毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

日米の射撃指揮装置(GFCS)の決定的な能力の差

2020-04-30 15:53:42 | 軍事技術

  元自衛官の是本信義氏が。「海軍」の失敗という著書で、日米の射撃指揮装置の能力の差について説明している。日米最高の戦艦の大和とアイオワが戦ったらどちらが勝つか、という設問である。多くの軍事関係の刊行物では、両艦の武装や装甲の優劣、速力などのカタログデータを比較して、大和やや有利、と言うのが相場である。ところが氏は明快にアイオワの完勝である。と断ずる。アイオワの場合、距離の誤差の小修正と方向の小修正を最初の弾着でおこなうので、夾叉弾を得るのに試射1回、3分45秒かかる。大和は、試射3回、8分15秒を要すると言うのだ。この時間が短ければ先に命中するばかりでなく、艦の進路の変更などの影響が少ないから更に有利である。この差は、弾着観測結果を次弾発射のデータに反映するシステムの優劣に起因している。

さらに測距をレーダー観測とすれば、光学式測距儀のような距離による誤差がなくなる。それどころではない、そもそも射撃盤(計算機)の能力には格段の差があるし、日本海軍では射撃盤による砲の自動操縦システムを持たなかったから即応力には大きな差が出る。このような指摘は護衛艦で砲術長をしていた氏ならではの視点である。

同じく、是本氏の「日本海軍は滅び、海上自衛隊はなぜ蘇ったのか」にも明瞭な指摘がある。第二次大戦中の主力の射撃指揮装置のMk37より性能が劣る米軍から供給されたGFCS(射撃指揮装置)を搭載した護衛艦の砲術長として、5インチ速射砲で標的の吹き流しを射撃したと言う。VT信管ではなく、時限信管を用いていたにもかかわらず、初弾から命中したと言うのだ(P54)。他の個所でも護衛艦が次々と標的に命中させて、技量の高さに米海軍の教官たちが驚いたと言う逸話を書いている。VT信管を使っていない事はもちろんであるが、技量を問題にしたのはレーダーではなく、光学照準だったからであろう。要するに当時の日本海軍の九四式高射装置とMk37の性能差の隔絶は言うまでもない。

氏は同時に、日本海軍の12.5cm高角砲と米海軍5インチ両用砲の命中率の左は、0.3%対30~50%であったと言う驚くべき統計を示す。命中率の比率は最大約167倍という驚異的な差になる。米海軍に比べれば、日本海軍の高角砲は全く当らないのに等しい。これは日本の高角砲員の実感と一致する。一方で米海軍砲員が、打てば当たる、と豪語している証言もある。是本氏はVT信管とて、目標に接近しなければ有効ではないから、日本海軍がVT信管を使用しても何の役にも立たなかったろうと断言しているがその通りである。

VT信管は弾道を敵機の方に向けてくれるわけではないのである。米軍のレーダー照準にしても第二次大戦当時のレーダーを今の時点のレベルで比較すべくもないから、過大評価は禁物である。VT信管はマリアナ沖海戦から使用されているが使用されたのは5インチ砲だけで、それも弾数の僅か20%程度である。それ以前の日本が勝利したとされる珊瑚海海戦でも、南太平洋海戦でも、艦艇の喪失トン数こそ米海軍が大きいが、艦上機の被害は日本海軍の方が大きい。

Wikipediaによれば、南太平洋海戦での喪失艦上機は日本92機、米74機で、搭乗員となると、148人と39人と更に差が開く。これは、互いに防空戦闘機と敵艦隊の防御砲火をくぐって戦った結果である。日米の射撃指揮装置(GFCS)の決定的な能力の差は、戦記を数多く読むとよく分かる。同じく戦艦に対する攻撃にしても、日本機は対空砲火により接近する事すら困難であった、と証言されているのに、米海軍は戦闘機による機銃掃射さえ平然と行って、対空火器要員をなぎ倒している。戦艦に対してですら、米海軍は対空砲火の威力の無さを知っていたのである。シブヤン海海戦で大和は戦闘機による機銃掃射で主砲身内に飛び込んだ機銃弾が砲弾の信管を破壊し、砲塔内で小爆発を起こした(*)という情けないエピソードすらある。

米海軍では大東亜戦争に参加したほとんどの駆逐艦が、主砲に対水上と対空の兼用の両用砲を備えている。しかも、対水上能力に不満が残る、と言われた位対空能力を重視している。実は、米海軍は軍縮条約で第一次大戦時に大量建造した、駆逐艦をスクラップにすると同時に建造した駆逐艦には、ほとんど全て両用砲を備えていた。付け焼刃で対空兵装を重視したのではない。

戦前の早い時期から、計画的に、対空兵装を充実させていたのだった。日本初の防空駆逐艦である秋月型でも、高角砲のカタログデータが優れているだけで、GFCSは相変わらずの劣った九四式高射装置である。秋月型ですら戦前からの米駆逐艦よりはるかに対空戦闘能力が劣っているのだ。ましてや、その他の駆逐艦には高角砲はもちろん九四式高射装置すらないから、対空射撃能力はない。艦隊防空どころか、自艦さえ守れないのである。

