毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

日本人が拉致否定の根拠を与えた

2015-10-31 19:17:03 | Weblog

 とうとう来るべき時が来た気がする。日本人が、「従軍慰安婦」の証言集に書かれたことを否定するならば、北朝鮮が日本人を拉致した、という証言も信用ならない、という意見が現れたのである。

 産経新聞の平成27年10月14日の高橋史朗氏の「新たな歴史戦に対する連携を」と題する記事に米議会調査局が2007年4月に同議会に提出した報告書の内容が書かれている。「安倍政府の軍による強制連行否定は・・・田中ユキ著『日本の慰安婦』に記載されているアジア諸国出身の200人近い元慰安婦の証言や400人以上のオランダ人の証言と矛盾している。・・・元慰安婦の証言を拒絶すると、外部の者にとっては北朝鮮による日本の市民の拉致事件の信憑性に疑問を抱かざるをえない」と結論づけている、というのだ。

 中国がユネスコ記憶遺産国際諮問委員会に今年提出した「従軍慰安婦」の申請資料には2007の米下院の慰安婦対日非難決議が引用されている。そして非難決議の根拠がこの報告書だというのである。

 日本人自身が集めた強制連行の証言集を否定するなら、日本人による拉致の告発も嘘だ、という理屈は荒唐無稽ではない。「従軍慰安婦」の強制連行説を広めて、ここまでの国際問題とした発端は、朝日新聞を始めとする日本人自身に他ならない。日本人自身が言っているのにそれを否定して、強制連行説が嘘だ、というなら日本人が言う、拉致問題も嘘だ、という恐ろしい理屈に発展することは大いに可能性があったことである。

 結局日本人の言うことなど嘘ばかりなのだ、ということになるのである。北朝鮮が拉致問題を認めるまで、拉致問題の存在を否定していた輩は、慰安婦の強制連行説を広めていた日本人と見事に重なるのである。以前、小生は、いくら日本人は思いやりがあるやさしい民族である、ということをいくら強調しても、他方で慰安婦の強制連行や日本軍の残虐行為を一生懸命海外に宣伝する日本人がいれば、日本人の思いやりなど見せかけの嘘で、本当は日本人には残虐なDNAがある、と言っているようなものである、という主旨のコメントを書いた。「従軍慰安婦」問題と拉致問題の関係は、これと同じことなのである。


中国経済は簡単には崩壊しない

2015-10-25 14:38:51 | Weblog

中国経済は崩壊をするとか、し始めたと言われて久しい。それによって中国が混乱に陥って崩壊する、という説さえめずらしくない。何年か前2014年中国崩壊説を主張する評論家がいたが、とうに過ぎても劇的現象は起きていない。2015年に訪米した習主席は米国の旅客機300機購入の「爆買い」の約束をする始末である。

中国経済が、勝って勢いを失って停滞している様子はあるが、実際には言われているような激しい崩壊現象が現れている様には思われない。一体中国経済は恐ろしく過大評価されてはいまいか。例えばの話だが、GDPは公表数値の10分の1しかない、とか桁違いに実際の中国経済水準は低いのではないか、としか思われないのである。

何年も前に、中国経済の成長が嘘だと言う根拠として、エネルギー消費がある時期から減少を始めたと言う統計を示した識者がいた。省エネの努力をしない中国で、エネルギー消費が減少すれば、GDPも減少しているはずだ、というのである。

だが中国では政府が、今年のGDP成長目標が7%だと宣言すれば、地方行政機関はそれに合わせた経済統計を発表しなければならないのである。もしかすると、深釧特区が成功して、急激に沿岸地方に外国資本が入ってきて、中国経済が急成長を始めたころは、実態と公表の差は、それほど大きく無かったのかも知れない。それは元の経済力が極小だったから、相対的に大きな成長に見えただけである。

しかし、一渡り外国資本が入りきると成長は鈍化する。しかし、中国政府はメンツがあるから、成長が鈍化したとは言えず、惰性で誇大な成長率を発表し続けたのではないか。実際、内陸部自体は経済成長は少ない。改革開放の恩恵を受けたのは沿岸地方だけである。人口の大部分は経済成長していない部分に属する。だから中国全体が、いつまでも大きな経済成長を続けられるはずがないのである。

おそらく日本人並みの生活ができるのは、一億人もいまい。その上、一千万とか二千万人程度のごくわずかな人々が、平均的日本人には考えられない資産と収入がある。結局、経済規模の実態が大したことがないから、経済がだめになったところで、被害は大きくないのではないか。例えば100あったものが10になれば大変だが、元々12,3しかなかったものが10になっても大したことがないということである。だから中国経済が減速したからといって、中国経済も中国も簡単には崩壊しないのである。

以前から中国人の爆買いが話題になっている。彼等は大金持ちだと思われている。変だと思わないのだろうか。彼等は電気製品でも何でも、同じようなものを大量に買っているのである。どう考えても買った本人が、そんなに沢山使うはずがない。持って帰って売るのである。そう考えなければ辻褄が合わない。

日本で爆買いをする人たちの周囲には、それを買うことが出来る程度の購買力がある人たちがいるのである。つまり彼等は旅費をかけても、爆買いの商品を売れば割に合うのである。結局彼等は、爆買いの商品を買った金額と旅費に見合った、大金持ちというわけではない。爆買いで金を稼いでいるだけなのである。

これも中国経済の実体が大したことがないことを暗示している。しかも爆買いが中国経済の減速によって止んだ、ということも聞かない。減ったかもしれないが爆買いはある。これも爆買いが日本の商品を買って中国国内で売る商売だと言うことの証明である。

小生は歴史の教訓から中国はいずれ混乱と分裂状態になると考えている。しかし、今その時期が迫っているように思われない。しかも中国は清朝崩壊以後、皇帝がいなくなった。毛沢東などのトップを皇帝に擬する識者も多い。しかし、そのアナロジーが正しく、中共という王朝体制が存在して、歴史が繰り返しているのか、小生には判断できない。

ただ言えるのは支那人の民度からして、いくら工場ができ、機械製品を大量に生産し、ロケットを飛ばそうと、未だに中国は近代社会ではない、ということである。だから名目上の皇帝がいなくなっても、過去の歴史のサイクルから完全に離脱したとも言えない。


「南京事件」の探究・再考

2015-10-24 14:47:49 | 自虐史観

 美津島氏という方のホームページで、小生の「『南京事件』の探究」の書評を引用していただいた。そこで、以前にも書いたが「南京事件」という言葉について論考してみようと思う。

