毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

池上彰氏の歴史観

2017-05-31 16:27:46 | 歴史

博識で有名な池上彰氏の歴史観を象徴する、テレビ番組を偶然見たので、紹介する。

その1:バルト三国は、元ソ連だった

 平成28年11月26日のテレビ朝日の番組での、池上氏の発言である。トランプ大統領の当選に関連して「バルト三国はかつてはロシアと同じくソ連だった」という主旨のことを言った。その上、バルト三国のうちの一国がトランプの当選に伴い、ロシアが攻めてきたら、という想定の演習をしている、とこともなげにいうのである。

 この奇妙さは池上氏が、南北朝鮮はかつて日本と同じく大日本帝国だった、とこともなげにいうはずはない、ということを想像すればわかる。独立国だったバルト三国は軍事力による脅迫によって「ソビエト連邦に参加したい」と「自発的に要請して」ソ連邦の一部にさせられたのである。ソ連時代の苛酷な支配、粛清やシベリアへの強制移住などの怖ろしい体験をしているからこそ、バルト三国はトランプが選挙中に表明していた孤立主義によって、ロシアから再侵略を受けないかと恐怖して、演習をしていたのである。

 これらの歴史的経緯をすっ飛ばして、ロシアがバルト三国にいかに怖れられているかをも説明しないで、単に対露軍事演習などをしている、と平然と言うのである。売り物にしている池上氏の博識とは、GHQによって洗脳された史観に基づくものでしかない。GHQ史観のデパートに過ぎない。

その2:象徴天皇とは

 平成29年4月2日の週のテレビ番組であったと思う。池上彰氏の解説で皇室のうんちくを紹介する番組があった。冒頭のあるタレントへの氏の質問で、象徴天皇の「象徴」とはどんな意味か、と聞いた。聞かれたタレントが的確に答えられなかったのは仕方ない。驚いたのは、氏の解説が憲法改正直後に政府が出した、憲法の解説書を引用しただけだったことである。

 事実はGHQが日本政府に提示した英語の憲法草案にsymbolとあったのを象徴と直訳したことが発端となったのは、常識であり明快な答えである。池上氏はこのことを絶対に言わない。理由は単純である。日本国憲法はGHQに強要された、とは間違えても言いたくなかったのである。そのことは日本国憲法擁護論者でも、今では認めていることなのに、である。

 池上氏はテレビなどで、教養ある解説者としてひっぱりだこである。氏の解説は明快で公平であるように思われるからである。ところが池上氏は上記のふたつの例のように、自身の主張に都合の悪いことは、知っていて言わない、という悪癖があることは覚えて置いたほうがいい。

 


日本の軍隊はクーデターを起こさない

2017-05-28 16:34:19 | 軍事

 倉山満氏が言うように(*のP268)今の自衛隊は「すごい武器を持った警察」である。「法体系が、自力で動いてよい軍隊のものではなく、政府の命令がなければ何もできない警察と同じだからです。いわゆるネガティブリスト(禁止事項列挙方式)ではなく、ポジティブリスト(許可事項列挙方式)になるという問題です。これなどは憲法を変える前に整備しておくべき問題です。」

 要するに、世界中の軍隊はネガティブリスト方式で運用されているのに、自衛隊だけが警察と同じく、ポジティブリスト方式で運用される法体系となっているから、軍隊らしい強力な装備をいくら持とうと、法的には軍隊ではない、ということである。自衛隊は憲法違反だという論者は珍しくないのだが、そもそも軍隊ではないのだから、自衛隊は憲法違反ではない、という論理的帰結になる。

 ポジティブリストで縛っているのは、自衛隊を軍隊にしたくない、という反戦論者の深謀遠慮などではなく、警察予備隊から発展した、という歴史的経過があったのに過ぎない。自衛隊は禁止されていない事なら何でもやっていい、という軍隊並みになったとして生ずる最大の危険性はクーデターである。発展途上国にしばしば、クーデターが起こるのは、軍隊のこの性格によるものである。

 だが、自衛隊が軍隊とされないのは、残念ながらそんな配慮によるものではない。結局クーデターが起らないようにするためには、厳しい軍律が守られることと、政治の軍隊に対する優越が必要である。それは政治家の権力が上位にある、ということだけでは済まされない。政治家の軍事的判断能力が優れている、という前提が必要である。

