毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

伝統芸能の保護の難しさ

2020-04-04 19:44:33 | 芸術

 旧聞に属するが、当時の大阪市の橋下市長が文楽への補助金を打ち切ると言いだして、伝統芸能の保護の在り方が問題にされたことがあった。伝統芸能を含めた芸術の保護には二種類がある。ひとつはクラシック音楽や古典的絵画のように、評価がおおむね確定した芸術作品に対して、今後も存在させるようにすることである。音楽や演劇の範疇に属する芸術は、それを維持するためには、再現する技能者が必要である、という困難さがある。これに対して絵画や彫刻のような視覚芸術は、作品は既に出来上がったものであるから、これを維持するには、保管の方法を考えればいいから数段楽であると言えよう。

 評価が確定しているものとは、実は芸術としての形式が完成し、しかも作品としても今後同じ形式で新しい作品が生み出されることが無いものである。文楽にしても歌舞伎にしても、西欧のクラシック音楽にしても、そのジャンルに属する作品は数さえほぼ確定していて今後新しい作品が全く同じ形式で生み出されることは、例外的にしかないのである。逆に言えば、伝統芸能は現代の映画のように大衆が娯楽として対価を支払って鑑賞しにくる、と言う事が少ないから、再現する技能者が生活を維持する手段が無い、つまり収入が得られないと言う事である。そこに伝統芸能の保護の必要性がある。補助金を大阪市が支払わなければ文楽はなくなってしまう可能性が大きいのである。

 現在に生きている形式の芸術とは、大衆など芸術を享受する者たちによって鑑賞の対価が支払われるから、古典的芸術のように保護する必要が無い。その代わり現代に生きて新しい作品を生みださなければならない。しかし評価が確定していないが故に、色々な妨害がなされることがあろう。チャタレー裁判などはその口で、芸術家かわいせつかなどと言う語義矛盾のような公権力の言いがかりで出版が妨害されようとした。これに対して守るのがもうひとつの保護である。従って本稿は、第一のものを論ずることになる。

 論旨は違うが、産経新聞平成二十四年九月七日の一面に、芸術の保護に関する当時の橋下市長の寄稿がある。橋下大阪市長が文楽協会への補助金凍結について曽根崎心中を見て「演出不足だ。昔の脚本をかたくなに守らないといけないのか」「演出を現代風にアレンジしろ」「人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」と言ったと言う。

 私はこの意見に到底賛成できない。文楽は当時の最新のテクノロジーの範囲で作られた人形劇の一種である。そしてその範囲で完成されたものである。当時の大衆はそれを楽しんだのであり、ビアズリーの作品がモノクロの線描しかできない当時の印刷技術の制限の中で完成されたものであり、それゆえに独特の表現となっていて価値も高い。従って今の技術を使って合理化するとすれば、それはもはや文楽ではなくなるのである。極限を言えばロボットやCGを使え人形遣いはいらない。たがあのように人間の顔を誇張する必要性も無くなる。だから表現手法が不自由な故にある味わいもなくなる。

 歌舞伎でも同様であろうが、視覚芸術であっても、作品の形式に慣れなければその作品を理解できない。英語の詩だと英語が分からなければ面白さを理解できないように、文楽の形式を理解できなければ、実際には文楽の面白さを享受できないのである。橋下氏は普段からみているテレビドラマのせいぜい時代劇の感覚で見ているのであろう。曽根崎心中のストーリーを使って時代劇映画を作るのは可能であろう。究極的には橋下氏の言うのはそうせよ、と言っているのに等しい。

 文楽と言う芸術はもはや新作を作ることも技術的改良を加えることもできない、現代には芸術の形式としては生きていないのである。これは芸術の形式が完成したからである。従って余程の好事家以外は対価を支払って作品を鑑賞しようとはしない。つまり何らかの形で保護しなければ現代には存在しえない芸術である。いわば絶滅危惧種である。それを保護すべきか否かは本稿が論ずるつもりはない。失礼な仮定ながら、文楽協会の運営に問題があって補助金が無駄遣いされていることについて、橋下市長が問題にして補助金を打ち切ろうとしているのなら正しいのであろうが、批判は芸術の形式だけにしか言及されていないのだから、やはり見当違いの補助金打ち切りの理由としか考えられない。

同じ古典芸能と言っても落語にはこのような問題が比較的少ないようである。その理由は落語が新作と古典の二分野を持つことが出来ている事にあるように思われる。落語は江戸時代からの伝統芸能でありながら、現代の世相を表現する新作落語を作ることができる。従って興行収入的な面では新作に負うことができる。

