毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

米国の滅亡

2016-07-26 15:05:54 | 歴史

 ソ連崩壊よりかなり以前、ソ連が滅亡する原因として、イスラム社会のソ連内での急速な活動を指摘する本があった。しかし、ソ連は解体されたが、結局は旧ロシアに戻ったのに近い。ただ、帝政と言う統治形態を廃しただけである。帝政ロシアの時代は、ヨーロッパの一国に過ぎず、権謀術策でヨーロッパの国々と、色々な同盟を繰り返していた。

ところが、ソ連は東欧を支配下に置くことにより全西欧と対峙することができる「大帝国」となった。ロシア帝国は単に皇帝がいるから帝国を名乗っていたが、ソ連は自国の他にヨーロッパの半分を支配することにより、米国プラス西欧と対峙することのできる、実力としての帝国であった。歴史的にはそれが異常だった。結局ほぼスラブ民族の一部によるロシアに戻ることにより、帝国は解体されたが滅亡は免れた。

アメリカはどうだろう。アメリカは何時かは、滅びる。滅びた結果の、現在の合衆国領土はどういう統治形態になっているか、予測はつかない。しかし、滅びる原因は民族問題である。現在の支配民族はWASPと呼ばれる白人である。ところがヒスパニック系や黒人の増加が著しく、いつかはWASPは少数民族となる。それが米国滅亡の始まりである。

米国は、黒人が公民権を得て、建前の人種間の平等が成立してから何十年もたつのに、人種差別はなくなるどころか、潜在的にはひどくなっているとさえいえる。それに、イスラム系のテロやメキシコなどからの不法入国である。

中共にしても、漢民族ですら複数の異民族から構成されている。だがアメリカと決定的に異なるのは、福建人でも広東人でも、歴史的に民族と土地が結びついている。だから漢民族国家が分裂する可能性はある。しかし、ウィグルのような異民族は別として、漢民族にはなぜか統一志向があり、統一と混乱を繰り返している。しかし、多くの識者が言う通り、各王朝間には連続性はない。滅亡と勃興を繰り返しているだけである。

これに対してアメリカは、一つの州をとっても色々な民族、人種が住んでいる。白人と黒人とヒスパニックを例にとれば、州内で相対的にどれかの民族が多いと言う地域はあるにしても、民族や人種と土地との歴史的結びつきは希薄である。大雑把に言えば、アメリカは各州に色々な人種がばらまかれているのである。

だから、、アメリカが民族ごとに分裂する地理的に起因する必然性は少ない。ところが黒人とヒスパニックは、人数に於いて白人を圧倒する時期が来るのであろう。そうなったときWASPのアメリカ、という本音のアイデンティティーは崩壊する。その時が米国の滅亡の始まりである。

支那でモンゴル帝国が滅んだとき、再統一は漢民族と呼ばれる、いくつかの民族が定住する地域で統一された明朝が成立した。WASPを漢民族になぞらえることは困難である。米国にはWASPだけが住む歴史的地域はないのだから。

その一方でカナダには白人がいて、中南米には米国のヒスパニックに人種的に似た人々が住んでいるから、WASPの衰退は南北アメリカを巻き込んだ混乱を惹起する可能性がある。また、現在でも厳然として黒人やインディアンに対する差別は存在するのだから、それらの人種が占有する居住地域を作って独立する可能性はある。だから米国の滅亡の始まりから、アメリカ大陸の国家の再編までには、永い混乱期が続くのだろう。それどころか、終わりの始まりですら、今生きている人間は見ることができない先の話である。


米海軍のゲリラ戦法

2016-07-25 13:18:03 | 大東亜戦争

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 大東亜戦争の緒戦、日本の空母部隊が、ハワイ、インド洋で我がもの顔に行動していた時、戦力が劣ると見下されていた米海軍は、指を咥えて見ていたわけではなく、日本海軍の隙をついて、ゲリラ戦で戦果を挙げていた。そのことが以前紹介した「凡将」山本五十六に書かれている。(P107)長くなるが引用しよう。

昭和17年のことである。二月一日早朝、日本防衛戦最東端のマーシャル諸島が、米空母エンタープライズとヨークタウンの艦載機に猛烈な空襲をうけた。さらに、同部隊の重巡洋艦は、艦砲射撃まで加えてきた。・・・司令部はクェゼリン島にあったが、この奇襲によって大損害を受け、司令官八代祐吉少将も戦死した。

 二月二十日には、空母レキシントン、重巡四、駆逐艦十の機動部隊が南東方面最大のラバウルに空襲をしかけてきた。ラバウルからは、中攻十七機がこれらの攻撃に向かった。しかし、敵の対空兵器と戦闘機のために十五機が撃墜され・・・大損害を受けたのである。わが中攻隊には護衛戦闘機が一機もついていなかったのがその最大の原因であったのであるが、大型の陸攻が雷撃を仕掛けて、容易に対空砲火の餌食になったことも原因である。マレー沖海戦で、英戦艦が二隻もいながら、中攻をわずか3機しか撃墜できなかったことと比較すると、米海軍の対空火器は威力があったのである。援護戦闘機も含めて、総合的に米艦隊は、防空能力が優れている、という戦訓を日本海軍は得られないのである。。

 二月二十四日には、空母エンタープライズ、重巡二、駆逐艦六の機動部隊が、昨年末に占領したウェーク島を、これ見よがしに襲撃してきた。艦載機による空襲と重巡による艦砲射撃であった。

 超えて三月四日には、同じくエンタープライズの機動部隊が、傍若無人に南鳥島にも空襲をしかけてきて、日本側に相当な損害を与えた。

三月十日には、空母レキシントンとヨークタウンの起動部隊が、ニューギニア東岸のラエ、サラモア沖の日本艦船に、約六十機で空襲をしかけてきた。軽巡夕張が小破し、輸送船四隻が沈没、七隻が中小破という大損害を受けた。日本海軍の対空火器は、またしても何の役にも立たなかったのである。