 戦前の日本では、五一五事件や、二二六事件など、クーデターもどきが起きたり計画されたりしたが、結局はクーデターは起きなかった。二二六ですら、天皇の君側の奸を取り除く、ということでしかなく、現在も某国で起きているような、反乱の首謀者自身が軍事政権を握る、ということすら計画にはなかった。それでも、内閣の機能不全は、昭和天皇の反乱軍討伐命令、によって解決された。ぎりぎりのところで、政治が軍事を統制したのである。

 戦前は軍部独裁になってしまった、と言われるが、そうではなかったのである。前述のクーデターもどきの事件の例は、現在の世界の水準からみても、日本の軍隊は抑制的であった、というのが実態である。なるほど軍による倒閣はあった。ところが「自分たちが組閣すると衆議院が反発するので、もっと早く総辞職に追い込まれます。(*のP175)」

 もっとも、満洲事変のように、政治が軍事を統制することができない事件も起きた。しかし、関東軍に満洲の権益と在満の居留民を守れという任務を政治が与えておきながら、漢人の暴虐が質量ともに膨大となっても、政治は関東軍に自制せよ、というだけで解決策を示さなかった。

 だから関東軍は自助努力をせざるを得ない立場に追い込まれた。朝鮮軍の林銑十郎は支援のため、軍規違反である越境をした。まさに統制に服さなかったのである。ところが、事変を歓迎するマスコミや世論に押されて、政府は軍規違反を追認した。どちらにしても、自衛隊が本当の軍隊となっても、戦前並の軍律意識があれば、自衛隊がクーデターを起こさない、ということは歴史が証明している。

 倉山氏が言う如く、自衛隊を軍隊とする、ということは、単に自衛隊を国防軍という名称変更をし、憲法に国防軍を認める条文を入れる、という事だけでは済まない問題である。それでも集団的自衛権を認めるか否か、という既に実行済みの問題を認めることですら、大騒ぎになったのである。

 現に、日本国憲法が施行された以後の、朝鮮戦争やベトナム戦争で米軍基地を提供することで、集団自衛権は何度も行使されていたのである。戦争中の国に基地を提供するのは、戦時国際法の中立違反、すなわち戦争に参加していることを意味する。たまたま日本が直接攻撃を受けなかったのは、北朝鮮にも北ベトナムにもその能力がなかったのに過ぎない。当時、北朝鮮にも北ベトナムにも、日本を攻撃する国際法上の権利はあったのである。

それどころか憲法九条のおかげで日本は戦争をせずに済んだ、というのも大嘘だということも付言する。朝鮮戦争で米軍の上陸阻止のために撒かれた機雷を、日本の掃海部隊が派遣されて掃海し、戦死者一名の犠牲が出ている。機雷敷設は戦闘行為であるのはもちろん、それを除去する掃海も、戦闘行為である。憲法九条がありながら、日本は戦争していたのである。

 

*日本国憲法を改正できない8つの理由・倉山満・PHP文庫


お札を刷ればデフレ終了?

2017-05-23 15:40:01 | 政治経済

 経済に詳しい者は、デフレを脱却するには、日本銀行がお札を刷って増やせばよい、という(*のP233)。「デフレとは、モノはしっかり生産して増えているのに供給されるお札の量が足りない状態のことです。」確かに品物の量が一定で、お札が増えれば、単純計算上は単価が上がる、物価が上がるからデフレは脱却できる、という理屈である。

 素人目には、こんなに単純にいくのだろうかだろうか、とむしろ不思議に思える。日銀がたくさんお札を印刷したとして、それはどこに行くのだろうか。印刷された札は日銀の倉庫に積まれる。積まれたお札が、市中にどうやって出ていくのか。その説明を寡聞にして聞かない、から教えて欲しいのである。

 日銀は、会社と直接取引をするわけではないから、日銀の倉庫に山と積まれたお札が市中に出ていくには、普通の銀行家を経由しなければならないのだろう。まず、日銀から一般の銀行に、どうやって渡すのか。ただ渡すわけではあるまい。

また一般の銀行から会社にどうやって会社にお金を渡すのか。たくさん日銀から受け取ったお札を、どういう理由で会社に渡すのか。まさかお札をただでごっそりくれてやる訳ではあるまい

