毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

勘違いだらけの日本の政党政治

2020-03-31 20:46:52 | 政治

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 かつて日本には民主党という政党があった。マスコミの政権交代論の支援もあって、あれよあれよという間に政権政党になってしまった。その民主党は政党の体を成していなかった、と言ってもいい。看板となって表に出てくる鳩山総理などは自民党出身だし、多くが松下政経塾出身の寄り合い所帯もいいところで、政権を獲りたい、という点しか共通点はなかったのである。その上、固定支持基盤と言えば、官公労を中心とした労働組合であった、という支離滅裂ぶりであった。そのなれの果ての現在の立憲民主党の勢いたるや、かつての民主党と比べるべくもない。

 国家への忠誠心や信念、といった日本人の根本にかかわる理念が多くの人たちに共有されていた、という点では戦前の方が余程ましだったと言える。しかし、それでも当時の政党も党利党略に走っていた事には変わりはない。例えば野党の政友会はロンドン軍縮条約締結の際に統帥権干犯と批判して政権奪回を図った。本心は軍縮しなければ財政破綻の恐れありと考えていたのに、政局に利用するために反対したのである。

 満洲等における条約上の約束を破り続ける中華民国に対して、幣原外交の政党政府は対支融和策に出るだけで無策であった。あまりに支那に迎合するために英米からは、支那と融和して英米を支那から排除するのではないか、と疑われた位である。中西輝政教授が条約を守るまで保障占領するのは国際法上の権利であると言ったがその通りで、何も謀略的に満洲事変を起こして国際的非難を浴びることはなかったのである。しかし政治家にはそのような当たり前の知恵がなかった。それもこれも政党政治の無為無策に起因したものであって、満洲の権益を守ることを任務とした関東軍としては、軍事力行使しか使える方法はなかった。

 政治は無為無策だったから、もし満洲事変がない上に、ブロック経済が日本の貿易を阻んだ現実が続いたら、日本は疲弊して米英ソに対抗する軍事力を保有できず、日本自身が米国の支那大陸進出のための植民地となり、満洲朝鮮はソ連領、大陸本部は米英仏に分割されていたであろう。我々は有色人種も独立国家を持てるのが当然の現代にいるから、当時の欧米ソ連の世界覇権の恐ろしさが見えないのである。そして有色人種も独立国家を持てるのが当然である時代を招いたのは大東亜戦争である、というのは事実であって夜郎自大ではない。

 かつて、民主党が政権交代を実現しようとしたとき、多くの評論家が二大政党政治の実現への期待を表明した。しかし、戦前でも日本は立憲政友会と憲政党の二大政党政治は実現していたのである。それにもかかわらず、二大政党はうまく機能しなかった。そのことを反省しようとすらしない原因は分かる。GHQの焚書坑儒による教育と洗脳により、全ての戦前の失敗を軍部の特に陸軍の責任に帰したからである。いや大東亜戦争は単純な失敗ではない。敗戦と言う点では失敗だが、有色人種が独立国を持てるのが当たり前の世界を招来したという世界史的観点から失敗ではない。それを失敗だけと思い込まされているのである。日本は戦争目的のひとつを達成した。しかし真の失敗は、その後にある。唯々諾々と連合国に思想改造されたことにある。

 日本人が連合国によって植えつけられた思想は、大陸侵略の意図を持った陸軍がテロなどで右翼と組んで政党政治を消滅させた結果、対米戦に突入して滅んだ、と概括すれば良いだろう。だがこの考え方は本末転倒しているのだ。支那の革命外交によって大陸の権益が失われようとしている時、政党は政権獲得のための政局に狂奔していた。統帥権干犯という言葉は右翼と言われる北一輝が発明したが、有名になったのは前述のように、政権欲しさに憲政党批判に政友会が利用したからである。

 現実には外交など国際問題に適切な判断力を持っていたのは政党ではなく陸軍であった。もちろん海軍などは埒外である。東京裁判で文民政治家の廣田広毅すら処刑されたのに、残りは全員陸軍出身者であり、海軍軍人出身者がただの一人も処刑されなかったのは、日本海軍の首脳が連合国に都合のいい存在であったことを暗示しているかのようである。政策だけではない。実質的戦果の少ない真珠湾攻撃で米国に開戦の正義を与え、その後は野放図に戦線を拡大し、まずい戦闘で負け続けてくれたのである。

 当時の日本の国際的課題の基本は支那周辺のユーラシア大陸との関係であった。日露戦争で得た、満洲鉄道とそれを護るための関東軍の存在がそれであった。元々が東亜の大部分は欧米の植民地であった上に、不況でブロック経済化する世界情勢の中で唯一日本が期待できるのが満洲であった。マッカーサーが証言したように、満洲を失う事は、日本経済の壊滅を意味した。世界は現在のような自由貿易の世界ではなかったからである。だから当時の新聞に満蒙は日本の生命線、という活字が躍っていたのは正鵠を得ていた。

 日本陸軍が永田鉄山や石原莞爾といった戦略家を生んだのは、陸軍が満洲駐屯を通じて国際政治の何たるかを身に着けざるを得なかったからである。これに対して海軍には戦略はなく、建艦予算獲得のために、する気もない対米艦隊決戦を呼号していた。典型的官僚発想である。さらに、プロの政治家たちは政争に明け暮れ、軍縮条約交渉すら政局にして国内政治と化し、選挙の勝利を得るための方便にしていただけであった。国際政治については欧米にも支那にも協調外交しか能が無かった。この点は現代日本の政治家と酷似している。勉強の場が無い者にはその方面の知識も判断力も生まれないのは当然である。東京裁判史観に呪縛されて国際関係や軍事について自由な思考ができない分だけ、現在の政治家の方が劣化しているとさえ言える。

