平成27年4月14日の産経新聞の正論欄は古田教授の「『侵略』といえなかった朝鮮統治」であった。教授は、明治期までの李氏朝鮮はまるで平安時代のような古代の世界で、商業も技術も無きに等しい国家で、その状態が何百年続いていたと言う。併合した日本は近代化に成功したのだから「侵略」とは言えないという。教授の言うことは常識的には納得がいくものである。
一方雑誌「正論」27年5月号で近現代史研究家の関野氏が、米国の贖罪史観植え付け計画のいわゆるWGIP(War Guilt Information Program)の文書を発見して実在を証明した。その中で関野氏は、日本の侵略をパリ不戦条約を根拠にするには、そもそも条約で侵略の定義がされておらず、当時のアメリカやイギリスの明示的考えからすれば、満州事変以来の日本の行動は「侵略」と見なすことができない、と説明している。
一方では常識的に侵略ではない、と考えることができるという意見があり、他方では侵略など定義されていない、という意見がある。明らかに「侵略」には二義性がある。侵略が定義されていないのなら、侵略だと断言できないのである。それは古田教授が言うのは、国語的常識から言っているのであり、関野氏は国際法を問題にしているからである。それでは巷間で日本の近代史を説明するとき、この区別が裁然となされているのだろうか。実はそうではない。
保守系の論者の一部には、大航海時代以降の欧米のアジア・アフリカの植民地支配を、苛酷な侵略と断ずる一方で、日本の満州事変以後の戦争を語るときは、侵略という言葉は当時の国際法で定義されていないのだから、日本を侵略国と断罪はできない、という主張をする人がいる。この混乱は侵略という言葉が幕末以来、欧米の苛酷な植民地支配を恐れ、かつ非難する言葉として使われるようになったため、国語的には道義的色彩を帯びたから、生じたように思われる。
「侵略」には本来は他国を攻撃して領土を占領ないし、取ること、という物理的意味しかなかったはずである。戦国時代には日本国内では互いに侵略が常態化していて、他国の領土を取ることはむしろ善だったのである。有名な「風林火山」の「侵掠(しんりゃく)すること火の如く」の侵掠は侵略と同義である(広辞苑)。泥棒一家ではあるまいし、悪事をスローガンとして押し立ててゆくはずはないのである。だから条約のwar of aggressionという先制攻撃によることを意味する言葉を侵略と訳したのは、本来の日本語の意味では間違いではなかった。だが既に一方で、日本人自らが道義的悪の意味を付与していたのだから、戦後になって自虐史観の立場から大いに悪用される結果となってしまったのである。
それでは大航海時代以降欧米諸国が、世界各地を植民地を求めて荒らし回ったことは、国際法違反なのであろうか。そうではないのである。
米国人ブロンソン・レーが書いた「満洲国出現の合理性」という本に1841年にジョン・キンシー・アダムスという米国人の国際法に対するコメントが紹介されている。
「国際法とは地球上の凡有る国家を一様に拘束する法則ではなく関係当事国の性質及状態の異なるに従って異なる所の法律制度である。基督教国の間に行はるる国際法がある。其の国際法は米国憲法に於て米国と欧州諸国及植民地との関係を律する上に於て米国の義務的のものとして認められて居る。其の外に亦米国と阿弗利加の土人との関係を規律する国際法もあれば、米国と野蛮国との関係を規律する国際法もあり、更に又「花の園」即ち支那帝国との関係を規律する国際法もあるのである。」(P25)と。
幕末に国際法を知った時、日本人の国際法理解は、アダムスの言う「基督教国の間に行はるる国際法」だけであった。正確にいえば「キリスト教国」間にだけ適用される国際法を「キリスト教国」でなければならないという前提を忘れて、世界中に適用されていると誤解していたのである。しかし、不平等条約を結ばされたことに気付くと、ようやく「国際法」にはキリスト教国、すなわち文明国と、非文明国に適用されるそれは異なる、ということを思い知らされたのである。
