毎日のできごとの反省

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日本海軍は米海軍に勝てない

2016-11-08 13:41:43 | 軍事技術

 倉山満氏の「大間違いの太平洋戦争」と「負けるはずがなかった大東亜戦争」の二著が典型であるが、倉山氏には日本軍は米英軍より強かった、という考え方がある。例えば後者には「マニラまではるばる太平洋を横断して艦隊決戦をやったところで、対米七割なら日本が勝つと日米双方の軍人が思っている。バトル・オブ・ブリテンだって結局は防者優勢なのと同じです。(P177)」

陸軍はさておき、小生は日本海軍は米海軍には、到底歯が立たなかったと考えている。倉山氏の日本海軍優勢論は、海軍の戦闘システムや技術が、第一次大戦当時のもので止まっていたというのが前提である。

 第ニ次大戦時点での米海軍が日本海軍より、技術的に圧倒的に優れていたということを一部の例で説明したい。海軍と言うのは、兵士の敢闘精神や技量は当然として、ベースには技術力が必須である。海軍の戦力とは、その時の技術の粋を集めたものである。技術力の優劣が勝敗を決定する。小生は米海軍が急激に変貌して優秀となっていったのは、第一次大戦の経験以降である、と考えている。また、大東亜戦争初期の不利な時期にも米海軍軍人は、優れた敢闘精神を発揮したことが伝えられている。

 まず戦艦である。よく、世界一の戦艦大和とアイオワが一対一で戦ったら、という仮想話が軍事雑誌などに書かれている。主砲の単位時間投射弾量や装甲や速度の差などの、巷間に流布されたカタログデータを比較して、大和の勝ちというのが大抵の落ちである。

 ところが、元自衛官の是本信義氏は、アイオワの完勝と断じている(海軍の失敗)。アイオワは初弾データからの距離と方向の修正を同時に行うので、初弾命中が3分45秒で済む確率が高い。大和は試射3回8分15秒で初弾命中する確率が高い。この時間が短ければ、初弾が先に命中する可能性が高いばかりではなく、艦の進路などの変化の影響が少ないので、確率の差は更に広がるというのである。

 さらに射撃データを計算し、砲を動かす射撃盤の性能に格段の差があるというのは、この想定外であるというのである。そこで、射撃盤の文献を調べた。当時の射撃盤自体は機械式のアナログコンピュータであるが、計算データで砲の方向と伏仰角を制御のため、日英はステップモータを使っていたのに、1920年に米海軍はセルシンを全面的に適用した新砲火制御システムを完成させた。(Vol.32、No.12・O plus E「第9光の鉛筆」による)セルシンはステップモータに比べ、精度と応答速度が格段に優れている。

 セルシン自体は、射撃盤本体ではないが、射撃盤自体にも米国製には一部電子部品が組み込まれた高度なものでなかったかと小生は考えている。しかし、前述の文献には、日・独・伊の射撃式装置には、英B&S社の技術が反映されている、と書かれているが、米国を含め射撃盤の詳細は分からない、と書かれている。

大和とアイオワとの戦いには、セルシンとステップモータの差もさらに加わる。要するに日米には砲のトータルの射撃管制システムに格段の差があった。海軍の黛治夫氏が昭和10年ころ渡米して演習データを見たら、日本側の主砲の命中率は米の3倍だったと報じている。戦前の米海軍の最新型のコロラド級の竣工は1921~1923年であるが、先の文献によれば、最初に新システムを搭載したのは1923年に就役したウェスト・バージニア(コロラド級の一艦)だから、他のコロラド級を含む米戦艦には、新システムの搭載が間に合わず、黛氏が見たのは古いシステムの艦のデータだったのであろう。

だから、黛氏のいう日米の命中率の差は、射撃管制システムの差ではなく、ほとんど練度の差であったろう。だが、少なくとも1941年以後竣工したノースカロライナ級以降の10隻は間違いなく新システム搭載で、真珠湾で被害を受けて大改装された旧式戦艦数隻も、新システムに変更していた可能性は大である。

ちなみに光の鉛筆を引用した花園史学(2013年11月号)には、日本海軍が「セルシンモータ」を採用した、と書かれている。ところが引用元の光の鉛筆には、日本の多くの文献には、金剛にセルシンが採用されていると書かれているが、実はステップモータであったと否定しているのは、花園史学の筆者の読み忘れであろう。光の鉛筆の記述が間違いである、と書かれていないからである。また、この件についても後述の両用砲についても、英海軍は採用していないから、案外米英の技術協力は進んでいなかったのである。

次は米の海軍航空戦技術の差について考察する。是本氏の著書(1)には「・・・アメリカ海軍は、日本海軍の真珠湾攻撃を手本にし、急遽、戦艦主体の編成、戦法などを空母機動部隊中心に切り換えたというのが通説として定着しているが、それはまったく違う。アメリカ海軍は、空母機動部隊の打撃力の有効性を早くから(1930年代の初頭)認識し、空母に護衛の巡洋艦、駆逐艦の戦隊を配属した任務部隊として運用していた。(P51)」と書かれている。

このことは、ハードウエアの面からも例証できる。是本氏によれば(1)、日本の12.5cm高角砲と米軍の5in.両用砲の命中率は0.3%対30~50%という驚異的な差があったという。現に氏が戦後米軍の5in.砲を射撃したところ、初弾から命中して驚いた、という。当然レーダー照準ではあるまい。小生は父の影響でずいぶん戦記を読んできた。読めば読むほど不思議に思えてきたのは、日本機のパイロットは米艦を攻撃すると、駆逐艦ですら猛烈で正確な対空砲火で反撃され、接近すれば確実に撃墜されてしまうと書かれているのに対し、米機は戦艦にすら悠々と機銃掃射して、対空要員を倒したのに日本の対空砲火は手も足も出なかったと、正反対のことが書かれていたことである。