 実は外交や軍事に関しては、戦前の政党政治でもうまく機能していなかったのである。それでは何故、米英ではうまくいっているのであろうか。根本的には現在でも世界の覇権を握るのが欧米諸国だからである。もうひとつはエリートの育成という点が重要である。だがこの点についてここでは触れない。

 近代日本史から分かるのは、危機が迫っているが真に緊急事態に至るまでは政党政治は政権欲しさに危機に対応する能力がなく、真の緊急事態に直面すると日本人は政党政治を放棄したという事実である。危機をも前提とした米欧の議会制民主主義が、危機に至ると忽然と独裁制度に移行して、平時になると元に復帰することができるシステムを持っていることである。第二次大戦のチャーチルとルーズベルトの支配は事実上の独裁であって、選挙が独裁への移行への支持の手続きであった。チャーチルは英国崩壊の危機を独裁で支えたが故に、危機が去ると遠慮なく選挙民に放擲された。ルーズベルトは4期もつとめて戦争中に任期途中死ぬまで政権を離すことはなかった

 日本の議会制民主主義に基づく政党政治に必要なのは、議会制度を維持しながらも非常時には統帥を担う独裁となり、平時には独裁を止めるシステムを作ることである。戦前の日本は、議会を解散して大政翼賛会を創設した。これもひとつの知恵であろうがここでは触れない。現在の日本の状態を日清日露の戦争直前の危機に例える輩は多い。しかし、全世界に有色人種の独立国がほとんどなく、白人支配の世界であった戦前と現代とでは基本的状況が違う。イスラムの台頭も戦前にはなかったことである。日本の危機はGHQや共産主義に洗脳されてまともな歴史観を持てない、日本人自身が作っている。


書評・「真相箱」の呪縛を解く

2020-03-26 15:57:05 | GHQ

櫻井よしこ・小学館文庫 

 「真相箱」と言う戦後GHQが作って日本に広めた本が、日本の歴史観を歪めた、ということでその嘘を突く、と言う主旨は重要である。しかし皮肉にも櫻井氏自身がGHQによる史観から完全には逃れられていないことを、この本は示しているように思われる。以下にその例を示す。特に後半は戦史に属する部分が多くなるので、戦史に疎いと自ら認められているように、嘘を見抜けないものが多いのは仕方ない。好著であるが解説が少ない事に不満が残る。

 P35では南京攻略において虐殺は確かにあったと述べている。だが0万人より遥かに少ない人数であっても一定の条件を満たす虐殺があったのなら、戦史における事件と言わざるを得ない。櫻井氏も数の大小に置き換えて逃げようとしているように思われる。通州事件は日本の民間人がむごたらしく殺された。戦時国際法に違反しているのはもちろん、そこにいた日本の一般市民全員が殺されたのである。それこそ、歴史上の虐殺事件というべきである。数は二百余人だが、民間人全員が偶発的にではなく、民間人をターゲットとして、故意に残酷無比な方法で殺害されたという点において、事件として特筆すべきことなのだ。だから問題は数ではない。

 通常の市街地攻略戦においては、民間人も含めた不法殺害は絶対と言っていいほど0には出来ない。問題は当時の市街地攻略戦において通常やむを得ず起きる程度にとどまっているか、そして交戦者を攻撃する巻き添えに民間人が殺されたかどうかである。真珠湾攻撃においても、民間人約百人が軍事施設攻撃の巻き添えで死亡したが、故意ではないし、許容される範囲である。沖縄戦でも米軍は国際法違反の民間人殺害を行っているのは、米国人の書いた「天王山」にも描かれている。米軍の強姦や殺人は、戦闘が終結した地域でさえ行われていたのである。しかし沖縄大虐殺とか沖縄事件とは言われない。それが何故かを考えればよいのである。その意味において、私は南京大虐殺や南京事件と呼ばれるべき、歴史上のできごとはなかったと確信している。

 櫻井氏はバターン死の行進、についても全面的に認め、その原因は日本軍の生命軽視や捕虜をとらない方針であったとしている。しかし近年「死の行進」は、多くの原因は指揮官たるマッカーサーが兵士を置き去りにして逃亡したことにある。捕虜として扱われる原則は指揮官による降伏の申し出であるが、マッカーサー自身がその責務を放棄して逃亡した。食料もなく、重病が蔓延していた米兵の捕虜の生命を救うために捕虜を移動しなければならなかったことが、最近では日本の雑誌や書籍で明らかにされている。日本軍は捕虜の米兵を戦時国際法にのっとり人道的に処遇したのだ。捕虜を取らないことを公言していたのは、むしろ米海兵隊の幹部であった。だから日本人投降者や野戦病院の傷病兵を次々に殺したのだ。野戦病院の傷病兵殺害は、戦時国際法の明確な違反であることは言うまでもない。

 日本兵が投降しなくなった原因のひとつは、米軍による投降者の虐殺にあったと、チャールズ・リンドバーグなど複数の米国人自身が認めている。狡猾な米軍は殺さなかった少数の兵士や民間人を徹底的に厚遇し宣伝に利用した。強姦された日本女性の多くは殺害された。死人に口なしである。このことをどう考えるのだろうか。櫻井氏も人道的な米軍、残酷な日本兵と言うGHQどころか米国を上げて行った宣伝にみごとに引っかかっているのだ。

 対支二十一箇条の要求の項(p85)について日本のとった道はたしかに正道とはいえない。中国からみればとんでもないことである、と語る。その後の世界情勢の枠内に置いてのみ、公正で真っ当な視点として成立するということだ。そうした場合、日本ひとりが不当な要求をしていたとの構図と批判は当たらないのである、と西欧との比較によって日本の行動を擁護しているものの、全体の調子は日本は中国に対して悪いことをしていた、という立場であると読める。

