」というのだが、考えてみれば当然かもしれない。GHQは日本を支配している外国人である。勝利に驕ってもいる。嘆願書を書くということは、頭を下げてお願いすることである。それができなかったのではあるまいか。プライドが許さないのである。嘆願書を書いたなかで最も多かったのが婦人であると言うのも、それを裏付けている。婦人たちはどんな手段でも天皇陛下を助けたい一念から、プライドを捨てて嘆願書をかいたのであろう。高橋氏の言には、天皇を最も助けようとするべき肝心の右翼が、嘆願書を出さなかったことに対する、言外の非難があるようにも思われる。

左翼勢力が占領政策に協力していたと言うのは事実である。それにしても、GHQの下部組織であるCIE(民間情報教育局)羽仁五郎が密談して日教組を作ったり、共産党の野坂参三も毎日CIEに会って何らかの成果を上げていた(P154)、というのもグロテスクな話である。たとえ共産主義政権実現のためとはいえ、自国を弱体化する政策の実現に信念を持って積極的に参加していた、というのは、ゾルゲ事件の尾崎秀実同様、醜悪である。特にGHQ支配下の日本には、このような人物はいくらでもいた。ルーズベルト政権下で活動していた、コミンテルンの米国人スパイに比べて、質も量も甚だしいであろう。

 


書評・GHQ焚書図書開封9・アメリカからの「宣戦布告」西尾幹二

2014-04-06 13:08:51 | GHQ

 西尾氏ほどの知識人がどうしてこんなに誤解をしているかと不可解に思うことが一点だけある。日米戦争や日独戦争を望んでいたのは、ルーズベルト大統領と、政府中枢だけであり、国民はこぞって反戦であったと信じていることである。

 以前「ルーズベルトの責任」という本の紹介で、欧州大戦が始まって英国が危なくなると、米国は中立法を改正して、武器貸与や独潜攻撃などの行為をしたことを批評した。これらの事は完全な戦争行為であって、マスコミでも堂々と公表されているが、国民も議会もマスコミもこれに反対した形跡は極めて少ない。国際法学者ですら、米政府の行為が戦争行為だと批判していない。つまり国民も議会もマスコミも政府が次々と打ち出す戦争行為を是認していたと言うことは戦争に反対ではなかったのだ。確かに世論調査をすれば戦争反対の声が強かったのは事実である。これは単に戦争に賛成しますか、と聞かれれば国民は、建前で反対というのである。

 本書でも西尾氏はルースベルト政府が次々と援英のために戦争にのめりこむ政策を実行していることを書いている。また日本爆撃の準備をし、実行のためにフライングタイガースという戦闘機部隊を送り込んでいたことも知られている。それでもなぜ国民は戦争反対であったと言う結論が出るのか、聡明な西尾氏にしては不可解なのである。ルーズベルトの戦争政策はマスコミや議会を通じて公表されているのである。武器貸与法などは多数の議員によって支持されている。それならば議員の支持者は戦争反対だと議員を追求しないのだろうと考えればことは簡単である。

 この本の主眼は、国際連盟は結局英国の世界覇権の維持のためにあったのであって、そのバックには連盟に入っていもしないのに、英国の世界覇権のあとがまを狙う米国がいたということであろう。それにしても、日本は連盟脱退後もしばらくは分担金を払っていた(P156)というのだから今も昔も日本人の性格は変わらないのだと考えさせられる。

 もうひとつの眼目は、米英はヒトラーのドイツ憎し、のためにソ連と手を組んだことは許し難い誤りであった(P310)というのである。日本に対しては合法的平和的仏印進駐にさえ禁輸政策をとったのに、バルト三国併合やフィンランド侵略という阿漕な事をしてもかえってソ連に対して融和的にでているのである。