方法論を説明してくれないから、永遠に素人には分からないのである。同書でお札増刷の後に延々と続くのは、日銀総裁の地位は不可侵だから、第二次安倍内閣以前の、政府に反対する日銀の抵抗の強さを延々と書いているだけであり、上記の疑問の説明はない。

 同書で、もう一つ小生には理解できない記述がある。「平成初頭にバブルが崩壊して以降、日本は一度も好況になったことがありませんから(P232)」云々である。森永卓郎氏が、2006年11月付けのブログで「国民が『いざなぎ超え』景気を実感できない理由」という文章を書いている。それによれば、2002年2月に始まった景気拡大が57カ月続き、戦後最長の「いざなぎ景気」を超えた、と書いている。

 いざなぎ景気とは、「好況」のことである。好況と比較するのだから戦後最長続いた、というのは「好況」のことだろう。森永氏はバブル以降、いざなぎ景気を超える長期の好況があったと書いているとしか考えられないのである。ところが、不思議なことに「好況」とは決して言わず「景気拡大」と言っているのである。

 当時の新聞記事の記憶があるが、確かに「いざなぎ景気を超える戦後最長の景気回復」という活字が躍っていて、森永氏同様「好況」「好景気」とは絶対に書かないのである。つまりバブル崩壊以後、経済の専門家は「好景気」「好況」という言葉を忘れたカナリアになってしまった。

 小生は1999年の末頃、内部配布の広報誌にエッセーを書かされた。経済の専門家ではないのに、「不景気不景気と言うが、平均株価が20,000円を超えたのだから、好景気に向かっている兆候ではないか」という主旨のことを書いた。バブル崩壊が株価や地価の暴落から始まったのだから、株価がある程度回復したのは好況になりつつあるはずだ、と単純に考えたのである。森永氏が書いているのは2002年の初めから「好況」が始まったということだから、小生の素人エッセーは、見当違いではなかったのである。

 ところで森永氏のブログの主意はタイトルの通り、なぜいざなぎ景気越えが起きているのに、国民の9割は実感できていないのだ、ということである。森永説によれば、ひとつは配分の不公平にある。好況がきて金が余っても、それは普通のサラリーマンには行かず、企業、それも大企業にいくから、中小企業も潤わない、というのだ。

 もうひとつは税制の不公平の拡大だという。発泡酒等の課税や配偶者特別控除の廃止など、庶民には厳しく、法人税減税など企業に有利な税制改革が進められているというのだ。森永氏はこれらの不公平の拡大で、せっかくの好況も庶民を潤していないと、批判しているのである。

 それならば、森永氏は一部の特権層だけが、不当に好況の利益を得ていると批判しているのだ。平成28年から29年にかけて、森永氏はテレビ広告に出ている。前の年は、肥満して、お腹が垂れ下がっている。翌年の広告では、ダイエットに成功してお腹も普通になり、締った体を誇示している。

 最初の肥満体は、明らかに飽食の結果で、貧しい生活どころか、贅沢三昧の食生活をしていたのである。それは貧乏人ではなく、お金持ちの生活である。それをわざわざダイエット会社のプログラムによって改善したのである。世界の発展途上国では、苦労してダイエットしなくても食料飢餓で痩せ細る

明かに、森永氏は好不況にかかわらず、飽食をできたのである。森永氏自身の言う特権層に属しているのである。森永氏は好況の時の不公平な世の中でも、有利な方を享受していたのである。森永氏が高収入を得ているのは、もちろんたゆまぬ努力の結果であり、非難すべきことはない。

ところが、森永氏は自身の努力と同時に、自身が批判している不公平の結果を十分に享受している。森永氏の映像を放映しているのも、出演料を支払っているのも大企業であろう。森永氏のブログの主張が正しいとすれば、その批判は氏自身にもブーメランのように戻って来ている。

もうひとつ倉山氏の同著で、疑問に思うことがある。「皇室典範がこのままだと皇族がひとりもいなくなるという危険性(P273)」があるというのである。これは皇室典範が女性宮家を認めていないことを言っていると推察される。女性宮家ができても、その子孫は女系である。すると、倉山氏は本書では明言していないが、女系天皇を認めよ、という主張なのだろうか。