 だが、当時の支那は「中華民国」を自称していたもの、統一されたひとつのまともな国とはいえなかったのだ。櫻井氏にはそうした視点が欠けているように思われる。支那との租借期限延長交渉との過程で、日本がこうした要求をしたので支那政府がこれに屈せざるを得なかったことにすれば、国内世論の反発を抑えて日本の希望を入れることができる、と、日本政府は袁世凱に騙されて、こうした形で公表されることになったのだ、という信ぴょう性のある説さえある。今日でもあるように国内事情を口実に支那政府に利用されたのである。

 戦史に関する真相箱の嘘にも触れていない箇所があるが仕方ないだろう。昭和二十年に日本機の爆撃で大破した正規空母フランクリンは修理された上再就役した(p356)と書かれている。事実は、八百人近くの戦死者を出し、大火災で船体構造全体に大きな歪が生じ、復旧するには新造と同じコストがかかる大工事になるため、復役しなかった(世界の艦船2012.6に被害の詳細な記述がある)と言うのが真相である。程度は少し軽いが同様に日本機の爆撃で大損害を出したバンカーヒルも五十歩百歩だった。フランクリンがずっと予備役扱いながら正式に除籍されたのが昭和三十九年と遅かったのは、米海軍による誤魔化しである。フランクリンは沈没したのも同然であったのである。

 日本の急降下爆撃機は、二十五日の朝小型空母セイントロウを撃沈しました(p251)、とある。護衛空母セント・ローを撃沈したのは、最初の正式な神風特別攻撃隊とされる敷島隊の零戦である。他の個所でも真相箱は特攻隊の戦果を故意に書かない。米軍は体当たり攻撃までして日本軍が抵抗している事実を国民に知られるのを恐れ、戦時中は徹底した報道管制によって報道させなかったのである。米国はいいことも悪いことも公平に発表していたなどというのは大嘘であるのは当然である。

 真珠湾攻撃の戦果を戦艦二隻撃沈としているのも、日本戦艦10隻を撃沈したと書いている事と比較すると巧妙な嘘である。真珠湾では、戦艦で大破着底すなわち事実上の沈没をしたのは5隻で、そのうち3隻が浮揚修理されて実戦に参加している。日本戦艦12隻のうち、洋上で沈没したのは7隻、事故で陸奥が沈没、瀬戸内海で大破着底したのが3隻、長門だけが航行可能な状態で残った。真珠湾で大破着底した3隻が修理再就役したから撃沈ではないとするなら日本戦艦3隻も修理再就役可能な状態だったから、撃沈ではないことになってしまう。米軍にしても自軍の被害は少なく、敵の被害は大きく評価するのだ。飛行機の被害でも、米軍は戦場域内で被害を受けて墜落したものだけを被撃墜とカウントし、被害を受けて戦場を離脱して、基地に帰投途中に力尽きて墜落全損したものは、被撃墜とはカウントしない、というのだから。


生存本能を失った日本人たち

2020-03-21 20:28:11 | 自虐史観

 人間は本能を失った動物だと言われる。動物は本能に従っていれば生きている事ができると言う。獲物の獲り方も、食べる時期も本能が教えてくれる。これに対して人間は欲望に従って生きていれば、自堕落で不健康な生活となり天寿を全うできなくなるというのだ。放っておけば遊び暮らし、好きなものを食べて自堕落な生活を過ごして短命になってしまう。これは動物と違って思考力が極度に発達したのが原因だというのだ。

本当にそうだろうか。ほとんどの人間は、欲望に任せて自堕落に生きていないのが現実ではないか。ほとんどの人間は、食べたいものを食べたいだけ食べ、怠けて暮らせば不健康になってしまう、という事を知る理性と実行力を持っている。あまつさえ、多数の人は敢えて苦しさを克服してスポーツをしている。誰に強制されたわけではなく、楽しみで行っているのである。その結果健康を獲得している。

これは理性のなせる業である。中にはアルコール中毒になって早死にする人もいる。極度に太って歩行すらできなくなる人もいる。しかしあくまでも例外である。そのような例外は本能で生きている動物にすらいるのである。人間の本能を理性を除いた欲望にだけ限定するから物事が分からなくなるのだ。人間の本能は理性を含めたトータルで見なければならないのである。理性を含めたトータルで道具を使い学習して、他の動物にはない進歩を遂げたのである。理性は人間を守る本能の一部であると考えれば良い。

ところで、旧聞に属するが、平成23年10月28日の産経新聞に、東京都教職員組合(都教組)が「竹島が日本領といえる歴史的根拠はない」とした内部資料を作成している事が報じられた。この問題に関しては、以前朝日新聞論説委員が、竹島は韓国に渡せばいいではないか、と書いた事と共通している。竹島は元々韓国の領土ではなかったのは明白なのに、李承晩の時代に占領して実効支配されて現在に至っている。

こんなことが自国に起こればどこの国の人でも、これを不当である、と言う。だが日本にはそう思わない人が例外ではなくいるのである。それどころか都教組ではそれがメジャーな考え方である。すでに実効支配されているから、そんなものはあげてしまおう、あるいは元々日本のものではなかった事にしよう、と言うのは尋常ではない。現に中共は尖閣諸島や沖縄も自国領土だと主張している。機会があれば奪おうというのである。沖縄の次は対馬である。対馬の次は九州である。

このような世界に日本は囲まれているのである。竹島などいらない、という思考は危険である。日本が無限に侵略される危険をはらんでいるのである。彼らはそれに目を瞑ろうとしている。それは領土を自己主張すれば軍隊が必要となる。日本の軍隊は本質的に侵略する軍隊である。こういう思考が絶対的に彼らを支配しているのである。戦争の基となる危険な軍隊に頼るよりは、けちな領土位失ってもいい、と考えているのである。彼らは日本人でありながら日本を守ろうとするのは絶対的に危険であると考えている。

