毎日のできごとの反省

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書評・「満洲国」再考・原子昭三

2017-02-28 16:32:31 | 支那大陸論

 満州国の正当性を論ずるものであり、小生も読んだブロンソン・レーの「満洲国出現の合理性」などを援用しているが、内容はバランスがとれているので、満洲国論を考える座右の書として適している。しかし、最も興味があったのは、色々な民族による異民族弾圧(自国民の場合も含む)をいくつか例示していることである。そこだけ紹介する。

 ひとつ目は、ソ連によるシベリア抑留である。その項の最後にシベリア抑留日本人は65万人、死亡6万人という定説を破る、「諸君」に掲載された抑留250万人、死亡37万人説が紹介されている(P173)。小生は抑留条件の苛酷さから、死亡率約10%というのは不自然だと長い間考えてきた。

 だから、諸君でこの説を読んだとき、思いついたのは定説の帰還者65-6=59万人と言うのは、恐らく帰国手続きで数えられた、比較的信頼できる人数であろう。抑留者が定説と異なり、250万人とすれば、250-59=191万人が犠牲者数ではないか、という仮説である。この数字だと死亡率76%という恐ろしいものとなる。少なくとも定説の死亡率は少なすぎ、本当の抑留者数は65万人どころではない、と考えるのが自然だと今でも考えている。

 次はロシア革命である。ロシア革命とそれに関連する、内戦、農民の反共暴動、恐怖政治、農村共産化、大飢饉、第二次大戦などにより、1億1070万人が犠牲になった(P181)という。そこには革命ソ連の苛酷な政治が書かれている。またドフトエフスキーが「悪霊」の中で「将来ロシアに共産国家が実現されるとき、一億の人間が斬首されることになろう」、と書いていると紹介して、果たして偶然の一致と片付けられるだろうか、と原子氏は自問している。  

日本では共産主義の恐怖が過小評価されている。小生自身も共産主義にのめり込んだ人物が、日本人らしからぬ冷酷な性格を持つようになった例を何人か知っている。もし一部の日本人思想家が望んだように、日本国家が共産化されていたとしたら、良き日本人も豹変したはずである。

 次は中共の例である。毛沢東時代の苛酷な農業政策が書かれている(P184)。また、チベットにおける民族抹殺政策も書かれている(P195)。弾圧と殺害ばかりではなく、宗教とチベット民族のアイデンティティーの抹殺がある。「内モンゴル自治区」の民族政策も同様である。これらは正に「エスニック・クレンジング」である。

 米国は黒人差別ばかりではなく、インディアンの抹殺政策が書かれているのが貴重である(P208)。黒人差別を語られることは多いが、インディアンの抹殺政策について書かれることは少ないので貴重である。インディアンの迫害政策は現在でも行われているのである。ナチスのユダヤ人迫害は声高に語られるが、それに匹敵するか、それ以上の非道な行為がひっそりと語られるのは、あまりにバランスを欠いている。

 これらの事例に対して、日本が台湾統治で行った政策も書かれているが、これについては比較的有名であり特記しない。


ミッドウェー海戦考2

2017-02-18 16:07:46 | 大東亜戦争

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ミッドウェー海戦で、山本大将には真珠湾で撃ち漏らした空母を誘い出して撃滅する、という意図が強かったと言われている。その一方で海軍上層部には、米空母は南方に居り、ミッドウェーには出てこない、と楽観していたとするむきもある。敵艦隊をおびき出すために上陸作戦をする、ということの軍事上の不適切は別に論じた。

海上自衛隊の元幹部の、是本信義氏はミッドエー敗因の根本は、山本の「敵空母機動部隊を誘い出し、これを撃滅する」という真意が南雲司令長官に伝わっていない「戦略思想の統一」の欠如にある、という。そして南雲機動部隊の実力への慢心もあったという。