ところが、平成29年の5月に、誰か覚えていないが、女性宮家でも旧皇族の男系男子を婿に迎えれば、男系男子は絶えない、と書いていた。なるほどという解決策である。もしかすると、倉山氏も、これと同じ解決策が念頭にあるのかも知れない。しかし、倉山氏と同じく、戦後皇籍を離れた旧宮家を復活する、という方法に言及しないのは小生には不可解である。

なるほど一度臣籍降下したものは、2度と皇族には戻れない、というが原則であるというのは承知している。しかし、戦後の臣籍降下は、GHQが皇室が将来維持できなくなるようになる、という深謀遠慮によって悪辣な脅迫同然に行われたものである。国際法違反、という以前に、日本人が許すべきものではない。

不思議なことに、保守系の論者でも、皇籍の復活について反対する者が多いように思われる。さきほどの論者でも、旧皇族の男系男子を婿に迎える、というのは実質的には皇籍の復活と同じである。なぜストレートに、GHQにより臣籍降下させられた旧宮家の復活を主張しないのだろうか。

 ところで、倉山氏の本に関しては、本論と関係ないところを取り上げたので、書評とはしない。しかし、いつもながら「憲法」全体と、成文化された「憲法典」を区別しての、憲法改正論議は読むべきものがある。

 

*日本国憲法を改正できない8つの理由・倉山満・PHP文庫

 

 


零戦の優秀性はパイロットの技量による

2017-05-17 15:13:55 | 軍事技術

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 零戦の優秀性は、現代の日本国内では伝説化している様相がある。渡部昇一氏らの著書でも、零戦を日本刀に例えるなどして、優秀性を讃えている著述は多い。世界に残っている旧日本軍機の中でも数が多いだけあって、飛行可能な機体も複数あり、写真集も多く出版されていて人気も高い。

 零戦は優秀ではなかった、とは言わないが、そこまで特筆して語る価値はなく、強いていえば、当時の日本の軍事航空技術の水準の象徴である、というのが正確ではなかろうか。堀越技師自身、米側からの事情聴取に、正直に欧米機の模倣もあると答えているそうである。当時の日本の技術水準全体からから言えば、不思議な話でも、隠すべき話でもない。

 戦後の日本の航空技術者で最も実機設計経験が多い、鳥飼鶴雄氏は、戦前の航空技術の水準について、最も得意であったと言われている空気力学についてさえ、最先端分野では欧米の技術には劣っていたと言わざるを得ない、という意味のことを書いている。その通りであろう。当時欧米では既に遷音速領域での現象に直面していたのである。

他方、零戦に対する米軍や他の連合国のパイロットの評価は、多くが陸軍の隼と混同されている。大戦初期の空冷エンジン装備の単発単座の日本戦闘機、特に隼の多くが識別の困難さから、零戦として記録されている場合がある。米軍パイロットの高い評価の中には、隼も入っている可能性が大きいのである。

 旧海軍の奥宮正武氏などは、大東亜戦争では陸軍機は全く役に立たなかったごとき酷評をしているが、実態を反映していない偏見と言わざるを得ない。確かに洋上航法の訓練のなされていない、陸軍機パイロットは洋上戦闘では、足手まといの面があったにしても、大東亜戦争全般での評価としては妥当ではない。

 梅本弘氏は「ビルマ航空戦」で、連合国側の記録との照合によって、陸軍機の意外な敢闘を証明していることを立証している。結論から言えば、大東亜戦争初期の零戦を代表とする日本機の活躍は、多くがパイロットの練度の高さによる。日本陸海軍は大東亜戦争開戦時、既に支那事変で航空戦を経験していた。

 加藤建夫、坂井三郎、岩本徹三の大東亜戦争で活躍した、陸海軍の高名な三人のパイロットは、全て支那事変で空戦を経験している。岩本は零戦を使っての、高空からの一撃離脱戦法を常用しているが、これは本人の性格によるところが大だろうが、支那事変で複葉戦闘機と戦った体験による影響もあるものと想像する。戦闘機ばかりではなく、攻撃機や爆撃機の搭乗員も同様に支那事変で経験を積んだ。

 一方の連合国のうち、対日戦の主力だった米軍は、義勇軍(!?)と称して少数のパイロットが参加していただけだった。大東亜戦争初期の、米軍の魚雷に不良品と思われる故障が多かったのも、実戦経験のブランクによるものであろう。

