毎日のできごとの反省

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レーダー射撃の怪

2013-07-15 12:09:55 | 軍事技術

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 大東亜戦争の第三次ソロモン海戦の第二回の会戦の夜も月のない夜だった。戦艦霧島とサウスダコタは6,000mの至近距離から打ちあった。この時日本艦隊に気付かれずにサウスダコタの後方にいたワシントンが、8,000mの距離から、探照灯を照らすことなくレーダーの測的だけで射撃して次々と40cm砲弾を命中させた。この結果翌日霧島は沈没した。これが、「太平洋戦争 海戦ガイド」による記述である。

 これは一種のレーダー神話である。同書には「霧島にとって不幸だったのは、リー少将がレーダー射撃の専門家だった、ということである。」とまで書いている。果たしてワシントンはレーダー照準によって射撃していたのであろうか。当時のレーダー照準については、雑誌「丸」平成25年8月号に記述がある。モリソン戦史がスリガオ海峡夜戦について日本海海戦のT字戦法の再現であると絶賛するのに対して「残念ながら、当時のレーダー及び射撃指揮装置の能力からして、戦艦及び巡洋艦の砲撃は全くと言ってよいほどに成果を上げられなかったのである。」と断定する。

また「当時の射撃用レーダーは新型のMk-8をもってしても今日のようなペンシルビームではないため、捜索用レーダーよりは精密に距離測定ができるものの、目標照準の機能・能力は有していない。したがって正確な射撃のためには光学照準が必要であり、これは夜間では顕著な明かりがあるか、照射・照明でもされていない限りほぼ不可能である。」筆者は元海将補である。大東亜戦争で米軍が多用したレーダー付きの射撃指揮装置は戦後海自にも供給されているから、筆者の知識に間違いはない。ワシントンはレーダーの補助のもと、探照灯を使用して射撃していた霧島が放つ光で照準したのである。

この時の射撃距離は日本海海戦時代並みに近い。ワシントンは多くの命中弾を得たのは間違いない。第二次大戦当時、米軍のレーダーは捜索用として大きな威力を発揮したが、照準用としては補助的にしか使えなかったのが事実である。第二次大戦の米海軍のレーダー射撃は戦後日本では過大評価されている。サウスダコタは大破したが、霧島が発射したものの多くが三式普通弾であって、徹甲弾ではないから致命傷が与えられるはずもない。飛行場攻撃用に三式弾を優先的に発射する状態であったのには違いないが、徹甲弾を優先できなかった理由は後日考えたい。

ついでに、先に紹介した雑誌「丸」には射撃指揮装置についての専門家らしい記述がある。「当時のジャイロコンパスの性能からして変針後最低1分は直進しないと射撃に利用しうるまでには安定しないことに加え、最低三分間は自艦及び目標が共に直進の状態で測的を行なわないと正確な運動解析結果が得られないのである。」という。このため、米戦艦も山城も途中で変針していた結果、平均射距離2万~2万2千mで6隻が279発撃ちわずか2発(命中率0.72%)の命中弾しかなかった。山城を撃沈したのは、駆逐艦などの魚雷であった。