そんな事を考えていれば、自分の寄って立つ国を失う事を世界のいずれの国の人も知っている。幕末以来の日本人もそのために努力してきたのである。それは歴史が人間の理性に教えた教訓である。原始の時代であればともかく、国家のせめぎ合う現代では、国家なしに諸外国から日本人は保護されないのである。自分は国家などには保護されてはいない、という考え方をする資格のあるのはチベットやウイグル人のように異民族に侵略されて隷属させられている民族だけである

中共のような古代から変わらない帝国と異なり、日本は「国民国家」でありながら自国政府を否定し領土を否定する日本人が多数いるのである。自分を保護する国家を否定する危険な思考。これはまさに理性の崩壊である。人間の本能の崩壊である。国に守られ国を守るという、自分自身と子孫の生存するための本能の否定である。本能の崩壊である。それでは彼らは自分はあらゆる他人の犠牲になってもよい、というお人よしではない。そうではない。都教組の活動家は都教組を守るためには嘘や詭弁をも平然とする。朝日新聞の論説委員氏も同様である。自分の直接所属する組織は日本国よりも大事なのである。

冗談ではない、朝日新聞や都教組が潰れても日本人は生き残る。日本国が崩壊したら朝日新聞や都教組が生き残ることに何の意味もない。彼らはそんな世界共通の本能を失っている。彼らは生存の本能を失っているのである。そんな人たちが例外ではなく大勢力を持ち、政治にも影響を与えているのが日本の現状である。日本は国家生存の本能を失わんとしているのである。その理由は自明であろう。

日本は侵略を行う好戦国家であり、それ以外の国は侵略しない良い国家であると書いた憲法。マスコミを多年にわたり検閲して日本が明治維新以来、いかに苦労して西欧の侵略と戦った事を隠して侵略戦争ばかりしていると報道させた米軍の支配である。日本の正当性を説明する日本人を公職から追放した。このように日本を貶めるあらゆる行為をした占領米軍の恐ろしい行為によってである。日本民族は生存本能をなくすように洗脳されたのである。

その結果は不思議な事に人為的に洗脳されたのではなく、自発的な思考であると思い込むようになった。もっと恐ろしいのはこれら本能を失った日本人のしている事である。例をあげよう。イギリス人の書いた紫禁城の黄昏、という本が岩波文庫にある。しかしこの本には原著の1章から10章までと16章を全部カットしている。その理由は「主観的な色彩の強い前史的部分」だからだと訳者は説明している。ここに書かれているのは清朝が漢民族ではなく、満洲族が建国した国家であること、満洲族の最後の皇帝が王朝を再建する事を望み、満洲族に王朝再建運動があった事が書かれているのだ。これは正に当時の日本の行為の正当性を主張する部分である。それを意図的に削除したのである。

英語ではthe last personと書けば、絶対にそういうことをする人ではない、という意味である事は高校生でも知っている。ところがこの本ではこの構文を使っている文章を「皇帝は蒋介石と張学良には絶対に頼らない」と訳すべきところを「皇帝が一番最後に頼る人物は蒋介石と張学良である」と日本語に書けば逆の意味になるように訳している。このような大著を訳す英語に精通した人物が典型的な誤訳をしている。正確には誤訳ではなく、嘘を書いたのである。彼らは洗脳された結果このような卑劣な行為をしても、結果が正しければ良いと確信しているのである。彼らは自分の教えられたことに反する事実が出てくると、このように隠ぺいしたり、嘘をついたりするのは平気である、という倒錯した状態にある。彼らは米軍の統制によって作られた歴史に反する事実の出現に本能的に拒否反応をおこすほどに完全に洗脳されてしまっているのである。これが生存本能を失った日本の現実である。


書評・F機関-アジア解放を夢見た特務機関長の手記 藤原岩市・バジリコ㈱

2020-03-17 16:12:10 | 大東亜戦争

F機関-アジア解放を夢見た特務機関長の手記 

 古今東西これほど高潔な軍人がいた、と言う事をこの本を読むまで知らなかった事は恥じ入る限りである。最も重要なのは弱冠三十三歳の藤原少佐の編成した少数のF機関の働きがインド国民軍(INA)の設立を促し(P132)、INAがインパール作戦に参加したことである。戦後INAが英印軍に対して反乱を起こしたとして、裁判にかけられたことがきっかけで収拾がつかない全国的な暴動が発生し膨大な死傷者を出したために、英国は統治権を返還、つまりインド独立を認めざるを得なかった。

F機関ひいては大東亜戦争がインド独立の直接の契機であったのは間違いない。F機関が高潔で私心のない藤原少佐に率いられたからこそ、インドやビルマの人たちを結束させたのである。そんな組織を作った陸軍の見識も見事である。本人が経験も資質もないと誇示するのに敢えて命令したのは、軍幹部もそれなりの見識があったのに違いないのである。軍のバックアップには問題があったにしても、全ての軍人に藤原氏の高潔を求めるのは、理想主義に過ぎる。F機関の創設をさせたということだけで、国家組織としては充分高潔と言える。もし大東亜戦争がなければインドの独立は三十年遅れたとも書かれているが、単に遅れただけでは済まない。現在でもインドの公用語には英語もあるように、独立が遅ければ遅いほど、インド文化は喪失していったであろう。三十年は恐ろしく長い時間なのである。日本軍によるアジア侵略と信じ込まされている人たちはこの本を読んで、よく考えていただきたい。

