毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

軽巡 矢矧1/700 タミヤ

2021-11-30 15:59:06 | プラモコーナー
いうまでもなく、戦艦大和に随伴して、沖縄水上特攻に参加し、ほとんど戦果も挙げることもなく沈没した艦である。矢矧は阿賀野型の3番艦で、最上型に似たシンプルな艦橋構造物が魅力的である。


 実はこの作品、キットも古いが作ったのも相当昔です。艦船をあまり作らない小生が、当時艦船キットに対してひとつだけ不満を持っていました。それは艦橋のガラス窓です。戦艦から駆逐艦まで、窓は凹みで処理されていて、そこに艶消し黒を塗っていたのです。


 それで小生が考えたのは、艦橋の窓部分をばっさり切り抜いて、窓枠部分に伸ばしランナーを0.3mm位にしたものを張り付ける、という手法です。まず駆逐艦の羅針艦橋でやってみました。うまくいったのでいよいよ矢矧に試してみました。という訳で古い作品を敢えて紹介した次第です。


 御覧の通り、拡大写真にすると、伸ばしランナーの接着部分がよく見えてしまいますが、原寸で見ると案外目だないものです。現在のキットでは艦橋の窓を透明パーツにしているものもあるようですが、いずれにしても相当の改良がなされているようで、小生のような工夫は無用のようです。


 那珂などの旧式な5千五百トン級の間延びした艦型もそれなりにクラシックな趣があり、好きなのですが、日本海軍最後の軽巡というべき、阿賀野型の引き締まった贛型はやはり小生は好きです。


 船体後部です。艦船にみられる各種の張線を取り付ける技術はないのですが、クレーンの起伏ワイヤだけは間抜けにならないように、伸ばしランナーで誤魔化しました。艦載機の日の丸とフロートのマーキングは手塗りで案外うまく塗れました。




書評・世界が語る大東亜戦争と東京裁判・吉本貞昭・ハート出版

2021-11-20 20:14:10 | 大東亜戦争

 大東亜戦争と東京裁判について、まず筆者の考えを述べて、その後各種の文献等から日本に対して肯定的な世界各国の著名人等の意見を簡単に紹介する体裁である。

 元中共軍将校の葛西純一氏が盧溝橋事件の中共謀略説の根拠とした人民解放軍の「戦士政治課本」について紹介している(P57)が小生は公刊されている葛西氏の著書は全て読んだつもりだが、まだこの本の記述を見つけていないのが残念である。ところで秦郁彦氏はこの本の存在を否定して、中共謀略説も否定するのだが、本書によると人民出版社の刊行する「毛沢東年譜」によって存在が確認されたと言うのだが、秦氏は保守の論客だと思っていた時期もある小生が愚かであった。

 「戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるのは、民族の魂まで失う、真の亡国である」という例の永野軍令部総長の言葉を紹介しているが本書によればこの発言は昭和十六年九月六日の対米英蘭開戦の決断の時期を決めた御前会議での発言(P77)とのことである。この言葉を他のコラムでも繰り返し引用するのは、全ての日本政府関係者は対米戦に楽観的どころか悲観的であり、軍人たちは必死の覚悟で開戦を決意していたこと、侵略戦争を行うのにこのような決意で臨む国はないことが明瞭に示されているからである。

 通説では近衛内閣が総辞職したのは日米交渉が失敗したからとされているが、本書では、ゾルゲ事件を摘発した吉河検事が、戦後の米下院の公聴会で、ゾルゲ事件との関係が発覚したために責任を問われて総辞職せざるを得なかった(P78)とあるのは納得できる。

 戦後の米戦略爆撃調査団の報告書は特攻の命中率を全期間で18.6%とし、昭和十九年十月から翌三月までに限れば、39%に上り、至近弾として艦艇に損傷を与えたものを入れれば56%となるとしている。さらに昭和二十年四月の統計はそれぞれ、61%と71%となると報告されている。ハルゼーは特攻の戦果は1%であると嘘をついているのだが(P120)それだけ脅威であったのである。別の数字の統計も見たことはあるがいずれにしても命中率は10%は超えているから、通常の雷爆撃より高い数字である。このように被害を数値で算定する冷徹さが米国の特徴であろう。沖縄戦でニミッツが本土の統帥部に特攻機の被害が大きいので上陸を中止し、他方面に向かいたいと打電して拒否された(P121)というのも初めて聞く。