しかも新作と古典の違いは、作品の時代背景が、現代か江戸時代かが主なものであろう。だから新作落語への理解は同時に古典への入り口ともなる。しかも現代の日本語の標準語が落語から作られたと言われるように、時代の相違に比べ言語の相違が少ない。古典落語とはいっても時代背景が異なるだけで言葉の理解に決定的な不自由はないのである。日本人が時代劇を楽しむことができるのなら、古典落語も理解困難ではなくストーリー自体も楽しむことができる。

このような例は文楽や歌舞伎などの日本の古典芸能に比べると稀有な例と言える。西欧のクラシック音楽に比べても同様であろう。クラシックを演奏するオーケストラを使って、映画音楽が演奏されることがある。これは新作である。だが同じくオーケストラを使っているというのが共通するだけで、ベートーベンなどの音楽とは別なジャンルには違いない。もちろんこれはどちらが高級か、という価値判断を言っているのではない。しかしこれによってもオーケストラを維持するだけの安定的な収入を得ることは困難である。

そもそもクラシック音楽を演奏するために高度な技術の獲得をを要する割に演奏家の収入の道は少ない。クラシック音楽の固定的ファンは多いが、それでも講演収入でオーケストラを維持する事ができるのは、メジャーな楽団だけであろう。

 

 


鴎外と漱石の創作意欲の元

2019-07-04 23:59:13 | 芸術

鴎外と漱石の創作意欲の元

 鴎外の「舞姫」はドイツ留学時の恋の物語である。漱石の作品は、三四郎から心までは一貫して道ならぬ恋である。鴎外の場合は、実話に近いことは「鴎外の恋人」が明かしている。舞姫以外にも、鴎外が恋人「エリス」と会う淡々とした話があるが、実際には結婚を前提として示し合わせて相次いで二人で日本に来る、という切実なものだったそうである。

 「鴎外の恋人・今野勉」の書評で述べたが、鴎外のドイツでの恋は相当に真剣なものであった。元々文学の素養がある鴎外にしても、創作意欲の根源はドイツ人との恋であったのに違いない。舞姫が実在のモデルを基にしている、ということは当初から広く知られていた。

少し考えてみれば当たり前の話だが、漱石の三四郎から心までの六部作の共通項が、一貫して道ならぬ恋である、ということは、小生は江藤淳氏の評論でようやく気付いたのである。漱石を小説や短文ばかりでなく、日記まで全て読み通しながら、そのことに気づかないという杜撰な読書だった。

 「三四郎」は美禰子が、三四郎を慕いながらお見合いして去っていく。「それから」と「門」は、元々婚約者がいて結婚する直前だったのを、主人公と会うなり恋仲になって駆け落ち同然に結婚する、というものである。しかも婚約者の男性と言うのは主人公の親友だったのである。

 「彼岸過迄」の主人公は、互いに慕いながら結婚に至らない二人を観察するナレーターに過ぎない。「行人」は兄嫁を慕っているらしい主人公が、偶然台風で兄嫁と二人で一夜を過ごすのだが、何も起こらなかったのに、心を病むらしい兄が異様に嫉妬する物語である。「心」に至っては二人の親友の若者が同時に、下宿先の娘に恋をして、一人が親友のKを出し抜いて婚約してしまい、それを知ったKが自殺してしまったのを、出し抜かれたショックで自殺したのに違いないと思い悩む。

 主人公は、Kを殺したと悩み仕事もせず親の財産で暮らしている人を「先生」と慕っている。先生は過去の顛末を長い手紙に書き残して去ってしまう。先生は奥さんに自然死したように見せかけて自殺しようとしている、と書き残した。

 このように漱石の六部作が、パターンが少しづつ違うが、共通しているのが道ならぬ恋である。しかも漱石自身の恋人のモデルが実在し、その人は道楽者の兄の妻であった、というのである。しかも江藤に言わせれば、二人の関係は具体的にはどのようなものであったかは不分明だが、相思相愛であったことは間違いない、と断定している。

 不可解なのは、小宮豊隆ら漱石を聖人のごとく崇める「弟子」たちが、この六部作の共通点に、一切言及しなかったことである。だから小宮らの評伝をも読み込んでいたつもりの小生が、大間抜けだったのには違いないが、江藤淳氏の評論まで全く気付かなかった。確かに漱石のデビュー作の「猫」は、思想的あるいは面白みと言う点で、その後の漱石の作品を総括している、という時間的には逆転した不可思議と言うべき作品である。