 日本海軍の防空体制への批判の最大のものは、米国が早期に輪形陣を取り入れて空母の周囲に濃密な護衛艦艇を配置したことであろう。これに対して日本海軍は、戦艦などを空母から離して配置していたため、脆弱な空母護衛のための有効な対空砲火陣を張れなかった、というのである。だが輪形陣を組んだところで桁違いの対空火器の命中率ではやはりどうしようもなかった。日本機は単独航行の米駆逐艦への攻撃にも苦慮していたのに、F4F戦闘機に撃沈された日本駆逐艦すらあったのである。

巷間の出版物に米軍の対空砲火の効果を射撃指揮装置の能力差に求めずに、レーダーやVT信管に求める傾向が強いのは、GFCSという地味なものの開発を軽視して、主砲の口径や戦艦の装甲厚さといったカタログデータに表れやすい物を重視した日本海軍の技術開発方針と類似したメンタリティーを感じる。 

*Gakken Mook GARAシリーズ、戦艦「大和」の真実

 

 


できそこないの、カントZ501飛行艇・その後

2020-04-27 22:29:33 | プラモコーナー

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 以前掲載したブログのプラモの製作が進んだので、再掲して報告ですが、大きなネックを越えただけで未完成での中間報告です。

 カントZ501飛行艇は、単発なのに、馬鹿でかい飛行艇です。写真を見て奇妙には、思いませんか。主翼の赤い派手なストライプに魅せられて作ったのですが、真ん中にあるエンジンが支えれていません。ここまで組み立てたところ、エンジンと胴体をつなぐ支柱パーツが、6本あるのですが、どうやっても、エンジンの下に入りません。そこで、製作は止まったままです。とりあえず主翼と胴体は、斜めの支柱で支えられていますが。

 何と間抜けなこの姿。いつか完成させてやるぞと飾っているのですが、いつのことになるやら・・・(;^_^A

というところまでが、去年の9月のお話でした。それが、どういう訳か突如やる気をおこして、エンジン下の支柱を全部取り付けました。それが次の写真です。支柱のパーツは6つ。1日に2づつ取り付けて、接着剤が乾いたところで次の日に、という具合で、半年放っておいたのが、3日でできました。

 支柱のパーツは寸足らずで0.5mmか1mmのプラバンで継ぎ足したり、傾きが合わないのを削ったりです。こんな調子で支柱の位置が、支柱取り付け台座に位置が合わないのも何とかしました。支柱の塗装の塗り直しもあって、短時間の割には大工事でした。以下の写真と比較すると、以前の写真がいかに大間抜けか分かると思います。でもまだ完成ではありません。プロペラや銃座など、残ったやることは、まだまだあるのです。


夢二と大橋歩とビアズリー

2020-04-26 14:10:47 | 女性イラスト

現代の芸術は大衆のなかにある。

浮世絵は、江戸時代には大衆には普及してはいたが、今で言う芸術扱いではなかった。芸術扱いされたのは、狩野派などのお抱え絵師だった。浮世絵の芸術としての評価が高まったのは、ヨーロッパ人に浮世絵が見出されたからであることはよく知られている。日本人の発明や発見の多くが日本人には無視され、西欧人に評価されるとこれに追随して日本人の評価が高まるのと同じパターンである。

 ビアズリーは印刷技術の進展に追いつく前に三〇歳にもならぬうちに若死にした。木版のような白黒印刷全盛期に生きたのである。そしてカラー印刷とグラデーション印刷の技術が鑑賞にたえるようになる前に死んだ。竹久夢二と大橋歩さんは様式化の極限を追及したために、様式の進化に失敗して最後には大衆に敗北した。早い話が大衆に飽きられたのである。竹久夢二は今ではメジャーとなり、夢二美術館はそこいらじゅうにある。だが現役の夢二は最後は様式の限界に突き当たったのである。大橋歩さんの場合はハンドメイドのイラストレーションの全盛を生きた幸せな最後の一人であろう。

 林静一のように、今でも、竹久夢二風の、あるいは浮世絵もどきを演じて細々と生きている者より幸せだったのであろう。何よりも大衆に敗北したのは芸術家としてはいたしかたない。近現代芸術の評価を決めるのはそれ以前の時代と異なり、ひとにぎりの粋人ではなく大衆だからである。

 


書評・鴎外の恋人・今野勉・NHK出版

2020-04-23 15:35:43 | 文化

 隅田川神社のすぐ近くにある、「医学士須田君之碑」の写真から書き取った漢文をおおまかに訳してみた。この碑に注目したのは、「撰」が鴎外との確執で有名な上司の、石黒軍医総監だったからである。この碑の漢文の要約については「医学士須田君之碑」という以前のブログを見ていただきたい。確執の原因の大きなもののひとつは、鴎外のドイツでの恋人を別れさせたことだったと記憶して居て、それをブログに書こうと思ったが、鴎外のドイツでの恋愛については、石黒軍医総監はもちろん、親類縁者も無視するがごとくで、詳細が不明なので、鴎外の本を図書館に探しに行った。

