毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

習近平とは

2023-03-17 14:48:32 | 支那大陸論

 習近平がいわゆる太子党、共産党幹部の子弟であることはよく知られている。ウィキペディアを調べたら、父は習仲勲というそうである。「毛沢東・大躍進秘録」と言う元新華社通信の記者の著書を見て驚いた。この本には大躍進と言われた毛沢東時代の、引用するのさえおぞましい凄惨な記述がどの頁を開いても出てくるものである。壮大なでたらめ-利水工事(P397)と題する記述がある。3000kmの水路を作り、ダムを二つ、発電所を数十か所建設し、二〇余の件が肥沃な土地に生まれ変わるというのだ。ずさんな計画で膨大な金と人員を投入し工事は三年で中止された。一九五八年の秋に国務院秘書長の習仲勲が現場を訪れて、この工事は世界的な意義を持つとか、共産主義の未来を見せてくれたとか演説したと言うのだ。つまり習近平の父は、文化大革命以前からの筋金入りの毛沢東の子分である。習近平は、就任してからさかんに毛沢東を礼賛している。それは党の引き締めを狙ったとか論評されているが、そればかりではない。毛沢東を礼賛することは、父をも擁護する保身でもあるのだから、習近平の言動にようやく納得できた。

 ところで、先の毛沢東と言う本だが、前述のように、凄惨な記述に満ちている。それをいちいち紹介すると大変な事になるのでほんの一部だけ紹介する。続発する粛清とリンチ(P48)という項には人民公社での非道な行為が書かれている。

「全公社には公社、大隊、小隊あわせて一五一〇人の幹部がいたが、うち、幹部総数の41.5%に当たる六二八人が人を殴った。殴られた者は三五二八人・・・におよび、その場で殴り殺された者五五八人、殴られた後で死んだ者六三六人、障害が残った者一四一人、死に追いやられた者一四人、逃げ出した者四三人である。拳で殴る、足で蹴る、凍えさせる、飢えさせる以外にも、冷水を頭から浴びせる、髪の毛を引き抜く、耳を切り取る、竹串で掌を突き刺す、松葉で葉を磨かせる、火のついた炭を口に押し込む、乳房に熱いコテを押し当てる、陰毛を引き抜く、膣に棒を突っ込む、生きながら埋めるなど、数十に及ぶ残忍きわまる体罰が行われた。」

 「前代未聞の残虐性」(P428)と言う項には「・・・食料隠匿反対運動、窃盗反対運動で行われた刑罰は以下のようなものである。手の指を切る、口を縫い合わせる、耳や踵に針金を通す、布を巻いて油を注ぎ逆さに吊るして火をつける、地面に売った杭に両手の親指を縛りその杭に楔を打ち込む、手足を一つに縛り顔を下向けき背を上向きにする、髪をつかんで地面を引きずる、赤く焼いた火ばさみを口につっこむ、銃殺する、生き埋めにする、など前代未聞の残虐さであった。」湄潬県でこれらの反対運動は一九六〇年一月に行われ、死者は一三二四人に達したと言う。全国ではなくひとつの県のほんの一時期の犠牲者がこの数に上るのだ。そして犠牲者の死体は人民公社の裏の巨大な穴に捨てられたが、人々はこれを「万人坑」と呼んだ。

これらは「人民」が生きんがための努力をしたために処罰されたのだ。これらの行為を見て欲しい。中国で日本軍が行ったとする残虐行為に酷似している。つまり中国人は自分たちならして当たり前の行為を日本軍に投影して嘘をついているのだ。また、虐殺された死体の処置場所が万人坑と自然に呼ばれていることにも注意してほしい。中国人は万人坑をも日本軍を批難するネタに使っているがこれも彼ら自身が「人民に」行ったことなのだ。

 人肉食行為の報告はざらである。「多くの農民は追い詰められ、肉親を顧みることなく家族は離散、子供は遺棄され、死体は道端に捨てられた、李立からの呉芝圃への報告によると、全公社で三八一人が飢えのあまり、一三四の死体から肉を切り取り、家に持ち帰って食べたという。(P50)」「人が人を食うのは別に珍しいことじゃなかった。おれだって食ったことがある。・・・「肉を食えよ」と隊長が言った。「何の肉だ」と聞くと「死んだ豚の肉だ」と言う。・・・「こりゃ豚の肉じゃない」とおれが言うと、「誰かが畑にあった死体から削ぎ取ってきた肉だと言った(ここで筆者を乗せてきた運転手が口をはさみ、人の肉はうまいか、と聞いた。すごくうまい、柔らかいんだ、と余文海は答えた)。」(P60)

「信陽五里店村の十四、五歳の女の子が、四歳くらいの弟を殺して煮て食べた。両親が餓死したため、子供二人だけが残され、飢餓に耐えかねて弟を食べたのである。」(P62)

 P62には「人肉食は日常茶飯に」という項がある。そこには死体の肉を牛肉として打ったのがばれて撲殺された男、墓地に遺体を掘りに出かけたもの同士がはち合わせて喧嘩になり片方が殺して食べたのがばれて刀で殺された者、自分の六歳の子供を絞め殺して食べ、別の人の二歳の子供も殺して食べた三八歳の中農の男が逮捕されて獄死した事件などが書かれている。

ここまで引用したのは人肉食の記述の全てではない。それどころか至る所に人肉食について書かれているからきりがないのである。そして残虐行為の記述も精読して探したのではなく、パラパラ思いつきで本をめくって簡単に見つけたものである。つまりこの程度の事はそこいらじゅうに書かれている。そこで小生は精読するのを諦めた次第である。精読したら恐ろしさで気味が悪く神経が耐えがたい。中国人はこのようなおぞましい社会を作る人たちなのである。