 千早正隆は、その著「連合艦隊始末記」・・・で、米機動部隊について、次のように書いている。

-アメリカが守勢の立場にありながら局所的に攻撃を取る積極性、その反応の早さ、その作戦周期の短さ、その行動半径の大きさ等については、何らの注目の目を向けなかった。それらについて、真剣な研究をしたあともなかった。

 ただこれら一連のアメリカの空母の動きから、日本海軍の作戦当局が引き出した一つの結論は、首都東京に対する母艦からの空襲の可能性が少なくないということであった-

 本来ならば、南雲機動部隊がこれらの宿敵をどこかの海面に誘い出して撃滅すべきであった。その最も重要な目標に向かわず、やらずもがなの南方のザコ狩り作戦に出かけて、長期間精力を使い減らしていたのである。

 

 というようなものである。千早の言うザコ狩りとは、昭和十七年早々に南雲部隊が、インド洋などに出かけて長躯小敵を求めて航走し、大した戦果のない割に将兵を無駄に疲れさせたことである。日本海軍は緒戦の勝利に驕慢し、強敵米国と戦っていることを忘れていて、開戦時の緊張感を失っていたのは、多くの識者の指摘する所である。

千早氏の指摘もどうかと思う。結局艦隊を使うのは、作戦目的を果たすためであって、敵艦隊の撃滅は作戦目的達成の手段である。千早氏も結局敵艦隊を誘い出して撃滅すべき、などというミッドウェー作戦のようなことを言っているのに過ぎない。常に日本海軍の首脳の考えは、日本海海戦の結果から敵艦隊を撃滅すること自体が、作戦の目的であった。

日本の機動部隊が「南方のザコ狩り」をしたのは、米国に勝つために次にどんな作戦をすればよいか、アイデアがないため、暇つぶし作戦しか、参謀連中が考えられなかったからである。その上戦線を際限なく拡大していった。もちろん、日本海海戦はバルチック艦隊を撃滅させること自体が目的ではなかった。ウラジオストクに入港して、その後の対日戦を有利にしようとやってきたバルチック艦隊を、できるだけウラジオストクに到着するのを阻止しようとしたのである。艦隊決戦自体は結果的に生起したのであって、目的ではない。

 米軍の方はマリアナ沖で日本空母部隊を殲滅したのは、マリアナ諸島を攻略し、B-29による本土攻撃の基地を得る作戦行動の結果であった。B-29の基地は、本土空襲を行い日本を屈伏させるためであった。事実上連合艦隊が撃滅されたフィリピン沖海戦も、米軍のフィリピン攻略のために生起したものである。

 千早氏の考えは、主力艦が戦艦から空母に切り替わっただけで、作戦目的が艦隊決戦であることに変わりはない。日本海軍は空母による東京空襲を恐れたと言うが、これは生出氏が言う山本五十六の世論恐怖症である。なぜなら、この時点で空母による散発的な空襲を受けても、ドーリットルの東京初空襲と同じで、戦術的な効果は皆無であり、心理的なものであった。日本海軍がゲリラ的な米機動部隊による攻撃から、米空母による東京空襲しか教訓を得なかったというのは、かくのごとく意味を為さないものだったのである。

 それより、米軍がこの間に米軍が動員したのは、エンタープライズ、ヨークタウン、レキシントンというわずか三隻であり、一度に最大二隻しか動員しない、という小規模なものであった。米軍は、日本軍の兵力が圧倒的である際には、敵の防備の薄い所を衝いて、散発的にゲリラ的な攻撃を仕掛けて戦果を挙げていたことが注目される。日本が敗色濃厚になった際にも、艦隊は正面からの全力攻撃しかせずに、一気に殲滅されて行ったのとは異なる。

 他にも米軍のゲリラ攻撃で、得るべき戦訓はある。前述のように、米艦隊の防空は強大であるのに、日本海軍の対空火器は無力であったこと。陸攻による雷撃は被害多くして効果少なき事。空母護衛のため米海軍が重巡しか随伴しなかったのは、当時の米戦艦は21ノットしか出ず、空母と行動を共にするには不適であったことで、27ノット~33ノット出る新戦艦はまだ就役していなかった。新戦艦が就役したら、米空母部隊の威力は絶大になるはずだった。ゲリラ攻撃は空母艦上機によるものばかりではなく、重巡の艦砲射撃も加えるという、その後も米軍が行った、ミックス攻撃であった、ということである。日本艦隊はミッドウェーでも基地攻撃には空襲一辺倒で、ヘンダーソン飛行場攻撃では、空襲はなく、砲撃だけによっている。空母による空襲は重巡に比べても、時間当たり投射弾量は少ない。まして戦艦なら桁違いであるが、何せ航空機に比べると射程が少ない。ミックス攻撃による相互補完のメリットは大きい。空襲プラス、艦上戦闘機による制空権確保の上での戦艦重巡による艦砲射撃、という攻撃を米軍は初期から活用したのであるが、日本海軍にはその知恵はなかった。


曽野綾子氏の舛添知事擁護論の的外れ

2016-07-23 14:59:25 | 政治

既に旧聞に属するが、産経新聞平成28年6月15日の、曽野綾子氏の舛添前都知事に関するオピニオンは、氏らしい意外な着想だが、筋論としてはおかしいことが多いと考えられる。氏は知事が海外出張するときは、ファーストクラスでスイートルームをとるのは当然である、という。だがどんな組織にも旅費規程のようなものがあり、一定以上の役職ならファーストクラスやグリーンの交通費を払い、役職に応じて宿泊費が規定されている。