 そこでズバリこの本を見つけたのである。「舞姫」はドイツ留学中の恋を題材にした物語であることは有名である。ところが、本書の内容はそればかりではなかった。本書の意図は鴎外の恋人の名前などの特定で、推理ものの一面があったが、結果的に鴎外の一部の伝記ともなっていた。読み進むと小生が、二葉亭や漱石に比べ、鴎外の心の遍歴の肝心の部分をほとんど知らないことを実感した。鴎外は留学先で、哲学の議論をして相手のドイツ人を公衆の面前でやりこめたなど、外では傲慢に振舞いながら、家庭では母と二番目の妻茂子の間に立っておろおろして生活していた、と言う程度の知識である。

 女性に対してやさしかったはずの鴎外が、わずか一年で離婚したのは、恋人(以下アンナという)が忘れられなかったからであった。「普請中」などに淡々と書かれている、日本でのアンナとの再会は、単にアンナが勝手にドイツから押しかけてきたのではなく、軍を辞めてでもアンナと日本で結婚することを固く決意した鴎外・森林太郎が、アンナと示し合わせて、鴎外の一便後の日本行きの船にアンナが乗っていたのだということ。そのことを知らされた石黒は、帰国の船で鴎外と漢詩のやりとりを繰り返しており、石黒は、軍人は外国人と結婚してはならぬ、と説いたのだった。

 鴎外は、日本に戻るや、家族にアンナとの結婚を許すよう説いて回り、一度は陸軍の大物が進める縁談を断るが、結局は母・峰子の強い意思に挫けてしまった。鴎外にとって母は絶対的存在だったのである。一度断った女性と結婚させられたのだから、この結婚は互いに不幸の元だったのは当然であろう。

 特定された鴎外の恋人の名はアンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトだった。ところが鴎外は関係を隠すため、アンナをドイツにいた当時普段からエリーゼと呼びならし、「舞姫」の主人公の名に、似た響きのエリスとつけたのもそのためであった。鴎外は子どもに全て、洋風の命名をしているが、後妻茂子との間に生まれた子供の名を杏奴と類と名付けたのは、アンナとルイーゼの名を刻みたかったのだというが、その心情は小生には解せぬ。

 名をつけられた子供たちは、名前が実の母ではなく、かつての深い思いの恋人の名前に由来する、と知ったらどんな気がするだろうと思うからである。ちなみに鴎外の子供たちは、私の知る限りアンナのことについて多くは語ってはいない。

                  ◇

鴎外の有名な遺言

前略・・・死は一切を打ち切る重大事なり。奈何なる官憲威力と雖、此に反抗することを得ずと信ず。余は石見人、森林太郎として死せんと欲す。・・・以下略

という激越な遺書は単なる反骨ではなかった。アンナとの結婚を邪魔した軍関係者に対する反感と、自身の無力に対する激しい悔恨であったろうと小生はようやく理解した。鴎外とアンナとの関係を軽く見ようとする通説は、妹喜美子などの親類縁者や石黒ら陸軍関係者の、ためにする言説によるものであろう。生涯アンナを深切に思うことができた鴎外は、大きな不幸の中にも一縷の幸せを見いだしていたのだと、小生は思いたい。


メッサーシュミットMe P1099B戦闘機

2020-04-22 15:08:42 | プラモコーナー

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 1772のドイツレベルの計画機である。御覧の通り、主翼と尾翼はMe262で、胴体が新設計で尾翼が面積拡大、といったところらしい。戦闘機だと言うのだが、前方武装はわずか1門で、後方の武装がやたらに多い。キットはかっちりした作りで、何の問題もななく、すらすら仕上がる。

 塗装は、実機がないので、説明書指定の仮想塗装である。御覧の通り、下面がライトブルー系で、上面がグリーン系二色である。

 さて面倒なのは胴体側面のモットリングである。どうしても説明書の塗装図にはモットリングとなっている。いつもの手で、数センチ角の画用紙に穴を1個開けたのを5枚くらい、2個開けたのを3枚くらい、3個開けたのを1個用意して、エアブラシで吹く。たくさん用意したのは、一度吹くと塗料で濡れるので、次々と交換して乾くのを待つ。またランダムに機体全体にモットリングを少しづつ増やすこと。一度に全部塗らずに4~5回に分けて乾いたたびにぬる。カラーは、グリーン系2色である。

 幸い72にしては、胴体だけがやたらに太く大きく、小型の48並みのサイズなので、モットリングは比較的やりやすい。模型雑誌を見ると、モットリングはエアブラシを使っている場合が多いようだが、小生には難関である。そこで48のタミヤの109のG6を買って組み立てているので、エアブラシの練習台にする予定である。小生のプラモ作りは気まぐれで、基本の組み立てが終えてから2~3年放っておくのは普通なので、いつ完成の紹介ができるやら、です。