 日本の敗戦で急遽行われたインドネシア独立の式典で、独立宣言文の最後に〇五年八月十七日と書かれていたのは(P123)比較的知られたエピソードであるが、反日の日本人は皇紀二千六百五年を意味する元号を敢えて使用したインドネシアの人たちの想いに心をいたすべきであろう。欧米諸国は現在でも東ティモールをインドネシアから分離したり、アウンサン・スー・チー女史を利用して英国の植民地支配の過酷さを主張した、ミャンマー政府に軍事政権の悪名を冠して経済制裁するなどの悪辣な陰謀を行っているのである。欧米の間接的世界支配はまだ終わっていない。それに比べると中国の恫喝外交は稚拙の極みである。

蛇足だが、ビルマという英語表記の名称は植民地時代に使われていたからだとして、ミャンマーに改めたのは、西欧から軍事政権のレッテルを張られて批難されていた政府である。つまり、英国に逆らったから「軍事政権」というレッテルを貼られたのである。民主化運動と称して反政府運動を起こさせて、それを鎮圧させて「軍事政権」と言ったのである。早い話が英国のマッチポンプである。マッチポンプに使われたのが、アウンサン・スー・チー女史というわけである。女子の主張を注意して聞くがよい。民主化、以外の政策はない。彼女には政治家としての政策も能力もないのである。彼女が大統領になってミャンマーが混乱しようと英国には関係ない。英国に逆らう旧植民地政権はどうなるか、ミャンマー人は知ったのである。彼女の役割は終わった

 次は大東亜戦争に関する世界の人々のコメントである。インド国民軍の少佐が、もし日本が戦争に勝っていたら、アジアの全ての国々が栄えていたと私は思います(P171)と述べている。日本がアジアの植民地を独立させたのは事実であったと認める人ですら、戦争に勝っていたらアジアを独立させたかどうか疑わしいと述べているのだ。戦争に負けた卑しい根性というべきである。どうしてそこまで自身を信じられない悲しい民族になってしまったのだろう。

 台湾の許東方工商専科大学学長は東條を天皇陛下に最も忠実で、私心なく清廉潔白であり、立派な人物だから日本は東條神社を創建すべきだ、と言っているが、なるほどである。今の日本人には考えられない発想である。東條を現代史の最高の偉人と認める小生は感激する発想である。東條神社が創建される日こそ日本が本来の姿に立ち戻る日であるが、それはいつになるだろう。

 米国のジョージ・フリードマンは1920年代後半にアメリカが保護貿易主義になったのが戦争の原因であるとし、日本の選択肢は①大陸から撤退して中国パイのおこぼれを貰うことに甘んじ、絶望的経済破局を迎える②日本が必要とする市場を確保するために軍事的選択をすることである(P187)。その通りどころか、おこぼれにあずかれるかさえ保証がなかった。米英の軍門に下ったアジア諸国の運命をみれば明白である。おこぼれで満足するような民族には容赦なかったのが欧米のやり方である。日本は徹底的に闘ったから相手として認められたのである。

米国政府は日露戦争で意外にも日本が勝った時から対日戦争で日本を滅ぼすことを考えていた。これはルーズベルト個人の問題ではない。ただルーズベルトは最悪だった。何せ、女性スキャンダルは大統領にとって致命傷であると言われた(過去の話である)アメリカで、ルーズベルトは永年連れ添った愛人の元で臨終を迎えたからアメリカ人にとっては最低の大統領であった。対独戦に参戦するために、対日戦を欲したなどというのは、対日戦の動機の一部に過ぎない、と言うのが現在の小生の結論である。

 ハミルトン・フィッシュ共和党上院議員は、第二次大戦が始まるとすぐに、ルースベルトは参戦することを決めた、と断じ、その原因を、失敗したニューディール政策の失業者をなくすこと、戦争を指導した大統領になりたいと言う欲望があること、国際連合を作ってスターリンと共に世界の支配者になりたかったことをあげている(P190)。実際ルーズベルトに限らず、米国の指導者は世界制覇の野望を抱いていた。国際連合は日本人の夢見るような理想への一歩ではなく、世界制覇の道具だったのが事実である。パットン将軍を描いた映画だったと思うが、将軍が、アメリカが世界制覇をする、と言う意味のことを述べていた場面を記憶している。ウィキペディアで調べたらパットンは普段から乱暴なことを平気で言うので、映画化する際にはそれを削除した、と書かれている。当時の米国人には米国の世界制覇とは乱暴な言葉ではなかったのである。世界制覇とは当時の米国人にとっては常識的な現実だったのである。