まず「南京大虐殺」と言う言葉は、プロパガンダの用語であって、歴史上の事件に使われるものとしては不適切であると考える。しからば「南京事件」である。歴史上の事件である、というからには、特異なもの或は歴史上の意義を有するものでなければならない。「南京事件」とは、南京攻略戦の際に日本軍が犯した、不法殺害、略奪、強姦、放火などの行為をいうものとされるのが、一般的認識であろう。

しかし、都市攻略において、一般民衆が存在する限りにおいて、これらの行為は皆無ということはない。米軍の沖縄攻略戦やマニラ攻略戦においても、南京におけるより遥かに大きな規模で、これらの不法行為がなされている。米軍はフィリピンの民間人を不必要に殺し過ぎた、と陰口を言うフィリピン人はいる。それならばなぜ「那覇事件」や「マニラ事件」と呼称されないのであろうか。

根本的原因は米軍が勝者で、日本やフィリピンがそのような事件を取り上げることが許されないからである。しかし、米国は、一般民衆が巻き込まれた以上、戦闘の被害は生じるし、強姦事件もあったが、偶発的で仕方ない程度であった、という弁解位用意している。現に「天王山」という本で米国人の著者は「米軍にも残虐行為はあったが、日本軍よりましだった」と言う主旨でうそぶいている。

被害に遭った人たちからすれば、仕方ない程度、などと言う言葉は許せるものではない。だが国際法適用上の現実なのではある。国際法の大家の立作太郎氏の「支那事変国際法論」でも、戦闘中に非戦闘員が被害にあう場合で、国際法上許される限界に言及している。南京攻略での日本軍行為は多くの場合、国際法上合法か、不法があっても極めて小規模であって、都市攻略の際の状況としては特別なものではない。日本軍の南京の攻略の歴史的意義は、中華民国の首都が日本軍によって占領され、蒋介石が首都を簡単に放棄して逃亡したことにある。すなわち歴史上は「南京攻略」である。

確かに松井大将は不法行為を嘆いたが、敵国首都攻略という重大時の際に、大将は完璧に不法行為を防止しえなかったことを言っているのであって、潔癖がなせる発言である。故に歴史上、戦史上も南京攻略戦における不法行為は「事件」と呼ばれるべきものではなかった。従って小生は資料の引用等やむを得ないとき以外は「南京大虐殺」はもちろん「南京事件」とも言わない。南京大虐殺などはプロパガンダに過ぎない、という人達ですら「南京事件」と言う人がいるが、それは南京攻略の際に、日本軍が歴史上の事件と言うべき不法行為をした、と認めてしまっているのである。

むしろ、敗戦直後のドイツで、米ソ軍が行った、何十万という規模の強姦と、百万単位の殺害の方が、なぜ歴史的事件として取り上げられないのか怪しむ。日本に於いても、敗戦直後関東地方だけでも、万単位の強姦事件があった。もちろん市民殺害もである。しかも日独で行われた連合国の犯罪は、戦闘が完全に収束して、勝者が完全に支配している中で行われた悪質な事件であった。人道的な米軍などと言う言葉は、GHQの洗脳である。日本人は米軍が占領中に行った、多くの不法行為を忘れてはならない。むろん、小生は反米感情を抱き続けよ、と言っているのではない。事実を忘れるべきではない、といっているのである。


書評・明治維新という過ち・原田伊織

2015-10-21 21:38:51 | 維新

 タイトルが刺激的で、図書館で何か月も待って借りた。ただ、興味があったので、結局読後に書店で買ったのだった。本を買う場合には、引用するため辞書的に使うため手持ちにしておきたい場合が多いが、本書はチェックして確かめたいところが多かったからである。意見は異なるが、ともかく面白い本だった。

 確かに巻末に参考文献等があるが、結論が断定的で、どういう検討を加えたかが不分明で、正しいかどうか俄かには分からない。その点西尾幹二氏のGHQ焚書図書開封シリーズは、焚書されたものを紹介するのが目的なので当然であろうが、論拠が明確である。そして幸い、シリーズの11で「維新の源流としての水戸学」、というのが刊行され、色々な文献から水戸学について述べている。結論から言うと本書の対極にある。

 ところで吉田松陰がロシア軍艦に乗り込もうとしたのは、プチャーチン暗殺説があり、アメリカ軍艦に乗り込んだ件もペリー暗殺説が根強い(P120)と述べるのだが、論拠が不明で、真偽を閲した様子がなく、言いっぱなしである。これが、吉田松陰がテロ思想が強かったと言うひとつの論拠になっているから、軽々に扱うのはおかしい。読者への印象操作と言われても仕方ない。ただ、ロシア軍艦乗り込み失敗と、米艦密航失敗を幕府に自首した経緯を推測しているだけなのである。

 水戸学批判は強烈なのだが、水戸学の歴史改竄の例として、神功皇后を実在の皇妃として扱ったこと、壬申の乱で敗れて死んだ大友皇子を天皇として扱って「弘文天皇」という諡号を作ったことを例に挙げている(P186)。しかし神功皇后が実在ではない、という説は、朝鮮出兵で活躍したために、戦後の歴史学会が韓国などに遠慮して、実在ではないと変更したものである。

 それなのに実在ではないと言う証明は一言もしていない。光圀が実子を兄弟同士で交換したことが、史記列伝の故事を真似したことが、支那かぶれであり、かぶれ体質が諡号を勝手に作ったことに繋がるかのような印象操作をしていて、大友皇子が即位していない、という証明もない。西尾氏の焚書シリーズ11にはこのあたりの経緯がきちんと書かれている(P90)のに比べお粗末である。同書によれば諡号を賜ったのは明治天皇だそうである。

 同書によれば、大日本史の三大特徴は、先の2件と、南朝正統説だそうである。もし、水戸学が明治維新のため薩長に利用されたとすれば、明治天皇も含め、北朝の系統であるから、矛盾している、と言わざるを得ない。ちなみに大日本史を献上された「北朝」の天皇はお褒めの言葉を賜ったそうである。

 水戸の浪士による井伊直弼暗殺を狂気のテロだと断言し、司馬遼太郎は一切のテロには反対するが、桜田門外の変だけは歴史を進展させた珍しい例外、とするのを「驚くべき稚拙な詭弁(P186)」とする。薩長による暗殺事件も同様に狂気のテロリスト、として断固として非難する。それもこれも全て吉田松陰のテロ教育や水戸学の影響だとする。