そしてこれらの行為をした人たちは処罰もされていないし、現在でも反省も何も行われていない。それどころかトップの習近平はこの時代を作った毛沢東を礼賛している。中国シンパのある日本人大学教授は最近でも文化大革命は権力闘争ではない、と肯定的に評価している。人間の目と言うのは、まともな理性があっても曇るとどうにもならなくなるものである。

毛沢東の王侯生活(P487)には「毛沢東は肉断ちをしたか」というのは傑作なエピソードである。一九八〇年代の中国の本では、大躍進の飢餓の時代に庶民と苦楽を共にするために肉を三年間食べなかったと書かれている。筆者も若い頃はこれに感動したのだそうだ。ところが「毛沢東遺物事典」の一九六一年四月の項に書かれている西洋料理のメニューは次のようなものだそうだ。

「蒸し魚のプディング、桂魚(スズキ科の美味な淡水魚。ケツギョ)のステーキ、桂魚の揚もの、モスクワ風焼き魚、チーズ味の焼き魚、ポーランド風煮魚、エビフライ・・」なるほど肉はない。しかしこれが豪華な食事でなくて何であろう。公式記録でもこれである。実は毛沢東は豚肉はコレステロールが高い、というので医師が牛や羊の肉を食べるよう勧めていたと言う。そして一九六一年四月二八日にコックや従業員が作った西洋料理の献立には、牛や羊の肉を使った料理が十数種、西洋風スープが一六、七種類書かれている(P489)。要するに牛肉以外なら何でも食べていたのである。多くの人民が飢餓で人肉を食らっていた時期にである。しかも高コレステロールだったのである。筆者が「王侯生活」と書いたのは憎悪であろう。


漢文を中国語とは何事か

2021-01-31 21:13:16 | 支那大陸論

 NHKの歴史教養番組の「歴史ヒストリア」の「空海からの贈りもの」でとんでもないことが堂々と語られている。空海の手紙を見せ、ナレーターの渡辺あゆみさんが、空海の手紙について「漢字ばかりが書かれていますね」と言った後、何と「当時の日本人は自分の気持ちを中国語に翻訳して書いていた」というのだ。さらに「この頃の書き言葉、中国語は結局は外国語、日本人の心の世界をうまく書き表わすことはできなかった。」という。 その後空海が発明した象形文字による「益田池碑銘」を紹介して空海が自由な表現を求めて漢字を換骨奪胎したもので、これがひらがなの発明につながった、という学者の言葉を紹介している。さすがにこの学者は漢文のことを中国語だとは言わない。

 渡辺あゆみさんは漢文という言葉を知らないのだろうか(´Д`)へ中国史などの研究で著名な岡田英弘氏は「この厄介な国中国」で漢文は中国語ではない、と断ずる。もちろん「漢文とは、中国語の古典ではない」のである。漢文は古代中国語の文字表記ではないのだ。だから源氏物語は現代日本人には難しくても読む手掛かりはあるが、現代中国人にとって漢文は発音することはできても、意味は皆目分からないと言う。それどころか漢文には文法もなければ、動詞や名詞と言った品詞もない表記であるというのだ。要するに漢文とは表音文字を使った、おそろしく原始的な表現方法である。しかも現代中国人が「温故知新」という論語を読んでも広東語の母語の人と北京語を母語にする人では発音が異なる、という奇妙なことになる。

文字は漢字のように表意文字から始まる。ものの形をまねて文字にするのが一番作りやすいからである。しかし、それでは音声による言語を文字に書き写すことは不可能だから次第に表音文字に進化してもっぱら音を表わすようになる。アルファベットしかり、ひらがなしかりである。ところが漢字は、古いものは絶対に正しく変えてはならないという尚古主義の伝統が災いして表意を墨守したために、実際に使われている言語を表記する手段に進化することができなかったのである。

 だから漢字は言いたいことを正確に表現する手段としては極めて不適切な文字である。そこで漢文の古典には必ず意味を解説した注釈というものが必要である。清朝では膨大な四書五経などの漢文の古典を満洲文字で書かれた満洲語に翻訳した。満洲文字はモンゴル文字から生まれた漢字とは関係のない文字である。現代の西洋人は漢文の古典を研究するために、死滅したに等しいと言われる満洲語を習う人たちがいるという。満洲文字で書かれた四書五経は漢字では書かれていない解釈を加えて翻訳しているから普通の言語として読むことができるのである。昔の支那では漢文の注釈も漢文で書くしかないから難解で理解できないのである。

空海が漢文では日本人の心の世界をうまく表わせなかったのは、漢文が表現手段としては実に原始的で、心の機微を表現することなど、漢文を書いた中国人にすらできなかったのであって、漢文が「外国語」だからではない。高校では漢文の授業があった。私は漢文の事を中国語と言ったのを聞いたのは生まれて初めてである。渡辺あゆみさんは教養もないお馬鹿な人ではなかろう。その人が大真面目に漢文のことを中国語だと言うのだから世も末である。


何故中国は国際宇宙ステーションに参加しない

2020-09-01 15:16:19 | 支那大陸論

 この問いに皆さんは答えられるだろうか。或いは中共が国際宇宙ステーション計画に参加していないのを不思議に思わないのが、私には不思議である。中共は米露に続いて、有人宇宙飛行船を打ち上げた、宇宙開発大国である。しかも世界の工場と言われるくらい世界とのリンクは強い。孤高の国ではない。