 しかし、江藤氏の評論によって、その後の六部作が漱石の創作意欲の源泉の発露であった、ということに小生は確信を持つようになった。漱石も鴎外も創作意欲の源泉は「実らなかった恋」、であったと思うのである。漱石は教師から朝日新聞社に就職して、「小説家」に転身するにあたり、将来の生活に困窮することのないように、契約内容に慎重であったほど世俗的であった。しかし、創作の動機は失われた恋、という甚だ世俗的ではないものであった。

 鴎外も、母親のため軍医として出世することに腐心する、と言う世俗的な一面を持ち合わせている。しかし、世俗的出世のために成就寸前の恋を放棄しなければならなかったことを生涯悔いていた。鴎外が死に際して「一石見人として死せんと欲す」と遺言したのは、その出世の肩書さえいらなければ、恋を成就した、という一心によるものと信じている。ある数学者は雑誌に、鴎外が日清戦争で脚気対策に失敗して、戦死者より多くの犠牲者を出した責任を感じて遺言したのだろうと推測しているが、私にはそうは思われない。

 鴎外は役人としての仕事にも文学哲学にもあふれるほどの自信を持っている。脚気の原因が分からなかったのは、世界的医学水準の程度の問題であって、鴎外・森林太郎個人の責任ではないと考える。ちなみに海軍の脚気による犠牲者が少ないのは、英国流の結果重視の現実的対処をしたためであり、医学水準が高いためではなかった。

 ちなみに鴎外と漱石の性格は全く相違している。鴎外は、外では自信たっぷりで居丈高そうだが、家庭では母にも奥さんにも可哀想な位、気を遣って暮らしていた。漱石は、沢山の私的な弟子がいて、聖人とも崇められるほどの有徳な人と見られているが、家庭では精神病を抱えて気難しいなどという程度のものではなかった。一種のDVをしていたのである。漱石の二面性は、聖人化する小宮豊隆ら高弟の評伝と、家庭での漱石を語る妻・鏡子と息子・伸六の著書を読み、併せて「漱石の病跡」という精神分析書を読めば、バランスの取れた人物像が浮かび上がる。


ゴッホは素人画家である

2019-06-21 19:54:21 | 芸術

 ゴッホは素人画家である、と言ったらすべての人怒るか、あるいは笑い転げるだろう。だが考えてみるがよい。玄人すなわちプロとは何か。プロとは自らの技芸で生計を立てている、というのが最低限の条件であろう。必ずしもその人の技芸の質が高いか否かは問われないのである。

 例えば歌手を考えてみよう。素人にもプロの歌手顔負けのうまい人はいくらでもいる。だがそれでもプロの歌手とは誰も呼ぶまい。下手くそと言われようが、可愛いだけが取り柄のアイドル歌手であろうが、どさまわりしかなかろうが、それで生活費を稼いでいる以上は立派なプロであろう。場合によっては生活費が足らずに困って副業をしている場合もあろう。それでも収入の多くを歌で稼げばプロ歌手である。

 逆にサラリーマンが副業に歌を歌って稼いでも、生活の補助にしかならなければプロとは言うまい。歌手志望のサラリーマンが、生活の安定を捨てプロの歌手になるのに不安を感じる、と言うのは生計を歌の道で稼ぐプロの生活への不安である。

 さてゴッホである。ゴッホは生前売れた絵はたった1枚しかなかったというのは有名な話である。その他の絵には人にあげても見向きもされなかったものさえあるという。彼の生活を支えていたのは弟であった。親が子供を養うように、弟に養われていたのである。これでゴッホはプロの画家ではなかったという意味は理解いただけたと思う。

ゴッホの絵は現代では真筆であれば、億単位で取引されている。このことを不思議に思うわないのだろうか。ゴッホが現在取引されている価格の何百分の一でもいいから、生前のゴッホの手に入れば、彼は生活に困窮することはなかったのである。それでは売れなかったのはなぜか。要するに社会の人々にニーズがなかったら売れなかったのである。売れない以上はプロではない。趣味の絵かきは今でもいくらでもいる。その中にはとびきり上手な人もいる。それはあくまでも趣味の人であつて、プロではない。
 
さてこの屁理屈は単なる思い付きではない。私は芸術とは、ある意味で社会に役に立つものだと言う芸術論を信じている。あまりに奇異だと思われる人、興味のある人はこのブログの下記のURLのホームページにアクセスしていただきたい。

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文学は広義のエンターティンメントである

2018-02-19 14:57:02 | 芸術

 文学は広義のエンターティンメントである。つまり娯楽である。娯楽と言っても、ただ面白、おかしいだけ、という意味ではない。文学を鑑賞することで、何らかの精神的な楽しみを享受することができる、という意味である。それ以外に何の目的が文学にあるというのだろう。文学がエンターティンメントであることは、その価値を少しも減ずるものではないことは、言うまでもない。

