鋭い思考力の持ち主ながら、エキセントリックで一面的見方しかできない著者であることを知っている。そう思ってこの本を読めば、近衛文麿が共産主義がぶれで日本を敗戦革命に追い込んで国をソ連に売ろうとしていた、という見方もおもしろい。中川氏はある雑誌のパネー号事件についての奥宮正武との論争で、徹底的に奥宮の欺瞞を論破したのも、この鋭さの故で魅力でもある。不可解なのはタイトルとは異なり本文ではほとんど大平洋戦争ということばを使っていることと、「」付きながらA級戦犯という言葉を最も罪が重い者という意味に使っている(P68)ことである。
他にも「ロシアの侵略主義の永遠性を小村寿太郎は喝破した。(P212)」というが、ハリマンの満洲進出を阻止したことについて何も言及していない。その上で「加藤高明/小村寿太郎の功績は、日本外交上、不朽といわざるをえない。(P213)」というのもよく分からない。とにかく中川氏は徹底した反共反ロで親欧米である。
「一人の日本兵も死んでいない盧溝橋事件からたった四日しかたっていないあの一九三七年七月十一日に「北支派兵声明」を発案し強引に発表に持ちこんだ張本人は、時の近衛文麿総理その人であって他の何人でもない。この時の軍の主流(多数派)は、派兵を強硬に反対している。(P77)」と書いているのは事実である。しかし、近衛の意志などというものは関係国の意志に比べれば取るに足りない。英米もソ連もドイツさえも日中戦争を画策して軍事支援と外交を展開しているのである。中川氏の見方が狭量であると言うのは、このような例が証明している。
私は戦後のどさくさで、満洲をロシアが日本軍を攻撃して占領しながら、珍しく戦後中共に与えてしまったのを不可解に思っていた。しかし本書によれば、事はそう単純ではない(P174)。満洲を南満洲と中部満洲と北部満洲に分ければ「満洲国」は南と中部である。黒龍江省と呼ばれていた地域の北部と沿海州は満洲国ではないが旧満洲である。この地域は現在もなお、ロシアに侵略されたままであることが示されている。
近衛らが、日本もソ連共産党式の政治体制にしようとしたのを阻止したのは、実は明治憲法であって「大政翼賛会」を作った程度で済んだのはましであった(P132)という。そもそも、大政翼賛会自体が当時の貴族院議員の岩田氏によれは、明治憲法違反なのだ。(P132)中川の言うように、戦前の議会制民主主義が守られたのは昭和天皇と明治憲法によるものなのだから、戦後の学者が明治憲法を軍国主義の元凶のように言うのは、事実を等閑視した悪質なデマである。
戦後教育は明治憲法は天皇が国民に与えた欽定憲法であり、日本国憲法は国民が作った民定憲法などと教えているが、護憲論者ですら、米定憲法ではないと主張するのは、今は稀である。改定の手続き論を言えば、日本国憲法は明治憲法の改正手続きに従って定められたのだから、形式論から言えば、欽定憲法である。