GHQの深謀遠慮

2013-12-30 11:28:07 | GHQ

 かの「吾輩は猫である」、にこんなエピソードがある。手元に本が置なく、記憶で書いているから正確ではない。ある人が金の儲け方を教えてやるといった。600円人に貸したとする。そして返済期限が来ても一遍に返さなくてもいい、と言ってやるのだ。月に10円づつ返してくれと言う。すると、1年で120円返すから、5年で完済となる。

 しかし、借りた人は毎月毎月金を持っていくのが習慣になって、金を持って行かないと不安になって、5年を過ぎても金を持ってくるように来るようになってしまうから、5年過ぎると儲かる、というわけである。あまりに馬鹿馬鹿しいので、多分ほとんどの読者は、記憶に残っている人は少ないと思う。しかし小生は現実にこんなことはないにしても、習慣が理性の判断を曲げる恐ろしさを表わした挿話だと思い忘れられなかった。

借りた人は初めの頃は、借りたものの義務として仕方なく返しに行ったのである。しかし永年の習慣が続くと、仕方なく、ではなく、返すことが当然の義務と感じるようになってしまったのである。これに符合する事実は世の中にいくらでもある。

別冊正論に、桶谷英昭氏がNHKのラジオ番組録音で、大東亜戦争、と語ったらその後、大東亜戦争はまずいから、大平洋戦争と言ってくれと言われた。理由はNHKでは大東亜戦争は禁句である、と言うのだ。氏が拒否すると「大東亜」の所をカットして放送されたというのである。

GHQは大東亜戦争を大平洋戦争にせよと、検閲を指示した。NHKの職員とて当たり前だと思っていた大東亜戦争を使うのを「仕方なく」止めて、大平洋戦争と言わされていたのである。しかし、長い間検閲が続くと、検閲が解除されて自由になっても、大平洋戦争、と言う言葉を使わなければならない、という当然の義務感になっていたのである。

600円の借金の儲け話は単なる笑い話ではなく、人間の一面の心理をついたものなのである。もちろん、大東亜戦争が使えなくなったのは、こんな単純な話ではなく、多くの複雑な要素もあろう。しかし、原因の一部を構成しているのは間違いはない。ちなみにマスコミにも関係なく、戦後の教育も受けず、歴史に興味もなかった父母は、死ぬまで当たり前のごとく、大東亜戦争と言っていた。


なぜGHQの掌で踊る

2013-10-26 14:01:50 | GHQ

 皇族が減るというので、女性の宮家を創設するという提案がなされている。本来ならば理不尽にもGHQが勝手に臣籍降下させた宮家を復活すればいい話である。それなのに、臣籍降下した皇族は復帰できないと言う、皇室典範を盾にして反対している。そもそもGHQは皇室典範を無視して皇室弱体策を行ったのである。憲法にしても、GHQが理不尽にも他国の憲法を変えてしまったのだから、主権を回復したとき日本国憲法を破棄して帝国憲法に戻ればいいだけの話なのだ。帝国憲法が不磨の大典となって欠点が露呈しているのなら必要な部分を改正すればいいのである。

 尊敬する保守の論客たる中西輝政教授ですら、日本国憲法は長い間施行されていたので、日本は建国以来体制の連続性が切れたことが無いから、たとえ米国製でも日本国憲法の改正と言う手続きでいい、と言う。そうだろうか。日本は歴史上初めて他国の支配を受け、国家改造までされた。日本の歴史の連続性は途切れたのである。

 GHQの言論統制は、米軍による原爆投下を批判すること、日本国憲法を批判すること、など数々の禁止事項を指示した。ようやくこれらを批判する言論が増えて来ているが、政治を変えるに至っていない。日本の大勢はGHQの指示に未だに従っている。日本はGHQの指示から逸脱しないことを大前提としてもがいているのだ。孫悟空の如くGHQの掌で踊っているのだ。