 二葉亭四迷は、文藝は男子一生の仕事にあらず、と断言しながら、最後には生活費としての給料をもらうために、其面影というエンターティンメントとしての傑作である、恋愛小説を書いた。それは二葉亭が文学とはエンターティンメントである、ということを理解してしまったからであると思う。

元々二葉亭が、将来の敵性国家のロシア語を学ぶうちに、ロシア文学に傾倒したのは、ロシア文学が革命運動とリンクして、政治的価値を持つものだと誤解したためだということは、本人が吐露している。

 それならばロシアにおいてなら文学はエンターティンメントではないのだろうか。そうではない。ロシア文学に傾倒したロシア人が、エンターティンメントである文学から、革命思想を引き出したのである。ロシアにおいても、文学における革命思想とは、エンターティンメントの題材のひとつに過ぎなかったのである。いくら書いた小説家自身が、本気で革命思想を書こうとしていたとしても、である。

 このことは、多くの日本人が漱石の作品を読んで、明治の思想を理解しようとしているのに似ている。もし、エンターティンメントではなく、思想を論ずることが漱石文学の真の目的ならば、漱石文学に書かれた思想が間違っていれば、漱石文学は価値がない、という奇妙なことになる。亡くなられた渡部昇一氏は、漱石は若くして死んだ、と喝破した。確かに漱石が死んだのは49歳という若さである。

80歳を超えた渡部氏には、漱石文学に書かれた思想の未熟さを言ったのである。後年、小宮豊隆らの高弟が、漱石を聖人のように持ち上げることの方が尋常ではない。だからといってエンターティンメントとしての漱石文学の価値は少しも減ずることはない。文豪、と呼ばれる人たちの言葉を、思想の論理として真に受けるのが間違っているのだ。だから思想を語っても正しいとは限らないし、情感に訴えるエンターティンメントなのだから、論理的に正しいか、否かは関係ないのである。

 鴎外は、小説がエンターティンメントに過ぎないことを理解し、北條霞亭のような史伝に逃避したように思われる。大塩平八郎の乱などの歴史小説といわれるものを描いた結果、思想を小説で表現することの無駄を理解したのである。伊澤蘭軒などの史伝は、エンターティンメントたることを放棄し、単に鴎外自身の知的興味を満足させるために書いたものとしか考えられない。鴎外の史伝を高く評価する専門家は多い。

しかし、エンターティンメントたることを放棄した以上、小説の形式をとってはいても、文学の範疇には入らないとはいわないが、文学としての価値は低い、と言わざるを得ない。鴎外自身もそのことは充分承知していたはずである。小生も伊澤蘭軒を無理して読もうとした。何日に一度、2~3ページずつでも読んで、何年かかけて読破しようとした。

しかし、読むことから精神的楽しみを得られない自分自身に素直になって、読破を放棄したのである。だから小生は伊澤蘭軒を四分の一も読んではいない。史伝の類でも、初期の渋江抽齋は読み終えた。一見淡々と文学的装飾をした文章の中に、時々色気らしきものを感じ、それを充分に楽しむことができたのである。

鴎外が伊澤蘭軒その他を書くことができたのは、悪く言えば自身の文学者としての名声を悪用したのである。鴎外はこれらの史伝を文学として楽しむことが出来るのは、例外的な人物であることを知っていたとしか考えられない。

鴎外の名声がなかったら、これらの史伝に類するものは出版することもできず、購入する読者もいるはずがなかったのである。そのことは、芥川賞を取ったから、その作品を買う者がいるのと、同様である。だから芥川賞を取った作家の作品でも受賞直後だけ売れて、その後の作品が面白くないから売れず、廃業せざるを得なくなる場合があるのである。

 芸術には目的があるといった。文学の目的はエンターティンメントである。つまり精神的な娯楽である。文学はコミックなどと違い、文系の学術書と同様に、主として文字によって表現をする。そこで人は、文学に思想を求めてしまうのである。特に純文学と呼ばれる作品には、そのように扱われる傾向が強い

 推理小説だとか、SFだとか、歴史小説は、単に特定の題材に特化しているのに過ぎない。刑事や探偵などによる推理を主題としているから、推理小説と呼ばれるのである。エンターティンメントの題材を、特定の分野に絞っているのに過ぎない。文学に思想を求めること自体は間違ってはいない。ある時代に書かれた以上、その時代を背景とした思想がある可能性があるからである。