 これはテロの定義と維新の意義次第であろう。著者によれば維新政府はだめで、幕府には有能な官僚がいたから、幕府改革で立派な国が作れたはずだと主張する。つまり維新自体を否定することが、テロと断定する根拠になっているように思われる。だが、現代国際法では、ゲリラによる戦争を認めている。もちろんゲリラが単なる民間人を殺害すればテロである。

 井伊直弼は政治家であると同時に武士、すなわち軍人である。しかも警護の武士を排除して暗殺したのである。これはゲリラによる戦闘行為であり、単なるテロではないと言えまいか。現代の国際法のゲリラが戦闘を認められる条件のひとつは、公然と武器を携行していることである。井伊大老を殺害した武士たちは公然と切り込んだのである。また明治維新を革命と考えればよいのである。著者のいうごとく、維新政府はだめで、幕政改革が正解であったと仮定しても、薩長が幕藩体制はもうだめで、討幕しかないと判断して行動したのなら革命である。革命は成功すれば正統となるのである。

 単なるクーデター説も、西尾氏は下級武士が上級武士の体制を覆したから革命と言える、というがその通りである。維新の志士と呼ばれる者たちの多くは、元々武士ではなかったり、辛うじて武士の末端にいたのである。その点、著者は下級武士や成り上がり武士の、残忍な行動を非難し、そのようなことをするのは、正統な武士ではないからと断ずる。

 残忍な行動は絶対に肯定すべきではないが、正統な武士なら品性のある行動をするとは言えないのである。現に武士の頂点にいるはずの、水戸光圀の女癖の悪さや殺人癖を、著者は口を極めて非難しているではないか。

著者自身が昭和30年代の子供のころ、母から切腹の作法を教わって、恐怖に慄いた、という体験(P240)を記している。武士の躾は、常に死を前提としたところから始まる、というのだが、前述のように著者は武士の身分の高低を、人間の品性の上下に関連づけている。P264には、会津における。政府軍の酸鼻極まる行為を述べている。それを「奇兵隊や人足たちのならず者集団」も行ったという。奇兵隊にも武士上がりでは無い者がいるというのだ。他の著書でも切腹の作法の話が出てくるが、自分は下賤な者ではないと言いたいのだろうとしかとれない。小生の家にも昔の名残の大刀があった。しかし、祖父が鉈代わりに使うため、ごく短く折られて研いであったという無残な始末であった。今は農家でもかつては武士であったという気概はとうに失われていたのである。

 そしてはっきりと「明治維新とは、下層階級の者が成し遂げた革命であると、美しく語られてきた。表面は確かにその通りであるが、下級の士分の者であったからこそ、下劣な手段に抵抗を感じなかったといえるのではないか。平成日本人は、この種のリアリズムを極端に蔑視するが、これは否定し難い『本性』の問題である。(P60)」と断ずる。

 下層階級の本性は下劣な手段を平気でする、とまで言っているのだ。ところが、これに続けて「動乱とは概してそういうものであろう」と述べているのは、かえって奇異に感じる。下賤のものの本性はともかく、動乱は綺麗ごとばかりではないのは当然で、綺麗ごと以外は絶対にするな、というなら動乱はあり得ない。いかな結果が正しい変革であっても、醜いものは潜んでいる。政治は綺麗事だけではないのは当然である。著者は会津の人間は完全無欠であるかのごとく言うが、そうではあるまい。確率は低くても会津武士にもろくでなしはいたのである。

 西郷隆盛は赤報隊を結成した。その赤報隊は江戸で蛮行を行った。ところが西郷に関しては、福澤諭吉は「・・・武力による抵抗は自分の主義とは違うとしながらも、西郷の『抵抗の精神』を評価している。・・・西郷の『抵抗』については、一度御一新と言う形で成功したものであり、その際は最大の功労者としてもち上げながら、新政府に反旗を翻すや一転『賊』として非難するとは、何を根拠にしているのかと怒る。・・・西郷という"天下の人物"を生かす対処の仕方があっただろうが、と嘆く。」

 赤報隊の件のように、西郷も権謀術策を用いる人物であったことはよく知られている。赤報隊の蛮行を口を極めて非難しながら、西郷を称揚しているのは矛盾も甚だしい。久坂玄瑞や高杉晋作などは、「・・・松陰の「遺志」を継いだ”跳ね上がり”(P123)」と断ずるのと大きな違いである。薩長同盟して維新をしたのに、薩摩、特に西郷については格段の配慮をしているとしか思えない。

 確かに、最初の方のP60には西郷が「上級士分の者であったなら、こういう手を打っただろうか。」とか「西郷隆盛という人物は、本来正義感の強い男であるとみられている。但し、それは一定以上の安定がもたらされた場合に発揮される、ごく普通の良心程度のものであったということになる。」とけっこうこき下ろしている。ところが、その後で福澤諭吉を引用して評価を変えているように思われるのである。いずれにしても著者には、下層階級は品性が卑しいと言う持論がある、としか思えない。

 維新以後の日本を侵略国呼ばわりしているのも理解不能である。何故侵略国呼ばわりするのか、説明がないので何とも言いようがない。この本の範囲内では、侵略国呼ばわりしているのは、維新が「過ち」であると言いたいがために使われているのである。「私たちは、明治から昭和にかけての軍国主義の侵略史(P125)」と断言している。

その淵源を松陰が「北海道を開拓し、カムチャッカからオホーツク一帯を占拠し、琉球を日本領とし、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有すべき」と主張していたことに求めている。「松陰が主張した通り・・・軍事進出して国家を滅ぼした(P124)」というのである。

この北海道以下の進出説は著者が書くのとは異なり「余り語られていない」ものではなく、後述のように松陰侵略主義説は余り語られていないものではない。ともかく、松陰の主張によって維新以降の政治軍事外交が決定された訳ではない、というのは事実を閲すれば分かる。どう考えても日本は主体的に動いたのではなく、世界史の中の駒として動いたのである。

この点については、桐原健真氏が「吉田松陰」で論じている。氏は原田氏が引用した部分について、松陰の侵略主義と一般には非難されることに反論している。「・・・カムチャツカからルソンにいたるこれらアジア地域の多くが、当時、主権国家の境界がいまだ明確に確定されていない、いわゆる辺境の地あったという点である。」(同書P94)