 英国人では、ホプスパウロンドン大学教授は、インド独立はガンジーやネルーの国民会議によるものではなく、日本軍とインド国民軍が起こしたインパール作戦よるものである(P193)と言った。そう言えば、英国が作った「ガンジー」という映画では、インド独立をガンジーの非暴力抵抗運動というお決まりの説で描いていて、インパール作戦はおろかインド国民軍も登場しない。これは明らかな作為である。ルイス・アレンビルマ戦線情報将校は日本陸海軍には理想主義者がおり、日本にもアジアにも植民地解放をしたのは日本だと信じている人々がいて、日本帝国が滅びてもその業績は消えない、と述べている(P193)。かつての敵国ながら米英には信念に忠実な人物がいる懐の広さには感心する。このことは米英が日本を敵視したこととは矛盾しない。

 次は東京裁判である。マッカーサーは回想記で事後法で戦争裁判を行うことに反対し、国際法で言う戦争犯罪人の裁判だけにすべきだと言う信念を吐露している。それは、アメリカでも南北戦争終了後数十年経っても南部が北部に深い怨恨を抱いているためであった。その原因をマッカーサーは記していないが著者は、南軍の捕虜収容所長が偽証を承知の上の裁判長により捕虜虐待の冤罪で絞首刑になった事実などを知っていたためであろうと推測している(P204)。東京裁判もそのようなものになると考えたと言うのである。日本が戦争を始めたのは安全保障のためだと戦後証言をしたということといい、マッカーサーも案外まともなことをいうものだと思った次第である。だがマッカーサーの言葉は全て後の祭りである。

 次は証言である。チャーチル自身が東京裁判を批判して、日本の指導者を死刑にするならば、もし連合国が敗れれば、同じ理屈でルーズベルトも自分も処刑されていただろう(P253)、と言ったのは、自身の考えを日本に投影していたのに過ぎず、敵国の指導者を処刑するほどの野蛮人ではない。東京裁判の裁判長だったオーストラリアの当のウェッブ自身が、日本の証人たちの皇室に対する気遣いと尊敬の念と自己の立場を主張する際の真面目さと誠実感に心を打たれ、日本が戦争を始めたことに対して日本を断罪するどんな権利があるのか、と自問したという(P260)。開いた口がふさがらないとはこのことである。

だが、ウェッブが考えを変えたのは、被告や証人の態度の立派さに尊敬の念を抱いて、日本の指導者に対する見方が変わったのが原因であるように思われる。このことは、有色人種の差別の激しいオーストラリアにおいて、シドニー軍港を攻撃して戦死した日本海軍の兵士を丁重に海軍葬にしたことと共通している。彼らは人種に拘わらず勇気や誠実さを見せた人間に対して自分たちと対等に扱うと言う精神をなくしてはいないのだ。この点は汪兆銘を漢奸として、わざわざ辱めるための像を作り唾を吐きかける支那人とは異なる。逆に言えば外国に媚を売る者は支那人に心の底では軽蔑されるのだ。反日日本人は中共にゴマをするから、彼らにしてみれば国を売る漢奸なのである。漢奸は彼らの最も忌み嫌うものである。支那人は日本の「漢奸」を利用するために褒めるが腹の底では軽蔑しきっているのである。


パール博士「平和の宣言」ラダビノード・パール、田中正明編著

2021-11-12 14:36:41 | 大東亜戦争

○パール博士「平和の宣言」ラダビノード・パール、田中正明編著・亀戸

 パール博士らしく論理的かつ難解。特にインド哲学を語るのは難解。西洋人がいかに非白人を人間扱いしていないか、植民地での非道な行為を論じた部分は日本人は是非読むべし。読書によるものばかりではなく、インドにおける体験だからである。

 小林よしのりの復刊にあたっての序には、パールの原著が絶版になったのをいいことに、一部をつまみ食いしてパールが日本を強く批判したかのように書いた者がいると批判している。自国を悪く言いたくてたまらない異常な日本人は一方では大嘘つきであって、少しも誠実でも良心的な人たちではない。それでいて日本をより悪く言う事が良心の証しだなどと本気で考えているからまともではない。

 第一部のアジアの良心は田中正明氏の筆である。パール氏の日本に対する心情が書かれている。西洋が自己防衛のために、西洋の武器と技術をとりいれたのはよい。しかし日本は、決して西洋を模倣して、その国家主義の私欲を自己の宗教として受け入れてはならない。そして隣国の弱者にたいして無法な行動に出てはならない(P37)、と言うがこれは必ずしも戦前戦中の日本の批判ではない。