 

操縦席のアップです。Me262とは全く異なることが分かる。

 下から見ると御覧通り、尾部の左右にリモコンの銃座がある。全くもつて、用途の分からない機体である。主脚だけが重量増加対策か、ダブルタイヤである。

 

 

 


西洋文明も模倣である

2020-04-18 00:37:54 | 文化

 現在の西洋文明も模倣から始まった。それは当然である。文明は過去あるいは同時代の先進の文明の模倣から始まる。現代ヨーロッパ文明は古代ギリシア、ローマ時代、あるいはアラビア文明の模倣から始まった。分かりやすいのが絵画である。キリスト教絵画である。ダビンチなどのような立体的写実的がギリシア時代からヨーロッパで連綿として続いてきたかのように考えるのは、単純明白な誤りである。

 中世のヨーロッパなどは世界の文明の片田舎であった。文明の中心はペルシア帝国などのイスラム国家であった。ヨーロッパは神聖ローマ帝国などと言っているが、それは古代ローマ帝国などの古代文明の地域をゲルマンなどの蛮族が侵入して蹂躙した後の残骸である。西洋史の歴史書にもローマ帝国の復興などと言っているが、かつてローマ帝国の中心があった地域に、この地域に侵入した別のいくつかの民族が新しい帝国を建てただけのことである。

 ローマ帝国の復興を呼号したのは、ローマ帝国こそヨーロッパ地域の正当な支配者であると考えられていたからに過ぎない。つまりローマ帝国の再現と称することによって自らの支配の正統を主張していたのである。ヨーロッパ地域におけるかつての最大の帝国であったローマ帝国とは、この地域の正当な支配者を意味していた。このことは支那大陸で、王朝を倒した異民族が、漢民族王朝皇帝を名乗ったことと酷似している。清朝崩壊は、滅満興漢、すなわち満洲族王朝を倒して漢民族王朝を再建することを呼号して行われた。そして一瞬だが、袁世凱は皇帝を称した。

 いにしえのヨーロッパのキリスト教絵画は、東洋風の平面的な描写であった。これには、偶像崇拝が嫌われていたため、故意に写実的な表現をしなかった、という説があるが、小生にはそうは思われない。ルネッサンスの時期を経て、現在のような立体的写実的な絵画に生まれ変わったのだが、西洋絵画の立体的な表現は、ギリシア・ローマの写術的な彫刻の模写から始まったのである。ルネッサンスとは文明復興とも訳される。つまり古代ギリシア・ローマ文明を我らヨーロッパ人は取り戻すのだ、という宣言である。

 ここに巧妙な嘘がある。これではあたかも連綿として続いてきたギリシア・ローマ文明の末裔であるヨーロッパ人自身が、かつての古代ヨーロッパ文明を取り戻す、という嘘である。古代ギリシア・ローマのヨーロッパ人と現代ヨーロッパ人にはほとんど民族のDNAは繋がっていない、異民族に等しい。現代ヨーロッパ人は古代ギリシア・ローマ人の文明を模倣して、あたかもその末裔であるように振舞っているだけである。ルーマニア、というのはローメニアンすなわちローマ人の末裔を呼号する名称だそうだが、実態は不明であろう。

 だからルネッサンスとは文明の遅れたヨーロッパ人が古代文明の成果を取り入れて、イスラム世界のくびきから脱しようとして立ち上がった運動である。例えば文学の方面では、古代ギリシア・ローマの古典はアラビア語に翻訳されていて、それをドイツ語、フランス語などのヨーロッパの言語に翻訳することからルネッサンスは始まった。

 ギリシア・ローマの古代文明はアラビア語圏のイスラム世界に継承されていたのである。だから当時のヨーロッパ人はアラビア語を理解しなければ、先端技術を取り入れることはできなかった。現代のアジア諸国の多くでは、自らの言語で書かれた科学技術書がなく、多くの場合英文の書物を読まなければならない。煎じ詰めて簡単にいえば、当時のヨーロッパはそうした文明後進地域だったのである。

 ヨーロッパはアラビア語を通してそれを模倣したのである。現代数学に使われている数字はアラビア数字であることなどは、その象徴である。皆様、何故「アラビア」数字が「ヨーロッパ」人に使われているのかこれで理解いただけたでしょう。その後アラビア語からの翻訳ではなく、ギリシア・ローマの公用語たるラテン語やギリシア語から直接ヨーロッパの言語に翻訳されるようになった。その残影は、既に生きた言語ではなくなったラテン語を、今でもヨーロッパ人は教養の素地として大切にすることに表れている。西欧系の言語では、今でも新語を造語する際に、ラテン語をベースとしていることが多い。