無主の地とはいえ、先住民がいて、その地に「進取の勢を示す」ことは侵略である、と留保するのだが、紹介した部分は同氏が敷衍しているように重要な指摘であって、日本が近代国家の仲間に入らざるを得ないとすれば、周辺の国境を画定していかなければならないのである。何も欧米諸国がしたように、経済的利益を目的に地球の反対側まで侵略に行ったのではない

「・・・慶喜が想定したようなイギリス型公議体制を創り上げ、・・・これらの優秀な官僚群がそれぞれの分を果していけば・・・長州・薩摩の創った軍国主義国家ではなく、スイスや北欧諸国に類似した独自の立憲国家に変貌した可能性は十分に(P180)」あるというのだ。倉山満氏らの言う通り、日本は軍国主義国家ですらなかった。軍部独裁、というがドイツと異なり憲法は最後まで機能していた。

なるほど幕府の根本的改革による国造りの可能性はあったのかも知れない。しかし、その理想がスイスや北欧である、というのはいただけない。著者も国際関係とは関係なく、日本の意思次第で、日本の政治外交がどうにでもなつていった、という考えを無意識に持っていると思われる。スイスや北欧は共通点のある、ヨーロッパ諸国の中に位置している。そのことを無視して、日本がスイスや北欧のような国を目指すのは無理なのである。

日本の今日があるのは、悪戦苦闘の結果、欧米の植民地がほとんど解放された、という結果による。日本だけがアジアの諸地域を無視して、理想の国を創ろうとしても、そうは欧米やロシアはさせてくれない、という地政学的条件がある。維新から大東亜戦争の敗戦と、その後のアジアの独立運動への参加など、日本人の苦衷と努力と成果にあまりにも、同情がなさすぎる、と言わざるを得ない。同情とはお可哀そうにということではない。厳しい境遇に共感する、ということである。長谷川三千子氏が林房雄の「大東亜戦争肯定論」を後世の日本人に勇気を与える、というようなことを言ったのとは、大違いである。

そもそも、大日本史を中心とした水戸学がテロを正当化したものであり「『大日本史』が如何にナンセンスであるか、如何にテロリズムを助長したものであった(P147)」という断定の根拠が分からないのである。根拠と言えば大日本史の発案者の水戸光圀が女狂いであり、人殺しを趣味としていたとか、水戸藩の人間がテロを行ったとか、水戸藩の財政が苦しく藩政は苛斂誅求であった言うことが、延々と書かれているだけであろう。水戸学の内容について検討した形跡がなく、山内氏や中村氏、その他の学者や識者が、水戸学を批判している結論だけ引用しているのである。

本書では藩主斉昭について、横井小楠や竹越三叉が「道理を見極めない」「無責任な扇動家」その他色々な言葉で口を極めて非難している(P159)という。ところが、西尾氏の前掲書によれば、「小楠の如きは、『当時諸藩中にて虎之助(藤田東湖)程の男はなかるべし』と感嘆している。」と絶賛に近いことを言っている(P207)という。

東湖はある時期水戸学の中心人物で、斉昭はその上司であり、一時は讒言により斉昭から疎まれたが、最終的には信頼されているから、斉昭と東湖の評価がこれほど違うのはおかしいのである。なお、西尾氏は水戸学を手放しで称揚しているわけではなく、テロの問題も、水戸学の狭量で貧しい面があることも指摘している。評価が単純ではなく、重層的なのである。

前述のように、慶喜が想定したようなイギリス型公議体制を称揚していながら、P145などで「武家の棟梁としての低劣さ」と言って慶喜批判をしているのがよく分からない。確かに政治家と武家の棟梁としての資質と言うのは、イコールではないが、「低劣」とまで断言される部分が多いと言う人間の政治的資質を理想化するのは、奇異である。面白い本ではあり、得るところも多いが、ともかくも根拠の薄い、一方的断定の多すぎるのも事実だと思う。

当たり前だが、人間というものは善悪で一刀両断できない。時代背景というものもあろう。後年人格者と称揚された乃木希典も若い頃は飲んだくれて、女遊びに明け暮れるろくでなしの毎日であった。鬼平こと長谷川平蔵も、若い頃は似たようなもので、多分泥棒やそれ以上の犯罪に手を染めていた。

この本を読まれた方は、紹介した西尾幹二氏のGHQ焚書図書開封11と桐原健真氏の「吉田松陰」をあわせて読んで、自ら考えることをお勧めする。


日本統治論

2015-10-19 12:46:49 | 歴史

 天皇は日本人の精神を体現したもの御方である。だから権威の賦与者である。初期は天皇ご自身が部族の長であって、政治と軍事を司っていた時代があり、現在天皇の諡号がある御方にもそのような人物がいたのである。だが、生前のにおいて天皇と呼ばれるようになってからは、既に親政は行われず、前述のような権威の賦与者となっていたのであろう。例外のひとりは後醍醐天皇である。

 従って、天皇は国策の決定者ではない。大統領ではないのである。現実に日露戦争も大東亜戦争も、開戦は天皇の御意思に反していたと考えられている。ところで「明治維新という過ち」という本で、孝明天皇その人が討幕どころか、「尊王佐幕派」であったので、この人がいる限り武力討幕はできなくなる、として、薩長による天皇暗殺の可能性を示唆している。孝明天皇弑逆説は案外根強いのである。

 なるほど、孝明天皇が佐幕の意思を明確にしていて、それを実行しようとしていた、とするならば、天皇が邪魔である、という考えをするものがいても不思議ではない。だが、天皇ご自身が国策を実行する一種の親政は、後醍醐天皇のように例外であり、当時すでに天皇のあり方としてはおかしいのである。過去にも、平氏は安徳天皇を奉じていたが、源氏は後白河上皇に平家討伐の許可を得て、平家を滅ぼし、安徳天皇は入水して崩御された。

 この時本格的に武家政権が登場して、徳川幕府もその系譜に属する。孝明天皇のご意思に反する薩長の討幕が正統性を欠く、というなら、それ以前に武家政権は出発の鎌倉幕府で既に正統性を欠いていることになる。やはり天皇は政策に関与しない、というのが明治以前でも日本の憲政(明文化はされていないが)の常道となっていたというべきである。

