毎日のできごとの反省

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そこまで米国製日本国憲法が有難いのか

2017-02-09 13:41:44 | 憲法

 平成28年に時のオバマ政権の、バイデン副大統領が、トランプ大統領候補批判のなかで「日本国憲法を、私たちが書いた」云々と述べた。あまりの率直さに、日本国憲法至上主義者も驚いて考え直すかと思いきや、何の驚きも引き起こさなかったように見えた。日本国憲法が米国製であるのは彼らにも常識になっていて、この発言は意外でも何でもなくなってしまったのだ。

 その系譜は今に始まったことではなく、根は深い。日本国憲法擁護の重鎮の丸山真男の「後衛の位置から」という著書がある。それには「改憲問題と防衛問題との歴史的関連」という章がある(P24)。そこには、朝鮮戦争前後から、防衛問題がアメリカ極東戦略の要請から、憲法九条が日本の政治問題化していって、その結果一般的な改憲問題となった、という。

 つまり日本国憲法改正の動きは、米国の極東戦略の要請が発端となって起った、というのである。ところがこの章には「・・・翌二十八年の十一月には、ニクソン副大統領が来日して、戦争放棄条項を日本の憲法のなかに挿入させたのはアメリカの誤りであった、という有名な談話を発表した。」と書いてある。

 バイデン副大統領と同じく、ニクソンは米国が占領の法制度を変えてはならない、という国際法の基本に違反した、という重大なことを認めたのである。ところが、平成二十八年の護憲論者も丸山真男も、この点を一切問題にしない。この章で丸山はニクソン談話に一切コメントを書いていない。

 その代わり、ニクソン談話の前に、昭和二十七年に最初の安保条約が発効し、警察予備隊が保安隊となったことを書いている。談話の直後には、吉田首相は自由党に憲法調査会設置の要望を出し、改進党は憲法改正によって自衛軍を保持すべきと決議したと書いている。

結局「ニクソン談話」が米国の「国際法違反を認めている」ということを問題にせず、米国の要請による防衛力保持のための憲法改正の流れ、というものを説明し「談話」をその時系列の中に埋没させることにより、憲法擁護の自説を補強するのに利用したのである。

 巧妙な逆転の発想である。米国の国際法違反を認める発言ですら、米国による改憲の謀略に見せてしまうことが出来るのである。病膏肓に入るというべき、日本国憲法神話は今更ではない。元々アメリカ占領軍が検閲や公職追放などの「日本国憲法」にすら違反する、あらゆる行為を駆使された結果、日本人は日本国憲法を有難がるようになったのである。

 まさに江藤淳の著書のタイトルの「忘れたことと忘れさせられたこと」という言葉がこのことを象徴している。