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ワシントン、ロンドンの両軍縮条約が海軍をだめにした

2019-12-13 21:38:27 | 軍事技術

  大東亜戦争の海軍の最大の愚行は、世界に類を見ない陸攻なる機種を発明して対艦攻撃に多用したことである。陸上から発進した双発の雷撃機が長躯敵艦を雷撃撃沈する。大雑把にいえば陸攻とはそのような目的で開発された機種である。もちろん陸攻も爆撃は可能であるが、水平爆撃では航行する艦艇に命中させることは困難である。命中したところで致命傷を与えて撃沈することは困難である。命中率がいい艦爆による急降下爆撃でも致命傷は与え難い。

 実績における例外は真珠湾で九七艦攻が使った800kg徹甲弾とティルピッツを破壊したランカスターの超大型爆弾である。兵頭二十八氏が言うように、米海軍が雷撃機より艦爆を多用したのは空母により敵艦に致命傷を与えることを期待しなかったからである。これには、爆撃で相手の反撃能力を奪っておいて、とどめは雷撃機による攻撃か戦艦の主砲弾によればいいという合理性がある。

 これに対して日本海軍は、主力艦の撃沈を目的として雷撃を重視した。日米とも手法は目的にかなったものである。日本海軍はさらに艦上機ばかりではなく、陸上機にも雷撃させることを考えた。それが陸上攻撃機である。それはマレー沖海戦のプリンス・オブ・ウェールズとレパルス撃沈として見事に結実した。

 日本海軍が陸上攻撃機、という海軍としては当時世界にも類例をみない機種を発明したのは何故か。それはワシントン及びロンドンの両軍縮条約の結果である。最初のワシントン条約では、戦艦のみならず空母の保有量まで制限の対象となった。日本は米海軍に勝てる最低限度とした7割の保有量を確保できず、6割に抑えられた。しかし、巡洋艦以下については制限がない。そこで海軍は巡洋艦の建造に邁進することになった。

 その結果、大型巡洋艦(重巡洋艦)は昭和五年のロンドン条約交渉時点では、日本六万六四〇〇トンに対して、米国二万トンであり、日本はさらに四万トンが完成直前にあった。主力艦の不利を巡洋艦で補完しようとしたのである。ところがロンドン条約では、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦とほぼ全ての戦闘艦艇に制限が課せられ、潜水艦が対米同量である他は全て対米六から七割に抑えられた*。

 昭和七年当時海軍航空本部長であった山本五十六少々自らの発案で爆弾2トン、航続距離2,000浬以上という、大型陸上攻撃機の試作指示が出された。山本と海軍の想定はあくまでも陸攻は陸上から発進して敵主力艦を攻撃し、艦隊決戦のための暫減作戦に使用するものであるから、艦隊に随伴して動く空母の艦上機に比べて航続距離が長くなければならない。山本五十六は海軍の陸攻の発案者であったのである。その前に九三式陸攻というのがあるが、双発の艦攻の試作に失敗した少数機を陸攻として採用したのに過ぎない。

 実は山本が発想した九五式陸攻には雷装はない。九七式大艇は雷装がありながら、大型鈍重で被弾の危険が大きいとして魚雷の使用は試験段階で断念されている。九五式陸攻は全幅三〇mという一式陸攻より大きく四発の連山に近い大型機であったから同様に考えられたとも推定できるが真相は不明である。九五式陸攻が大型となったのは航続距離を大きくするためであったから、大航続距離の必要性と、雷装による被弾の危険性の矛盾に陥ったのかもしれない。九五式陸攻には400kg爆弾という日本海軍としては変則な爆弾の搭載が予定されていた。

 250kg爆弾の上は500kg爆弾であり、400kg爆弾というのは標準的ではない。九七艦攻の800kg爆弾は戦艦撃沈用に、長門級の40cm徹甲弾を改造した。もしかすると、400kg爆弾は旧式戦艦に多く用いられていた30cm徹甲弾の改造かもしれない。真珠湾攻撃用800kg爆弾と同じ発想で戦艦の徹甲弾改造の400kg徹甲弾を山本が九五式陸攻用に考えていても不思議ではないが、皆さんの中で御存知の方は教えて下さい。ちなみに後の深山、連山と言った四発の大型の陸攻には雷装は考えられていない。いずれにしても、九五式陸攻の後の九六式、一式陸攻と言った双発の陸攻は雷撃爆撃両用であり、艦船攻撃にも両方が使われている。比較的大型である一式陸攻は双発機としてはかなり軽快な操縦性を持っている。

 かく言うように、日本海軍の陸攻という機種は軍縮条約の生んだいびつな落とし子である。それはマレー沖海戦の大戦果として結実した。しかし、誰が論じたか失念したが、マレー沖海戦の大戦果は英海軍が戦闘機の護衛を付けないと言う大チョンボをした幸運の結果だった。当時の英海軍は立派な空母を持ちながら、まともな艦上機を開発できないほどの、航空機運用に関しては大間抜けだったのである。九五式陸攻の発案以後の成果が実って、敵戦艦を洋上で、それも次々とニ隻も撃沈したのである。それを実力と誤解した山本五十六は、それ以後、い号作戦などで艦船攻撃に陸攻を多用して戦果少なく機材、ベテラン搭乗員ともに多大な犠牲を出し続けているのは悲劇としかいいようがない。山本は、ハワイ・マレー沖海戦の大戦果に舞い上がって、これで大東亜戦争は艦隊決戦で勝てるとそれまでの持論に確信を得たのであろう。

やはり海軍が大型陸上機を艦船攻撃に大量に運用する、というのは軍縮条約による制限からの焦りが生んだ邪道であるように思われる。ガダルカナル争奪戦の元となった飛行場も、陸攻の基地として海軍が設営したものである。日本海軍は機動的に動ける空母があるのに、陸上に飛行場を建設する、という無駄を行った。艦隊と共同して敵前上陸をして陸戦を専門とする米海兵隊が陸上機を持っていたのとは事情が異なる。海兵隊と日本海軍の陸戦隊とは、戦闘の練度において隔絶の差があるのは常識である。

陸攻は三座の艦上攻撃機に比べ二倍以上の搭乗員を必要とする。九七艦攻と一式陸攻を比較すれば、ジュラルミンの使用量に至っては四倍である。同機種で比較すれば飛行距離当たりの燃料消費量は2倍以上違う。にも拘わらず積める航空魚雷は同じく1本である。あらゆる資源の使用量が大きく違うのに実質的攻撃力は同じであるという効率の悪さである。

余談だが、ビスマルクはよたよたの複葉機に容易に雷撃を許し、英戦艦二隻は鈍重な陸攻の攻撃を対空砲火で撃退できなかった。日英独海軍とは同時期の米海軍の対空火器の威力と大きな違いがあるように思われる。さて陸攻なる機種は現代にないかと言えばそうではない。ロシア海軍が引き継いだのである。バックファイア爆撃機は現代の一式陸攻である。多数の対艦ミサイルを艦隊防空陣の防衛圏外から発射して行う飽和攻撃は日本海軍の理想を実現した

 貧弱な艦艇しか保有しないロシア海軍には、手軽に米空母機動部隊を制圧する手段は他になかったのである。キエフ級航空巡洋艦のように、船体に所狭しとばかりに各種兵器を満載しているのも日本海軍の艦艇と似ているようにも思われる。いずれにしてもいびつな海軍は日ソともに陸攻という愚かな機種を生んだ。飽和攻撃に対処するためにイージス艦という対抗手段が生まれた。 矛と盾の関係である。

*東郷平八郎・岡田幹彦・展転社


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