毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

GHQの深謀遠慮

2013-12-30 11:28:07 | GHQ

 かの「吾輩は猫である」、にこんなエピソードがある。手元に本が置なく、記憶で書いているから正確ではない。ある人が金の儲け方を教えてやるといった。600円人に貸したとする。そして返済期限が来ても一遍に返さなくてもいい、と言ってやるのだ。月に10円づつ返してくれと言う。すると、1年で120円返すから、5年で完済となる。

 しかし、借りた人は毎月毎月金を持っていくのが習慣になって、金を持って行かないと不安になって、5年を過ぎても金を持ってくるように来るようになってしまうから、5年過ぎると儲かる、というわけである。あまりに馬鹿馬鹿しいので、多分ほとんどの読者は、記憶に残っている人は少ないと思う。しかし小生は現実にこんなことはないにしても、習慣が理性の判断を曲げる恐ろしさを表わした挿話だと思い忘れられなかった。

借りた人は初めの頃は、借りたものの義務として仕方なく返しに行ったのである。しかし永年の習慣が続くと、仕方なく、ではなく、返すことが当然の義務と感じるようになってしまったのである。これに符合する事実は世の中にいくらでもある。

別冊正論に、桶谷英昭氏がNHKのラジオ番組録音で、大東亜戦争、と語ったらその後、大東亜戦争はまずいから、大平洋戦争と言ってくれと言われた。理由はNHKでは大東亜戦争は禁句である、と言うのだ。氏が拒否すると「大東亜」の所をカットして放送されたというのである。

GHQは大東亜戦争を大平洋戦争にせよと、検閲を指示した。NHKの職員とて当たり前だと思っていた大東亜戦争を使うのを「仕方なく」止めて、大平洋戦争と言わされていたのである。しかし、長い間検閲が続くと、検閲が解除されて自由になっても、大平洋戦争、と言う言葉を使わなければならない、という当然の義務感になっていたのである。

600円の借金の儲け話は単なる笑い話ではなく、人間の一面の心理をついたものなのである。もちろん、大東亜戦争が使えなくなったのは、こんな単純な話ではなく、多くの複雑な要素もあろう。しかし、原因の一部を構成しているのは間違いはない。ちなみにマスコミにも関係なく、戦後の教育も受けず、歴史に興味もなかった父母は、死ぬまで当たり前のごとく、大東亜戦争と言っていた。


北朝鮮のクーデター

2013-12-15 14:55:11 | 政治

 平成25年12月14日の産経新聞報道によれば、13日金正恩第一書記の叔父で後見人とされた前国防副委員長の張成沢氏が処刑された。報道によれば、国の破局が拡大しているにもかかわらず、現政権が何も対策できないため、クーデターを計画していたことを本人が認めたとされる。指導者の金書記は若く経験もないため、就任後、核実験強行や朝鮮戦争の休戦を白紙にすると言ったり、常軌を逸した動きを繰り返している、という。今回の事件もあたかもその一環であるかのようにみているのだ。

 小生にはこの筋書きがどうしても納得できない。そもそも、金書記本人が処刑や一連の動きを発想し指示する権力を持っていたとは思われないのだ。あの若さでいきなり権力中枢の頂点に立って行動できている、と考えるのが余りにも不自然である。結論から言うと、北朝鮮の政権は金書記を飾りにして、実質は張氏をトップとするグループが仕切っていたのである。張氏は経済立て直しのため、軍が持つ鉱山開発の「外貨利権」などを剥奪したり、中露に経済特区や港湾の使用権を売るなどした、とされている。

 つまりこれらの張氏の「改革」に反対する者たちが集まって、張氏をトップとする政権中枢を排除した、クーデターであったのだ。いみじくも張氏が「クーデターを企てた」としているのがそのことを物語っている。政権の実質的トップである張グループにクーデター計画が洩れたら逆に粛清される。だから突然張氏を拘束し、特別軍事裁判をして翌日に処刑するという迅速な行動が必要であったのである。

 金書記が飾り物でなく政策を仕切っていたとしたら、排除すべきは金書記本人であったはずである。そうでなかったからこそ、後見人の張氏グループが失脚しても金書記はトップでいられるし、「改革」は張氏グループの排除だけで阻止できるのである。要するに全体主義国家にありがちな権力闘争に張氏は負けたのである。


珊瑚海海戦は日本の敗北

2013-12-14 14:08:59 | 大東亜戦争

 一般的には、戦果が大きかったことで日本軍の戦術的勝利で、ポート・モレスビー攻略に失敗したことを以て米軍の戦略的勝利だとみなすのが、日本では一般的である。しかし、レキシントン撃沈は日本の大鳳と同様に、気化ガソリンの誘爆というラッキーパンチによるものであり、雷爆撃の被害そのものは、沈没に至るものではなかった。それに比べわが祥鳳の撃沈は過大なまでの雷爆撃によるものである。さらに艦上機と搭乗員の被害は日本側の方がはるかに大きい

 いや被害の大きさで勝敗を言うのではない。旅順の攻防戦では、日本側の方が死傷者は多い。だが、旅順占領という戦闘目的を果たしたから、日本の勝利なのである。日本はポートモレスビー攻略という作戦目的を達成できず、米軍は上陸部隊の阻止という目的を達成したから勝利したのである。戦術の戦略のという話ではないのである。

付言すれば、米艦隊は、レーダーや無線を使って日本機を効果的に迎撃しており、日本軍のそれは明かに劣っていた。その差は時期が経てばなおさら広がっていった。その萌芽は珊瑚海海戦の時に既にあったのである。日本海軍は、せめてその点だけでも教訓を得ていれば、しゃにむに艦上機で強襲するという単細胞な戦法を考え直せたであろう。空母同士の戦いでは海軍はただでさえ米軍よりずっと少ない搭乗員を損耗していくだけだったのである。

空母同士の海戦で、皮肉な事に惨敗したはずのミッドウェー海戦だけが、わが軍の搭乗員の戦死者が少ない。他の海戦では、南太平洋海戦のように、勝利したと言われていた場合でも、搭乗員の戦死者はわが軍の方が余程多い。ミッドウェー海戦の場合は、敵空母を攻撃できたのが、わずか飛龍一艦だけだったからである。もし4空母が全力で敵空母を攻撃していたら、戦果はともかく、相当数が撃墜されていたはずである。