日本軍人の責任感の強さを伝えるエピソードがある。二名の日本兵が、若干の銀製食器類とマレイドルをマレイ人家庭から略奪したが、藤原少佐が咎めて部隊長に報告するよう命じて帰したところ、その日のうちに自決した、というのである(P106)。他にもマレーで略奪を行った日本兵を処罰する場面がある(P169)シンガポール占領の際、山下将軍は混乱を避けるため、市内には治安維持のための一部の憲兵を入れただけで、軍の主力は郊外に駐留した(P217)。

これは米軍のフィリピン侵攻の際に、山下将軍が市内を無防備都市宣言をして市街戦を避け郊外で戦おうとしたことと同じで、市民の被害を極限しようとしたのである。ところが海軍の反対で市街戦を戦ったためにマニラ市民が米軍の攻撃で多数殺された。今でもフィリピン人は、米軍は市民を殺し過ぎたと心底では思っているそうである。そして陸軍にはこのような判断ができたのであって、戦闘を知らない海軍の誤断による失敗が大東亜戦争の陸戦に随所にみられる。太平洋の島嶼戦でも海軍は多数のイージーミスを犯している。

インパール作戦は、戦闘としては大惨事となり失敗ではあるが、インド独立、ひいては全世界の植民地の解放につながり、現在の自由貿易社会はそれによって生まれた戦後日本の高度成長は植民地の解放なくしてはあり得なかったのである。インパールの犠牲者には犬死ではなかったと言うべきである。戦後の英軍の裁判でINAが告発されたのはINAが日本軍とともに英軍と戦ったからである。自由インド仮政府は英国に宣戦布告したのであり、INAの唯一の戦争がインパール作戦であった。独立の英雄チャンドラ・ボースは「・・・死傷の続出、補給の途絶、餓死も、進軍を中止にする理由にはならない・・・」(P308)と叫んで日本軍の作戦終了に最後まで抵抗したのである。英軍による裁判が行われている時期にインドの新聞は、インパール作戦においてINAが英軍に武勲をあげたと報道して支援した。

 インド独立におけるチャンドラ・ボースの功績は絶大なものがある。それはINAの創設とインパール作戦に対するINA将校の処罰に対するインド国民の反乱がインド独立の直接の契機となったからである。確かに、ガンジーの非暴力の抵抗卯運動は、インド国民に対して反英精神を涵養した。しんし、独立のきっかれを作ったのはチャンドラボースである。ガンジーはインド独立の父と呼ばれているようである。しかし、独立の父と呼ぶべきは、チャンドラボースである。反英精神を地道に涵養した、と言う点において、ガンジーは独立の母と呼ばれるべきではなかろうか。

いわゆる日本軍の残虐行為の記述については同意しかねる箇所がある。戦後間もなく書かれたことと、少佐の高潔な性格の故で同胞に対しても厳しかったのであろうと思うが残念である。マレーに進駐した日本軍は、華僑が晴天白日旗を掲揚する事を、一度は藤原少佐の要請で許可したものの、その後禁止した(P125)。英統治下でも彼らの祝日には祖国の国旗を掲揚していたのに、というのである。これに対する反感を英軍と共産系華僑が利用して、後方撹乱やスパイ行為を行った結果、華僑の摘発と虐殺と言う汚点を残したと言う(P230)。

中島みち氏の「日中戦争いまだ終わらず」に書かれているように、史実はこんなナイーブなものではなく、計画的な不法行為に対する摘発であって虐殺ではない。藤原氏は支那事変についての日本軍の違法行為の噂も信じているのであるが、これも支那側の宣伝を容易に信じる少佐のナイーブさの証明であるが、だからこそこのような崇高な任務を行う事が出来たのであるから、絶対矛盾である。支那事変においては日清日露の当時より不法行為が増えているのは事実であるが、それは支那兵が行った日本軍捕虜の目を覆いたくなるような惨殺体を頻繁に目撃した兵士が、怒りにかられて行った同情の余地のあるものである。支那兵は国際法違反の便衣兵や女子供によるテロ行為など卑劣な戦法を常習した。ベトナム戦争でのソンミの虐殺などもこれに類することである。北ベトナム軍は米軍兵士や南ベトナム人を卑劣な手段で虐殺したが、日本ではその声が聞こえないのである。

「訊問」の章ではチャンギー刑務所における残虐非道な捕虜への取り扱いが次のように書かれている。

刑務所の有様は、さながら地獄の涯、賽の河原を思わせるものであった。畜生を扱うに等しい警備兵の仕打ち、飢餓ぎりぎりの乏しい粗食、陰険苛烈な尋問、神の裁きを詐称する前近代的な復讐裁判、獄の一角で次々と執行される絞首刑等、陰惨を極めた。将兵は、骨皮同然に痩せさらばえ、渋紙のように陽焼けし憔悴していた。

これが戦後捕虜を人道的に扱ったと宣伝される連合国の実態である。まして誰も見ることのできない植民地で、欧米諸国がアジアの人々をいかに過酷に扱ったか想像できるではないか。フィリピンでは反抗する30万人の人をバターン半島に追い込み餓死させ、インドでは機織り職人の右手首を切り落とし仕事を奪った、などというのは氷山の一角にもならないのであろう。ナチスの蛮行は欧米人自身が告発している。しかし同じ欧米人が同じような事を植民地でしなかったはずはないのである。現にアメリカインディアンは絶滅したに等しい。ニュージーランドのアボリジニーはただの一人も残すことなく絶滅させられた。オーストラリア人の狩猟遊びのターゲットとして殺戮されたのである。