GHQ焚書図書開封3・西尾幹二

2013-09-21 13:53:26 | GHQ

 本書の前半は、兵士や家族の心情についての本の紹介が中心である。「生死直面」という本には、息子の戦死を悲しむ父母の姿が書かれている。

 「私の一人息子が戦死を致しました。悲しみのどん底に居ります。毎日毎夜眠ることも出来ません。このまゝ居れば気狂ひになりさうでございます。死にたいが死ぬことも出来ません。・・・」(P68)

 このように父親が電話で話したということが書かれている。極めて直截に悲しみを表現している。そんな文章が昭和15年に出版されているのだ、として「当時の軍も『そんなことを書いちゃいけない』などとは言ってはいない。」とした上で「どうしてそんな本をGHQが焚書しなくてはならなかったのか、私にはさっぱりわけがわかりません。戦争中の日本より敗戦後の日本により多くの自由が与えられたと簡単にいえるでしょうか。」と西尾氏が言うのは当然である。

 その一方で同書は、ある俳句について「『死にてあり』、とは甚だ無礼である。死にたくない若者を殺してゐるとでも考へるのだらうか、・・・むやみに犬死することは誰も望んでは居らぬ。けれども、意義ある戦闘に戦死することは名誉である。・・・この名誉ということは、自由主義国に於て、他人を蹴散らして自分一人が成功する・さういふ場合に得る名誉ではない。・・・」(P78)と親の悲しみを赤裸々に書く筆者が、他方で名誉の戦死ということを書く。

 西尾氏は同じ怒りを小泉元首相の靖国参拝の際の言葉に感じている。例の「戦争によって心ならずも命を落とした方々の・・・」という言葉の「心ならずも」である。戦争に行きたくないと思いながら行かされた、というのは一面の真実ではあるかもしれないが、自ら進んで戦地に行った兵士も多くいたのだから、英霊を十把ひとからげにして「心ならずも」と言ったというのはとんでもない、というのである。小泉元首相のようなことを言う人は戦前にもいたのである。

 5章では、中国兵の実態を記述するために「敗走千里」という本を紹介している。日本に留学していた陳という中国人が、支那事変が始まると故郷の様子を見るために一時帰国したのだが、帰ってこない。すると彼の世話をしていた日本人に留学生から手紙と大量の原稿を送ってきた。彼は中国につくと強制的に入隊させられて前線に送られたのだが二カ月ほどで重傷を負って入院したが傷も癒えたので脱走して原稿を書いた。出版する価値があるなら本にしてくれ、と書いてあったのでこの日本人が翻訳して出版したというのである(P149)。

 P164あたりから、中国軍の便衣や督戦隊、といったものが書かれているが、中国軍では当然のことなので省略する。ただ西尾氏がいわゆる「南京事件」で南京の城門にたくさん積まれている中国兵の死体が日本軍の残虐行為だといわれているが、これは督戦隊のしわざだと指摘していることだけ言っておく。

 西尾氏は「日本と中国は国家同士で戦争をしていたのでしょうか-。主権国家同士の対戦であったといえるのかどうか・・・(P185)」として支那大陸で歴史上繰り返されてきた内乱を紹介する。太平天国の乱では清の人口四億人のうち8千万人が殺された。その後イスラム教徒を皆殺しにする内乱が発生した。フランスの研究者の「共産主義黒書」によれば毛沢東と中国共産党によって六千五百万人の人々が殺されている。何ともすさまじい数字である。只今現在でも年間十万件から二十万件の暴動が起きている。(P188)

 西尾氏はドイツに留学したことがあり、多くの学識経験者と出会ったが、みんな立派な人たちであった。「しかし、日本に来ているドイツ人はダメです。例外はありますが、概して教養も学問もレベルが低くて、いたずらにドイツを高みに置いて日本を見下げる風があり、とんでもない人間が多い。」(P282)菊池寛氏の「明治大衆史」には「然も当時日本に在った外国領事は、多く学問も教養もない者が多く、その裁判は偏頗であり、わが国の威信を傷つける処置が少なくなかった。」(P282)と書かれているのだが、西尾氏の経験と同じである。父は敗戦で支那から帰還して、港で米兵のチェックを受けたのだが、米兵は日本兵の時計を片っ端から巻き上げて、沢山腕に着けて喜んでいたのだそうである。それを見て父はアメリカ人は何と馬鹿な奴らだと思ったそうである。要するにヨーロッパに比べ程度の悪いのが日本に派兵されていたのである。