 ヨーロッパや日本など、有人宇宙船の打ち上げすら行ったことのない、多くの国さえこの計画に参加している。宇宙飛行士や宇宙船についても各国は提供している。しかし、それを宇宙に運ぶ事ができるのは、一時はロシアだけだった。宇宙に人を送り込むことも可能なわずか3つの国の一つが参加しないのは不思議でなくて、何であろう。

 以前中共の宇宙船には外国(ロシア人)の手で打ち上げられた、猿に等しい中国人が乗っているのだと、このブログで書いた。それがその答えである。ソ連の崩壊で中共に雇われたロシア人が宇宙船の製造から打ち上げや運行まで行っているのだ。ソ連の崩壊と、中共の宇宙開発の開始が同時であることは、偶然ではない。ソ連の崩壊によってくいっばぐれたロシア人宇宙開発技術者が大量に中共に流れたのである。そして中国人宇宙飛行士というのは、単に米ソの昔ロケットで打ち上げられた、犬や猿と同じく、宇宙船に運搬されているのに過ぎない。

 つまり中共には、宇宙飛行士もいなければ、宇宙船を打ち上げる、自前の技術はない。国際宇宙ステーション計画に参加すれば、中国人宇宙飛行士は他の国の宇宙飛行士と共同作業をしなければならない。そうしたらインチキがばれるのだ。そんな事ができる人は中共にはいないのだ。冒頭の答えはこんな簡単な話なのである。日本にしても欧米にしてもロシアにしても、長い間の技術の積み重ねがあって先端技術がある。

 技術の積み重ねとは、ロケットの製造技術ばかりではない。教育、学術研究組織、下請けを含めた製造業、品質管理その他もろもろである。技術の基層と言うものは、それ以上に厚いものであり、構成に長い時間を要する。武漢ウイルス如きの漏洩の防止すらできない、管理のずさんな中共に、これらの基層が揃っているとは考えられない。

 その技術の長い年月の積み重ねがあって現在の宇宙技術があることを、多くの人は知らない。だから改革解放からわずか30年か40年で簡単に欧米の技術を取得する事ができるというのは、錯覚である。技術の歴史と裾野の広がりを忘れてはならない。日本やロシアですら、欧米の技術の歴史的蓄積に対しては、一歩遅れているのは自覚すべきである。ましてや、中共は論外である。

  ちなみに世界の工場と言われる中共の生産の実態を教えよう。生産に必要な設備は外国資本が導入して設置する。中共の「労働者」は外国資本の指導者の 指示によってロボットのように働くだけである。品質管理などのポイントは外国資本の徹底した指導による。こうして、中共の技術者は何のノウハウもなく、外国資本の指示に従うだけである。ちょうどチャップリンの映画に出てくる、オートマチックの工場でうろうろ働く労働者を想像したらよい。中共の技術者は工業技術のノウハウを何も得ていない。このことを認識しているから、いまさら「中国製造2025」などという言葉が生み出されるのである。

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中華帝国の興亡・黄文雄・PHP研究所

2020-07-24 22:51:07 | 支那大陸論

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 本書は支那大陸の王朝史を俯瞰するのは絶好の書である。歴史年表代わりに持っているのも良かろう。欲を言えば漢民族と呼ばれる民族がいくつもの使用言語を使う、多民族により構成されていることに言及して欲しかったが、無理というものであろう。だが、支那大陸があたかも統一されるべき領域であると誤解されるのも、漢民族としていっぱひとからげにされている民族のなかでも、いくつもの使用言語があるということが、明瞭にされていないからである。つまり支那大陸には「漢民族による統一王朝」と言う幻想がある。

 だが現実には民族の移動や混淆の結果、現在では、地域ごとに使用言語が固定化されていて、あたかも民族分布を示しているかのごとくである。正確に言えば「あたかも」ではない。何せ、北京語、広東語、福建語などいくつもの言語は、方言ではなく、ドイツ語、フランス語、英語、スペイン語といった異言語だから、これらを話すのは異民族としか言いようがないのである。

 例えば、北魏が漢化政策として漢語を話させた(P175)と書くが漢語とは、先に上げたような、北京語、広東語、福建語などのような、沢山ある支那の言語のどれであろうか、という疑問が湧くのである。北魏の時代の漢字は清朝崩壊以降と異なり、漢文を書くためのものであって、民族言語を表記するものではないから、漢字を使うから漢民族である、と言うのは、アルファベットを使う民族は全て同じ民族である、という以上に不可解な事なのである。現に、唐代のの安祿残山は六つの民族言語をあやつれた(P187)と書かれている。しかし「六つの民族言語」とは何という言語のことを言っているのか意味不明なのである。

 また、民族言語を表記するのに、漢字以外の独自の文字を有するの民族がいた例を紹介しながら、満洲族が満洲文字を作ったことに言及していないことは不可解である。例えば金王朝は漢化を防止するために、四書五経などの漢文献を女真文字に翻訳した(P241)と書いている。もちろん女真族は満洲族の前身であるが、実は女真文字は漢字を基に作ったもので、満洲文字はモンゴル文字が元になっているから、全く別系統の文字である、ということに言及されていない。