ただそれは文学を楽しむのではなく、文章を解剖する作業である。思想を考える上でのネタにしているのである。かと言って文学評論の中にそのようなものが含まれていても間違ってはいない。ただし、文学から思想を抽出しようとする作業だけしているのは、文学評論とは言えない。繰り返すが、文学に書かれた思想が正しいか否かは、文学の価値の評価とは別の話である。


若冲展

2016-05-26 16:34:49 | 芸術

 平成28年は、伊藤若冲生誕300年ということで、東京都美術館で若冲展が開かれていた。混むだろうと思って、連休前の平日を選んだが、美術館に行くの途中のチケットショップで40分待ちですが、と言われたで驚いて帰ろうとしたが、今までで一番空いている、というの諦めて列に並んだ。それどころか、その後テレビ放映があったせいか、連休明けは平日でも、4時間待ちの日があったと言うから驚いた。一般に浮世絵師の肉筆画に比べると、流石に技量は高い

 だが驚いた1枚があった。石燈籠屏風図(公式目録番号36、以下数字はそれを示す)である。かなりの大作だが、僅かしか彩色が施されていないで、燈籠が点描で描かれているのだが、他の水墨画に比べて、正直テクニックと言うものがなきに等しい。失敗作であろう。批判する者はいなかったが、流石に他の作品の驚くような混み具合に比べ、見物人はまばらである。黙しても鑑賞者は自然に評価しているのである。

 どんな技量の画家でも、不得意な画題、と言うものがある。この屏風は不得意なものを選ばざるを得なかったのだろう。釈迦三尊像 釈迦如来像(1-1)の三幅の、特に顔の部分であるが、やはり、不得意の節が見える。

 「百犬図」(15)は動物であるにもかかわらず、小生には子犬の表現はいまいちである。どうも鳥や魚などに比べ、哺乳類や人物は得意分野ではないように思われる。

これは偏見かもしれないが、画業に専念したばかりの40代前半に描かれた「鹿苑寺大書院障壁画 葡萄小禽図襖絵」(20-1)の見事な筆遣いと比べると、70代半ばに描かれた「蓮池図」(36)は、線や面の使い方など、後者は粗雑に見える。年をとれば筆は慣れていても、反射神経や視力に衰えが生じるのではなかろうか。若冲は手が元々いいのである。おわかりだろうか。手筆に恵まれているのである。努力もあったのであろう。それにしても、若冲の筆遣いはすばらしい。

しかし、筆遣いは歳をとれば、どこかをピークとして衰える。イチローのバッティングセンスと同じである。老境に入って衰えたのは仕方あるまい。しかし、それを指摘しないのは本人にとっては最大の失礼ではなかろうか。画狂人と称して、歳をとれば筆がさえると言ったのは北斎本人の幻想であって、真に受けるものではない。

若冲がこのところメジャーになっているのは、若冲のセンス、特に彩色画のセンスが、現代のアニメや漫画、イラストレーションなどに強い刺激を与えるものであるからだろうと思っている。江戸期の肉筆の絵師は、狩野派のようなお抱えグループではない、若冲のような民間の個人は少ない。これは浮世絵のような大量出版物にように、薄利多売で大きな利益を上げることができないためであろう。

若冲は若くして青物問屋の跡取りとして、比較的生活にはゆとりがあった。40歳になって弟に家督と家業を譲ったのも、それまでの蓄えがあり、画の修業が一応の完成の域に達した自信があったからだろう。1枚の単価を高くしなければならない、肉筆画で生活を支えるのは、狩野派のようなパトロンがいなければ困難だったのである。日本でも西洋でもパトロンの存在(王侯貴族)がなくなって、肉筆の絵画が衰退したのは無理からぬことである。芸術で生計を営むことができる、というのは芸術家の最低限の要件である。その点でパトロンもなしに、生前から財をなしたピカソは、その1点において大天才である。


文学賞とは何か

2016-04-30 15:29:26 | 芸術

 石原千秋早稲田大学教授が平成28年4月24日の産経新聞に、興味深いことを書いている。文学界新人賞の円城塔が「万人を圧倒する小説を目指す人はそれでよいが、小説の傾きを自覚する人は、選考委員の顔ぶれをあらかじめ見て、最低限対策するくらいのことをしてもバチは当たらないのではないか・・・」と書いているのに対して「僕を意識して書けば、推してあげるからね」ということか。何様だと思っているのだろうか、と揶揄する。

 石原氏も、「選考委員対策をして受賞したら自分の書きたいように書くぐらいのしたたかさがあってもいい」と言う趣旨のことを書いたが、しかし、それを選考委員自身が書くものだろうか、として、これは円城塔の人格の問題だけではすまされない、とまでいう。