 開戦の決定は国策だから、天皇が御決定になることではなかった。しかし、終戦時点においては、日本民族が滅びるか否かの状況に追い込まれていた。日本民族は滅びてはならないという、日本人の精神を体現した天皇が、敗戦を受け入れる決定をした、ということは究極的には、国策の決定ではないと言っていい。二二六事件の討伐の指示については、昭和天皇ご自身が政治に関与したことを悔いておられる。それと反乱軍討伐の判断が正しかった、ということとは別なのである。

 二二六事件の首謀者は君側の奸排除などと、天皇親政のごときことをも言ってはいるが、結局は親政の具体的アイデアがあったわけではなく、政党や財閥の腐敗を正し、農民など庶民の貧窮を助けることができる内閣を求めていただけであろうと思う。

 天皇や皇室というのは誠に微妙なシステムであり、時の政権に権威を賦与する、と言ってもその方法や決定には難しいものがある。実際の政治は幕府に任せたはずなのに、開国の勅許がない、といって井伊直弼は非難されたし、源氏は天皇を擁する平氏を攻めたのである。結局天皇は政権奪取というような政治には関与せず、成立した政権に正統性を与えるだけであった。天皇陛下の御希望は、国家国民の安寧というより他ない。そのようなことができる政権を正統と認めるのである。政治は結果論である。

 前出の「明治維新という過ち」では、幕府の改革によって、スイスやスェーデンのような良い国家になる可能性があり、薩長閥に支配された明治政府とその後継者は、吉田松陰の語る侵略戦争に邁進する、という間違いを犯した、というのであるが、このことについては、それ以上書かれていないので具体的に評価できない。

 一般論として言えるのは、明治から昭和まで戦争に明け暮れた日本は、侵略戦争をしたのではない。それは大東亜戦争肯定論や、西尾幹二氏の説のとおりである。また、アジア諸地域を欧米の植民地として残して、日本だけが安泰な国家として生きながらえられるとも思えないし、その道を目指すのが正しいとも思えないのである。これについては別に論ずる。

 

 


書評「戦後」を克服すべし・長谷川三千子。國民會叢書八十九

2015-10-18 12:56:23 | GHQ

 何とも意外だったのは、厚さ五ミリになるかならないかの薄い冊子だったことである。昭和二十一年の「年頭詔書」、いわゆる人間宣言、についての講演録である。長谷川氏にしては珍しく現代仮名遣いである。なるほど日本国憲法は、GHQが草案を作り、日本側が翻訳しても、気に入らなければ直させる、という到底一国の憲法とは言えないものである(P3)。

 ところが、詔書の方は微妙で、GHQは天皇への絶対的な信頼を崩すために、天皇ご自身から神格を否定する詔書を出させたい、という意向を政府に伝える。(P9)すると、命令の書類もないにも拘わらず、教育勅語の廃止と同様に日本側は抵抗するどころか、GHQの意向を忖度して、内閣が作業をしてしまう、という情けない顛末なのである。

 天皇陛下ご自身のご見解を「民間人の言い方で言い直すなら『神格の問題についてはあの詔書は全くダメでした。だから私なりの修正として五箇条の御誓文の追加を指示しました』ということになる。(P19)」。つまり、間違っていると否定することは、天皇のお立場としては、してはならぬので、文の追加の指示によって実質的に間違いを直そうとしたのである。

 西洋流の民主主義は上と下が争うものだが、日本型民主主義では上と下とが心を一つにして政治と経済の活動に励む、というのだが、その国体を表現したものが、五箇条の御誓文であるということである。(P25)

 ところが、「天皇ヲ以テ現人神トシ・・・」と続く神格の否定の部分がまずい、というのである。現人神とは一神教の絶対神ではない。かといって単なる人ではない。かの吉本隆明が想い出話を語って「私はとにかく家族のため、祖国のために死ぬというのは、これは中途半端だと思った。しかし生き神様のためなら命を捧げられると思って戦争中を過ごしていた」と語った(P27)のだが、生き神様こそが伝統的な言葉で「現人神」というのである。

 天皇が現人神である、というのが詔書のように「架空の観念」だとしてしまえば、吉本少年の生き方は架空の観念によるものに過ぎない、ということになってしまう。結局、神という言葉を、日本にないGodと言う言葉と混同したことによるものである。著者は、この間違いは、幣原喜重郎の英文草稿のdevineと言う言葉に発していると言う。

devineとは「神的な・神の」とは訳すが、西洋人の感覚では人間と一神教の神とは別なものである。だから明確にGodと書いて「天皇を以て絶対神とし・・・」と訳せばよかったのである。たしかにそうすれば、国民が天皇を生き神様でないと言われてしまった、と誤解することもなく、GHQにしても唯一絶対神以外に神はいないのだから、納得したであろう。

長谷川氏は、結論を導くのに旧約聖書の話を持ち出しているのだが、長いので引用せず、結論だけ要約する。西洋の神様は人間に命を差し出すよう要求する。しかし日本の神々はそんなことはしない。しかし、「大君の辺にこそ死なめ」と自分で犠牲になる。戦争で多くの人が死に、終戦の時、国民が死の決意を固めていた。それを受け取るのを天皇陛下は拒否したのではなく、気持ちは確かに受け取った。

だから「いくさとめにけり身はいかにならむとも」とご自身の命を投げ出すこともいとわなかった。「それが『終戦』の意味なのです」(P39)と言う。三島由紀夫の書いたように、人間宣言を聞いて英霊が「などてすめらぎは人間となりたまいし」と質問したら、答えは「人間であるからこそ、朕は命を投げ出すということが可能になった」とお答えになるのだろうというのである。

絶対神は自分の命を投げ出すことができない。ところが日本の神はできる。確かに記紀でも神々は死んでいる。だから前述のように、この詔書はとんでもない間違いがある、と同時に敗戦後の日本の大逆転の可能性をも秘めている、というのが著者の結論である。ということでこの本のタイトルにつながるのである。相変わらず長谷川氏は、深読みの得意な人である。だからこの書評も充分に著者の意を現してはいない。

ひとつ付言する。東大法学部の出身で、論理的に見るトレーニングをしてきたはずの、三島由紀夫ともあろうものが何故「などてすめらぎは人間となりたまいし」と誤解して怒ったのだろう、というのである。長谷川氏は三島が究極的には、人間宣言に怒っているのではなく、本当の意味は分かっているのだ、という。