このパイロットの実戦経験の差が、零戦に象徴される日本軍戦闘機の優秀性として現れていたのだった。ちなみに隼はかなり初期から防弾装備をしていて、他の陸軍機も同様で、防弾装備については、海軍機の方がかなり遅れていたことは、米海軍の報告書「日本の航空機」(雑誌「丸」に連載)によっても明らかである。

また、ミッドウェー海戦で、零戦は米雷撃機を次々と撃墜して、防空の任をよく果している。しかし、これは必ずしも米艦戦より、零戦が優れていた証明にはならない。大戦後半の米海軍と異なり、当時は攻撃隊における艦戦と艦爆、雷撃機などとの連携がうまくいっておらず、零戦に手もなく撃墜された雷撃機は、艦戦の援護がなく、裸同然で突っ込んでいたのは、記録を読めばすぐ分かる。むしろ、援護なしに日本艦隊に突撃していった雷撃機や艦爆の敢闘精神には脱帽する。

逆に米艦戦の援護があった攻撃隊の被撃墜率は、ぐんと下がり米艦戦は援護の任務を十分に果たしている。ミッドウェーの艦隊防空戦での零戦の活躍は、パイロットの優秀さもあるが、それ以上に米軍の連携の悪さもあったのである。

 大戦後半になると、米軍技術陣は防弾不足による抗堪性の劣る零戦より、隼の評価の方が高くなっていた、とさえ言われる。かつては、難しい空戦技術が必要のない米軍機に比べ、難しい技術を必要とする旋回戦闘を主とした日本軍戦闘機は、大戦後半になると性能差もあって、負けていった、と書籍に書かれていたものが多かったが、そんな単純なものではない。

 マクロにいえば、大戦後半では緒戦とは逆に、日米間のパイロットの飛行時間に大きな差が出てきた、というだけである。現に生き残った日本のベテランパイロットは、性能差が大きかったと言われる米軍機に対しても、良く闘っている。それどころか昔、旧日本軍機の設計技術者から「P-51の高性能は、何でも世界一を自慢したかった当時の、米国の国をあげての宣伝によるものだ」と直接聞いたことがある。

 類似性能のエンジンを搭載した戦闘機の総合的能力は、よほど設計のまずさがない限り、格段の差が出るものではない。零戦とF4Fについてもこのことが言える。P-51は1400hpクラスのエンジンで、700km/hを超える最大速度を出していることになっているが、これは、1400hpで出した性能ではなく、短時間の戦闘出力と、燃料等の搭載量を減じたテストによるとしか考えられない。

日本の陸海軍のほうが、その点は実戦を想定した厳しいものであったと考えられる。輸入機を試験すると必ずカタログデータを下回る性能しか出なかったことが、それを証明している。実際問題として、元々オーバーホール間隔(すなわち耐用時間)が300時間程度もなかった当時の軍用エンジンで、短時間の戦闘出力を使う、というのは非現実的な話ではないが。

 不思議なことに、あれだけ速度性能差があるはずのP-47が、低空では隼より低速であったことは、米軍パイロットも認めている(世界の傑作機No.65)。P-51やP-47が低空で隼などに撃墜されている例について、遠距離を進出してきたために、帰投の燃料を節約して速度を落としていたので追いつかれた、と説明する向きがあるが、撃墜されてしまっては本も子もない。要するに実際に劣っていたのである。

 また、戦闘機は最大速度で空戦するわけではないから、必ずしも最大速度の差が単純に優劣を決めるわけではない。現にF-14とF/A-18は最大速度に大きな差がある。にもかかわらず、F-14が早々とリタイヤして、F/A-18に置き換えられた理由は周知の通りである。いくら電子化により自動化されている現代戦闘機でも、パイロットの技量は空中戦勝利の必要最低限の条件である。もちろん第二次大戦機と現代の戦闘機に求められる資質には、相違があるが。

 

 


書評・日本人のための世界史(宮脇淳子著)と韓民族こそ民族の加害者である(石平著)

2017-05-14 16:55:59 | 歴史

 「韓民族こそ民族の加害者である」、の主意は、「韓民族の歴史は、中国や日本などの外国の侵略軍を招き入れて、外国製勢力を半島内の勢力争いや内輪もめに巻き込んで利用した」というものであろう。この結果利用された外国勢力は、内紛に巻き込まれるたびに、かえって多大な被害を受けている。韓民族の争いに巻き込まれて滅亡した、支那王朝さえあった。外国勢力とは朝鮮戦争における米中も含まれる。