藤原氏は現代日本人に重大な警告を発している。戦後日本人は占領下の痛苦に耐えて国土の再建を期していた終戦直後の祖国と同胞を知っていた、と言いながら直後に「その後浅ましく変貌したが」と書いているのだ(P337)。最後に藤原少佐の女婿の冨澤氏が、英軍将校にF機関の成功の理由について質問されたときの藤原少佐の答えを紹介している。これがこの本の全てを語っているが、諸氏は本書を読んでいただきたい。私はこれを書くに高潔と言う言葉を繰り返した。藤原氏を表わすのに語彙の貧困を恥じる次第である。

 現代日本では反中共ネットワークとして、日米印の提携が言われている。それもINAが実現したインド独立のなせるわざである。ただし、インドは敵の敵は味方の戦略で、主要な兵器はソ連に依存している。国際関係の複雑のゆえである。


武漢コロナウィルス陰謀説

2020-03-13 15:45:21 | 支那大陸論

 武漢コロナウィルスが始まったのは令和元年11月である。その頃中共では、どんな問題を抱えていたか。香港抗議デモである。月刊Hanadaの令和2年3月号で、支那出身の石平氏は「無能・無策・無責任・習近平が中国共産党を潰す」という論文を寄稿している。

 煎じ詰めていえば、習近平政権は香港抗議デモに妥協することに失敗したうえに、実力行使で事態を収拾することもできていない、という雪隠詰めに陥ってどうにもならない状態に陥っている、というのだ。選択肢は妥協か実力行使しかないから、無為無策状態を放置せざるを得なくなってしまっている、ということだ。その上、アメリカでは「ウイグル人権法」が可決された。四面楚歌である。

 ところが、武漢コロナウィルスが発生してどうなったか。香港抗議デモはどこかに消えてしまったのである。石平氏によれば、香港抗議デモは中共の共産党支配をゆるがしかねない重大事である。ところが習近平政権のアキレス腱はウイルス騒ぎによって、いつの間にか消えてしまったのである。そして最初に武漢コロナウィルスを発見した医師は処分して、ウィルスの拡散の妨害は排除された。

 飛躍しているかもしれないが、謀略説を語るとすれば、武漢コロナウィルスの発生は、香港抗議デモ対策ではなかろうか、ということである。香港問題で世界を巻き込むようなことをするはずがない、というなかれ。あれほど騒がれたSARSでさえ、感染は中共国内が主であった。日本には一人の感染者もいなかったのである。武漢コロナウィルスもその程度で済むと考えたと誤算したということも考えられる。武漢コロナウィルスの感染防止のために、香港市民は街頭に出るな、と中共政府当局が言ったとしても、欧米諸国は、デモの弾圧だと非難できないのである。こうして香港抗議デモは鎮圧された。

  中共政権は国内統制のためには国民の犠牲など何の関心もない。いや、生物兵器としては致死率の低いウィルスを使ったところを見ると、少しは国民の生命も顧慮したのだろう(^_-)-☆手の付けられない事態に陥っていた香港抗議デモがあっというまに消えてしまったことと、感染発生のタイミングを考えると、陰謀説も荒唐無稽ではないように思われる。

 状況証拠はまだある。米大統領補佐官が中共が初動でコロナウイルス発生を隠蔽した、と発言したのに対し、3月13日中共政府高官はツイッターで、新型コロナウィルスは米軍が中共に持ち込んだと、とんでもないことを主張した(報道ステーション)のである。これは中共政府が、武漢コロナウィルス発生が軍の持ち込んだ人為的なものであること、すなわち生物兵器である可能性を示唆したのである。嘘をつく者は、自分ならやるようなことを言うものである。

 なお、本ブログでは、新型コロナウィルスが中共発であることを明示するために、武漢コロナウィルスと呼んでいる、ブロガーの「テレビ倒さん」さんにならって、基本的に武漢コロナウィルスと呼ぶことにしている。なお、米国のマスコミでも同様な主旨を採用しているものがあることも付言する。「テレビ倒さん」さんの先見の明に感心する次第である。


世紀の珍機(ブローム・ウント・フォス)

2020-03-10 16:48:59 | プラモコーナー

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 飛行機で珍機といわれるもの、つまりアレンジが珍奇なものといえば、最近ではノースロップB-2爆撃機であろう。飛行機は普通、胴体、主翼、尾翼で構成される。それが全翼機すなわち、胴体も尾翼もなく、主翼だけしかないのだから。しかし、世の中にはもっと珍奇なものがある。それは左右非対称機である。全翼機であろうと、左右対称でなければ、バランスが取れず、まともに飛ばないと考えられるのである。

 ところがドイツ人は作ってしまったのである。単発の偵察機で、前方、後方の視界が良いこと、というスペックを空軍が出したのである。ブロームウントフォス社はこのスペックをまともに考えて、下のプラモのようなBv141を作ってしまった。なるほど非対称機にすることで、操縦席の前後にエンジンなど邪魔者はなく視界が良い。

 しかも、この珍機、性能は満足するは、心配された操縦性能にも問題はなかった。ところが空軍が採用したのはスペックに違反して双発にしたフォッケウルフ社の機体であった。空軍は非対称に不安を持った、それだけのことである。ちなみにいかなる形態でも非対称機が実用化されたことは未だにない。しかし、この機体、案外人気があり、エアフィックスが半世紀も前にキット化したものであり、最近でも48の新製品が売り出されたという人気者である。

 ところが懲りないのはブロームウントフォス社である。ジェットエンジンが実用化した時にまたしても非対称機を計画したのである。それが下のBvP178である。双発にしてもよいのに、わざわざ単発にしたのである。爆撃機型や戦闘機型もあるが、これは機首にレーダーを納めた夜間戦闘機型である。Bv141の場合は非対称にしたメリットは感じられるが、BvP178の場合、平面形をみれば分かるように、非対称にするメリットはあまり感じられない。非対称機にこだわったとしか思われない。このプラモ、ブロンコ・モデルズの72であるが、このメーカー、BvP178のキットを何種も発売している。

