節操を失った自民党
現在の政界の混迷の原因は小澤一郎の野心にある。自民党にいるべき人が、民主党などの野党に行ってしまう。だから自民党はやせ細って、政権維持のため、あるときは社会党と組み、今は公明党と組むなど節操を失っている。
政治と宗教が分離すべしとある、日本国憲法下で、創価学会という宗教団体の支配下にある、公明党と自民党は組んでいるのである。創価学会員は学会の支持で投票し、選挙運動する。政治活動を宗教が支配している。そしてテレビで創価学会批判をするものはない。大手マスコミで創価学会批判をする社もない。かの産経新聞すら創価学会批判はできない。
自民党を壊した小澤
そもそも小澤が自民党を壊したのは、ソ連の崩壊が原因である。そんなこと言う人いませんよね。でも事実である。ソ連の崩壊は共産主義の崩壊である。すると日本の野党のうち社会党や共産党はなくなる。その議席は健全な資本主義の考え方の議員に入れ替わる。自由党と民主党が1955年に合併して保守合同したのは、日本で共産主義勢力が台頭してきたからである。
そもそも戦前から日本は資本主義政党による二大政党政治だったのである。自民党独裁と言うが、自民党に統一しなければ日本も共産主義化される恐れがあると考えられた。共産主義独裁の恐ろしさはナチスドイツの比ではない。中国ソ連カンボジア北朝鮮などの共産主義政権で殺戮されたのは、70年間で何億人にのぼる。恐れるのは当然である。
ついに保守合同をやめて健全な二大政党政治に戻ることができる。以上は頭脳明晰な小澤の読みである。論理的には間違いはない。そこで小澤は新進党やら自由党やらとにかく自民党と対決することができる資本主義政党を次々と作ってみた。当時の政党地図は、資本主義の系統で自民党、公明党、民社党である。共産主義の系統で社会党と共産党である。
資本主義の政党とは言っても、先に説明した事情で公明党議員で小澤の新党に参加するものは一人もいない。民社党は元々社会党右派だから支持基盤は労働組合にある。だから反自民党である。すると小澤の新党は自民党を分割することでしかない。それでも自民党が共産党や社会党の支持者で共産主義に絶望した人たちの票を獲得して勢力を増せばよいのである。
ところがそうはならなかった。小澤のミスはソ連崩壊によって共産党や社会党が崩壊することを確認するまで待てなかったことにある。小澤の読み違いは、社会党や共産党は共産主義思想の政党であると同時に、労働組合を支持基盤とした政党であるということを忘れていたことにある。日本では思想より組織、あるいはコミュニティーの方が結びつきが強いのである。
共産党員は確信的な共産主義者だから、共産党という組織がある以上、個人的に党を割って出る事はない。ただし何十年間に代わりすれば確実に衰退するだろう。新規に共産主義にかぶれるものは少ないからである。社会党議員は党を割って出ることはあっても労働組合という支持基盤付である。だからこれら労働組合に支持された議員に代わって自民党系の議員がとって代わることはない。
小澤が作った民主党
自民党が混迷する間にとうとう民主党なるものができた。いわゆる無党派層、元自民党や民社党などの議員が結集したのである。問題は社会党議員が大量に入ってきたことである。共産党のような一枚岩ではない社会党は崩壊する危険があった。それを恐れた社会党議員が支持基盤の労働組合ごと脱党して民主党に入ったのである。
こうしてかつての野党第一党の社会党はみるかげもなく凋落して、民主党が大勢力となった。このキーワードは労働組合である。労働組合という支持基盤は、共産主義の没落にも崩壊しなかったのである。そして鵺のような民主党という政党ができあがった。民主党は右でも左でも、とにかく入りたい議員は誰でも入れた。依然として堅固な共産主義者、原爆保有を主張する西村慎吾のような右派、反権力ムードだけの菅直人のようないわゆるリベラルなど。
民主党に統一があるはずもない。しかしこの不統一は議員数を集める上では民主党に有利に働く可能性はある。中にいる議員の思想と支持基盤はばらばらだが、一人一人の議員をみれば支持者は固定している。固定していなくても、思想のバリエーションが広いから、無党派層なるひとたちはその中から好みの議員に投票すればよい。つまりあらゆる勢力の支持者がどれか好みの議員を選択できるデパートである。
だから一時的に勢力を拡大して政権を取る可能性はある。しかし内実は先に述べたようなことだから、長続きはしない。結局短気な小澤は待てなかったが、私たちは共産主義の支持基盤であった労働組合が崩壊するのを気長に待たなければならない。
労働組合は非共産主義のあるいは反権力ではない健全な労働組合になるのを待たなければならない。それは長い道である。大多数の労働組合が穏健な思想を持っていたとしても確信的な過激派はおどしによって健全な労働者を支配することが可能なことを私は知っている。この恐怖の支配が止むには時間が必要である。
民主党は結局小澤一郎の早すぎた自民分割の究極の産物である。その民主党の党首に小澤がいるのは必然ではなく、アイロニーに過ぎない。小澤は金権候補の権化である。それがリベラルを主張する人たちにかつがれて、選挙対策に利用されているのは大いなる皮肉である。小澤は元々国防問題など思想的には比較的健全だった。ところが今選挙対策でなりふりかまわない。健全な思想を放棄して権力闘争に走る政治家に未来はない。
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