 最後に焚書にした理由が整理されているので見てみよう。GHQが焚書の対象とする時期が昭和3年から始まっていて、東京裁判が、日本が侵略を開始したと定めた時期と一致する(P322)のは当然であろう。著作の対象となった人物が、天照大御神から始まって乃木希典の様な偉人であるのも当然である。対象となった人物の本で最も多いのが乃木希典であるのは分かるとしても、山本五十六が比較的多いのに対して、東條英機や板垣征四郎が1冊もない、というのは山本五十六が時の人であり戦時に出版された本が多かったのだろうか。腑に落ちない話である。

 本の内容からすれば国体や神道に関するものが最も多く、次が東亜、支那、満洲などに関するものが続き、三番目が、戦争、聖戦に関するものである(P324)。本のタイトルに「侵略」とある本は全て欧米が侵略した、というものばかりである(P330)。ところが侵略戦争という言葉は一切使われておらず、この言葉は昭和二十一年にGHQが発表した「A級戦犯起訴状」の新聞発表で初めて登場する(P335)。当時は国際法上の侵略戦争という概念が明確でなかったから、日本では使われていなかったのであり、東京裁判が勝手にでっち上げたという事情がはっきりする。焚書の対象とならなかった人物の著作は、小林多喜二、三木清、尾崎秀実、河上肇などというから(P335)、思想的傾向は明瞭である。焚書の対象となった著者で二番目に多いのが長野朗という、このシリーズで西尾氏が最も高く評価している人物の一人である。要するに焚書にされた著書が多かったのは、日本を正しく記述し、焚書の対象とならなかった著者は誤って記述していると読めばいいのである。

 


書評・GHQ焚書図書開封5・ハワイ、満洲、支那の排日・西尾幹二

2013-09-07 13:23:15 | GHQ

 ハワイと満洲については、各々アメリカと支那により侵略されたことを描き、支那に関しては排日の実相と原因について述べている。アメリカは、東洋進出のための基地としてハワイを併合した。併合の手続きは手が込んでいる上に複雑である。多くの米国人を送り込み経済と行政を牛耳った上で、王政を廃止独立を宣言した後に米国併合を申し出る、という訳だ。バルト三国の侵略のように軍事力で威圧して併合を申し出させるという直截な手段に比べると対照的である。

 ところがいったんは併合を承認しながら、大統領が変わると否認するが、結局は併合する。「強硬論があるかと思うと、リベラルな論もある。・・・ただし国内調整のための正論の登場は最初の国家意思を変えることなく、ひと皮むくとそれが、“仮面”にすぎなかったことも次第にわかってくるのが常です。」(P64)というのである。専制独裁ではないから、ソ連のように直截にことは運べないから、異論は言うだけ言わせて結局は国家意思を通す。この欺瞞には日本も日米開戦で大いに使われていて、あたかも米国に対日開戦の考えなど無く、無謀な戦争に日本自ら突入したという考え方の補強になっている。

 ハワイ王家が断絶されて最後に併合されてしまった運命を見て「もし、天皇家が無くなり、精神的支柱を失ったら、日本は本当にアメリカの州のひとつにならざるをえないような事態に追い込まれるでしょう。ハワイと同じように、アメリカの軍事力に支えられているという・・・」という。当然であるが重い指摘である。だからアメリカは皇統が断絶するように長期スパンの仕掛けをしたのである。