パール博士は中国を日本やインドと同じくアジア共通の哲学と宗教の持ち主と誤解しているのは残念である。だがパール氏の思い描く中国とは孔子孟子の時代の中国であってその後の中国とは、蛮人に繰り返し乗っ取られて入れ替わった異人種であって秦漢時代の漢民族は事実上絶滅している。長江、黄河の古代文明を起こした人々と現代中国人とは文化もDNAも何のつながりもないのである。隣国のインドとすら貪欲な紛争を起こしている、現代の中国を見たらパール氏も考えを改めるであろう。

本書には哲学者や歴史家としてのパール博士と法律家としてのパールが登場するが、興味深いのは歴史観と法律家としての見方である。また朝鮮戦争の米軍捕虜を東京裁判のように国際法で裁く、と言った途端にニュルンベルグ裁判や東京裁判はドイツと日本の国内法で裁いたのであって連合国は主権のない日本を代行したのに過ぎない、と詭弁を弄したというのだ。それならば、戦犯は講和条約が締結されて主権が日本に移ると釈放されるものであるのに、それを予測した狡猾な米国はサンフランシスコ条約で戦犯の釈放を制限した。それなのに日本政府は講和条約が史上希に見る寛大で公正なものだと言っているのを批判している(P45)。

奉天の会戦と日本海海戦で日本が勝利して初めて有色人種が白人を負かしたからインドやアジアの独立運動が始まった(P64)と書かれるのは当然で、そのことを日本人は再認識し自信を持つべきである。ただガンジーの不服従の抵抗運動の独立への貢献を強調する半面、日本の侵攻がインド国民軍の成立を促し、それが直接の独立のきっかけになったことに触れていないのは残念である。ただボース亡命に貢献した頭山満翁の寸暇をさいて墓前に花をたむけた、というのはその当時の頭山の不当な悪評を考えるとさすがである。

全般に原爆による世界絶滅への恐怖から、反戦非武装の思想が強調され過ぎている。武器による独立と平和を否定するが、今の世界を見れば考えが変わるであろう。そして益々日本の戦争へのアジア独立への貢献を強く理解するようになると思うのである。ただパール博士らインド人の非武装の思想の淵源はインドが英国の武力で支配されたからではないからである。巧妙な分断と策略によって結局あれだけの広大な地域が少数の英国人に奪われて、暴力によってしか独立できない状態に呻吟したのである。その英国の手法については本書でも抽象的に書かれている。パール博士もガンジーもそのために非暴力の団結に思い至ったものであろう。それゆえにかえってパール氏ですら、英国の卑劣な手段を具体的に語れず抽象的にしか語らないほど辛いことだったのだろう。私には本書で新たに認識した最も重要な点は、ここにあるように思われる。

私は二冊の分厚い文庫本でパール博士の東京裁判の判決を難渋しながら辛うじて読み通した。そこには冷静な論理が徹底している。しかし、判決の最後に有名な「時が偏狭和らげたとき」と云々という文言を書いたとき、明らかにパール氏は興奮していたのである。英国や欧米諸国に対する憤怒に興奮していたのである。あの文言はどう考えても博士の言う純粋な法律に基づく結論ではないからである。だからこそ私はパール氏に親近感と尊敬を抱けるものである。博士が単に冷徹な学者ではなく、情熱の人であることは、パール博士の日本における行動が証明している。この本でもパール博士の判決書でも不思議な共通点がある。翻訳のせいもあり、読解に難渋するが読んでいるうちは冷徹な論理に徹底していながら、読んでしばらくすると、パール氏の情熱を含んだ心情に触れられる思いがすることである。

本書にしはしば登場するトインビーの白人が有色人種を動物以下にしか見ないことへの指摘は傾聴に値する。第二部の世界に注ぐ、では・・・アジアの諸問題を指導し、処理しつつある指導的欧米政治家たちの、そのやり口から判断してみて、少なくともこれらの政治家たちのいう「世界」は、彼らのみの世界であり、「人道主義」は、ある特定の人種に対する主義にすぎないのではないかということを疑ってみる理由がある(P196)、と言って欧米人の欧米中心のエゴを批判している。

第三部の真理と平和では、欧米人の有色人種に対するすさまじい人種偏見を列記している。

遠い過去から遠い将来へかけての人類の進化に関する英語を話す人種の考え方は、世界は将来当然自分たちのものだということである。そして他民族は英語を話す人種に奉仕することによって、神の約束した人類進歩に貢献するとともに、歴史上の宿命的役割を果たすのだと信じている(P221)。