そもそも、前述のように敵艦隊撃滅のための上陸作戦などというものは論外であることはさて置いても、山本長官の真意が伝わったとしても、米空母が出現したとすれば、空母攻撃戦力からは日本側は完全に不利な状態にあった、と言わざるを得ない。本項ではこれについて考える。日本側はヨークタウンは珊瑚海海戦で大破し、戦力にならないと見ていたから、米空母がいるとすれば、エンタープライズとホーネットあたりと考えていた。すると日本側の推算では米空母搭載機合計は162機から180機であり、これが日本空母攻撃に全力をかけることができる

これに対し、日本側の空母攻撃の待機機は、およそ108機である。ヨークタウンがいないとしても、既にこれだけの差があったのである。つまり、日本側の米空母の見通しが正しかったとしても、日本側は最初から不利だと想定できたのである。

実際にはヨークタウンがいたから、定数は243機から270機となる。二波に分けて攻撃しても、一波当たりの数で既に日本機を超えている。その上、米側は30分程度の間隔で、1波と2波の全機で攻撃できる。これに対して、日本側は敵空母攻撃隊の108機をまず発進させ、次にミッドウェー島攻撃隊を帰投してから収容し、燃料と兵装を補給して、再出撃するのは、第一波の敵空母攻撃隊を収容してから何時間も後になるから、米空母機に襲われた後になってしまい、現実には再出撃は出来ない。これは想定できる話である。つまり航空戦力比では日本側の負けである。この想定は、ミッドウェー島攻撃隊が発進して後に、米空母の所在が判明した場合である。

運よく、第一次攻撃隊発進前に敵空母発見の報が入り、ミッドウェー島攻撃を中止し、米空母を攻撃することに変更してもややこしい。ひとつの想定は、対地攻撃兵装のまま第一次攻撃隊を、米空母攻撃に即時出撃させる場合である。魚雷などを積んだ、第2波は、格納庫からの飛行甲板整列と発艦作業で一時間位遅れて発進するが、第一波が先制攻撃になり、米空母機が襲ってこなければ、これが唯一の勝利の可能性がある場合だと思われる。

もうひとつは、対艦兵装にこだわった場合である。最短なのは飛行甲板上の第一次攻撃隊と格納庫内の待機機を入れ替えることであるが、それでも相当時間がかかってしまう。是本氏によれば、第一次攻撃隊発進の50分後の0520には米側に日本空母が発見されている。従って第一次攻撃隊の発進予定時刻よりよほど前に日本側が米空母を発見しないと、米側の先制攻撃を受ける。これはで日本側の負けである。現実はそうなった

そもそも、米軍は事前情報がなくても、第一次攻撃隊が発進すれば、レーダーで日本機が発見されて、日本空母がミッドウェー島付近に遊弋していることは知れるから、日本空母の捜索が始まる。つまり米軍が先に日本空母を発見する公算が高くなる。米軍がレーダー探知能力を持っていることは、珊瑚海海戦その他の、それまでの戦訓で分かっている。米国が暗号解読で事前情報を得て有利となったのは事実としても、それは警戒網や基地航空隊の陸上機を増強したことが、大きいのであって、米国勝利の絶対条件ではないことになる

また、米側には多少はともかく、基地航空隊が存在することも日本側に分かっている。これに追加するに米空母機の最低180機がいたと考えなければ、米空母撃滅の目的は設定する必要はない。日本側の事前情報で既に、この航空戦力比では日本側は明らかに不利である。いくら海軍上層部がミッドウェー島付近に米空母はいない、となめていたとしても、ミッドウェー作戦を強行した山本長官は、米空母撃滅をも企図としていた、というのだから、米空母がいる、という可能性が大だと想定していた、と考えなければおかしいのである。

このように、当初から米空母がいた場合の日本側の不利を想定できたとすると、山本が、不利にもかかわらず半数待機を命じたのは、念のため、というのに過ぎず、本気で敵空母撃滅を考えていたかについては疑問符がつくことになる。ミッドウェー島攻撃隊が、真珠湾攻撃の第一波183機に比べればはるかに少ないのは、攻撃目標が少ないから充分だ、ということであろう。