インターネットで調べたら東京都には「職員の旅費に関する条例」というのがあった。まず海外出張の航空運賃であるが、都知事のような「特別職」は運賃が二段階設定の場合は上級の運賃、三段階の場合には、中級とある。例えばファーストクラス、ビジネス、エコノミーがある便の場合はビジネスを適用、ファーストクラス、エコノミーの場合はファーストクラスを適用となる。ファーストクラスだから即いけない、という訳ではないという曽野氏の意見は正しい。そしてエコノミークラスに乗れと言わんばかりのマスコミはおかしいのである。

余談だが、小生は10年以上前に、東海道新幹線で、指揮者の小澤征爾氏を見かけたことがある。小生と同乗していた人は、しばらく前に、イベントに小澤氏をよんで間近で見たから、間違いない、という。何と小澤氏は小生と遠く離れていない普通車に乗っていた。グリーン車ではないのだ。その後しばらくして、上野駅構内の雑踏で、一人か二人のお付きらしい若者と立っていた。世界的指揮者が大勢の者を従えて威張り腐って闊歩していたのではなかったのに驚いた。

次に条例の宿泊費を見る。すると、外国旅行の旅費は一日当たりの「日当」、一夜あたりの「宿泊費」と「食卓料」の計3つで構成される表がある。表の指定職で3つの一番高いものを合計すると、41,700円となる。マスコミが都条例の宿泊費の上限は4万円と主張するのはこのことだろう。正確には、日当はホテルに払う宿泊費ではなく、昼食その他の滞在の経費だから、一泊二日なら日当は二日分払われる。そんな厳密なことは無視しよう。

曽野氏の言う「スイートルーム」は当然、というのはどの程度を言っているのか分からないが、一泊二〇万円というのは、どう考えてもべらぼうである。ちなみにインターネットでホテルの宿泊予約検索すると、国内の場合だが、大抵一泊二万円を超えると「ハイクラス」と表示される。都条例は既にハイクラスであるが知事クラスなら当然だろう。

都条例を遥かに超える宿泊費を毎回使っていたのは条例違反である。条例の金額が世界の常識に反しているのなら、都条例の規定を改めなければならないのであり、改めずに毎回べらぼうな宿泊費を使うのを繰り返すのは単なる条例違反である。

VIPだからといってホテル側が勝手におためごかしに高い部屋に泊まらせて正規料金を払わせることがあって、迷惑な話だと、曽野氏は同情するのだが、その次から反省して担当がホテル側のおためごかしに騙されなければいいのであって、条例違反を黙認する理由にはならない。そもそも舛添氏は「知事が二流のビジネスホテルに泊まれますか」と反論した。誰も二流のビジネスに泊まれとはいっていない。そんな下手な論理のすり替えをするから国民は怒ったのである。

湯河原なら災害時にも、そんなに時間もかかれずに都庁に戻れる、と曽野氏は言う。だが災害時という緊急時に何時間もかけて戻らなければならないところに、毎週定期的に二日以上滞在するのが危機管理上問題である。災害なら交通網が寸断されて、都知事が都庁に付けなくなる確率が高いことを想定すべきである。これは曽野氏らしくもない言説である。

舛添氏は「私がいなくても副知事が代行できる」といったが、危機管理を全く知らない暴言である。都でも、知事に何かあれば副知事が、その副知事にも何かあれば誰々にと、職務権限を継承すると言う緊急時の規定があるはずであって、舛添氏はそれを言っている。

しかし、それは知事が万一指揮を取れなくなる非常事態を想定した規定である。毎週末知事が指揮を取れなくなる可能性の高いところにいることが常態化している、という事自体が危機管理を知らないのである。その点は悪評の高かった菅元総理よりたちが悪い。知事がいなければ、副知事が代行できるからよい、というのが慣行化常態化しているのなら、最初から知事という役職者はいらない

第三者による調査に時間がかかったのが問題だから、徹夜でも調査させるべきで、できないのが社会的問題である、と曽野氏はいうのだが批判としては的外れである。時間より根本的な問題を見逃している。舛添氏は自費で弁護士を雇ったと言う。それなら、法的には弁護士は依頼人の舛添氏の個人的利益を守るのが責務の「代理人」であり、弁護士倫理規定にもかなっている。

当然であろう。裁判では原告と被告の双方に弁護士が付き、弁護士は報酬をもらうから、双方の弁護士の主張は異なる。舛添氏の代理人たる弁護士が、誰からも反論の余地のない客観的な調査をすることはあり得ない。例えば、弁護士がもっと調べるべきことがあると考えても、舛添氏に不利になる可能性があれば、調査しないでおく方が、舛添氏の代理人たる弁護士としては正しいのである。

確かに明白に、政治資金規正法違反だと言える案件は指摘されていない。新聞の投書にあったように、舛添氏はかつて、同法はザル法だといっていた。それを機能させるには、政治家個人の倫理性に頼らざるを得ない。だから、舛添氏は何度も政治家や公務員の倫理保持の必要性について語っていた。結果的に舛添氏はザル法だから放っておいてはよくない、と主張していたのである。それを承知で舛添氏が、ザル法を逆手にとっていたから嘘つきなのである。ちなみに小生は政治資金規正法をいくら厳格化しても無駄で、政治家の倫理性に頼るしかない、と考えるものである。

曽野氏は、美術品の所在が分からないのは、都庁の役人の怠慢である如きことを言う。だがこの件も含めて、曽野氏には、首長は総理大臣と比べても、遥かに独裁的権限を持っている、という根本的認識が欠けているように思われる。本来日本の公務員は、物品管理にはうるさいほど几帳面である。だが買った美術品の保管場所を確認させて下さい、と部下が言っても、余計なことをいうな、と言われればお終いである。横暴とは思っても、部下は従わざるを得ないことが多いのである。

だから、舛添氏ばかりではなく、宿泊費が条例違反だと首長の部下は諫言できないのである。今回明らかになった最大の問題は、首長が節操を無くして独裁権限を振り回した、と言う事であろうと思う。東京都の場合には組織が大きいし、マスコミなどの監視は厳しいからましな方である。だが、県、市町村など組織が小さくなり、人間関係が濃密になると、首長の独裁的傾向はひどくなる。小さな組織で、何期も連続して首長をしている自治体では、幹部ばかりではなく、かなり末端の職員まで横暴な首長の顔色を窺わなければならない実態があり得ることこそ問題である。