非文明国においては国際法は、米国による、アフリカ黒人の奴隷化を正当化するものである。さらに米国の中南米支配を正当化するものである。もちろん適用地域が違っても欧州と野蛮国の間にも適用されるはずである。そして支那における欧米の権利を正当化するものである。
当時の国際法では、キリスト教国と野蛮国の区別がある以上、そこに住む住人も対等ではない。効率よく植民地から収奪するためには、植民地の人間は獣並に扱う必要がある。だから国際法の植民地の是認は、植民地支配が苛酷であるという道義的非難を拒絶している。
国際法の淵源は、ヨーロッパの国家間の戦争におけるルールであったことを忘れてはならない。国際法とは発生の過程からして、キリスト教国間のルールであり、その他には別のルールが適用されるはずであった。すなわち、文明国は非文明地域を無主の地として植民地にすることが当然とされたのである。しかし、大東亜戦争の終結と、それに伴うアジア・アフリカ諸国の独立によって、時代は劇的に変わった。
植民地の大部分は独立し、国際法には適用する国の「文明」のレベルによって同一ではない、などというダブルスタンダードは建前上はなくなった。世界に一律に同じ国際法が適用されることになったのである。そうである以上、帝国や植民地というものは国際法上、本来的には存在を否定されるべきものになったのである。
帝国のひとつであったソ連は崩壊した。倉山氏の嘘だらけの日露近現代史によれば、ロシアはソ連という帝国に支配されていたのであって、ロシアもウクライナ同様にソ連の支配下にあったのである。いわばソ連帝国の植民地といったところであろう。東欧諸国のほとんどはソ連の間接支配の植民地だったのだろう。そう考えれば非ロシア人即ちグルジア(ジョージア)人のスターリンがソ連の支配者だったことも、「ソビエト連邦」という地名や民族名を含まない奇妙な国家の名称だったことも理解できないわけではない。
ソ連が崩壊した後の帝国は中共だけとなった。漢民族と自称する人たちが、はるかに大きい面積の「少数民族」地域を植民地として支配する帝国である。昔から漢民族が支配する中原(中共の領土の一部)はその周辺の地域を含めて、統一と分裂を繰り返してきた。特に中原は、それ以外の地域とは異なったルールを勝手に作ってきた。従って欧米流の国際法など適用されるとは考えてはいないのである。
さて、侵略という言葉に戻ろう。現在の国語でいう侵略という言葉が道義的悪、の概念を付与されていることは、いまさら変更しようもない。一方で国際法上の侵略とは、時代によって国際法の変遷とともに定義が変化していったと考えるべきなのである。国際法上の侵略には、善悪の概念を含むべきではなく、その時代において禁止されていたものであったか否かだけを論ずるべきなのである。
もちろん禁止されるか否かには、理由として善悪が含まれる場合もあるし、政治上あるいは運用上の理由によるものもある。例えばダムダム弾の使用は、被弾者の苦痛を不必要に強める、非人道的なものであるとの判断により禁止されている。しかし、同様に非人道的兵器があったとして、国際法上ダムダム弾のように明示的に禁止されていなければ、使用は可能であると主張することもできる。戦時国際法のような戦争法規は、禁止されていないことならば、何でもありのネガティブリスト方式だからである。
侵略については、国際法上は満州事変当時は定義されていなかった、とも言うことはできる。また当時の米英は厳密な意味でのパリ条約に対する留保ではないにしても、各種の発言等で、中南米地域には適用されない、その他の条件をつけている。前掲の関野氏が当時のアメリカやイギリスの明示的考えからすれば、満州事変以来の日本の行動は「侵略」と見なすことができない、と述べているのは、この意味なのである。
米英の明示的考えとは主として「自衛」に含む地域と内容について述べられている。すなわちパリ条約当時は「侵略」の定義を強いて言うなら、「自衛ではないこと」ということである。