毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

書評・大東亜戦争と「開戦責任」中川八洋

2014-03-31 13:28:04 | 大東亜戦争

 鋭い思考力の持ち主ながら、エキセントリックで一面的見方しかできない著者であることを知っている。そう思ってこの本を読めば、近衛文麿が共産主義がぶれで日本を敗戦革命に追い込んで国をソ連に売ろうとしていた、という見方もおもしろい。中川氏はある雑誌のパネー号事件についての奥宮正武との論争で、徹底的に奥宮の欺瞞を論破したのも、この鋭さの故で魅力でもある。不可解なのはタイトルとは異なり本文ではほとんど大平洋戦争ということばを使っていることと、「」付きながらA級戦犯という言葉を最も罪が重い者という意味に使っている(P68)ことである。

 他にも「ロシアの侵略主義の永遠性を小村寿太郎は喝破した。(P212)」というが、ハリマンの満洲進出を阻止したことについて何も言及していない。その上で「加藤高明/小村寿太郎の功績は、日本外交上、不朽といわざるをえない。(P213)」というのもよく分からない。とにかく中川氏は徹底した反共反ロで親欧米である。

 「一人の日本兵も死んでいない盧溝橋事件からたった四日しかたっていないあの一九三七年七月十一日に「北支派兵声明」を発案し強引に発表に持ちこんだ張本人は、時の近衛文麿総理その人であって他の何人でもない。この時の軍の主流(多数派)は、派兵を強硬に反対している。(P77)」と書いているのは事実である。しかし、近衛の意志などというものは関係国の意志に比べれば取るに足りない。英米もソ連もドイツさえも日中戦争を画策して軍事支援と外交を展開しているのである。中川氏の見方が狭量であると言うのは、このような例が証明している。

 私は戦後のどさくさで、満洲をロシアが日本軍を攻撃して占領しながら、珍しく戦後中共に与えてしまったのを不可解に思っていた。しかし本書によれば、事はそう単純ではない(P174)。満洲を南満洲と中部満洲と北部満洲に分ければ「満洲国」は南と中部である。黒龍江省と呼ばれていた地域の北部と沿海州は満洲国ではないが旧満洲である。この地域は現在もなお、ロシアに侵略されたままであることが示されている。

 近衛らが、日本もソ連共産党式の政治体制にしようとしたのを阻止したのは、実は明治憲法であって「大政翼賛会」を作った程度で済んだのはましであった(P132)という。そもそも、大政翼賛会自体が当時の貴族院議員の岩田氏によれは、明治憲法違反なのだ。(P132)中川の言うように、戦前の議会制民主主義が守られたのは昭和天皇と明治憲法によるものなのだから、戦後の学者が明治憲法を軍国主義の元凶のように言うのは、事実を等閑視した悪質なデマである。

 戦後教育は明治憲法は天皇が国民に与えた欽定憲法であり、日本国憲法は国民が作った民定憲法などと教えているが、護憲論者ですら、米定憲法ではないと主張するのは、今は稀である。改定の手続き論を言えば、日本国憲法は明治憲法の改正手続きに従って定められたのだから、形式論から言えば、欽定憲法である。


異質ではないロシア

2014-03-30 14:13:02 | Weblog

 26年3月27日の産経新聞の正論で木村汎氏が「『異質のロシア』研究を再興せよ」と論じていた。ソ連崩壊後のロシアは、民主主義と市場経済を目指し、われわれと変わらぬ普通の国になるから、もはや真剣にロシアを研究する必要はないと言う世界的な風潮が続いた。しかしクリミア併合にみられるようにこの見解は間違っていたことが証明された、というのだ。

 そもそも、民主主義と市場経済を目指し、われわれと変わらぬ普通の国、という概念が世界に共通してある、といのが幻想である。小生は、同じ民族がある国家の主力をなしている場合には、外見上別な政治経済体制をとろうと、民族が入れ替わらない限り国家に本質に急激な変化はないと考えている。