曽野氏の言うように、わずかな私的流用のために、多額の議員給与が浪費されたことが問題なのではない。独裁権限を乱用した首長が、政治資金規正法については違法性をないことを利用して居座り、それをやめさせるのに多額の議員給与が浪費され、マスコミが大騒ぎしなければならなかったことが問題なのである。

個人的な妬みの溜飲をさげた人たちを見るのは、あまり楽しくない、という氏の結語は大いに賛成である。一部週刊誌のような、舛添氏の少年時代の生活を私的流用の心因であるがごとき報道は下品の極みである。だが、以前は高潔と見られていた舛添氏が、首長と言う独裁権力を手にすると、次第に暴慢な独裁者の如き者になり果てたのは、多くのトップが他山の石とすべきなのであろう。毎週湯河原まで車で送ることを批判した部下に「俺の車を自分で使って何が悪い」と言ったと伝えられるのは、事実ではないにしても、象徴的である。

 


書評・習近平よ「反日」は朝日を見習え・変見自在・高山正之

2016-07-14 15:38:48 | Weblog

 高山氏の持論は中国人も欧米人も、日本人に比べれば異常に残忍な民族である。ある日本人漫画家は「中国人が攻めてきたら戦わずに素直に手を上げる。中国人支配の下でうまい中国料理を食って過ごした方がいい」といったそうな(P33)。ところが「中国人は逆に無抵抗の者を殺すのが趣味だ。蒋介石も毛沢東も村を襲って奪い、犯し、殺し尽す戦法をとってきた。クリスチャンの蒋は毛と違って、時には村人全員の両足を切り落とすだけで許した。毛より人情味があると言いたいらしい。ただ相手が日本人だと彼らの人情味は失せる。盧溝橋事件直後の通州事件では中国人は無抵抗の日本人市民を丸一日かけていたぶり殺した。(P35)」

 この後通州事件の凄惨な殺人方法が、具体的に書かれているのだが、転記するに忍びないほどひどい。なるほど憲法九条改正に反対し、自衛隊は憲法違反だと言う輩の本音は、絶対中国が攻めてくるはずがない、万一せめて来たとしても、降伏して安穏に暮らせばよい、というものである。それもこれも、かつての戦争は全て日本の侵略が原因であって、日本が侵略さえしなければ戦争は起きない、という思い込みが骨の髄まで染み込んでいるからである。

 ついでに改憲反対論者の嘘をもうひとつ。朝日新聞は中米のコスタリカは「・・・憲法で軍隊放棄を規定し、その分を教育に投資し、おかげで中南米では最も安定した国のひとつになった。隣国にも働きかけて今ではパナマも軍隊を廃止した(P117)」この文章自体には「隣国に働きかけ」という箇所以外に間違いがないからたちが悪い。

 コスタリカは内戦を収めた独裁者フィゲレスが、軍隊はクーデターを起こし反抗する可能性があるから、軍隊を廃止してしまった、というのだ。その上、この地域は米国の裏庭で、国境侵犯が起きたら米国が許さないことを見込んだ悪知恵だというのだ。

 パナマはもっと悲惨である。パナマは米軍に奇襲攻撃された。「奇襲の目的はCIAで昔働いていて米国の秘密を知る実力者ノリエガ将軍の拉致だった。米軍は将軍を捕まえると、パナマが無作法な米国の侵攻に怒って武力報復に出ないようパナマ国軍そのものを解体してしまった。広島長崎の報復権を留保する日本から軍隊を取り上げたのと同じだ。(P119)」

 日本の改憲反対論者は、このようなパナマとコスタリカの例を本当の事情を隠して、自衛隊廃止論を主張するから、本質的には哀れな存在なのである。軍隊廃止を押しつけてくれてありがとう、と日本市民を大量虐殺したアメリカに感謝するのである。

 ノリエガの件は日本では、独裁者ノリエガは米国に麻薬を密輸出した件で、アメリカ国内法で裁くため米軍が急襲し、アメリカに拉致して裁判にかけて懲役刑に処した、という説明がなされている。ノリエガが独裁者で麻薬の密輸の件も事実である。だが、裏に前記のような事情があるとすれば、アメリカの無茶なやり方も腑に落ちる。

 また米国によるパナマの無力化は、パナマ運河の存在も大きいだろう。また、パナマ運河拡張工事は、経済的意味ばかりではなく、米国の軍艦の大型化による運用拡大と言う意味もあるのだろうと、小生は思っている。戦艦大和のライバルだった、アイオワ級の戦艦の幅はパナマ運河の運用限界によって決まったし、46cm主砲の大和級の開発もパナマ運河の制限からアメリカが、同級の主砲の戦艦を開発できないと目論んだからである。

 イラク戦争の発端となった大量破壊兵器の存在の件は、もっとややこしい。イラン・イラク戦争の当時、高山氏はイラン軍野戦病院に行ったそうである。(P121)そこにはイラク軍のマスタードガスを浴びたイラン軍兵士が治療を受けていた。毒ガス弾は使われていたのである。「ブッシュが『イラクには化学兵器がある』とあれほど言い切ったのは、当の米国がそこでずっと製造に当たってきたからである。」

 ところが、化学兵器は発見されなかった。ところがところが、ずっと後になってISがサリン弾を使った。何と米国の指導で作られた毒ガス弾が使われたのである。イラク戦争はこの痕跡を潰すために行われたのだが、手落ちで残ってしまった。米国はイラクで毒ガス弾を作ったのをばれないようにするために、恥を忍んで大量破壊兵器はなかったと発表したのだが、何とISが隠されていた兵器廠を見つけて再利用していたので、ばれてしまったというのだ。