 繰り返すが、西洋文明はギリシア・ローマ文明の模倣である。それは恥ずべきことではない。文明の継承は模倣から始まるからである。そして私は、ルネッサンス以後現代に至るまで、ヨーロッパの文明の発展は、ギリシア・ローマ文明の創造に匹敵する恐るべきものがある、ということを認めるのにやぶさかではない。

 日本でも江戸時代に関孝和が微分積分を発見していた、ということを称揚する説があるが、関孝和の計算は数値計算手法であって、微分積分に必要な零や無限大と言った極限値の概念がなかったから、正確には微分積分に限りなく近づいていたとまでしか言えないそうである。それでも日本人の知的興味とその成果は、非ヨーロッパ民族としては秀でたものがあったことは自負してよかろう。明治維新で、西欧文明を奇跡的に早く吸収したのは、そのベースがあったからである。その意味でも模倣は文明の継承と創造であって、僻目で見るべきではなかろうと思う。


武漢コロナウイルス陰謀説・パート2

2020-04-14 23:14:16 | 支那大陸論

▲ 以前、武漢コロナウイルス陰謀説、と題して、武漢ウイルスの発生は、香港のデモ対策に苦慮した中共政府が生物兵器である武漢ウイルス拡散を故意に行ったのではないか、という仮説を書いた。それをフォローしてみる。産経新聞令和2年4月12日付けに、香港の民主活動家・周庭(アグネス・チョウ)氏へのインタビューが載った。

 

 香港の反政府デモの現状は?と言う質問に対して周氏の回答は下記の通り。

 

 民主化運動は終わっていません。今でも抗議活動が行われ、逮捕者が出ています。政府は3月下旬、防疫を理由に、5人以上の集会を禁止しましたが、これもデモ参加者を逮捕するために防疫を利用したのではないでしょうか。

 

 と答えている。故意にウイルス拡散をしたかどうかは別にして、少なくとも中共政府が防疫をデモ鎮圧に利用しているのは事実である。5人以上の集会を禁止したのが3月下旬と言うのは遅すぎる気はするが、そのよほど以前から、デモの報道はなされていないことから、防疫を理由に何らかの規制は行われてはいたのだろう。

 勘ぐれば、最初に武漢ウイルスに警鐘をならした医師が処分されたのは、単なる隠ぺいではなく、充分に感染が広がるまで時間かせぎではないか。中共の地図を見ると、北から南に湖北省、湖南省、広東省と並んでいて、武漢は湖北省にあり、香港は広東省にある。

 肝心の武漢から香港までは、東京から九州位の距離で遠いようだが、広大な中共の国土を考えれば、遠い距離ではない。生物兵器研究所がある武漢から、香港までは中共の感覚では近いともいえる。

 隠ぺいをしたのは、この距離間で感染が広がるのを待っていた、とでも言える。香港にウイルスが到着するまでの時間稼ぎである。香港デモには首謀者とおぼしき人物がいないと考えられている。陰謀説が間違いであるにしても、ウイルス拡散を奇貨として香港デモを鎮圧しているのは最低限間違いはない。ウイルス拡散対策を口実としてデモ参加者が次々と逮捕されていけば、デモ参加経験者にじわりと逮捕の恐怖が拡散されていって、中共政府に抵抗する気概がくじけていくのは間違いない。

 香港の事例ではないが、中共の人権弁護士などで、逮捕拘留されて釈放されたら、拷問や薬物などによって精神が崩壊していたという例は、枚挙にいとまがない。中共の官憲による逮捕と言うのは、かくも過酷なものである。それを見た、香港デモ参加者に恐怖心が広がると言うのは、当然のことである。

 日本では、要請しかできない「緊急事態宣言」ですら、立法時には、私権の制限がされる恐れがあるとの反対があった。中共政府による弾圧に比べれば、なまぬるいことこの上なしであるのに。中共では、政府による私権の制限など政府の恣意でどうとでもなる。それでも中共政府の意向を「忖度」する日本人が絶えないのはどうしたことだろう。

 周氏は自由世界では、香港デモの象徴のように扱われているのに逮捕もされないのは、中共のいつもの手で、自由世界に有名になった人物には手を出しにくい、ということだろう。アメリカでは、武漢ウイルスの損害賠償金を中共に要求する動きが議会などでおきている。既に被害賠償を中共政府に求める集団訴訟は起こされている。

 

 ▲ 次は、メルマガ「週刊正論」令和2年4月13日号に、下記のような記事があったので、紹介する。

 

英語ニュース・オピニオンサイト「Japan Forward」は、中国当局の大規模な隠蔽工作が武漢ウイルスの世界的蔓延をもたらした、とする日本国際問題研究所上級海外フェローのモニカ・チャンソリア氏の寄稿を掲載しました。中国の軍事研究者たちが、圧倒的な軍事力を誇る米国に対し、「非対称の戦い」を挑むため、20年にわたり、生物兵器に焦点を絞って研究開発を進めてきた、といいます。非常に興味深い論文なので週刊正論では日本語訳全文を紹介します。

 

                  ◇

 