 このタイプを選んだのは、機首が妙な形をしているので分かるように、ドイツ機では珍しくレーダーを内蔵した可愛らしい形をしているからである。

 実はノースロップ社のジャック・ノースロップは若い頃から全翼機にこだわった人である。第二次大戦後も全翼戦略爆撃機を試作したが採用されることはなかった。プロペラ機が駄目だとジェット機にまで挑戦したのである。ステルスの必要性と操舵のコンピュータ制御が可能によってようやく全翼機B-2は実現したのである。死の床にあったジャック・ノースロップはB-2の採用を聞いて、神に感謝して亡くなったそうである。技術者の執念とはかくなるものである。


新型コロナウイルス生物兵器説考

2020-03-07 15:50:47 | 軍事技術

 新型コロナウイルスについては、当初から生物兵器の漏えい説がささやかれている。そもそもNBC兵器防御の研究は、大抵の国の軍隊で行われている。NBC兵器とは、核、生物、化学兵器である。日本の自衛隊は核、生物、化学兵器のいずれも持たないが、防御についての研究は行われている。地下鉄サリン事件での自衛隊の対応は覚えている方もおられよう。

 米英露中共北朝鮮イスラエル等は核、生物、化学兵器のいずれも保有しており、防御の研究も行っている。以前紹介したロシアの歩兵戦闘車BMP-1は戦術核兵器で敵を制圧した後に歩兵を突入させるためのものだから、放射能汚染領域内で活動できる。構造は簡単で車内の圧力を外気より僅かに高くして、放射能の侵入を防ぐとともに外気を洗浄浄化したり酸素ボンベ等で空気を確保する、というものであろう。そして放射能汚染が一定レベルに下がったら外に出て占領する。BC兵器の戦闘車両の直接防御手段も似たようなものであろう。

 いずれにしてもBC兵器を持つ国はもちろん、持たない国も防御手段は研究している。ちなみに悪評の高い旧日本軍の731部隊とは、生物兵器ではないが、赤痢やコレラなどの疫病の蔓延する支那大陸での防疫を主任務としていた。生物兵器防御の先駆といえるものである。当然のことながら石井部隊長が細菌による人体実験データを米国に提供して免罪された、などということは、根拠のないプロパガンダに過ぎない。

それでは生物兵器の利点は何であろう。それは軽量で投射に色々な運搬手段を用いることが出来るとともに、物理的な破壊をせずに、一定の領域の人間だけを殲滅することができる、ということである。もちろん生物兵器とは細菌やウイルスを攻撃の手段とするものである。

 生物兵器は搭載能力の小さなミサイルにも搭載でき、人間がカバンに入れて運搬し、敵地に置いてくることさえ可能である。小生は北朝鮮がICBM(大陸間弾道弾)で米国を射程に入れていても、搭載する小型核弾頭はまだ保有していないものと考えている者である。しかし、軽量な生物兵器なら搭載可能であろう。

 生物兵器には必須な条件がある。投射した場所の一定の範囲だけで、ウイルス等の感染能力が高く、感染させた人間は確実に殺す。ただし、ウイルス等はだらだらいつまでも生き残ってくれても困る。感染が際限なく広がってしまったら、攻撃側が敵地を占領できないし、味方領域まで犯すからである。

 湖北省の武漢の近くには生物兵器の研究施設があると言われている。新型コロナウイルス漏えい説の出る所以である。しかし、新型コロナウイルスはだらだらと感染が広がるだけで致死率は低い。生物兵器の要件は全く満たさないのである。しかし、はっきり言って中共の科学技術のレベルは低い。生物兵器の要件に適合しないできそこないを作ってしまい、漏えいしてしまったという可能性は完全には否定できないであろう。生物兵器漏洩説の真偽はともかく、日本人はこの機会に生物兵器の脅威と言うものを考えることが求められる。

 

 


開戦の一撃の敗北で講和した国はない

2020-03-05 12:55:19 | 大東亜戦争

 山本五十六が真珠湾攻撃を行ったのは、国力の差で、長期戦となったら勝ち目がないから、一撃で徹底的な被害を与えて、講和に持ち込む算段だった、というのが一般的に言われているのだと思う。阿川弘幸の山本五十六にも、海軍大臣に送った「戦備に関する意見書」で「勝敗を第一日に於て決するの覚悟(下巻P28)」と書いている。しかし、同書を他の個所を読んでも必ずしも、真珠湾攻撃後、継戦することがないと考えていたとも言い切れない。一撃で決戦するつもりかどうか、山本の戦略はまことに判然としないのである。

冷静に考えてみれば、世界の戦史に領土も占領されずに、開戦劈頭の一度の大敗で敗北を認めて講和した、という例はないと思う。開戦の通告が事前に行われていれば、米国は大被害のショックから、日本が講和を申し入れれば受け入れる、と考えるのは歴史的常識として、荒唐無稽という他ない。

 荒唐無稽とも思われないのは、駐米大使館の無様な不手際から、開戦の通告が遅れたために、米国世論が一気に参戦に転じたという説がまかり通っていて大問題視され、もし通告が遅れなかったら、ということが痛恨事として肥大化していって、そこで思考停止してしまった。そこで、遅れなかった時の、その後の米国の対応がどうなっていたか、ということに想像力を働かすことをしないことにあるように思う。

 「未完の大東亜戦争」で渡辺望氏は、米国にとって真珠湾攻撃は米本土決戦に等しく、本土空襲などは、その報復として行われ、仕上げとして日本本土決戦を予定した、というのだが、あり得る話でも考え過ぎである。ハワイはアジア進出の橋頭保として併合したもので、州に昇格したのは戦後の話である。本土の一部と言う意識が米国人にあったとは考えにくい。米大統領が戦時中ことあるごとに真珠湾攻撃を持ち出したのは、アラモ砦やメイン号と同じく戦争の大義として利用していたのに過ぎない。

