毎日のできごとの反省

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上陸作戦の水際阻止は当然

2017-06-21 16:56:18 | 軍事技術

 

 大東亜戦争において、日本軍は、米軍の上陸作戦の水際阻止に固執して失敗を繰り返した、と批判されている。硫黄島においては、水際阻止を諦めて、上陸後の反撃に徹したために米軍に大損害を与えた、とされている。これとて、上陸作戦を阻止することに成功した訳ではない。水際阻止はうまくいかないことの証明として、硫黄島でも上陸中に反撃してしまった一部の重砲は、またたくまに米軍艦の反撃にあい、破壊されてしまった、ことが挙げられる。

 日本軍が上陸の水際阻止に固執したのは作戦の基本からは間違いではない。作戦の常道だったからである。上陸部隊が橋頭保を確保する前の、不安定な時期に撃退する、というのは筋が通っている。日本軍が水際阻止に固執して失敗を繰り返した、と批判する論には、言及されていないことがあるように思われる。

 水際阻止は作戦の常道である、と言った。それなのに何故日本軍は繰り返し失敗したか、である。水際阻止に失敗した日本軍が守る島嶼には、敵上陸支援艦隊よりもはるかに劣る火力しかなかったから、水際阻止のためには、上陸支援艦隊を制圧できる、日本艦隊の攻撃力が必要だったのに、日本海軍は実行しなかったのである。これでは水際阻止が成功する道理はない。

 米軍は、珊瑚海やミッドウェーで、上陸開始以前に艦隊を派遣し、上陸支援艦隊を早急に排除した。水際阻止以前の時点で上陸作戦阻止に成功したのである。珊瑚海海戦では、上陸地点の空襲にすら至らなかったのである。これに対して、ガダルカナル以降の米軍の上陸作戦に対して、日本艦隊が上陸阻止を実行したことはなかった。かろうじて、第一次ソロモン海戦において、三川艦隊が、ガダルカナルに米軍が揚陸中に上陸支援艦隊に大損害を与える戦果を挙げた。

 しかし、三川艦隊はこのチャンスに、輸送船団を攻撃していると、戦場離脱前に夜が明けて、航空攻撃を受ける恐れがある、として帰投してしまった。日本海軍は艦隊決戦に固執するあまり、艦隊決戦以前に艦艇を少しでも喪失することを恐れていた。そもそも、軍艦同士の海戦を行うことは、艦隊作戦の目的ではなく、補給阻止や上陸阻止ないし、これらへの支援という作戦目的の結果として生ずるものである。

 ところが日本海軍は、第一次大戦の戦訓として、独潜水艦による輸送船団攻撃による英国の苦境を知りつつ無視し、史上空前のジュットランド海戦の英独戦艦の戦いだけから戦訓を得ようとした。ドイツ艦隊のしぶとい戦いぶりを称賛する論もあるが、本海戦以後ドイツ海軍は引きこもってしまったから、勝者は英海軍である。

日本海軍の艦隊決戦への固執は、大東亜戦争において、米軍の補給阻止に何の手も打てず、逆に米軍の補給阻止に散々苦しめられた遠因となった。米軍が対日戦を行うには、米本土からハワイを経由する長大な補給線が必要だ、という大きな弱みがありながら、日本海軍は米軍の補給作戦に高見の見物を決め込んでいたのである。

日本側には賛否両論があるが、米軍の三川中将のこの海戦の戦闘指揮に対する評価は高いように思われる。これは、三川艦隊が大戦果を挙げたことに対する称賛であるが、米輸送船団を見逃したという、臥竜点睛を欠いたことに対する安堵の念もあったのではなかろうか、と小生は勘ぐっている。

これは、敵軍による称賛とは、全面的な敗北をした場合には、必ずしも行われることはない、という例証のように思われる。米軍には三川艦隊の活躍を誉めていられるだけのゆとりがあったのである。結局のところ、日本艦隊が米軍に対する上陸阻止の先手を打てなかったのは、情報収集の不十分と、判断基準が日本に都合のよいものとなっていて、敵軍の立場に立って思考しなかったからのように思われる。

もっとも戦争末期はそれどころではなかったのであろうが。いずれにしても、日本軍が島嶼上陸の水際阻止に固執したことだけを批判するのは、片手落ちのように思われる。