中国の独立系メディア「財新」は、中国の研究所が201912月末までに謎のウイルスを非常に高い感染力の新たな病原体として確認していたことを明らかにした。ウイルスは、後にCOVID-19として識別された。しかし、研究所は当時、さらなるテストの中止、サンプルの破棄、そして情報を可能な限り秘匿するよう命じられた。

 

今回のパンデミックの発信地である中国・武漢の衛生当局は、202011日以降、原因不明のウイルス性肺炎を特定するサンプルを破壊するよう研究所に要求したのだ。中国政府は、人から人への感染が起きている事実を3週間以上も認めなかった。

 

「財新」は、非常に重要な初期の数週間に、こうした致命的で大規模な隠蔽工作が行われた明確な証拠を提示し、それによって大流行、すなわち、その後、世界に広がり文字通り「世界閉鎖」を引き起こした大流行を制御する機会が失われたと結論付けた。

 

以下、略。COVID-19とは、巷で「新型コロナウィルス」言われているもの、すなわち武漢ウイルスに他ならないのである。この記事によればパンデミックは、他ならぬ中共の生物兵器の管理不行き届きによる漏洩が原因だと言うのである。

 

 


映画スリーハンドレッド

2020-04-11 15:00:00 | 映画

 本稿は映画をネタにしているだけで、絵画評と呼べるものではないことをまず、一言しておく。この方面の歴史に詳しくはないが、「スリーハンドレッド」はギリシア対ペルシアのテルモピレーの戦いを描いたものだそうである。注目されるのは、映画の内容そのものよりも、その背景である。戦いは、ペルシア帝国とギリシアのスパルタとの戦いである。ペルシア帝国と言えば、エジプトを含み、アラビア半島を除く現在の中東諸国を統一した世界帝国である。これに比べればギリシアなどはちっぽけな存在である。現在もこれらの地域の住人はペルシア帝国の末裔を持って任じている。

 一方でアメリカ人はギリシア人の末裔ではない。しかし、この映画では、わずか3百人で、百万のペルシアの大軍と戦争するに当たって、王レオニダスなどに何回か「自由のため」と言う戦争の意義を語らせている。すなわち、自由のための戦争、と言うのは現在までのアメリカが掲げている戦争の大義である。実際に国王が自由のため、と言ったかは知らない。映画は、自由を戦争の大義に掲げることによってギリシア人をアメリカ人に擬しているのである。

 このような事はアメリカ人が古代ギリシア・ローマの戦争の歴史を映画にするときに、よく行われることである。例えば、ブラッド・ピット主演のトロイなどである。するとペルシア帝国とは何か。現在で言えば当然アメリカに敵対している、アフガンのゲリラやイラン、イラクであろう。その事は作られた時期でも分かる。作られたのは2007年である。それ以前から現在に至るまで、旧ペルシア帝国領にいるイスラムのゲリラやイランの核開発はアメリカを悩ませている。

 北朝鮮の核開発より何よりも、現在のアメリカを悩ませているのは、これら中東の地域である。9.11の自爆テロ、湾岸戦争、イラク戦争、アフガンでのテロリストの掃討作戦などがその象徴であろう。この映画は、アメリカはこれらの苦難を戦い抜く、という決意の表明でもあろう。もちろんこれは国策映画ではない。しかし国策映画ではない事自体が、アメリカの民間にもそのような気分を受け入れる素地がある事を示していると言える。

 ベトナム戦争の後には、戦争関連の映画と言えば、トム・クルーズ主演の「7月4日に生まれて」のような、反戦あるいは厭戦気分に満ちた映画ばかりだった。この映画のように、自由のためには命を賭けて戦うなどという映画はついぞ作られた事がない時期が長く続いた。アメリカはベトナム戦争の後遺症を脱却したように思われる。そのきっかけは湾岸戦争であると私は考えている。もちろん強硬派と考えられるトランプ大統領ですら、イランなどとの地上戦を忌避しているのは、世界的流れでもあろう。

 湾岸戦争が始まったのは、ソ連の崩壊の直後であった。あるいは冷戦に勝利した事による自信の回復が、間接的にはアメリカが湾岸戦争に踏み切る事ができた理由のひとつであろう。日清日露の両戦争の指導者が幕末の戊辰戦争などの実戦に前線で戦った経験があったように、湾岸戦争の指揮官の父ブッシュは大東亜戦争に艦上機パイロットとして参戦している。このこともブッシュ大統領の積極性に関連しているのかも知れない。

 ちなみに父ブッシュはアベンジャー雷撃機に搭乗して日本軍に撃墜され、ようやく救出されるも同乗者を喪失している。他にもケネディーが魚雷艇の艇長として日本軍に撃沈されて、終生も戦傷の後遺症に悩まされた。ジョンソン元大統領も太平洋戦線で爆撃機に搭乗し、撃墜王坂井三郎にあやうく発見され撃墜されそうになった経験がある。このように3人もの元アメリカ大統領が日本軍との戦いでからくも助かった経験がある、というのは偶然ではない。それに対して欧州戦線で際どい戦いを経験した元大統領はいないから、巷間言われているように、日本軍との戦いも楽ではなかったのである。