さらに真珠湾攻撃では予定通りの第二波171機が一時間余後に発進している。ミッドウェーの場合、第二波(第二次攻撃隊)は予定外に第一波の攻撃隊の要請で発進準備がなされた。すると計画上は約350機と108機と圧倒的にミッドウェー島攻撃戦力は少ない。

真珠湾攻撃の批判者は米空母の不在による、攻撃の不徹底を主張するが、もし、米空母がいたら、ミッドウェーとはいかないまでも、米空母を撃滅できたとしても、日本空母相当の被害を受けたはずある。

是本氏によれば、米機動部隊が日本側を発見したのは0520で、ほぼミッドウェー空襲を実施中であった。史実と異なり、同時に日本側が米空母を発見し、ただちに待機していた108機の攻撃隊を発進したとすると、互いに攻撃を開始したことになる。現に米側はその後、艦上機と陸上機によって日本の機動部隊を盛んに攻撃している。

こうなれば、航空戦力が劣る日本の攻撃隊が、米空母にどの程度の被害を与えることが出来るか、米側の攻撃隊がいなくなり、第一次攻撃隊を収容した空母の被害が、現実の海戦よりどの程度被害が軽減されているか、であろう。何回も言うが、航空機の戦力比から言えば、元々日本側不利である。

まして珊瑚海海戦では、米機動部隊の対空砲火と直援戦闘機との防空能力は大きく、日本側の防空能力は、直援戦闘機なしには、脆弱であるという戦訓は得られている。沈没した祥鳳は雷爆撃の滅多打ちにあい、レキシントンは多大な被害にもかかわらず、沈没せず、ガソリンの気化ガスの引火によって偶発的に沈没した。いずれにしても、南雲機動部隊が自慢した鎧袖一触ということはあり得ない。山本長官ら連合艦隊司令部は珊瑚海などの教訓を全く無視していた。

現に、事前に大和艦上で行われた図上演習(2)では赤城と加賀は沈没している。また「魔の5分間」の出どころのひとつは阿川弘之氏であった(2)。「・・・『第二次攻撃隊準備出来次第発艦セヨ』という命令が出た。母艦は風に立ち始め、やっと雷装に切り替え終わった攻撃隊群は、すでにプロペラを廻し出し、あと五分あったら、全機アメリカの機動部隊に向かって発艦を了え得るという時に、突然、上空から、真っ黒な敵の急降下爆撃機が三機、「赤城」をめがけて突っ込んできた。」

発艦開始から五分で二〇数機が発艦を終える、というのだ。当時の空母では一機発艦するのに一分を要する。全機発進に五分は絶対にあり得ない。現にその後攻撃隊を発艦させた飛龍は20分以上かかっている。そのことは阿川氏もよくご存じのはずだ。失礼ながら間違ったのではなく、嘘をついた、としか考えられない。これが巷間言われる「魔の5分間」の正体である。

以上のように、日本側が普通に戦えば力量も戦力も上だから勝てたはずだ、という説は全くの見落としがある。ヨークタウンがいない、というばかりではない。米空母の一隻当たりの搭載機数が、日本空母よりよほど多いことである。また、半数はミッドウェー空襲部隊であり、半数待機だから、対空母戦としては即戦力で使えず有効な搭載機数が半減する。

現実には、想定外のヨークタウンが参戦していたし、ミッドウェー島には日本の機動部隊来襲を予測して、爆撃機、雷撃機、哨戒機合わせて120機以上が配備されていた(3)(P412)。その上魚雷艇11隻と潜水艦が島の周囲を哨戒している。確かに艦隊の総数は日本の方が遥かに多い。しかし大和を中心とする「主力部隊」は何百浬もの後方にいる。駆けつけるのに全速でも10数時間かかるが全速は無理である。

一般に「・・・ミッドウェーの戦いには、アメリカをはるかにしのぐ物量でもって臨んだのである。・・・どんな馬鹿な司令官が指揮をとっていたとしても、日本は楽勝できたはずである。(4)」というのが定説である。ミッドウェー攻略作戦の批判者ですら、これに近い見解である。だが日本の図上演習でも相当な苦戦となることが既に予測されていた。