 さらに選考委員たる作家は選考委員としてはストライクゾーンは広くしておくべきだが、作家はそれが出来ないのだろう。それなら複数の文学賞を一人の審査員が掛け持ちすれば、どの賞に応募しても、同じ基準で選ばれたらたまったものではないから、掛け持ちしないか、させないことである。ところが、現に掛け持ちしている何人かの作家がいるから「この人たちには社会人としての節度を求めたい」と辛辣である。

 石原氏の指摘は、「賞」の選考の一般論として正しいと思われる。だが、これが芸術に適用されていることに、奇異を感じる。作家はなぜ小説を書くのだろうか。なんだかんだ言っても、小説はどんなジャンルにしても、広い意味でエンターティンメントである。読者を楽しませるのである。ノンフィクションのように、真実を追求するのではない。

 小説家が相手にすべきは、評論家でも文学賞の選考委員でもない。読者であるはずである。小説家が文学賞を欲しがるのはなぜか。ベテランならば名誉であろう。新人ならば、名声により今後の作品を売り出しやすくすることであろう。石原氏のいうのは、内容からして、対象となる作家は、ベテランではなく、新人だとか無名の作家のことだろう。

 だから彼等は、出版社に採用されるチャンスを欲しくて賞が欲しいのである。石原氏の言う通りだと、作家は作品は選考委員の好みに合わせて書き、選考側は受賞のチャンスを広げてやることが必要である、というのである。結局、次代のニーズだとか読者の好みと言うのは反映されなくなる。

 小生は小説が時代のニーズを反映して、面白いエンターティンメントになるのは、結局読者の購買意欲による淘汰だと思っている。しからば文学賞の選考委員と言うのは何者か。既に何らかの権威を持っている者である。権威を持っている者は、小説家であろうと文学の評価基準が保守的になっていると思うのである。

 つまり時代のニーズに鈍感な人物である、というのが一般的であろう。そこで皆が皆、文学賞を目指して小説を書いているのでは、面白い小説と言うのは減る。だが、現実には、はなから文学賞など諦めて、売れることに徹する作家も多いのであろう。そうならば、小説もすたることはない、と思うのである。

 ところが、小説の世界では戦前にはなかった現象がある。小説をテレビドラマの原作にすることである。昔から有名な小説を映画化する、ということはあった。近年の風潮は、作品が有名であろうと、なかろうとテレビドラマ化したら面白いだろう、という作品を選ぶのである。

 最近、池井戸潤氏の作品がテレビドラマ化されて当たっている。するとテレビドラマで人気が出た、という事でドラマの主人公の写真入りの本が書店に並ぶ、といったいわゆるコラボができる。池井戸氏は有名だが、コミックで大して有名でないものが、ドラマやアニメ化される、ということも珍しくない。つまり、小説やコミックがテレビドラマの原作の供給源ともなっている。

 文学賞の選考委員の多くが、権威ある作家である、というのは不可解に思う。鑑賞眼の良し悪しには関係なく、小説の売れ行きを決めるのは読者のはずである。いくら賞を受けようと、読者の好みでなければ、いずれ売れなくなる。それなら最近話題になった、書店員が売りたくなる「本屋大賞」の方が余程ましではないか。売って読者に面白かった、と言われそうなものを選ぶからである。土台、文学賞などというものは、肝心の読者にはどうでもいい存在になりつつあるのではないか。


鴎外は恋人の記録を残したが、ほとんどの人は痕跡すら残していない

2016-02-07 15:49:11 | 芸術

鴎外は恋人の記録を残したが、ほとんどの人は痕跡すら残していない

 以前、書評「鴎外の恋人」に書いたように、鴎外はドイツでの恋人のことが忘れられず、「舞姫」を書き、二人の子供の名前を、恋人の名前に似たものにした。他にも恋人の存在の痕跡を多く残している。そのために、上記の本の著者は、鴎外の恋人に関する事実を色々洗い出すことができた。

 しかし、同書にもあるように、当時欧米人と恋中になり真剣に結婚を考えた軍人は何人かいたらしいのだが、結局ハッピーエンドとなったケースはないらしい。同書で一人の軍人の名前が紹介されているのはましな方で、その他にも多くの日本人が、欧米人との恋に破れたケースがあったのに違いないのだが、誰も鴎外のように痕跡を残していないのであろう。

 幸せと言うにはあたるまいが、鴎外のように痕跡を残すことのできた者はましである。少なくとも、鴎外は自身の不幸を世間に表白できたのである。多くの人々は涙をさえ隠し、互いの胸に永遠に真実を秘めて亡くなっていったのである。


何故浮世絵の美人の顔は同じなのか?

