書評・みんなで学ぼう日本の軍閥・倉山満・杉田水脈
平成27年の刊行だから、杉田氏がLGBT記事で叩かれない前の著作である。のっけから余談になるが、杉田氏の生産性云々の記事問題は、記事が不適切であるというより、左翼にとって杉田氏が手強い存在だから、ちょうどいい攻撃の口実を見つけられたのに過ぎない。例の菅直人もかつて、同性愛は生産性がない云々という発言をしたにもかかわらず、何の非難もされなかったからである。
保守論客でも杉田氏の発言に対して、言論の自由を侵害する危機だとしてまともに擁護する人は少なく、本当に杉田氏が言いたかったことが誤解されているとか、LGBTも生物学的には生産性があるだとか言い訳をする輩がいた。つまり、自分が杉田氏のように非難の嵐にさらされることを恐れたとしか思えないのである。
閑話休題。それにしても倉山氏も東條の事を、がり勉の秀才で典型的官僚と看做していることは残念である。「東京裁判」で東條が見せた歴史的見識と胆力は付け焼刃ではないからである。東條はこのとき真面目を発揮したのであって、追い詰められて人が変わったのではない。
本稿では本書のうち、山本五十六についてだけ一言したい。倉山氏があれほど歴史に詳しくても、軍事にあまり関心がないことが分かるからである。運命の五分間に空母を潰されたとか、そんなレベルではない(P236)、というのだが、阿川弘之のおべんちゃらを批判しているのに、この見え透いた嘘を指摘していない。阿川の言う運命の五分などというものは、艦上機が発艦するのに、一機当たり一分程度かかることを知っていれば、すぐばれる話だからである。
二十数機が五分で全機発艦するのは不可能だ位は、阿川氏のみならず軍事知識があれば知っている。阿川氏が嘘をついているのは明白である。それどころか敵空母攻撃隊の発艦開始後の五分であれば、発艦距離が短い直掩の零戦隊が発艦中で、艦爆と艦攻は飛行甲板にいるはずだから、急降下爆撃を受けたときには甲板上には爆弾、魚雷を満載した攻撃隊が待っている。米海軍の爆弾は瞬発に近い信管だから飛行甲板は兵装の連続爆発が起こったはずである。
ところがいくつかの証言では、ほとんどの機体は格納庫にいたのだから、阿川氏は二重に嘘をついている。赤城が急降下爆撃を受けた時に飛び立った一機の零戦とは、急降下爆撃にあわてた第一次ミッドウェー攻撃で帰投したばかりのパイロットが、近くの零戦に飛び乗って発艦したものである。これは飛び立った本人の証言である。
また、飛龍の敵空母攻撃隊が発艦したのは、三空母が急降下爆撃を受けてから30分以上たっている。もし、四艦同時に発艦していたのなら、こんなことにはならないことも、阿川氏らの説がいかにインチキかわかる。飛龍は3空母と離れて雲下にいたので同時攻撃を免れた、というのだから尚更敵空母攻撃隊を赤城と同時に発艦させているはずがない。
阿川氏の山本五十六伝記には、マレー沖海戦で、山本五十六と幕僚が英戦艦を一隻撃沈するか、二隻かでビールを賭けたことが堂々と書かれている。敗北した英海軍のみならず、日本の攻撃隊も戦死者が出ている。この壮絶な戦闘を賭けで遊んでいた、というのはまともな神経ではあるまい。山本を神格化しようとした阿川氏も、戦闘を賭けにして遊んでいたことに疑問を持たずに堂々と書くのもどうにかしている。ちなみに倉山氏も山本も博打好きは徹底的に批判している。
日本の艦砲の命中率が米海軍の3倍(P231)だという説を述べている。これは、旧海軍の黛治夫氏が出典であると思われるが、これは米海軍が新型の火器管制システムを完成しない、それこそ第一次大戦の延長の時点で、類似のシステムを使って日本海軍が訓練にはげんだ成果と考えられる。日米開戦時点では、米海軍は砲塔の制御等の火器管制システムの能力を大幅に向上しているから、日米の差は逆転している。