これも前述の命中率のおそろしい差をみれば納得できる。両用砲と言ったが、これは対水上艦兼用の高角砲である。駆逐艦を比較すると米艦は対空用火器管制システムを装備し、両用砲を持っているのに対して、日本では対水上用砲と対水上用火器管制システムしか持たない。つまり米駆逐艦は防空能力を持つのに、日本艦は機銃しか防空用にしか使えない。駆逐艦は戦艦や空母の対空護衛には全く使えない。元日本海軍の関係者は駆逐艦秋月級の防空能力を自慢するが、大量生産されたごく普通のフレッチャー級にすら、遥かに及ばないのはこれで理解できる。

丸スペシャルNo.19駆逐艦朝潮型秋月型には「・・・いかに高角砲のメカニズムが優れていても、レーダー付き射撃照準装置と使用砲弾にVTヒューズを欠いたことは、第二次大戦における一流の防空艦としての条件に満たなかったというべきで、おそらく大戦末期にあっては米海軍の通常型駆逐艦であるフレッチャー級にすら、その実質の防空能力は数段劣っていたものと評さざるを得なかっただろう。」とある。

これも典型的なレーダー、VT信管神話である。第二次大戦当時のレーダーは現代で言う射撃照準能力は持たず、現代の観点で言えば最良のものですら、捜索レーダーのましなものに過ぎなかった。光学式射撃管制システムにおいても日本海軍では、遥かに劣っていたのである。いくらVT信管があっても、15m程度以内に砲弾を通過させなければ有効ではないから、射撃照準能力の劣る日本のシステムでは、VT信管はほとんど威力を発揮できない。しかもマリアナ沖海戦時点でも、5in砲弾の4分の1しかVT信管は供給されていなかったし、大戦終了まで5in未満の砲弾のVT信管は開発されていなかった。だから日本はVT信管を持たなかったから不利だったと言うような記事も日本でよく見られる、秘密兵器神話である。

さらに両用砲を持つ駆逐艦が計画されたのは、ロンドン条約を契機として計画された、ファラガット級(1934年竣工)を嚆矢とする。この時期は是本氏が「アメリカ海軍は、空母機動部隊の打撃力の有効性を早くから認識」していたという時期と符合する。それ以降、ほんの一部の例外を除いて駆逐艦の主砲を両用砲としている。特に初期のものは対水上用専用に比べ重量が重く、対艦船用としては難点があったとされる。それでも、欠点をおして採用したのは、航空戦重視の現れである。

日本海軍は、ワシントン条約以降逐次制限のない駆逐艦を整備してきた。一方の米海軍は、第一次大戦参戦のため、大量の駆逐艦を保有していたため、日本海軍に比べ年々大量の駆逐艦が旧式化していった。ロンドン条約では駆逐艦などの補助艦艇にも制限を加えた。その結果米海軍は、旧式駆逐艦を軍縮の美名のもとに大量に廃棄し、両用砲と新型の火器管制システムを備えた新型駆逐艦を整備した。ロンドン条約で補助艦艇の制限がされたのは、このような米海軍の事情が大きく影響しているという説もある。

日米の差は動力にもある。ほとんどの軍艦に使用されるボイラは、蒸気の圧力と温度が高く効率の良いものを米海軍は採用しているため、馬力当たりの機関の容積や重量は軽量化されている。砲や魚雷の数などのカタログデータこそ、日本海軍の駆逐艦の方が優れているように見えたが、実質的戦闘能力は米海軍の方が優れていたのである。当然戦艦や巡洋艦でも同じことである。

これらはハードウエアの差の一部の例に過ぎない。日本海軍が、日本海海戦時とほとんど進歩がなく、司令官、艦長、参謀などの個人的連携によって戦闘を指揮していたのに対して、米海軍はソフトウエアとして現代にも通じる、C3Iといった戦闘指揮システムを開発していた。小生は知識がほとんどないので、これ以上言及しないが、要するにヤマ勘的戦闘指揮と情報を的確に分析判断する系統的組織的戦闘指揮方法の違いである。

倉山氏は、艦隊決戦では勝てないから、米海軍は通商破壊しかないと結論した(2)(P178)と書くが、世界が通商破壊の恐ろしさを認識したのは第一次大戦である。ところが日本海軍もそれを知りつつ、準備出来なかったのは、艦隊決戦に回す戦力ですら余裕がないのに、護衛艦隊などと言う後ろ向きの装備のゆとりがなかったからだろう。もちろん倉山氏の言う民族性の差もあるだろう。

以上のようにガチンコの艦隊決戦をやっても大東亜戦争時点では、日本海軍は米海軍に勝てるはずは、なかったと思う。もちろん陸軍の話はさておく。ちなみに英海軍は空母本体は立派だが、ほとんどまともな艦上機を開発できず、日本海軍の空母の敵ではなかったと思われる。しかし自前でではなく、米国製艦上機でなんとかしていた。

ドイツ海軍との戦いでも、数でねじ伏せるしかない、効率の悪い最悪の戦いをしている様子を見ても、主力艦による水上戦闘には、日本海軍には歩があるが、通商破壊対策で鍛えた、対潜能力だけは圧倒的に日本海軍の負けである。またアメリカよりも先を行っていたレーダーもあるが、英海軍が有効に活用できていたのだろうか。

 

(1) 日本海軍はなぜ敗れたか

(2)負けるはずがなかった大東亜戦争