2016-01-07 14:54:22 | 芸術

 長い間、浮世絵について疑問に思っていたのは、同じ絵師だと、美人画の顔がほとんど同じである、ということである。例えば街の美人を描いた浮世絵は、当時の有名な美人で名が知れた者を何人描いてもほとんど同じで、見る者はヘアスタイルや、衣装などでしか区別できないのである。

 これについて、こういう仮説を立てた。同じように見えても、浮世絵を見慣れた同時代人は、目が慣れているから、区別がつくのだ、と。つまり現代人は浮世絵の表現に目が慣れていないからだ、というのである。これも客観的に考えればかなり無理のある仮説だった。明らかに同じ角度から描かれた、同じ絵師が書く女性の顔は、目鼻の造作や顔の輪郭などが、類型的に同じように描かれているのである。そこで仮説はずっと頓挫したままだった。

 ある時秋葉原の街を歩いていて答えは見つかった。一枚の絵にアニメやコミックの女の子のキャラクターが何人か描かれているポスターがある。すると、そこに描かれた全ての人物は別人を表現しているはずである。ところが、当たり前の話だが、一人ひとりを区別しているのは、ヘアスタイルと衣装だけなのである。体型ですら似ている

 秋葉原あたりに氾濫している、大抵の女性の漫画のキャラクターは、体型はともかく、顔は大人というより少女に近い。同じ漫画家が描く少女は顔の輪郭、目口鼻耳といった造作は基本的に同じである。今は不思議な時代で、戦車と漫画のキャラクターを組み合わせた、ギャルパンツァーなるものが流行っている。無理して流行らせているようにも見えるのだが。

 だから小生が買ったミリタリー系の雑誌にも女性のキャラクターをメインにした漫画がある掲載されている。同じコーナーに表紙にフィギュアの原型のような漫画の女の子が書かれた、雑誌があったので中を見てみると、戦史関連のものだったのには驚いた。一人の漫画家が描けば、同じ年代を想定した女性の顔は類型的に同じである。今手元にある戦史雑誌にも漫画があり、二人の女性が描かれているが、顔の造作と体型は同じで、同じ飛行服を着ているから、区別ができるのは、髪の毛だけなのである。それでも見慣れれば違和感は感じない。

 なぜこうなるのかは、正確には分析できていない。だが根本は、線描という簡素に省略された表現手段が持つ、描き分けの限界ではないかと思うのである。油絵の場合、写真と似たように、リアルに描くことが出来れば、個人の顔の特徴をリアルに反映できるから、一人一人の顔を違って描ける。線描故に、それが困難なばかりではなく、無理して特徴を捉えようとすると絵画としての面白さが失われるのではなかろうか。このあたりは漫画家自身が良く承知しているであろう。

 だから年代が同じで、可愛らしい美人、という設定をして、同じ漫画家が描くと同じ顔になってしまう。それどころか、秋葉原のポスターなどに描かれた漫画の女性は、漫画家が違っても類型的によく似たものが多いと思われるのである。これは単に真似しているのではなく、同じように見えることによって、同時代の流行を故意に作っているか、流行に乗ろうとしているようにも思われる。

 これは浮世絵にも言えることで、時代が近ければ、絵師が違っても顔の描き方や体型も似ているはずである。一方で、女性ではないが、写楽の歌舞伎役者の浮世絵は、役者の特徴を捉えていて、一人づつモデルとなった役者と似ているはずである。はずである、と言ったのは写真などの客観的資料がないから断言できないからである。しかし、違う役者は違う顔の造作や輪郭をしていることは明白である。

 役者絵がこのようなことができるのは、役者の特徴を誇張して描くことが、絵としての面白さを失わせるどころか、増幅するからである。役者の顔立ちには癖があり、役によって化粧も違う。その癖を誇張し、化粧をきちんと描くと、役者毎の区別がつくし、それによる面白みも増す。

もし役者絵を同じ年代の、癖の少ない典型的な二枚目の男の役者の舞台化粧をしない素顔を描く、という条件を設定してしまうと美人画と同じく、絵師が同じならば、同じような顔になってしまう、ということになるはずである。はずである、と言ったのは、そのような設定の役者絵は存在しないから、実証的に証明できないからである。今たどりついた、当面の結論を言おう。浮世絵の美人画の顔が同じなのは技法と絵師の都合と時代によるものである。


肉筆浮世絵雑感

2011-04-16 13:53:26 | 芸術

 4月2日、待望の山種美術館のボストン美術館の浮世絵展を見てきた。美術館が狭い割に、1300円は高いのではないか、と思ったが間違いだった。丁度三時に入ったので、2時間しかない。しばらく見ていてこれでは時間が足りなくなるのではないか、と思う位、質、量ともに充実していた。