海自出身の是本信義氏は「海軍善玉論の嘘」で戦艦大和級とアイオワ級が戦えば、アイオワ級の圧勝だと述べている。これはレーダー照準の精度も含めているが、それがなくても、火器管制システムの優劣により、アイオワ級の楽勝である。高角砲の命中率が米海軍が二~三発撃てば一発当たるのに、日本のは1000発撃って3発当たる(P196)、というのだが、これも火器管制システムの圧倒的な差による。
ミッドウェー海戦の際の戦力を倉山氏は「連合艦隊 激闘の海戦記録」により(P236)日本側が圧倒的に優位な戦力であったとしているが、これもきちんと比較すれば逆で、米側の方がずっと優位である。戦力比較(P236)であるが、戦艦が日本が11に対してアメリカ0とあるが、これは作戦全体に含まれる数で、作戦に直接参加したのは二隻だけで、残りは作戦海域から遥かに離れたところで待機していただけで、戦力になっていない。
重巡は8対7となっているが、8隻のうち参戦可能だったのは二隻だけである。戦艦と重巡の合計の砲戦能力からすれば、米側の方がやや上である。日本の残りの戦艦等は、空母部隊から500キロ以上離れたところにいたから、砲戦が起きても参戦できなかった。山本五十六は遥か遠くの戦艦大和にのんびり座上して将棋をしていたのである。
それどころか、実際に対戦した航空機に至っては、日本が艦上機248機に対して米艦上機は233機であり、大して変わりはない(Wikipediaによる)。空母の比率が4対3なのに、この程度しか差がないのは米空母の一隻当たり搭載機数が大きいことによる。
さらに、米側は陸上機が127機もあるから、航空機の戦力は米側の方が圧倒的に大きい。「弱い日本が巨大なアメリカに負けたのではないんです。・・・日本の方が圧倒的戦力です。(P236)」とはならない。しかも、山本五十六は半数待機と称して、米空母が出現したときのために、108機を待機させていたというから、米側から航空攻撃を受けたときには、この機数しか対応できないのである。これに対して米側は空母戦力と陸上機の全力を投入できたから、実戦力の差はすごいものになる。
だから日本側は運が悪かったのではない。それどころか、つき過ぎるほどついていたのである。米空母は攻撃隊に援護戦闘機を随伴できなかった上に、空母と陸上から発進した雷撃機はバッタバッタと落とされて、わずかにかいくぐった雷撃は見事な操艦でかわされてしまった。長時間にわたる米機の攻撃にもかかわらず、日本艦隊は無傷で済んだ。一隻や二隻は被害を受けても当たり前の、執拗な攻撃を受け続けていたのである。この幸運の連続を山本は生かせなかったのである。
むしろ、わずかな急降下爆撃しか受けなかったことが不可思議な位な状況だった。そもそも敵空母攻撃に半数を待機させた、ということ自体が、本当に米空母の出現を想定していたとしたら不可解である。手順として、第一次ミッドウェー島攻撃隊が帰投すれば、飛行甲板にいた敵空母攻撃隊を格納庫に収容し、帰投した機を着艦させ格納庫に収容し、格納庫にいた敵空母攻撃隊を飛行甲板に並べ、発進させる。
これらに要する時間は一時間や二時間では済まない。それだけの時間を費やしてようやく敵空母攻撃隊を発進させることができる。その機数はわずか108機しかないのである。実際に敵空母が出現したら、わずかな戦力を時間をかけて発進させなければならない、という不利があることは、艦長以下の実務担当者に聞けば分かるはずなのである。図上演習でも、敵空母が出現したら赤城と加賀が沈没した(Wikipedia)、というが当然の予測である。
日本側が参戦不可能と見積もっていたヨークタウンが、予想通り参戦しなかったとしても、米側の航空圧倒的優勢は揺るがない。日本側が敵空母が出てくれば鎧袖一触などと放漫なことを考えていたのに対して、米軍は持てる全力を投入していたのである。米軍のこの態度は、日米戦力が圧倒的差になっても続いたから感心する。日本軍で最も驕慢になっていたのは、山本五十六そのひとだったのである。