 毒ガス弾本体の製造は西ドイツで行われていた、というのも驚きだが、それを敵なら平気で使うフセインもISもどういう神経だろう。高山氏はアメリカ政府が、イラクは「毒ガスなど大量破壊兵器を持っている」と発表したとき、イラク軍による毒ガスの被害を現認していたから「丸っきりの当てずっぽうとも思えなかった」という。さもありなんである。

 国際法で捕虜や非戦闘員の殺害を禁止する、陸戦条約を提議したのはアメリカだそうである。「しかし同じ時期フィリピンの植民地化戦争をやっていた米国はすぐ抜け道を作った。『陸戦条約は正規軍のみが対象でゲリラには適用されない』と(P148)」米西戦争に協力したらフィリピンを独立させる、という約束を反故にされて、反抗したアギナルド軍をゲリラと認定し、捕虜を拷問し、処刑したのである。

 フィリピン人を殺すには「1週間銃殺」を発明したそうである。月曜から木曜まで毎日1か所づつ撃ち、苦痛と恐怖を味あわせたうえで、ようやく金曜に心臓にとどめをさすのである。以前も書いたが、映画「ロボコップ」でも警官が同じことをされて殺されている。それが再生利用されて、主人公ロボコップが誕生するから怖い話だ。ただし、1週間もかけず、数時間でとどめをさされている。やはりアメリカ人は同じ残虐行為をした記憶があるからフィクションの映画でも同じストーリーを書くのである。

 同じ項に、中国人の残虐な処刑も書かれている。日清戦争や支那事変ばかりではなく、戦前の多くの日本人が兵士民間人を問わず、同じように苦しんで処刑されている。それを大抵の日本人は忘れさせられたのである。

 P151の欧米人が好きな「性器の破壊」はボスニア紛争などにまつわる、性的残虐行為の話だが、人間とはここまで非道になれるものか、と驚いた、とだけ紹介する。ただ朝日新聞がボスニア紛争におけるこのような問題を「慰安婦問題は今日的な性の問題でもある」と引用したのはあまりにもバランスを欠いている。おぞましい性的残虐非道の行為を売春と同等に扱うのだから。それならば、今でも日本で行われている、売春すなわちソープランドの廃止運動をしなければならない。

 最近でも白人警官による無抵抗の黒人射殺など、アメリカは人種問題で揺れている。日本の服部君がハローウィンで間違えて白人の家に入って射殺されたが、無罪どころか逮捕もされなかったとして、日本人は驚いた。(P160)日本ではアメリカの銃社会の怖さが話題になったが、本質はそこにないことを証明するエピソードが紹介されている。

 ドイツからの女子留学生が忍び込んできたのを発見した家人が射殺した。モンタナ州には「身の危険を感じた者は非難したり警察に通報する前に銃を使っていい」という法律がある。にも拘わらず射殺した家人は、最も重い謀殺罪で刑期70年の有罪となった。

 理由は服部君と違い、被害者が白人で、加害者がモンゴロイド系のモンタナ・インディアンだったから。「ABC放送は判決の瞬間、正義が勝ったと喜ぶ白人の声を伝えていた。(P162)」アメリカでは今後も人種問題による殺人などの混乱は続く。白人が少数になる趨勢からすると、混乱は収束するどころか拡大するだろう。黒人が公民権を獲得してから何十年もたつのにこの有様なのだから。

 

 


共産党は「赤い貴族」を生む

2016-07-11 17:39:09 | 共産主義

 平成28年7月10日の参議院選挙の開票日、フジテレビで主な政党の紹介をしていた。もちろん泡沫政党の社民党は紹介されない。傑作なのは「日本共産党」だった。のっけからソ連共産党の日本支部として、日本の共産党ができた、と言ったのである。堂々とソ連の傀儡だと出自を語ったのである。

 党本部は85憶もかけて建直した豪華なものであるのはいいとして、受付のおじさんから、食堂で働く人まで全員が正職員であるばかりではなく、志位議長をはじめとする幹部も含め、おじさんたちも全員が同じ給料だから、俸給表などはない、というのだ。なるほど共産主義者らしい建前の世界だ。

 馬脚はすぐ現れた。前トップの不破哲三氏の自宅を紹介したのだ。もちろん敷地にカメラは入れないが、遠くから撮影する木の間から見えるのは、巨大なと言うべきものすごい豪邸であった。なにせ近隣にある運動場を含めた小学校と敷地面積がほぼ同じだと言うから、その大規模さが分かる。

 これを見てソ連の、ノーメンクラトゥーラ(赤い貴族)という言葉は死語ではないと思った。共産主義のご本尊のソ連も私有財産の保有は禁じられ、共産党幹部から一般市民まで全員が平等のはずであった。実際には共産党幹部は、ノーメンクラトゥーラと呼ばれる特権階級である。豪邸や別荘を保有し、外国の高級料理を好きなだけ食べられるし、ソ連製のボロ乗用車ではなく、専用ドライバー付の高級外車を乗り回した。

一般国民は食料を長い列に並んでも買えないこともあるのに、赤い貴族には好きな食料でも何でも好きなだけ手に入る。要するに建前の給料以外に欲しいものは、ソ連政府、いやその上に立つソ連共産党が与えてくれるのだ。

日本共産党幹部の豪邸の陰には、同じシステムがある。日本の赤い貴族なのである。不破哲三には100冊を超える著書があるそうだ。アナウンサーが豪邸を見て、印税が入るからでしょうかね、と言っていたがそうではあるまい。桁が違う。その印税ですら、末端の貧しい党員が、なけなしの安い給料から不破氏の本を買って得られる。

それどころか、建前から個人資産ではまずいから、豪邸は日本共産党の保有で、豪華な食事も好きなだけ日本共産党が支給するのであろう。不破氏しか使えないのだから、実質は不破氏の資産であるのに固定資産税も払わずに済む、というメリットすらあるのであろう。