 満洲についてである。「・・・支配階級として北京にいた満洲人はどうなってしまったのか?私は満洲研究家の専門家にそれを尋ねたことがあります。すると、「まったくどこにいったのかわかりません。ちりぢりになってしまいました」という答えが返ってきました。要するに、侵略して民族浄化のようなことまでしているのは中国なんです。」(P160)という。この発想の転換は面白い。西尾氏は満洲人が北京に行ってしまい、希薄になってしまった所へ、封禁が解かれロシアや日本のおかげで支那本土より平穏だった満洲に大量に流れ込み、あたかも漢民族の土地であるかのようになったことを侵略と言っている。

 そして共産党支配が始まると満洲人を強制移住させてしまい、他民族のなかに埋もれさせて民族の痕跡をなくしてしまったことを民族浄化と言っている。一面その通りであろう。元々外国であった土地に多数乗りこんで圧倒的多数になったから、俺の国のものだなどというのが通ったら侵略は簡単にできる。今満洲族であると自称するのはようやく増えて1000万人程度であると言われている。中共政権ができた当時は迫害を恐れて自称しなかったが、今はそれを恐れる必要が無くなったのだというのだが、支那北部と満洲にいる人たちは北京語すなわち満洲語を話す。この人たちは間違いなく満洲人と満洲化した漢民族である。満洲人は消えていなくなったのではない。西尾氏は言語は民族の根幹をなす、という考えのはずである。

 隋も唐も支配者は漢民族ではない。それならば、当時の支配民族はどこに行ったのだろうか。漢民族の中に埋もれたのであろうか。そうではあるまい。清朝の直接支配した北京と満洲が満洲人と満洲化した漢民族の生息地であるように、漢民族を自称しながらいずれかの言語を使い、どこかの地域に棲息している。本来の漢民族は五胡十六国の時代に絶滅に瀕し、少数民族に落ち込んだ。今漢民族と称している民族のほとんどは、漢民族絶滅後支那大陸に繰り返し侵入した民族が支那本土に定住したものである。侵入は何回も繰り返された。だから漢民族と呼ばれる人々は、広東語、北京語、福建語、上海語その他などの多数の異言語を話すのである。これら言語の相違する人たちは同じ漢民族ではなく、出自が全く異なる人たちである。これらの過程はローマ帝国崩壊以後、ゲルマン民族大移動や、ペルシア帝国の支配などを通していくつかの言語の国家に分裂したヨーロッパにそっくりである。相違するのは適正規模の国民国家に収斂しなかったことである。

 辛亥革命が成立してからは、支那は対外的には中華民国という政府があったことになっているが、実態は軍閥の分割支配する状態で、それも一定していたわけではない。例えば昭和3年に暗殺された張作霖のある時代は、例えば満洲から北京にかけては、張作霖、揚子江上流は呉佩孚、馮玉が西安の奥の支那北西部、大陸南方には蒋介石の国民党軍(P177)といった具合である。注意しなければならないのは、軍閥の意味である。日本の近代史では「軍閥支配」などといって、国軍である軍部の事を言っている。

しかし支那の軍閥とは事実上の私有の軍隊のことであり、悪く言えば匪賊である。パールバックの大地には金儲けが目的で、個人が「経営」する軍隊に入る若者が描かれている。清朝末期には清朝の軍隊が衰弱して支那国内が乱れたので自衛のために農民などが武装集団化したものが、統廃合を繰り返して規模が大きくなっていったものである。共産党政権になっても国軍というものがなく、共産党の軍隊となっている。ところが、軍管区に分かれていて軍事ばかりではなく、徴税したり農耕したりでかなり自活的である。そこで欧米では軍管区が軍閥化しているのではないかと見る向きがある。そのため、天安門事件が起きた時などは、各軍管区が独自の行動をとり、北京政府と敵対するのではないか、ということが注目された位であった。