 もし、山本五十六が本気で真珠湾攻撃の一撃で講和できる、と考えていたとしたら愚か過ぎるから、そんなことはないであろう。このような説は、後年の伝記作家や海軍関係者が、反戦主義だった山本は早期講和を望んでいたという根拠として、流布したものだろう。

 山本の意図は、日露開戦劈頭の旅順港攻撃にならったもので、旅順港攻撃が攻撃の不徹底によって失敗したための教訓を取り入れたものである、という説を読んだことがあるが、これが正しいのだと思う。旅順港のロシア太平洋艦隊を、開戦と同時に撃滅して制海権を奪う、という発想と真珠湾の太平洋艦隊を撃滅する、という発想は類似していて、海軍軍人としては自然な発想である。

 この発想は、永年海軍が想定して戦備を整えていた、開戦と同時にフィリピンを攻略すると、米艦隊が一挙に攻めてきて、フィリピン沖か小笠原沖あたりの西太平洋で、日米の艦隊決戦が起り日本が勝利する、という構想と全く異なる。そのため、突然真珠湾攻撃に転じたのは、戦争のドクトリンを突如変更することで、極めて無理がある、と言う説を唱える人も多い。小生もそのこと自体は正しいと思う。

 だがそれ以前に、海軍の西太平洋での艦隊決戦ドクトリンが、対米戦の構想として現実的ではない、と考えている。米艦隊がフィリピン方面に攻めてくるのは、フィリピンに逆上陸してフィリピンを奪還するためである。米艦隊は上陸支援をしにくるのである。現実に、フィリピン沖海戦は、複雑な様相を呈し、連合艦隊と米太平洋艦隊による単純な艦隊決戦とはならなかったのである。

真面目に対米戦を考えるなら、開戦劈頭に米太平洋艦隊を奇襲して、戦力を大幅に奪っておこう、と考えるのは自然である。西太平洋沖の艦隊決戦を構想したのは、海軍は対米戦を想定していたのではなく、陸軍と張り合って予算を獲得する算段をしていたのである。

 だから、日米の全艦隊が西太平洋で一度限りの艦隊決戦を行う、という空想をして、勝利のためには艦隊戦力は米国の七割でなければならない、と主張したのである。だが艦隊決戦の根拠となった日本海海戦が、バルチック艦隊と連合艦隊が互いに持てる艦隊の全力をあげて戦う結果となったのは、バルチック艦隊が日本攻撃のために出撃して衝突したのではない。ひとまずウラジオストックに全艦隊を一斉に回航しようとしたのである。

 ウラジオストックに無事ついたら、再度全艦隊が一斉に出撃する理由もない。バルチック艦隊の任務は、日本軍の大陸への補給を遮断し、大陸の日本軍を孤立させ、軍需物資が枯渇したところをロシア陸軍が反撃に転じて殲滅し、戦争に勝利することであろう。

 確かに山本が突如ドクトリンを変更して、突如真珠湾を攻撃したことは間違いである。しかし、本当に対米戦をすることを考えると、真珠湾に太平洋艦隊がいる限り、真珠湾を攻撃して太平洋艦隊の主力艦を漸減しておかなければならない、という発想が生まれるのである。日本海軍の永年のドクトリンが真面目に対米戦を考えていなかった、という所以である。

 ちなみに陸軍は、帝国国防方針に基づき、フィリピン上陸作戦を考慮し、上陸作戦用の大発動艇や強襲揚陸艦の世界的先駆と言うべき、神州丸やあきつ丸を開発した。これらの船は大発動艇などを搭載している本格的なものである。大発は米国が参考にして上陸用舟艇を開発したという先駆的なものである。これらの上陸用艦艇は、支那事変や大東亜戦争でも活用されているから、陸軍には実戦を想定した先見の明がある。

 その一方で、第一次大戦でドイツ潜水艦による通商破壊の絶大な効果を知りながら、補給遮断に潜水艦を活用することもなく、船団護衛の艦隊を編成したのは戦争末期であり、効果を発揮するには遅すぎたし、対潜機材の開発も極めて遅れていた。小生は、海軍の戦備構想が、陸軍に比べ実戦を想定していない、空想的なものであると言わざるを得ない。


女性イラスト(スケッチ・芸術の害毒)

2020-03-02 16:50:51 | 女性イラスト

芸術という言葉は美しい。それゆえに糊口をしのぐだけの仕事に就くよりは、芸術のために一生を過ごしたいと思うのである。だが彼らの言う芸術とは本当にあるのだろうか。

 二葉亭四迷は小説「平凡」で「文学の毒にあてられた者は必ず終に自分も文学に染めねば止まぬ。」と書いた。多くの若者は純粋芸術の毒にあてられた。そして人生を棒にふった。何を隠そう私自身も二十歳頃までは純粋芸術論者であった。それを打ち壊してくれたのが、オーブリー・ビアズリー、竹久夢二、そして廃刊となった平凡パンチの表紙をかざった大橋歩さんだった。今ではプロのイラストレーターでも、大橋歩さんの名前を憶えている人は少ないだろう。

 彼らは世俗で大衆に好評を博した。しかし正統な美術史には登場し得ないのである。それは彼らが純粋芸術の理念とはほど遠く、世俗のニーズに迎合したからである。私の評価は逆転した。世俗のニーズこそが芸術の力の源泉ではないかと。そして芸大を出て日展の「先生」となる者は何者かと。

 さてイラスト風ですが、昔描いたものです。今ではこんな思い切ったタッチのものは描けません。