 ましてクリミア併合ごときで、やはりロシアの本質は変わっていない、と驚く必要はない。戦前は世界中でそんなことは当たり前に行われていたのであるし、戦後もその残滓は大いにある。例えばハワイはアメリカ人を多数送り込まれ、独立宣言して女王を退位させたうえで、米国に「併合を求めた」ことになっている。民主主義と市場経済がある普通の国であるはずの米国が明治維新後に行ったことである。その後の米国の政治的変化といえば、黒人に公民権が与えられたことくらいで何も変わっていないのである。

 ソ連に至っては、バルト三国に「お願いされて」の併合や、フィンランド領の強奪など枚挙にいとまがない。中共は戦後チベットやウイグルなどを侵略したが、改革開放で市場経済となったが対外侵略性に何の変わりもない。中共が市場経済を取り入れ、外国資本を入れれば徐々に民主化して侵略性も薄れると楽観したが何の変わりもないではないか。


松本清張の陰謀・「日本の黒い霧」に仕組まれたもの

2014-03-27 16:45:59 | 軍事

 「日本の黒い霧」は戦後起きた下川事件などの一連の事件がが、在日米軍などによる謀略であることを証明したノンフイクシヨンであるとした、一種の陰謀史観で書かれた本である。

 「・・・五〇年代前半、共産党と、それを応援した知識人が、その犯した誤りを明確にして正さず、極力隠蔽に努めたことが、『日本の黒い霧』出現に繋がった。内部は『霧』のように希薄、単に推理に過ぎないものを偽って事実と擦り替え、論理的歪曲を重ねて、大仰に占領軍謀略を叫ぶ」(P278)と書いているのが、この本の言わんとしたことを全て語っている。

 清張の戦後史観は反米思想、共産主義シンパシーに貫かれている。そのために、ろくろく調査もせずに、下川国鉄総裁は在日米軍に殺された、と強引に推理、松本は初手から結論ありきで、でたらめな話を書いていており、筆者はそれを丹念に検証している。こんなことが可能になったのは日本の権威主義とそれを利用した進歩的知識人や共産党にある。当時歴史家や思想家という学問的権威の中心を占めていたのが左翼的傾向が強かったから、学問的権威に弱い松本清張は主流の彼らの言うことを盲信したのである。

 清張のフィクションとしての推理小説は確かに緻密で魅力的なものであった。そのために大衆的人気が出て、推理小説の大御所になった。その清張が自殺説と他殺説のあるフィクションではない現実の下川事件を推理した。推理の大御所が現実の事件を解決したと言うわけである。ところが、ここに陥穽がある。推理小説を作る過程は、結論を最初に決めていて推理はそれに合わせて逆に積み重ねていく。

 つまり推理小説家は創作の過程で推理をしているのではなく、答えを知っているものだけ書くのが習い性になっているから、日ごろから推理のトレーニングはしていない。従って推理小説家だから現実の事件の推理が得意だとは限らない。むしろ初めから答えを決めていて、推論は辻褄合わせに過ぎないことに何の抵抗もない。森村誠一は中共政府の協力で「悪魔の飽食」なる日本の細菌部隊を糾弾する「ノンフイクシヨン」を書いた。これは中共の用意した材料をそのまま使い、事実の検証を行っていないと言う点で、日本の黒い霧と同断である。

 


書評・英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄・ヘンリー・S・ストークス

2014-03-09 12:58:10 | 大東亜戦争

 大晦日に本屋で何か買おうと思って、タイトルでパラパラと見て買った。この手の本でも西洋人のものは、案外日本に対する偏見が見え隠れするものだが、この本には不思議な位ない。それは日本での滞在が長く、三島由紀夫などのいわば特異な人物との付き合いが深かったことも一因であろう。南京大虐殺を全否定するのも、経験などから日本人がそのような事をする民族ではない、という心証が背景にある。「戦場で女を強姦し、男を惨殺するというプロパガンダはまちがっている」(P216)と断言するのである。