 植民地について「・・・植民地主義というと、悪いことの代名詞のように今はいわれています。しかしイギリスが世界に率先して進めた『近代植民地主義』は、元来は一種の解放の理念でした。後れた民族を生活指導し、近代化を推進し、文明のレベルにまで引き上げてあげ・・・イギリスは最初そういうことをいっていたのですが、実際には遅れた国々を隷属させ、そこから搾取することになってしまった。イギリスだけでなく、フランス・・・みな、そうです。ところが日本だけは、当初のイギリスの理念に近いことを実行したのです。」(P243)というのであるが、これは黄文雄氏の考え方に近い

 それどころか黄文雄氏は、イギリスが香港をまともなところにしたように、植民地主義の理念がかなり実現された場合がある、と主張している。香港を例に挙げると正しいかもしれないが、他の大部分では理念倒れになっていると言わざるを得ない。支那大陸のように何千年たっても民度が向上しない地域については当たっている面もあったのであろう。それとて搾取が目的で近代化は結果に過ぎない。アフリカのようにまだ部族社会であった地域が植民地支配された結果は、国家が成立しない古代以前の状態にいきなり近代文明を持ち込んだから、自然な進歩が阻害され、混乱を引き起こした結果になったのが大部分である。部族社会に殺傷効率がいい近代兵器を持ち込んだものだから、部族間の争いは凄惨なものになったのである。部族社会の時代には、殺傷効率の悪い兵器で穏やかに闘い、何万年もの時間をかけて部族統合から統一国家に自然収斂するのが本来の姿であるが、西欧の介入はそれを阻害した。アフリカの混乱の原因は欧米による植民地支配の結果である。アジアアフリカの現在の混乱は、欧米が介入した時点における現地社会の進化の程度が遅いほど大きいのである。

 がっかりしたというか、納得したのは、宮崎市定である。宮崎の中国の通史を読んだことがあるがどうも中国の実際の姿が見えないきれいごとのように感じていたのだが、権威に押されていたのだろう、批判する気になれなかった。西尾氏は簡単に、中国大陸には蠅一匹いない、毛沢東の革命は成功したなどという「・・・デタラメをバラまいた張本人のなかに吉川幸次郎や宮崎市定や貝塚茂樹といった名だたる中国研究家がいた・・・」(P286)と言ってくれた。宮崎も底の浅い中国礼賛者のひとりに過ぎなかったのだ。

 満洲は本当に独立できるのか(P358)というタイトルは重いテーマである。ある雑誌の増刊号である「満洲事変の経過」という本の末尾に長野朗という人がこの問題を考えている。それには「もし、支那本部が強力なるものにより統一された場合にはその力は満洲に働きかけてその独立を困難にするから日本が絶えず実力を以てこれを防いでゐなければ独立は保たれないが、支那の時局が各地分立に向ふならば、満洲の分立も亦容易となる。(P358)」とある。

 この考察に西尾氏は注目している。多くの識者は満洲事変は昭和8年の塘沽協定で終わったと考えているがそうではなく、長野氏は「もう少し深く、シナ本土と満洲はほとんど一体だと考えていたようですね。(P359)」というのである。つまり満洲は封禁が解かれて漢民族が流入し、漢民族が満州族を圧倒するようになったとき、満洲は支那本土と一体になってしまったと言うのである。現に蒋介石が支那本土をほぼ統一した時点でも、日本が満洲を守っていたうちは独立していたが、引き上げて国共内戦で毛沢東が統一したとたんに、満洲は支那に吸収された現実が長野氏の先見の明を示しているというのだ。日本のバックなしに自然体で満洲が独立するのは、支那本土が小国に分裂するしかない、という見解は悲しくも事実であった。当時の世論は、支那本土の状況にかかわらず満州国独立を支持していて、長野氏のような冷徹な考察は例外であったから、いくつかの論文の最後に控えめに載せられていたのである。このような異論を許容していたのも戦前の日本であった、ということにも注目すべきである。