 小生のような素人が知ることを黄氏が知らないはずかないから不可解としかいいようがない。また四書五経などの支那の古典は全て清朝により満洲文字に翻訳されている。これは漢化ではなく、満洲族が民族文化を守ろうとした足跡である。翻訳された支那の古典は現在にも残されていて、西欧の支那研究者は四書五経を読むために満洲語を習う人もいる位である。これは漢文が文法のない特異な表記手段であるため、習得が極めて困難であることによる。その点、満洲文字で書かれた四書五経は、漢文の習得とは難度が遥かに低く、単に異言語を習得するのに等しい、という意味なのである。ちなみに現代の北京語や広東語などの漢字表記は、「漢文」とは全く異なる。

 よく理解できるのは支那大陸の人間は、国に属している意識がない、ということである。だから異民族の侵入にも国を守ろうとはせず、逆に侵入側の味方をすることが多い(P24)。これは王朝が民族ではなく、家族に属しているから、天下と言っても皇帝の家族だけの天下であるから、民衆が味方するはずはない。清朝が、明朝を倒した李自成を北京から駆逐したときに、北京市民はもろ手を上げて、清軍を歓迎した(P281)。これは李の軍隊が略奪暴行を繰り返したせいもあって民衆は異民族であろうと、良き統治者を求めているのである。

 また「一九〇七年の早稲田大学における「清国留学生部」卒業記念署名の名簿では、六十二人の学生のうち国籍を「支那」と書いた者が十八人、「清国」が十二人、「中華」「中国」が七人で、残り二十五人は何国人かも書けなかったのである(P26)という事実を紹介して、黄氏は当の中国人が国家への帰属意識がないことを示している。小生の父が大陸に出征したとき、支那の民衆は日本軍が来ると日の丸を上げて歓迎されたと言った。父は、支那の人たちはそもそも日本軍が外国の軍隊である、とさえ思っていなかったのだろう、と述懐していたが、黄氏の見解を聞くと父の直感は正しかったのである。

 黄氏も周辺民族は中原に進出すると、漢民族文化に染まっていくと言う見解の持ち主である。しかし、これは奇妙ではないか。いつまでたっても秦・漢の大昔にできた漢文化が五百年千年経っても最新のものである、ということになる。これは昔のものが最も良いものであるという支那人に一般的な尚古主義である。例えば衣服をとっても「漢民族」は満洲族の服を受け入れている。京劇は今では中国の伝統芸能と言われているが、これも満洲族のものである。中原の民は、満洲族の文化を受け入れたのであって、その逆なのではないことを黄氏は知っているはずなのに、どうしたことだろう。現に「康熙帝伝」(東洋文庫)には、北京の清朝宮廷では、漢人官吏が満洲化していると書かれている。このようなことは、それ以前の王朝でもあったはずである。

 黄氏の支那大陸文明観で一貫しているのは南北問題である。それも北とは北方遊牧民ではなく、支那本土内の区分である。『南船北馬』に象徴される南北の文化上の差異は地理的・風土的なものであるが、それ以上に大きいのが、長江文化から生まれた南と黄河文明の流れを汲む北における歴史文明的異質性である。その異質性は政治、経済、社会、文化にも及ぶ(P361)、と書く。このことは日欧中の論者のにも多く知られているという。また、漢の崩壊後の春秋の時代の諸国乱立について、「斉、晋など周王室を奉ずる中原諸侯に対して、南方の長江文明の流れをくむ楚、越、呉諸国は、北方中原の国々とは違って、公侯伯とは称せずに王と称し、周、斉、晋などの北方中原の国々とは対立していた」(P43)と書く。黄氏によれば、南方の長江文明の地域は中原ではないのだ。

 支那王朝の人種問題も面白い。秦の始皇帝の容貌についての「秦始皇本紀」の記述からは始皇帝はペルシア人ではないか(P76)という。また新疆ウイグル自治区で発見された四五千年前のミイラは明らかにアーリア系であるという。兵馬俑の造形や遺骨にも西方系民族も混じっている事がわかる。以上のことから秦王朝は多民族集団であろうと、黄氏はいう。隋唐王朝、五代の後唐、後晋、後漢は全てトルコ系であり、後周や宋の開国者が漢人かどうかも疑われる(P164)とさえいうのだ。

 辛亥革命後は、中華民国が成立したと言うのは建前で、実際には軍閥の乱立する世界であった。毛沢東さえ青年時代は熱心な各省自治論者であったが、さらに省ごとの解体独立論を唱えていたという。中国を27地方に分裂させ、毛沢東の地元は「湖南共和国」になる予定であったと言う(P326)。それを実現したのが戦国時代であった。戦国時代は、中国史上唯一の国際化、多国共存の時代であった(P62)。支那大陸の民にとって不幸なのは、それがヨーロッパのように、多国共存が安定せず、分裂と統一を繰り返して、民度と政治システムの発展をもたらさなかったことである。この性向は今後も続くのであろう。支那大陸は永遠に近代化しない。

 


香港の皮肉

2020-07-03 20:35:47 | 支那大陸論

 香港国家安全維持法が全人代で可決された。これによって香港の一国二制度が崩壊し、香港の自由と民主主義が失われたと嘆く声は多い。しかし、これは大いなる矛盾と皮肉であることを伝える声が全くないのは、不可解ですらある

 

 そもそも香港がなぜ英領であったかを何故考えないのかが不可解である。英国はろくな輸出品がないために清朝にアヘンを売りつけた。それを無法だと怒った清朝の役人が、アヘンを没収したために起こったのがアヘン戦争である。アヘン戦争は、英本国議会でも恥ずべき行為だと言う議員がいたほど、「恥ずべき戦争」だったのである。

 