だが、東大法学部の出身で、論理的に見るトレーニングをしてきた人間が、物事を正確に把握できるはず、ということ自体がおかしいのである。東大法学部の出身であるから、ということはどうでもよい。論理的に見るトレーニングを十二分にしてきたはずの、多くの左翼人士は、見事にGHQの洗脳にひっかかって、憲法九条を絶対視するなど、多くのとんでもない間違いをしている人たちは珍しくはない。

そもそも論理と言うものは、絶対的真理を必要としない。例えば公理系というのは、仮説の一種であるいくつかの命題を提示するが、これを公理という。それを論理的に展開して作られた世界が公理系である。論理が整合していれば、公理系が成立して定理が導かれる。前提となる「公理」が絶対的に正しいか否かは問題とはならない。だから二乗したら負の数になる、とう虚数の数学の世界も成立するのである。ところが、実世界にはあり得ない虚数の世界を使えば、流体力学その他各種の現象の解析に有効で、航空機の設計をはじめとする色々な、実世界方面に利用できるのである。

人が誤判断するのは、必ずしも論理的に考える能力が劣るからではない。論理構成する前提となる事実に誤りがあることに気づかなければ、誤判断する結果となる。ある書物に書いてある間違ったことを正しい、と信じてしまえば、いくらその後の論理展開が正しくても、間違った結論が導かれるのである。


国鉄分割民営化の目的とは?

2015-10-17 20:01:59 | 共産主義

 平成27年10月1日から日経新聞の、私の履歴書というコーナーにJR東海名誉会長の葛西敬之氏の連載が始まった。驚いたのは、当事者が自ら国鉄分割民営化の本当の目的を正面から書いていることだった。分割民営化の議論が行われている当時からの、小生の推測とぴたりと一致したのである。小生はごく自然だと思っていたが、仕事関係の知人に話すと、意外だと言う顔をされたが、考えは変わらなかった。

 連載一回目から書いている。氏は、静岡と仙台に勤務して、国鉄の職場の崩壊を目の当たりにした。労組と当局の悪慣行がはびこる実態を目にして、「国鉄の再生には分割民営化しかない」という確信を持った、というのだ。要するに、国鉄をダメにした労組の力を削ぐには、分割民営化しかない、ということである。

 分割することによって労組の組織を小さくし、民営化して利益感覚を持たせることによって、労組の横暴を自然に止める、ということである。静岡鉄道管理局の総務部長に就任した氏には早速、一人の新人の配属先を動労の要求により替えろ、本社から指示があった。突っぱねると、ストライキをやられて多数の客に迷惑をかける、と言われたが、それでも断り、東京の動労幹部から電話があって、これも断ると、「お前と話してもダメらしいな。後は戦場でまみえよう。」ときつい口調で言われた。

 すると動労は病気と称して集団欠勤したので、国労幹部に話して、乗務をかわってもらって解決した、というのである。仙台では助役たちを虐めたり、威嚇して、仕事をさぼる悪慣行を認めさせた、というので、早速、氏は悪慣行の廃止を宣言すると、無断欠勤を始めたというのである。

 すると氏は、働かないから、といって次々と賃金カットをしたというからすごい。本社のキャリア組は組合の筋の通らない要求に屈したり、水面下で労組幹部と手を結び、見逃していた結果が国鉄の惨状をもたらした、というのだ。だから現場の管理職や良心的な組合員は、キャリア組に不信感を持っていたのだが、氏は実行力で信頼されるようになった、というのは当然であろう。

 小生も高松にいたころ、ある会合の後の飲み会で、国鉄の現場管理職の愚痴を聞いた。愚痴は労組批判ではなく、二、三年で転勤してしまうキャリア組が、トラブルを恐れて労組となれ合うことに対する批判であった。だから氏の言うことはよく分かるのである。国鉄の惨状が色々書かれているが、氏の勇気には敬服する他ない。小生も労組の威嚇などにあった経験があるが、筋を曲げることはなかったつもりだが、本当の信念を通すことはできなかった。二十年経っても、当時の経験を氏のように新聞どころか、ブログ程度のものにすら公表する勇気すらないのである。氏の勇気には敬服する。


池上彰氏の民主主義危機論

2015-10-10 16:05:06 | Weblog

 平成27年9月28日の日経新聞に池上氏が、安保法案の採決について、60年安保との比較論を書いていた。事実関係に誤りはないのだが、都合のよい部分だけ取り上げている。60年安保は、一方的なものだったのを改正する良いものだったから、当初は一般市民は反対しなかったのだが、衆議院で座り込む反対派議員をごぼう抜きにして強行採決したから、民主主義の危機だと怒った学生や市民が国会を取り囲んだ、という。強行採決したのは、米大統領の訪日に合わせて条約の批准書を交換するため、急いだからである、というのだ。

 ここに書かれたことに間違いはない。ところが、結果ばかりで原因が書かれてないのである。強行採決しなければならなかったのは、急いだせいばかりではない。反対派議員が物理的に採決できないように妨害したからである。良き改定である、というのなら、何故反対派議員はそこまでしたのだろうか、という疑問を持たないのだろうか。

 当時は冷戦の時代である。反対の理由のひとつは戦争に巻き込まれる、というものであり、強行採決以前から、いわゆる市民にも反対運動はあった。今では、ソ連が日米同盟を阻止するために、社会党、共産党、総評などに指示と援助を与えて、反対させたことが明らかにらされている。この中には、事実上のソ連のスパイである、誓約帰国者も含まれている。

 国会周辺のデモの学生にも、多数の過激派が含まれている。デモは単に民主主義を守る、というのに限られず、反米闘争の様相を帯びていたのである。つまり根本的には、米ソの冷戦に巻き込まれたのであるが、池上氏は語らない。

 池上氏が60年安保闘争を持ち出したのは、今回の安保法制のデモとのアナロジーを言いたかったのである。自民党が今回も衆議院で強行採決した結果、若者たちが民主主義の危機だ、と感じてデモに集まった、というのである。その上安倍総理は米国議会で、夏までに安保関連法案を成立させると演説したから採決を急いだ、という類似点もあるという。

 この経緯にも、池上氏が書かないことがある。衆議院での審議の際に、民主党は自民党の渡辺衆議院議員への妨害作戦計画のメモまで作って妨害し、怪我までさせたのである。強行採決が民主主義の危機だ、というが、事前に審議妨害計画まで立てて、賛成派議員に怪我をさせることが、民主主義の危機でなくて、何だろう。