 本書は全編、その例証にあてられているといってよいだろう。事実関係から言えば、それは正しい。支那の夷を以て夷を制するどころではない、凄惨な韓半島内部での争いが外国勢力を利用して行われたのである。しかも外国侵略を招いた張本人は、不利になれば住民や部下を放置して逃げ出してしまうのである。

 だが、「日本人のための世界史」を読むと、別な見方もできる。本書ではモンゴル帝国と大日本帝国、という今では世界史では(故意に)忘れさられた帝国が、世界史に果たした重大な役割を説明するのが主意である。

 終章に面白いことが書かれている。日本人による新しい世界史をつくるときには「日本列島だけが日本で、外地は日本ではなかったのだから、大日本帝国を日本史として扱わない、という思想は「日本書紀」に起源があり(P269)」この枠にとらわれるべきではない、というのである。

 日本は維新後、欧米人に劣らない能力があることを示すためもあって、海外の植民地経営をし、現地に投資し居住してきた歴史がある。ところが、敗戦によって自己保全のため、日本の歴史を再び日本列島に限定し、外国に進出したことは悪いことだった、と否定するようになった、というのである。この結果、国民国家日本が存在する以前からの日本の歴史を、日本列島だけがあたかもずっと国民国家のように存在し続けた、という前提で限定的な歴史にしてきた、というのである。

 このことは、石平氏の著述にも適用できるのではないか。すなわち、北朝鮮と韓国と言う韓民族が居住する現在の地域が、元々歴史的普遍的に存在する、というのが石平氏の著書の前提にあるからである。

 そういう枠を外してしまえば、事は日本の戦国時代で、戦闘ばかりではなく、姻戚関係や成功報酬と言った調略をも使って争っていたことともなぞらえることもできるだろうし、日本が半島に出兵したのを、日本列島という本来の日本固有の逸脱した、外征ととらえることの、狭量さも浮かび上がってくる。

 ただし、石平氏の言うのは、韓民族と言う内輪の争いに、異民族を引き込んだのであって、韓半島と言う領域から外に出ずに、韓民族での内輪争いに留まっていた、ということである。そして異民族を使っての韓民族同士の卑劣な争い、というのは他の民族に見られない凄惨なものであった、ということも事実である。

 この二人の著書にモンゴル人の楊氏の書いた、「逆転の大中国史」、岡田英弘氏の「世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統」などを併せ読めば、世界史の見方が一気に広がるだろう。我々日本人の歴史観は、東洋は四千年の中華王朝史、西洋はギリシア、ローマの流れをくむ、欧米諸国、といった、中共や欧米のそれぞれに都合のいい狭量な歴史観に囚われている。

 また、日本を日本列島に限定して、昔からずっと存在してきたかのごとき歴史観は、英米仏独といったヨーロッパ諸国は歴史的経過から、結果的に成立したのに過ぎず、今後も続くものかさえ怪しいのに、あたかも普遍的存在として、過去から未来まで存在している、といった日本人の狭量な歴史観を形成している。

 ユーラシア大陸東部は中華王朝がずっと支配していたものではなく、現在中東と呼ばれている地域や、ヨーロッパ大陸の歴史とも錯綜して、単純ではない。もちろん、宮脇氏の言うように、モンゴル帝国や大日本帝国がかつて世界史に果たした重大な役割はすっかり忘れ去られ(故意に無視)されている。


雷電と彩雲の設計思想の相違

2017-05-10 16:48:40 | 軍事技術

雷電と彩雲の設計思想

 世界の傑作機No.108「彩雲」で鳥養鶴雄氏が書いているが、海軍航空技術廠では、胴体やナセルの形状は全長の40%付近に最大断面を置くことが、空気抵抗を最小にする、という研究報告がなされて、一式陸攻、雷電、烈風らの三菱機がこの理論を採用したのだという。雷電、烈風などは、この理論によりエンジンの最大直系位置よりずっと後方で、胴体の最大幅を最大としている。特に雷電では胴体幅とエンジン直径の差は顕著である。