 敗北した清朝は香港を英国に永久割譲した。香港は永久に英国の領土となったはずである。しかし、隣接する新界は99年の租借期限が設けられた。共産中国になって香港の返還交渉が行われた。香港は永久割譲されたのだから、法的には英国に返還の義務はないのであった。ところが問題は租借期限がある新界であった。

 

 香港の水は新界を通じて供給される。新界が条約通りに99年で返還されることになれば、香港は水を止められることになる。その脅し文句に乗って香港は中共に返還されることになったのである。香港は英領であったから支那人は徹底的に差別された。公共施設には「犬と支那人は入るべからず」という看板が立てられたと言う、嘘か真実か分からない噂まであったと言われたのである。

 

 皮肉、と言うのはそのことではない。最後の香港総督となったクリス・パッテン氏は任期中の五年間、自由選挙など香港統治に民主的制度を取り入れたのである。ここに、犬並みだった香港人は民主主義の人民となった。もちろんその功績はパッテン氏だけに起因するものではなく、英本土の民主的傾向は、それ以前から香港に流れこんだのである。

 

 そればかりではない。英領になる以前は寒村に過ぎなかった香港は、英国支配によって都市化すると同時に支那の金融の中枢にもなっていった。香港に流入した支那人は自由と民主主義ばかりではなく、豊かさも求めてきたのである。

 

 本来は搾取されるべき植民地香港が、自由と民主主義のみならず、豊かさの象徴となった。このことは、鄧小平の改革開放の遥以前のできごとであった。ここまで書けば「香港の皮肉」の意味は理解していただけであろう。小生は記憶に頼って書いているから正確ではない。しかし、哀れな植民地の民であった香港の住民は、ちっとも中共に併呑されることを望まなくなったのである。これが皮肉ではなく何であろう。

 

 ちなみに、香港最後の総督となったパッテン氏のことを、中共幹部のひとりは、あの野郎だけは生かして帰さない、とつぶやいたそうである。支那人の英国植民地支配に対する怨恨は、かくまでも大きい。しかし、それが香港住民の気持ちを代弁しているかは別の話である。

 


武漢コロナウイルス陰謀説パート4

2020-06-08 17:13:53 | 支那大陸論

黒人暴動による、香港デモ弾圧の合理化

 六月初めのアメリカにおける、黒人暴動と警官による鎮圧の映像は、デジャブ(既視感)があったのではなかろうか。これは単なるデジャブではない。われわれは、香港デモ騒ぎとその鎮圧の光景というそっくりなものを既に見ている。このふたつの光景はまるでおなじものを映しているのかと見紛うばかりである。アメリカでは、警官による黒人殺害に対する抗議デモの報に、極左暴力組織ANTIFAの煽動活動があったとされ、暴徒化した民衆に 対して、警官による催涙弾等を使った弾圧行動があったのである。

 香港デモがあれほど過激になったのも、単なる抗議デモではない。デモ参加者の数人に一人は中共当局に雇われた者を入れて、デモを暴動にするような、過激な行動を故意に起こしたのである。こうして、デモの弾圧は、デモ隊のテロ行為に対する鎮圧として合理化されたのである。

 さらに中共政府はウイルスを漏えいして感染を広げることによって、香港デモ弾圧を合理化しようとしたのではないか、という仮説はパート3までに述べた。そして次に起きたのは、何とアメリカで警官による黒人殺害に端を発して、黒人暴動が起き、警官隊も暴力的に取り締まるという行動に出たのである。

 香港とアメリカにおける類似性は、警官に対する暴力的抗議活動に対して、警官側からも過激な弾圧行動が起きた、ということである。六月三日の産経新聞によれば、早速中共政府当局は、「香港の抗議活動を擁護してきた米国の政治家が、今回のデモを『暴徒』と断じるなどとして『米国式のダブルスタンダード』だと批判した、と伝えている。

 米国は香港で起きたことは応援するのに、自国内で起きると正当化している、ということである。換言すれば米国の暴徒を鎮圧するのには干渉しないから、香港で起きていることにも米国は干渉するな、ということである。

 だがこれはどっちもどっちではない。香港で暴徒化したのは、全てではないにしろ裏で中共政府が煽っていて、「暴徒」を鎮圧することを正当化している。これに対してアメリカで起きているのは、中共がANTIFAという極左暴力組織を利用して、黒人の抗議行動を暴徒化して、政府が武力弾圧をせざるを得ないようにしていることが大きいのであろう。

 アメリカでは黒人差別はいうなれば日常茶飯である。そのチャンスをとらえて、黒人を暴徒化する、ということはいつでも可能なのである。

 つまり香港デモでもアメリカの暴動でも、中共政府が暴徒化を煽っているのであろう、ということである。結局は香港での暴徒の鎮圧にアメリカに口を出させないためなのである。加えて武漢コロナウイルス禍対策として、九人以上の集会を禁止したから、天安門事件の31周年記念日のデモも、静かなろうそくデモにとどまった。

 結局のところ中共は、香港独立まで叫び始めた、中共政府の危機を、米国の人種差別問題や、コロナウイルス禍まで利用して抑え込もうというのである。


支那王朝の崩壊

2020-06-02 15:25:43 | 支那大陸論

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支那王朝の崩壊・・・西暦を受け入れて支那は西洋に組み込まれた

 清朝までは、支那大陸では現在の日本と同様に、元号が使われていたが、現在の中共が成立すると同時に廃止され西暦が使用されている。ちなみに西暦以外の元号が使われているのは日本以外には、台湾と北朝鮮で各々、民国紀元、主体歴と呼ばれる。独自の年号が使われるのは何故か。独自の文明圏を主張するためである。