実際には、その上に日本の予想の倍の上回る航空戦力が配備されていた。これで日本機動部隊が勝つとしたら、よほど運に恵まれていなければならないのが本当であろう。現に米陸上機と艦上機の雷爆撃のほとんど全てを回避している、という実力と幸運さえあった。にもかかわらず、米側の執拗な攻撃の当然の帰結として、最後には惨敗したのである。

魔の5分は論外としても、日本空母はそのかなり前から、基地航空機と艦上機に攻撃されていて、辛うじて防空戦闘機の獅子奮迅の活躍と、巧みな操艦により被害を受けずにすんでいた。米側の攻撃の激しさをみれば、致命傷となった急降下爆撃以前に、雷爆撃の被害がなかったことが奇跡的である。

今後海軍の戦闘詳報をチェックしてみようと思う。ただ、ちらと見る限り、多くの戦死者が出ているために、欠落が多いが、攻撃隊の編成や空戦の状況など、見るべきものも多いはずである。ただ、戦闘詳報は当然膨大なものなので、チェックがいつ終わるかわからないと言い訳しておこう。

 

(1) 日本海軍はなぜ敗れたか・是本信義

(2) 山本五十六(下)・阿川弘之

(3) ミッドウェー・森村誠一

(4) 世界最強だった日本陸軍・福井雄三


そこまで米国製日本国憲法が有難いのか

2017-02-09 13:41:44 | 憲法

 平成28年に時のオバマ政権の、バイデン副大統領が、トランプ大統領候補批判のなかで「日本国憲法を、私たちが書いた」云々と述べた。あまりの率直さに、日本国憲法至上主義者も驚いて考え直すかと思いきや、何の驚きも引き起こさなかったように見えた。日本国憲法が米国製であるのは彼らにも常識になっていて、この発言は意外でも何でもなくなってしまったのだ。

 その系譜は今に始まったことではなく、根は深い。日本国憲法擁護の重鎮の丸山真男の「後衛の位置から」という著書がある。それには「改憲問題と防衛問題との歴史的関連」という章がある(P24)。そこには、朝鮮戦争前後から、防衛問題がアメリカ極東戦略の要請から、憲法九条が日本の政治問題化していって、その結果一般的な改憲問題となった、という。

 つまり日本国憲法改正の動きは、米国の極東戦略の要請が発端となって起った、というのである。ところがこの章には「・・・翌二十八年の十一月には、ニクソン副大統領が来日して、戦争放棄条項を日本の憲法のなかに挿入させたのはアメリカの誤りであった、という有名な談話を発表した。」と書いてある。

 バイデン副大統領と同じく、ニクソンは米国が占領の法制度を変えてはならない、という国際法の基本に違反した、という重大なことを認めたのである。ところが、平成二十八年の護憲論者も丸山真男も、この点を一切問題にしない。この章で丸山はニクソン談話に一切コメントを書いていない。

 その代わり、ニクソン談話の前に、昭和二十七年に最初の安保条約が発効し、警察予備隊が保安隊となったことを書いている。談話の直後には、吉田首相は自由党に憲法調査会設置の要望を出し、改進党は憲法改正によって自衛軍を保持すべきと決議したと書いている。

結局「ニクソン談話」が米国の「国際法違反を認めている」ということを問題にせず、米国の要請による防衛力保持のための憲法改正の流れ、というものを説明し「談話」をその時系列の中に埋没させることにより、憲法擁護の自説を補強するのに利用したのである。

 巧妙な逆転の発想である。米国の国際法違反を認める発言ですら、米国による改憲の謀略に見せてしまうことが出来るのである。病膏肓に入るというべき、日本国憲法神話は今更ではない。元々アメリカ占領軍が検閲や公職追放などの「日本国憲法」にすら違反する、あらゆる行為を駆使された結果、日本人は日本国憲法を有難がるようになったのである。

 まさに江藤淳の著書のタイトルの「忘れたことと忘れさせられたこと」という言葉がこのことを象徴している。