 閑話休題。湾岸戦争はアメリカ得意の圧倒的な機械化兵力で、イラク軍を蹴散らしてしまった。この時の損害が僅かであった事が、ベトナム戦争で喪失したアメリカの戦争に対する自信を回復させたのだろうと私は思っている。何よりも有力な兵器を惜しみなく使って兵士の損失を減らすと言うのが米軍のポリシーなのだから。それに引き換えベトナム戦争は敵地に進攻できないという足かせの元、ジャングルのゲリラ戦という白兵戦に頼らなければならない戦争に引き込まれてしまったのである。私はSF映画ですらアメリカの戦争映画では、弾丸を惜しみなく打つのを見ると、日本軍にもこんなに豊富に弾薬があったら、と悔しい思いにかられる。

  付言するが、大東亜戦争で陸軍は根本において補給を軽視したわけではない。悪評高い牟田口廉也ですら、最初は補給の困難のためインパール作戦に反対したのである。これにひきかえ海軍は、日露戦争以後、そもそも装備において補給線の保護と言うことに着目した形跡がない。これは、艦隊決戦至上主義であったため、戦闘に必要な弾薬物資は、基本的に戦闘艦艇に搭載していればよいから、補給と言うことを考慮する必要性が少ないと考えられたからである。


Ta154A-1(ドイツのモスキート)

2020-04-09 16:28:58 | プラモコーナー

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 ハセガワの1/72である。最近店頭にはみかけないが、さほど古いキットではない。ハセガワはタミヤに比べ、小生には良し悪しのばらつきがあると感じるが、これはできの良い方である。昼間戦闘機型と夜間戦闘機型があるが、夜戦型のレーダーがちゃちなので昼間戦闘機型とした。モスキートに比べてコンパクトだしスタイルもいい。

 

 キット組み立て自体に問題はないが最大の難関は三車輪式降着装置である。とにかく尾部が重く、機首にいくら鉛を入れても尻もちをつく。そこで考えたのはエンジンナセルである。それでもただ鉛玉を詰め込んでも間に合わない。そこでナセル前方を下にして床に縦に置き、ナセルの内側を濡らしたティッシュで覆う。ヤニ無しの半田を用意して、はんだごてで溶かし、たらりたらりとナセルの中に垂らしこむのである。こうすれば、ナセルの中はハンダで満タンになる。完成するとずっしりと重く、ダイキャストモデルのようである。ただし、間違えると、ハンダの熱でナセルを溶かすので保証はできません。

 尻もち対策はこれでも心配なのだが、幸い、主車輪が荷重でつぶれた形になっているので、支点が3~4mmは後ろになるのには助かった。

 塗装はシンプルでライトブルー系の地にグレー系のインクスポット迷彩と言う単純なものである。いつもの通り、塗装図を1/72に拡大してナイフでグレーの部分を切り抜いてマスキング紙を作って、エアブラシで吹くと言う根気さえあれば技術のいらない手法である。ただ、国籍標識が白なので、その背景にグレー系のスポットがピタリと合わせるように狙いました。御覧の通りドンピシャです。もちろん塗装図で間に合わない部分はあるので、そこは画用紙に穴を開けたもので適当に。

 ところでTa154は当時のドイツ航空技術の弱点を体現したような機体ではある。モスキートに範をとって木製にしたはいいが、木の接着剤不良が解決できず、事故多発で実用化はとん挫した。波長の短いコンパクトなレーダーが作れず、レドームに収めることができなかった。排気タービンが実用化できなかったのも日本並みである。もっとも当時の排気タービンは絶対ではなく、Ta152のように、機械式二段過給機の方が性能の安定性に優れているのではあるが。

 小生としては、本機が無理して木製にせず、適切なエンジンが得られれば、実用化して活躍できただろうと惜しむ次第である。やはりクルト・タンクの飛行機はスタイルがいい。


伝統芸能の保護の難しさ

2020-04-04 19:44:33 | 芸術

 旧聞に属するが、当時の大阪市の橋下市長が文楽への補助金を打ち切ると言いだして、伝統芸能の保護の在り方が問題にされたことがあった。伝統芸能を含めた芸術の保護には二種類がある。ひとつはクラシック音楽や古典的絵画のように、評価がおおむね確定した芸術作品に対して、今後も存在させるようにすることである。音楽や演劇の範疇に属する芸術は、それを維持するためには、再現する技能者が必要である、という困難さがある。これに対して絵画や彫刻のような視覚芸術は、作品は既に出来上がったものであるから、これを維持するには、保管の方法を考えればいいから数段楽であると言えよう。