 参議院でも、反対派議員は自民党の女性議員を投げ飛ばし、怪我をさせている。混乱の中で自民党議員も暴力をふるったとされるが、程度は遥かに軽い。国会の中であろうと外であろうと、人に暴力をふるって怪我をさせるのは、明白な犯罪である。まして、法律を作る国会議員が犯罪を公然と犯すのは、それこそ民主主義の破壊である。民主党は、国会の中での暴力行為は犯罪ではない、という法律でも作るが良かろう

 採決を急いだ、というが今回の国会は戦後最長で、いくつかの法案の審議も止めたのであるから、短期の審議ではないどころか、充分時間はかけている。しかし野党は、戦争法案だとか徴兵制になる、とかレッテル貼りや虚偽で混乱させるだけで、内容の実質審議は極めて少ないものになった。議会の機能を著しく低下させる行為である。強行採決が民主主義の危機だと言うが、そもそも法的手続きに則って審議可決するのを、物理的に阻止することこそ、議会制民主主義の破壊であろう。

 60年安保の際には、良き改定だったから市民の反対は盛り上がらなかったが、強行採決したから、デモが広がったと池上氏は言う。ところが当時デモに参加した人たちは、良い改定であった、などというものはなかったのである。池上氏が良い改定だったと言うのは、現時点だから言える言葉である。

 それならば、池上氏は安保関連法は良いものなのに、強行採決したからデモが広がった、とでも言うのだろうか。そうではない。このコラムでは60年安保では良否の評価をしたのに、今回の件では評価をしないのである。池上氏はこのコラムでは、評価していないが、別のところでは評価を下しているのに違いないのであるのに。

 また、安保改定が終わると、国民の政治への関心は急速に薄れ、高度経済成長に国民の関心が移ったと言って、同様に「今後はアベノミクスを前面に出せば、国民は政治を忘れ、経済に関心を移す」と安倍首相はきっとこう思っていると断言する。総理を馬鹿にした話だが、結局は国民も馬鹿にしている。日本国民は経済に目を奪われて、政治を忘れた、という愚かな行為をした実績がある、と言っているのである。

 


書評・膨張するドイツの衝撃 西尾幹二・川口マーン恵美

2015-10-05 13:16:00 | Weblog

 エマニュエル・トッドというフランス人が書いた本とよく似た内容を思わせるタイトルである。ところが、読んでみると、意外やドイツが膨張して帝国化する、ということはたいして書かれていないのである。それどころか、ドイツがホロコースト後遺症に悩まされていて、悲惨な状態にある、という印象の方が強い。それでも、二人はドイツの事情に詳しいから、本としては興味深い。ドイツの事情を日本人がいかに知らないか、よく分かる。

 ナチスドイツが第三帝国と呼ばれたのは、神聖ローマ帝国、ビスマルクのドイツ帝国の次だからだ(P4)そうである。神聖ローマ帝国がドイツ帝国だとは、迂闊にも知らなかった。しかも、フランスなどを含み、現在のEUとかなり重複し、帝国を統括する行政機関もナショナリズムもなかったこともEUに似ているのだそうだ。

 だが帝国というものは、行政機関はともかく、ナショナリズムはないものであろう。元朝も清朝も、モンゴルや満洲と言う中央行政機関はあったが、元人や清人と言えるナショナリズムはなかった。米国は多人種国家ではあるが、ナショナリズムらしきものはある。中共は中華民族と言うナショナリズムを鼓吹しているが、成功はすまい。米国と中共の違いは、元や清と同じく中共は、地域別に民族が分布しているのに対して、米国は各地に多民族が入り混じっていることである。だから米国は分裂の可能性は少ないし、ナショナリズムの涵養の可能性はある。

 さて本に戻ると、EUでダントツなのは、ドイツである。残りはドイツのおまけか、利用されているだけであり、ギリシア人のドイツ憎悪は危険な水準にある(P4)のだという。なるほどドイツはホロコーストなどの補償はしたが、戦時賠償はしていないから、ギリシアが苦し紛れに賠償金をよこせ、というのも一理ある。日本と違い、ドイツはどこの国とも講和条約を結んでいないのである。

 日本でドイツに好感を持っている人は多いが、ドイツ人は日本嫌いが多いそうである。日本にある「ドイツ東洋文化研究会」なるものは反日的ドイツ人の集まりで、西尾氏もかつてはよく行ったが、人気のある日本人は反日の知識人、例えば大江健三郎、加藤周一、小田実が歓迎された(P26)そうであり、ドイツ人は彼等を神のように持ち上げていたのだそうだ。

 ドイツと中国の関係については、戦前の軍事顧問派遣など、協力関係があった。ドイツから現在も接近している。にもかかわらず、ドイツを訪れた習近平主席が、ホロコーストの記念館に行きたいと打診した時、メルケル首相は断っている。それは、中国の日本叩きに利用されたくない、という意思表示(P36)だそうである。ドイツが中国に接近するのは、ドイツが中国で被害を受けていないからである。日米は共に、人的経済的に多大な被害を受けている。イギリスなどは、香港人なる人種を作った位だから、儲けていたのだろう。

 情けないのは日本で、岡田克也民主党代表は、メルケル首相と会談した時、メルケル首相が「日韓関係は和解が重要だ」と発言したと述べた。ところが、ドイツ政府は「そんな事実はない」と否定したのだ(P37)。外国政治家の発言を使って嘘をついてまで、自国を貶めようとする岡田氏は、国際水準からは政治家失格である。

 ドイツはユダヤ人虐殺のレッテルを貼られ苦しんでいる。しかし、ドイツも恐ろしい被害を受けている。「ドイツ全体では、ソ連兵による婦女暴行が五十万件、米兵によるものが十九万件とされます・・・ドイツの敗戦が決まってからは、追放されたドイツ人の逃避行がそれに加わり、・・・死者と行方不明者は合わせて三〇〇万人と推計されています。(P107)」 すさまじい数字ではないか。米軍は人道的である、というのは宣伝に過ぎないのだ。

ところがドイツでは最近、マスコミが突如として、敗戦後に受けたドイツ人の迫害を語り始めた、というのだ。それまでは、そういうことを言うと、ホロコーストを持ち出されるので、絶対に言えなかった。ドイツの反撃は始まったのである。川口氏の子供たちはドイツ人だと言うから、ドイツ国籍があるのだろう。ドイツの公式な立場としては、ホロコーストはナチスの犯罪で、法的に一般のドイツ人には関係はないが、同じドイツ人として賠償する責任だけはある、という立場である。