 子供の頃の体験で、故郷を進軍する米軍の戦車と米兵を見て、「アメリカの若造が戦車でやって来て、まるで王であるかのように振る舞っていた」のに嫌悪を感じ「本能的にアメリカ軍がわれわれの国を支配するように感じた」(P20)ことも影響しているのであろう。実際米国は、大英帝国を破壊し、世界の覇権を握ったから子供の頃の直感は正しかったのである。

 本人は「私がユダヤ人や日本人に親しみを感じるのは、クエーカー教徒だからかもしれない」(P209)という。クエーカー教徒は少数者であり色々な差別を受けてきた。日本人やユダヤ人は優秀であり異端だから他の民族から嫉妬される。だからいわれなき「性奴隷」や「南京大虐殺」などのレッテルを貼られるのだという。

 東京裁判についても単純明快である。西洋諸国が世界中を侵略してきたのになぜ日本がアジアを侵略したと言われるのか。それは侵略戦争が悪いのではなく、「有色人種が白人様の領地を侵略した」からだ。白人が有色人種を侵略するのは『文明化』であって、その逆は神の意向に逆らう「罪」であるというのだ。(P39)

 ついでに日本軍の収容所に入れられた従妹から、一家が3年半悲惨な生活をしたと聞いた話がある。悲惨な生活とは、やわらかいトイレットペーパーがなく、聖書のページを破って使わなければならなかった、という程度のものだったそうである。小生の体験によればトイレットペーパーがなかったのは、当時の日本ではごく当たり前のことである。

 ユダヤ人を救ったシンドラーは実は金目的であった(P203)のだが、実際シンドラーは工場で使うユダヤ人を確保する目的だったのである。「ゴールデン・ブック」には、ユダヤ民族に貢献した外国人の名が記載されているのだそうだが、日本人としては樋口季一郎中将と安江仙弘大佐が記載されている(P202)。

 著者によれば本当にゴールデンブックに記載されるべき人物は東條英機であるというのだ。樋口少将が関東軍参謀長に二万人のユダヤ難民の満洲入国の境を求めたところ、「民族協和と八紘一宇の精神」に従って許可を与えた。この参謀長が東條である。東條は単に許可を与えたばかりではない。ドイツ外務省が日本政府に強硬な抗議を行ったが、東條は「当然な人道上の配慮」だとして一蹴した。東條は巷間言われるごとき思想なき有能な官僚なのではなく、信念の人であった。大東亜会議を積極的に推進したのも同じことである。

 意外だったのは、白洲次郎の人物評である。GHQとも対等に交渉したプライドある人物というのが一般的である。しかし、著者の見た白洲は少しばかり違う。「僕はボランティアではない」というのが口癖で、金儲けに目がない人物であった(P223)「私は白洲が傲慢で威張ってばかりいたから、好きにはなれなかった。自己顕示欲が強くて、いつも自慢話を言いふらしていた。・・・映画俳優のように男前で、流暢なイギリス英語を、反り返って、まるで人を見下すように話した。自分が関心を持たない人物がそばに来ると、無視するようにそっぽを向いて、無礼な態度をとった」(P223)。著者によれば唯一の長所はイギリス人が驚嘆する博覧強記である。


書評・真珠湾攻撃の真実・太平洋戦争研究会[編著]

2014-03-02 16:21:14 | 大東亜戦争

 研究会編著とあるように、多数の執筆者の文章を集めたものである。ただ「太平洋戦争」というのが情けない。

真珠湾攻撃隊の艦爆が爆撃体制をとってからわずか10分で、米軍将兵が銃座にとりつき迎撃態勢をとったのはみごとである(P131)というのは同感である。半年後のドゥーリットル爆撃隊の接近をしりながらなすすべがなかった日本の失態と比較しているのだが、それだけではない。戦争が近付いているという雰囲気はあったにしても兵士には平時であった米軍に対して、日本はドゥーリットル空襲時には戦争の真っただ中にいたことを考えると日米の差は甚だしいというのである。以前から、完全な戦時体制ではないにもかかわらず、真珠湾攻撃で攻撃隊の損失率が10%もあったのは、世評と異なり大きいものだと書いていたが、初めて似た意見を聞いた次第である。