毛沢東は国民が餓え死んでいる時、豪華な食事を楽しみ、若い女性をとっかえひっかえはべらせた。赤い貴族の頂点である。日本共産党は政権も取っていないのに、赤い貴族を生んだ。正確に言えば、現幹部は生きているうちには政権は取れないから、生きているうちに、共産主義政権の神髄たる、赤い貴族位にはなりたいのであろう。かくして見れば共産主義政権が赤い貴族を生む、というのは必然である。選挙番組は意図せずして面白い光景を見せてくれたのである。


書評・有事法制・森本敏/浜谷英博・PHP新書

2016-07-10 16:58:46 | 軍事

 自衛隊は軍隊かを論じるために引用するので、一か所の抜き書きだけなのは悪しからず。それでは自衛隊は軍隊だろうか。

 「本来、軍隊には任務遂行のための国内法的規制はない。任務の目的が、国家の独立と国民の安全確保にあるからである。唯一の制約は、国際法の禁止事項だけである。そのため昨今、国際法上認められている諸原則や基準が、自衛隊にはストレートに適用されないなど、多くの矛盾が指摘されている。(P35)」

 それは自衛隊が「警察予備隊」として始まったために、法整備が軍隊としてではなく、警察として整備されたためである、という。また、当然のことながら本来の軍隊は敵国の国内法の拘束を受けることもない。

 倉山満氏が、自衛隊は軍隊ではなく、軍隊並みの異常に強力な武器を持った警察である、と書いたのはこの意味である。しかし、一方で自衛隊は軍隊であると国際的には認知されている、という矛盾がある。安保法制がかろうじて制定されたが、上述のような国際法の適用に関する矛盾は全然と言っていいほど解消されていない。

 野党は「戦争法」と罵り、日本はアメリカのために外国で戦争をする国になった、と非難する。しかし、自衛隊は未だ、法制度的には軍隊にさえなっていないのである。


書評・サンデルよ、「正義」を教えよう・高山正之・新潮社

2016-07-09 14:41:55 | Weblog

 高山氏の「変見自在」シリーズは意外な視点で、特に白人の悪辣さをえぐり出しているのが面白い。この本は比較的おとなしいのだが、その中ではアウンサン・スーチー女史の話は白眉ものである。目についた話をいくつか書いてみる。

 アメリカのO.J.シンプソンの白人妻殺人事件は、刑事裁判で無罪、民事で有罪と言う捻れ判決で有名なのだが、彼の高校時代までは米国には「異人種間結婚禁止法」があった(P50)。この法律が廃止されていなければ、事件は起きなかったから皮肉である。自由の国アメリカなどという標語がいかに空疎なものかが分かる。自由と民主主義は常に白人間にだけしか適用されないと分かれば納得できるのである。

 米国が昔は油を採るためにだけ鯨を捕獲していたのに、必要なくなると鯨は人間に近いから、捕鯨は禁止すべきだと日本を非難し始めた。米国流の捕鯨は「のたうつ抹香鯨の頭をかち割り、中から脂を汲み出し、胴体は吊るして『オレンジの皮を剥ぐように』皮下脂肪層をはぎ取り、赤裸の胴体はそのまま海に捨てた(P67)」という無残なものだった。

 ところが石油が利用できるようになると捕鯨を止めたと思っていたのだが、実は量は大きく減ったのだが、「・・・酷寒でも凍らない潤滑油として一九六〇年代まで」捕鯨は続けられていたのである。白人の自己都合による反捕鯨がいかにインチキなものか。

 生協は「今でこそ『配達するスーパー』のふりをしているが、本性は共産党系の資金集め組織だ(P84)。」小生は何の根拠もなく直観的にそう考えてきたのだが、高山氏のつっこみがそこで終わってしまっているのが残念だ。もっと真相を知りたい。昔官公労系の労働組合員から、選挙があるたびに組合費の特別徴収がある、と愚痴ったのを聞いた。

当時これは社会党と共産党の選挙資金になったと思っている。今でも共産党は政党交付金に反対し、受け取りを拒否している。その癖選挙のたびに落選確実でも多数の候補を擁立している。何故か共産党だけには潤沢な政治資金がある。それは新聞赤旗の売り上げだけではあるまいと思うのである。

当時、奥さんが近所付き合いで赤旗の日曜版を一年ばかり購読した。そこには、ソ連とその「衛星国」を薔薇色に描いていたのを覚えている、奥さんに赤旗を勧めた女性は記事を読んで、是非素晴らしいブルガリアに行ってみたい、と言っていた。五年ほどして、ソ連が崩壊して衛星国の悲惨な国情が明らかとなった。ブルガリアに憧れていた女性は何を思ったのだろうか。

米西戦争の発端となったメイン号事件は、米国の陰謀説が消えない。米西戦争の開戦は「・・・一万キロも離れたマニラ湾で米艦隊とスペインの極東艦隊」が戦って始まった(P110)。メイン号沈没から二か月後に米国は宣戦布告した。そのわずか十二日後にマニラ湾で戦争が始まった。

それはおかしい、と高山氏は言う。米国からマニラ湾に攻撃に行く準備だけでも、最低一か月はかかり、補給などを考えれば最低三か月前にはマニラ湾攻撃計画を策定開始しなければならない。メイン号爆沈は、その間に起ったと言う奇妙なことになるというのである。

ある本の紹介で、戦前の米国人のブロンソン・レー氏が書いた「満洲国出現の合理性」という本を読んだが、そこに興味深い記述がある。「・・・米国はメイン号爆沈の際に、スペインが共同調査を求めたのを拒絶して「『メーン』号を記憶せよ」(P208)と叫んで戦った。その後本著を書いている時期までメイン号爆沈の原因は不明だそうである。著者はなんとメイン号が燃えている際に乗船して、発火する可能性がある、特殊なヒューズが入った箱を発見し、スペインの友人が高額で買いたいと言ったのに断ったのだそうである。この話はレー氏はメイン号爆沈が米国の仕業に違いないと断定できる物証を発見しながら、米国のために隠した、ということであろう。つまりメイン号爆沈が米国のやらせだという物証はあったのである。