 評価が確定しているものとは、実は芸術としての形式が完成し、しかも作品としても今後同じ形式で新しい作品が生み出されることが無いものである。文楽にしても歌舞伎にしても、西欧のクラシック音楽にしても、そのジャンルに属する作品は数さえほぼ確定していて今後新しい作品が全く同じ形式で生み出されることは、例外的にしかないのである。逆に言えば、伝統芸能は現代の映画のように大衆が娯楽として対価を支払って鑑賞しにくる、と言う事が少ないから、再現する技能者が生活を維持する手段が無い、つまり収入が得られないと言う事である。そこに伝統芸能の保護の必要性がある。補助金を大阪市が支払わなければ文楽はなくなってしまう可能性が大きいのである。

 現在に生きている形式の芸術とは、大衆など芸術を享受する者たちによって鑑賞の対価が支払われるから、古典的芸術のように保護する必要が無い。その代わり現代に生きて新しい作品を生みださなければならない。しかし評価が確定していないが故に、色々な妨害がなされることがあろう。チャタレー裁判などはその口で、芸術家かわいせつかなどと言う語義矛盾のような公権力の言いがかりで出版が妨害されようとした。これに対して守るのがもうひとつの保護である。従って本稿は、第一のものを論ずることになる。

 論旨は違うが、産経新聞平成二十四年九月七日の一面に、芸術の保護に関する当時の橋下市長の寄稿がある。橋下大阪市長が文楽協会への補助金凍結について曽根崎心中を見て「演出不足だ。昔の脚本をかたくなに守らないといけないのか」「演出を現代風にアレンジしろ」「人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」と言ったと言う。

 私はこの意見に到底賛成できない。文楽は当時の最新のテクノロジーの範囲で作られた人形劇の一種である。そしてその範囲で完成されたものである。当時の大衆はそれを楽しんだのであり、ビアズリーの作品がモノクロの線描しかできない当時の印刷技術の制限の中で完成されたものであり、それゆえに独特の表現となっていて価値も高い。従って今の技術を使って合理化するとすれば、それはもはや文楽ではなくなるのである。極限を言えばロボットやCGを使え人形遣いはいらない。たがあのように人間の顔を誇張する必要性も無くなる。だから表現手法が不自由な故にある味わいもなくなる。

 歌舞伎でも同様であろうが、視覚芸術であっても、作品の形式に慣れなければその作品を理解できない。英語の詩だと英語が分からなければ面白さを理解できないように、文楽の形式を理解できなければ、実際には文楽の面白さを享受できないのである。橋下氏は普段からみているテレビドラマのせいぜい時代劇の感覚で見ているのであろう。曽根崎心中のストーリーを使って時代劇映画を作るのは可能であろう。究極的には橋下氏の言うのはそうせよ、と言っているのに等しい。

 文楽と言う芸術はもはや新作を作ることも技術的改良を加えることもできない、現代には芸術の形式としては生きていないのである。これは芸術の形式が完成したからである。従って余程の好事家以外は対価を支払って作品を鑑賞しようとはしない。つまり何らかの形で保護しなければ現代には存在しえない芸術である。いわば絶滅危惧種である。それを保護すべきか否かは本稿が論ずるつもりはない。失礼な仮定ながら、文楽協会の運営に問題があって補助金が無駄遣いされていることについて、橋下市長が問題にして補助金を打ち切ろうとしているのなら正しいのであろうが、批判は芸術の形式だけにしか言及されていないのだから、やはり見当違いの補助金打ち切りの理由としか考えられない。

同じ古典芸能と言っても落語にはこのような問題が比較的少ないようである。その理由は落語が新作と古典の二分野を持つことが出来ている事にあるように思われる。落語は江戸時代からの伝統芸能でありながら、現代の世相を表現する新作落語を作ることができる。従って興行収入的な面では新作に負うことができる。

しかも新作と古典の違いは、作品の時代背景が、現代か江戸時代かが主なものであろう。だから新作落語への理解は同時に古典への入り口ともなる。しかも現代の日本語の標準語が落語から作られたと言われるように、時代の相違に比べ言語の相違が少ない。古典落語とはいっても時代背景が異なるだけで言葉の理解に決定的な不自由はないのである。日本人が時代劇を楽しむことができるのなら、古典落語も理解困難ではなくストーリー自体も楽しむことができる。

このような例は文楽や歌舞伎などの日本の古典芸能に比べると稀有な例と言える。西欧のクラシック音楽に比べても同様であろう。クラシックを演奏するオーケストラを使って、映画音楽が演奏されることがある。これは新作である。だが同じくオーケストラを使っているというのが共通するだけで、ベートーベンなどの音楽とは別なジャンルには違いない。もちろんこれはどちらが高級か、という価値判断を言っているのではない。しかしこれによってもオーケストラを維持するだけの安定的な収入を得ることは困難である。

そもそもクラシック音楽を演奏するために高度な技術の獲得をを要する割に演奏家の収入の道は少ない。クラシック音楽の固定的ファンは多いが、それでも講演収入でオーケストラを維持する事ができるのは、メジャーな楽団だけであろう。