 誤解しないで欲しい。ここで言う支那大陸の王朝の範囲というのは、現在漢民族と自称している人々が住む範囲である。清朝であれば、チベットやウイグル、モンゴルにはその元号は適用されない

 かつては朝鮮も支那大陸の王朝の年号を使用していた時代があった。その時代には朝鮮は、支那王朝の属国であった。そもそも朝鮮という国号すら支那王朝からいただいたものであった。だから元号も同様に使わせていただいたのである。その本家本元の中共は、西暦を採用してしまった。その原因は、マルクス主義の導入である。マルクス主義は科学的社会主義を唱えていることから分かるように普遍主義である。世界の文明は共通である、という普遍主義である。

 しかしその内実は西洋人の歴史より演繹した普遍主義だから、西洋を世界の標準とする普遍主義である。だからマルクス主義を通じて支那大陸は西洋文明にからめとられてしまったのである。その証拠に中共の時代になってからは、何ら独自の文化を生み出していない。西洋の真似をするばかりではない。独自の文化文明と称するものは支那服・京劇など清朝の遺物か、黄河文明の遺構である。各種の中華料理にしても過去の遺物で発展がない。これらは全て現在「漢民族」と称する人たちの文明ではなく、過去の異民族のものである。現在の中共は西洋の文明の模倣に過ぎず、模倣から永遠に脱することはできない。日本の技術者が中共に行って技術が流出すると危惧されている。

しかし支那では日本人に指導された通りの技術を使う事しかできない。本当の意味の模倣すらできない。中共の工場で行われているのは外国製の工作機械を導入して外国人に言われたとおりに動かして物を生産しているだけである。模倣ができるのならそれを発展させることが出来るのだが、それはできないのである。かつて支那大陸では、周辺の異民族が高いテクノロジーを使って攻め込んで新しい王朝を作ることを繰り返した。異民族が襲来して中原に新王朝を建てる事ができたのは、異民族のテクノロジーが旧王朝より優れていたからである。だが現在の支那大陸ではそんな発展すら期待できない。

 では独自の元号を持つ台湾と北朝鮮はどうか。これらの国の元号は、国の建国以来連続している。台湾の元号は辛亥革命により中華民国が成立して以来、北朝鮮では金日成が建国以来、同じ元号を使用している。実はこれは西暦と同じ考え方で、ただ一度の最初を定め永久に年を重ねる方式であり、支那王朝が皇帝が代替わりするたびに代わっていったのとは全く異なる。この方式は西暦と同様、過去から何年たったと数えやすい西洋流の合理性が隠されている。台湾も北朝鮮も西欧にからめとられつつある。

 では日本の元号の付け方は支那流ではないか、というのであろう。確かにその通りのようだが、元々が支那とは独立した存在であることを主張して日本の元号を制定したことに意義がある。北朝鮮は支那の元号の借り物から西洋の方式に変更したのであり、台湾は支那独自の元号の方式を継承しなかったのである。だから日本が神武天皇の即位から皇紀二千何百年などという方式を併用した時期があったのはかなり危うかったのである。日本は支那文明からの独立を宣言した意義ある年号を使用し続ければよいのである。

 これは皇室の存在を前提としている。北朝鮮も台湾も王室の存在のない共和国になってしまったから西暦に似たものを使うようになったのである。従って中共は永遠に西欧を追い越すどころか追いつくことさえできない亜流の存在である。ひるがえって日本も怪しい。便利さから民間では元号より西暦を使用する場合多いかろうじて官庁の公文書の日付が元号を維持しているだけである。これは底流で皇室の不安定と繋がっていると言わざるを得ない。

 文化も同様である。日本初の独自の文化と言えばアニメとコミック位である。これらはまだ日本文化として誇るには熟成されていないように思われる。音楽も同様である。西洋音楽と日本音楽の融合で演歌というものが生まれたが、現在は衰退しつつある。ポップミュージックもロックも基準は西欧にある。歌舞伎のような古典芸能は過去の遺物だから論外である。ひとり気をはいているのは落語と漫才である。

 


武漢コロナウイルス陰謀説・パート3

2020-05-27 17:01:16 | 支那大陸論

 事態が進展してきたので、香港デモ対策としての、武漢コロナウイルス陰謀説という仮説をさらに展開したい。

 武漢コロナウイルス対策で、初期の頃、日本はクルーズ船対応でも、病院での対応でも失敗したと言われていたのである。5月末になって、日本が最も良い対応だと言われているのに比べ、わずか三カ月で隔世の感がある。

 日本の対応が悪いと言われたのは、クルーズ船でも、病院でもウイルス感染者と非感染者を同じ施設に置いておいたために、船内感染や院内感染を誘発したのである。これに対して中共の手際は際立っていた。武漢でのコロナウイルス流行が隠せない事実となってきた2月上旬の頃のことである。

 人は少し前のことさえ忘れ去るが、このころ日本の国会では政府が対策会議を設置して、対策をしていたのにもかかわらず、野党は国会でウイルス対策はほったらかしで「桜を見る会」の追求に明け暮れると言うざまだったのである。ところが中共はいち早く武漢に僅か1~2週間で、武漢コロナウイルス専用の仮説病院を更地に急遽建てるという異様な対策を始めて世界を驚かせた。