レー氏は著書で満洲国の建国の正義を説いている。しかし決して日本の味方をするためではないことは、通読して分かった。レー氏が満洲国の誕生を擁護するのは、建国以来の米国の理想に合致しており、反対に満洲国を否定する米国政府は理想に反すると考えているからである。

レー氏がメイン号爆沈の真相を明らかにする物証を隠したのは、メイン号爆沈がただちにスペインの仕業だと報道された時点で、米国の謀略を明らかにするのは、たとえそれが正義であれ、米国の国益に適さないと考えたからである。つまり戦争に反対する立場であっても、戦争が始まれば祖国の勝利を願うのが正しい、というのと同根である。レー氏は単なる偽善者ではなく現実家で愛国者であり、その立場から満洲国を擁護していることは明白であった。

閑話休題。朝日新聞は奇妙な新聞である。「ひと」欄で関西空港建設の理由について伊丹の周辺の住民問題だと書いたそうである(P134)。それは、「ここの住民は『戦前、空港拡張のため朝鮮半島から集められた人々』で『戦後一転して不法占拠者にされた』と」書き、伊丹周辺の朝鮮系住民は、いかにも強制連行(徴用)の朝鮮人のように書くが「それは嘘だ。現に朝日自身が徴用朝鮮人はほぼ全員が半島に帰ったと書いている。」コメントはいるまい。

かのダグラス・マッカーサーの父、アーサー・マッカーサーは米国からの独立の約束を反故にされて反抗したアギナルド軍の討伐司令官である。米軍はアギナルド軍一万八千人と家族など二十万人を殺害した(P172)。戦中マッカーサーは、パトロール中の米軍に被害が出た報復としてサマール島とレイテ島の島民の皆殺しを命じた

「ただし十歳以下は除けと。・・・作戦終了が伝えられた。『十歳以下は一人もいなかった』と報告している。」何というブラック・ユーモア。ある精神科医は「苛めは反発を呼ぶが、徹底した残忍な殺戮や拷問の恐怖は逆に従順さを生む」(P173)と書いたそうだ。

「原爆や東京空襲、戦犯処刑と、これでもかというほどの無慈悲を見せつけた米国に対し、朝日新聞が見せる恭順の姿勢『マッカーサーさんのおかげです』はその典型だろう。フィリピン人もこの一連の米軍の無差別殺戮で反発から服従に転換していく。」

フィリピン討伐の先頭に立たされた、黒人米兵の脱走者の一人はフィリピン人に首を切られ米軍基地に送り届けられた。その時のフィリピン人は「裏切り者を処刑しました」と米軍に言ったそうである。西欧の植民地だった世界中の国々が、未だに欧米の植民地支配の非をならさないのは、裏に白人の無慈悲な殺戮に対する恐怖の記憶があるのであろう。

ただし、朝日がマッカーサー様と言ったのはもっと低俗な話であるのは有名である。朝日新聞は米軍による戦後の強姦事件や原爆投下などを、批判する記事を書いた。すると二日間の発刊停止を命ぜられ、逆らうと廃刊にすると脅されたのだ。命を賭しても言論の自由を守るなどと言うマスコミの言葉は信じるものではない。

何回でも書く。有名な朝日の緒方竹虎副社長は、戦時中軍に抵抗しなかった理由として「何か一文を草して投げ出すか、辞めるということは、痛快は痛快だが、朝日新聞の中におってはそういうことも出来ない。それよりも何とかひとつ朝日新聞が生きていかなければならない」(五十人の新聞人)と書いて左翼の人士からも痛烈な侮蔑の批評を受けた。

さて苛酷な支配に対して、戦後非をならした例外の国が「ビルマ」なのだそうである(P189)。「まず大英連邦から脱退し、英国式の左側通行も、英語教育もやめた。・・・英国がビルマから奪ったものの返還を訴えた。英国は奪った国王の玉座や宝石を渋々返したが、ビルマは英国の植民地統治の責任も国連の場で糾弾を始めた。その中にはアウンサンの暗殺もあった。表向き彼は元首相ウ・ソーに殺されたことになっているが、国民の多くは英国が仕組んだことを知っていた。」

ちなみにウ・ソーはアウンサン殺害の罪で処刑されている。つまり英国に都合の悪い者二人をまとめて処分できたのである。英国に逆らったビルマつまりミャンマーのその後は悲惨である。アウンサンの娘、有名なアウンサン・スーチーは十五歳の時に英国に連れ出され、英国式教育を受け、英国人と結婚した。外見以外は心根まで英国人になったのである。スーチー女史が見事なクイーンズイングリッシュを話すのをテレビで見たことがあるだろう。

何と彼女は「植民地支配の糾弾」事業を潰した。米英はミャンマーを軍事政権と非難して、世界中から経済制裁させた。スーチー女史は軍事政権非難の先鋒に起ち、軍事政権への抵抗と民主化のシンボルとなったのを我々は知っている。

経済制裁により、ミャンマーは貧困にあえぎ、中国に助けを求めた。悪魔に救いを求めたのである。ミャンマー経済は中国のカモにされ、政治は腐敗し賄賂が蔓延する。中国化したのである。この後欧米植民地支配を糾弾する国はあらわれないだろう。スーチー女史の役割は終えたのだそうである。

小生は何故ミャンマーが突然軍事政権と欧米の非難を浴び、日本まで経済制裁に加わり、ろくに自国のことも政治も知らないはずのスーチー女史が、ミャンマー民主化の英雄となったのか、納得できなかったが、高山氏の説で充分に腑に落ちた。日本の敢闘にもかかわらず、白人の世界支配はまだ終えていないのである。