 はてこれは本題ではありません。第二会場があると言うので行くと実に狭いのです。ここは版本と肉筆浮世絵展示だと言うのですが、肉筆はわずか2絵師、5点です。絵師は歌川豊春と鳥文斎栄之という無名ではないのですが、歌麿などに比べればいわば一段マイナーな人です。

 展示のメインは歌川豊春の見立琴棋書画図です。肉筆浮世絵の常で、女性の顔がいやに白いのですが少しも気にならず、しかも輪郭線などはうまくぼかして自然です。他の作品は輪郭線はそれよりはっきりしているのですが、いずれも肉筆浮世絵としてはいままでに見た事が無い・・・小生の見聞の狭さが分かるというもの・・優れたものでした。

 そこでカタログの解説を見ると、歌川豊春と鳥文斎栄之も共に途中からもっぱら肉筆画に専念したとある。これで納得できるではありませんか。つまり両人とも肉筆画の技量があるため、専念できたのである。二人の肉筆浮世絵がうまいのも当然であった。当時の浮世絵師は狩野派などのお抱え絵師と違い人気商売である。目の肥えた当時の人たちから評価されなければ売れないのである。だから特異な肉筆画に専念したのも当然であった。

 現代の「画家」と称する人たちはこのような環境を羨むべきであって、蔑むべきではない。現代の画家の多くは日展当選何回、二科展当選何回、あるいは日展審査委員などという地位で評価されるのであって、画の善し悪しで評価されるのではない。画家にとって本質的にこれほどの不幸はない。確かに展覧会に当選するには技量がいるのに違いない。しかしそれも限られた審査員の評価である。芸術は権威から離れたものだと言いつつ実は権威に守られているのである。


何故映画の画面が大きいか(*^_^*)

2008-10-19 13:09:37 | 芸術

 この質問に何と皆さんは答えるでしょう。テレビは画面が小さく迫力がないから、とでも言うのでしょうか。もちろんこれは本末転倒です。元々昔は動画を見ることが出来るのは、映画しかなかったのですから。そう考えれば理由は分かります。

 映画を映す装置やフィルムなどは高価で、映すにも特殊な技術が必要である。つまり今のテレビ用に家庭で映画を見るのは不可能なのである。当時家庭では、せいぜい幻燈というちゃちなものしかなかった。この事情は今でも変わらないのである。つまり高価な映画を有料で見ることが出来るようにするには、一度に多数の観客が必要である。

 多数の人が同時に見るには、画面が大きくなくてはならないのである。21インチの1台のテレビを100人で同時に見ることを想像すれば、納得できるだろう。ところがテレビの登場で、映画の衰退が始まった。特にカラーテレビが普及すると、映画はますます不利になる。

 その上ビデオが登場すると、映画もテレビ番組に関係なく、いつでも見られるようになった。このとき映画の唯一のメリットは、大画面と音声による大迫力となった。つまり大画面は映画の必要条件だったのが、メリットに転換したのである。映画のメリットは多数の観客を動員することによる、高額の制作費を使った良い映画を作ることができる、と言う点にも発見された。

 なぜ洋画が一時日本映画をはるかにしのいだか。それは世界中に配給することによって、多数の観客を動員することができたからである。それによりパニック映画や、SFなどコストがかかるが、迫力があり大衆を楽しませることができる、映画を制作出来るになったのである。

 このとき日本では相変わらず金のかからない、家でお茶漬けをすするようなちまちました映画か、ピンク映画や、やくざ映画に走った。これでは大衆を動員できようはずがない。日本映画が復活したのは、結局洋画をみならったからである。

 大画面は良いのに違いない。初期のテレビは14インチが主流であった。しかしデジタル放送などにより、いい画質の番組が出来、テレビで映画を見ることが一般化し、液晶テレビが普及すると、今や大衆は大画面テレビに走っている。

 今では夫婦二人だけの少人数の家で40インチ以上のテレビも、ごく普通である。40インチ以上のブラウン管テレビは、想像してもぞっとするほど大きいし、デジタル放送でなければ、画面が粗くてみられたものではない。やはり大画面はいいのである。つまり映画は初期のメリットとは違う面を生かして復活したのである。

 復活したといっても、動画を映画が独占していたのとは違う。映画が産業として成り立つことを再び可能にしたのである。そのことにより、ライターや監督、俳優といった人材まで、優秀な才能の者達が、映画に戻ってくる。そのことにより映画の質を高めて、映画の人気も高める。それで映画とテレビが共存する時代が来たのである。