 ところが、中島の彩雲は、この理論を採用せず、胴体最大幅をエンジン部に設定してそのまま後方の胴体も同じ幅としている。一般に海軍の技術陣は民間会社に対して自信を持っていて、陸軍より持論を民間会社に強制する場合が多いとされるが、この例を見れば、民間の設計陣が独自の技術的信念を持っていれば、海軍技術陣も受け入れたのだ、ということが分かる。

 雷電などの場合は、単に設計者が、データに基づく航空技術廠の研究成果を信頼したのだということが分かる。もちろん堀越技師が海軍のデータを信頼したのは当然である。一式陸攻の場合は、胴体内に魚雷を収容することを要求されたために、胴体の全長の40%付近に最大断面積を置くことに、さほど無理はない。雷電の場合には、元々採用エンジンの直径が、出力に比べて大きいので、この理論で抵抗減少を図ろうとする意図は分かるのだが、元々小直径の誉系統を採用した烈風の場合には、別な事情があったのだと小生は推測した。

堀越技師は海軍の指定した誉の性能に信頼を置いておらず、いずれ直系が大きく大出力の三菱製のMK9Aを採用することになるだろうと考えて、あえて太い胴体を採用しておいたのだろうと考えたのである。

 これは邪推だった。胴体最大幅とエンジン直径の差は、誉装備のA7M1が170mmに対して、MK9Aを採用したA7M2でも120mmあり、疾風や零戦に比べ、いずれもずっと大きかったのである。ちなみに、この値はF6Fで152mm、コンパクト化したF8Fでも101mmある。F4Uはわずか29mmで、クリアランス径(エンジン外径とカウリング内側径の差であろう)に至っては、11mmと隙間のないものになっている。いかにF4Uの空力設計がシビアだったか分かる。

 余談になるが、疾風でも幅の差は80mmある。誉は巷間、もう僅か何mmか直系を大きく設定すれば、設計にゆとりを持たせられ、信頼性も確保できたと言われる。しかし、疾風とF4Uの数値の差をみれば、誉の小直径化の設計努力は、機体設計によって無駄にされてしまったのではないかと思うのである。

 また、エンジン直径が1218mmで、疾風の1180mmより大きいキ-100は、カウリング幅を切り詰めて、疾風の胴体最大幅1260mmに対して、1280mmと大差ないものとしている。


仏のEU残留とスコットランド独立

2017-05-01 16:53:00 | 歴史

 平成29年4月から5月に行われている、フランス大統領選挙は、EUからの離脱がひとつの争点である。フランスが離脱すれば、EUはドイツ一強になるに等しく、崩壊の始まりだろう。離脱がなければ、英国が予定通り離脱しても、EUの崩壊は当面ない。元々英国は通貨統合には参加していないから、限定的なEUメンバーであった。

大陸にあった英国領土を喪失してからは、英国外交の主要課題は、大陸の勢力バランスが崩れ一国が突出するのを防ぐことであった。通貨統合もせずにEUに参加したのは、その政策の延長と言えないこともない。しかし、英国は元来、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの連合帝国で、アイルランドに至っては、北アイルランドを残して独立してしまった。

スコットランドは、住民投票で辛うじて、英国に残留した。しかし、スコットランド住民は大勢はEU残留にメリットを感じている。イングランドと利害が異なるのである。もし、フランスがEUを離脱してEUが崩壊したとなれば、イングラントとスコットラドの対立点は減る。

逆にいえば、EUが崩壊しなければ、EUから離脱する英国にいるメリットは大きく損なわれる。つまりEU離脱後の英国の経済情勢の変化によっては、スコットランドだけがEUに加盟したいと考える可能性がある。これはスコットランドの独立志向を意味する。

そうなれば、北アイルランド情勢に影響を与えないはずはない。そもそもアイルランド島のほんの一部だけを、凄惨な内戦までして英国に残させる、ということに無理がある。北アイルランドは、いずれアイルランドに吸収されるであろう。これは小生の願望であって予想ではない。

太陽の沈むことのない、と言われた大英帝国も、本国自身が島国の中で小さく分裂するのである。トルデシリャス条約で地球をふたつに分け合った、と豪語したスペインとポルトガルは、かつての栄光の影もない。世界中の有色人種を不幸に陥れた、英国も末路を迎えた。その後継たる米国も超長期的にはムスリムや黒人の増加によって、その栄光は消えるでだろう。