日本の変革は政界再編ではできない

2016-07-03 16:18:48 | 政治

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 保守の多くの心ある人たちは、日本の変革を政界の根本的再編によって行うべきだ、と信じているように思われる。心ある人物かは別として、小生もかつては同じ考えであった。現に自民党から離脱した保守政治家に、それを実行しようとしている人たちがいる。例えば、日本のこころを大切にする党である。

 石原慎太郎ともに平沼赳夫らが結成した太陽の党を解消して結成した日本維新の会は、石原慎太郎が橋下大阪市長当時、橋下に期待した政党である。石原は橋下の思想を読み違えていた。慰安婦問題などに対する橋下の正論に幻惑されたのである。橋下の言動は、その時々の判断で正しいと考えていることを強く表現するだけで、確固とした思想や歴史観に基づくものではなかった。

 それが分かった石原は日本維新の会から離れたのである。石原の考えは憲法観などの一致する、保守政党を立ち上げて、既存の各政党にいる、同様の志を持つ政治家を糾合すれば、自民党より正統かつ大きな勢力になり、共産党などのような反日としか考えられないような勢力を圧倒できると考えたのであろう。さらにうがった見方をするなら、それらが弱小化してものの数ではなくなって、保守政治家が糾合した大きな保守政党ができた時、分裂して保守二大政党政治に至る、と考えられる。

 現に戦前の二大政党は、根本的に歴史観や国防観に違いはなかった。ところが皮肉なことに、それ故政権欲しさに泥試合を演じて、肝心の国防や外交を政争の具にしたうえ、これらの問題に政治的回答を出そうとしなかった。そのため、危機を実感していた国民は政党ではなく、解決策を提示した陸軍に期待した。

 例えば、大陸で激化する反日テロについて、一向に外交的解決策を出さない政党政治に対して、陸軍は満洲事変と言う解決策を出したのだった。その挙句は大政翼賛会という政党政治の終焉であった。だから二大政党政治が現今の日本にも適しているか、は大きな疑問なのである。

 少々脱線したが、民進党にも健全な保守政治家はいる。反対に、引退した加藤紘一のように利益誘導型政治手法だけが自民党的で、思想的には非保守反日の典型のような政治家が自民党にも多数いる。あろうことか、反日極左の牙城である雑誌世界誌上で安倍政権を批判する大物の元自民党政治家さえいる。

 他にも日本のこころを大切にする党と類似した思想の、旧自民党政治家を集めた政党はある。これらをひとつに集めても現在では少数勢力であるのに、糾合する様子はない。もちろん自民党や民進党を離脱して、これらの政党に加わる政治家がいる様子も全くない。結果から言えば、平沼や中山恭子らのしたことは、腐っても保守の一大勢力である自民党を弱体化させ、自民党が思想の真逆の公明党と組まざるを得ないと言うことになった。

 その原因は思想の小異を超えて、大同に付くと言うことができないことと、政治家にも人間関係がある、ということであろう。その典型が郵政民営化問題である。民営化に反対した有能な政治家が自民党を離れた。民営化自体は健全な保守かどうかを判定するリトマス試験紙ではなかったのに、である。

 それ以前にも小沢一郎による、二大政党政治を目指した自民党からの分裂があった。大きく見れば、小沢は冷戦の終結により、日本における親社会主義政党が崩壊して、保守による二大政党政治が実現するチャンス、と考えたのであろう。小沢の真意はともかく、それまで社会党や共産党に自民党へのチェック機能しか期待せず、決して政権を与えなかった多くの国民は、そう期待したのである。

 ところが、冷戦が終結しても自民党の社会主義シンパは駆逐されず、共産党は衰退しなかった。それどころか、社会党という消えゆく政党に見切りをつけた労働組合は、自民党の離脱者と松下政経塾出身のノンポリ議員と旧社会党議員を糾合した民主党を作った結果、一時は自民党に勝つに至った。

 自民党の離脱者と松下政経塾出身のノンポリ議員は、民主党の組織票基盤が実は極左に近い労働組合であるという事実を国民の眼から隠す、隠れ蓑に使われたのである。だから、民主党の左派は国民の眼を騙すことに成功し、一度は政権をとったものの、党綱領すら作れない政権担当能力皆無の政党であることを露呈して崩壊し、また勢力を再編し民進党となったが、本質に変わりはない。

 結局のところ、石原らが考えたであろう、政界の大再編による保守の糾合は成らない、と結論するしかない。維新以前の日本もそうであった。水戸学などの影響により、徳川政権はもうだめだから、大変革をすべきだと言う考え方は、何も幕末にペリーなどの欧米勢力の来航に慌てて興ったものではない。

 例えば勤皇論を唱えて高山彦九郎が自刃したのは1793年、維新が成る80年近く前である。幕府の機能は既に命脈が付き、根本的変革が必要だと見通して運動を起こしたのである。しかし、彼の思想が生前に結実することなかった。だが、継承された思想が維新のひとつの原動力となったのも事実である。その意味で日本への本当の回帰があるとすれば、今期待されている政界の再編によるものではなかろう

 高山のように、今日本の危機への警告を乱打する識者は多い。だが日本国民もマスコミも多くは、日々の生活に目を奪われている。経済さえうまくいけばいい、と言うのである。英国のEU離脱の国民投票結果が出ても、経済危機に注目するだけで、それが欧州の政治情勢、ひいては世界の政治情勢の混乱の可能性に言及するマスコミは少なく、テレビに至っては聞いたことがない。

 日本はこのままゆでガエルとなっていくのかも知れない。文革で一千万人の犠牲者が出たのは、単に毛沢東の責任に帰するわけにはいかない。間接的であるにしても国民の責任は大である。その証拠に一千万も殺したと言われる毛沢東の、中共国民へのカリスマは失われていない。日本の国体の背骨は近代における西欧思潮の乱入と、GHQの言論統制によって、相当に傷つけられているのは間違いない。