 これは当時は異様な対策に見えたが、今振り返ってみると、感染者だけ完全に隔離する病院を作ると言うのは、院内感染などを防ぐには最適の手法だったのである。またエレベータのボタンを押すのにつまようじを用意している、中共の光景も早くに流された。あれだけ素ボラなはずの支那人が、このように繊細な気遣いを早くにしていたのは、今から考えれば不可解である。小生はこのような素早い対策が取れたことに疑惑を抱くのである。中共以外の国が武漢コロナウイルスの性質がわからず、試行錯誤を繰り返していたのにもかかわらず、中共の素早さは際立っていた。

 実は中共の感染者も死亡者も実際は公表値の50倍から80倍あるのではないか、という疑惑さえあるので優等生とは言えないにしても、ウイルスの発生源国としては極めて被害が少ないとは言えよう。専用の施設を更地に急遽建てるという、水際立った対策やエレベータのボタンに触らないなどの対応を早期にできた、というのは、初めから武漢コロナウイルスの性質を知り抜いていたと言うことに他ならないのではないか。その情報を適度に流していたのである。つまり、武漢コロナウイルスは、自然界より発生していたとしても、武漢の研究所で研究していたのが漏えいした、というアメリカの非難は正しいのであろう。だからウイルスの性質は既に知っていたのである。

 そればかりではない。最近尖閣でも、スプラトリーでも盛んに領土問題を挑発している。これはウイルス問題で他国が手いっぱいになっている最中に、漁夫の利を得ようとしているのだ、と言うのが一般的見方である。

 しかし、同時に中共がしようとしていることを見ると別な側面が見えてくる。今ごろになって中共は、香港に「国家安全法」を導入しようとしている。これが導入されると、香港デモなどはテロ行為として取り締まられ、一国二制度による自由は完全に抑圧される。香港がチベット、ウイグル、南モンゴル化してしまうのである。この重大事が、領土問題や武漢コロナウイルスの、米国による非難などによってかすんでしまっているのである。だから沈静化していたはずの香港デモは、ウイルス感染もなんのその。再燃しつつある。

 香港デモが、習近平政権どころか、共産党独裁に対する最大の脅威であることは以前の記事で既に述べた。いずれ武漢コロナウイルスは他のコロナウイルスと同様に人類は対策をしつつ共存することになるのであろう。しかし、香港問題は、いまや香港独立の声さえ出るようになっている。

 これは中共独裁政府の解体の初めの一歩であって、中共政府の到底容認できるものではない。武漢コロナウイルス問題どころではない。意図的に生物兵器を流出したにしても、そうではないにしても、武漢コロナウイルス問題や、領土問題など他国との軋轢を強めて香港問題の影を薄めて、香港を中共政府の圧政下に置いて共産党独裁政権の延命を図ろうとしているのは間違いない。


武漢コロナウイルス陰謀説・パート2

2020-04-14 23:14:16 | 支那大陸論

▲ 以前、武漢コロナウイルス陰謀説、と題して、武漢ウイルスの発生は、香港のデモ対策に苦慮した中共政府が生物兵器である武漢ウイルス拡散を故意に行ったのではないか、という仮説を書いた。それをフォローしてみる。産経新聞令和2年4月12日付けに、香港の民主活動家・周庭(アグネス・チョウ)氏へのインタビューが載った。

 

 香港の反政府デモの現状は?と言う質問に対して周氏の回答は下記の通り。

 

 民主化運動は終わっていません。今でも抗議活動が行われ、逮捕者が出ています。政府は3月下旬、防疫を理由に、5人以上の集会を禁止しましたが、これもデモ参加者を逮捕するために防疫を利用したのではないでしょうか。

 

 と答えている。故意にウイルス拡散をしたかどうかは別にして、少なくとも中共政府が防疫をデモ鎮圧に利用しているのは事実である。5人以上の集会を禁止したのが3月下旬と言うのは遅すぎる気はするが、そのよほど以前から、デモの報道はなされていないことから、防疫を理由に何らかの規制は行われてはいたのだろう。

 勘ぐれば、最初に武漢ウイルスに警鐘をならした医師が処分されたのは、単なる隠ぺいではなく、充分に感染が広がるまで時間かせぎではないか。中共の地図を見ると、北から南に湖北省、湖南省、広東省と並んでいて、武漢は湖北省にあり、香港は広東省にある。

 肝心の武漢から香港までは、東京から九州位の距離で遠いようだが、広大な中共の国土を考えれば、遠い距離ではない。生物兵器研究所がある武漢から、香港までは中共の感覚では近いともいえる。

 隠ぺいをしたのは、この距離間で感染が広がるのを待っていた、とでも言える。香港にウイルスが到着するまでの時間稼ぎである。香港デモには首謀者とおぼしき人物がいないと考えられている。陰謀説が間違いであるにしても、ウイルス拡散を奇貨として香港デモを鎮圧しているのは最低限間違いはない。ウイルス拡散対策を口実としてデモ参加者が次々と逮捕されていけば、デモ参加経験者にじわりと逮捕の恐怖が拡散されていって、中共政府に抵抗する気概がくじけていくのは間違いない。

 香港の事例ではないが、中共の人権弁護士などで、逮捕拘留されて釈放されたら、拷問や薬物などによって精神が崩壊していたという例は、枚挙にいとまがない。中共の官憲による逮捕と言うのは、かくも過酷なものである。それを見た、香港デモ参加者に恐怖心が広がると言うのは、当然のことである。

 日本では、要請しかできない「緊急事態宣言」ですら、立法時には、私権の制限がされる恐れがあるとの反対があった。中共政府による弾圧に比べれば、なまぬるいことこの上なしであるのに。中共では、政府による私権の制限など政府の恣意でどうとでもなる。それでも中共政府の意向を「忖度」する日本人が絶えないのはどうしたことだろう。