しかし川口氏の子供たちは、自分が生きた時代ではないし、自分がしたわけではないから、なぜ自分たちに賠償責任があるのか、というのだそうである。まして日本人とのハーフである。そして、外国から移民して帰化しても、ドイツ人だから賠償責任がある、などと言われたらたまったものではない、というのは当然であろう。

 日本の戦時の慰安婦問題が、性奴隷として米国で中韓と反日日本人によって宣伝されている。ドイツ国防軍が日本と異なり、直営の売春宿を経営していた(P120)ばかりか、そこで使う売春婦とは、占領地域から女性を拉致して使っていた、というからまさに性奴隷である。ドイツは「『慰安婦』の苦しみの承認と補償」という国会決議をしようとしたが採択されなかった(P119)。それは決議をしようものなら、ドイツ軍の慰安婦制度の悪質さの全貌が出てしまうから、だというのだ。

 ドイツ軍直営の売春宿で、拉致された女性が性奴隷同然に働かされている、という翻訳本は、反日で有名な明石書店からも出されている。それなら明石書店関係者や同書を読んだ反日日本人は、ドイツのひどさと日本の慰安所とは違う、と分かるはずだと思ったが、逆なのであろう。ドイツ軍にもあるのだから、日本軍も同じシステムだろうと思い込むのである。誤解が解けるのではなく、日本軍の「悪逆」をますます確信するのである。

 この本では「EUは明らかに『難民の悲劇』に責任がある(P147)」というのだが、この時はまだシリア難民の大量流入という事態が発生していなかったから、EUは既に難民問題で苦しんでいたのである。EU、特にドイツという豊かな国があれば、水が高いところから低いところに流れるように、自然に難民が発生し、助ければ助けるほど期待して、難民は増える、という。ボートの難民が何百人も死ぬ、という事件が頻発しているのである。

 当時の難民はリビアが多く、予備軍は百万人はいるのだそうだが、リビアから難民が発生したのはNATOが介入してカダフィ政権を倒し、国家が消滅し密航の基地になっているからである。治安は乱れに乱れて、「殺人事件の発生率はカダフィ政権時代のなんと五万倍(!)といいます。こうした現象にEUは責任がないといえるでしょうか?なにが民主主義かと思いますね。(P150)」

 西洋人の発展途上国に対する人道的干渉は、実にエゴイスティック、かつ惨憺たる結果になっている。世界で最も独裁的で、異民族の迫害を大規模に行っている中共を、経済的利益が得られるから丁重に扱っておいて、小悪魔に過ぎない、カダフィやフセインを殺すのである。ドイツは難民問題とともに移民問題もかかえている。帰化したものも含めたら、移民は膨大な数になる。しかも、移民は下層にいるから貧困にあえいでいて、すさんだ生活をしている。だから、移民のいる下層の子供の通う学校は崩壊している。ドイツ人も格差が大きく、そんな学校にしか通えない家庭も多いのである。

 ドイツの膨張を言いながら、ニーチェが「ヨーロッパの没落は二百年後」(P95)と予言し、それは2100年になるのだが、ヨーロッパの終焉が来つつある、という。終焉とは「乱れ果てた廃墟のような土地、貧しく荒れた世界・・・移民になって出稼ぎに外国へでていかねばならないような土地になる」ことだそうである。

 福島原発が被災すると、保守系では反原発を珍しく唱えたのが、西尾氏である。メルケル首相は原発問題でも狡猾である。反原発のSPD政権が野党になると、メルケル首相は原発の稼働年数を12年延長する、という法律を通した。ところが野党ばかりか、国民の反発がすさまじかった。

 これでは以後の選挙にも勝てないし、かといって法律も引っ込められない窮地に陥っていた時起ったのが、福島の事故である。これを奇貨とばかり、メルケルはSPD以上に過激になって、2022年までに全原発を停止すると決定した(P201)。ドイツの脱原発は票欲しさに促進されたのである。

 西尾氏の脱原発の理由には興味があった。川口氏は原発必要論者である。西尾氏は即原発停止ではないが、放射性物質が無害化される技術がない限りは、地震国日本では危険で、各種発電方法のベストミックスを求め、40年後に廃炉になったら、おのずと原発はなくなる、というのである(P211)。

 原発は安いと言われるが、国税による研究開発費、地元対策費、廃棄物処理コストを加えると決して安くはない。西尾氏の不信感の根本は、地震にあるのではなく、原発にかかわる人たちの人間的劣悪さにあるのだという。原発にかかわる人たちとは、東電の幹部、東大の原子力科学者、経産省の幹部、原子力安全委員会委員長、原子力保安院幹部、原発メーカーの幹部など、全てが東大工学部原子力工学科出身者であり、いわゆる東大原子力村の面々だということである。

 米国の原発は元々軍事技術からきているため、「アメリカの原発はそうした軍事システムのうえで稼働していますから、常に最悪を想定し、警戒し、用意しています。(P214)」日本は「軍事的裏付けなしで、ただひたすら「原子力の平和利用」という掛け声のもとに進められてきた日本の原発は“戦後平和主義のシンボル”以外のなにものでもなかった・・・」

 つまり「日本の原発の『安全神話』は、その意味で、戦後日本の平和思想と国防への無関心・・・で形成された一種の“幻想”でした。(P215)」と言われると、保守の権化の西尾氏の言う理由は分かる。ちなみに韓国では海に面して原発があり、外壁に機関銃座があるのだという。テロリストに対して軍隊が守っているのである。これに対して日本の状況はお寒い限りである。

 西尾氏の反原発には興味があったが、一冊わさわざ読むのも、と思っていたので、うまく要約してあって助かった。だが、冒頭に書いた通り、ドイツに関しては、膨張するという迫力よりも、衰退に対してEUによって抗い、ナチスの後遺症で苦しんでいるのが、ようやく脱することを始めた兆候がある、ということが書かれている。小生は、ドイツ統一が成されたら、即動き出すと思ったが、ドイツは慎重だった。

 ドイツと英国が理由は異なるが、EU強化をめざしているが、行き着く先はEU崩壊か、神聖ローマ帝国型に落ち着くか、二択だという。世間の大方の予測は、EUの崩壊であろう。ドイツの利益が大きすぎるし、本来入れるべきではない異質な国家まで入れ過ぎたのである。西尾氏自身も、かなり前から、ドイツはマルクに回帰する、と言っているのである。