アジアを植民地支配したのは英国以外にも多いのに「英語を話す」と言っているのは、英国のインド支配がつい口についたものだろう。またトインビーの言葉を引用する。「われわれは彼らを歩いている樹木ぐらいにしか考えず、たまたま出あった地方に棲息する野獣としか考えていない・・・西欧人の先駆者が切り倒した森の木々あるいは彼が射落とした大きな獲物のように、彼らの命は一時的であり、もろいものである」「・・・これら゛土着民゛を、放逐さるき有毒動物として、とり扱うであろう。『黒人は魂を持っていない』とすればほかに考えてやる必要はない」(P225)つまり有色人種とは白人にとって動物以下の存在である、ということである。我々が欧米人と付き合う時は、潜在的には、このような意識が彼らには厳として存在することを脳裏に描いておかなければならない。そして博士は、原爆が日本に投下されたのは日本人への人種偏見であるとして・・・彼らの日本人観によれば、これらの人間は根絶さるべき゛有毒動物゛にすぎない、すなわち有罪の、有毒動物である(P226)という米国指導者の言葉を引用している。最近では日本人史家にも原爆投下は人種偏見による、という言説があるが、時期からしてパール博士が初めてこの見解を示したのであろう。

朝鮮戦争における米軍の残虐行為にも言及する。米軍の爆撃は、まず高度の破壊力をもつ爆弾の投下で始まり、次に焼夷弾を投下し、最後には焼夷弾による火災を消火している男女や子供たちに機銃掃射をした(198)、という英国人の目撃者の証言を紹介している。これは日本本土空襲でも行った米軍の常套手段に過ぎない。また朝鮮人の夫人の証言を米国人の調査員が聞きとったとして、米兵は夫を殺し子供を踏みつけて殺し、母は二人の米兵によって強姦された(p200)、と書く。しかし間接証言であるから全くの真実とは断言できない、としているのは法律家らしい。東京裁判の判決書にもこのような態度が貫かれている。

パール博士が最も憤っているのは西洋人による過酷な植民地支配であろう。オランダはインドネシアで現地のあらゆる産業を破壊し、それに代わりコーヒーとインディゴ染料の強制栽培を行った結果飢饉が起こり、ジャワのある地方では人口が半分以下になってしまった(p209)。また一九三六年のオランダ領インドネシアではヨーロッパの人口は全体の0.5%しかないのに、収入の65%を奪い、97.5%もいるインドネシア人は僅か20%しか受け取れず残りは他のアジア人が受け取った(p209)、という恐るべき収奪を紹介している。

日本人は記憶すべきである。この凄まじい収奪が欧米植民地の本質であって、日本による朝鮮と台湾の支配はこれに比べれば植民地とは言えない。しかも欧米人は過酷な支配に少しでも抵抗した者たちを、平然と殺害したり飢餓に追い込んでいる。これらの犠牲者には女性や老人子供がいるのは当たり前であった。彼らの抵抗とは武器で反乱を起こしたのではない。食糧を持っていくと飢えるから止めてくれ、と懇願する程度の話なのだ。

パール博士が処刑されたA級戦犯の家族や獄につながれたBC級戦犯にしばしば会いに行き、彼らが無罪であると慰めている事実がある。博士の言動まで利用して日本の侵略戦争批判をする人たちは、良心があるならそんな卑劣な行為はやめるべきである。

第二部の世界に注ぐ、では、国際裁判と称して、ニュルンベルグと東京で裁いた彼らの二つの裁判、これに適用した二つの法律が「実は二つの裁判所に限った法律であった」ということを、いまになっていいだすのは、法律を侮辱するもはなはだしいといわなければならない。法律という名に価しない法律である。いいかえれば、一部のものにたいする法律は、法律ではなくして、リンチ(私刑)に過ぎない(P154)。

リンチと断言しているのはパール博士だけではない、というのだ。二つの軍事裁判なるものを実施した国々自身が、二つの裁判所に限った法律であった、と認めることによって間接的にリンチであったと認めているというのだ。パール博士が日本を無罪と言っているわけではない、と主張する人たちはこの言をよく読むがよい。日本は無罪であるばかりではない、東京裁判は欧米によるリンチであったとさえ言っているのだ。リンチを行うものは犯罪者である。本書を再刊されたことに感謝する次第である。


Bf109 G-6 完成 1/72

2021-11-05 15:07:41 | プラモコーナー
 風防に防弾板を取り付けて完成です。風防は開状態にしました。


 109らしいいいアングルです。技量がないので、アンテナ線は張ってありません。




 胴体横の鉄十字の直後のブルー・グレーの帯は、上面が迷彩色で塗りつぶされていて、訳がわかりません。塗装が完了してからようやく気付いて筆塗りしたくらいですから。






 スピンナーは白のデカールもあったのですが、塗り分けました。