 周氏は自由世界では、香港デモの象徴のように扱われているのに逮捕もされないのは、中共のいつもの手で、自由世界に有名になった人物には手を出しにくい、ということだろう。アメリカでは、武漢ウイルスの損害賠償金を中共に要求する動きが議会などでおきている。既に被害賠償を中共政府に求める集団訴訟は起こされている。

 

 ▲ 次は、メルマガ「週刊正論」令和2年4月13日号に、下記のような記事があったので、紹介する。

 

英語ニュース・オピニオンサイト「Japan Forward」は、中国当局の大規模な隠蔽工作が武漢ウイルスの世界的蔓延をもたらした、とする日本国際問題研究所上級海外フェローのモニカ・チャンソリア氏の寄稿を掲載しました。中国の軍事研究者たちが、圧倒的な軍事力を誇る米国に対し、「非対称の戦い」を挑むため、20年にわたり、生物兵器に焦点を絞って研究開発を進めてきた、といいます。非常に興味深い論文なので週刊正論では日本語訳全文を紹介します。

 

                  ◇

 

中国の独立系メディア「財新」は、中国の研究所が201912月末までに謎のウイルスを非常に高い感染力の新たな病原体として確認していたことを明らかにした。ウイルスは、後にCOVID-19として識別された。しかし、研究所は当時、さらなるテストの中止、サンプルの破棄、そして情報を可能な限り秘匿するよう命じられた。

 

今回のパンデミックの発信地である中国・武漢の衛生当局は、202011日以降、原因不明のウイルス性肺炎を特定するサンプルを破壊するよう研究所に要求したのだ。中国政府は、人から人への感染が起きている事実を3週間以上も認めなかった。

 

「財新」は、非常に重要な初期の数週間に、こうした致命的で大規模な隠蔽工作が行われた明確な証拠を提示し、それによって大流行、すなわち、その後、世界に広がり文字通り「世界閉鎖」を引き起こした大流行を制御する機会が失われたと結論付けた。

 

以下、略。COVID-19とは、巷で「新型コロナウィルス」言われているもの、すなわち武漢ウイルスに他ならないのである。この記事によればパンデミックは、他ならぬ中共の生物兵器の管理不行き届きによる漏洩が原因だと言うのである。

 

 


武漢コロナウィルス陰謀説

2020-03-13 15:45:21 | 支那大陸論

 武漢コロナウィルスが始まったのは令和元年11月である。その頃中共では、どんな問題を抱えていたか。香港抗議デモである。月刊Hanadaの令和2年3月号で、支那出身の石平氏は「無能・無策・無責任・習近平が中国共産党を潰す」という論文を寄稿している。

 煎じ詰めていえば、習近平政権は香港抗議デモに妥協することに失敗したうえに、実力行使で事態を収拾することもできていない、という雪隠詰めに陥ってどうにもならない状態に陥っている、というのだ。選択肢は妥協か実力行使しかないから、無為無策状態を放置せざるを得なくなってしまっている、ということだ。その上、アメリカでは「ウイグル人権法」が可決された。四面楚歌である。

 ところが、武漢コロナウィルスが発生してどうなったか。香港抗議デモはどこかに消えてしまったのである。石平氏によれば、香港抗議デモは中共の共産党支配をゆるがしかねない重大事である。ところが習近平政権のアキレス腱はウイルス騒ぎによって、いつの間にか消えてしまったのである。そして最初に武漢コロナウィルスを発見した医師は処分して、ウィルスの拡散の妨害は排除された。

 飛躍しているかもしれないが、謀略説を語るとすれば、武漢コロナウィルスの発生は、香港抗議デモ対策ではなかろうか、ということである。香港問題で世界を巻き込むようなことをするはずがない、というなかれ。あれほど騒がれたSARSでさえ、感染は中共国内が主であった。日本には一人の感染者もいなかったのである。武漢コロナウィルスもその程度で済むと考えたと誤算したということも考えられる。武漢コロナウィルスの感染防止のために、香港市民は街頭に出るな、と中共政府当局が言ったとしても、欧米諸国は、デモの弾圧だと非難できないのである。こうして香港抗議デモは鎮圧された。

  中共政権は国内統制のためには国民の犠牲など何の関心もない。いや、生物兵器としては致死率の低いウィルスを使ったところを見ると、少しは国民の生命も顧慮したのだろう(^_-)-☆手の付けられない事態に陥っていた香港抗議デモがあっというまに消えてしまったことと、感染発生のタイミングを考えると、陰謀説も荒唐無稽ではないように思われる。

 状況証拠はまだある。米大統領補佐官が中共が初動でコロナウイルス発生を隠蔽した、と発言したのに対し、3月13日中共政府高官はツイッターで、新型コロナウィルスは米軍が中共に持ち込んだと、とんでもないことを主張した(報道ステーション)のである。これは中共政府が、武漢コロナウィルス発生が軍の持ち込んだ人為的なものであること、すなわち生物兵器である可能性を示唆したのである。嘘をつく者は、自分ならやるようなことを言うものである。

 なお、本ブログでは、新型コロナウィルスが中共発であることを明示するために、武漢コロナウィルスと呼んでいる、ブロガーの「テレビ倒さん」さんにならって、基本的に武漢コロナウィルスと呼ぶことにしている。なお、米国のマスコミでも同様な主旨を採用しているものがあることも付言する。「テレビ倒さん」さんの先見の明に感心する次第である。