攻撃隊の派手な塗装についての有名な記述もある。艦爆で高橋少佐機が通商「ドラネコ」と呼ばれ胴体が橙色、江草少佐機は通商「ジャジャウマ」と呼ばれる胴体が真紅のまだら(P176)だそうである。

山本五十六が条約派ではないことが書かれている。すなわち首席全権若槻が、随員に黙って米英との妥協案を請訓したことにショックを受け、特に潜水艦量について強硬な反対論を展開した。「この時の山本の論調には『日本全権団員の息の根をとめるような猛烈果敢さがあった』と伝えられている。」(P233)ワシントン条約で主力艦を制限され仕方なく補助艦艇でバランスをとろうとしたらそれもロンドン条約で制限されて山本は怒り狂ったのである。

一般には山本は艦隊派ではなく、良識派として条約派であるがごとく伝えられているが、行動を検証すれば全くそんなことはないから不可解としか言いようがない。山本が軍縮条約に反対で、財政問題を説明する大蔵省の賀屋興宣を恫喝した話も有名である。山本が航空重視をしたのは、不利になった主力艦比率を航空機で補うためであった。すなわち、山本が陸攻で一生懸命攻撃したのは空母ではなく、もっぱら戦艦や巡洋艦などの主力艦であった。戦艦無用論を唱えていたように言われるが、山本はが大切にしたのは空母ではなく、無駄と揶揄したあの戦艦大和であった。それは単に軍楽隊の演奏つきのフルコースのフランス料理を食べるためだったのだろうか。

特攻を提案したことにされている大西中将は、本来航空に関しては合理主義者だったことは知られている。一式陸攻に防弾装備を計画段階からするように強く主張したのは大西である。その大西が「米本土に等しいハワイに対し奇襲攻撃を加え、米国民を怒らせてはいけない。もしこれを敢行すれば米国民は最後まで戦う決心をするであろう。・・・日本は絶対に米国に勝つことはできない。・・・ハワイを奇襲すれば妥協の余地は全く失われる。・・・」という反対論を部下に語ると共に、山本にも計画を止めるよう進言した(P292)。その後も真珠湾作戦は失策という自説を変えなかったという。小生は真珠湾攻撃をやるべきではなかったとは考えない。しかし、やり方は考えるべきであったと考える。なぜ攻撃後、真珠湾口に機雷敷設をして封鎖すること位考えなかったのだろう。常に米本土から艦艇を真珠湾に回航していたのだから。

外務省が前夜に宴会をして海戦の通告が遅れたのは、過失ではなく故意であるという説がある。海軍が奇襲を完璧にするようにするために、外務省に申し入れたというのである。これならば、実直な日本人がそろいもそろって、こんなへまをやらかしたと言う理由が説明できる。前日から明らかに重要な文書だと分かっているのに馬鹿な事をしたとこぞって非難するのだが、馬鹿なことをしたのではない、と納得できる。

彼らは失態のふりをして職務に忠実だったのである。もし彼らが故意に開戦の通告を遅らせるよう本省から指示されたのだ、とばらしたら、外務省は赤っ恥である。だから、戦後失態をした外務官僚を皆出世させたのである。海軍にしても彼らが黙っていれば責任を外務省の現場に押し付けることができる。外務省も海軍も日本より自分たちの組織が大切だったのである。真珠湾の奇襲を強引に推進したのは山本で、軍令部は皆反対だったのだから、宣戦布告の遅延工作に山本の関与の可能性はある。